あらすじ
非常識で、冷笑的な人々が増えたこの国で
ウクライナ戦争、陰謀論、ポスト真実の時代、公共財の私物化、バワークラシー、ハラスメント……
非常識で、冷笑的な人々が増えたこの国で――
・権力者支配(パワークラシー)の国で上昇志向に駆られた人の振る舞い
・なぜ複雑な話は「複雑なまま」扱ったほうがよいのか
・人からの採点を待つ「被査定マインド」をやめる
・ものごとは原理よりも「程度の問題」で考える
・子どもたちを歓待し、承認し、祝福する大切さ……etc.
親切、品位、勇気……失われゆく徳目を明らかにし、
〈大人の頭数を増やす〉道しるべがここに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
内田樹氏が、様々な雑誌に投稿した原稿を選択して、テーマ別にまとめたもの。2021〜2023年のものが多かったように思う。
言葉は、さすがに難しいと感じるけれど、内容はとても腑に落ちて、納得したり感嘆したり、、。
「ウクライナ危機後の世界」と「沈みゆく社会」の章には、暗澹たる気持ちを抱きながら読んだし、
「成熟について」の章の、鬼滅の刃の構造分析には大きく頷きながら読んだ。
いつもいつも難しく考えながら生きていくわけにはいかないのだけれど、自分の心や体に問いかけながら考えることは大切だと、内田氏の本を読むといつも思う。なぜ、モヤモヤするのか、腹が立つのか、、、、回答をもらったように感じる。
興味のあるところだけ読んでも。
Posted by ブクログ
生きていると様々な事柄を考える場面に出くわす。そしてその考えは得てして自分の視点からの見方だけに終始してしまい偏ったものになりがちである。
内田樹さんの本はいつも少しそのようなものの見方をずらしてくれる。
「反抗のうちで死ぬのは、自分個人の運命を超える『善きもの』のため」
運命を越えると思える時、命すら惜しまない状況が起こる。
「反抗的人間は孤独ではない。」
関係性は戦いという形でも万人と繋がる。人は関係性の中で生きている。
「全能感を手早く求める者は必ず破壊に走る。」
権力を振りかざす周りの人はやはりこのスタイルを取る。
「文学的素養のない人たちが他者の内面についての想像力の行使を惜しむ傾向があるのはたしかな事実である。」
文学の持っている大切な側面だと思う。
「科学者は個人的な努力によって科学的であることはできない。」
科学は公共性を必要としている。
「複雑な現実は複雑なまま扱い、焦って単純化しないこと」
とても難しい。そしてそうありたい。
「「勇気・正直・親切」と「友情・努力・勝利」はまるで違う。」
大切にするべきものを何かが歪める。見極めないとと思わされる、
「「自分が何を学ぶのかわからないが、学び始める」というのが師弟関係である。」
そのような学びだからこそ師弟関係には超えてはいけない線がある。それは道徳でも公正さでもなく、関係として超えてはいけない。それを超えた時、師は師の資格を失う。弟子は師弟関係というものを生涯理解できなくなり学びを捨てる事になる。
他にも感じた事はたくさんある。
感じ方はきっと人それぞれなのだろうけど、自分の考えをずらされた時に、その事が意外にまっすぐなものの見方である事を発見する。
Posted by ブクログ
時代というものがどう流れていても、内田樹の言葉はある種、自分のリズムに合うのだと思う。
(この人が「イラチ」だなんて、そんな気はしないのだけど)
内田樹の取り上げる、ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす』の引用が面白い。
端的に述べられている部分がないので、孫引きにはなるけど、挙げておく。
「今、私たちがみずからに問うことのできる最も差し迫った問いは、さんざん言い古された『どうすれば物語によって世界を変えられるか』ではない。『どうすれば物語から世界を救えるか』だ」
物語の効用というものを、私はどうしても肯定したくなる。
けれど、物語によって、人の憎しみを煽られ、戦いが起きることも、幾度となく繰り返される。
人はフィクションを信じるだけでなく、生み出すことの出来る動物だ。
「物語から世界(人間)を救う」という問いに、どんな解答が用意できるだろう。
「どうして『勇気を持て』という教えが後退したんでしょうと重ねて訊かれたので、これもその場の思いつきで『少年ジャンプ』のせいかなと答えた。『少年ジャンプ』が作家たちに求めた物語の基本は『友情・努力・勝利』である」
「協働」と言われ、掲げられる世の中で、「孤高」を貫くことの価値が見えなくなった気がする。
一匹狼と「勇気」のニュアンスは、微妙に異なるだろうが、自分一人が貫ける信念は、後に出てくる、他者評価に自分を委ねない話にも繋がってくる。
「この短い引用を読むだけでも、太宰が何かを『言い切る』ことを必死で避けようとしていることはわかる。『心づくし』というキーワードを思いついたのだが、それで止まらずに『親切』『心趣』『心意気』『心遣い』と次々と言い換えてゆく。だが、どれも『ぴったりしない』」
今作の「鬼滅の刃」論が面白かったのだけど、善悪にピシッと分かれるのではない、境界の淡い。
太宰の『言い切る』ことを避ける態度は、それとも少し似ているように思う。
「教師というのは個人で営む仕事ではない。集団として営まれる事業である。同意してくれる人は少ないけれども、私はそう考えている。この職能集団の規範と倫理に、すべての教師はひとりひとり忠誠を誓わなければならない。それは医師たちが『ヒポクラテスの誓い』を誓言するのと同じことである」
なるほどな、と思う。
そして、なるほどな、と思わない人もいると思う。
「先生」と呼ばれる仕事にまつわる、公共性に、最近うんざりしていたのが、正直な所だった。
働き方が変わったとしても、価値観が変わったとしても、多分「聖性」は、変わってはいけないものなのだろう。
それは「委ねる」という信頼に繋がるからなのかもしれない。
Posted by ブクログ
内田樹先生のブログの文章と雑誌などへの寄稿記事がまとめられたものです。
オンラインでも見れるのだけれど、やはり紙でまとまっていると作品になる、
国際政治から国内政治、社会問題など、世間でも話題に上がる身近なテーマから、内田先生なりの視点が文章にされていて、どの稿もとても興味深いものがありました。
ひとひねり、ではないですが、これまでの知的且つ身体的経験の蓄積に裏打ちされた独自の一貫した視座があって、常に新しい言葉の意味や考え方、視点のもち方を学ぶことができます。
Posted by ブクログ
学ぶということは生まれ変わったかのように変わること、という話は最後のページを読むまで忘れなかった。
自分も今の仕事を始めた20年前、学ぶものを変えたときから変わったのだろうか。生まれ変わったのだろうか。
蝉が殻を破って出てくるようには変わったのだろうと思うが、生まれ変わったかのようには変わっていないと思う。
心と直感に従う勇気を持って生きてきた…とまで果たして自分のことを認められるのだろうか。
Posted by ブクログ
いつも聴いているpodcastの番組に著者の内田樹さんがゲスト出演していて、本書についてお話ししていました。
内田さんの主張は、ご自身の “思考の軸足” にブレがないので、昨今のいろいろな社会事象に関する私自身の考え方の揺らぎをアジャストするのにとても参考になります。
Posted by ブクログ
お世話になっている整形外科医院の本棚からお借りした
神戸にお住いの内田樹さん
たくさんの著作があるが、なんか難しそうで……
最新の本(2023・9・15発行)を手に取った
今の世界、日本
なんかヘン
イヤな肌触りがする
そんな違和感が少し分かるかなと
たくさんの脳にビンビン響く言葉たちを届けて頂いた
書きだせばきりがない
でもプレ認知症の私はすぐ忘れるんだろうなあ
自分も含めてホントみんなが「幼い」!
もっと寛容で学べる「成熟」した大人になりたい
・ウクライナ危機後の世界
・沈みゆく社会
・成熟について
・ジェンダーをめぐる諸相
・語り継ぐべきこと
≪ 大人たれ 自分の「VOICE」 みつけよう ≫
Posted by ブクログ
世の中には資本主義や市場原理で語ってはいけないものがあると内田はよく言う
教育、学び、師弟についての項は、いつもながら素晴らしかった
彼の本を読んできた者にとっては「また同じようなこと言ってる」という感じだけど、それでも何度でも読みたいのだ
星4つ。
5つにしたいくらい良かったけど、書き下ろししてくれたら5つにする。
Posted by ブクログ
大好きな内田先生本
学びには、カリキュラムなどない。学ぶまえから何を学ぶかわからないのが学びの本質。
など、キレッキレの内田節がひかる。
また何故内田さんが共産党推しなのかも分かる一冊。
大好きな内田さん。
とはいえ短編を集めた感もあり、内田節が他の内田さん本よりは少ない気もした。
Posted by ブクログ
内田さんが、雑誌等に寄稿した文章を集めたもの。
求められたテーマを内田流に考察した文章は、主観に基づいた記述であることから、大いに納得するものから、なかなか理解が追いつかないものまで多岐にわたる。
ロシアのウクライナ侵攻についても書かれている。以前のクリミア半島の時と異なり、ゼレンスキー大統領が政治的な正しさを打ち出したことが、世界の共感をもたらしたという。単にウクライナが攻め込まれたという事ではなく、上位の観念に持っていくことで、我々のため、我々の自由のために戦っているというストーリーに持って行ったことで各国の支援を受けられたとの主張だ。
他の事柄も、いくつかの論点で書かれているので、自分の納得するものを読み込んでいけばよいと思う。
Posted by ブクログ
安定の内田節、という感じ。
特にフェミニズム批判の論考における切れ味の鋭さと、先に逝った友人を悼む論考の切実さが印象的だった。
前者は以前からのもので、最終的な着地点が「体のいうことを聞きましょう」なのが非常に胡散臭いものの、その他の理屈は鮮やか。特にセックスワーク論では廃娼論への違和感を鮮やかに言語化していた。体の所有権を確認するためにこれを傷つけることが必要なタイプの人のメンタルのあり方に一切思いを致すことがないのが、この人の鈍感な部分。
後者は、特に小田嶋隆に向けられたものが好きだった。小田島のコラムの語りの構造を分析することがほぼそのまま哀切な追悼の意思の表明になっている。誰かのことを真剣に考えるということはその人を愛することとほぼ同義なんだよね。あんたほんとにオダジマンのこと好きだったんだね、とよくわかって落涙を禁じ得ない。