内田樹のレビュー一覧
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初めて読む内田さんの本が、自叙伝でした。でも、考え方とか感じ方とか、自分と似ている部分があって、自分を少し正当化したりしました。
P97 「武運の勘所」→自分が「天職」に出会うきっかけ
→本当にそう思います。
私も、色々な人とのご縁やお世話になって
本当に有意義な生活を暮らすことができていて
感謝してもしきれないほどです。
ありがたやありがたや、なむなむ。
P149 マインドの切り替え
ルーチンをこなすことができたら、自分に満点を与え、
少しでも時間が余ったら、それは「贈り物」として
ありがたく受け取る。
その「贈り物」の「余暇」に本を読んで
翻訳をして、論文を書く。
そこで達成されたものは「ボーナス」の
ようなものだから、あれば喜ぶけれど、
なくても気にしない
家事育児のせいで、研究時間が削られた、
子供のせいで自己実現が阻害された、
という考え方はしない
P154 ★狭間
あらゆる仕事には、
「誰の分担でもないけれど、
誰かがしなければならない仕事」
が、必ず発生する。
誰の分担でもないのだから、
やらずに済ますことはできるけれど、
誰も引き受けないと、
いずれ取り返しがつかないことになるので、
厳密な議論をして担当を決めるよりは、
「あ、オレがやっておきます」
と言って、さっさと済ませてしまえば
何も面倒なことは起こらない。
★★★
相手に期待せず、押し付けず、全部自分でやる。
だから、相手がしてくれたら、
「あぁ、ありがたい」と、感謝する気持ちになれる。
人間を疲れさせるのは、労働そのものではなく
労働をする「システム」を設計したり、管理したり
合理化したりすること -
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『ためらいの倫理学』(角川文庫)につづく、著者の二冊目のエッセイ集です。比較的短いエッセイのほか、漱石の『虞美人草』と『こころ』を著者自身の観点から読み解いた論考「「大人」になること―漱石の場合」が収録されています。
本書の「文庫版あとがき」には、伊丹十三のインタヴューにかんするエピソードに言及しながら、「「この稼業は一度なめられたらしまいやけ」というような鼻息の荒さが何となくこのタイトルにも、収録された文章にもにじんでいます」と述べているように、その後刊行された著者の多くの本にくらべると、かなりエッジの利いた議論の運びになっているのがめだちます。
とくにブログでの著者の文章には、著者のファンと呼べるような気ごころの知れた人びとに向けて語りかけているような雰囲気が感じられ、議論の内容そのものは相当に切れ味のするどいものではあるものの、著者の温厚な人柄が伝わってくるような印象がありますが、本書の文章には、著者の研ぎ澄まされた思考を抜き身のままで見せられているようにも感じられました。 -
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47
橋本治さんが亡くなり、内田先生が何度もその知性を褒めたたえるので、読んでみたくなったが、正直自分には対談本を読むだけでは知性のすばらしさがわからなかった。面白かったのは、官打・位打という言葉。これは初めて聞いた概念だが、とても面白かった。何かというと、武家が増長していった時代に、頭角を現すものをつぶす方法である。実力のある者に対して、明らかに不つり合いな大出世をさせる。しかし、不釣り合いな仕事をこなせるわけもなく、その人物は失墜するというエスタブリッシュを武器にした攻撃。後白河法皇の義経の猛プッシュは官打だったという。平安の貴族たち、和歌を詠んでるだけじゃなくて、なかなか手ごわい。。 -
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めっちゃ面白かった!基本的な考え方にはとても共感できたし、励まされた。
内田さんは、「街場の教育論」は個人的にはいまいちで、その後友達に借りた教育系の本が面白く、今回もハマった。
そして彼の終始一貫した道理が、最近の私の気づきでもあった。
「彼と結婚していることが世界平和への道だと本気で思っている」この私の最近の口癖が、まさに政治と結婚について論じているところとつながった。
いまとなりにいるひとと、いかに婚姻関係を続けていくかということが多分、私の人生にも多くの示唆を与えてくれるのだろう。
わけわからん、理解できない夫と、理解できないまま暮らしていくか。
結婚生活、少し前向きになれました(笑)
結婚とは…以下メモ。
幸福になろうとするのでなく、今より不幸にならないように結婚する
病めるとき、貧しきときの「危機耐性」
だからつまり、公的に宣言することが大事。
式や仲人は必要か。
公にするか中古車と、新車の違い。覚悟。
→円満にするか、していくか、否か
エコロジカル・ニッチ
「病人の生き方を肯定する」 -
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著者の考える共同体は、弱者保護のための相互扶助組織。なるほどと思う言葉は多い
#内田樹 #街場の共同体論
共同体では、強者は利害を捨て、不公平に我慢し、弱者のために働くことを強いられる。強者と弱者で共同体の核となる 共同利害はあるのだろうか?
著者が批判するグローバル資本主義と 著者が目指す相互扶助的な共同体は 共存できず、いずれも 単一的世界を目指しているように感じた。著者の考える共生は 資本主義との共存を意図していないのでは?
「年収は正味の人間性に関してほとんど何も教えてくれない〜金のあるなしは当人の人間的価値と関係ない」は その通りだと思う
他人とも気楽に共生できる、公共的に家財を共有できるという社会的能力を備えた人は、かなり快適な生活を享受できる。共生能力の差が、そのまま生活レベルの差につながっている
人間というのは、迷惑をかけたり、かけられたりするもの
相互扶助システムとは、強者には支援する義務があり、弱者には支援される権利がある、という不公平なルールで運営されている
幼児は「かっての私」であり、老人は「未来の私」であり、障害者や病人、異邦人は「そうなったかもしれない私」〜すべて私の変容態とみなす
グローバル資本主義は〜単一の市場、単一の言語、単一の通貨に領される、完全にフラット化された市場が、グローバル資本主義の理想
共同体成員の条件は〜共同体そのもののパフォーマンスを最大化するために何ができるかを考えることであって、共同体内部で自己利益を最大化するために何ができるかではない
コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力でなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力である
メディアリテラシーは〜専門家でない分野についても、この情報は信用できる、信用できないの判断すること
匿名というのは我執ということ〜自分の発言の責任を、生身の自分としては引き受ける気がない〜生身の自分は手付かずのまま温存したいという我執
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来月行くので、事前学習。
熊野三山と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。
でも、過去に行った時に、なんとなく、熊野速玉大社に違和感を覚えた。
後付けされたような感覚。
それよりも、熊野速玉大社のそばにある神倉神社の方が、強い感じを受けた。
本著で、神倉神社は、速玉大社よりも古く、速玉大社の本宮だと言われていると聞いて、納得。
この本を借りたのも、そこらへんがきっかけ。
他のガイドブックでは、さらっとしか書かれていない神倉神社を大々的に取り上げていたから。
あの階段は、死ぬほど怖い(実際に落ちて亡くなられた方のニュースも何年か前にありましたが)のだが、なぜか、再び訪れたくなる地。
熊野は、お寺だから、神社だから、男だから、女だからなどという、区別のないゆとりある世界なのだと思う。
そのボーダレスな感覚が、包容力を産み、植島啓司先生が言うところの「子宮に帰る場所」になっているのではないかと思った。
だからこそ、昔の人は、幾度となく訪れ、篭り、蘇りの地にしたのではないかと。
旅の工程には考えていなかった花の窟神社にも、絶対行こう! -
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中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
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鷲田清一と内田樹の大人のいない国を読みました。
日本は、人が成熟せず、大人にならなくても生きていける国になってしまった。
クレーマーやモンスターペアレントが横行する国になってしまった、ということが議論されています。
面白いと思ったのは、内田樹の以下のような主張でした。
SNSなどでの匿名のメッセージは本人が正しいと思っていてもそれは呪いのメッセージである。
なぜなら、呪いはその発信源が特定されるとその効果を失うからである。
表現の自由というのは、他の人が認めようと認めまいと自分は正しい、というメッセージを発信することではない。
メッセージはその受信者に対して発せられるものであり、受信者に対する「敬意」が必要である。
そのような呪いのメッセージが充満する世界で、少しでも呪いを中和することができるのは「祝福」のメッセージである。
少しでも、祝福のメッセージを発信できるようになりたいものだと思ったのでした。