角幡唯介のレビュー一覧
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チベット自治区の北東部に世界最大級の峡谷があるという。そのツアンポー峡谷は、ヒマラヤを源流とする大河の激流に削られて何度も湾曲し、ついには峡谷のどこかで忽然と消えてしまうのだという。河の上流と下流の標高差を考えると、どこかに未発見の巨大な滝があるとの伝説もある。大河が山中で消えてしまうなんてことがあるのか?
21世紀の現代では航空写真や3Dマップのおかげで未踏未開の地はほとんどなさそうだが、峡谷の影になる部分は航空写真では分からず、空白の「5マイル」と呼ばれるエリアが依然として存在していた。
そういった探検の事前説明が丁寧にされているので、なぜ筆者がこのエリアを目指したのか理由の一端がわかる構成になっている。
読んでみると、想定していた環境といろいろ違う。
ヒマラヤの近くでの探検だから夏の暖かい時期の探検かと思ったら、冬なのだという。ヘビやヒルを避けるためだとか。
雪山を越えるのかと思うとヤブ越えだったりする。
正式な政府許可無しでの探検ということで、探検と同じレベルで警察や当局の障害がある。
探検の意義は何か、この本で何を訴えたかったのか、それは筆者自身にも容易に考えを整理できるものではないらしく、淡々と探検の記録が綴られていて、それがリアルに感じる。
もともとは一冊の探検本からの憧れが出発点だったということで、純粋な冒険心や好奇心から来る探検だったのだろう。
マネしたいとは思わないけど、読んでいるだけで自分も冒険しているような気持ちになれた一冊だった。
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知らない世界を知れる本 海で2度の遭難をして行方不明となってしまった人物を追いかけるなかで、漁師とそれを取り巻く人の生き方、人生観に触れられる本
自分と全然違う価値観を垣間見ることができてとても面白かった
漂流からの生還劇と思って読むと全然違うので、期待はずれとなる人もいるかもしれない。自分も途中までは肩透かしを食らったような印象だったが、ページをめくっていくと止まらなくなった
角幡唯介の冒険譚はとてもファンだったが、緻密な取材を繰り返しまとめあげた力作
読後の余韻も、少し寂しいが心地いい
あとがきで佐良浜の人が本を喜んでくれたと書いてあったのは、なんだか僕も嬉しくなった
いつか佐良浜に行ってみたい。宮古島に行くことがあったら立ち寄ろう
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現在2023年4月末。先日、まもなく新型コロナが5類になることが正式決定されたとニュースで流れた。
この本に掲載されているインタビューや手記は2020年。コロナ禍がいよいよ始まり、おそらく世界中の誰もが、今まで非日常と思ってきたことを日常的なものとしなくてはならないという不安に覆われはじめてきた、そんな時期の発言だ。そのような意味では、更に数年後、コロナ禍を振り返るための格好の史料となりうると思った。
この本の中で多くの識者たちが言及していたと思うが、人間にとって一番厄介なのは、人間の心の中に生じる差別、偏見、批判なのだ。どのような状況下にあっても生じるこの心の動きに、私たちはどのように打ち勝っていけばいいのだろうか? -
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ネタバレ【家の中で一日中過ごす憂鬱】という謎のテーマで本を探して手にしたら真逆の内容だった『探検家の憂鬱』(角幡唯介)。
行きたい場所があったのに台風接近による暴雨で行けなくなったのでこの本を読んで夜更かししました。クソゥ…
そしたらなかなか面白い本に当たってしまった。
そして以下6点についていろいろ考えてました。
❶【《〈フィクション〉or〈ノンフィクション〉という2つの立ち位置》の先にある旅のあり方】
→面白くしようとするとそれは〈ヤラセ〉になり、すぐに後者から前者になる。
〈情報を受け取る側〉からするとヤラセはすぐに気づく場合が多いだろうけど、〈情報を提供する側〉となると表現するのは難しそうだというのは何となくわかる。
そしてあと気になるのは《〈成功〉によるノンフィクション〉と《〈失敗〉によるノンフィクション》。
本の中では
「シンプソンはなぜ遭難をしなければ、面白い作品を書けなかったのだろうか。成功した登山は、なぜスリリングな物語になりにくいのだろう」
…という著者の疑問が書かれてました。
❷【現代の〈冒険〉】
→令和の時代において〈冒険〉が残されているのはもはや〈宇宙〉しかないんじゃないかと思ってしまうなー。
ただ、〈世間が認める冒険〉と〈個人or少数グループが認める冒険〉って違うような気もする。
……自分が何を良しとするかによるのかしら。
それを突き詰めたら【まだ達成されていない大きな記録がいくつか残された特殊な世界のパイオニア】になれちゃったりすんのかしら。
❸【生と死】
→「本当の生は自然の中にしか存在しない」というのは生意気ながら何となくわかる。
❹【経験談のわかりやすさ】
→この本の中で著者が3回表層雪崩に遭ってしまった事が書かれているのですが、
登山の教科書的な本よりすごくリアルでイメージしやすかった。
以下抜粋。
◆ベルトコンベアーに乗っかった自動車部品のよう
◆規模の大きな表層雪崩に遭ったらどのような目に遭うかを知りたければ、コインランドリーに行ってドラム式乾燥機でも回してみるといい。私の体は乾燥機の中の衣類みたいに、自分の意思とは無関係にゴロンゴロンと回転し、落下する雪に弄ばれた。
◆右手が外に出ている!この時の喜びは、おそらく雪崩に埋まって手が外に出たことがある人にしか分からないだろう。自分が死ななくて済んだと分かったのだ。
❺【冒険や登山の意味】
→「冒険や登山というのは、(中略)危険な環境や状況の中に自ら進んで身体を放り込むことによって、外の世界と自分との距離や、世界における自分の位置を把握するための活動」
「自然の中に身を沈めることで感慨を得る、極めて個人的で内省的な行為」。
これも生意気ながら何となくわかる。
❻【課題ありorなしの2つの苦】
→ 「困難な課題を達成すればするほど計画の危険度は増してゆき、それに挑戦しなければ精神的な充足が得られない。一種の依存症のようないびつな精神構造は冒険家の業のようなものだ。」とこの本の中にはあって…
じゃあ、「課題がある苦と、なくて〈自分何やったらいいんだろう〉と過ごす苦、どっちがいいですか?」と問われたとしたら…
なかなか深い問題だなって思っちゃった。
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…と眠れなくなった2時〜3時にアレコレ考えて、
次起きた時には9時半になってて、
昨日ボルダリングをやったがために起きた腹筋筋肉痛に今耐えてます。イタイ…。
もう当初のテーマどうでもいいわ。 -
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分厚い労作だが、一気に読み終える。さすがの構成&筆力だった。
以下、雑感。
一時期、沿岸部に暮らしたことがある。そこでよく聞いたのは「浜っ子だからね」というセリフ。良い意味でも、悪い意味でも使われていた。よく言えば豪放磊落、悪く言えば無鉄砲で無軌道(当地の言葉だと、荒い、とか、きかない、とか)喧嘩っ早いけど忘れるのも早くて、利に聡いかと思えば情に厚い。そういう人のことを言っていた。この作品にはそういう人がたくさん出てくる。というか、九割方、そういう人たち。角幡さんはその中でも、2回の漂流を経験した沖縄の漁師を通じて「海」を描こうとしたんだという。何と大胆な。描きたかったのは漁民じゃなくて海だったのね!ごめんなさい、あとがき読むまで気づけませんでした…
足掛け3年(かな?)に及ぶ、国を跨いだ聞き取り&体験を通じて、海に生きる人たちは「民族」と言ってよいほどの、それ以外の人とは隔絶した感性を持って生きていると角幡さんは結論づけたようだ。けれど、むしろそれは角幡さん自身、もうすでに『雪男は向こうからやってきた』で気づいていたんじゃ無いのかな?一線を踏み越えた経験をした人は、そこから帰ってこられない。海であれ、山であれ、街であれ。異界の異界たる相貌を知った人は、ヨモツヘグリを食べたのと同じ。もう、常世の人なんじゃないだろうか。何だか青木繁の「海の幸」をしきりに思い出しながら、本を読み終えた。
私たちは、一部の人やレジャーとしてのそれを除き、山から恵みを持ち帰ることをやめてしまったけれど、海の恵みと切り離されて生きることにはまだ成功していない。あんな災害が繰り返されているのに。土から離れては生きられないのよ、とシータは叫ぶけど、どっこい、海の方がまだ強く私たちを呪縛しているんじゃ無いのか?と感じてしまう。 -
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極地にて太陽の出ない季節である極夜を旅された「極夜行」。その準備段階を描かれています。準備段階といっても、しなければならないことが多く、それ自体が旅であり、命の危険にもさらされる大きな物語となることを知ることができます。極夜を旅するための道具にしても、その選び方、入手方法、使い方の訓練など、課題と解決だけでも途中で投げ出したくなるほどの試練が待ち受けます。六分儀、犬、橇をそうやって時間をかけて準備して、事前に白夜の季節に旅をしてデポを作り、下見をする。それだけやっても、本番では・・・と、先に読んだ「極夜行」を思い出しながらため息をついてしまいました。これだけ準備してもそれが無駄になっても、旅をやり遂げたという著者の姿を読むと、人生の困難等というものに対しての耐性が付くと思います。準備は大切だけど、それが失われても生きていけるレジリエンスをどう担保するのかも重要だということを改めて学びました。
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チベットの最奥部に流れるツアンボー渓谷を、著者は単独で探検し帰還した。
前半はツアンボー渓谷を巡る探検史に充てられ、ツアンボー渓谷がどのような存在で、かつてどのような探検がなされてきたかが理解できるよう書かれ、後半は著者の単独行が書かれる構成だ。
GoogleMapでツアンボー渓谷の航空写真が見られる現在、冒険の意味はどこにあるのだろう。本多勝一さんがパイオニアワークについて論じられていたものを読んできた世代にとって評価はなかなかむつかしいが、そのような雑事を越える情熱のほとばしりが本書にはある。
冒険に出ていく衝動、テーマを選定する思い入れの深さ、冒険を生業として生きる著者のプロとしての圧倒的な力を感じる作品だった。 -
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太陽の出ない漆黒の冬季の北極圏を、1匹の犬だけを連れて4か月間にわたり旅をするというプロジェクトを描いた「極夜行」。本書はその準備として著者が実行した北極域での行動を記録したノンフィクションです。
冒険を「現代システムからの脱却」と位置付ける著者は、冒険において最も重要な”現在位置の確定”をGPSに頼らず、天測(星や太陽を観測して位置を求める方法)によって現在地を確定させようとします。天測にはある程度の誤差は避けられませんが、誤差が大きくなると命取りです。吹雪で視界の限られる極寒の下で天測の技術を習得するプロセスが第1回目の準備工程です。
食料やその他各種装備は犬橇(いぬぞり)を使い、1匹の犬と人間(著者)が協力して装備を運びます。この犬の選定と、犬との信頼関係の構築がが2回目の準備工程です。北極圏における犬と人間との関係は”お互いに協力し合わなければ共倒れになる”という非常にシビアなものです。地元民が犬を手なずけるプロセスでは、甘えを見せる犬は容赦なく捨てられる(すなわち死を意味する)厳しさです。言葉を介さない犬と人間との信頼関係の構築の様子は、日本の普通の環境では想像できない厳しさでした。
本書は上記2回に加え、ルート上への食料、燃料などの仮置き(デポ)に要した3回目の準備工程の描写もあります。3回目はカヤックを使っての工程で、巨大なセイウチに襲われる事態に巻き込まれるのですが、それは普通の人間だったら、その時点で計画を中断しても当然なぐらいのインパクトです。このような描写ももちろん本書の魅力ではあるのですが、印象的であったのは著者と家族との関係に触れた部分です。著者にはこの準備中に娘さんが生まれました。それまで「死を感じる環境に身を置くことで、生きることを感じることができる。冒険を通じて生きる意味を探ってきた」著者が、娘という存在が誕生することで全く違った形で生きる意味を突き付けられ、戸惑っているように思われる部分は、探検家としではない普通の父親としての著者の一面が表出している印象でした。
是非、著者による「極夜行」とセットで一読をお勧めします。 -
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大好きな著者さんどうしの対談なので、ゆっくり味わって読もうと思ったのに、面白いので、ついつい一気読みしてしまった。
クスッと笑えるところあり、名フレーズありで、またまたお二人の著作を読みたくなってしまう。
印象的だったのは、二人の共通点。
後先考えずに行動して、緻密に文章を組み立てるところ。
何をしたかより、どう文章化しているかで勝負したいところ。
既存のジャーナリズムに限界を感じているところ。
自分が読んで感じていたことは、あながち外れてもいないなぁとと思った。
あと、高野さんが子どもの頃に好きだった本が、私の好きだった本と同じで嬉しかった。『ドリトル先生』のシリーズは、冒険・探検好きの入り口として、案外、王道なのかもしれない。 -
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『極夜行』や『冒険家の日々本々』などでチラチラと触れられている、角幡さんの奥さんと子どもさんのこと。そっか、子どもさんいるんだ、一年の半分近くお家にいないのに子育てとか家庭生活とかどんな風になってんのかなぁ、という、半ば芸能人の私生活覗き的な興味で読んでみた。
『冒険家の…』で角幡さんは、就職、結婚、子育ては、登山家にとって人生の三大北壁であり、誰もがその前に登山家人生を諦める難事業だと言っている。じゃあ角幡さんはどうなのかというと、日本にいる半年の間、ペネロペちゃんを愛することに全力を傾けているらしい。ペネロペちゃんを連れてご近所を歩き回るときは、その愛らしさで近所の人の相合が崩れる様に悦に入り、山歩きを共にしては山頂に到達したペネロペちゃんの姿に涙している。とーっても普通のお父さんだ。いや、むしろ、昔、うちの近所に住んでた、マグロ漁船に乗って半年家を開けるおじちゃんよりもずっと子どもにエネルギーをかけている点では、立派なお父さんかもしれない。
角幡さんによれば、子どもは忍び寄る老いの恐怖から目を逸らすための、人類にとって唯一の希望なのだという。その見方には、強い共感を覚える。ペネロペちゃんにドン引きされるリスクを背負いながら、娘と父のタブーにまで踏み込んで父娘の日々のありったけを綴ってくれた角幡さんに、拍手。 -
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角幡さんが読んだ本を通して、角幡さんの頭の中をちょっとだけ覗き見させてもらえるエッセイ集。
カバー裏にもある次の一節が、本読みさんを痺れさせる。
ーー人生をつつがなく平凡に暮らしたいなら本など読まないほうがいい。しかし、本を読んだほうが人生は格段に面白くなる。(p.11)
本当にその通りだ。
中島敦と宮沢賢治、そして杉浦日奈子先生に人生を狂わされた私としては、深く頷くところ。
さて、本書では小説・ノンフィクション併せて16冊を巡る角幡さんのエッセイと、読書日記が展開する。
私の既読本と重なる本で印象的だったのは『ハーモニー』と『告白』。なるほど、そう読むのかと面白かったし、物書きさんならではの受け止め方があるのだなと興味深い。
未読本で面白そうだなと思った本はたくさんあるが、中でも『狼の群れと暮らした男』はぜひ読んでみたいと思った。
普段、どうしても読む本の傾向が偏ってしまって、好き嫌いをなくす、という目標を見失いがちな私には、とても良いブックリストを提供してくれた本だった。本と探検が好きな方にはおすすめ。
ついでに、角幡さんも積読スペースがあって、なかなかの年数を重ねて積読されているらしいのが、私にとっては励みというか慰めというか安心につながった。私だけじゃ無いんだ感って大事だな。