角幡唯介のレビュー一覧
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感動系な探検記を期待していたのだが思い切り裏切られた。でもあとがきで作者も語っているが、作者自身がカオスを伝えたかったということで、そういうことであれば狙い通りなんだろうと思う。なんでこれやろうと思った?いまどんな状況?みたいな部分が大半を占める。とりわけ犬の食糞についてはやたらと生々しい描写で辟易した。でも、極限の中で生を見出す作者の体験を通じて、極限の状況で生きるということは、生物の原初的かつ根源的な活動に久しく、後に太陽に再びまみえた作者の感動には生物が生きることの本質的な意義を垣間見た気がした。とにかく究極に非日常で非常識な愉快な1冊だった。
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角幡さん初めてリハックで拝見して、極夜行読んで、今回43歳頂点論を読んだ。独特の存在感ありますわよねこの方、リハックで「自分の人生に対して、他人の価値観を一切入れたくない、影響されたくない」と言うようなことおっしゃられてて、他人の評価ばかり気にせざるを得ない私44歳サラリーマンは打ちひしがれたのでございました。
知識経験が充実していく一方、体力が低下していき、頭の中の想像と体の動きが一致しなくなってくるって、特にアスリートの方はおっしゃりますよね。
自分の出すパスがイメージからボール1個2個分ズレてきてしまったことを引退の理由に挙げていたのは名波浩。イマジネーションは衰えずとも、体力的な衰えで引退した遠藤保仁も43歳、たまたまかもしれませんがなんとなく示唆的なものがありますね。
トップトップの挑戦はできなくとも、健康でさえあれば50歳を超えても身の丈にあった楽しみができると言うポジティブバイブが著者の現時点のご意見ですが、このあと10年20年とどのような道を歩まられるのか楽しみであります。
私自身で言えば完全に都市生活民なので、オフィス家との往復だけでなく、もっと体験的なものを体験していかなければな、と思いました。ハイキング行きたいけど、行くの大変だし、虫も嫌なんだよなあ。。軟弱。
ペネロペちゃんの本読んでみよう。
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良いタイミングで出会えたなと思う。
私は三十代前半なので、彼曰く所謂衰退期ではないが、それでも昔に比べて自分の天井が見えてくる。
世の中の解像度も徐々に上がり、刺激的な体験は減っていく一方。
自分が何をやりたいのか、それは続けられるほど楽しいのか。日々そんな迷いと共に過ごす日々に閉塞感を感じざるを得なかった。
この本はRehaqで知った本で、経験と体力の最高となる交点が43歳というメッセージに惹かれた。
なるほど、私でも知っているような探検家、作家、著者の話がふんだんに盛り込まれ、先の主張を補完していく。
私にとっては未知の40代だが、どうやら後半を読むと気持ちは少し晴れていく。
自己承認欲求から逃れ、周りの目線から解放され、人間は徐々に自由になるらしい。
体力も健康であれば一定担保される。
もがきながらも一つ一つに向き合っていくしかないのかな。まだまだ楽しく生きたいものだ。 -
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角幡唯介『荒地で生きる「新・冒険論」改訂』ヤマケイ文庫。
角幡唯介による冒険論。本多勝一で始まり、大江健三郎で締めるという構成で、極めて論理的であり、納得出来る内容であった。大江健三郎の『日常生活の冒険』は一度読んでみたいと思った。
早稲田大学で探検部に所属していた角幡唯介はアウトドアスポーツから逸脱したような山登りや川下り、洞窟探検といった様々な経験を経て、三原山火口のマグマを肉眼で見るという『三原山計画』を切っ掛けに、国内外で様々な冒険や旅に挑み続ける。
昔の大学生は、学問を究めるという欲求よりも社会に出るまでのモラトリアム期間を享受するという欲求の方が強かったようにも思う。そんな中でも如何にして他人と違う体験をするかということにエネルギーを注いでいた。従って、冒険者は脱システムすることの意味がよく解る。
現代に於いては冒険がより難しくなっている。地球上には前人未到の空白地帯が無くなり、世界がGPSや衛星電話といったネットワークでカバーされ、冒険には必須であるはずの危険性や独創性といったものを実現することが難しいのだ。
最初に紹介される本多勝一は非常に懐かしい名前だ。本多勝一は冒険を文章にした先駆者の1人であり、昔は本屋の棚に黒い表紙がずらりと並んでいた。本多勝一の説く①危険性、②主体性、という2つのの条件による冒険論は非常にシンプルで冒険の神髄を表している。
角幡唯介は本多勝一の冒険論とパイオニアワーク論をベースにに様々な歴代探検家の記録や哲学書を引き合いに出しながら、独自の冒険論を展開していく。
定価1,320円
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冒険家である二人が、地図にも記されていないミャンマーの密林奥地で“眠る”ことを目的に探検へ挑む紀行エッセイです。
ジャングル特有の湿気や闇、動植物の息遣いがリアルに描かれ、まるで現地にいるような臨場感に引き込まれました。
高野氏の大胆さと角幡氏の慎重さという対照的なスタイルの掛け合いが絶妙で、二人の冒険観の違いが異色な旅に深みを与えていました。
自然の恐怖と美しさを両面から味わえる一方で、ボリュームのある内容だけに、読むには少し覚悟が必要かもしれません。
それでも、見知らぬ世界にまみれて眠るという発想は、日常から解き放たれたい読者の心に強く響く一冊でした。 -
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**1. 『43歳頂点論』から導き出された核心**
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角幡氏の思想を、人生の「固有性」と「身体性」という観点でまとめると以下のようになります。
**◆「予定調和」への反逆と偶然の肯定**
・脱・ライフモデル信仰
良い大学・企業という既定のレール(累計)を歩むことは、未来が予測できてしまう「死んだ人生」に等しい。
・偶然という超越性
人生を動かす真の衝動は、計画外の「偶然の出会いや出来事」から生まれる。この「ズレ」こそが、その人の人生の固有度(オリジナリティ)を決める。
**◆ 30代という「黄金期」の定義**
・肉体×経験のクロスオーバー
20代で増やした選択肢を土台に、「俺はこれでいく」と腹を決めるのが30代。
・終わりなき膨張
自分が成長すれば、対象(山)もさらに大きく立ちふさがる。常に「内側の膨張」を「外側の膨張」へぶつけ続ける運動こそが生きることである。
**◆「純粋経験」としての生と死**
・成功ではなく生還
登山家が求めるのは「達成」という記号ではなく、死の淵から全エネルギーを使い果たして戻ってくるという「生の純粋経験」である。
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**2. ご自身の思考の整理と展望**
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本書の理論を、ご自身の「山」での実感や「仕事・人生」への価値観に接続した部分の整理です。
**◆ 山で味わう「生の実感」**
・コントロール不能への没入
都心の便利な生活では味わえない「自然への降伏」と「死の気配」。
・自己の相対化
圧倒的な絶景の中で、自分の悩みや存在が自然の一部として小さく溶けていく感覚。これこそが、日常では得られない強烈な「生きている実感」に繋がっている。
**◆「挑戦」の定義:慣れは衰退、余白は次への種**
・現状維持への危機感
成功や安定に居座ることは、人間としての面白さを失わせる。
・固有の価値観の形成
恐怖や面倒くささを超えて挑戦し続けることでしか、自分だけの「絶対的な価値観」は育たない。
・面白く生きる、面白く語る
常に「自分を面白がれる自分」でありたいという強い意志。
**◆ 未来への放り出しと仕事への昇華**
・内発的動機×偶然
「これがやりたい」という衝動は、過去の経験と偶然の掛け合わせで、未来へ突如として放り出されるもの。
・感動の循環
自分が挑戦して得た「震えるような感動」を誰かに届ける。それを仕事にできれば、これ以上の喜びはない。
・結論
その「偶然」を捕まえるために、常に動き続け、挑戦を受け入れる環境に身を置き続けなければならない。
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**考察を受けて**
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お話を伺っていると、角幡氏の言う「30代の黄金期」の真っ只中で、ご自身の肉体的な充実と、山や仕事を通じた経験値がまさに「爆発的に広がっている」状態にあるのだと感じます。
「過去は未来の行動によって書き換えられる」という考え方は、これまで積み上げてきた山行やキャリアの全てが、これからの挑戦次第で「あの時あそこに登ったから、今のこの最高の瞬間がある」という必然に変わっていくことを示唆していますね。
ご自身の「内側から湧き上がる衝動」を、次のどのような「大きな山」へとぶつけていくイメージを持たれていますか? -
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衝撃的。
フィンランドに住んでいるので、日が出ないことの鬱々とした気持ちはものすごくわかる。(冬でも4、5時間、日は出ますが)
自分は十年ほど前、学生の頃にインドへバックパッカーとして訪れた。目的地だけを決め、行き方は事前にはろくに調べずに行った。悪い人の車に乗せられたり、ぼったくられたり、無駄足を踏んだりと苦労したが、充実感を感じたのを覚えている。
自分の経験とは比べものにならないが、この本の、極夜での旅を通じた現代の便利なシステムの外に出ること、ヒトとしての原体験を得ることは、まさに自分がハタチの頃に欲していた根源的な欲求、そして自分のインド旅はそれが表出したものだったのだと、何年も経ってから気付かされた。 -
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ネタバレ極夜のグリーンランドを犬とともに旅する過程が、筆者の生々しい言葉で克明に記されている。トラブル続きで太陽も出ず、絶望に囲まれたような旅路だが、軽快でウィットに富んだ言い回しと、筆者なりの冒険、そして今回のテーマである太陽と月、光と闇などについての考察などは興味深く、文量は多かったが、夢中で読んでしまった。おそらく旅の間に書き留めたものをベースにしているだろうが、同じ旅の中でも、完全なる極夜の中で半分鬱?のような状態のときと、太陽の気配を感じて終わりが見えて来たときのメンタルの差が、筆のタッチの違いなどでも出て来ているのがリアルだった。前日譚もあるので、楽しみにしたい。
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冒険家×ノンフィクション作家が書くこと、生きることの意味を問うこと。
私は山が好きだが登山ではなく歩山で、主に平地では見られない山の花々を見るのに歩いてきた。今は平地を徘徊するようになってしまったが。
最近渓谷探検を見てこれが冒険家なのかと実感した、驚異的なテレビ番組だった。
角幡さんは素晴らしい書き手だと感銘を受けた。知らなかったが登山家でもあり山から下りれば作家になってノンフィクション賞を数々受けている人だった。
少し前になるが、映画の「エヴェレスト」を見た、これは組織的に役割分担をしたチーム登山が描かれていて今はこんな形なのかと驚いた、全員が下山できなかった実話をもとにしていたそうで、山は美しくて恐ろしい、冒険家は何を考えているのか、そんな疑問を持っていた。
そんな時、不意に現れたようなこの書籍「書くことの不純」を読んだ。
書く事の「不純」という部分を読みたいと思っていたら幸運にもこの本が見つかった、こんなことが不思議に多い。
よい本は無数にあるその一つだった。
若い女性記者からインタビューを受けた話から始まる。
「探検って社会の役に立ちますか?」質問の前で絶句した。
これが序論で、考えた後見つけた答えは、探検は外圧から自己を守る方法の一つであるということ。
私なりにざっくりはっきり言えば、外野から表面的にとやかく言われることではない、ということかも。
外の論理と自己の生き方はズレるのが当然。社会の役に立っているという外圧の論理にひとこと。
「外圧」に対して「内在」という考察も面白い。「内在」する部分も外部の変化につれて変容していく。思えばそこにあった昭和が懐かしの昭和になり時と共に変容したように。
行為は、本来は<内在>から発動するものだ。経験によっておのずと生じる。これをやりたいという思いにしたがっておこなわれれば、その行為は生きることと一致し、おのれの生の瞬間にふれることができる。だから<内在>にしたがって生きることが<よりよく生きる>ための唯一の途だ。よりよく生きるとは、社会道徳や公益性からみた<よりよく>ではなく、信念をもって自分固有の生を生きるという意味での<よりよく>である
自分の<内在>に照らして読む。世界は随分違うけれど共感する部分が多かった。冒険家と主婦の世界はどこに接点があるのかと可笑しくなるが、やはり一人の人生の歩む道は方向が違っても決断を迫られることもあれば、計画して実行する、見通しを立てることもいる。それが冒険することであっても、夕食の献立を考えることであっても。いや私の世界は狭いけれど。
こう書いてある。冒険(探検)の旅が終わると次の旅を思いつく、やらなかった人生には悔いが残る、やらなかった人生があるなら悔いる、生きた軌跡は実行したこと、決断したこと<内在>する力で生きること。と、大自然の未知に分け入る大きな目標を実行した人が書いているが、例えば家庭料理を作ることもなにかを育ててみるということも生きた証というものかもしれない。山は頂に立つことで一つの目標をほとんど完結させることができるようなものだが、人の内在するものを極めることは多様な<内在>を一つずつ明らかにして極める生き方もおもしろい。こうした本に出合える読書好きも生きることのほんの少しのショートカット法かもしれないと手前味噌だが。
長く書いたがこれはホンの序章で本題に入っていく。
読書家の角幡さんが影響を受けたという夢枕獏さんの「神々の山嶺」からの発想も印象的。
エヴェレスト山頂を前に姿を消した羽生という登山家の話だが、同じように「デス・ゾーン」では世界の名だたる山をいくつも制覇し、エヴェレストの難しい壁にとりついて滑落死した栗津史多さんのこと。劇場型と言ってもやはり人生の重たさと命がけの冒険に命を賭けた哀しみが残る。
アーティストや探検家は行動を起こすことで人々の社会通念を揺さぶる。
第三章の「冒険家芸術論」もある。
(音楽・文学・絵画等本筋的芸術分野と残らない行為である冒険や登山についての考察)
角幡さんは43歳で能力の下り坂(衰えかも)を自覚する。これらの章は特に身に染みた。
これから先のまだある空白の時間をどう埋めるか。三島由紀夫論はなるほど、彼は空白を一気に埋めた生き方をしたのか。開高健はベトナム以後の空白を釣りで埋めた。
「金閣寺」の登場人物に反映する三島由紀夫の思索の足跡も興味深く得心する。
「死の余白」という言葉をしみじみと考えた。
余白が残りわずかになった時、大脳にとりついた菌やほこりはどのくらい積もっているか、その頃どんな姿で生きているか、消滅する前が大いに気になってくる。
「はみだし理論」も興味深い<純粋さは無意味である>と。
この章もいい。私は一途さは他にとっては無意味ではないだろうかと思っているが、それこそ狭い考えかも知れず、無意味だと見る側こそ多少の盲目性に捕らわれているのではないなど斜めに考えるときもある。
あまり面白かったので長くなった、また余白途中で読み返すのも楽しみになる。 -
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エゴがすごい。そして探検という民間から離れた世界を論拠するので尚更分かりにくい、、と思ったら本質的には生と死の話から派生しているから不易性があるし、更には現代社会へのアプローチもあり普遍性もある。ものすごく共感したし、勇気をもらった感覚もある。現代の全中年が読むべき、くらいに面白かった。
個人的には自分には遅れてきたリビドー、権力意志より強い想いもあると再確認した。
そして何者にもなっていない感覚と、なりかけている可能性も感じた。それも本書に出てくる幾つかのグラフが分かりやすく説得力があったから。
あと、内容を遠ざけない文章の読みやすさも秀逸。 -
Posted by ブクログ
極夜行本番に至るまでの準備期間の記録。
準備期間か、それって面白いのかなと思ったが「極夜行」が面白かったので読んでみた。結果、これを読んでこそ、極夜行を最大限楽しめると思った。
角幡さんの探検は、現代システムを脱出して、できるだけ自分の手で準備して本番を遂行することが一つ大きなテーマに感じた。
ソリを引いての探検になるため、食料や燃料の全てを一度に運ぶことはできず、旅程のポイントに事前に配置することになる。
それすらも徒歩やカヤックを駆使して自分の手で運ぶ。極夜の時期ではないにしても、やはり極北地域の行程には予想もできない自然の猛威がある。
本番さながらにハラハラドキドキの探検記録となっており、極夜行を読むならこちらも絶対に読んだ方がいい。