角幡唯介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
地図なき山:日高山脈49日漂泊行 角幡 唯介
地図を持たずに山を2週間、魚を釣りながら歩き続ける。
いまやスマホの電波さえつながっていれば、紙の地図さえいらない世の中、
なぜ地図を捨てる?
その理由が素晴らしい。というかショックを受けた。
山に向き合うため。
地図を持ち、計画的に山に登る、ということは、
山と向き合うのではなく、計画と向き合うということになる、というのだ。
言われてみればそうだ。
私は最近は山に登るわけではなく、もっぱらラン旅ということになるが、
タイパコスパ効率性を重視して、とにかく計画的に予定を立て、
その予定通りに動けるとほっとしている自分がいるのを知っている。
つまり旅を楽しんでいるのではなく、計画をなぞって満足しているのだ。
それはそれで限られた時間の中でやりたいことが全部できるのでよいのではあるが、
この本を読んで、それは実は何かが違う、ということを思い知らされたような気がした。
著者は4度にわたって日高を歩きつくし、最後に地図を見て、拍子抜けしたという。
なぜなら足で稼いで得た知識と地図が同じだから。
当たり前といえば当たり前だが、地図がないからこそ体でそれを感じることができたわけだ。
ある意味うらやましい。
著者は北極を旅する冒険家でもあるらしい。
国内でこういうことができる場所は奥只見、白神山地とこの日高だけのようだ。
著者は奥只見は既に歩き、白神は世界遺産になって釣りと焚火ができなくなった。
彼の旅には釣りと焚火、つまり焼いたり燻製にしたり、は必須なので対象から外れ、
日高だけになったという。
世界遺産も考えもんだ。
そして奥只見。私も一部だけだがかじったことがある。中学の部活。懐かしい。秘境。
又行ってみたい。。恩師は他界されたが、、、
それにしてもそうやって歩いて釣って食べるニジマス、アメマス、、、美味しいんだろうなあ。
第一章 旅立ちの記
二〇一七年夏の記録 その一
第二章 漂泊論〜地図なし登山への道
第三章 裸の山に震え慄く
二〇一七年夏の記録 その二
第四章 新しい道を見つける
二〇二〇年夏
第五章 巨大な山に登る
二〇二一年夏
第六章 ラストピークをめざす
二〇二二年夏
あとがき -
Posted by ブクログ
タイトルに惹かれて読みました。
高野秀行さんの著書は読んだことがあり、同じ早稲田の探検部出身とあってなるほど、、と。
さくらももこを彷彿とさせる文章で、他の著作も読みたいです!
私も娘のことは、生まれた時「なんて美しい顔」と驚き、都度ほれぼれと眺めてる部類の親。笑
うちは夫も私もワンゲルなので、0歳のときから背負子で娘を山に連れてってました。
私も夫も山好きで、必然的に娘も一緒に。。
USJもディズニーも惹かれない。
でも、知床から西表島、屋久島、北アルプスから南アルプス、夏山から雪山まで、連休の度に豪遊(テント泊メイン)して楽しんでます。。
子連れ登山、カヌー、海。。映える写真も撮れるので最高です。。
私1人だと、とても子を連れ出すエネルギーは無いのですが、夫が計画準備宿の手配料理片付け等全て担ってくれるので実現してます。。
コースタイム2倍はみないとダメだし、全然歩かなかったり、だるまさんが転んだや電車ごっこをしながら登ったり、歌ったりなぞなぞをしたり、お菓子で釣ったりモノで釣ったり、、トイレ問題もあり、眠気がくるとおんぶで進み、おもちゃも持参で無駄な歩荷もあり、かなりの重労力で気苦労もありますが。。
山小屋で買うソフトクリームとか、合戦小屋のスイカとか、双六岳手前の鏡平でのかき氷とか、とても喜びますし、温泉好きな子に育ってます。
かなり疲れても、結果オーライで懲りずに次へ。。
私、娘の誕生時点で山歴15年。歩荷力もあるレアな母親。夫が荷物担当、私は空荷ですが、いざという時に子をおんぶして山行する歩荷要員。。
娘が「無理やり連れてこられた」的なことを言うのも分かり、笑いが。
夫が、ウンチを拭く係に指名されるのも同じで、笑いが。
などなど、自分も文章を書きたいなーと思わせてくれる愉快な著書でした。
ありがとうございました。 -
Posted by ブクログ
角幡唯介さん「空白の五マイル」、チベット•ツアンポー峡谷の人跡未踏の秘境の地に魅せられた探検家の作者が自ら足でその軌跡を残すノンフィクション探検譚。
凄く興奮させられる緊張感漂う物語だった。この場合物語というよりは体験談といった方が適切だろう。
その作者の体験談が凄いとしか言いようがない。
すぐ隣にある「死」を感じながらの極僻地での「生」の物語。
並大抵の物語ではない、ストイックの極みであり、精神と時間の究極の濃厚さが描かれている。
この作品の最後、作者があとがきで何故危険と知りながらも探検するのか?という問いに対しての気持ちを回顧録みたいに語っている。
我々人間の本能的で遺伝的な「人間の業」みたいなものなのだろう。
意識の中で眠っている本能。
呼び起こすか呼び起こさないか?
それを行動に移すか移さないか?
自己権威欲からくる人跡未踏への野望、自己アイデンティティーの存在証明。
読んでいる最中はある意味で仏教信仰の悟りへの修行に近いものにも似ているとも感じた。
俗世界を経ち、自らを極めて困難へ追い込む事で得られる物がある、あると信じるからこそ動き出せる。
きっかけは興味からだっただろうが、その世界に魅せられ引き込まれてしまったのだろうと感じる。
孤高の探検に魅せられた作者のその血は、正にツアンポー川の激しい濁流の持つ流れと同じ類いの共通する一側面を感じさせたのかもしれない。
天秤にかけたとしたら、結果という成果を得るという事よりもその前段階の挑戦という信念とその好奇心の方が圧倒的に強烈に重いのだと思う。
とにかく凄い作品だった。
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Posted by ブクログ
序章の「結婚の理由を問うのはなぜ愚問なのか」だけを読むだけでも、この本を買った価値はある。これまで見たり聴いたり読んだりしてきた、どんな結婚観よりも説得力がある。著者は結婚は選択ではなくこれまでの過去の経験や選択が積み重なり、それが事態として隆起したものなのだと言う。なるほど、本質をついた鋭い考察だと思う。第2章以降も、ハイデガーの存在と時間や國分功一郎の中動態の世界などを引用しながら関与や事態についての、哲学的な考察が続くのだけど、ちょっと油断すると理解できないような小難しい話のわりに、具体的な例が面白おかしく書いてあるので、ちゃんと最後まで楽しく読ませてしまうところが、著者の文章力とウィットに富んだ人格ならではなのだろう。
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Posted by ブクログ
長い時間をかけて読んだ。
そうするとこの冒険を追体験しているような感じがしてすごく面白かった。本を開けばそこには、何もかもを凍らせる極寒の大地が広がっていて、不思議と児童書を読むようなワクワクがあった。
「極夜行」が面白くて手に取った本だったが、準備期間でもトラブル続きでヒヤヒヤする。もう、極夜が来るなと警告してるような、運命めいたものも感じる。それを跳ね除けて極夜行を遂行、達成した著者の行動力や知識力はもちろん、運命力にも人並み外れたものを感じた。
セイウチに襲われたり、(ズボンのチャックが開いてたせいで危うく死にかけた場面は思わずニヤッとした)ウヤミリックを厳しくしつけたらスレた中学生みたいになったり、たくさん面白くて好きな場面がある。でもなぜか第1章の天測がうまくいかなくてあくせくする場面が印象に残っている。大きなドラマも他の章に比べたら少ないのに不思議だ。専門的な用語だらけで、上手くいってるのかいってないのかも体感的に分かりづらいのになぜか印象的だった。不思議。 -
Posted by ブクログ
読後の脱力感が半端ない。
一人旅が好きで、単独登山も(かつてだけど)、冬山もやっていた自分(角幡さんの足元にもおよばないが)にとっては、共感するところが多かった。
情景だけでなく心の動きも見事に描写され、読みながらハラハラさせられた。
最後のことばより。
どこかに行けばいいという時代はもう終わった。どんなに人が入ったことがない秘境だといっても、そこに行けば、すなわちそれが冒険になるという時代では今はない。
濃い緑とよどんだ空気が支配する、あの不快極まりない峡谷のはたして何が、自分自身も含めた多くの探検家を惹きつけたのか。歴史の中に刻みつけられた記憶の像は、地理的な未知や空白などといった今や虚ろな響きのする言葉の中にあるのではない。自然の中に深く身を沈めた時、見えてくる何かの中にこそあるはずだ。
今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極めなければ価値を見いだすことは難しい。
パソコンの画面を開きグーグル・アースをのぞきこめば、空白の五マイルといえどもリアルな3D画像となって再現される時代なのだ。そのような時代に昔と同じやり方で旅をしても意味がない。
単独行で、衛星携帯電話といった外部と通信できる手段を放棄することが私の旅にとっては重要な要素だった。丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある。
極論をいえば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。過剰なリスクを抱え込んだ瞬間を忘れられず、冒険者はたびたび厳しい自然に向かう。
命の危険があるからこそ冒険には意味があるし、すべてをむき出しにしたら、冒険には危険との燃峙という要素しか残らないだろう。冒険者は成功がなかば約束されたような行為には食指を動かされない。不確定要素の強い舞台を自ら選び、そこに飛び込み、その最終的な責任を受け入れ、その代償は命をもって償わなければならないことに納得しているが、それをやりきれないことだとは考えない。
リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。
死が人間にとって最大のリスクなのは、人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。
ツアンポー峡谷の旅を終えたことで、私は生きていくうえで最も大切な瞬間を永遠に失った、ともいえる。 -
Posted by ブクログ
★なじみのないものを読ませる技術★グーグルアースで地球上のどこもが見られる時代に冒険の意義を求めるのが難しいことは著者が一番分かっており、現在の探索と歴史を交互に記して時間軸により深みを持たせる。冒険に過度な意味を持たせるの慎重に避けながら、独りよがりにならない読み物に仕立てるのがうまい。
最初の探検だけでも十分にノンフィクションになりそうなものだが、これだけの回数を重ねるまで待った心意気にも感服する。
それにしても単純に人間業とは思えない日々に圧倒される。20日以上も一人で山を歩きぬけるという苦難は想像がつかない。藪をこいで崖を上り下りする技術の詳細や、せっかくなので写真をもっと見たくなる。