角幡唯介のレビュー一覧
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マッチョな生き様に尊敬の念を捧げつつ。私にはストイック過ぎる価値観に、正直距離を取りながら読んでしまった。生に対して貧弱。と言われればそうなのかもしれない。
そうした客席からの視点でも「荒地」(死を想起する時間や空間)や、「到達系行動」・「漂泊系行動」の価値観は、なるほど鋭い言語化だと感じた。ビジネスの世界でも強者は心に荒地を宿している。
個人的にもサーフィンで波に巻かれて初めて浮上できない体験をした、あの時のことを思い出した。思い返せばたったの7秒間であったが。恐怖と妙な落ち着きが混在したあの感覚は、何かの入り口だったのかもしれない。 -
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極地探検家の著者が「人間としての頂点は43歳」という理論を考察する1冊。
以前から著者の本を読みたいと思っていたが未読で、動画で三宅香帆さんがおススメしているのを見て手に取った1冊。
20代から40代後半まで年代別に冒険家の思考・身体・経験面から考察しており、
命を懸けて冒険に挑む人たちがどう考え行動に至っているのかよくわかった。
具体的な行為は無意味で非合理的、でも個人にとっては絶対的な価値観、という逃れられないもの。
さらに、「”生”を感じること」を濃くしようとするほど、「死」に近づいていくという一見矛盾のような必然に、生きるとは何か?を考えさせられる。
自分自身には、死というリスクが高くてもやらずにはいられないことはないので、うらやましい部分もある。
選択する言葉が鋭く真髄をついていると感じるのは、極地探検や狩猟など「死」を身近にしているからなのだろうか。
著者の他の作品も読んでみたい。 -
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角幡唯介『地図なき山』を読んだ。
地図が存在するにも関わらず、あえてそれをしないこと。文明への反逆、自分で引く逆境のライン、1を0に戻す行為。普通の感覚なら「なんでそんなことするの?」となる。奇しくもこれと同じセリフが帯に角幡さんの奥様の声として描かれていて、僕も同意だ。
でも、全く知らない土地で思いもがけないものに出会った時の感動が筆舌にし難いのも理解できる。自分も10代後半から20代前半でハマったバックパッカーの旅では、その興奮に随分と取り憑かれた。スマホがない時代、紙の『地球の歩き方』をポロポロになるまで捲り続けて目的地を目指したけど、「地図がない」はなかった。
角幡さんは日高山脈に4回アタックし、自分で歩いて作った地図を拡張していく。川を探し、野営をし、魚を釣り、キノコを獲り食べる。一連の行動に無駄がなく、行動と生活が、いや、生への活動が一致しているところに、この行為の神聖な面がある。
そこで自分に返ってくる。僕は日々を生活していると言えるのか?食べるものも寝るところも着るものも何不自由ない状態で、自分の生はどう活かせているのかと。
ラストシーンも強烈だ。ジュンク堂で買った地図と見比べると、角幡さんが自分で描いたものと変わらなかった、知ったのは山々や川の本当の名前だけだ、とある。ただ思うのは、名前すら誰かが先に名付けたものに過ぎず、大した意味を持ってはいない。みんなが迷わなくするための記号であり、共通認識をつくる便利な材料でしかない。
だからニックネームがあるのだ。自分と対象となる物や人物との固有の関係で成り立つラベル。僕はこの“ニックネーム”をいかに増やせるかにこそ、人生を楽しむ秘訣があるのではとすら思う。『地図なき山』を読み、自分の人生の地図ではどんな山に川にどんな住民が住んでいるのか――そんなことを思うに至った。 -
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グリーンランドの高緯度の地域を極夜中に数ヶ月かけて探検した著者の体験を綴った本。
思うに、文明とは自然環境と生身の人間の間にある膜のようなもので、これを極力剥ぎ取って、どれだけ自然と直線接点を持つかが、この方がやったことなのだと思う。著者に対しては寡黙でストイックなイメージがあったが、こんなにユーモアを持った人だとは思わなかった。元々こういう人なのだろうか、それとも過酷な環境を乗り越えるため、ユーモアを必要としたのだろうか。。どちらにせよ面白かった。
探検というと、未知の風景を求めて未踏の地を進んでいくイメージだが、著者は、未知の環境に身を置き、自身の心がどう変わるかを試したのだと思う。
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山登りでは分かれ道に来たらまず地図を確認する。登山では常識レベルの作法だが、この男はその常識を捨ておいて地図を持たずに日高山脈に突撃する。地図=システムの象徴だのとのたまい、システム外部を求めて、システム(地図)を捨てて日高へ向き合う。
「頼りになるのはGPSのような私の経験とは何も関係ない空疎なテクノロジーではない。(中略)旅という行為が土地とつながること、それがここで生きていけるという濃密な実感を生み出すのである。」(273p)
現代で指折りの、十分に頭のおかしな登山家の一人だ。(※褒め言葉)
2017年の初回の旅では悪場のゴルジュに疲弊し嫌気が差している。よくぞ正直に脚色せず書いてくれたものだ。とても誠実だ。
システム外部だ、漂泊だなどとお題目掲げて自分で始めておきながら、結局嫌になっている。サバイバル登山を志向ながらも現代装備を完全に捨てきれず葛藤する服部文祥の裏返しだ。ここまで赤裸々に書くか。
現象学的、存在論的な考察が多い。漂泊登山などといわず、実存主義的登山と言ってしまえばよい。 -
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ネタバレ感想を素直に書くと、「こじらせてるなぁ……」という感じになる。
確か、高野秀行さんも、「誰も行ったことがない場所に行きたいと思って色々やってきたのに、気づいたら地球上に誰も言ったことがない場所がなくなっていた」というようなことを書いていた気がする。
この本だと、同じように悩んだ筆者が、じゃあ自分は次に何を目指せばよいのかを、内面を向き合いながら、迷走している過程がずっと書かれている。
特に前半は、その悩みっぷりがすごいというか、自分の闇にハマってたんだろうな、という印象で、「地図を持たないで山を登ることが自分にとっての新しい目的だ」ということを正当化するためのエクスキューズが続く、ように感じる。
山に登っているなかにも、都度都度「だからこれはこう捉えるのだ」という記述が出てきて、ちょっとしつこいくらい。
後半になってくると、「あ、この人、どうでもよくなってきたな?」というか、悩みから抜け出した雰囲気が見えてくる。
結局「好きで楽しいからやってる」ということなのでは?と思えるけれども、きっとそこにいろんな理屈が必要なタイプなんだろう。
悩んでハマったときは、グズグズしていても、まず実践することが解決策になる、ということをとてもとてもハードな形で見せつけられたような気がした。 -
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ネタバレ「極夜行」という著書にて、第一子が誕生直後なのに、北極へ命懸けの旅に出かけた著者に驚く。作中にあまり妻子の話が登場しなかったので、その心中いかにと思い、手に取った。
この本には、「極夜行」前後での、家庭の話がたくさん書かれていて、意外と「普通のお父さん」であり、冒険に際してはちゃんと逡巡があったことに勝手に安心したし、親バカな様子を微笑ましく思った。
また父親の視点から子育ての話として興味深かった。自分のライフワークとの間の葛藤とか、育児場面での所在のなさとか、男親としての立場を獲得する過程とか、異性としての娘の見方とか…良し悪しは別として新鮮だった。夫が読んだら共感するのかな。気になる。
後半で娘さんが4歳以降に家族で山登りする話が書かれている。かなりハードなガチ登山で驚く。フィールドワークのプロの父親と、そのDNAを受け継いだ身体能力が高すぎる娘さんにしかできないことだと思う。純粋にそう言う経験を子どもにさせてあげられるのは羨ましい。私たちは娘にどんな経験をさせてあげられるんだろうな。
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ネタバレ地図なき山
~日高山脈49日漂泊行
著者:角幡唯介
発行:2024年11月20日
新潮社
久々に冒険家(探検家)・角幡唯介のルポ。今回は北海道にある日高山脈の登山だけれど、普通の登山ではなく、地図を持たず、事前に調べることも全くせず、登山計画もなし。そして食料も一定量しかもたずに後は現地調達。具体的には魚釣りが中心。衛星電話は非常のとき以外は使わない。それって、たんなる冒険好き、危険を乗り越えるのが好きなだけのリスクジャンキー?と思ってしまうけれど、実はそうではない。著者は以下のように言う。
「脱システム」という思想に取り憑かれた。海外を旅するときもスマホ片手で知人とつながり、スターバックスでコーヒーを飲んで、大きなショッピングモールで買い物をするのがいまや当たり前である。あらかじめ行く場所を検索してどんなところかチェックして、実際に行ってみて事前の期待通りだったと安心して、面白かったねと喜びあう。それがいまの旅の姿だ。これは旅ではなく、端的に消費である。
よりよく生きるとは、自由の重荷に耐えることだ。この思想にのっとり、二つの探検を実践。
①真冬の北極で旅した極夜の探検
②北海道・日高山脈における地図なし登山。
24時間太陽が上らず闇と沈黙がつづく自然環境も、地図が存在せず先が見えない状況も、日常世界では経験できないという意味でひとしく以上であり、システムの外側にある世界。
2018年に出版された「極夜行」は角幡唯介の極まった旅の記録であり、最高のノンフィクション本だった。その後に出た「狩りと漂泊」(2022年)とその続編である「裸の大地 犬橇事始」(2023)で、狩りをしながら計画を立てずに北極圏を旅する漂泊を実践した。いよいよ今回は、地図なしの登山。2017年、2020年、2021年、2022年の3度の登山を行い、その記録を本書に収めている。4回あわせて49日間の滞在。最初の2回は単独行、あとの2回は旅系カヤッカーの山口将大を誘っての探検。彼は釣り好きだが、山の経験はあまりない。年下でもある。
最初の単独行を読んでいくと、地図のない登山がどういうものか、あっと気づかされる。事前に想像していたものとは全く違う。ある意味で愕然とする。本人はもっと愕然としたことだろう。日高山脈に関しては、過去に地図を見たことはあるが、殆ど詳細は知らない。そういうところを選んで登山をすることにした。そして、準備段階に入っても情報に一切接しないように涙ぐましい努力をする。パソコンで思わず地図が出て来そうだと、必死で画面をずらして避ける。スポーツ中継を録画で見る場合、先に記録が出てしまわないように再生時やSNSなどに気をつけるのに似ている。読んでいて思わず笑ってしまった。
そんな、知らない日高山脈に、南から入っていった。著者は沢登りが得意なので、ここでもそれで水系を辿って登山することにした。入ってみると、事前に少しきいていたとおり、日高山脈の沢は厳しかった。ゴルジュという狭く切り立った岸壁に挟まれた沢ばかり。とうとう70メートルの滝を見て諦めてしまう。そして、最初の登山(2017年)で、地図なし登山はもういいかなと思ったという。ところが、時間を経てくるとまた恋しくなってくる。どうしてあの滝を瞬時にして諦めてしまったのか、登れたのではないか、などという思いになってきた。2020年、再び日高山脈へ。
2回目は、ある程度のところまでいき、ある山稜に馬の鞍のような大キレットを見つける。その向こうには別の水系があるに違いないと思い、次もすることを決意。2人旅でそこに挑むことになる。
非常に険しい日高山脈、地図がないということは、あした、あさってはどうなっているか、未来が見えない登山でもある。誰もいない、なにも情報がない。ところが、そんな状況で登っていると、自動車の音が聞こえてきたりする。近くに林道があるのである。ファミリーでキャンプに来ている自動車もあるに違いない。そして、釣り人にも出会ってしまう。奥深い、険しい自然との闘いをしているつもりが、整備された道と紙一重なのである。愕然とするというのは、こういうことである。究極は、ダム湖に出てしまったことだった。自然の険しさと闘いながら出たところが、人工的な施設だったとは・・・
羆(ひぐま)にも、何度も出くわしたが、事なきを得ている。肉食獣である白熊は人間の姿を確認すると接近していることが多いが、雑食性の羆やツキノワグマは、通常は人を避けるのだそうである。
3回目の登山の際、単独の釣り人に出会って情報を得て判明するのだが、日高山脈は南から入るのが最悪だという。最も険しいという意味。北から入ったりすれば、問題なかったようだった。それも、ある意味ではヘナヘナとくる話ではある。
しかし、3回目でとうとう日高山脈の最高峰にも登る。最高峰の名前だけは過去になにかで見て覚えていたのだったが、見渡す周囲の一番の山に登ったら、頂上にその名が表示されていたのである。ダム湖とは逆に、究極の喜び。地図なしで最高峰を探し当てて登ったわけだから。
4回目では、北の端まで行こうと決意し、これもほぼ達成された。
下山し、出版社で、いよいよ日高山脈の地図を見る。そこには、驚きがなにもなかった。地図を見て、ああ、これがあそこか、ここはこうなっていたのか、というような感動が訪れてくるのではと、読む方も期待するが、それが全くと言っていいほどなかったようである。4回の登山で日高山脈のことを知り尽くしてしまい、地図から新たに得られるものがなにもなかったということだった。
誠に奇妙な体験が読者にとっても出来る一冊だった。