あらすじ
植村直己、長谷川恒男、星野道夫――名だたる冒険家やクライマーが、なぜか同じ年齢で命を落とす。背後にあるのは、歳とともに落ちる体力と上がっていく経験値とのギャップ、すなわち「魔の領域」だ。二十代の頃、「体力の衰えは経験でカバーできる」と語る先達を「心中ひそかにバカにしていた」著者が、五十代を前に「その言葉は衰退の言い訳ではなく真理」だと思い至るまで、極地探検家ならではの圧倒的人間論!
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Posted by ブクログ
生きることの意味を考えた。考えさせられた。
命をかけて冒険する著者だからこそ、私の心に強く響いた。ずっと前から探し求めていた生きる意味。それを言語化され、腹落ちしたこの一冊。40歳の今だから強く響いたのだと思う。生きよう。もっともっと。
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全体として、生と死や自己存在の証明について究極を求め、43歳前後で亡くなった冒険者たちの事例と著者の実体験を比較しながら考察した本だと感じた。中年になるまで何となく生きてきた私には共感しづらい内容も多かったが、著者の考え方には興味を引かれる点がいくつかあった。特に、取材作家を辞めた場面で語られる、言葉や文章の本質的な理解や、経験を通して内面と外界が有機的に結び付くというあたり。また、後半では50代以降をどう生きるかについても触れられており、読み進めるうちに少し気持ちが楽になった。
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**1. 『43歳頂点論』から導き出された核心**
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角幡氏の思想を、人生の「固有性」と「身体性」という観点でまとめると以下のようになります。
**◆「予定調和」への反逆と偶然の肯定**
・脱・ライフモデル信仰
良い大学・企業という既定のレール(累計)を歩むことは、未来が予測できてしまう「死んだ人生」に等しい。
・偶然という超越性
人生を動かす真の衝動は、計画外の「偶然の出会いや出来事」から生まれる。この「ズレ」こそが、その人の人生の固有度(オリジナリティ)を決める。
**◆ 30代という「黄金期」の定義**
・肉体×経験のクロスオーバー
20代で増やした選択肢を土台に、「俺はこれでいく」と腹を決めるのが30代。
・終わりなき膨張
自分が成長すれば、対象(山)もさらに大きく立ちふさがる。常に「内側の膨張」を「外側の膨張」へぶつけ続ける運動こそが生きることである。
**◆「純粋経験」としての生と死**
・成功ではなく生還
登山家が求めるのは「達成」という記号ではなく、死の淵から全エネルギーを使い果たして戻ってくるという「生の純粋経験」である。
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**2. ご自身の思考の整理と展望**
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本書の理論を、ご自身の「山」での実感や「仕事・人生」への価値観に接続した部分の整理です。
**◆ 山で味わう「生の実感」**
・コントロール不能への没入
都心の便利な生活では味わえない「自然への降伏」と「死の気配」。
・自己の相対化
圧倒的な絶景の中で、自分の悩みや存在が自然の一部として小さく溶けていく感覚。これこそが、日常では得られない強烈な「生きている実感」に繋がっている。
**◆「挑戦」の定義:慣れは衰退、余白は次への種**
・現状維持への危機感
成功や安定に居座ることは、人間としての面白さを失わせる。
・固有の価値観の形成
恐怖や面倒くささを超えて挑戦し続けることでしか、自分だけの「絶対的な価値観」は育たない。
・面白く生きる、面白く語る
常に「自分を面白がれる自分」でありたいという強い意志。
**◆ 未来への放り出しと仕事への昇華**
・内発的動機×偶然
「これがやりたい」という衝動は、過去の経験と偶然の掛け合わせで、未来へ突如として放り出されるもの。
・感動の循環
自分が挑戦して得た「震えるような感動」を誰かに届ける。それを仕事にできれば、これ以上の喜びはない。
・結論
その「偶然」を捕まえるために、常に動き続け、挑戦を受け入れる環境に身を置き続けなければならない。
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**考察を受けて**
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お話を伺っていると、角幡氏の言う「30代の黄金期」の真っ只中で、ご自身の肉体的な充実と、山や仕事を通じた経験値がまさに「爆発的に広がっている」状態にあるのだと感じます。
「過去は未来の行動によって書き換えられる」という考え方は、これまで積み上げてきた山行やキャリアの全てが、これからの挑戦次第で「あの時あそこに登ったから、今のこの最高の瞬間がある」という必然に変わっていくことを示唆していますね。
ご自身の「内側から湧き上がる衝動」を、次のどのような「大きな山」へとぶつけていくイメージを持たれていますか?
Posted by ブクログ
エゴがすごい。そして探検という民間から離れた世界を論拠するので尚更分かりにくい、、と思ったら本質的には生と死の話から派生しているから不易性があるし、更には現代社会へのアプローチもあり普遍性もある。ものすごく共感したし、勇気をもらった感覚もある。現代の全中年が読むべき、くらいに面白かった。
個人的には自分には遅れてきたリビドー、権力意志より強い想いもあると再確認した。
そして何者にもなっていない感覚と、なりかけている可能性も感じた。それも本書に出てくる幾つかのグラフが分かりやすく説得力があったから。
あと、内容を遠ざけない文章の読みやすさも秀逸。
Posted by ブクログ
冒険家とは縁遠いと思っていたが、抽象的には誰しも共通項がある加齢論を具体的な経験を通じて理解できた。
私はまだ32歳だが、40-50代になるとそういう感じなのかと先取り感とともになんか楽しみな気持ちになれた。とにかくポジティブに年齢を重ねていきたいと思う。
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43歳と言う運命の歳。
“その年になったら、いったん休んで次の年から再開する。と考えても、結局その時を迎えると焦りがあり、逃げては駄目だという気持ちになって挑んでしまう。”
・・植村直己も、そして平出和也氏も。
登山家の限界論から、三島由紀夫・開高健にも話が展開して行き、それらの書籍も読破しなくてはと思わされる。
登山関連本として手にしたが、これはキャリア論として内省しながら読み終えたのでした。
Posted by ブクログ
2026年初めの読書として最適だった。
自分は冒険家ではなく、体力などの点からいって、43歳が頂点かどうかは分からないが、20代、30代、40代、そしてそれ以降と、積み重ねた経験とフィジカルが合致しなくなることは、今年45歳になる自分にはすごく共感。
そして、自分自身がここ数年、なんかつまんないなぁと思ってた理由も見えてきた気がする。
今年、大きな挑戦をする自分にとって、とても勇気を与えてくれる一冊だった。
Posted by ブクログ
以前、登山家や冒険家にとって43歳が頂点だと著者が書いていたのを目にした。本書にも出てくるが名だたる登山家や冒険家が43歳で亡くなっているという事実がある。それを根拠に43歳が頂点であるという。本書はそれに加え、自身の経験から43歳頂点論を語っている。
年を重ねることによって経験や知識が増える、しかし一方で肉体は衰える。知識と経験、そして肉体のピークが43歳だという。登山家や冒険家たちは、経験を積むことにより発想のスケールが巨大化する。その頃には肉体は衰えており、その発想とのミスマッチによって、目標を達成できず散ったのだという。
登山家や冒険家がなぜ危険な行為に魅了されるのか、疑問であったが本書を読んで分かった。それは生を実感することなのだという。死の淵に近づくことで、生を感じられるのだという。ただ、著者によるとそれは若い時の話であるようだ。純粋な若い冒険家が生きるか死ぬかという極限の体験を渇望しているということに切なくなった。けれど、本気で生きているとはこういうことなのかもしれないと思った。
43歳頂点論の43歳という年齢は、あくまで登山家や冒険家についての話である。しかし、私たちにも通じるものがある。著者と年が近いこともあり、共感する部分が多かった。
50歳を目前にすると、新たな挑戦をするか、今持っている知識や経験をさらに深めるかという選択で悩むというのはよくわかる。新たな挑戦をしたところで、それは中途半端に終わってしまうのではないかと考えるのである。
けれど、私はそうは思わない。私自身、新たな挑戦をし始めたところだが、今まで積み上げてきた別の知識も並行して磨いていこうと思っている。もちろん何をするかとか、どの程度極めたいのかにもよるだろうけれど、とにかくやりたいことをやればいいのだと思う。著者が言うように、経験を重ねることによる感性の鈍磨。それを防ぐために、時々思い切って新たな挑戦をする方が、私自身は成長できると感じている。生きることは成長することだとの著者の言葉には激しく同意である。私は、人は成長すべきであり、成長しないことは罪ですらあると思っている。私自身は、まだ肉体の衰えを感じていないので、頂点はまだまだ先だと考えている。著者と同じでこれから先の人生が楽しみだ。
Posted by ブクログ
43歳を頂点に、死にギリギリ近づいた時に得られる生の実感から、大地との調和への移行。
論文を読んでいるような感覚。先に主題が明確に掲げられて、なぜならば、、と43歳で亡くなった登山家や、作家を例にとって説得していく。納得できるところ?新しい知識が刺激的な箇所もあるが、個人の主張を一般論に落とし込んでいくだけに、無理がある、そうかなぁ?と思ってしまう箇所も多い。著者の自己肯定を聞いている気がしてしまう。動機の得方やYouTubeで話されているのを聞くと、わかるわかると思うところも多いんだけど、理屈っぽすぎるのか書いたものはちょっと苦手。
結局もう著者は降りてしまっているんだろうな、という気がした。極地旅行もあくまで日本に家があって、家族がいて、、の話だもの。頂点、到達、完成、というこだわりがやたら強いのは私にはない感覚だな
2026.5.23
Posted by ブクログ
43歳が頂点である、という考えを持つことで、過去の経験から得た知識や人脈、偶然の数々を現時点で整理することとなり、今の自分の存在や身につけた力や知識、考え方などを捉え直し、これからの自分をイメージすることが必要だということを改めて感じた。著者と同じ年齢だからかもしれないが、最近ことにそんなことを考えることが増えたところでの本書との出会いだったので、読みながら自分自身のことを考える、ということを繰り返す場面が多かった。20代、30代の人が読んでももしかしたらピンとこないかもしれないけど、少し想像力を持って読むことで、未来の自分をイメージする手助けになるかもしれないなと思った次第。同世代にはぜひ読んでほしい作品です。
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50歳の著者による独断と偏見の年齢論
自分が今42なので言いたいことはよくわかる。
瞬発系の能力に衰えは感じるが持久系はまだあまり劣化していないというのが自分自身についての印象
それは20 30代に抱いていた40代よりも実際なるとまだかなり元気ということが想定外だった。
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私自身も登山をすることは好きだが、命の危険を冒してまで登山をする気持ちは理解出来なかった。この本を読んでその気持ちは一生理解することは出来ないし、理解する必要もないと感じた。結局みんな自分の好きを突き詰めた先に理由などないし、どうでもいい。
タイトルで期待していたものとは違った形で登山家の気持ちを知れたいい出会いの本だった。
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オトラジシリーズ。そして初の角幡さん。
タイトルから激刺さる。
経験がもたらす一番の負の側面は刺激を感じなくなることというワードが胸に響いた。
膨張期(20~30代)は、自分が何者か証明したいという気持ち。自分も抱いていたなと頷くことばかりだった。
自分もどこかのタイミングで「ガクッ」とくる日が訪れる。
その時の支えにしたいと思った一冊。
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50代を迎えるのが至極楽しみになりました。(35歳男性)
本書では偶然を「世界でその人のみに固有の出来事」と定義してますが、偶然の積み重ねによる「ズレ」の集積が人生の固有度を形成するということに深く共感しました。
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2026年1冊目、43歳の現在読むことができた事は幸か不幸か分からないが、共感できる事は非常に多かった、もやもや考えていた事が明文化された事も良かった。
40代に突入し、人生に対する考え方は変わるし、それを肯定か諦めか、よく分からないが後ろ向きに捉える事は無くなってきた。
加齢に対する、恐怖・嫌悪感みたいなものは昔ほど無くなってきた。
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自分は新型コロナワクチンで後遺症になったのが42歳の頃だから、本書でいうところの43歳が頂点というのとは少し趣旨が違うのだが、結果的にそれに近い状況であることに間違いはない。
またそのような後遺症があるかないかに関わらず、何かに思い悩んだり迷ったり後悔したりすることがほぼなくなった。もともと自分の思うがままに生きてきたのでそれは以前からそうだったといえばそうだったのだが、やはり10代、20代前半くらいまでは何かにならなくてはいけない、という思いに駆られていたのは間違いない。あのヒリヒリした生に真正面から向き合う姿勢はなぜあの頃にはあって今はなくなってしまったというか平たいものになってしまったのだろうか。それはある程度何かを成し遂げたという気持ち、安心感からくるものなのかもしれない。
Posted by ブクログ
著者の言う43歳頂点論に初めて接したのは『狩りと漂泊』だった。40代前半で体力と経験のバランスが微妙に齟齬をきたし、冒険家が命を落としてしまうという考察。その時も激しく同意したが、本書はさらにその周辺を深堀りしている。
43歳までの膨張期、43歳の頂点、43歳を過ぎて迎える減退期と、大きく3期に分けて論じているが、どれも面白い。取組んでいるアクティビティや、活動レベル、本業の有無等により、程度の差は大きくなるだろうが、みんな感じてきたことと思う。著者はまた、43歳を過ぎると、今まで考えもしなかった引退後の生活を考えるようになったことも43歳を頂点と考える要因雄一つに挙げている。家庭を持ったことも大きく関わっていることだろう。
最終的に50代を可能性に満ちたものと締めくくっておられるが、実はここにもう一つ視点が持込まれることになる。それは親の老いだ。著者の家族構成を知らないが、一般的に50代に入ると親は80代に入り、認知症があらわれはじめる。介護への関わりの濃淡にもよるが、親の認知能力が落ちていく様子を見ると、自身の将来設計に影響を与えるのは必至だ。
これからも著者の冒険行、作品を継続して読んでいくことになると思うが、一回り年下の著者がどのように50代を生きるのか、また、人生を切り開くのか興味は尽きない。
Posted by ブクログ
やりたいことがある、が肉体が想像より衰えてくる。そんなときに無理してしまって死にぐっと近くなる43才。
植村直己、ハセツネ、谷口けい、平出さん&中島さん…、後半には三島由紀夫、星野道夫も登場します。
自分の美意識、探究の心を任せ、無理をする日々。しかし年齢とともに体は変化していく。だんだんと「〇〇しなきゃ!」という気持ちについていけなくなる。
怪我や不安な予感で、あらかじめ迫る危険を知らせてくれたりする。自分にしか感じ取れない体の声を聞いてあげたい。年とともに、心の暴走を抑え気味にし、身体の声を優先させてあげてもいいと思うのだ。
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・『空白の五マイル』『極夜行』の極地探検家による、「探検家としてのピークは体力x経験の掛け算が最大化する43歳にある」「体力の衰えx経験による発想の拡張というギャップにより苦しむ」という主張
・元GSの田中渓さんが勧めていたので購入
・なぜ中途半端な43歳か、というと、43歳で命を落とす著名な冒険家が多いこと&体力/経験のバランス変化を筆者自身が痛感したことによる
・冒険家は、成長して完成を目指そうとする「権力意思」を追い求め、その達成に近付けば近付くほどより危険な冒険を求め、死に近くなっていく(死の余白)
・人は誰しも「何者かになりたい」「人と違う人生を生きたい」と思うものだが、そのオリジナリティは究極的には、自身の経験の蓄積から生じる偶然性(『生の履歴におしたがい自動発展する個別運動』)
・開高健も三島由紀夫も若いころの経験を超える権力意思を求めるが、「頂点」を迎えた後の生き方(折り合いの付け方?)として、夫々、死の余白を希釈させる釣りを選び、一方は自死に行き着いた
・なかなかインパクトのある人生の見方だけど、個人的には染み入った
・ミドルエイジクライシスとも通じるものがあると思うし、偶然性の積み上げにより今の自分がある、というのも本当にその通りだと思う
・自分は極地探検家ではないので、死の余白まで感じて過ごすことはないが、体力x経験のバランスは確かにいつでも存在するし、偶然性を感じることもある(自覚していないものあるだろう)
・思い返せば、偶然性による変化には必ず意思決定が絡んでいた様に思うし、大抵は「良かった!」と思えている。肉体x経験のバランスは頭の片隅に入れつつ、偶然性には今後も積極的に向き合いたい
(でもしかし彼の家族は本当に大変だわ、、)
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冒険家を生業とする著者の独断と偏見による、人生の頂点を論じています
もっと勢いで書かれた内容を想像してたのですが、冒険というリアルな経験に即してロジカルに様々な冒険家の内面を読み解いていきます
43歳を頂点と断じておられますが、決してその先を悲観するのではなく、だからこそ50代、60代に明るい展望が描けるという内容に、励まされます
特に冒険には関係ないという、普通の人にも刺さる内容だと思います
紹介されてる本がどれも面白そうで楽しみです
Posted by ブクログ
当方アラフィフで、その年齢ゆえに考えることが増えてきたので手に取った。
ところが正直に言って期待外れ。
前半は自分が冒険する言い訳が延々と続く。おまけにその理由が「死ぬぎりぎりの状態で生を感じたい」そうだ。個人の価値観なので他人がとやかく言う筋合いではないが、まったくもってこれっぽちも共感できない。
そもそも生物は皆必死に生きている。ミミズだってオケラだってアメンボだって「生き抜いてやろう」という気合に満ちている。産卵のために遡上する鮭だって、あえて死に向かっているとは思えない。寿命を全うしているのだ。
一方で自分から死に向かう生物は一部の人間だけ。脳が発達しすぎてバグっているのだ。生物として間違っていると思う。
なので前半は不愉快だった。
ところが後半に入って、これは学びがあるぞ、という部分が次々に登場してきた。
・未踏峰での失敗がなければカールン・コーの登頂はなかった。つまり現在の行動は過去を変えられる
・過去の履歴から導かれた思いつきは、実行しないと大きな後悔を生む。だから平出さんはK2に挑んだ
・43歳になると、ただ前進するだけの旅はつらくなる。到達は自己存在証明と同義だから。43歳になると途中の計画変更が楽しくなる。たとえば狩りや釣り
・プロの書き手に一番必要なのはテクニックではなく、書きたくてたまらない込み上げて来る何かだ
・もし神が「お前の心と身体を二十代に戻してやろうと囁かれても断る。その年代にやるべきことはやり終えた。今は今のやりたいことがある
後半の内容で1冊書いてくれたら星5になったかもしれない。
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マッチョな生き様に尊敬の念を捧げつつ。私にはストイック過ぎる価値観に、正直距離を取りながら読んでしまった。生に対して貧弱。と言われればそうなのかもしれない。
そうした客席からの視点でも「荒地」(死を想起する時間や空間)や、「到達系行動」・「漂泊系行動」の価値観は、なるほど鋭い言語化だと感じた。ビジネスの世界でも強者は心に荒地を宿している。
個人的にもサーフィンで波に巻かれて初めて浮上できない体験をした、あの時のことを思い出した。思い返せばたったの7秒間であったが。恐怖と妙な落ち着きが混在したあの感覚は、何かの入り口だったのかもしれない。
Posted by ブクログ
以前の浅い脱システム論がなくなったのはよいが、それに代わる何かがあるわけではない。タイトル以上の内容はない。やはりこの人は冒険しないと面白い文章にならないんだと思った。ユーモアのつもりの文章が退屈。冒険日記のときはよいアクセントに思えるのだが。
平出和也について正面から書いているのは良かった。
Posted by ブクログ
すでにかなり前に43歳を通り過ぎた普通の人がどれぐらい共感できるのか、と、思いつつ読んだ。過去の著作でも断片的に書かれていたことを一つの主題で整理した本。
Posted by ブクログ
極地探検家の著者が「人間としての頂点は43歳」という理論を考察する1冊。
以前から著者の本を読みたいと思っていたが未読で、動画で三宅香帆さんがおススメしているのを見て手に取った1冊。
20代から40代後半まで年代別に冒険家の思考・身体・経験面から考察しており、
命を懸けて冒険に挑む人たちがどう考え行動に至っているのかよくわかった。
具体的な行為は無意味で非合理的、でも個人にとっては絶対的な価値観、という逃れられないもの。
さらに、「”生”を感じること」を濃くしようとするほど、「死」に近づいていくという一見矛盾のような必然に、生きるとは何か?を考えさせられる。
自分自身には、死というリスクが高くてもやらずにはいられないことはないので、うらやましい部分もある。
選択する言葉が鋭く真髄をついていると感じるのは、極地探検や狩猟など「死」を身近にしているからなのだろうか。
著者の他の作品も読んでみたい。
Posted by ブクログ
ちょうど今年43歳を迎えること、これまで通りの延長線で働くわけにもいかないと感じていたところだったので気になって読みました。
偶然の積み重ねでその人の固有度を高めるというのは、なるほどと感じた。不惑の境地に自分は達せておらず日々ヤキモキすることも多いが、ピークからの山下りを楽しめれば力も抜けて50代を楽しみにできるのだろうかと勇気をもらえる気がした。
Posted by ブクログ
肉体的な能力は加齢に伴い右肩下がり、経験的能力は逆に加齢とともに右肩上がりで、その均衡点が43歳で、その時に最もパフォーマンスが出るのではないかという論旨。
全く異論はない。でもちょっとくどい。漂流する思考過程を見せられているようだ。確かに仕事でも年を重ねて役割は変わるし、家族など自分の周辺環境や制約条件は変わる。それはそれで面白いなと自分は思う。たぶん肉体的能力を冒険ほど必要としないので角幡さんのような切迫感がないのかもしれない。絶頂かどうかより、イマココを生きたいなと思う。