あらすじ
ヒマラヤ山中に棲むという謎の雪男、その捜索に情熱を燃やす人たちがいる。新聞記者の著者は、退社を機に雪男捜索隊への参加を誘われ、2008年夏に現地へと向かった。謎の二足歩行動物を遠望したという隊員の話や、かつて撮影された雪男の足跡は何を意味するのか。初めは半信半疑だった著者も次第にその存在に魅了されていく。果たして本当に雪男はいるのか。第31回新田次郎文学賞受賞作。
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角幡唯介のような論理的な思考を持ち合わせた作家が雪男とそれに取り憑かれた人間たちを徹底的に取材、捜査、考察するという訳の分からないエンタメ。
『極夜行』においても角幡は極夜の冒険を通して自分と真正面から向き合ったように、雪男を通して何かに取り憑かれた人間の内面性を描き出している。
ゾクゾクする目撃談、冒険の面白さに触れてしまい、私もUMA文学に取り憑かれてしまった。
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早稲田探検部出身でUMA探しで思い浮かぶのは高野秀行氏ですが、本著はヤルツァンポ峡谷の空白の5マイルを踏破した角幡唯介氏。
フィリピン・ルバング島で旧日本兵小野田少尉を発見して、一躍時の人となり、その後ヒマラヤ・ダウラギリ山域で6回の雪男捜索を行い、雪崩で亡くなった鈴木紀夫氏や、日本有数の登山家で、雪男を目撃した芳野満彦氏など、雪男という存在はそれを目撃した人を引き付けてやまないらしい。著者自身イエティー・プロジェクトに半信半疑ながら参加し、だんだんと雪男捜索の魅力に引き付けられていっていますが、これは雪男に限らず、UMA全般や伝説的なもの一般に当てはまる事かも。
いかにもキワモノ的になりそうなテーマですが、そうではなく、むしろそれに惹かれる人々に焦点を当てた、非常に出色のルポルタージュ。比較的最近読んだ中では一番よいかも。お薦めの一冊。
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ムー的な話ではなく、きちんと事実に基づいて
書かれた雪男調査隊の真面目なお話。
子供の頃頭に植え付けられた、身長3mもある恐怖の雪男、
という要素がまったくないので、そういうのを期待した人は
この本ではなく、黙ってムーを読んで下さい。
にしても、田部井淳子さんも動く何かを見ていたとは
これにはビックリ。
読んでると、ホントにいそうな気がするが...。
2019年にこの本を読みました。なぜこの時期に読んだのか…
実は2019年GWに山口敏太郎さんのインタビューに答えました。
概略を言えば1991年にネパールの比較的初心者でも行きやすいランタン渓谷をトレッキングしている時
標高2,800m程度の原生林で身の丈155cm程度の全身黄褐色の毛で覆われた類人猿と10mほどの距離で遭遇しました。
詳細は山口敏太郎さんのYouTube「アトラスラジオ」で語っています。
「アトラスラジオ イエティ」検索で出てくると思います。
Yahooニュースにも東スポの記事として出ていました(現在削除されています)
概略は知ってましたがこの機に読んでみました。
僕の体験に通じる部分もあり、そういうことだったのかと納得するところもあり
楽しく読ませていただきました。
おそらく2005年くらいだと思いますが
2003年のイエティ捜索隊のHPを見つけて事務局に僕の体験をメールしています。
すると本文中にも出てくる事務局の古山さんから返信があり
「現地の方の目撃談に酷似してて非常に興味深いです。隊長に知らせておきます。」とのことでしたが
その後、連絡はありませんでした…
この本を読んで解ったのが高橋隊長は鈴木さんの強い弔いの思いがありコーナボン谷に狙いを定めていた、
また僕が目撃したのが原生林だということもありなかなか発見しにくいだろうということもあり
コンタクトがなかったのだろうと知ることができました。(眉唾の証言だと思われたのかもしれません(笑))
この本を読み進めている時、現在極地旅行家として活躍していらっしゃる
著者の角幡さんのツィッターを見つけてインタビューURL、YahooニュースURL送ったところ
読んでいただいたらしく「ぼくらが2008年に探していたやつとまったく同じタイプですね、これは。やっぱりいるのかな。」
との返事をいただきました。
雪男・イエティと考えると眉唾と思われるかもしれませんが
学術的に未確認の類人猿が人知れず存在してるのかも?と考えると
あり得る話なのではと思っていただけるのではと感じます。
賛否両論というとこであるとは思いますが
アトラスラジオのコメント欄に「証言した本人です」とコメントしてあります。
何かあればコメントどうぞ。
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三浦しおんさんの解説が本書の性格を端的に表している。実は「雪男」的なものは世の中には結構あって、いつ自分がそれに絡め取られていくかは分からない。
それ故に、高学歴のエリートと評していいような人でもオウムにはまったりしてしまう。そこまでいかなくても、ちょっとしたオタク的な趣味にハマるのもそれに近い事なのかもしれない。
作者は一貫して冷静であろうと努めるが、それでも時折、それに絡め取られそうになる。それがまたなんとも人間的でいい。題名に込められた思いを考えると深いものを感じる。
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早大探検部の先輩である高野秀行とは違い、未確認生物に懐疑的だった著者。ツアンポー峡谷を探検する前に、新聞記者の職を投げ打った不安定な立場で偶然にであった雪男捜索隊への誘いという切っ掛け。それが適当に距離を置いてリポートでする視座を得たのかもしれない。しかし、それによって雪男を目撃する幸運に恵まれなかった……それが本書のタイトルとなった深い意味に繋がる。映像に収めようと意図しても、露出オーバーだったり、濃霧に阻まれたり。さて、雪男は実在するのか? 21世紀の現代でも謎なのだ!
Posted by ブクログ
UMAのなかでも実在する可能性の高いもののひとつが雪男らしい。とはいっても、体長3メートルもあるような巨大な生物で、牛や鹿を襲って食うような怪物ではなく、人間の成人より身長は低い150センチくらいの猿(猿人?)の一種。なんらかの理由で高地の雪山で生活するようになったんじゃなかろうか、と専門家?は見ている。
はじめにお答えしましょう。雪男はやってきません。
しかしながら、なんだ、つまんねえ、やっぱりいないんじゃねえか、期待させやがって、けっ! とはなりません。
雪男に魅了された人々の体験記として読むと、それはそれは面白い。
著者は半信半疑のまま雪男捜索隊に参加する。しかし雪男をみたという証言が多いことに加え、著名な登山家の中にも雪男を見たという人が多いことで、次第に雪男の存在を信じ始める。
鹿や熊の見間違いじゃないのか。白銀の世界で目がやられ、岩が動いて見えただけじゃないか。
ヒマラヤに足を踏み入れてことのない素人は様々な要因を挙げては雪男の存在を否定する。
確かにそのようなこともある。そして初期の探検家が雪男の足跡などを偽造したりもしたので、どうせまた嘘だろうと思われるのは無理もない。
例えば、類人猿の専門家に雪山でチンパンジーのような猿が二足歩行するように進化したとは考えられないですか?と著者は質問する。
専門家は一刀両断。最初の人類が二足歩行するようになったのは平地であったためで、雪山のような斜面での生活で四足歩行を放棄するとは到底あり得ない。
ふむふむ。常識的にはそうなんだろう。
しかし、いるとしか言えない(徳川埋蔵金かっ!)
面白かったのは、現地の人々は雪男を探しに来たというと、金づるがきたとした思っていなくて、明らかにそんなものはいるわけない、と考えていること。金にならないとわかると、鼻で笑って否定する。
著者はこの状況を日本人にもわかりやすいようにこう説明する。
フランスの探検家が霞ヶ浦に河童を探しにきたら、地元の人はどう思うだろう。
一笑に付すのは簡単だが、なぜそう思うのか、それを想起させる何かがあったのか、よくよく聞いてみるのは面白いし、新事実に突き当たるかもしれない。
そんな感じで読むといい。
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雪男を追っている本かと思いきや、雪男を追っている男たちを追っている本であった。
中学生や高校生のころであれば、「結局、雪男はいるのか、いないのか、はっきり」と思っただろうが、今は全くそうは思わない。むしろこういった雪男を見た人物たちに興味がある。それは自分自身が登山をかじったりして、登場人物の幾人かを本・雑誌で読み知っているというのもかんけいしているかな。
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著者は早大探検部出身で元新聞記者だ。さすがにジャーナリストだけあってか荒唐無稽なものに対して少し醒めた思いで向き合っているところがとてもよいと思った。
新田次郎文学賞を受賞しているが、文章が非常にうまく、また、単なる冒険記ではなく、入念な取材がなされていて作品としての深みを感じた。有名な登山家を目撃していたという話にはとても興味を覚えた。
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雪男の存在を確かめるための調査に行ったという単純な話ではなく、その過程で生まれた疑問や過去の出来事を調査していくうちに、雪男に魅せられた人々の道程を追体験していくことになったというノンフィクション。
何かに魅せられ、そちらへ吸い寄せられていくことの一般化とはこういうことだったのだ、と唸ってしまう見事な展開。
そして見事なタイトルセレクト。
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角幡さんの処女作。
『空白の5マイル』を始めとするこれ以降の著作が「角幡唯介を読んでいる!」という印象を与えるものが多いのに対し、「雪男捜索という出来事とそれにまつわる人々」が前面に出ているように感じられる。角幡さん自身があとがきでも言っているように、その辺りがジャーナリストの立場で書いたことの効果なのだろうと思う。何というか、レンズ一枚隔てた向こうの話を聞いているような感じ。『アグルーカの行方』にも近いような感じがした。
結局、雪男の実在は(もちろん)この本では明らかにされることはないのだけれど、実在を証明しようとすると、あるいは、実在を実感してしまうと後戻りできない道に踏み込んでしまうというあたり、ちょっと神学っぽいところがあるなぁ、と思った。
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彼の文章が好きなせいで、作品全てにいいスコアを付けたくなる。この作品もあえて3点(小数点の付け方が分からない、というか出来ないかもしれないけど)を付けたが、3、5以上の評価ではある。でも四捨五入しちゃうと大体の作品が4以上になっちゃうんで、この点数の評価とした。減点、というか点数を下げた理由は単にテーマがあまり好きじゃない、ということだけ。でも、作品としては面白いのは間違いないと思う。
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読んで何となく違和感があったのは、タイトルから想像するに、雪男捜索の探検記だと思い込んで読み始めたせいだったみたい。作者のあとがきを読んで納得がいった。
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結局のところ、信じるか信じないかによって、物事の見え方というのは大きく左右されて、時にはその人の人生すらも変えてしまうのだなと。
自分も同じ境遇にいたら信じてしまうのだろうか?いや、信じられる側の人でありたい。
Posted by ブクログ
冒険型ノンフィクションライターである著者の雪男探索記です。
雪男、と聴くと、オカルトな分野のUMA(未確認生物)
を思い起こすひとは多と思います。
巨漢で白い毛で黒い顔で牙が生えて、
ウワーっと両手を振り上げて
こっちに襲いかからんとするイメージはないですか。
ヒマラヤなど多くの山を制覇したなだたる登山家たちが、
実は雪男を見ていたり遭遇したり、
足跡を発見していたりしていたことが、
本書で明らかになります。
体験談が、その登山家の格を落としたり、
登山話を聞く者、読む者を興ざめに追いこんだりしないためのように、
ほんのちょっとだけだとか、そっとだとか語られたことがあるような雪男話が、
彼ら登山家の、知る人ぞ知るサイドストーリーとしてありました。
著者は青天の霹靂といった体で、
雪男捜索隊の隊員になるよう頼まれ、
雪男に魅入られた、個性豊かな山男たちに随行して、
ヒマラヤのコーナボン谷を訪れる。
はたして、雪男の痕跡、そして雪男そのものは見つかるのか。
解説の三浦しをんさんが述べられているように、
なにかに人生を賭けるようになることは、
それが雪男だったにせよ、幸せなことかもしれないです。
著者自身は、なにかに夢中になることと
雪男に夢中になることをいっしょくたにせずに、
「雪男に捉われてしまうなんて……」
という反応でもって本書を書いていたりする。
しかし、ぼくも三浦しをんさんといっしょで、
それでいいんだ、と思うほうです。
価値観や考え方、もっといえば正義だっていろいろあって、
そのどれが真理かなんて、なかなか言えないと思うのです。
最後の日本兵、小野田寛郎さんを見つけた鈴木紀夫さんという冒険家も
雪男捜索に命を賭けたことが書かれています。
彼がまた、ヒマラヤ付近の住民たちの持つ
雪男像を作り上げている疑いがあることも、
著者が気づいていました。
そして、本書では、彼が人生を雪男に賭したのはなぜなのか、
という問いから彼の足取りを追いかけ、
雪男に魅入られるとはどういうことなのか、を考える上での
キーパーソンになっています。
また、ここがグッときましたが、
鈴木紀夫さんというひとは、その人懐こい笑顔とは裏腹に、
他人からの無理解・無関心を飲み込むことでの孤独を
抱えていたのではないかという鋭い仮説がありました。
著者は、そのあたりを哀れに思うようなニュアンスで綴っていましたが、
それはまだ若い時期に書いたこともあると思います、
ぼくには、人間ってそういうものだと思えるふしがあったりする。
閑話休題。
序盤から文章がうまくて、重厚さがありますが、
なかなかに読ませるノンフィクションです。
「え、雪男?」と笑っちゃうひとでも、
読んでいくうちに、その真摯で誠実なスタンスに、
腰を落ち着けて読みこむことになるのではないでしょうか。