小説・文芸の高評価レビュー
-
Posted by ブクログ
日本史ちゃんと勉強しなかった民なので楽しめるか不安な思いで読み始めたけど、、、そんな心配は杞憂に終わりました、はい、とっても面白かったです。一気に飲み進める事ができました。
たまたま大河ドラマ『軍師官兵衛』を当時リアタイで観てたので、主要な登場人物(と言っても村重や官兵衛、おだしさんくらいだけど)を頭の中に思い浮かべながら読めたのも良かった。
これ以上に面白い歴史小説ってあるのかな?
他にも歴史小説読んでみよう!その前にまずは日本史を学び直そう!と思い立ち、大人の学び直し用の参考書を買いました。
そんなきっかけを与えてくれたこの本に感謝です。
-
Posted by ブクログ
ネタバレハヤブサ消防団の続編。
続編と言っても前作の宗教団体の話から今回は文学賞から町長選にまつわる物語まで趣は大きく変わっているが、消防団や三馬を取り巻く登場人物は変わらず個性的な人々が楽しい。
ところどころで現れる三馬の生硬い正義感?に、ちょっと引くところはあるが、そこは池井戸作品らしさ。
物語は、女性の遺体を三馬達が引き上げると頃から始まり、何の関係が?と思わせる町長選挙、人気の美人作家と三馬がハヤブサで知り合い、お互いが文学新人賞を受賞し、受賞作の盗作疑惑が起こる、ハヤブサと旧満州の忌まわしくも悲しい過去、町長への疑惑、さまざまなエピソードや人間関係が重なり合う。
サンカクでの飲みのシーンやBMWの02のエピソード、文学賞をめぐる裏話、ストーリーにちょっとしたスパイスとなっていい塩梅に物語に深みを増している。
「人にはそれぞれ世に問うべき作品があるような気がする」という北村未南の言葉は、刺さった。
もし彼女と同じ境遇に置かれたなら同じ行動をしたかもしれない。
とても面白く読み進むについて引き込まれて、一気に読み終えた。 -
Posted by ブクログ
とても素敵な一冊に出会えました。
冴と心晴、2人の少女が感染症の時代に翻弄され、色々な感情を抱きながら進む物語には、苦しさ、切なさ、焦り、不安、希望、愛…全てが詰まっていた。
感染症が広がり、ソーシャルディスタンスを強要され、主人公2人が3年生になった途端休校になった。
私の子どももまさにその流れと同じ道を辿った。1つ年上の4年生だった。休校になり、オンライン授業に分散登校、一斉登校が始まってからもマスクは必須で誰とも話せない。給食は前を向いてアクリル板を立てて食べた。音楽の授業は歌うことやリコーダーなどの楽器も使えず机を叩いてリズムを取る。みんな先生の言いつけを守った。運動会や林間学校をはじめとした行事もなくなり、少年野球も出来なくなった。
なんで子供だけあかんの?プロ野球はやってるやん、大人は仕事行ってるやん、ご飯食べながら喋ってるやん。って何度も言っていた息子に対し私は何と答えていただろうか…。
経済活動に影響がない子供が犠牲になったとしか思えずモヤモヤしていたことをハッキリと覚えている。
少しずつ日常が戻っても、大人の1年と子供の1年の重さは違うといつも思っていた。子供には原体験が必要なのに、と。
そんなことを思い出して、とても共感しながら読み進めた。
母からたっぷり愛情を受け、地域の人からも見守られながら真っ直ぐに育った冴。
家族と少しだけ愛情のすれ違いがあった心晴。
その2人が大人になって出会い、元々の気質も相まってお互いに良い相乗効果を生み出しながら前へ進んでいく。
冴と冴の母との会話。
心晴が友達と夕食に行くと言った時の母の気持ち。
カナカナが作った羊毛フェルトのぬいぐるみ。
自然と涙が溢れて止まらなかった。
そして、とにかく蒼葉が良い男すぎる。好きにならないわけがない。本当にその通り。
この物語には優しい人しか出て来ない。現実はそうじゃないかもしれないけど、「マスク世代」と呼ばれた子供達が自分らしく前を向けていることを願いたい。
「愛も幸せも形はない。
だけど、それが見える瞬間は本当にある。」
明日の朝は5時起きで、野球部の試合に向かう息子のお弁当を作る。それも目に見える幸せの一つかもせれない。
そんな日常を大事にしようと思う。
-
Posted by ブクログ
どういうことなの? とタイトルを目にして手に取り、中身のぶっ飛んだ文章にびっくり。元はオモコロに掲載されたコラムらしく、ウェブの記事によくあるような「身近なインターネット自由研究」的な内容が続くわけですが、着眼点と題材の切り取り方、文章運びがとにかく狂気に満ちている。
ウェブで見るのと活字で読むのではかなり印象も変わるし、画像なしではわかりづらい部分もあるのだけれど、これは確かに文学だ。河出から単行本化されるのも納得せざるを得ない。
家から一歩も出なくても奇想の旅に出ることは出来る、というコンセプトと執念がひたすら刺激的。
各編をまとめるように添えられた短編小説の鋭さと余韻が印象に残った。 -
Posted by ブクログ
「失恋した人は絶対に読んだ方がいい‼️」みたいな感想を見て、「失恋した私」はすぐに読もうと思った。笑
なんかすごく心に沁みる話だったな。失恋すると、今まで彼がいなかった時の自分ってどうやって生きてたんだっけ?って思うことがそれはもうたくさん増える。空いた時間がありすぎて、今まで趣味とかあったんだっけ?いいこと悲しいことがあった時今までは誰に話してたんだっけ?本当に空いた穴が大きすぎるような気がする。それだけ好きになれて大切に思えた人がいたっていうのは素晴らしいことなんだけど、それと同時に好きになりすぎた、大切な存在になりすぎた。というのは失った途端に自分のダメージとしてすごく大きい。
じゃあ!そんな時に何をする?途方にくれてるだけじゃ何も解決しないんだから!というのがこの物語。自分のペースでいいんだよ。やりたいことをやればいいんだよ。ありがとう、きっと前に進めると思う。 -
Posted by ブクログ
いい人だと思ったら悪い人だったり、悪い人だと思ったら実はいい人だったり。
誰かのことを「悪い人じゃない」と表したりするけど、それって「いい人」でもないってことだろう。
人を「いい人」「悪い人」と簡単に分けること自体が、そもそも難しいのだと思う。
人間は多面的だから、どの一面を切り取るかによって印象は全然違う。
毎日顔を合わせている職場の人たちのことだって、私が知っているのは、切り取られた断片的な一面だけのはずだ。
でも、人のすべてを知る必要なんてないし、見えている一面だけで相手のことを決めつけずに付き合っていければ、それで十分なのかもしれない。
就活でお互いの本質を見極めようとするなんてやっぱり無理だし、そもそも、相手がどんな人間なのかに正解なんてないのだ。
「犯人」は誰なのか?「パスワード」は何なのか?
何度も予想を裏切られる展開が面白かった。伏線っぽいな〜というシーンは見分けられても、わたしの場合は、結局正解にはたどり着けなかった。
ミステリーとして楽しみながら、人を一面だけで判断することの難しさについても考えさせられた一冊だった。 -
Posted by ブクログ
題名は『歩くことの「人類史」』ですが書かれているのは著者の『歩くことの「個人史」』です。しかしトルビョーン・エーケルン個人の歩くことの記憶が、人類がアルディピテクスとして木の上から降りてからホモサピエンスとしてアフリカ大陸を出て大陸から大陸に歩き続けた過程と重なる気分になります。個人の足裏と人類の足裏が重なる感覚です。文章もなんだか歩くスピードで書かれているような心地よさです。著者は言います。「僕自身について言うなら、歩くことは、何かを考えることより、むしろ考えないこと、 または少なくとも何か重要なことや複雑なことを考えないことに関わる。」たぶん我々の先祖も歩いている時は「歩くこと」そのものに集中していたんじゃないかな?そういえば一緒にハイキングしていた友人は「山に入る前にいろいろ悩んでいてことが山を降りる時、なんか解決しているように思えるんだよね。」と話したことがあって、山歩きの魅力ってそこにあるのかも、と思ったのを思い出しました。病を得て車から離れ徒歩を生活の基盤にした著者が、子供の頃の山小屋の近くの小道の思い出、友人と自分とそれぞれの子供たちとノルマン・スレーパネと呼ばれるトレイルを歩いたこと、友人と磁石もGPSも使わず太陽を頼りにノーマルカという森林地帯を歩いたこと、雪の道を一人でハーフマラソンの距離を歩いたこと、そして、子供の頃の小道をもう一度、歩こうとすること、が章を変えて綴られていきます。考えない、と言っている割には、思考はあっちゃこっちゃ飛んでいるのも面白い。ノルウェーという知らない国の自然描写も何かそそります。出てくる人名もまったく未知なのに気になりません。そうそう、ヘラクレイトスの「人は同じ川に入ることはできない。」を「人は同じ小道を二度歩くことはできない。」と言い換える気づきにも、なんか共感しました。読みながら数年前にちょっとだけ歩いた「みちのく汐風トレイル」の思い出が蘇りました。やっぱりいつかスタートからゴールまで、ちゃんと歩いてみたいかも。同じトレイルでは無いけど。
-
Posted by ブクログ
この経験は、これからを生きる私の心との対話
名作中の名作。登校しぶりとなった少女「こころ」の身に起こる不思議な出来事が、そこで出会う人々との交流が、自分らしさを再生し、そして仲間がいる温かみによって、もう一度頑張ってみようと行動に繋げる。世界の見え方と在り方を見つめ直す、自分から勇気の一歩を踏み出す話は多くの人に共感を得やすい。
その中で読者の皆は何を自分と対話させ、どんな読みをしただろうか。私はこの作品を読んで、一番に想起したのは社会人生活での忘れられない出来事である。
私は社会人になって、心の病となってしまい働けなかった期間がある。心を壊して、閉ざして、生きていくことが辛い最初の日々、そこから心が少しずつ回復して、医療機関のリワーク施設に行き過ごした日々、職場に戻る決心をし、復職訓練をする日々。
順調に行っていた人生が全て粉々に砕けたあの光のない日々の中で私を支えてくれた家族、リワーク施設で出会った色々な過去をもつ同じ病の人々との交流、復職訓練で励ましてくれた信じられる職場の人々。
心の回復には時間がかかります。様々な要因が複雑に絡み合うので根治が難しいです。復帰しても心の波があり、ふと心が再び壊れそうになることもあります。
ただその中で大切なことはそんな自分が人生の泥沼にいるときに自分に手を差し伸べてくれた人、関わりが温かった人、そんな人を心の拠り所にし、時間がかかってもいいから自分の中に何か自分を肯定できる温かみのある自信を生み出すことです。
私は今、日々の中で大変なことや辛いこともあるけれど、生きていてよかったと思います。生きていくのは大変で、ときに自分の心を壊すような人との出会いもあるでしょう。
ただそんな人に自分の大切なものを壊され、壊されたままで自分の人生を閉じる、それは嫌だなと思える自分になれたこと、こんな人別に相手にしなくてもいいんだなと思っても大丈夫なこと、それを思い返させてもらいました。
そして少し肯定的に生きていこうと思えるようになった今、苦しんでいる人がいたら、辛い人がいたら、少しでもその人の心の拠り所になりたい。自分がしてもらったことを、今度は自分もできたらという願いをもちたい。そんな心を皆で通わせられたら、こんなにも良いことはないと思う。
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。