ブレイディみかこのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ欧米は、キリスト教的な考えが基盤にあり、人がただ生きているだけでその権利が認められる文化だが、日本は権利だけを享受することはできない、義務を果たしていないと権利は与えられない、というくだりを読んで、なるほどなあ、と思った。SNSには低所得者にばら撒きをやめろ、とか、専業主婦を叩いたりする声はよく見るし、まさに今の日本をうまく表してるなあと思った。
違う文化の国に住んでいるからこそ、外から見た日本社会を的確に表現している作品だと思った。
これからの日本は、もっと今まで以上に色々なバックグラウンドの人達、多様な価値観をもつ人達が増えてくるだろう。そのとき、シンパシーではなく、エンパシー。他者の靴を履いて考える。 これはとても大切な事になって来ると思う。 -
Posted by ブクログ
愛と毒は正反対じゃありません。
著者のベストセラー、「僕はイエローでホワイトでちょっとブルー」は2019年発表。わたしはそれで著者・ブレイディみかこさんを知ったけれども、本作収録のエッセイは古いものは2003年にかかれていて、「ぼくイエ」とは違う若い文体を楽しめます。あえて軽薄で粗暴で露悪的な言い回しと「◯◯かしら」といった上品で古風な言い回しをミックスさせるおかしみを狙ったり、なんというかトガッた文体で、ワンセンテンスの中にフックのあるフレーズを何個も差し込んでくるような、「思いついた言い回しは全部書かなきゃ気が済まない」というエネルギーが微笑ましい。彼女の精神的な柱である「英国パンク」然とした、毒と皮肉が含まれていて、正直言って「イタさ」も感じるんですけど、なんだか若い頃の自分を思い出して、親しみも感じます、、、といっても2003年当時でブレイディさんは40手前なので、自分がみずみずしさをキープ・オンできてないことを自覚させられました。
でも読み進めると、こんな諧謔さをつめこまないとやってられないような英国貧困層の現状がわかってきます。球の切れた街灯の電球交換すらされない貧困街の託児所で働くなかで、英国社会にドデンと横たわる強固な階級意識を著者はシニカルに見つめています。でも託児所の同僚や子供達、友人、家族など身の周りのひとりひとりには、著者の深い情を感じます。ブレイディさんの対談記事に「パンク母ちゃん」というタイトルのものがありましたが、ブレイディさんを一言で見事にあらわしていると思います。毒もあるし、愛もある。毒と愛は正反対じゃないとつくづく思います。毒っ気の強いユーモアに情をしのばせて、厳しい現状をサバイブしようと奮戦する人々にささやかなエールを送りたくなると同時に、うっすら自分や周りの誰かと重なって見え、自分の生活を見つめ直すきっかけにもなります。
前半が著者ブログ記事のよりぬき、後半がカルチャー誌連載のCDや映画のレビューとなっていて、後半の作品レビューは英国音楽や映画に詳しければより楽しめそうです。
ブレイディみかこさんは小学生の頃に出会ったパンクに衝撃を受け、ジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)を人生の師に定めたとのこと。私も詳しくはないですが、中学生のときに後追いでセックス・ピストルズに出会いました。高校のときに1996年ピストルズの武道館ライブのビデオを友人と見た時に、醜く太ったジョニー・ロットンが赤い短パンで道化さながらにちょこまか動き、おっさんになった声で下手くそな歌を歌っているのを「なにこの豚ピエロ!最低!」とゲラゲラ笑いつつ、ちょっとだけ本当にがっかりもしてました。実際、武道館のステージにピストルズが登場してから速攻で帰った客もいたそうです。
しかし大人になってから、2007年のロンドンのブリクストン・アカデミーでのピストルズ再結成ライブの動画を見た時に私は驚きます。タイトな着こなしができないほど相変わらずに肥えた、そして年の分だけ老けたジョニー・ロットンがそこにいるのですが、震えるくらい、目の奥が熱くなるくらい最高にかっこいいんです。勝手に抱かれたパンク幻想を皮肉でぶち壊すように、老いた姿を晒しているのがまたひねくれててシビレます。パンクロッカーとしてはToo Late Too Dieな年齢、Don't Trust over 30の倍ちかく生きて、老後を考え出す世代のオッサンが「No Future」と歌う皮肉もふくめて最高にかっこいい。老若男女パンクスですし詰めになった会場に汚く響き渡る「No Future」のシュプレヒコールに、なぜか私は涙が流れそうになりました。「夭折して伝説に…なんて、死んでもなってやんねえぞ!」とアカンベーして世界をペテンにかける態度そのものがパンクじゃんか、と大人になってわかりました。若い頃のライブの何倍も凄みがあってかっこいい! -
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デヴィッドグレーバーのブルシットジョブではホワイトカラーの高収入でもやりがいを感じない、なくてもいい仕事ばかりを取り上げたお話しでしたが、こちらのシットジョブは、低賃金の労働を語るときにイギリス人が「シット(くそ)みたいな時給しかもらえない」「シット(くそ)みたいにきつい」「シット(くそ)みたいに扱われる」などと口にする言葉からタイトルを付けたようです。
そんなイギリスでの労働、住み込みベビーシッター、洋服屋の店員、洋服リサイクル回収のボランティア団体、保育園、日本人向け社食の調理人、病院のボランティア活動など高収入ではない仕事ばかりを取り上げたフィクションとしてのお話しのようです。
でも当本人が実際に経験していないと、ここまでディテールを語ることはできないのではと思ってしまいます。
「パンより薔薇を」はよく聞きますが、「薔薇よりパンを」で訴えるストライキの出来事も本当なんでしょうね。今の日本もまさにこれにあたるのではないかと思ってしまいます。
そして、病院の桜の木の下で患者と散歩している亡き母の話しは、胸が熱くなりました。
これからの日本の未来を想像するには、何十年前のイギリスの労働者を見ると参考になるのかもしれませんね。 -
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ロンドンでの生活を目的とするか手段とするか。
国が描いたシナリオ通りに進めば、弱いものは
住む場所を追われ地方へ移ることが自然となります。
国からは無言の圧力が突きつけられ、恐らく多数は
それに従って都会を離れることを余儀なくされたでしょう。
生活保護で支援を受けていつつ、国からの要望を
聞き分けることもなく、自分の要求を最大化させようとする
ジェイド他のシングルマザーの考えは自分には分かりません。
それがわからない、というのは自分が恐らく底抜けに幸せで、
生まれた時から背負った宿命がとんでもなく違うからです。
貧困は人から知性を奪い、知らずのうちにそれが
無知なものの集う環境を作ります。考えることをやめた人たちは
可能性の未来をイメージできなくなります。
なんのためにロンドンに居るのか。ロンドンに何があるのか?
ロンドンで身を立てていけるのか?
このあたりが頭脳の領域から完全に消し飛んでいるのは、
自ら現在地すら読み取れない、過去からの負の連鎖による弊害
それに他ならない、そう思います。
仮に『リスペクト』を勝ち取ることができても、
同じように自分たちも『リスペクト』を払わないといけない。
そんな相互関係で人間社会は成り立っているわけで、
自分の利害関係だけをテーブルにのせてわめいていて、
たまたま奇跡が起きてうまくいっても、奇跡は奇跡で
それを連続させることは不可能といっていいでしょう。
もしもこのストーリーに何かの希望があるとすれば、
それは彼女たちが活動を通して出会った人たちとの絆を
この先で活かせるかどうか。
活かせればハッピー、活かせなければふりだしに戻る。
意識の変化はその後、果たして起こったのか?
そして、それら全てを見ていた子どもたちは、その日々を
どう心に残して先につなげていくのか?
自分は、なにかの化学変化は起こった、そう強く願います。