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疲れるのは健全である徴。病気になるのは生きている証。サクセスモデルへの幻想を棄てて、「1ランク下の自分」を目指しませんか? ささやかなことで「幸せ」になれるのは1つの能力です。まずは身体の内側から発信される信号を聴き取ること。真の利己主義を目指すこと。礼儀作法と型で身を守ること。家族の愛情至上主義をやめること──。今最も信頼できる哲学者が、日本人の身体文化の原点に立ち帰って提案する、最強の幸福論。
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Posted by ブクログ
頑張らなくていいとか、よくいうけど、 ほんとそう思う。 我慢したって誰も褒めてくれないし、褒めてもらうことを期待するからつらくなるのよ。
自己啓発本のように気負うことなく肩の荷をそっと下ろしてくれるような本書の「幸福論」は多くの人々が必要としている考え方だと感じました。 生き方を選ぶのは自分次第ですが、この本を手に取ってみて今の自分に力み過ぎている部分がないか振り返ってみてはどうでしょうか?
世界の解像度が上がる本。 例えば、社会制度についての是非だけでなく、是と非が変遷する過程や、変遷する方法を考える一節があった。 なるほど、知識人とは思考法が違うのかと思った。つまり、知識の量という軸に加えて、視点の置き方という軸が他人よりもきめ細かく、二次元的に解像度が高い印象を受けた。 それから...続きを読む、題名の通り、疲れて眠れぬ夜に読むことが多かったが、内容が頭に入ってきた。 本当に頭の良い人は、難しいことを簡単に言う。 これは入門書の極意だろうか。読んでいるうちに、著者内田樹の頭の中の論理展開を支える理論を知りたくなった。 文章は各所で、小難しい理論や現行制度に対して、「そもそもニンゲンは、、」という何か本質を透かした表現で問い質す。ここで、他の著者であれば、無理やり引っ張ってきた屁理屈のような違和感を感じることが多い。我々理系にとっては、そもそもニンゲンの本質などとは一説に過ぎず、仮説に仮説を建設しているような感覚を覚える。しかし、著者のように要点を絞って、議論に使用すれば、納得しやすい材料にもなることを知った。 例えば、人間は他者と違う何かになりたい、という本質から、資本主義の在り方や問題点を指摘していた箇所は本当に分かりやすかった。 一つ考えてみたいことがある。 「人間の本質」と「日本人の本質」の差である。つまり、ある本質が真に人間の本質であれば、そこに日本人特有のものは介在しないはずである。これを考えることは、生来の本質と環境の本質の違いを見つけ出す一つの視点になるのではないか。生物学的に言えば、ヒトの成長は生まれか環境か。この問いは、実験的な解明が試みられている分野だが、社会にすでにヒントが落ちているかもしれない。文化人類学的視点からも考えてみようと思う。
昔からへんなタイトルの本だなあ、と思っていたけれど、今ならよくわかる。そういうことがありうることを。 ただ、初期の内田さんの本だからか、ちょっと文章が硬い感じがする。 でも、外部の声を聴こうとするときが、最もリラックスするというメッセージは金言であるように思う。
哲学が得意とする批判的な見方は、様々なことに対して考えさせられるヒントが散りばめられていると思う。 正しい、当たり前と思われているものが何の前提をもとにして成り立っているのか、それは今目の前にあることにも適応されるのかを批判的に、健全に考えることに哲学の営みは近い。 この本は今の社会にあるリアルなテ...続きを読むーマを基に話をしているので、結果として肩の力が抜けるような、どこかほっとさせられる本になっていた。
201605/ 戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。/ そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根付かせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは...続きを読む思っています。/ 人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。 戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言って、リアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。/ 戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。/ 極限的なところで露出する「人間性の暗部」を見てしまった経験があるかないかは社会との関わり方に決定的な影響を及ぼしただろうと僕は思います。/ 「戦後民主主義」というのは、すごく甘い幻想のように言われますけれど、人間の真の暗部を見てきた人たちが造型したものです。ただの「きれいごと」だとは思いません。誰にも言えないような凄惨な経験をくぐり抜けてきた人たちが、その「償い」のような気持ちで、後に続く世代にだけは、そういう思いをさせまいとして作り上げた「夢」なんだと思います。/ 「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱弱しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。/ 社会成員が、自分たちが同意した制度を守るために、自分の仕事の「割り前」を果たすという基本的な責務を忘れたら、社会制度はもう持ちません。民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。/ 為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、リーディングカンパニーのモラルハザードのすべてに共通するのは、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観です。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実にはわかっていないのです。/ 紋付きというのは、家紋が5つついています。胸に2つ、袖の後ろに2つ、大きな紋が背中に1つ。つまり家紋は3対2の比率で「後ろから見られるもの」なのです。家紋は、背中に背負う家格の象徴です。気安く触られたり泥をつけられてはいけない、非常にたいせつなものを背中の真ん中に背負っていたわけです。人間が身に着けている一番大切なものは、「自分では見ることができず、他人から見られるだけの部位」に貼り付けられていたのです。/ 国益とか公益とかいうことを軽々と口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。/ 子供がまず「礼儀正しく」ということを教え込まれるのは、子供からすると、世の中のほとんどの人間が「権力を持ってる人間」だからです。「子供である」というのは、まわりのほとんどすべての人間によって傷つけられる可能性があるということです。それくらいに「子供である」というのはリスキーな状況なのです。だからこそ、子供に向かって「礼儀正しくしなさい」と教えるのです。「君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ」と。/ 相手が人間であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、「死んだもの」をきちんと弔うということは。最後に唾を吐きかけるんじゃなくて、最後には花を添えて、その業績を称えて、静かに成仏してもらう。そうしないと、賞味期限の切れた腐った制度が、なかなか死なないでのたうち回るようなことになるのです。/ 凝りや力みを取るために、とりあえず一番よい方法は、静かに「聴く」ことです。心耳を澄ませて無声の声を聴く。これは私の合気道の師である多田宏先生がよく口にされることばですが、外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること、自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聴き取ること。これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きていくときの基本的なマナーだと私は思います。わずかな信号を聴き取るために、そっと耳をそばだてるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります。/
昨夜は 眠れなかったので、そうだそうだ。 内田樹の本があった とおもって、 『疲れすぎて眠れない夜のために』をてにとって読み始めた。 眠れるための ことが書いてあるかとおもったら、 そうでなくて 『疲れすぎないように どうするか』が 書かれていた。なるほど。 疲れなければいいわけだ。 でも、元気だ...続きを読むったら、よけい眠れないじゃないか と思ったりした。 小さくはあるが確固とした幸せ。 ほっかりした 幸せ を 行動規範にしたほうがいいと良い というおすすめ だった。 ワンランク 上では なく ワンランク 下でいいよ。 無限の可能性があっても、可能性は有限だから、 目標の適正と優先順位をつけて我慢しなさい とか。 『ああ、へばった。』と正直に 申告しよう。 ふむ。そうだね。私も 最近疲れたので 休もうとしているのに ちょうどいいや。疲れた時には 疲れたと言おう。 どっこらしょっと。 『人々が自分の幸福を利己的に追求すれば、結果的には必ず自分を含む共同体全体の福利を配慮しなければならない。』 利己的と利他的は対立するものではなく、 利己的を追求すれば 利他的にもなるはずなのだが なぜ、そうならないのかといえば、 利己的になりきれていないからだ。ということなのかな。 『不愉快な人間関係に耐える能力』を持っても、意味があるのか。 それは 有害であり、命を縮めるだけだ。 我慢することも意味がないよね。 耐えることが 自分の存在証明であるはずがない。 嫌いなものは 嫌いだと言えばいい。 女性のサクセスモデルが アメリカ基準を導入しているので 苦しくなるのだ。 100メートル競走を、90メートルのところからスタートする人と競争して勝つわけない。 無理なところに自分の目標を設定しても意味がない。 覇気がない。野心がない。 男性が仕事に命を削って働くことの意味 にたいする 女性的価値・対抗軸、批評的位置。バランサー。 『そんなことどうでもいいじゃないの』 『それよりもっとおいしい物をたべてほっこりしましょうよ』 価値の一元化、男性的価値観への統合。 『女性で初めて』とかいう『歴史的使命』 そういう上昇志向が間尺にあわないと思うようになっている。 日本は 恥の文化。 『人様には見せられないざま』 『世間には顔向けできない。』 『はしたないこと』『さもしいこと』 神様が見ているのではなく、自分の中の『人』がみている。 他人の眼で判断しているのではない。 まぁ。無理したり 我慢したり するのは 疲れちゃうからね。疲れない生き方をしてよいのだよ。
自分が若いころに、こんな先生の講義を受けたかった。 難しい言葉が溢れているのにすごくわかりやすくスッと素直に入ってくる。納得することばかり。自分ではとてもとても難しすぎて語れないんだけどね。 何ども読み返したいです。
非常に面白かった。 著者は大学教授でありながら、武道家。この武道家の要素が身体知をともにした文章にしていると思う。 ・無理して頑張るということはそれだけエネルギーを前借りしているということ。 ・職場等の不快な人間関係に耐え続けると必ず「オヤジ化」し、自分がイヤな奴になる。 ・パパ活等(たいした価値も...続きを読む提供していないのにその気になっていること)で自らの価値観が狂ったら、一生ものの傷になる。 ・礼儀とは仮面を被ることで自分の利益を最大化すること。権力者の前で素顔など出してはいけない。 など、すっと頭に入ってくるような内容だった。 タイトル通り、頑張りすぎて疲れた時に読むといい本。 社会の変な価値観から人間の身体的な感覚に戻してくれる。
■ささった箇所 ・欲望の充足ラインを低めに設定しておけば、すぐに「ああ、なんという幸せ」という気分になれるでしょう ・礼節というのは、まさに「生き延びるための知恵」なのです。礼儀を失した応接をするということは、実は手に入ったかもしれない貴重な情報や支援を、それと知らずにどぶに棄てていることなんですか...続きを読むら。
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