冒険家×ノンフィクション作家が書くこと、生きることの意味を問うこと。
私は山が好きだが登山ではなく歩山で、主に平地では見られない山の花々を見るのに歩いてきた。今は平地を徘徊するようになってしまったが。
最近渓谷探検を見てこれが冒険家なのかと実感した、驚異的なテレビ番組だった。
角幡さんは素晴らしい書き手だと感銘を受けた。知らなかったが登山家でもあり山から下りれば作家になってノンフィクション賞を数々受けている人だった。
少し前になるが、映画の「エヴェレスト」を見た、これは組織的に役割分担をしたチーム登山が描かれていて今はこんな形なのかと驚いた、全員が下山できなかった実話をもとにしていたそうで、山は美しくて恐ろしい、冒険家は何を考えているのか、そんな疑問を持っていた。
そんな時、不意に現れたようなこの書籍「書くことの不純」を読んだ。
書く事の「不純」という部分を読みたいと思っていたら幸運にもこの本が見つかった、こんなことが不思議に多い。
よい本は無数にあるその一つだった。
若い女性記者からインタビューを受けた話から始まる。
「探検って社会の役に立ちますか?」質問の前で絶句した。
これが序論で、考えた後見つけた答えは、探検は外圧から自己を守る方法の一つであるということ。
私なりにざっくりはっきり言えば、外野から表面的にとやかく言われることではない、ということかも。
外の論理と自己の生き方はズレるのが当然。社会の役に立っているという外圧の論理にひとこと。
「外圧」に対して「内在」という考察も面白い。「内在」する部分も外部の変化につれて変容していく。思えばそこにあった昭和が懐かしの昭和になり時と共に変容したように。
行為は、本来は<内在>から発動するものだ。経験によっておのずと生じる。これをやりたいという思いにしたがっておこなわれれば、その行為は生きることと一致し、おのれの生の瞬間にふれることができる。だから<内在>にしたがって生きることが<よりよく生きる>ための唯一の途だ。よりよく生きるとは、社会道徳や公益性からみた<よりよく>ではなく、信念をもって自分固有の生を生きるという意味での<よりよく>である
自分の<内在>に照らして読む。世界は随分違うけれど共感する部分が多かった。冒険家と主婦の世界はどこに接点があるのかと可笑しくなるが、やはり一人の人生の歩む道は方向が違っても決断を迫られることもあれば、計画して実行する、見通しを立てることもいる。それが冒険することであっても、夕食の献立を考えることであっても。いや私の世界は狭いけれど。
こう書いてある。冒険(探検)の旅が終わると次の旅を思いつく、やらなかった人生には悔いが残る、やらなかった人生があるなら悔いる、生きた軌跡は実行したこと、決断したこと<内在>する力で生きること。と、大自然の未知に分け入る大きな目標を実行した人が書いているが、例えば家庭料理を作ることもなにかを育ててみるということも生きた証というものかもしれない。山は頂に立つことで一つの目標をほとんど完結させることができるようなものだが、人の内在するものを極めることは多様な<内在>を一つずつ明らかにして極める生き方もおもしろい。こうした本に出合える読書好きも生きることのほんの少しのショートカット法かもしれないと手前味噌だが。
長く書いたがこれはホンの序章で本題に入っていく。
読書家の角幡さんが影響を受けたという夢枕獏さんの「神々の山嶺」からの発想も印象的。
エヴェレスト山頂を前に姿を消した羽生という登山家の話だが、同じように「デス・ゾーン」では世界の名だたる山をいくつも制覇し、エヴェレストの難しい壁にとりついて滑落死した栗津史多さんのこと。劇場型と言ってもやはり人生の重たさと命がけの冒険に命を賭けた哀しみが残る。
アーティストや探検家は行動を起こすことで人々の社会通念を揺さぶる。
第三章の「冒険家芸術論」もある。
(音楽・文学・絵画等本筋的芸術分野と残らない行為である冒険や登山についての考察)
角幡さんは43歳で能力の下り坂(衰えかも)を自覚する。これらの章は特に身に染みた。
これから先のまだある空白の時間をどう埋めるか。三島由紀夫論はなるほど、彼は空白を一気に埋めた生き方をしたのか。開高健はベトナム以後の空白を釣りで埋めた。
「金閣寺」の登場人物に反映する三島由紀夫の思索の足跡も興味深く得心する。
「死の余白」という言葉をしみじみと考えた。
余白が残りわずかになった時、大脳にとりついた菌やほこりはどのくらい積もっているか、その頃どんな姿で生きているか、消滅する前が大いに気になってくる。
「はみだし理論」も興味深い<純粋さは無意味である>と。
この章もいい。私は一途さは他にとっては無意味ではないだろうかと思っているが、それこそ狭い考えかも知れず、無意味だと見る側こそ多少の盲目性に捕らわれているのではないなど斜めに考えるときもある。
あまり面白かったので長くなった、また余白途中で読み返すのも楽しみになる。