斎藤幸平の一覧
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ユーザーレビュー
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▼読中感想(第3章-日本の特殊事情時点)
ここ数年、内外的なきっかけで消費行動を見直し始め、それを起点に所謂「資本主義」への違和感を抱いてきた。
工業型生産や、その根底にある極端なコストカットによる利益追求モデルなど。
天然資源が枯渇し人口減少が避けられない環境で、モノを大量生産し一時的な利益を追求
...続きを読むする意義は何なのか、と漠然とした違和感を抱いている。
現時点の筆者の主張である資本主義からの脱却へは全面的に賛成する。先進国での工業型生産を削減してその技術やエネルギーを途上国への経済発展へ回すべき、と思う。
後の章で登場する「脱成長コミュニズム」という概念、また自分が実行できる脱資本主義的行動について注視ながら読み進めていく。
Posted by ブクログ
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今頃になって読んだ。そして、もっと早く読めばよかったと後悔した。第一章では、労働力や資源、エネルギーの不等価交換や掠奪、環境負荷の外部および将来への転嫁など、自分が前職で考えていたことを見事に整理してまとめてくれていた。
先進国の豊かな生活の裏側では、グローバル化によって被害を受けるグローバル・サ
...続きを読むウスの悲劇が繰り返されてきた。これらの大規模な事故は、起こる危険性が指摘されてきたにもかかわらず、国や企業はコストカットを優先して放置したことによる人災である。また、資源、エネルギー、食糧も先進国との不等価交換によってグローバル・サウスから奪われている。また、先進国は資源採掘やごみ処理などをグローバル・サイスに押し付けている。資本主義は、周辺部の労働力や天然資源を掠奪の対象としており、地球環境が危機的状況に陥るのは当然の帰結である。マルクスも、資本主義は自らの矛盾を別のところへ転嫁し、不可視化することによって、さらに矛盾が深まっていく泥沼化の惨状が必然的に起こるであろうと書いている。
問題の転嫁が困難となり、危機感や不安が生まれると、排外主義的運動が勢力を強めていく。右派ポピュリズムが社会に分断を持ち込むことで民主主義の危機を深めていき、権威主義的なリーダーが権力を握れば、ファシズム体制が起こりかねない。先進国の人々が大きな問題に直面するころには、地球の少なからぬ部分が生態学的には手遅れの状態になっているだろう。
ヨハン・ロックストロームは、自然本来の回復力を超えると、急激・不可逆的な変化を引き起こす可能性があるとして、プラネタリー・バウンダリーの概念を提唱し、SDGsの基礎となった。しかし、その後、経済成長と1.5℃未満の目標達成の両立は困難であると主張している。ティム・ジャクソン「成長なき繁栄」によると、先進国ではエネルギー消費の効率化が進んでいるが、ブラジルや中東では目先の経済成長を優先する中でエネルギー効率はむしろ悪化している。その結果、世界全体では、対GDP比の二酸化炭素排出割合は年率0.2%しか改善していない。著者は、環境対策は必要だが、それだけでは足りず、経済のスケールダウンとスローダウンを目指すべきであると主張する。
水や電力、住居、医療、教育を公共財として民主主義的に管理するコモンの概念は、マルクスも研究していた。マルクスは、コモンが再建された社会を労働者たちの自発的な相互扶助を意味する「アソシエーション」と呼んでいた。20世紀に国家の下で制度化された社会保障サービスは、組合などのアソシエーションを起源としている(デヴィッド・グレーバー「官僚制のユートピア」)。マルクスは、「資本論」第1巻の刊行後、自然科学やエコロジー、資本主義以前の共同体社会の研究に取り組んでいた。マルクスの思想は、「共産党宣言」の頃の生産力至上主義、「資本論」第1巻の頃のエコ社会主義を経て、進歩史観を捨てた脱成長コミュニズムに到達した。
マルクスの脱成長コミュニズム構想は、使用価値経済への転換、労働時間の短縮、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、エッセンシャルワークの重視の5つにまとめられる。
アンドレ・ゴルツは、開放的技術と閉鎖的技術の区別が重要であるとし、一般的な人々から隔離され、情報が秘密裏に管理されなくてはならない原子力発電のような閉鎖的技術は民主主義的な管理にはなじまず、隠ぺい体質につながり、重大な事故を招くと考えた。
フランスでは2019年に、年齢、性別、学歴、居住地などが国民の構成に近くなるように調整されたくじ引きで選ばれた150人のメンバーによる「気候市民議会」が開催された。
国家やグローバル企業が押し付ける新自由主義的な政策に反旗を翻し、住民のために行動する「フィアレス・シティ」の旗を立てたバルセロナでは、都市公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車や飛行機、船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ごみの削減・リサイクルなどの行動計画が市民によって策定された。フィアレス・シティのネットワークには、アムステルダムやパリ、グルノーブルなど77の拠点が参加し、巨大なグルーバル企業と対峙する知識を共有して連携する。
グローバルサウスでは、1994年の北米自由貿易協定発効の機に始まったメキシコ・チアパス州の先住民が起こしたサパティスタや、農産品の貿易の自由化が加速した1993年に生まれた国際農民組織ヴァイ・カンペシーナがある。
Posted by ブクログ
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【読もうと思った理由】
非常に売れていて、話題になっていた新書だったため。
【読んで感じたこと、認識したこと】
事前に100分de名著の資本論を読んでいたため内容は理解しやすく感じた(筆者が伝えたいことを100%理解できているかは別として)。資本論があやふやな人は事前に読むことを強くおすすめ
...続きを読むする。
資本主義は価値の増殖のため無限に成長を求め、資本主義である以上全ての物事がそれに取り込まれてしまう。みんながアクセスすることができた富(コモンズ)も、資本による囲い込みのため、商品となり、儲けのために稀少性をあえてつくりだし、経済として成長しているはずなのに一部を除いて人々は欠乏する。
先進国の発展の代償に、途上国へは環境負荷等を背負わせる。先進国の経済的発展は、負担を外部化(途上国へ)し、不可視化させて成り立っている。先進国は比較的環境負荷をかけていないように錯覚するものがいるが、環境負荷がかかる作業を途上国が担っているにすぎない。資本主義は、外部化し発展を続けてきたが、地球上にはもはや外部化させられるところはなく、二酸化炭素が増えすぎたことによる気候変動という代償が人類にふりかかっている。等々、資本主義による問題がこの他にも様々顕在化されてきている。これらを打開するには、脱成長コミュニズムへ移行するほかないという主旨(自分の理解した範囲では)である。
自分としては、筆者の主張にはおおよそ賛成する。資本主義が、地球の回復能力を超えて開発をしているのであれば、戻れなくなる前に資本主義からの移行はした方が良いのだと思う。かといってすぐに資本主義を捨てることはできないし、世界全体でやらなくては効果が薄いだろうし、資本が囲い込み発展させてきたものをコモンズとして取り戻すということも想像できないし、コモンズを共同管理するというのも今一つ想像できないし、、と凡人な自分からは難しそうという稚拙な感想しか浮かばない。
ただ、資本主義の継続は人類を幸せには導かないのは確かなようであり、多くの人が資本主義の問題を考えなければならない。
時間を空けてもう一度読みたいと思う。
Posted by ブクログ
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この本の内容や感想・意見を、自分なりにどうにか要領よくまとめてみようと試みたが、諦めた。あまりに重く大きい投げかけだから。
ただ、冷笑主義に陥らず、目を瞑らず、口を閉じず、自身を含む「悪」に向き合って、生きていきたい。生きていけるだろうか。
Posted by ブクログ
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「まえがき」の内田樹の文章の衝撃たるや。
21世紀末には、総務省の中位推定で、日本の人口は4700万人に。7000万人も減るという。
そして、この事実を国は知ってはいるが、「このシナリオを国民に対して開示する気がない」にっちもさっちもいかなくなってから、我々に、さて、「日本は沈みつつありますが、生き
...続きを読む延びる手立てはもうこれしかありませんと手の内を明かす」だろうと。
その時には「強者にすべての資源を集中し、弱者は見捨てる」というシナリオは出来上がっている…。
そうだろうと思う。そうなのだ。たぶんもう出来上がっているのだ。我々庶民はうかうかしてこれからだまされるのだ。
この「まえがき」と白井聡と平田オリザの論考が、特に優れている。この三箇所だけで、この本は⭐️5つだ。
白井聡はあまりにもハッキリとこの本で、誰もがそうではないか?と薄々気づいていたことを明らかにした。「われわれは根本問題の所在をはっきりと認める必要がある。日本の政治が見るも無惨な状態にあるのは、官僚機構が、あるいは政界が劣化しているからだというよりも、そうした堕落を許すどころか、腐敗堕落した勢力をわざわざ選択し、それに権力を与えている有権者の無知と堕落のためだ、という事実が正面から認められなければならない」
とうとう言ってしまった(笑)
ここを読んだ時間が寝る前だったので、その日は寝付くことができなかった…。白井さん!
平田オリザの指摘も示唆に富む。
西洋のリアリズムを情緒、感傷的に読み変える日本文化。
この甘美な情緒が産むものは何か。
せめてソフトランディングできたら、と願う。
兪炳匡の「プランB 」が少しでも実現できたらと思うが、この国はできないだろうな…。
兪さんの指摘、「著者が懸念するのは、現在の日本で生まれ育った人が、欧米諸国に留学ないし就職する際に、『基本的人権の尊重は建前であり、本音では揶揄・否定しても構わない』との言動をとりかねない」こと、さらに、「個人を評価する時に、日本では、仕事をする能力と倫理観・価値観を『足し算』によって評価」するが、「欧米での評価方法は、『掛け算』ですので、差別発言がある限り、高い研究実績を乗じても0以下になり」、「特定の大学だけでなく欧米の大学・政府組織・企業から永久に追放されます」は重く受け止めた。
つい最近、映画人をはじめとする文化人のセクハラに関して、その作品までも追放するのか、という発言が、なんと新聞にまで登場したことが思い出される。
言論人でさえ、足し算に疑問すら持たず、掛け算の発想すらない、その程度の知性が新聞をつくる国なのだなと思う。
今回の「撤退」に関するアンソロジーは、しみじみ読んでよかったと思うが、しみじみ悲しくもなる。
Posted by ブクログ
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