角幡唯介のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
探検家である著者がただでさえ過酷な環境である北極圏の旅で更に厳しい極夜を単独旅するという極限の中でも極限な環境を旅した旅行記。
実際に4カ月もの長きに渡り単独行を行った著者自身による著なので迫力が凄い。
その4か月も生死に直結するレベルのトラブル続きで、生きて帰れたのが奇跡なんじゃないかと思えるレベル。
本書を読むと本来、人が厳しい自然を生き抜くことがいかに困難な事か。
ちょっとしたことから餓死の恐怖に陥る事が良くわかる。
そして光、つまり太陽の重要さも。
常人には決して経験出来ない、極度の闇と極限の寒さの世界。そこで人は何を見出すのか。
を垣間見えるので、是非オススメな本です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレいやあ、相変わらずすごいとこ行ってるなあ角幡さん
死と直結する飢えとか絶対経験したくないわーー
旅行行く時も事前にめっちゃ調べるし、
その時その場を丸ごと体験してする、とかちょっと私には無理
だからこそ、この体験記に興味津々だ
本当の、体験ってもの
自分自身で生きるっていうこと
多分昔の人間がみんなしていたこと
でもそれはやっぱ大変だし、辛いこと多いし、読むだけならいいけど経験したくはないな
いや、でも読みたい、と思うことはどこかで経験したい、
という気持ちもあったりするのか?
自分だけの自分が生きている、という価値を持つ地図
いいなあ
未定な未来、不安な未来は死を孕み、
それをみないように -
Posted by ブクログ
北極に近い北半球の高緯度地方では、夏の間、太陽が沈まない白夜が続く一方で、冬には何か月も太陽が昇らない極夜という状態が続く。本書は、2016年12月から2017年2月にかけての極夜の時期にグリーンランドを犬と一緒に橇を使って旅をした筆者の冒険の記録である。
本書に描かれている冒険は、ひとつ間違えれば簡単に命を落としてしまう危険と隣り合わせの、想像を絶するような体験だ。その体験を筆者は人生における大きな勝負の一つであると表現したり、また、極夜時期が開けて初めて上った太陽の光を人間が誕生して初めて見るこの世の光に模したり、また、それを妻の出産体験に重ねたりといった具合に、筆者自身の人生と重ね合わせ -
Posted by ブクログ
チベット自治区の北東部に世界最大級の峡谷があるという。そのツアンポー峡谷は、ヒマラヤを源流とする大河の激流に削られて何度も湾曲し、ついには峡谷のどこかで忽然と消えてしまうのだという。河の上流と下流の標高差を考えると、どこかに未発見の巨大な滝があるとの伝説もある。大河が山中で消えてしまうなんてことがあるのか?
21世紀の現代では航空写真や3Dマップのおかげで未踏未開の地はほとんどなさそうだが、峡谷の影になる部分は航空写真では分からず、空白の「5マイル」と呼ばれるエリアが依然として存在していた。
そういった探検の事前説明が丁寧にされているので、なぜ筆者がこのエリアを目指したのか理由の一端がわかる -
Posted by ブクログ
知らない世界を知れる本 海で2度の遭難をして行方不明となってしまった人物を追いかけるなかで、漁師とそれを取り巻く人の生き方、人生観に触れられる本
自分と全然違う価値観を垣間見ることができてとても面白かった
漂流からの生還劇と思って読むと全然違うので、期待はずれとなる人もいるかもしれない。自分も途中までは肩透かしを食らったような印象だったが、ページをめくっていくと止まらなくなった
角幡唯介の冒険譚はとてもファンだったが、緻密な取材を繰り返しまとめあげた力作
読後の余韻も、少し寂しいが心地いい
あとがきで佐良浜の人が本を喜んでくれたと書いてあったのは、なんだか僕も嬉しくなった
いつか佐良 -
Posted by ブクログ
現在2023年4月末。先日、まもなく新型コロナが5類になることが正式決定されたとニュースで流れた。
この本に掲載されているインタビューや手記は2020年。コロナ禍がいよいよ始まり、おそらく世界中の誰もが、今まで非日常と思ってきたことを日常的なものとしなくてはならないという不安に覆われはじめてきた、そんな時期の発言だ。そのような意味では、更に数年後、コロナ禍を振り返るための格好の史料となりうると思った。
この本の中で多くの識者たちが言及していたと思うが、人間にとって一番厄介なのは、人間の心の中に生じる差別、偏見、批判なのだ。どのような状況下にあっても生じるこの心の動きに、私たちはどのように打ち勝 -
-
Posted by ブクログ
ネタバレ【家の中で一日中過ごす憂鬱】という謎のテーマで本を探して手にしたら真逆の内容だった『探検家の憂鬱』(角幡唯介)。
行きたい場所があったのに台風接近による暴雨で行けなくなったのでこの本を読んで夜更かししました。クソゥ…
そしたらなかなか面白い本に当たってしまった。
そして以下6点についていろいろ考えてました。
❶【《〈フィクション〉or〈ノンフィクション〉という2つの立ち位置》の先にある旅のあり方】
→面白くしようとするとそれは〈ヤラセ〉になり、すぐに後者から前者になる。
〈情報を受け取る側〉からするとヤラセはすぐに気づく場合が多いだろうけど、〈情報を提供する側〉となると表現するのは難 -
Posted by ブクログ
分厚い労作だが、一気に読み終える。さすがの構成&筆力だった。
以下、雑感。
一時期、沿岸部に暮らしたことがある。そこでよく聞いたのは「浜っ子だからね」というセリフ。良い意味でも、悪い意味でも使われていた。よく言えば豪放磊落、悪く言えば無鉄砲で無軌道(当地の言葉だと、荒い、とか、きなかい、とか)喧嘩っ早いけど忘れるのも早くて、利に聡いかと思えば情に厚い。そういう人のことを言っていた。この作品にはそういう人がたくさん出てくる。というか、九割方、そういう人たち。角幡さんはその中でも、2回の漂流を経験した沖縄の漁師を通じて「海」を描こうとしたんだという。何と大胆な。描きたかったのは漁民じゃ -
Posted by ブクログ
極地にて太陽の出ない季節である極夜を旅された「極夜行」。その準備段階を描かれています。準備段階といっても、しなければならないことが多く、それ自体が旅であり、命の危険にもさらされる大きな物語となることを知ることができます。極夜を旅するための道具にしても、その選び方、入手方法、使い方の訓練など、課題と解決だけでも途中で投げ出したくなるほどの試練が待ち受けます。六分儀、犬、橇をそうやって時間をかけて準備して、事前に白夜の季節に旅をしてデポを作り、下見をする。それだけやっても、本番では・・・と、先に読んだ「極夜行」を思い出しながらため息をついてしまいました。これだけ準備してもそれが無駄になっても、旅を
-
Posted by ブクログ
チベットの最奥部に流れるツアンボー渓谷を、著者は単独で探検し帰還した。
前半はツアンボー渓谷を巡る探検史に充てられ、ツアンボー渓谷がどのような存在で、かつてどのような探検がなされてきたかが理解できるよう書かれ、後半は著者の単独行が書かれる構成だ。
GoogleMapでツアンボー渓谷の航空写真が見られる現在、冒険の意味はどこにあるのだろう。本多勝一さんがパイオニアワークについて論じられていたものを読んできた世代にとって評価はなかなかむつかしいが、そのような雑事を越える情熱のほとばしりが本書にはある。
冒険に出ていく衝動、テーマを選定する思い入れの深さ、冒険を生業として生きる著者のプ -
Posted by ブクログ
太陽の出ない漆黒の冬季の北極圏を、1匹の犬だけを連れて4か月間にわたり旅をするというプロジェクトを描いた「極夜行」。本書はその準備として著者が実行した北極域での行動を記録したノンフィクションです。
冒険を「現代システムからの脱却」と位置付ける著者は、冒険において最も重要な”現在位置の確定”をGPSに頼らず、天測(星や太陽を観測して位置を求める方法)によって現在地を確定させようとします。天測にはある程度の誤差は避けられませんが、誤差が大きくなると命取りです。吹雪で視界の限られる極寒の下で天測の技術を習得するプロセスが第1回目の準備工程です。
食料やその他各種装備は犬橇(いぬぞり)を使い、1匹の犬