ブレイディみかこのレビュー一覧
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岸田内閣が発足し総選挙が行われることになった。岸田内閣に期待すること、あるいは、衆院選の論点として考えるべきこと、という内容で、日本経済新聞が朝刊に連載をしているが、今日の朝刊のテーマは「成長か分配か。まずは成長を優先すべき」という内容のものであった。
本書は、ブレイディみかこさんと、経済学者の松尾匡氏、社会学者の北田暁大氏の対談で構成されている。発行は2018年5月のことなので、今から3.5年前のことであり、岸田内閣はもとより、菅首相の前の安倍首相、経済政策で言えばアベノミックス時代の発行である。
本書の大きなテーマの一つは、書名にもなっているが、日本の左翼・左派に対して疑問を呈する、というものである。
経済だけが大事なことでないことは言うまでもなく、経済以外にも大事なことは山積していることも言うまでもない。ただ、私は、経済問題は現代の日本の大きな問題の一つだと思う。格差問題、あるいは、日本にも貧困層が生まれており、その格差や貧困は世代間で受け継がれる、要するに固定化・階級化しつつある、ということは、かなり以前から指摘されており、解決すべき政治的イッシューであるはずだ。
この問題へのアプローチには2つある。1つは経済成長が大事だとするもの。日本の1人当たりGDPはバブル崩壊以降、ほとんど増えておらず、今やそれを指標とすれば、日本は既に世界で最も豊かな国の一つとは言えなくなっている。これは事実であり、日本全体が豊かにならない限り、国民に所得として行き渡る原資はないのだから、まずは経済成長を優先させようとするアプローチ。冒頭に記した今朝の日経新聞の論調である。
もう1つのアプローチは、分配が大事だとするもの。格差があるのであれば、格差を均せば良いではないか、というアプローチである。富裕層への課税を強化したり、あるいは、大企業への課税を強化し、そこで得た原資を、例えば医療費や介護費や貧困世帯への援助に回そうとするものである。
本書でのブレイディさんをはじめとする3人の方が感じている違和感は、日本の左派が「経済」について語らないということである。日本の左派は、例えば環境問題、原発問題、等についての主張が多く、そのこと自体は何の問題もないのだけれども、日本の大きな問題の一つである「経済問題」、特に、如何に日本の経済を成長させるかについては、ほぼ語るところがない。なかんずく、不況時の重要な経済政策の一つである政府支出について、国の財政均衡(要するに国の借金は良くないことなので、単年度の国の税収と支出をバランスさせましょうという考え方。政府支出を減らすことは、GDPを減らすことに繋がる)を優先させる考えを左派がとる(民主党政権時代の「事業仕分け」は皆さん記憶に新しいと思う)のは、ほとんどあきれるという内容である。
「成長か分配か」という、ものの考え方では何も解決できない。正しくは、「成長も分配も」であると私は思うし、本書の主張も同じ。日本の左派が「分配」については語るが「成長」について語らないのは、政治家としての一種の責任放棄ではないか、と私も思う。
本書の主張に同感だ。 -
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ほお。イギリスの底辺の保育所はこうなっているのだと、まるで見ているかのような臨場感を感じられる。
そして、底辺の人々を甘やかさず自立させなければならない政治のむずかしさ、イギリス人だけでなく外国人も含めた底辺コミュニティの変わりよう。
中流のイギリス人が、外国人の底辺には優しいが、アンダークラスのイギリス人には手厳しいという矛盾。他人ごとではない。
底辺の人々を救うべく自分の時間を差し出す人々の善意と正義感。
かっこいいだけではない、むしろぞっとするイギリスを垣間見ることができて、興味深かった。日本はどうなっているのだろう?私に何かできるだろうか? -
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本書は英国の緊縮財政によって、フードバンクの普及という名目で閉鎖に追い込まれた無料託児所での日々が綴られています。
経済的な理由や親のDVなどを理由に、有料の保育園(託児所)での預かりが困難な子どもたちのための施設では、実に様々な問題が日々巻き起こります。
しかしながら、当初はなかったはずの民族の違いによる差別が徐々に親の間で蔓延り、またケースワーカーに子どもを取り上げられたくないが為、託児所に預けることを断念してしまうシングルマザーの姿も描かれています。
変容する現代社会や育てられた環境が、巡り巡って子どもたちにどのような影響を与えているのか、またそのような状況の中で子どもたちは何を考え感じているのか、間接的に知りたい方にはおすすめの一冊です。 -
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主に欧米の政治家について書かれているのを読み、最後は、やっぱり日本のこれからの女性政治家、指導者について考えるようになっていた。
アメリカに初の女性大統領が出たら、日本も大きく変わるのでは、とあとがきに書かれていたが、なるほどなるほど、それに期待しよう、と思いつつ、ここまでアメリカ頼みってホントに情けないなぁと思う。
"危機に陥ると女性が責任者に選ばれることはままある。男性たちはリスクを取りたくないので、どうせ失敗するかもしれない時期なら女性にやらせとけ、と難所を乗り切らせておいて、危機を脱したら男性が出てきて「さあ、新時代のはじまりです」とトップ交代になる、というアレである。" 34ページ
丸川珠代さんも橋本聖子さんも全く好きではないけれど、オリンピック担当大臣やJOC会長に選ばれた時、こんな損な役回りの時だけ女性がリーダーに選ばれるんだと腹立たしくなった。案の定、ボロカスに言われている。もちろん本人たちの無能力さもあるのだが、与党系のどの男性が担当してもあまりうまくいきそうになく、でも、ここまでボロカスに言われるだろうかと思うと、それはそれで彼女たちに同情などしたくはないが、彼女たちを選んだ、おそらく男性たちに対して怒りたくなる。
"「物申す女」がネットで叩かれるのは、単に男性が女性の進出にムカつくからではなく、性的欲望や快感と結びついているとすれば、そりゃあ世界中でこの現象が蔓延するはずである。
(略)
「物申す女性」を増やすには、アファーマティブ・アクションだけでは不十分なのだと思う。地獄を地獄として放置せずネットの取り締まりを強化し、女性が物を言いたくなる環境を整えなければ、わざんざ暴行されるとわかっている場に足を突っ込む女性は今後もあまり増えないのではないか。" 93〜95ページ
このことについては考えたことがなかったので、そういうことなのかと目が開かれた。
映画「未来を花束にして」は女性の政治との関わりについて、女性の団結について、戦い方について、いろいろ考えさせられた。
リーダーとなりうる女性政治家の出現をボーッと待つのではなく、草の根的に(言葉として古い?)団結して戦うことが、今の日本にも必要なのだろう。ブレイディみかこさんも最後に「女たちのポリティクスは再び燃えているか」と締められている。 -
Posted by ブクログ
P.71
・ソーシャル・クレジング_交易住宅地までもが投資家に売却されて消えていくロンドンは、労働者階級の人々の姿が見えない街になっている
・ソーシャルアパルトヘイト
・ソーシャルレイシズム
P.88
『フィッシュタンク』英国の下層のティーン文化を知りたければ若干ステレオタイプ的とはいえかなり正確に描かれている
P.93
アプレンティス制度(見習い制度のこと)
犯罪履歴調査
P.96
「クールってのは、ブリリアントでスペシャルであたしはそれが大好きだってことだよ。ドープって言葉もあるけどね。」
「でも、そのくまは可哀想。」
「だって、くまは本当はみんなを食べたいんじゃなくて、一緒に遊びたかったのかもしれない。」
以前、私がこの本を読んだ時、誰かがそう言ったので、「それはすごくいいことに気がついたね」と褒めたことがあった。きっとあんなはそのことを覚えていて、同じ言葉を言っているのだろう。優等生タイプのアンナはこういうことをよくやる。が、そんなことは知らないヴィッキーは目を輝かせていた。
「それはドープな質問だ。あたしも子供の頃、実はそう思ったんだ。だってこの熊の後ろ姿、なんかサッドだもんね。くまは見た目は怖いけど、本当は優しいのかも。」
私は子供たちを迎えに来た母親の方を見た。敵対心剥き出しの顔をした母親たちの中で、ポーランド人の母親は微笑していた。インド人の母親も彼女の方を振り向く娘に、ちゃんと先生の話を聞きなさいというふうに合図している。変化とは、こうやって起こる。1人、そして2人が最初に代わり、それが三人になり、五人、十人に増えてコミュニティが変容する。その兆しがわずかだが確かに見えて来た。
P.113
猪熊弘子さん_『子育てという政治』2004〜2013年の10年間で143人の子供が亡くなっている。そのうち131人は0〜2歳だそうで、幼い子供の命が日本の保育士配置基準によって失われている。
↑英国では、0〜1歳で1対3、2歳児で1対4、3歳児と4歳児で1対8。
日本では、0歳児で1対3、1〜2歳児で1対6、3歳児で1対20、4〜5歳児で1対30。
英国では、屋外のパラソルの下で工作ー日本では、皇帝には屋外工作のテーブルもなければ、スクーターも三輪車もない。ままごと遊びの小さな家もなければボウリングセットもジャングルジムもない。玩具や遊具がほとんど何もないがらんとした空間に子供たちが立って駄弁ったり、追いかけっこしたり、またちょっと離れたところに別のグループが集まって立っていたりして、保育園の庭というより、学校の休憩時間の校庭みたいだ。
決断力、クリエイティビティ、ディベートする力。私が日本にいた20年前から現在まで、日本人に欠けていると一般に言われている事柄はちっとも変わっていないように思えるのだが、こうした能力が欠如していることが本当に民族的特徴になっているとすれば、それは人間の脳が最も成長する年齢における環境や他者とのコミュニケーションのあり方に端を発していないだろうか。少なくとも英国の幼児教育しシウテムは、言われたことを上手にやる天使の大量製造を目的にはしていない。
P.139
スケートボードにしても「幼児用の特注のボードはとても高価なのに、どこからそんなお金が……」「あの人たち、ちゃんと仕事しているようには見えない」と彼女たち(移民の女性たち)がトイレで噂しているのを聞いたことがある。
彼女らのそうした視線は彼(英国人落ちこぼれ母のボーイフレンド)にとっても鬱陶しいようで、最初に来るようになった時はラブ&ピースを信じる人らしくお母さんたち全員にとてもフレンドリーで、進んで笑わせようとジョークを飛ばしたりしていたが、学黒人のお母さんたちがちっとも乗ってこないので、最近では互いにお迎えの時間にすれ違っても目さえ合わせない。
昔、この託児所が賑やかだった頃でも、すべての人が仲良く、なんのわだかりもなく一緒に子供を預けたり、働いたりしていたわけではない。雑多な人種や宗教や思想や性的嗜好を持つ人々がそんなに夢のように出会った途端に一つになって美しいハーモニーを奏で出すなんてことは、ジョン・レノンの歌の中ぐらいでしかありえない。だが、あの頃はもうちょっとみんな大人だった。感情がこんんあに剥き出しではなかったのだ。
財政支出額とともに、人の心も縮小しているのかもね」
人心のデフレ。
P.174
アニー→ミカコ(夫が末期癌宣告を受けた)へ
「大丈夫。空疎な子ドマだけど、人はその気になればどんなことでも大丈夫にできるんです。人間の偉大さはそれに尽きる」
「あなたは託児所で一番ビッグなスマイルを持った人でした。あなたは子どもたちを笑わせることができる。自信をもって。Keep on smiling.」
空腹で力のない子どもを笑わせるのは昔のように楽ではない。それでも、私がポケステーションで投げられてヒクヒクしながら倒れるモンスターを真似る時、テントの雨漏りが発覚し、読んでいた絵本の上に落ちてきた水滴に思わず「ファック」と卑語を発してしまう時、彼らはおかしそうに笑ってくれる。
彼らの親たちがフードバンクに並んで尊厳をへし折られ、棚から食品をわしづかみにしてビニール袋に入れている間、子どもたちは楽しそうに笑ってくれている。笑っている限り、わたしたちは負けていないのだ。KEEP ON SMILING.
P.220
「子どもをサポートするということは、その親をサポートするということです。」
現場で母獣たちの背中をさすっている人間だけがはける、リアルな児童保護論なのだ。
P.234
「力」というものの中には、きっと実際の作業をする能力というのはあまり含まれておらず、自己プロモやネットワーキングを行う手腕といった「作業換金力」が80%〜90%なのだろう。
P.251
作品に「尿。またはマミィのビール」とつけたモーガン。母親はアル中だ。解説には「『きれいな金色の画用紙ができたね』と話しかけると、モーガンは答えました。『これはマミィが流しに捨てたビールの色。栓を開けて全部捨てちゃったから、おしっこみたいにいっぱい流れていった』」
腐り切った世界には、腐ったなりのビューティがある。
P.269
本物のデビー・ハリーという人は、難病にかかったこう他人の看病をするために雲隠れしているうちに、彼女のイメージをそのままパクってデビューした若い新人(マドンナという名の)に天下を取られた。ショービス界ではこの系譜がその後のグウェン・ステファニーやレディー・ガガと行った人々に続いていくことになる。
若い女性は「ロールモデル」を必要とする生き物らしいので、この系譜のシンガーたちは例外なく女性に支持されることになるのだが、初代デビーになると、「そこまでいくとちょっとその生き方はお見本にはしたくないかも」というところまで行ってしまっているため、ブロンディを解散し、ソロに転向してからキャリアが盛り上がるということはなかった。
運命。というと大袈裟がだが、巡り合わせ。というか、ランダムに巡ってくるものが必ず顔面にぶち上がってしまう人が、世の中には存在する。
デビー・ハリーの後尾とは当時まだ治療法もよくわかっていなかった難病にかかってしまったが、マドンナの男は間違ってもそんなややこしい病気にはかかりそうもないし、発展途上国から彼女が養子をもらうことはあっても、障害児を養子にすることはないだろう。そういう`本当にヘヴィな感じ`は女性に支持されないからだ。あんまりクールでも素敵でもないし、第一幸福そうじゃないからである。
P.273
然るべき環境が整わなければインクルージョンは致命的結果になるというワーノックの警鐘は地べたに転がるリアリティに立脚している。肌の色が違う、太っている、などの理由で子どもが集団暴行の標的にされている英国の学校現場で、障害児だけがいじめを免れているというのは、そらやっぱ素人目にも無理がある。違うものが標的にされるというのは、時代・地理を超えて普遍の人間の現実だからだ。
P.282
政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり、暮らすことだ。そう私が体感するようになったのは、託児所で出会った様々な人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしていたからだ。
P.284-285
底辺託児所と緊縮託児所は地べたとポリティクスをつなぐ場所だった。だけどそれは特定の場所だけにあるわけではなく、そこらじゅうに転がっているということは今の私は知っている。地べたにはポリティクスが転がっている。