あらすじ
【『新書大賞2021』第1位!大賞受賞作!!】人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。
【各界が絶賛!】■松岡正剛氏(編集工学研究所所長)
気候、マルクス、人新世。 これらを横断する経済思想が、ついに出現したね。日本はそんな才能を待っていた!
■白井聡氏(政治学者)
「マルクスへ帰れ」と人は言う。だがマルクスからどこへ行く? 斎藤幸平は、その答えに誰よりも早くたどり着いた。 理論と実践の、この見事な結合に刮目せよ。
■坂本龍一氏(音楽家)
気候危機をとめ、生活を豊かにし、余暇を増やし、格差もなくなる、そんな社会が可能だとしたら?
■水野和夫氏(経済学者)
資本主義を終わらせれば、豊かな社会がやってくる。だが、資本主義を止めなければ、歴史が終わる。常識を破る、衝撃の名著だ。
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人新世:環境破壊の時代の
資本論:資本主義批判
資本主義
•帝国的生活様式→グローバルサウス(先進国の帝国的生活の皺寄せをグローバルサウスに請け負わせ蓋をする)
•分業化→個人の生産能力の低下+ただ資本の命令を「実行」するだけの労働者
•「商品としての価値」を重視し「使用価値」を蔑ろにする
企業がSDGsに即した事業を展開するのは、トレンド的にその方が「儲かる」からである
→本質的には事業の成長を前提とする。
(実際はEVを生産するために、ICEよりも多くの二酸化炭素が排出される。技術の進歩が環境への負荷を増大させる)
SDGsは環境問題の本質から目を背けさせ、何か環境にいいことをやったと錯覚させる阿片にすぎない。
本質的な環境保護は「脱成長」でしか目指せない。
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話題になっていた本を読んでみようとのことで、読んだ本。
正直、経済やマルクス主義についての本であると思い、さらに言えば「脱成長」は理想論すぎると思っていたのであまり期待していなかったが、気候変動に端を発し、そこから資本主義経済への分析、民主主義のあり方など、政治システムも絡んだ論理展開は、読んでいて非常に興味深かった。
また、マルクスの資本論を読んだことがないので、資本主義についての分析に初めて触れることができたという点からも、この本を読んで良かったと思う。
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経済成長と、環境保護ひいては文明の存続との両立がいかに不可能か、そしてコミュニズムに基づく脱成長という解決策を述べている。類似の書籍と一線を画すのは、マルクスの理論を終始ベースとしているために論展開が明確で納得しやすいこと。また、脱成長についても「どうせ無理だよな」と思わせない説得力がある。
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読んでもう1年半くらい経つが、読んだ当初から物事の考え方の土台になっている本。携帯の中のコバルトを採掘する仕事の低賃金さ(日本円にして1日あたり1円程度だったかな?)などを含む外部化の話はショックだった。グリーンエコノミーの話でも同じ。EV自体がco2を排出しなくてもそのサプライチェーン(部品加工、輸送、インフラ整備)でガンガンにco2を排出している。それは他国に外部化されているかもしれない。これを知って、メーカーって分業化が進んでるから怖いなと思った。
また社会構造について、資本主義でも社会主義でもない共同化社会を提案していた。確かに、自分の使うものは自分たちで調達・整備した方がいい気がする。埼玉県八潮市の陥没事件しかり。反対にブルシットジョブは、局所的な解を産んでるに過ぎず、問題のフレームが小さい気がする。
ただ一点、どう実現するか、があまり詳しく書かれていないという印象。たしかに少人数で実行されうるかもしれないが、今の新自由主義的な考えでどう改変していくかはかなり難しい。社会輸送は、理想を語るより何倍も難しいのかも。
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気候問題や経済についてのものの見方を変えてくれた本。ただ筆者の頭脳が高度すぎて真剣に読まないと理解できないので、気楽に読むことはできない。読みごたえはすごい。
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素晴らしかった!斎藤さん超ファンになった!以下、抜粋
無限の経済成長を目指すグリーンニューディールに対してはこう言うしかない。「絶滅への道は善意で敷き詰められている」
ヴァーツラフシュミル「継続的な物質的成長は不可能。脱物質化…より少ない資源でより多くのことを請け合うが、、も。この制約を取り除くことはできない」
この指摘通りサービス部門への経済の移行が問題を解決するわけではない。余暇のカーボンフットプリントは全体の25%をも占めるといわれる。
現実にはロボット化でサーバーの製造や稼働に膨大なエネルギーと資源が消費される。
先進国が膨大なエネルギーを使ってさらなる経済成長を求めることは明らかに不合理。ましてや経済成長がそれほど大きな幸福度の増大をもたらさないのなら尚更だ。
しかし同じ資源とエネルギーをグローバルサウスで使えばそこで生活する人の幸福度は大幅に増大するはずだ。だとしたらカーボンバジェット(まだ排出が許される二酸化炭素)は彼らのために残しておくべきだ
つまり「現実飢餓で苦しんでいる10億人は苦しみ続ければいい」「地球環境の悪化で苦しむ将来の世代などどうでもいい」という立場をとるなら別だがそうでない私たちは、先進国の経済成長を諦めマテリアルフットプリントを自発的に減らしていく道を検討すべきではないか
私たちが環境危機の時代に目指すべきは自分たちだけが生き延びようとすることではない。それでは時間稼ぎはできても地球は1つしかないのだから最終的には逃げ場がなくなる
このままでは超富裕層1%にしか今のような生活は保障されなくなる
明日は我が身
生存の鍵となるのは「平等」
日本社会では労働分配率は低下し貧富の差は広がっている、ブラック企業も深刻化、そしてパイは小さくなり安定した仕事も減り、人々は何とか自分だけは生き残ろうと競争を激化させていく。社会的な分断が人々の心を傷つけている
今の日本のように石炭火力発電所を建設しているなら「脱成長」ではない
生産を縮小するにしても失業が増えるだけでは「余暇の増加」からはほど遠い。削減すべきは牛肉、SUV、ファストファッションであり教育や社会保障、芸術ではない。日本はただの長期停滞。不平等と貧困をもたらし、競争を激化させる。誰も弱者に手を伸ばす余裕はなくホームレスになれば台風のとき避難所に入ることすらできない。貨幣を持っていなければ人権さえ剥奪され、相互扶助は困難だ。
マルクス…産業のより発展した国は、発展の遅れた国に対して、ほかならぬその国自身の未来の姿を示している
無力になった私たちは資本主義なしには生きられないと無意識のうちに感じている。私たちはかつてぬいほどに自然の力を前にして無力になっている。昔の私たちは自分たちで魚や肉を取り捌き、そのための道具さえも自分たちで作っていた。それに比べると私たちは資本主義に取り込まれ生き物として無力になっている
商品の力を媒介しないと生きられない。自然とともに生きるための技術を失っている。
資本は職人たちの作業工程を細分化し効率化するよう再構築した。その結果職人たちは没落する。職人の代わりに雇われた労働者たちはただ資本の命令を「実行」するだけだ。職人の「モノの構想」と「実行」は分離された。
現代の労働者はかつての職人のようにひとりで完成品を作れないし、パソコンを組み立てているのはパソコンがどうやって作動しているのか知らない人たちだ。
今や労働者たちは資本の下で働くことでしか自らの労働を実現できない。こうして自律性を奪われた労働者は機械の「付属品」になっていく。「構想力」は失われ、資本の支配力は増大、生産力の発展にも関わらず私たちは未来を「構想」することができない
むしろより資本への従属を迫られ、資本の命令を「実行」するだけになる
危機が深刻化するほど人々の目的は生き延びることだけになり立ち止まる余裕を失う、そうなってからでは遅い
気候危機は真にグローバルな危機である。周辺部に転嫁できる公害とは違い、究極的には先進国であれこの破壊的帰結から逃れられない。すべての人類が連帯ができるかという試練
この試練の瞬間にジオエンジニアリングやNETのように先進国を優先して「外部」の人々を犠牲にするような「閉鎖的技術」は不適切
「役に立つ」技術を開発するためますます多くの税金や労働力が投下される。その一方で人文学は「役に立たない」として予算が削減される
この危機を前にして全く別のライフスタイルを生み出し脱炭素社会を作り出す可能性を技術は抑圧し、排除してしまう
技術というイデオロギーが現代社会に蔓延する想像力の貧困の一因
相対的希少性は終わりなき競争を生む。自分よりよいものを持っている人はSNSに沢山いるし買ったものをすぐに新モデルの発売によって古びてしまう
消費者の理想は決して達成されない、私たちの欲望や感性も資本によって包摂され変容させられてしまうのだ
人々は理想の姿、夢、憧れを得ようとモノを絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する、それに終わりはない
消費主義社会は商品が約束する理想が失敗することを織り込むことによってのみ人々を絶えざる消費に駆り立てることができる
「満たされない」という希少性の感覚こそが資本主義の原動力なのである。それでは人々は一向に幸せになれない
“コモン”が目指すのは人工的希少性の領域を減らし消費主義、物質主義から決別した「ラディカルな潤沢さ」を増やすこと
“コモン”の管理においては必ずしも国家に依存しなくていい
水は地方自治体が、電力や農地は市民が管理できる。ラディカルな潤沢さが回復されるほど商品化された領域が減っていくためGDPは減少する、脱成長だ
貨幣に依存しない領域が拡大することで人々は労働への恒常的プレッシャーから解放される。その分だけ暮らしは安定し、相互扶助への余裕が生まれ、消費主義的でない活動への余地が生まれる。スポーツ、ハイキング、自然に触れる、ギターをひく、絵を描く、本を読む、家族や友人と食事しながら会話を楽しむこともできるようになるだろう
消費する化石燃料エネルギーは減るがコミュニティの社会的、文化的エネルギーは増える
満員電車に詰め込まれコンビニ弁当を食べ連日長時間働く生活に比べればはるかに豊かな生活だ
そのストレスをオンラインショッピングや高濃度アルコール飲料で解消しなくてもいい。健康状態も改善するだろう。
私たちは経済成長の恩恵を求めて一生懸命に働きすぎた。希少性を本質にする資本主義の枠内で豊かになることを目指しても全員が豊かになることは不可能
1%の超富裕層と99%の私たちの富の偏在を是正し人工的希少性をなくすことで、社会はこれまでよりもずっと少ない労働時間で成立する
しかも大多数の人々の生活の質は上昇する。無駄な労働が減ることで最終的には地球環境をも救う
私たちは十分に生産していないから貧しいのでなく、資本主義が希少性を本質とするから貧しいのだ
貧相な生活を耐え忍ぶことを強いる緊縮のシステムは資本主義にぴったりの政策だ
必要なのは「反緊縮」でそれにはコモンの復権
人間の満足度の基準というのは与えられた環境に適応可能でその基準は柔軟に変動する
気候変動は不可逆的だ
一つの方法で失敗したら別の方法でやり直すことはできない。
気候変動がもたらす被害はコロナ禍とは比べ物にならないほど甚大になる可能性がある。コロナなど感染症は、資本が自然の奥深くまで入り込み森林を破壊し未知のウイルスと接触したり、とりわけ現代のモノカルチャーが占める空間はウイルスを抑え込めない。そしてウイルスは変異していきグローバル化した人と物の流れに乗って瞬間的に世界に広がる。対策を遅らせるほど大きな経済損失を生み人命も失われる
コロナを例にすると最終的に危機の時代にはむき出しの国家権力がますます前面に出てくる可能性が高い。なぜかと言うと1980年代以降、新自由主義は社会のあらゆる関係を商品化し相互扶助の関係性を花貨幣、商品関係に置き換えてきたから。私たちがそのことに慣れきってしまった為相互扶助のノウハウも思いやりの気持ちも根こそぎにされているのだ。すると、不安な人々は隣人ではなく国家に頼ってしまう。
いずれにせよ政治家とテクノクラートによる支配で犠牲になるのは民主主義や人権。
ただし統治機構が十分に機能することを前提にしている。危機が本当に高まると強い国家さえも機能しなくなる可能性がある。実際コロナ禍では医療崩壊と経済の混乱を前にして多くの国家は何もできなくなった。気候危機にしてもそうなるかもしれない
しかも危機の瞬間には帝国的生活様式の脆弱さが露呈する。コロナの第一波が襲った際先進国ではマスクもアルコールも手に入らなくなった。安くて快適な生活を実現するためにあらゆるものを海外にアウトソーシングしてきたせいだ。
先進国の巨大製薬会社が精神安定剤やEDの治療薬といった儲かる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の開発から撤退していたため事態は深刻化した。
気候危機の場合、食糧難が深刻化、日本のような自給率が低い国はパニックになる。資本主義と決別して“価値”より“使用価値”を重視する社会に移行せねばならない
GDPの増大を目指すのでなく人々の基本ニーズを満たすことを重視するのだ。これこそ脱成長の基本的立場だ。自己抑制も必要だ。
【労働時間を削減して生活の質を上げる】
マーケティング、広告、パッケージングなどによって人々の欲望を不必要に喚起することの禁止、コンサルタントや投資銀行も不要。深夜のコンビニや店を開けておく必要はない。年中無休も同様。必要のないものを作るのをやめれば総労働時間は大幅に削減できる。労働時間を短縮しても意味のない仕事が減るだけなので社会の実質的な繁栄は維持される。労働時間を減らすことは人々の生活にも自然環境にも好ましい影響をもたらす。
人間がオートメーションによって賃金奴隷の状態から解放される可能性があるはずだが、資本主義のもとではオートメーション化は「ロボットの脅威」「失業の脅威」になっている。失業を恐れる私たちはいまだに過労死するほど必死に働いている。ここに資本主義の不合理さが表れている。早く捨て去ったほうがいい
「緑の経済成長」を目指すグリーンニューディールもジオエンジニアリングもMMTのような政策も資本主義という根本原因を必死に維持しようとしている。これが究極の矛盾で問題の先送りしかできない
だがこの時間稼ぎが致命傷となる。見せかけだけの対策に安心し人々が危機について真剣に考えることをやめてしまうのが一番危険。国連のSDGsは批判されなければいけない。石油メジャー、大銀行、GAFAMのようなデジタルインフラの社会的所有こそが必要。
ここで政治家を責めても仕方がない。気候変動対策をしてもグローバルサウスの人々や未来の子どもたちは投票してくれないから。政治家は次の選挙より先のことを考えられない生き物。大企業からの献金やロビイングも政治家たちの大胆な意思決定を妨げる。気候危機に立ち向かうには民主主義そのものを刷新しなければ。気候変動の対処には国家の力を使うことが欠かせない。市民議会などで主体的に参画する民主主義が拡張すればどんな社会に住みたいかをめぐってもっと根本的な議論を開始できるようになる
「3.5%」という数字がある。政治学者の研究によると3.5%の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると社会が大きく変わるというのだ。
グレタの学校ストライキは一人から始まった。1%VS.99%のスローガンを生んだウォール街占拠運動の座り込みに本格的に参加した数も入れ代わり立ち代わりで数千人だろう。デモは数万規模になりSNSでその動画は数十〜数百万回拡散される。そうなると選挙では数百万の票になる。
資本主義と気候変動に本気で関心を持ち熱心なコミットメントをしてくれる人々を3.5%集めるのはできそうな気がしてこないか。
ワーカーズコープ、学校ストライキ、有機農業、地方自治体の議員を目指す、環境NGOで活動する、仲間と市民電力を始める、労働時間の短縮や生産の民主化を実現するなら労働組合しかない。署名、富裕層への負担を求める運動を展開する必要もある。そうやって相互扶助のネットワークを発展させ強靭なものにするのだ。すぐやれる、やらねばならないことはいくらでもある。だからシステムの変革という課題が大きいことを何もしないことの言い訳にしてはいけない。一人ひとりの参加が3.5%にとっては決定的に重要だからだ。
そろそろはっきりとしたNOを突きつけるべきだ
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意識的にユニセフに募金はするし、エコバッグも使っているし、消費を促す資本主義のやり方には、うんざりしている。
けど….、わたしはこの本で提唱されている社会になじめるのだろうか。
利潤追求型の資本主義のもとでは、結局、すべての活動がお金儲けに転換されてしまって、自然破壊は止められず、世界の経済格差は拡がり、富裕国が引き起こすさまざまな負債を貧しい国(グローバルサウス)が引き受けることになる。
そこで、生産手段、インフラ、産業を自分たちで共同管理する、コモン、市民営化による脱成長コミュニズムの実現が不可欠だと提唱している。
理念や理屈は抜きにして本音で語ろう。
わたしは1人が好きだ。社会の共同体のような組織、自治会とか、協同組合とか、PTAとか、〇〇会とか、そういうものに所属して他者とコミュニケーションをとりながら、他者のために何かをするという行為が本当に苦手だ。
恐らく、介護職などのエッセンシャルワーカーに就きたくないと考える人は、その賃金の低さよりも仕事の内容で忌避する人も多いはずだ。
そういった個性の人が、脱成長コミュニズムの社会のなかで、どんなふうに生きていけるのか。これは個人主義が進んだ社会の中で大きな問題になると思う。
資本主義が経済格差を産むことは止めたいし、わたしたちの生活の負債を南アフリカや貧しい国の人たちに押し付けるのは嫌だ。
だけど、エッセンシャルワーカーのような、他者貢献の役には立たない仕事に、なぜかやりがいを感じてしまい、プライベートを共有せずとも分業社会の中で、生きていける職業に就いている、個人主義のわたしたちには、どういった意識の変革が求められるのか。
そこには当然、相当な苦痛が伴うだろう。
覚悟しなければいけないことなんだろう。
これからの世代には、まず他者理解の教育が不可欠だ。多様な他者を受け入れ、集団から排除される人を出さない社会にしなければいけない。
そして私たちは、他者貢献の理念を学び直さなければならない。
Posted by ブクログ
「人新世」聞き慣れない言葉です。
これは、ノーベル化学賞受賞のパウル・クルッツェンが名付けた言葉で、人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、人間たちの活動の傷痕が、地球の表面を覆いつくした年代という意味らしい。
近代化による経済成長は、豊かな生活を約束していたはずだった。ところが、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実である。
そのような事態を避けるための方法論として、「資本論」を書いたカール・マルクスの考えたことをもう一度、しっかり読み直し、マルクスが資本論以降に取り入れた考え方にヒントがあるというのが著者の言説である。
内容ですが、
第1章 気候変動と帝国的生活様式
第2章 気候ケインズ主義の世界
第3章 資本主義システムでの脱成長を撃つ
第4章 「人新世」のマルクス
第5章 加速主義という現実逃避
第6章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズム
第7章 脱成長コミュニズムが世界を救う
第8章 気候正義という「梃子」
はじめに――ではSDGsは「大衆のアヘン」である!と書かれています。
要は、現在の資本主義の延長線上にある技術革新に期待するとか、資本・政府の示すキャンペーン取り組みでは解決しない状況に陥っているという話です。
長い人類の歴史の中で育んできた「コモン」「コモンズ」を基盤とする経済社会活動に人びとが主体的に参加し、より多くの人びとがその活動に巻き込まれていく方向にしか活路を見いだせないという提案である。
第8章に、まだまだ小さな活動であるが、スペインバルセロナで、アメリカのデトロイトで、南アフリカのヨハネスブルクでとかグローバルサウスの抵抗運動から、積極的に学ぼうという運動が若干ではあるが、広まりつつあるらしい。
後書きの最後の最後の部分を紹介して、感想文とする。
本書の冒頭で「人新世」とは、資本主義が生み出した人工物、つまり負荷や矛盾が地球を覆った時代だと説明した。
ただ、資本主義が地球を壊しているという意味では、今の時代を「人新世」ではなく、「資本新世」と呼ぶのが正しいのかもしれない。
けれども、人びとが力を合わせて連帯し、資本の専制から、この地球という唯一の故郷を守ることができたなら、そのときには、肯定的にその新しい時代を「人新世」と呼べるようになるだろう。
本書は、その未来に向けた一筋の光を当てるために、資本について徹底的に分析した「人新世の資本論」である。
もちろん、その未来は、本書を読んだあなたが、3.5%のひとりとして加わる決断するかどうかにかかっている。
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マルクスが辿り着いた資本主義の先にある、脱成長社会について知ることが出来た。
資本主義の限界と、これからの持続可能な社会への提案がなされている。
脱成長の5本柱(使用価値経済への転換、労働時間の短縮、画一的な分業の廃止、生産過程の民主化、エッセンシャルワークの重視)を意識して、生き方を考える必要があると感じた。
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資本主義の現代では、1%の富裕層・エリート層が好き勝手に自分たちの価値観に合わせて社会の仕組みや利害を作り上げてしまい、大多数の庶民は苦しい生活を強いられている.それを打破する目的で晩年のマルクスが脱成長コミュニズムを提唱しており、これが現代の危機を乗り越えるための最善の道だ という提言だが何故か分かるような気がするものの、もやもやした感じで読み終えた.気になった語句が「コモン」だ.資本主義のもとで、コモンを制度化する方法の一つが福祉国家だった という議論は面白かった.
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現在の資本主義を維持していくと、環境破壊により、体制の維持は不可能という点から始まり、マルクスが唱えようとした脱成長論を展開する論考。
経済的な価値から解き放たれ、本当に実存に影響のある「使用価値」をもっと重視し、環境負荷を低減する持続可能な社会システムを提唱している。
具体的な取り組みの話もあったが、ここまで強固な資本主義思想からの転換は容易ではないなと、改めて思った。
小さくても生産活動に副業的に取り組み、社会と繋がりを持ちながら、働きすぎないという生活が理想となるのか。
バルセロナの取り組みが示唆に富んでいた。
Posted by ブクログ
国家に頼り過ぎずに、市民参画のコミュニズムをつくりあげていくことが平等な社会、そして環境保護にもつながるそう。過剰な生産、労働をやめ、自然環境とともに生きていく方法を見つけなければならない。
消費社会の真っ只中に生きている私たちには、きっと耳の痛い内容だと思う。富裕層がみなこの本に書かれているような人たちばかりではないと思いますが、確かに今の資本主義社会は暴走しているなと感じます。道徳心や倫理観を無視した経済成長なんて、一部の人にしか恩恵はないのだと。
外国で起こっている様々な環境問題に、当事者として私たちには何ができるのか真剣に考えていかなくてはいけない。それは私たちの義務だと思いました。そして明日は我が身だと。
Posted by ブクログ
資本主義社会に抗うための重要概念。読者である私が参画してこの書籍の意図が完成するという意味合いを込めて星4。
私は教員なので、「コモン」としての学校の姿を考えたい。我々の社会が見逃し続けている価値を再発見するために必要な視座を与えてくれる書物であった。
Posted by ブクログ
少し前からあまり物が要らないなと思ってました。コンビニやスーパー、ファストファッションのお店に沢山並ぶ商品が「多いな」と感じるようになってました。
これはなんだろう?年をとっただけなのかな?と思うと同時に、子供の頃はあんなに楽しかった夏がただの憂鬱な季節になってしまったこと、失われた30年、欧米型の資本主義の衰退。このままずっと過ぎていくと思っていたことに変革が必要なことを何となく肌で感じるようになってきました。
さて、この現象は何だろう、何をしたら良いんだろうと思いこの本を読み始めました。分かっていたけど真剣に捉えていなかった「豊かさの代償は誰が払っているのか」を目の当たりにしました。
日本はいつからか小さな自治が解体され隣近所も分からず、困りごとは役所へ連絡。となってしまいました。思えば子供の頃は、何処でも町内会などで相互互助が機能していたはず。もっと自立した社会だった気がします。
現地の人の話ですが、2004年の中越地震の時に道路が分断された限界集落では、待てども自治体が助けに来てくれないので自分達で重機を動かして道を作ったそう。
そのエピソードずっと心にあって、本書を読んだ時に、そういう小さく機動性があるグループが生きるのに必要なのだと感じました。
長時間の仕事で疲弊してひとりコンビニ弁当を食べるより、自分達が主体的に働き、主体的に生き方を決めていく事でブランド物を買うより価値のある生活が送れるようになる。その為にもう活動している人達が世界にいる事に興味を持ちました。
地球環境と長く共存するために、3.5%になるべく、少しでも活動を始めていきたいと思いました。
難しかったけど、折に触れて読み返したい本になりました。
Posted by ブクログ
ベストセラーになった本なので、簡単で分かりやすいのかと思ったが、専門的で難しい内容も多かった。ただ、後半の提言部分は分かりやすく、共感できた。ここで書かれているマルクスの晩年の考え方は、共産主義のネガティブな、イメージとは大分異なっていて、広く受け入れられる考えだと思う。
でも、脱成長という考え方がどこまで受け入れられるかは?マーク
Posted by ブクログ
半分くらいは、ここ数十年来語られてきた内容でそれほどの新鮮味はないが、それらをコンパクトな新書サイズ、レベルにわかりやすくまとめてあるのは見事である。
で、問題はこれらの革命的改革案を実際に担う人々がどのようにして生まれるのか、育てるのか、という主体性論に行き着くのではないか。
さらに、著者の構想する社会では利潤、金利、貨幣はどうなるのか?これらを認めるのであれば、人間の欲望のどうしようも無さに結局は翻弄される社会が続くのではないか。
いずれにしろ、このレベルの本がヒットするというのは喜ばしい事である。
Posted by ブクログ
以前著者である斎藤幸平氏が配信している動画を観てから著書を読んでみたいと思っていたので、海外にも翻訳され国内でもベストセラーとなった本書を購入。
その動画でも述べていたが、混迷の現代こそマルクスから学ぶべきと主張しており、いわゆるマルクス主義に対してネガティブな印象を抱いていた自分にとって興味をそそられたという理由もあった。
本書は冒頭から「SDGsは"大衆のアヘン"である!」と、いきなり読者に対して攻撃的な言葉から始まる。
これは、かつてマルクスが資本主義の辛い現実を和らげる宗教に対して"大衆のアヘン"と批判したことに対応している。
SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかないと切り捨てる。
本書は360ページ程度のボリュームで新書にしては分厚いが、「人新生(=人類の経済活動や核実験によって地球の地質や生態系に大きな影響を与えた時代を指す地質年代区分)」における行き過ぎたグローバル資本主義を、導入の2章分(約100ページ)で徹底的に批判する。
SDGsだけでなく、グリーン・ニューディールも、ジオエンジニアリングも、IoTやAIを活用したCO2削減のための技術革新も、それらの取り組みはすべて資本主義下で先進国(グローバル・ノース)が後進国(グローバル・サウス)から搾取し続ける構造(=外部化)にすぎず問題を先送りしているだけだと、これでもかというくらいの事例やデータを示しながら持論を展開する。
3章以降からは、ケインズ理論の変遷を述べながら、特に最晩年のケインズの考えに基づき、人新生における行き過ぎた資本主義に対する解決策が述べられていく。
解決のためのキーワードは「脱成長」と「コミュニズム」の2つとしているが、ここまでどっぷりとグローバル資本主義に浸かってきた日本にとって、この解決策に対しては実現可能性という点で賛否あるだろう。
また、著者は脱成長コミュニズムを実現するための柱のひとつとして、労働集約型エッセンシャル・ワークの重視を挙げている。
比較的高給であるとされている仕事(マーケティングや広告、コンサルティング、金融業や保険業など)は、重要そうに見えるものの、実は社会の再生産そのものにはほとんど役に立っていない(=ブルシット・ジョブ)とまで断言している。
確かに、コロナ禍では社会の運営を下支えするエッセンシャル・ワーカーの重要性が多く取り沙汰されたが、比較的長い間ITコンサルティングを生業としている自分にとってはあまりにも痛烈な批判に感じた。
どうせ社会に出て働くのであれば、給料がより高い仕事や業界に人気が集中するのが当たり前であるが、物価上昇と人口減少が続いていく今後の社会において、特に若者に「社会的価値の高いエッセンシャル・ワーカーになろう!(ただし仕事内容は大変で給料はそれほど高くないけどね)」と提案しても、どれほど魅力的に響くのか疑問が残る。
興味深いのは、以前に読んだマルクス・ガブリエル氏の『倫理資本主義の時代(斎藤幸平氏が監修)』において、現代資本主義の限界については本書の主張と軌を一にするしているものの、「脱成長」は解決策になり得ないと真向から否定していることである。
ガブリエル氏は斎藤氏の主張を引用しながらも、環境や社会にとってより良いものを生み出すために成長は不可欠であり、脱成長は人々のインセンティブを削ぎ、社会を停滞させ、貧困をもたらす可能性があり、イノベーションをも阻害させると主張しており、極めて西洋人的論調である。
「環境問題、待ったなし!」と言われ続けて久しいが、これまで多くの学者や論客が、いわゆる"新しい資本主義"を提唱してきたにも関わらず、人々の専らの関心と期待は賃金・株価・GDPの上昇である。
世界的金融危機が訪れても、世界の至る所で大規模な天災が発生したり戦争や紛争が勃発したりしても、人々は成長と拡大を望む。
改めて資本主義が持つ慣性力のパワーは凄まじいと感じざるを得ない。
このパラダイムを変えるために、著者はバルセロナ市が旗を揚げた国際的自治体ネットワークである「フィアレス・シティ」の脱成長に対する取り組み事例を挙げながら、まずボトムアップ的に小規模でも出来ることから始めることが肝要だと熱く述べているが、残念ながら本書が出版されて5年目となった現在でも、国内で何らかの運動が起こったという話は聞かない。
著者が提唱する「脱成長・コミュニズム」にせよ、ガブリエル氏が提唱する「倫理・道徳に基づく資本主義」にせよ、どちらの主張に正当性があるかの検証にはまだ時間がかかるだろうが、行き過ぎた資本主義がもたらしてきた問題の解決にはとてつもなく高いハードルがそびえていることだけは確実だと痛感する一冊であった。
Posted by ブクログ
実現可否性はさておき、帰結として一人一人の行動からしか社会システムは変わらないことと、無関心でいることの罪深さや、そういった構造を生む現代の課題を痛烈に感じる書籍であった。
Posted by ブクログ
資本主義のままで脱成長できないのは同意。食料主権の話や、バルセロナの話にも共感は出来る。インフラ的なものがコモンになるのも想像できる。ただ、その先はイメージできない。資本が必要な産業が社会を支えていることはどうなるのか。あと、人口減の切り口も含めた議論が必要に感じた
Posted by ブクログ
このまま人類は経済成長し続けるのか?疑問に思ったことがある人は多いと思います。資源は有限です。資源を求めて人類は深海や宇宙へと進出しようとしています。
一言で言えば、本書は、そういった経済成長ありきの考え方にNOを突きつけます。
経済成長が持続可能なのかは誰にも分かりません。しかし誰もが疑問を感じたことがあるテーマなので興味深く読み進めることができると思います。
Posted by ブクログ
産業革命以降、資本主義による「生産性」の追求を行うことで急速な経済発展を実現した一方で、地球環境に対しては大きな負荷をかけてきた。現在、各地で異常気象が叫ばれる中、このまま資本主義による「生産性」の追求が続くと、いずれ地球環境は取り返しのつかない危機的状況に陥ってしまう。この状況を打破すべく、資本主義からの脱却を目指す「脱成長コミュニズム」の構築を筆者は提唱する。
これからの時代、つまり人新世では経済成長という目先の利益に捉われず、持続可能な社会を構築していくべきだという主張にとても賛同できました。
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発売から5年。自分が元々資本主義に疑問を持っていて、彼以外の言説にもよく目を通しているからか、そこまで目新しい意見は見当たらなかった。
刊行当時に読めていればまた違った感想だったかもしれない。
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本書は都市化や大量消費、化石燃料利用が進むことで、気候変動など地球の危機に陥っている「人新世」という時代を背景に、資本主義の限界を解いている本です。
私自身、ファストファッション大好き。不自由のない暮らしをしつつ大量消費と身近でいるなか、危機感を煽られ最後まで読みました。しかし、この地球の危機を救うための「脱成長コミュニズム」の提案については理解しきれなかったり、十分納得できない部分がありました。
後半の脱成長に関しては、最近読んだ『働かない勇気』を思い出しました。そちらでは「ベーシックインカム」を脱成長の一つの解決方法として挙げられていましたが、本書ではお金を分配するというより、ベーシックサービス(医療、教育、住宅、食料などの公共サービス)を充実させるべきだと主張しているようです。これは「コモン」と呼ばれる共同財や生活インフラを市民が自主管理していくモデルであり、社会の変革を目指すものです。
また、本書ではコミュニティはコモン(共有財)の運営・管理主体として位置づけられていますが、その質には言及されていないのが納得いかないポイントでした。なぜなら、私にとってコミュニティは「ムラ社会」のような排他的で古い慣習を連想させるネガティブな要素が少なからずあるからです。とはいえ現代は「シェアハウス」のような形態を通して災害時など助け合えるコミュニティも存在しており、コミュニティの質の改善は今後の課題だと感じます。
私たちが資本主義ゲームから降りるためには、お金の不安をなくすことが手っ取り早い方法で、NISAなどが有効です。しかしそれは同時に資本主義経済を活性化させるという矛盾があります。脱成長を両立させる方法は一筋縄ではいかないと感じました。そもそも富の格差を大昔からあるもので、物欲に抗いながら富を平等にすることは非常に困難なのではないでしょうか。
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イタリア人の先生が本著の英語版を紹介していて読んでみることにした。前半はそうそう、そのとおりよね、と概ね共感する内容である。行き過ぎた資本主義の枠内であれこれやっても根本解決にはならない。
ただ、後半から終わりにかけての脱成長コミュニズムが唯一の解決策だというところについては、マルクスがそれを目指していたというのは勉強にはなるが実際にそれが現代の社会で実現できるイメージを持てず、その副作用について両面的に検討されているようなものではなかったのでまだしばらく思想の分断は続くんだろうな、という読後感が残ってしまった。
ただ、日本の地方に残るコミュニティも消えつつある今、この世界をなんとかしないといけないのはその通りなので、頭の片隅に残しつつ引き続き考えていきたい。
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他のものに転嫁させたり、見えなくすることで、帝国的生活様式、つまり大量生産大量消費の贅沢な社会を享受してきた。
これまではいわゆる途上国に転嫁を押し付けていたが、その余地もなくなり、先進国諸国に影響が出始めてきており、私たちを襲っている。
多くの代替案はある場所での資源の消費をある地点に移動させているだけ。
欠乏を生んでいるのが資本主義というのは、昨今のさまざまな問題を表しているなあ。本書に書かれているような土地に関することや過剰なまでの美への執着など。
本来共同財的であったものが、資本主義にもまれることで、私財化していった。その私財化によって、そのものの価値ではなく、財産的な価値を持つようになる。その財産的な価値を求めることが間違いであり、それを再び共同に戻すことで、合理的な潤沢さを取り戻せる。
マルクスと脱成長って主流じゃないんだ。両方ともリベラルっぽくて相性がいいと思っていた。
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今思えば脱成長なんて無理だと思う。
大学生までの人が読んでいるのが良いがこの思想を大学出たあとも続けるのには現実はそれに即してはいないだろう。
この人の思想は現実には即さない。地に足がついていない。マルクスと同じように。だが、マルクスと同じように社会批判は的を得てはいる。
しかし、それに代替する提案が現実的に不可能なのである。