あらすじ
こうして私はワイヤーにぶらさがって村にたどり着くことができ、結果、生きのこったわけだが、ここで問題になるのは、私がワイヤーをわたりきり、いわば死の瀬戸際から脱出したときに何を思ったのかだ。
私はこんなことを考えた。
もしワイヤーではなく、川を泳いで生きのこったら、そっちのほうが話は面白くなったんじゃないか?
そしてこんなことを考えている自分にゾッとした。(本文より)
生死の瀬戸際で、もう一人の自分が囁く「もっと面白くしよう」という誘い。書くことは不純だと言いながら、それでも書き続ける冒険家・角幡唯介がたどり着いた、行為する表現者の真髄とは。
【目次】
序 論 探検って社会の役に立ちますか?
第一部 行為と表現
第一章 書くことの不純
第二章 羽生の純粋と栗城の不純
第三章 冒険芸術論
第二部 三島由紀夫の行為論
第四章 届かないものについて
第五章 世界を変えるのは認識か行為か
第六章 実在の精髄
第七章 年齢と永遠の美
あとがき あらためて書くことについて
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Posted by ブクログ
こんなに明瞭に語って大丈夫だろか?と思ったら、後書きで、「こんな本を書いてしまったら、読者は、この人はもう書くことをやめるのだろうか、と受け止めるかもしれない。」と。まんまとそう思ってしまった。
しかもそれがめちゃくちゃわかりやすい。こんな私でも結論へと至る道筋で迷子にならなかった。
自身の冒険と、読書の経験とを混ぜながら、ある種の書評のような部分もあり。
三島由紀夫論は本当に素晴らしかった。めちゃくちゃ腑に落ちた。
内在と関係の話は、先日読んだ最首悟のなぜ障がいのある娘を愛するのか、という話とリンクしており、その解答を披露してくれたかのようで、めちゃくちゃスッキリしたし興奮した。
自と他の境界への深い話もあり、死を憧憬しながら、めちゃくちゃ生きることを肯定していて、その言葉が経験から語られてるから強いのよ。
これだけ語って最後は子どもの写真の年賀状から、表現するとは何かという本質をついてて、なんというか、この人すごいな、と思った。
Posted by ブクログ
加藤典洋、沢木耕太郎、栗城史多、クルティカ、開口健、三島由紀夫らの作品や生き様を引用しつつ、自己の内面と外界との関わりを改めて問い直す。
栗城だけ反面教師になっているがw
冒険や探検に向かう自己の内面から湧き上がる衝動や行動と、それを表現し文章化して他者の反応や収入を得ること。
誰もが発信者なり得るSNS全盛の今、誰もが考える必要のあるテーマだと思う。
Posted by ブクログ
「独りよがりで不気味で得体がしれないからこそ、そこまでやるのか…と人の心胆を寒からしめる力をもつのである。逆にいえば、そもそもそこまで行かないと書く意味がない…。(本文より引用)」自分の行為に社会的な意味を持たせないといけないのか、自分の内なる衝動に身を任せてはいけないのか。そんな問いに答えた著書だったと感じました。
Posted by ブクログ
冒険家角幡による評論
第二部の三島論がなかなか面白い
生の余白について考察
そう言えば金閣寺、読んだ事あったかなぁ?
いずれにしても三島由紀夫は殆ど読んでいないので今度読んでみよう
Posted by ブクログ
彼の脱システム論は凡庸で退屈だったが今回の本は良い。栗城の部分も良いし三島の部分も良い。脱システム論は言い訳じみていて嘘くさいところも嫌いだったのだと今回のあとがきを読んで得心した。これからはエッセイも面白くなりそうで嬉しい