角幡唯介のレビュー一覧
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角幡唯介の本を読むのは「極夜行」に続いて2冊目。「極夜行」を読んだのは、随分以前の話なので、内容については記憶が曖昧ではあるが、北極圏での極夜(陽が昇らない時期。白夜の時期の反対)での冒険譚、それも、かなり危険な冒険譚だったように記憶している。
それに比べると、本書は、趣を異にする。筆者は、北海道の日高山脈に地図や、その他の日高山脈に関する情報を持たずに入り、「漂白」する。冒険にも色々な種類があるだろうが、何も情報を持たずに人里離れた地域に入っていき、徐々に自分なりにその土地の(今回の場合には、北海道の日高山系の)情報を積み上げていく、すなわち、その土地について、徐々に分かっていくことも冒険であろう、という、筆者なりの考え方に基づいての「漂白」である。
「極夜行」のようなハラハラするような冒険物語ではないが、これはこれで「冒険である」という筆者の主張には賛同する。そういう意味では、地理的に言って、「知らない場所を知っていくこと」が冒険の一つの定義なのかもしれない。
この定義に従えば、私たちが行う旅行も、一種の「冒険」的な要素があるのではないだろうか。日常を離れて、多くはこれまで行ったことのない、すなわち、「知らない」場所に行き、その土地のことを行って分かってくる、ということが旅行なので、上記の定義に従えば、それも「冒険」なのだろうと思う。
筆者が、日高山脈で何回かに分けてではあるが、50日近く「漂白」しようと思ったことと、例えば私が妻とヨーロッパに昨年10月に出かけたことは、「未知のものに出会いたい」という、それ自体は、何故か分からない願望に導かれた「冒険」なのだと思う。 -
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陽はまたのぼりくりかえす。が当たり前な世界で生活している側の人間として、闇に覆われた世界は未体験ゾーンでしかない。
その、ワンミス=死というハードコアな環境で脱システムを掲げ、現代テクノロジーを遮断し、4ヶ月もの冒険を決行する角幡氏を襲うブッ飛びエピソードの数々に恐怖し爆笑する。
そして、どんな状況下に置かれても、生き物としてのシンプルな強さとセンスで順応する、角幡氏のサイドキックである犬のエミリヤックは今作のMVP。
それ故にクライマックスの展開は映画的で、作中の言葉を拝借して、まるでフィクション。しかし事実は小説よりも奇なり。なわけでグッときた。
あと、時折挟まれる、スピリチュアルとアブノーマルな作者の性癖。ここは注意喚起しておく。
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極夜行をフルに楽しむ為に、気は乗らないが今作を読んでみる。結論、面白い。
まだスタート地点にも立ってない準備段階で、ピンチの連続、死亡フラグの連続。なかでも海象への印象をガラッと変えるエピソードは、スピルバーグの傑作ジョーズを彷彿させる緊張感でゾッとする。
そして犬橇に使われる犬への、忖度しないし躾け方法は犬好きの怒りを買うのは待ったなしだろうが、ハードな環境で生きる為に、合理的な関係を築くイヌイット式犬の飼い方には納得しかない。
社会の窓、いわゆるズボンのチャックが開いてるだけで死にかけるグリーンランドの生活。こちらは日本ですが、日常生活でも引き続き気をつけて閉めて行きたいと思います。 -
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奥只見の教訓から地図無し登山を日高山脈で決行したあと、著者は極夜での放浪を終えた後に漂泊を思いつく。
第一部ではその考えから、橇を引いての北極探検へと犬一匹と向かう。
「自分の土地」を広げていく。
この言葉について、狩りを経験した人なら分かると思う。
俺自身も罠を仕掛けてイノシシを狙うハンターの一人だが、何度も同じ場所を歩いて、イノシシの動静を想像して罠を仕掛ける場所を決める。
何度も同じ場所に行くことで、その土地を深く知っていくということが「『自分の土地』を広げる」ことだと分かる。
ただ、著者のように命がけで自分の土地を広げようという領域までは理解が及ばない。
その領域の分け目は、自分が探検家であるということに人生をかける著者との違いなのだと思う。
あとがきで「思いつきこそ人が一線をこえて新しい行動を起こすその原動力である」と述べている。
思いついちゃったから、やらないと仕方がない。
何を思いつき実際に行動するのかが人生なのだと思う。 -
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事前知識なしに自然と対峙することで太古の人類が経験したであろう自然との関係を追体験しようとした試みの記録。
そのため著者は北海道の日高山系に、事前に地図を見ることなく、また山などの固有名詞も知ることなくおおよその位置関係だけで山を登っていく。また長期間の旅となるため釣りなどをしながら食べ物も調達しながら旅行するというスタイルを取る。読んでいるとラーメンや蕎麦などある程度は食料は持ち込んでいるがコンロなどはなく、焚き木で加熱している。関野さんのグレートジャーニーと似ているが、地図が無かったり、できるだけ自分で対処するするようにしており、旅の趣旨はよくわかる。しかし、釣り竿を持っていたり、コンパスがあったり、服は着ているし、ターフは持っていっているし全く原始的というわけではない。すべて1からやるとそれは大変で移動できなくなってしまうのでその辺りが落とし所なのであろう。
あくまで角幡さんの記録なので、そういうことを感じたんだなぁということが伝われば良いのかと思ったが、植生を調べたり、鹿や熊の生息状況を調べるなどの目標があれば成功、不成功や発見などが面白いのだが、自然と自分の距離を文明の利器を使わずに縮めようとする試みなので何が成功か不成功分けるものはない。ただ、山頂に登るということが山の名前を知らなくても自ら課すタスクとして残っているのが面白かった。
結局、人間は暑さ寒さ対策と飢え対策とヒグマとの接近などの命を守るなどの危機回避をして生きていくそれだけなんだと思う。 -
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極域の極夜単独行など、独自の視点で探検を行い、その体験を文章化してきた角幡氏。結婚を機に「なぜ結婚したんですか」という質問に向き合うなかで、それは「なぜ冒険をするのか」という問いと同じ構造で捉えられると考察します。
「なぜ結婚したんですか」という問いの背景には、”冒険家として生きるなら結婚は邪魔なのでは”という質問者の思い込みがあり、だからこそ”合理的に判断すれば結婚しない”という結論に行き着くはずなのに、”なぜ結婚したのか”という問いが発せられると著者は分析します。それに対し、著者が思索の末にたどり着いたのは”結婚を思いついたら、それをしない選択はあり得なかった”というものでした。一見、飛躍のある結論に思われますが、これを著者独特の哲学的な分析で解きほぐします。
その過程で「なぜ冒険をするのですか」という質問にも”なぜわざわざ死のリスクを負ってまで探検をするのか”という質問者の意図を著者は感じ取り、それに対する結論も”その冒険を思いついたら、実行する以外の選択肢はなかったから”というもので、この結論に至るまでの思考、考察をまとめたのが本書です。
著者の思考を要約すると…
”対象物(自然や結婚相手)と深く関わる事”を通して対象物をより深く理解し、自身の人生が構築されてゆき、その過去の経験を含めた現在の自分が冒険や結婚といった”事態”を思い至る。だから、その”事態”を切り捨てることは、過去から現在に至る自分自身を切り捨てるのと同義であるから、それは出来ない=結婚や冒険を実行する
という展開です。本書では”深く関わる事”とはどいうことかを、極域の冒険を題材に深堀しています。著者は極域の冒険で当初GPSを使用していましたが、”一様な風景の中で現在地が把握できない不安な状況こそが極域の冒険の本質なのだから、GPSを使う事は極域と深く関わる事の障壁にしかならない”と考え、以降の冒険ではGPSを使用せず、天測で現在地を把握するようになりました。”極域と深く関わる”についてはGPS以外にも犬橇を例に考察を展開しているのですが、犬橇というのがいかに”見るとやるとでは大違い”的な代物なのか、非常に具体的でかつ、面白く描写されていて、さすが極域の冒険を数多く経験してきた著者ならでは、という印象でした。
単純な問いに対して、哲学的に思考を進めて行くプロセスは「なるほど!」と唸らされる箇所が数多くありました。哲学的な思考が好きな人にはバッチリはまる本だと思います。 -
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最近、自分がこれからどう生きていくのか考えるようになった。無論、結婚もそれに含まれる。
自分はいつ結婚するのか、結婚しようと思ったら早いうちに行動すべきなのではないか、そのためにはどんな相手を求めるのか、自分がどんな人間であるべきなのか、結婚を合理的に進めるための行動を考えていた。
自分はいつも誰かを好きになる時、相手は恋人として合理的でない人ばかりだった。つまり相手(=私が)を恋人して見ていなかったり、そもそも恋人という存在を必要としていなかったり、恋人に対して歩み寄ったり関係を進めるための行動を起こさなかったり、という具合である。
合理的に考えればそんな相手よせばいいのに、どうしたって惹かれてしまう。友人から幾度なくもっと良い人がいるよと声を掛けられても、気づいたらそういう人ばかり好きになってしまう。もともとそんなふうに考えていなかったのに、何かがきっかけで相手と関わるようになり、相手を知り、自分がこれまで築いてきたコアに相手が触れ、感情が隆起し、好きになる。その過程は、まさに本著で書かれている「事態」に当てはまるものだった。
そうやって「事態」として相手を好きになっては痛い目に遭っているので、結婚を考えるなら自らが傷つかない、予測不能でない相手を選ばないと、と冒頭述べたような思考で日々過ごしていた。だが、本著を読んで、そうじゃない、前の考え方こそ生きるということなのだ、と顔をぐいっと元向いていた方向に戻された気がした。そもそもそんな風に結婚に向けて考え出したのも、ずっと一緒にいたいと思っていた恋人と別れたことが契機であって、その恋人と付き合うことも別れることも予測不能の事態であり、それに飲み込まれ、打ち上げられ、方向を変えながら今に至っている。それを繰り返して「私」固有の人生になっているのだ、と思った。
これまでの予測不能で思いつくままに進む自分の生き方は社会というシステムの中にはそぐわないということに最近気づき、それゆえに苦しんでいるため、もっと合理的にならなければと考えいたが、これまでの生き方も悪くないと肯定された気がした。
では、これからどうするか。
私は今のところ生活していくには社会のシステムの中にいざるを得ないので、そのシステムが適用される仕事上では、世の中がある程度納得する様な、合理的な判断に基づいて行動する方が良いだろう。ただ、自分の人生全てを世の中の基準で決めてしまっていいのか。具体的には、結婚相手を「選んで」いいのか?それが「事態」として隆起するまで、じっと待つことも良いのではないか?待つ過程の中で、自分の感覚や好きなこと、やりたいことをやっていって、隆起する地盤を積み重ねていくことが大事なのでは?
その生き方がどこまでできるか分からないが、どうせどの道を進んでも予測不能の事態は起こるのだから、少なくとも今は思いつくままそう生きて行こうと思った。
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東野圭吾の「白夜行」に対しての「極夜行」なのかわからないが、太陽が昇らない季節のグリーンランド冒険譚。
写真の一つでもあると、自分の貧困な想像力を補うことができるのだが、それでも凄まじい冒険だったことは分かる。
時に軽いタッチの筆、特に犬を表現するときのそれご、逆にどれだけこの冒険が大変だったのかを語っているようにも思えた。
生還したからこそこの本が出版されてる訳だが、そもそも極夜をなんと読むのかわからないぐらいだったが、アラスカでオーロラを見た時の夜の暗さは覚えている。
都会の夜とは違う夜の暗さ、黒さ。そこから太陽のある世界に戻ってきた時の感動は凄かっただろうなと思う。
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原始的体験としての極夜行。すごいこと思いつく人だなあ。
ストイックだけど、いろんな意味での人間味が面白い。現代の部分も、原始の部分も。
天体との関わり方は、羨ましいに尽きる。とてもじゃ無いけどこんな旅はできないので、羨ましいとハンカチ噛むしか出来ない。本当の夜も、頭の上で泰然と導くポラリスも、美女ベガも、愉快犯みたいだけど見放さないでいてくれる月も、やがて昇る本物の太陽も。
あとがきにドッグイヤーしたのは初めて。
口悪いし下ネタ放ってくるし、でも物はちゃんと整備して、死生観を持っていて、こうゆう人じゃ無いとこうゆう世界で生きていけないんだろうな。
そしてこの世界で生きていける人でも、人の世界に帰ってくる、ということはこういうことなんだな。 -
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タイトルで勘違いしていたが、本書は足掛け4年、4回にわたる山行記録で、1回の山行で49日間日高山脈に入り浸っていたわけではない。日高山脈はそこまで広い山域ではないということか。また、地域を手の内化しようとする試みは、北極圏でも実施している著者の一貫した行動原理の一つと感じる。
無目的に漂泊する指向の中でも、沢を遡行し、とりあえずの目標をいただきに求めることや、地図を持たず歩く中でも現地で出会った人からの情報を取り込み歩き続ける様も、今回の活動の原理として破綻なく読むことができた。著者の北極行に比べるとひりひりした感覚は感じられないものの、日本の山が持つ豊饒さの中漂泊する様子は、読み手の心も豊かに満たすものだと思う。
僕が旅に出るとき、それは登山ではなくサイクリングだけれど、できるだけ予定を決めたくない。1日1日、地図は見るものの、ただ移動することを緩やかな目的として、漂泊したい。そんなふうに、本書に同調して読んでいた。 -
Posted by ブクログ
地図なし登山の追体験ができる。
最初は未知のことが多すぎて、危険に満ちた山行と思っていたが、だんだん既知の領域が増えていくとパッと世界がひらけた感じで旅を続けられる。
本を読み進めるに従って、あたかも自分も未知の領域を冒険しているかのごとく感じられる。
また、ところどころで挟む著者の思想もおもしろい。
例えば出立に際し、近代アルピニズムに求められる困難とは?について語っているが、選ぶべき困難と選ぶべきではない困難があるということは登山以外でも同様のことが言えるのではないかと思う。
冒険の追体験、そしてところどころに挟まる思想。
この2点がこの本の魅力なのではないかと思う。