あらすじ
縁故主義、相互監視、正常性バイアス、反知性主義、
“コロナ・マッチョ”、『1984』的ディストピア……
なぜ日本はここまで劣化したのか?
・エビデンスを軽んじ、政治効果を優先させた日本の感染症対策
・知的無能が評価される「イディオクラシー」(愚者支配)とは
・“母子癒着”する日米関係とディストピア化する社会
・カミュ『ペスト』に描かれた危機下における大人の市民像
・「王道」と「覇道」――中国はこれからどうなるのか?
・書物という外部への回路がもつ「コモンの再生」の可能性……etc.
社会の病毒をえぐり、再生への道筋を示す真の処方箋!
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
まえがきを読むだけで、なぜかとても救われたような気持ちになる。これから何度も何度も読み返していくことになるかもしれない。
世の中、本当に尖った言葉があふれているような気がして、しんどいなぁと思うことが増えた。
移動の隙間時間で読んだので、もう一度じっくり読み返そうと思う。
Posted by ブクログ
通っている整形外科医院の本棚からお借りした
自由に貸し出してくださる医院!
副題『「生きていく気」がしなくなる国でー
なぜ日本はここまで劣化したのか』
難しかったけれど頑張って読んだ
ほーほーうんうんと
著者は私の住む神戸で武道の道場を開いておられるとか
たくさんの著作もある
コロナ後に起こったことは、もともとから存在した日本社会の欠点が可視化された。すでにあちこちにひびが入っていたシステムの不備が露呈したと。
同世代だからか、おっしゃっていることに納得
不寛容な国になっているなあ
≪ また来るの? 相互監視の あの時代 ≫
Posted by ブクログ
コロナ期は何度思い返しても不思議。
そんな現在進行中に書かれていた文章もなんだかライブ感があり、当時を思い起させられる。
みんなが不安定な状況で、
ぎすぎすすることも、ユートピア的な考え方もあったり。
- 無法地帯と気づかい
自分が誰であるかを特定される状況のときと、
匿名の状況のときと、
なんで人は違う動きをするのか、とか。
処罰のリスクがあるかどうか。責任を問われるかどうか。
環境設定、制度設計によって、
人は良くも悪くもなるのは一般的なのか、とか。
- システムの転換への希望
コロナで一気にこれまでのシステムが崩れた、と思った。
と論じられた。
内田樹さんも、後新自由主義、グローバル資本主義の停滞、
都市生活から地方離散への流れについて、肯定的に書かれています。
そして、コロナは自分の生き方に根元的な問いを向ける機会となった、と。
わたしに何ができるか、
私を求めている人がいるならどこにいるのか、
エッセンシャルワーカーの役割が見直され、
生死についてもより身近に考える機会となったのは事実。
生きる意味を見つける機会になった、生き方に大きく影響を受けた、という人も多々いるのだろうと思います。
ちょっと手を貸してくれない?だって暇なんだろう?助けてください。 …
カジュアルな依頼文で天職は来る、と著者は言っています。
「先方がどういう根拠で私を選び、わたしにはそれが「できる」と思うに至ったのか、それは分からない。」
- 非常時へのスイッチの切り替え
非常と日常を隔てるのは、自分の認識でもある。
著者は、正常性バイアスを解除し、非常時へのスイッチを切り替えることの難しさにも触れています。
ヒントは、普段からの複眼視。
自分には見えていないものがあること、自分が現認したことはあくまで個人的、特殊な出来事であり、そこからの推論は一般性を要求できない、という見方を常にしているか。
それが、今起きていることを立体視すること。
とくに指導者の立場にある人に求められること。
複眼的に、判断、行動する、人々を等しく配慮しているという信頼を育てるために欠かせないこと。
- 経済課題は中産階級の再興
コロナ後の世界で再評価される、権威主義 の危機対応能力。
そこで民主主義について再考する。
民主主義の土台が、中産階級であることについて述べられています。
近代史を鑑みると、中産階級の発展、経済の活性化、政治の過激化が同時にもたらされ、国が発展してきた。
そして今、中産階級の没落による、市民の無権利化、統治の安定、活気のない国になっている、と。
実は民主主義は、知的無能が指導者の資質として肯定的に評価される統治システム、らしい。ジャクソン大統領の例にあるように、人民と利害を共有するという期待のもとで自分達と同程度の人間を指導者に選ぼうとする傾向を指摘。
デモクラシーが過激化したときの変異種として、イデオクラシー(愚者政治)がある。だから、もともと民主主義は無能なリーダーの暴走を防ぐ仕組みができている
でも利害がずれていても愚者政治になりうる。
日本国民全体の利害を配慮する努力を放棄したという新しい点だ、と論じられています。
そしてそこにあるのが中産階級の没落。
権力者と、権力者のおこぼれに預かろうとする人との二極化。
著者は、権威主義よりも、成熟した市民の基盤がある民主主義の方が長期的に復元力がある、と擁護します。
アメリカについては、もともと1848年ヨーロッパ市民革命に失敗した自由主義者、社会主義者が移住したくにであり、
その「48年世代」の思想は、1870年代までに西部開拓、一攫千金のアメリカンドリームに置き換わっていったとのことです。
憲法においても、政府が保証する義務アメリカ市民の自由とは権利であり、平等の実現は書かれていない、らしい。
だから、トランプ前大統領は自由競争で勝者になるというアメリカンドリームの体現として、人気を得ている、ともいえる、と。
当時からまた4年経ち、再度アメリカ大統領選でトランプ前大統領が出馬する中、とても興味深い視点ですね。
中国については、王道か覇権の理論で国が収められてきたこと、
また、西へ支配を拡大する歴史的、文化的な趨向性があることを述べられていました。
歴史、という時間を越えた複眼視はとても示唆に富むものがあるなーと思いました。
・知性は集団的に発動する
反知性主義についても触れられています。
知がその人で完結していると思っている場合、反知性になる。
では知性とは?
著者は、時間の中でその真理性がしだいに熟してゆくような言明を知性と呼びたい、と言っています。
自分は知のエンドユーザーではなく、パッサー、つまり渡して繋いでいく、という視点。
周りを威圧したり地位を獲得するための知ではなく、
知に対する、社会性、公共性、共有財的な考え方。
そんな知の深め方ができるといいですね。
開かれた公共空間として、ひとり書店の紹介もありました。
シェア書店なども最近増えているような気もします。
自分、という境界を越えてこそ、知が深まるはず。そんな空間づくりも素敵ですね。
Posted by ブクログ
あまりコロナとは関係ない感じがしますが
最後の大瀧詠一、加藤典洋、橋本治、吉本隆明への追悼の話が残りました。
あと、今ここという考え方の危険性もある程度納得です。
Posted by ブクログ
2021年10月発行の書籍。内田樹が、ブログやその他の色々な媒体に書いたものをまとめ、加筆・修正したもの。「コロナ後の世界」という書名になっているが、ポストコロナについてのものばかりではなく、色々なテーマのについての論考を集めたもの。章立ても「コロナ後の世界」「ゆらぐ国際社会」「反知性主義と時間」「共同体と死者たち」という題名になっている。もとになっている原稿が書かれたのは、2020年から2021年にかけてのもの。
本書を読んだ後、あらためて世界のコロナウィルス感染状況がどうなっているのかをネットで調べてみた。
全世界での感染者数は4.8億人、これまでの死者数は6百万人強。世界人口は75億から80億人の間であり、全世界の感染率は6%弱。致死率は感染者数の約1.3%、人口の0.078%ということになる。
日本の感染者数は、おおよそ6.2百万人、これまでの死者数は27,000人強。日本の人口は約1.2億人なので、感染率は5%強、致死率は感染者数の0.45%程度、人口の0.022%ということになる。世界的な数字と比較すると、感染率は少し低く、また、致死率は世界の数値から比べると随分と低いということになる。
また、約100年前のパンデミックであるスペイン風邪について調べてみた。スペイン風邪には、全世界で約5億人が感染したと言われている。数自体はCovid-19と変わらないが、当時の世界人口が18-19億人であったので、感染率は27%、4人に1人は感染したと言われている。また、死者数は1億人を超えていたと言われており、致死率は感染者の約20%、人口の約5.6%なので、今回のパンデミックよりも感染率・致死率ともに高いものであった。
Covid-19について内田樹の2020年当時の論考をあらためて今回読んでみて思い出したのは、パンデミック発生直後は、Covid-19の感染率、致死率、あるいは重症化率は、もっと高いものである、Covid-19というのは、とても危険なものであるという認識が一般的であったということだ。実際に重症になられた方、実際に亡くなられた方もいらっしゃるので、軽々しいことは言えないが、現時点の実際の感染率・致死率よりも、もっとずっと高いもの、例えばスペイン風邪に近いものをイメージしていたと思う。もちろん、危険なものであるという認識のもとで対応したり、あるいは、比較的早くにワクチンが接種できたりしたことにより、結果的に感染率・致死率は上がらなかった、すなわち、世界の人たちの対応は、ある程度うまくいったということでもある。
内田樹の論考が、ということではなく、もう少し一般論的に言って、パンデミック発生直後に言われていた「コロナ後の世界」についての論考が現実のものと少しずれていることが多いように感じるのは、こういった実際の感染率や致死率についての予測が(良い方に)はずれていたから、とも言えるのではないか、とあらためて感じた。
Posted by ブクログ
何度も思うが、やはりこの人の考え方は面白い。だから面白く思えば思うほど、この人はもっと表に出ていくというか、もっと周りがこの人の言うことを取り上げて(もしかしたら自分が思う以上に取り上げているのかも?)、広く知られていてもいいのにと思うのだが。それこそ養老先生や、小林秀雄にだって引けを取らないのではないだろうか。
本の最後に、内田樹という人が敬愛していたのだなと思われる、大瀧詠一、橋本治、鹿島茂の諸氏がいずれも2019年に亡くなっていて、その追悼の意味合いで各氏の著者の書評をしたものが収められているのだが、自分にはなぜこれらが収められているのかわからず、でも本人の後書きでこの本で言いたいことはここに収められているとあったので、俺は何を読んでいたのだろうと、愕然としてしまった…
Posted by ブクログ
著者が,いろいろなところで書いた論文を集めたもの。いつも通り,内田さんの筆はよく動く。視点が面白くて,しかも難しくないので読みやすい。本のタイトルにある「コロナ後の世界」は,本の4分の1くらいで,あとは,違う話題が多い。最終の第Ⅳ章では,4人への弔辞?がまとめられていて,ちょっと変わった編集となっている(これは編集者の工夫らしい)。内田さん本人は,「この本を通じて僕が一番言いたかったことは,(吉本隆明を含めた)4人の死者たちに向けて書かれたこれらの言葉の中に表現されていたように思います」と言っていて,ここだけでももう一度読んでみようかな。
気に入ったところに付箋を付けながら読んでいたら,付箋紙が30枚近くになった。この付箋の部分をこれから抜きだして,どっかに書き留めておくことにする。これがわたしの本の読み方の一方法である。
一カ所だけ,引用しておく。これを意識してくれれば,おそらく,ネトウヨ・ネトサヨなんていなくなるんだがなあ。これもわたしの加害責任がついて回るんだよな。
僕はものごとの適否を「それをすることによって、集団として生きる知恵と力が高まるか?」ということを基準にして判断しています。もちろん、その言明が「正しいか正しくないか」ということを知るのも大切ですけれど、僕はそれ以上に「それを言うことによって、あなたはどのような『よきもの」をもたらしたいのか?」ということが気になるのです。言っている言葉の内容は非の打ち所がないけれど、その言葉が口にされ、耳にされ、皮膚の中に浸み込むことによって、周りの人たちの生きる意欲が失せ、知恵が回らなくなるのだとしたら、その言葉を発する人にはそれについての「加害責任」を感じて欲しい。(p.2)
Posted by ブクログ
コロナの功罪、コロナが抉り出した日本社会の暗部、いちいち頷けるが言葉が心に刻まれる前に頭を通り過ぎてしまう。目で文字追うだけ。内田さん、もういいかなぁ。「統治コストの最小化。今の日本には、もう国家目標がない。日本社会の全面的な劣化。ただイエスマンで埋め尽くされた社会を作り出した」なるほど、なるほど。だけど変えるエネルギーは、もはや無い…。
Posted by ブクログ
いつものように
いや いつも以上に
フムフムフム を
連発しながら
読み進めてしまいました
なんだろう
このモヤモヤした状況は…
を いつものように
分かり易い言葉で
分かり易く綴ってもらうと
そうそう
私が言いたかったことは
こういうことだったんだ!
と 何度も 思ってしまう
そんな内田樹さんです
今回は
P232からの「倉吉の汽水空港でこんな話をした」
と
p 181からの「反知性主義者たちの肖像」が
ぐっときました。
Posted by ブクログ
現在の社会のあり様を、この様に解釈するとわかり良くなるという、視点をもらえる本。
個人的には、積読の効用が、無知の知を視覚化する所にあるという解釈が秀逸だと思った。
後は、コロナや、ここ数年のアメリカ、中国、日本の政治に対するもやもやとした違和感の正体を解説して提示されたことに感謝。
→中間層の弱体化、政治的無関心を助長することと市民の権利の無権利化で統治コストを下げるというのは、ジリ貧しか生み出さないということ。
→緊急事態への対応として、正常性バイアスを解除するためには、自分以外の視点からの情報の取り込みを一気に増大させないといけないということ。様々な視点から立体的に物事を見ないと、何が起きているかわからない、ということ。日常的に、自分以外の視点からの情報の取り込みを行っていれば、特に苦労しないということ。視点を変えるのは、気づきの視点を得るという瞑想も役に立つと思った。
→市民を相互監視させることで統治コストを劇的に削減することができてしまうが、その結果、大義名分を掲げて隣人を攻撃する人を野に解き放つことが生じること。その危険はすでに顕在化しているが、そうした統治は、コモンズ的な資源の保全や治安維持にも役立ちうるなとも思った。その辺りは、ナチスの環境保全の本でも読んでみようかと思った。