角幡唯介のレビュー一覧
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最高に面白かった。
私はどこかで冒険者や探検者に理解を示そうとしていなかった。
スリルを求めて旅をするなんて意味がわからない、無くて済むなら無いままでいいものが危険で、人間というのは安心安全に対する欲求が強い生き物なのだとマズローも言っているではないか!
それを現状に満足できず、刺激を求めすぎるからなのか、あるいは他人に自慢したい「俺はお前と違うぜ」的な何かを求める傲慢なやつだなとさえ思っていた。
けれど角幡さんは私が思い描いていた探検家とは全く違う人物だった。
生か死か、その二択の中で生きることなど、ごく普通に生きていれば起こることはない。
それをわざわざ体験しに行く著者は好奇心の塊だった -
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「四十三歳の落とし穴」という一章から始まる。旺盛な体力の勢いのまま冒険行を重ね経験値をあげていき、降下し始める体力と、積み上げていくことが可能な経験値が、いつか逆転を起こしてしまう。スポーツであればその帰結先は競技としての「敗北」だが、冒険行においてそれは「死」だ。
本書では実例として河野兵一さんと植村直己さんをあげている。著者はどうだ。ぎりぎりの冒険旅行を生還し、さらに狩猟を通じて価値観が転換する経験をすることにより、これからも大丈夫なようだ。
著者は価値観の転換を、狩猟を通じてと描かれているが、私はまさにその思考こそ四十三歳の転換点だと思う。『狩猟』ではなく、四十三歳という年齢が -
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★なじみのないものを読ませる技術★グーグルアースで地球上のどこもが見られる時代に冒険の意義を求めるのが難しいことは著者が一番分かっており、現在の探索と歴史を交互に記して時間軸により深みを持たせる。冒険に過度な意味を持たせるの慎重に避けながら、独りよがりにならない読み物に仕立てるのがうまい。
最初の探検だけでも十分にノンフィクションになりそうなものだが、これだけの回数を重ねるまで待った心意気にも感服する。
それにしても単純に人間業とは思えない日々に圧倒される。20日以上も一人で山を歩きぬけるという苦難は想像がつかない。藪をこいで崖を上り下りする技術の詳細や、せっかくなので写真をもっと見たくなる -
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角幡唯介『極夜行前』文春文庫。
傑作ノンフィクション『極夜行』の前日譚となる準備期間を描いたノンフィクション。
言わずもなが、面白い。男の冒険心をいたく擽ってくれる。
『地図上の空白地帯が無くなった現代に於いては、もはや未知の状況下で過酷な自然に挑むしか探検を行う術は無い。』ということからGPSや衛星携帯電話を持たず、一匹の犬と太陽の昇らない冬の北極に挑むことを決意した著者は過酷な旅への準備を進める。
六分儀を用いた天測を学び、極北カナダで実地訓練を行うが、極夜の世界では思うように自分の位置を知ることが出来なかった。メーカーの協力を得て六分儀に改良を加え、来たる『極夜行』に備える。そし -
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ネタバレほぼ死が確定している中、生存の希望となる橋を発見するシーンは夢中になって一気に読んでしまった。
ツアンポー峡谷に敗れ、死が近づいてくる描写は文学的でありながら、リアリティもある本当に引き込まれた。
自分も探検部に属しており、角幡唯介や高野秀行のような探検は一つの理想であるが、この探検のように死が隣り合わせな状況は自分には耐えられないだろう。
しかし、角幡唯介の本を読む度に自分も探検がしたいと強く思う。
この本のあとがきで、角幡唯介が「読み手を意識していない。自分の欲求のために探検して、この本を書いた。」とあった。
「探検という行為は社会に還元するためにある。」というのが、探検部の上の年目の -
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ネタバレーーあらゆる細密な情報が書きこまれた、私以外のすべての人にとっては完全に無用な地図。でもだからこそ、そこに書きこまれていることが私という存在そのものであるという、そういう地図。…そういう地図を、私はつくろうと思った。(p.284)
時系列的には『狩りの思考法』の前段にあたる極地行。角幡さんとウヤミリックの1人と一匹で旅するのは、確かこれで最後だったはず。この後、犬橇という新しい旅行法に舵を切る、そのきっかけとなった出来事が語られる。
冒頭で引用したのは、その末尾の部分。
角幡さんは足と文字の両方で物語を語る人なんだなと思った。地図の上に自分の足跡を残し、そして残した足跡が如何なる意味を持つの -
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未踏地や未踏峰がほぼ無くなりつつある今の地球で、それでも冒険をするとすればどういう形が可能なのか?
20世紀までの冒険は、功名心や功利心、あるいは知的好奇心に駆動されて、人跡未踏の地に踏み込みさえすれば冒険と見做された。とてもシンプルで、わかりやすかった。
文明の発展とともに地図の空白地帯は消えていき、一見、わからないことなど何も無いかのようにさえ思えてしまう。だから21世紀の冒険は「今、どこに行けば冒険になるのか」「どのような旅をすれば冒険になるのか」という、冒険の定義から始まらなければならないらしい。とても、知的な作業だ。単なる命知らずの冒険野郎では、もう、本当の冒険には辿り着けないのだ。 -
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角幡唯介『探検家の憂鬱』文春文庫。
探検家という稀有な職業を選択した著者による初のエッセイ。
先に読んだ高校を中退し、渡米してから歯痛で僅か8ヶ月で帰国したにも関わらず、アメリカにかぶれ、サブカルチャーの周辺を漂っている松浦弥太郎のエッセイ『最低で最高の本屋』の100倍は面白い。
探検とノンフィクションとのジレンマに悩み、探検に付きまとう死の影に怯えながら何度も死線を乗り越えた著者ならではの面白いエッセイ集であった。やはり、全うに真っ直ぐに真面目に己れの人生を切り開こうとしている方の主張には共感するところが多々ある。終盤に傑作ノンフィクション『極夜行』に描かれたデポ計画にも少し触れている -
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ネタバレ身体も心もよわよわでヘタレの私の、中学生の頃の夢は探検家でした。
国語の教科書でスヴェン・ヘディンがロプノール湖の謎を追ったのを読んで、内田善美のマンガ『時への航海誌』を読んで、将来は探検家になりたいと熱く思った女子中学生は、ただの夢見る夢子さんです。
でも、ものすごく憧れました。
それで今も、探検家が読む本に興味津々なんですの。
死と背中合わせの状況で、一体どんな本を読むのか。
この本を読んでわかりました。
死と背中合わせの最中に本は読まないことを。
でも、悪天候などで身動きが取れない時(そしてそれは結構な時間あること)、本を読むのだと。
だってほかにすることないから。
そんな状況で読