角幡唯介のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
本屋で手に取り目次を見ると、本多勝一さんの名前や彼が展開していたパイオニアワーク論が目に入る。僕も学生のころ熱心に読んでいたので、著者がどう解釈して自身の冒険に投影してきたのか、大いに興味がわいた。
エベレストが初登頂された後は、ルートを変えたり、無酸素で挑戦したりとバリエーションを変えないと、それは冒険とは呼べない。『初』がつかないと冒険とは呼べないのだ。パイオニアワークとはそういうものと理解している。誰も行ったことがない『地理的空白』がなくなった現代で、冒険は難しい。極夜の北極圏を旅する冒険を『発見』した著者のうれしそうな顔をテレビで見た時、冒険で飯を喰うことの社会的な大変さを感じた。
展開されるのは本格的な冒険や探検についての考察だが、僕は社会人が休日に出かける『週末冒険』にあてはめて考える。彼の言う脱システム論は登山をベースに展開されるが、有名なコースやイベントに人が集まるサイクリングを取り巻く状況とよく似ている。同じ日本で起こっている現象なのだから当然の帰結だと感じる。
自由や創造性を求めた登山は結果を予測しにくく、つまらない登山に終わることも多いとの論旨には大いに同意する。事前に地図だけみて出かけるサイクリングも同じだ。路傍に何を見て、風に何を感じるかで面白さは変わる。
後に控えるのは著者の最新冒険行『極夜行』だ。さて、どんな冒険だったのか、読むのが楽しみだ。 -
Posted by ブクログ
似てると思われ括られて対談することになったが、アプローチから何から違うので似てないのだけれど、という2人。とはいっても、読み手としてはそれがいいんだけれどね。お互いの特徴とか考え方とかどっちもが面白い。たくさんあるエピソードから取捨選択されパッケージされてると思うといろんな本もう一度読みたくなる。冒険探検にまつわる本も紹介されてて2人が、「これ本当なんですかねー?」とかいってて面白い。2人の本読んでて感じる「どうやってるんやろ」がめいっぱい解説されてて、この対談本を入り口にいろいろ読むのもいいけど、たくさん読んだ上で対談で疑問の答え合わせするほうがオススメかも。
高野さんの文章が軽すぎる?じゃあ角幡さんの読めばいいよ!角幡さんのはかたすぎる?じゃあ高野さんの読めばいいよ!!!両氏の作品は自信をもってオススメいたします!!! -
Posted by ブクログ
タイトルで中身の想像が大体ついてしまう本ですが、とは言え面白いのは、著者が同じようなルートを実際に旅すること。説得力は物凄くあるし、ルポは引き込まれるような面白さがあります。
しかし、著者の探検はフランクリン隊のそれとは違って、大義は無いのではないか。国の威信をかけて新たな貿易路である北西航路を開拓する探索と、そのトレース。大変な冒険なのは文章からも、途中に挟まれた写真(いや、やっぱ写真があると違う!)からも感じられるのだけど、そこに危険を承知で行くのか、と思うと何だか切ない気持ちになります。
フランクリン隊の真相的な何かに迫るかというと、彼らの不可解な行動(船を放棄して、また戻る?)も別に解決されてはいなくて、途中のお墓を網羅していく訳でもない。
フランクリン隊のエピソードも、著者の訪れる場所に合わせて効果的なタイミングで挟んでくるなぁと思うものの、ちょいと狙いすぎな感覚。ストーリーが途中から読めてしまうような勿体なさを感じました。
でも星は4つ。面白いからです!
小さなアラの探しどころなんて、どんな本にもいくらでもあって、そんなものは「実際に行った、やった」ことの迫力の前にはすっ飛ぶのです。
肩の力を抜いた探検ものがあってもいいのかなと思ったり。 -
Posted by ブクログ
探検家&ライター・角幡唯介のエッセイ集。
2012年発刊の『探検家、36歳の憂鬱』に、数篇を加えて文庫化されたもの。
著者は、『空白の5マイル~チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』で、開高健ノンフィクション賞(2010年)、大宅壮一ノンフィクション賞(2011年)をダブル受賞しており、今最も注目される探検家&ライターのひとりである。
本書では、そうした著者ならではの切り口での考察が綴られている。
◆ノンフィクションの行為と表現~「書くことでも映像をとることでも・・・結果として表現に置き換えることを前提に何かの行為をする場合、その行為の純粋性を保つことは想像以上に難しい。・・・ノンフィクションを成立させる場合の本当の難しさは、実は文章を書く時にノンフィクション性を成立させることにあるのではなく、むしろ行為をしている時にノンフィクション性を成立させることにあるのだ」
◆冒険とノンフィクション~「冒険の場合は命がかかっているので、基本的には現場で起きるあらゆるトラブルに対処できるように計画を作る。・・・すなわち冒険の現場で筋書きのないドラマが起きた時、それはかなりの確率で遭難と呼ばれるものを指しているのだ。筋書きのないドラマが優れたノンフィクションの条件であるなら、冒険という分野では遭難こそがそれにあたるのである。・・・しかし、遭難は狙ってできるものではないし、狙ってしてはいけないものでもある。そうすると、冒険ほどノンフィクションの作品に適さない分野はない、ということになる」
◆冒険家にとっての目標~「目標そのものが、目標というよりも、達成しなければならないというふうに自分を追い込む強迫観念となってしまい、それを断念することが自分の弱さの露呈であるような気がして永久に逃れられなくなってしまうのだ。・・・目標から撤退することは、死を覚悟で挑戦することよりも時には苦しいことがある。冒険家や登山家の多くはどこかでそういうジレンマを抱えている」
◆冒険の魅力~「結局のところ冒険を魅力的にしているのは死の危険なのだ。死の危険があるからこそ、冒険や登山という行為の中には、人生の意義とは何なのかという謎に対する答えが含まれているように思える。・・・もしかしたらそれは当たり前のことなのかもしれない。生とは死に向かって収斂していく時間の連なりに過ぎず、そうした生の範囲の中でも最も死に近い領域で展開される行為が冒険と呼ばれるものだとしたら、それは必然的に生の極限の表現ということになるだろう」
自ら冒険し、それをノンフィクションとして表現する、探検家&ライターの、行動・思考の背景を知ることができる。
(2015年5月了) -
Posted by ブクログ
UMAのなかでも実在する可能性の高いもののひとつが雪男らしい。とはいっても、体長3メートルもあるような巨大な生物で、牛や鹿を襲って食うような怪物ではなく、人間の成人より身長は低い150センチくらいの猿(猿人?)の一種。なんらかの理由で高地の雪山で生活するようになったんじゃなかろうか、と専門家?は見ている。
はじめにお答えしましょう。雪男はやってきません。
しかしながら、なんだ、つまんねえ、やっぱりいないんじゃねえか、期待させやがって、けっ! とはなりません。
雪男に魅了された人々の体験記として読むと、それはそれは面白い。
著者は半信半疑のまま雪男捜索隊に参加する。しかし雪男をみたという証言が多いことに加え、著名な登山家の中にも雪男を見たという人が多いことで、次第に雪男の存在を信じ始める。
鹿や熊の見間違いじゃないのか。白銀の世界で目がやられ、岩が動いて見えただけじゃないか。
ヒマラヤに足を踏み入れてことのない素人は様々な要因を挙げては雪男の存在を否定する。
確かにそのようなこともある。そして初期の探検家が雪男の足跡などを偽造したりもしたので、どうせまた嘘だろうと思われるのは無理もない。
例えば、類人猿の専門家に雪山でチンパンジーのような猿が二足歩行するように進化したとは考えられないですか?と著者は質問する。
専門家は一刀両断。最初の人類が二足歩行するようになったのは平地であったためで、雪山のような斜面での生活で四足歩行を放棄するとは到底あり得ない。
ふむふむ。常識的にはそうなんだろう。
しかし、いるとしか言えない(徳川埋蔵金かっ!)
面白かったのは、現地の人々は雪男を探しに来たというと、金づるがきたとした思っていなくて、明らかにそんなものはいるわけない、と考えていること。金にならないとわかると、鼻で笑って否定する。
著者はこの状況を日本人にもわかりやすいようにこう説明する。
フランスの探検家が霞ヶ浦に河童を探しにきたら、地元の人はどう思うだろう。
一笑に付すのは簡単だが、なぜそう思うのか、それを想起させる何かがあったのか、よくよく聞いてみるのは面白いし、新事実に突き当たるかもしれない。
そんな感じで読むといい。