角幡唯介のレビュー一覧
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ノンフィクションを書く二人の作家の対談本。ノンフィクション作家の苦労や「あるある」が語られる。
ノンフィクションとニュース、ジャーナリズムの類似点、相違点が語られるところがとても印象に残った。
どちらも事象を観察して出来るだけありのまま伝えるが、やはりそこにはストーリーや所謂「盛り場」が必要で、嘘にならないように、一方で面白くなるように書くことが求められる。綱渡りのような危うさがある。
ノンフィクションはあることが起きるまでの変化を描くことが出来るが、ニュースは起きないと描けない(まだ起きていないことはニュースとしての価値がない)
物書きのマネタイズについて触れられていたり、色んな悲哀を感じられる本。 -
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人生とは事態の連続で、過去からのうねりや隆起が現在へと繋がってきているという解釈はなるほどと思った。先のリスクを考えて合理的な選択をすればするほど、ありふれた人生となる。だから、目の前で起きている事態を、自分なりに考えてどのような行動を選択するか判断する。そうすることで、その人の人生の固有度が生まれてくるという点も面白い視点だなと。
あと仕事でも、よく目指すキャリアは?5年後に何をしていたい?と目標を決めてそこから逆算して考えることが多い。でも、本書では、目的地を決めてしまうとそこまでの道のりが単なる過程のものになってしまうと言う。なるほど、人生でも仕事でも先のことばかり考えるのではなく、事態の連続で生じている目の前のことに、もっと没入する必要性が述べられていて、生きづらい世の中を生きていく中でも少しヒントになる考え方なのかなと。
冒険家である角幡さんの目線で上記のような人生観が書かれていて興味深い内容でした。
最後に、文中で同じような内容がかなり繰り返されている印象がありそこは気になりました。言い方が悪いが何とか引き伸ばそうとしている感じ?
でも、角幡さんの軸となる考えの部分だから繰り返し言われることで頭に残ると考えたら悪くないのかも?
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冒険と結婚を並列して語っている。
それは目の前に立ち現れた事態で、事態に対処する成り行きが結婚であっても、極夜の北極圏を冒険することも、事態に対処することについて、どちらも同じなんだと。
最終盤の冒険論は特に印象的で、40代を迎えた冒険家は体力の衰えを感じながらも、うまく次のステージに移行できたように見える。60代を迎えようとする私も次のステージに移行しようとするが、体力や身体の機能的な劣化が想像以上に大きく、戸惑っている。
50代の頃、60代になった時にやりたいと思い浮かべたことに対し不安がよぎる。冒険家の思索を咀嚼し自身の考え方のベースをつくりたい。
冒険家の思索と冒険行を楽しみに、体力優先のお楽しみを頑張りたいな。 -
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裸の大地 第二部
犬橇事始
著者:角幡唯介
発行:2023年7月10日
集英社
初出:「すばる」2021年9月号~2022年11月号
昨年(2022)に出版された「裸の大地 第一部 狩りと漂泊」で、探検家の角幡唯介がそれまでとは違う漂泊という旅を始めた。目的地や期間を決めず、一定量の食料のみを橇に積み、狩りをしながら食料調達しつつする冒険旅行である。2018年3月にスタート。場所はグリーンランド北極圏。人力橇という、犬を1頭だけ連れ、犬の助けを借りながら自分が橇を引きつついくスタイルだった。その時、次は犬橇にしたいと感じ、第一部にも書いていた。
犬橇とは、橇を犬たちに引かせ、自分も乗っていくスタイル。犬の頭数が増えるため、食料も多くなり、人も乗るので橇も大型になる。今回は、それを使ってチャレンジした漂泊の旅だった。もちろん、海豹(あざらし)などの狩りをしつつである。狩りに失敗し、食料が尽きたら死をも意味する。本書では、2019~22年までを振り返ってはいるが、旅の詳細は2019年と2020年の2年分を書いている。どちらも、春のこと。
犬橇の旅は、犬集めと橇づくりからスタートする。前年の漂泊、その前の極夜行のときからいた犬は1頭のみ。ウヤミリックという名の犬だが、これを含めて2019年は10頭に、2020年は12頭に増やして漂泊を行った。犬はすべて現地のイヌイットから購入する。といっても、ペットショップやブリーダーがいるわけではなく、犬橇を使って狩りをして暮らしているイヌイットに相談し、わけてもらう。もちろん、簡単にはわけてくれない。自らも必要なため、ああだこうだといって勿体をつける。そこには、犬の年齢などいい加減な情報もある。騙すというより、いい加減なのかもしれない。
拠点にしているシオラパルクの村から出て、他の村でも探す。同時に、犬橇を作る材木なども調達した。犬橇を造り始めると、イヌイットの知人が訪ねてきて、細かく造り方を教えてくれる。細かな点まで含めて、すべてイヌイット流。中には意味が分からないことも。角幡流で改造すると、それではだめだと言うが、おれたちは前からこうなんだ、としか説明しない。そして、気に食わないのか、ぷいと行ってしまう。最後に書いているが、人力橇のころは、地元の親しい人たちとの関係において、どこかよそよそしさのようなところがあった。ところが、犬橇を使うと言い出してからは、その造り方を教えてくれるなど、真から仲間だというような感覚になってきた、と。
最も大変なのは、犬の訓練だった。ペットとしてしか犬が存在しない我々からすると、感覚的に分かりづらいのだが、イヌイットの犬にとって何百キロもある橇を引くことは苦痛ではなく、著者が最後に感じていたのは「天分」だということ。春になり、旅に出ることを感じると、犬たちは非常にテンションがあがって早く行きたいとウキウキしている様子が伝わってくる。イヌイットの人たちと犬とは、とてもクールな関係で、年老いたり、病気や怪我で橇が引けなくなったりすると、迷うことなくその犬を処分する。雌犬には、子犬を産ませて〝補充〟していく。
右だ、左だ、止まれ、進め、といった号令を犬がきくようになるまで、かなり訓練が必要なようだ。形の上で言うことをきいても、なにか他の要素が入るとまったく無視したりして、勝手に進んでいく。どうやら、3年以上かかって、やっとコントロールできているという実感がわいてきたようである。犬もまた、派閥をつくる。著者の犬たちは、3派閥を形成したようだ。親玉の犬もいる。もちろん、喧嘩が強い犬であるが、普段、威張り腐っているだけに、なにかきっかけがあると他の犬たちから集団リンチを受けたりもする。時にそのリーダーが変わるが、三日天下でまた戻ったりもする。
犬橇は、先導犬が前に出て、それにつられて他の犬たちがついていき、橇を引っ張っていくことになる。どの犬を先導犬にするか、人間が決め、リードを少し長くする。リーダーが選ばれることが多いが、著者はそうではない犬を先導犬にしたくなり、そうしてみた。そうなると、やはりリーダーは腹に据えかねる点があるようで、もめ事が起きたりする。
著者も、1頭だけ処分することになる。最後にその場面も書かれていた。かつて、先導犬もつとめた長老の犬(ウンマ)だった。認知症になり、体も衰え、もう橇が引けない。一緒に連れて行っても、後からついてくるだけだった。著者にとって、二冬もすごした、お世話になった犬だから、銃を向けて処分することはできなかった。8キロほどでかけて、そこに置きざりにして自然死させようとしたが、少しすると戻って一緒に餌を食べていた。仕方なく、頸動脈にかかるように首に縄をかけ、締めて吊り上げた。どこか分かっているかのように著者を見つめ、完全に体が浮き上がった後、尻尾をふりながら息絶えていった。著者は「ありがとうな」と思いながら、つらい仕事を終えた。
漂泊をする場合の大きなポイントは食料。狩りをしながら調達していくので、もし狩りがうまくいかず、旅を断念したとしても、そこから帰るまでの食料がなければ帰れない。犬の暴走も同じく死を招きかねない。人間が1人取り残され、犬橇がどこかに行ってしまうと、食料もなにもなく、それはすなわち死を意味する。2019年の漂泊では、それを何度も経験した。ひとつは大きなクレバスがある方向に向かって犬橇が暴走し、消えていった。犬橇ごと落下していると、もうそこで人間にとっても死の宣告。行ってみると、奇跡的に直前で犬たちが止まって、何かに引っかかっていた。なんとかすくい上げてギリギリセーフだった。
前年の人力橇による漂泊では、麝香牛2頭と兎が1羽。狙っていた海豹(あざらし)は50センチほどの子だけだった。2019年は、イヌイット流に倣い、白いついたてを持っていって少しずつ近づき、100メートルほどのところまで来たらライフルを放つ。海豹は春になると氷から上がり、日光浴をしながら昼寝をしていて、それを狙う(ウーット狩り)。しかし、少しでも危険を感じるとすぐに横の氷の切れ目から下に飛び込んで逃げる。最悪は、急所を外して怪我をさせ、海の中に逃げられること。無駄死にさせてしまうことになるため。しかし、何頭かに逃げられながら、最初にそれをやってしまう。次も、仕留めたと思ったけど、やはり逃げられた。ところが、行ってみると死んでいて、なんとか海から引き上げて食料にできた。
2年目の2020年は、カナダまで犬橇で行く予定が、コロナによって入国許可が突然、取り消された。グリーンランドの3月では、世界中で起こっているパンデミックの様子が分からず、理不尽極まりない思いにかられた。カナダには入らなかったが、漂泊の旅では、麝香牛を仕留めた。54日間、1200キロあまりの旅となった。
北極圏での美味な肉は、狼と白熊だそうだ。狼は、なんども多数に後をつけられた。橇の上にあるドッグフードを狙っている。狼の肉は、人にとっては美味だが、海豹など動物の肉にはむさぼりつく犬たちは寄りつかない。どうにも食料がなくて空腹に耐えられない時のみ、口にする。やはり同類だからだろう、と。
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イヌイット式の犬橇は、使えない犬を殺処分することを前提に成立している。5、6歳を超えると処分される犬が多い。一方、雌は半年に一度発情し、交尾から2ヶ月で5~10頭程度の子供を産む。その中から身体の大きな数頭が選抜され、訓練を受け、チームの一員となる。処分されるのは年寄りばかりではなく、喧嘩っ早い犬、すぐ噛みつく犬、落ち着きのない犬、他の犬からやたらと苛められて溶け込めない犬、規律を乱す犬なども。
犬が、腹が減ったと感じるタイミングで餌やりをすると、この人は自分の意のままになる存在にすぎないと感じるため、毎日やるのはよくない。もうもらえないのだろうかと諦めたタイミングで与えて恩に着せる。
とはいえ、大変な難関を越えたときには、よくやった、と1頭ずつ頭をなでてやる著者。
サスツルギ:氷河と氷床の境目は、風が一気に強まるポイントで、硬い雪面がギザギザにえぐられる。それをいう。
グリーンランドにおける人類の移動史は、おそらく3段階に分けられる。
1.約4600年前、北米からやってきた「インディペンデンス/サカック」と呼ばれる文化の担い手
2.3000年ほど前に渡来し、海獣の猟にたけた「プレ・ドーセット」および「ドーセット」と呼ばれる文化の人たち。このドーセント文化までの人々は「パレオ・エスキモー」と呼ばれ、今の極北狩猟民とは直接つながりがない
3.約1000年前、ベーリング海方面から東進してきた「チューレ文化」の人たち。大型のボート、捕鯨中心、800年前にグリーンランド北部に到着。現在の極北狩猟民はこの子孫。
犬同士も教育しあう。ナノックにかわり、若いウヤガンを先導犬に。長老のウンマを20センチほどさげる。著者の号令に従わない時、ウンマが横から体を押して教えている。 -
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コロナ後の世界というのはわたし自身にとっても明確にいろいろな意味でそれまでと変わりました。
わたし自身は50代半ばですがワクチン接種は拒否しています。
コロナウイルス自体に関しましては、日本人にとってはもともと大騒ぎをするほど大して問題ではなかったのですが、健康な人達までもがコロナワクチン注射を受けてしまうことによって、ワクチン注射を打った人たちの体内で悪いウイルス・菌が増殖をしてしまい、その悪いウイルス・菌を周り・周囲や日本中にばらまいてしまうことになるという説を信じています。
そしてコロナ以前にはわたし自身では、「何とかコツコツと学び続けてさえいけば、生きていく道はあるのではないのかな」「学び続けてさえいくことが出来たならば、道は開けるのではないのかな」とぼんやりと考えていて、毎日平均6〜8時間くらいはなにかしらの学習をし続けていたのですが、今は自分なんかがいくら何かやっていっても格差、階級とかがどんどんと開いていって固定化していき、何も希望ややる気がでないような心境です。
鎌田實
人と人との関係であれば、フィジカルディスタンシング、ソーシャルコネクティング(物理的に距離を取り、社会的につながること)が大切になってくる。どうすれば、「離れてつながる」ことが実現できるのかを考えていかなくてはなりません
まえがき
第1章 人間とは生命とは
養老孟司
福岡伸一
角幡唯介
五味太郎
第2章 歴史と国家
ユヴァル・ノア・ハラリ
情報を得て自発的に動くことのできる人間は、警察の取り締まりを受けて動く無知な人間にくらべて危機にうまく対処できます。
ジャレド・ダイアモンド
イアン・ブレマー
大澤真幸
藤原辰史
長期戦に備えよ―歴史が伝えること
中島岳志
藻谷浩介
山本太郎
伊藤隆敏
第3章 社会を問う
ブレイディみかこ
斎藤環
東畑開人
磯野真穂
荻上チキ
鎌田實
人と人との関係であれば、フィジカルディスタンシング、ソーシャルコネクティング(物理的に距離を取り、社会的につながること)が大切になってくる。どうすれば、「離れてつながる」ことが実現できるのかを考えていかなくてはなりません
第4章 暮らしと文化という希望
横尾忠則
坂本龍一
柚月麻子
あとがき -
Posted by ブクログ
角幡さんの処女作。
『空白の5マイル』を始めとするこれ以降の著作が「角幡唯介を読んでいる!」という印象を与えるものが多いのに対し、「雪男捜索という出来事とそれにまつわる人々」が前面に出ているように感じられる。角幡さん自身があとがきでも言っているように、その辺りがジャーナリストの立場で書いたことの効果なのだろうと思う。何というか、レンズ一枚隔てた向こうの話を聞いているような感じ。『アグルーカの行方』にも近いような感じがした。
結局、雪男の実在は(もちろん)この本では明らかにされることはないのだけれど、実在を証明しようとすると、あるいは、実在を実感してしまうと後戻りできない道に踏み込んでしまうというあたり、ちょっと神学っぽいところがあるなぁ、と思った。 -
Posted by ブクログ
凡ゆる事に想像が及ぶというのは所詮幻想だ。寧ろそれは逆に情報が過多になった事による想像力の貧困を示す証拠に他ならない。 身も蓋もない言い方をすれば、極夜等単に暗いだけの世界である。だから極夜の本質は、外界の自然状況より経験する人間の内面に表れる。つまり極夜は客観的事象ではなく主観的経験なのだ。 闇の中で六分儀で星を観測し、星を眺め、星に導かれ、星と直接繋がりながら、私は極夜世界を彷徨しようと考えた。 日中になると空には薄紫のしょこう曙光が広がり 立派な装丁そうてい 知識が自分の確実な血肉になっているという手応えだ つまり北極点では極夜という冬の夜が半年続き、年に一度の日の出があり、次の日から逆に太陽の沈まない白夜が半年続く訳だ。 そう言ってグレンはテリブル(酷く悪い)…と肩を竦めた 海豹あざらし がいぜん蓋然性の高い推測位置から得られたことに心底ホッとするのだ グリーンランド単独縦断を成功させ そこには生殺与奪の論理を超越した、荒野で生きていく為に必要な目に見えない信頼が実現している。 しょこう曙光 らひょう裸氷の凹凸帯 さいじ採餌 深雪に埋まる橇 ちょうせき潮汐線 さくとう昨冬 ていちゃくひょう定着氷 遠大で計画 あなたは所詮、生き物なの。二重螺旋構造に規定された有機化合物の集合体にすぎないの。その有機化合物的限界から、あなたの肉体を構成する細胞群はじわじわ死滅していき、まもなく運動能力系のパフォーマンスが衰えていく。そして同様に脳内シナプス結合も弱まり、感受性が低下し、今までみたいに外の刺激にビビッドに反応できなくなる。その結果、二十代から三十代のときのように生きてる意味とか考えなくなるし、言葉からも力が失われる。そう、これからのあなたの人生は泥水が低地に溜まるように老いに向かって傾斜していくのよ。 狼のように色の薄い眼球の虹彩こうさい じゃこううし麝香牛の皮を鞣し 私は内臓ごと海象に吸い尽くされていたと思う 深くて美しい暗緑色の水 突然死に接近した人間に特有の、認識が事態に追いついていない状況を示している気がして、戦慄を覚えたのだ。 はなずら鼻面を出して潮を噴き上げるだけで しんおう深奥 こしょう湖沼 波頭から白い飛沫が弾け飛ぶ 焚き火を熾して あいろ隘路をぬって船を進め うすずみいろ薄墨色の細く棚引く千切雲を引き摺り ぶな山毛欅材が橇には一番適している 私は自分の過去の全過程を回収し、それを元手にして極夜探検という未知なる新しい可能性の扉を開くことができるだろう。 恐らく発想や思考と体力が釣り合った調和のとれた状態は、三十代後半から四十代頭迄の五年間だろう。 極限的に膨張したこの世界形成感が失われてしまう 冬から春にかけての半年はシオラパルクに滞在し、夏から秋にかけて日本に戻るという、今流行りの二拠点生活みたいなことを続けている 文化的エートス(習慣)を抽出した言葉 若さと、精神の内側で燃え盛る自己実現の炎の勢いが、過程の辛苦を凌駕する。 対象への自己投影的な憑依感覚 エクスペディション(遠征) 空腹と疲労に倦んであぐんで へさき舳先