【感想・ネタバレ】疲れすぎて眠れぬ夜のためにのレビュー

あらすじ

疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証。サクセスモデルへの幻想を棄てて、「1ランク下の自分」を目指しませんか? ささやかなことで「幸せ」になれるのは1つの能力です。まずは身体の内側から発信される信号を聴き取ること。真の利己主義を目指すこと。礼儀作法と型で身を守ること。家族の愛情至上主義をやめること──。今最も信頼できる哲学者が、日本人の身体文化の原点に立ち帰って提案する、最強の幸福論。

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頑張らなくていいとか、よくいうけど、
ほんとそう思う。
我慢したって誰も褒めてくれないし、褒めてもらうことを期待するからつらくなるのよ。

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2024年08月12日

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自己啓発本のように気負うことなく肩の荷をそっと下ろしてくれるような本書の「幸福論」は多くの人々が必要としている考え方だと感じました。
生き方を選ぶのは自分次第ですが、この本を手に取ってみて今の自分に力み過ぎている部分がないか振り返ってみてはどうでしょうか?

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2020年12月22日

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世界の解像度が上がる本。
例えば、社会制度についての是非だけでなく、是と非が変遷する過程や、変遷する方法を考える一節があった。
なるほど、知識人とは思考法が違うのかと思った。つまり、知識の量という軸に加えて、視点の置き方という軸が他人よりもきめ細かく、二次元的に解像度が高い印象を受けた。

それから、題名の通り、疲れて眠れぬ夜に読むことが多かったが、内容が頭に入ってきた。
本当に頭の良い人は、難しいことを簡単に言う。
これは入門書の極意だろうか。読んでいるうちに、著者内田樹の頭の中の論理展開を支える理論を知りたくなった。

文章は各所で、小難しい理論や現行制度に対して、「そもそもニンゲンは、、」という何か本質を透かした表現で問い質す。ここで、他の著者であれば、無理やり引っ張ってきた屁理屈のような違和感を感じることが多い。我々理系にとっては、そもそもニンゲンの本質などとは一説に過ぎず、仮説に仮説を建設しているような感覚を覚える。しかし、著者のように要点を絞って、議論に使用すれば、納得しやすい材料にもなることを知った。
例えば、人間は他者と違う何かになりたい、という本質から、資本主義の在り方や問題点を指摘していた箇所は本当に分かりやすかった。

一つ考えてみたいことがある。
「人間の本質」と「日本人の本質」の差である。つまり、ある本質が真に人間の本質であれば、そこに日本人特有のものは介在しないはずである。これを考えることは、生来の本質と環境の本質の違いを見つけ出す一つの視点になるのではないか。生物学的に言えば、ヒトの成長は生まれか環境か。この問いは、実験的な解明が試みられている分野だが、社会にすでにヒントが落ちているかもしれない。文化人類学的視点からも考えてみようと思う。

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2019年10月18日

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昔からへんなタイトルの本だなあ、と思っていたけれど、今ならよくわかる。そういうことがありうることを。

ただ、初期の内田さんの本だからか、ちょっと文章が硬い感じがする。

でも、外部の声を聴こうとするときが、最もリラックスするというメッセージは金言であるように思う。

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2018年12月29日

Posted by ブクログ

哲学が得意とする批判的な見方は、様々なことに対して考えさせられるヒントが散りばめられていると思う。
正しい、当たり前と思われているものが何の前提をもとにして成り立っているのか、それは今目の前にあることにも適応されるのかを批判的に、健全に考えることに哲学の営みは近い。
この本は今の社会にあるリアルなテーマを基に話をしているので、結果として肩の力が抜けるような、どこかほっとさせられる本になっていた。

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2018年12月16日

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201605/
戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。/
そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根付かせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。/
人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言って、リアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。/
戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。/
極限的なところで露出する「人間性の暗部」を見てしまった経験があるかないかは社会との関わり方に決定的な影響を及ぼしただろうと僕は思います。/
「戦後民主主義」というのは、すごく甘い幻想のように言われますけれど、人間の真の暗部を見てきた人たちが造型したものです。ただの「きれいごと」だとは思いません。誰にも言えないような凄惨な経験をくぐり抜けてきた人たちが、その「償い」のような気持ちで、後に続く世代にだけは、そういう思いをさせまいとして作り上げた「夢」なんだと思います。/
「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱弱しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。/
社会成員が、自分たちが同意した制度を守るために、自分の仕事の「割り前」を果たすという基本的な責務を忘れたら、社会制度はもう持ちません。民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。/
為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、リーディングカンパニーのモラルハザードのすべてに共通するのは、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観です。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実にはわかっていないのです。/
紋付きというのは、家紋が5つついています。胸に2つ、袖の後ろに2つ、大きな紋が背中に1つ。つまり家紋は3対2の比率で「後ろから見られるもの」なのです。家紋は、背中に背負う家格の象徴です。気安く触られたり泥をつけられてはいけない、非常にたいせつなものを背中の真ん中に背負っていたわけです。人間が身に着けている一番大切なものは、「自分では見ることができず、他人から見られるだけの部位」に貼り付けられていたのです。/
国益とか公益とかいうことを軽々と口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。/
子供がまず「礼儀正しく」ということを教え込まれるのは、子供からすると、世の中のほとんどの人間が「権力を持ってる人間」だからです。「子供である」というのは、まわりのほとんどすべての人間によって傷つけられる可能性があるということです。それくらいに「子供である」というのはリスキーな状況なのです。だからこそ、子供に向かって「礼儀正しくしなさい」と教えるのです。「君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ」と。/
相手が人間であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、「死んだもの」をきちんと弔うということは。最後に唾を吐きかけるんじゃなくて、最後には花を添えて、その業績を称えて、静かに成仏してもらう。そうしないと、賞味期限の切れた腐った制度が、なかなか死なないでのたうち回るようなことになるのです。/
凝りや力みを取るために、とりあえず一番よい方法は、静かに「聴く」ことです。心耳を澄ませて無声の声を聴く。これは私の合気道の師である多田宏先生がよく口にされることばですが、外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること、自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聴き取ること。これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きていくときの基本的なマナーだと私は思います。わずかな信号を聴き取るために、そっと耳をそばだてるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります。/

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2016年10月12日

Posted by ブクログ

昨夜は 眠れなかったので、そうだそうだ。
内田樹の本があった とおもって、
『疲れすぎて眠れない夜のために』をてにとって読み始めた。
眠れるための ことが書いてあるかとおもったら、
そうでなくて 『疲れすぎないように どうするか』が
書かれていた。なるほど。

疲れなければいいわけだ。
でも、元気だったら、よけい眠れないじゃないか
と思ったりした。

小さくはあるが確固とした幸せ。
ほっかりした 幸せ を 行動規範にしたほうがいいと良い
というおすすめ だった。

ワンランク 上では なく ワンランク 下でいいよ。
無限の可能性があっても、可能性は有限だから、
目標の適正と優先順位をつけて我慢しなさい とか。

『ああ、へばった。』と正直に 申告しよう。
ふむ。そうだね。私も 最近疲れたので 休もうとしているのに
ちょうどいいや。疲れた時には 疲れたと言おう。
どっこらしょっと。

『人々が自分の幸福を利己的に追求すれば、結果的には必ず自分を含む共同体全体の福利を配慮しなければならない。』

利己的と利他的は対立するものではなく、
利己的を追求すれば 利他的にもなるはずなのだが
なぜ、そうならないのかといえば、
利己的になりきれていないからだ。ということなのかな。

『不愉快な人間関係に耐える能力』を持っても、意味があるのか。
それは 有害であり、命を縮めるだけだ。
我慢することも意味がないよね。
耐えることが 自分の存在証明であるはずがない。
嫌いなものは 嫌いだと言えばいい。

女性のサクセスモデルが アメリカ基準を導入しているので
苦しくなるのだ。


100メートル競走を、90メートルのところからスタートする人と競争して勝つわけない。
無理なところに自分の目標を設定しても意味がない。
覇気がない。野心がない。

男性が仕事に命を削って働くことの意味 にたいする 
女性的価値・対抗軸、批評的位置。バランサー。
『そんなことどうでもいいじゃないの』
『それよりもっとおいしい物をたべてほっこりしましょうよ』

価値の一元化、男性的価値観への統合。
『女性で初めて』とかいう『歴史的使命』

そういう上昇志向が間尺にあわないと思うようになっている。

日本は 恥の文化。
『人様には見せられないざま』
『世間には顔向けできない。』
『はしたないこと』『さもしいこと』

神様が見ているのではなく、自分の中の『人』がみている。
他人の眼で判断しているのではない。

まぁ。無理したり 我慢したり するのは
疲れちゃうからね。疲れない生き方をしてよいのだよ。

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2018年03月05日

Posted by ブクログ

自分が若いころに、こんな先生の講義を受けたかった。
難しい言葉が溢れているのにすごくわかりやすくスッと素直に入ってくる。納得することばかり。自分ではとてもとても難しすぎて語れないんだけどね。
何ども読み返したいです。

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2017年03月25日

Posted by ブクログ

非常に面白かった。
著者は大学教授でありながら、武道家。この武道家の要素が身体知をともにした文章にしていると思う。
・無理して頑張るということはそれだけエネルギーを前借りしているということ。
・職場等の不快な人間関係に耐え続けると必ず「オヤジ化」し、自分がイヤな奴になる。
・パパ活等(たいした価値も提供していないのにその気になっていること)で自らの価値観が狂ったら、一生ものの傷になる。
・礼儀とは仮面を被ることで自分の利益を最大化すること。権力者の前で素顔など出してはいけない。
など、すっと頭に入ってくるような内容だった。

タイトル通り、頑張りすぎて疲れた時に読むといい本。
社会の変な価値観から人間の身体的な感覚に戻してくれる。

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2025年11月14日

Posted by ブクログ

■ささった箇所
・欲望の充足ラインを低めに設定しておけば、すぐに「ああ、なんという幸せ」という気分になれるでしょう
・礼節というのは、まさに「生き延びるための知恵」なのです。礼儀を失した応接をするということは、実は手に入ったかもしれない貴重な情報や支援を、それと知らずにどぶに棄てていることなんですから。

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2024年06月01日

Posted by ブクログ

本書の文庫版の初版発行は2007年であるが、単行本としての発行は2003年なので、おおよそ20年前のことだ。内田樹のデビュー作「ためらいの倫理学」は2001年の発行なので、本書は、内田樹の初期の作品である。
あとがきに内田樹は、「自分が立てた原理原則から抜け出すのは、他人がおしつける原理原則から抜け出すよりもずっと難しい。人間というのは自分がいったん口にした言葉を死守しようとする本能的な傾向があるからである。だから、前言撤回を恐れてはならない」と書いている。
要するに、「私の言うことは経時的に変化しますよ」ということを言っているのである。私はデビュー以来の内田樹のファンであるが、そんなに言うことがくるくると変わっているとは思えない。注意深く読めば、おそらく主張が変わっていたりもすることがあるのであろうが、それは読んでいてほとんど気にならない。ただ、内田樹のように「私の言うことは変わるかもしれませんよ」というのはフェアで好ましい言説だとも思う。

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2022年09月28日

Posted by ブクログ

内田先生の言葉はじわじわとと心に染み渡って何度も読みたくなります。
孤独に耐えられる人間しか温かい家庭をこうちくできない、か。考えさせられます…。

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2022年02月05日

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修善寺の本屋で購入。「まぁまぁ、一度落ち着いて考えてみよう」全体的にそういったトーンの内容。概ね内容には同意である、人間は一人である事を知ってる人が他人を大切にできる、自分が生きている文脈(≒時代、家族、出身、学歴、職業…etc)を客観的に正しく捉えて相応しい場所に自分を位置づける事がディセントに生きる、という事なのだ。多分それは他人が迎合する事ではなくて、リスペクトする、自分を防御する為だ。他人との関係を理解する事なく「自分らしさ」を主張するのは利己的でさえない只の幼さでしかない、結局のところそれも自分は孤独であり誰も理解してくれない、という事実に気づかない未発達な状態だ。変化し続ける自らは何者なのか前未来的な思考で問い続ける、そして自分が生きる文脈に相応しい振る舞いをする、それが大人ってやつだ。

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2021年02月22日

Posted by ブクログ

・型にはまる⇄型にはまらない が同じゴールに辿り着いてしまう辿り着く人類の矛盾

・自己実現を成し遂げるためのオリジナリティなど本当は存在せず、実は既観念に従うことが賢明なのではないか?という見解

・個性を見出すには付け足す、では無く今までのものを全て削り取る

・礼儀や節度というのは無用な散らばるリスクを回避するためにあり、それはありのままの姿と対義にあり、現代の「自分らしく」という見方に警鐘を鳴らす

・武道や明治時代などから継承されている文化の”基”は、時代を経ても自分の中で重要視することが、年代やレッテルの垣根を取り分け人々の欲望を掻き立てようとする資本主義的社会に対抗するのに必要なのではないか?という見解

最後の問いにはありきたりな答えではあるが、既存の考え、それに逆らおうとする時代どちらもを理解し、適宜バランスを保っていくいいところ取りのずる賢さを要すると、

皮肉にもこの見解にも個性などないが、社会などそんなものであるのかもしれない
面白い、眠れなくなってしまった

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2021年02月08日

Posted by ブクログ

身体について
一時の快楽のために自分の身体を道具のように扱っていませんか?

中年オヤジになってしまう人の共通点とは?
ストレス過多→情報をシャットダウン→周囲の気配りに気づけない、できなくなる


日本人と西洋人における抑止力の違い
西洋人は神が見ているから悪いことはやめよう
日本人は内なる他者に見られているからやめておこう。


礼儀作法なんかいらないと言う人に反論できる?
礼儀作法は自己利益を最大化するためにやるのだ。
仮面を被ることで自分を守れる。
敬語を使う人になかなか攻撃できないもの。
子どもに敬語を教えるのもこれ。


家庭内暴力の要因は2つある
「嫉妬」と「過干渉」


暴力を振るう人について
自制心がないから暴力してしまうのではない。
暴力を正しいことだと思っているからするのだ。

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2020年09月19日

Posted by ブクログ

内田樹の安定感には、毎回安心させられる。
おかしいな、変だな、という気持ちを上手に分解してもらえるきがする。

どんな作家のほんを読んでいるのか、名前が出てきたのは珍しい気がした

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2020年05月10日

Posted by ブクログ

自由が与えられたからといって、自由に、個が生き生きする訳でない。
横並びになるだけなのわかるわ!
しっかり、自分と向き合って生き方考えよう!
時々パラパラして、日常がマンネリ化しないようにしたい本。待ち時間にパラパラするのもいいかな

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2019年10月04日

Posted by ブクログ

あまりに面白くて読むのが止まらず、「眠れぬ夜」になって
しまった一冊。

こういう見方もあるのか、という新たな気づきをずいぶん
もらった。なんだぁこいつぁ、とお怒りになる御仁もいるん
でしょうが、最後には、なるほど、と思わず納得してしまう
ような話が満載。

中でも、アメリカは女性嫌悪の国であり、その国で生まれた
西部劇というのは、フロンティアの男たちのトラウマを癒す
ための物語だという指摘は、面白かった。
ワタシの中でスッと落ちた。


人気が高いというこの内田さんのブログ、これからはマメに
チェックだ。

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2018年11月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人や、社会のあり方について、内田樹さんらしい論理的かつ、切れ味の鋭い話に引き込まれます。切れ味が鋭い分、正確性に欠ける部分もあるかもしれませんが。

共感した箇所
・引越しをよくするのは、いつでもすぐ次の場所へいける状態に自分を置いておきたいから
・マジョリティとともにあることは決して安全を意味しないということ
・「温かい家庭を構成できる人間」とは「一人でいることに耐えられる人間」のこと
・人類学的システムを覆すほどの力を持つイデオロギー ― 資本主義

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2018年08月05日

Posted by ブクログ

内田樹の本なので、なるほどこういう考え方ができるのかとか、自分がなんとなく思っていたことが言語化されていて嬉しかったりとか、そういうことが多い本だったけれど、「最近の若者は」みたいに決めつけていることも多くて、ちょっとおじさんの説教みたいに感じる部分もあった。

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2025年04月02日

Posted by ブクログ

時々ふんふんなるほどと思うこともあったがなんでか覚えられない思い出せない、借りた本ゆえにいつもページを折りまくってるのを折れてないからなのか(コレも身体論につながるのか?)、印象に残ったようで残ってない、果たしてこれは読めたと言えるのか?いや、言えないと思いながら2回め読んだけどやっぱりどこにふんふんなるほどって思ったのかパッと思い出せない、3回め読もうかな、、(はよ本返せ)。あ、古武術というものをこの本で知った、そして影響を受けて体験に行ったものの自分にはまだ早いと思った。出直します。

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2025年03月01日

Posted by ブクログ

#疲れすぎて眠れぬ夜のために #内田樹 #読書記録

内田樹先生の2003年の作品。古い。そのため、むむむ、と思うところもある。
が、やはり内田樹。
強い。自分の足を地につけて、ただ一人で立つことができる人。内田樹。
いやー、私はそこまで強くない、けど、そうありたいよなー、と思う。だから、ほんと、その通りですよね、と思う言葉でいっぱい。(一部を除く)

我慢しすぎるな、『ワンランク下の自分に』(第一章)とかいう言葉は書かれているけども、その実は、自分で考え自分で責任持って行動しなさいよ。人に合わせて、嫌なことするような、そんな生き方やめなよ、ということを言っているので、結構厳しい。
そうありたいっす。先生!。。。

『Ⅲ 体の感覚を蘇らせる』は、武道を本気でやってる内田樹先生の真骨頂。
ほんとそうだな、人間で確かに、気配を感じられるよな。それに対する評価低すぎよね、とも思った。
気配を感じる、からこそ、オフラインじゃなきゃわからんことがあり、感覚がある人こそ、いろんなことに気づくんだな。
でも現代は、いらん情報が多すぎて、シャットダウンする能力が上がりすぎてる人もいるんやな。

がんばらなくていいんだよ、と言って欲しくて持ってきた本は、自律して生きよ、バカになんな、と、はっきりと突きつけてくる本でした。(まさに、内田樹らしく、本当に『そういう奴は頭が悪い』とか、はっきり書いてもあるのです。。)

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ビジネスとレイバーの差は、ですから、常雇いか臨時雇いの違いでも、時給やポストの格差でも、資本金の規模でもありません。その人が「リスクを取る」と言う決断できるかどうか、その1点にかかっています。
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秘書や身内が収賄をしたのが発覚した時に、政治家が「私は預かり知らぬことだ」と言って、身の潔白を言い立てる様を見て、僕たちは「卑しい」と言う印象を受けます。これは僕たちの印象が正しいのです。
その政治家はリスクを取ることを拒否することで、自分は秘書も家族もコントロールできないほど、無能な人間である、と言うことを満天下に告知したわけです。僕たちの社会では、当事者能力のない人間については、その責任を求めないと言う取り決めがあります。

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若干の性的サービスの代償に毎月数十万円もらっている、と言うようなことをしていると、人間の根本が歪んできます。「お得だった」なんて言う人もいるかもしれませんが、本当はすごくそんな取引なのです。価値観が狂うと言うのは、一生癒えない傷ですから。
売春と言うのは、厳密には「身体」を売るのではなく、「体を売るような人間である」という社会的評価を受ける代償に金を受け取るということです。
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「はしたない」と言うのは、審美的な問題ではありません。節度なく振る舞う人の「生存戦略」の危うさに、はたがドキドキさせられる不快さのことなのです。

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2024年08月12日

Posted by ブクログ

タイトルだけで購入してしまい、想像していた内容とは異なった。

少し強引な部分もあり、正直好みではない。
ただ、礼節は、今の時代消えつつあり、家庭不和の原因にもなっているように思う。

そもそも、バックグラウンドが異なるのだから、何でも「欧米化」するのが正解ではない。

外から見た日本、外から見た自分も時々は意識しよう。

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2024年01月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

2003年に刊行された単行本の文庫版。途中、論拠に引っかかりを覚えて要点をうまく拾えなかったが、メッセージは“自分で立てた原理原則に縛られず、その場の気分に乗って気楽に生きよう”ということらしい。あとがきを読み、信用が損なわれないよう注意しつつ、自分が立てた原理原則(自分が口にした言葉)は、自分で訂正可能なことを意識しておきたいと感じた。

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2023年04月28日

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とある章では

先駆者的な意識を持ってない人にとって
「女性の社会進出」を声高に言われると
しんどくない?無理しなくていいんだよ?

ということが書かれてました。

そう言われると、なんだかとてもホッとしました...。頑張るも自由、頑張らないも自由。

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2020年12月03日

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眠れないほど疲れることはあまりないのですが、古本屋さんでふと目に入って読んでみました。
内田先生の本はちょっとよくわからない部分もあるのですが、もやもやしているときに読むと、どこか心に響く箇所を見つけることができる気がします。

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2020年11月13日

Posted by ブクログ

むかついて人を殺したり、売春やドラッグに走る者は、利己的なのではなく、自己がほとんどなくなっている。

中年のオヤジとは、不愉快な人間関係の中にとどまっているうちに、耐えることが自己目的化し、自己の存在証明が凝縮されてしまった人間のこと。

終戦直後に日本の政治や経済を牽引していたのは、明治20年代、30年代生まれの人々。これらの世代は、日清戦争から第二次世界大戦までを生き延びたリアリストだから、日本に根付かせようとしたのが民主主義だった。

都会で生活すると、視覚的にも聴覚的にも刺激が多すぎるので、自己防衛のために知覚の回路をオフにしている。その結果として、外部で起きていることに対して鈍感になってしまう。

反対者や敵対者を含めて集団を代表することが公人の仕事。反対者や敵対者を切り捨てて、自分の支持者たちだけを代表する人間は、公人ではない。

かすかな信号を聴きとるために、そっと耳をそば立てるときに、人の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になる。人間が一番無理なく、リラックスしている状態は、外部から到来する声に静かに耳を傾けている時。茶を点てるのも、香を焚くのも、美味を味わうのも、音楽を聴くのも、書物を読むのも、どれもめざしているのは、聴くということ。

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2020年01月18日

Posted by ブクログ

心に響くフレーズ
① 人間が仕事に求めているのは、突き詰めて言えば「コミュニケーション」です。
② 品の良い人というのは、節度を知る人のことです。

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2022年01月06日

Posted by ブクログ

さすがに今読むと「ん?それはないんじゃないか?」ってところが多いなー。特に資本主義に関する所あたりは詭弁といってもいい。
ま、それにしてもほんと、七色の論理。さっと読むと「おおその通り!」とうなずかざるを得ない説得力はある。

しかし文庫版のあとがきはひどいぞ。
「今読み返すとだめなことを多く言っている」という自己総括があるんだが、いやそうであれば加筆修正してその旨を付記するなり、そもそも文庫版を出さないなりをするのが誠実な態度では?あとがきでさらっと言及して「それでもいいのだ」と開き直ることじゃないだろうよ。

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2016年10月03日

Posted by ブクログ

内田樹のエッセイ。タイトルと内容はそこまで関連していない。

・「らしく」ふるまう事は必要。
・そのために「型」がある。
・礼儀はディフェンスである。日本人はそれが弱い。
・日本人は他者志向(恥の文化)である。
・群をともにしたがる。
・自分の直感にも耳を傾けるべき。
・どんな制度にも賞味期限がある
・核家族は不完全。
・核家族におじさん、おばさんを1人加えると良い。

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2016年04月13日

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