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Posted by ブクログ
誰もが「あの人こそスターだ」と認める存在がスターだった時代から、誰しもがスターになれる時代へ。本書はそんな今を生きる二人の若者を描いている。
主人公の尚吾は、細部へのこだわりを大切にし、長い時間をかけて作品を仕上げ、対価を払った人にだけ届ける映画の世界へ。一方の紘は、生産から消費までのサイクルが速く、瞬く間に拡散されていくYouTubeやネット配信の世界へ。それぞれの道を進みながらも、互いを羨み、もがき、葛藤し、自分が本当に成し遂げたいことを模索していく二人の姿に、深く心を動かされた。
主人公以外の人物の言葉にも、まるで今の自分に向けられているかのような、はっとさせられるものがあった。30代を目前にした今、自分の生き方を見つめ直すきっかけになった。
また、夜空の星が実際には星型をしていないように、現代のスターのあり方も、誰もが思い描く形とは限らない。星を用いたこの表現も秀逸だと感じた。
何を大事にするのか。誰の姿を思って行動するのか。それを考えながら、自分が何を成し遂げたいのかを見つけていきたいと思う。
Posted by ブクログ
何かを創る仕事をしているひとには刺さるはず。
特に私はSNSで活動しているので、刺さり、えぐられ、八つ裂きにされ、最終的に転生した。
細部に神が宿ると信じ、質を求め続ける尚吾。
自分の感覚を信じ、センスを磨き続ける絋。
大学生の2人が共同監督で作った映画は、映画通の中では名の知れた賞を獲る。
その後、
尚吾は有名映画監督に弟子入りし、
絋は小さなボクシングジムのYouTube動画作成を手伝い始める。
映画界では、高品質なものを提供できる一方で、時間がかかる上に、有料だから拡散されにくく見てもらうハードルも高い。
YouTube界では、無料で拡散されやすい一方、消費されるスピードもはやく、そのペースに合わせて生産するため質の担保が難しい。
単に映画とYouTubeの比較だけではない。
質とは何か、価値とは何か、時代で変わったものは何かを問う話。
質が良いとは言えないコンテンツを毎日SNSにあげつづけ、
ただ続けてきたという事実と、
それに応じて増えたフォロワーの数だけで評価されている気がしていた。
自分は何もすごくないはずなのに、
ないものをまるである様に見られている気がしてならなかった。
続けられる事が才能?
そんなの才能じゃない。
みんな毎日歯磨きして、顔洗って仕事行ったり家事したりしてるだろ。
私はそんなものではなく、偽物が通用しない世界でも輝ける唯一無二の才能が欲しかったんだと思う。
読み終わった今も、私は新しい道標を見つけられていない。
だけど、差し出すものには自信を持てる自分でいたい。
と思った。
Posted by ブクログ
送り手側も受け手側も多様化していくなかで、そこに単純な優劣や上下はなく、結局はポジショニングなのだと思う。需要と供給のあいだで、そのときたまたまパズルのピースが噛み合うものが選ばれていく。言われてみれば、その通りである。
ただ、いざ送り手側の立場に立つと、そう簡単には割り切れない。
「どうしてあんな粗悪なものを売っているんだ」と思うこともあれば、逆に「どうしてあそこまで真面目にやっているんだろう。そんなに丁寧にやっていたら採算が合わないだろう」と感じることもある。実際に受け手がどう受け取っているかを十分に考えないまま、つい他の送り手と比較してしまう。
さらに、ある程度その世界を深く知るようになれば、受け手の認知や感情を意図的に誘導するような施策も見えてくるだろう。それを送り手の立場から見て、「自分にはこれはできない」「これは許せない」と感じることもあると思う。
けれど、最終的に価値が生まれるのは、送り手同士の評価ではなく、送り手と受け手とのあいだなのだ。
もちろん、その姿勢自体にも一つの正解があるわけではない。売上を最大化することを第一にする人もいれば、自分が本当に届けたい相手に、正しく届くことを何より大切にする人もいる。そのどちらが上という話でもない。
だからこそ、送り手として大切なのは、周囲の環境や評価軸が変わっても、自分が何を大切にしているのかを見失わないことなのだと思う。
もちろん、その信念自体は変わっていってもいい。ただ、他人を貶めたり否定したりすることで自分を正当化するのではなく、「自分はこういう矜持で、これを届けています」と自信を持って言えるものをつくる。
そんな視点を、私自身も持っていたいと思った。
Posted by ブクログ
YouTubeが当たり前にあり、ショート動画が好まれる世の中。
どんな人でも動画を作り、発信できる世の中。
だけど、受け取る側の受け心は変わっていない。
丁寧に作られた作品と、目の前のバズりを意識した作品。それぞれを良しとする2人が、それぞれの場所で作品を作り、心の動きを経て、また再会する流れが、ドラマチックでした。
この本が刊行された当時は、YouTubeは今ほど普及していなかったように感じますが、今読んでもとてもしっくりくる作品。
むしろ今こそ、作品とは何なのか、主に受け手側である我々がどのような気持ちで、どんな作品を受け取るべきなのかを、考えさせられる作品でした。
Posted by ブクログ
テーマがすごく「今」っぽい作品だった。
誰もが発信できて、再生回数や数字で評価が可視化される時代。「質が高い」とは何なのか。「本物」とは何なのか。過去の権威は拡散力が乏しく人の心に残らず、しかし手軽に手が届くものは見る人から見れば「足りない」けど「本物」のように評価される。
丁寧に作られたもの、多くの人に届くもの、評価されるもの――いったい何を物差しにすればいいのかが、ずっと問いかけられているように感じた。
特に印象に残ったのが、祖父の「よかて思うものは自分で選べ。どうせぜーんぶ変わっていくと。」という言葉。絶対的な物差しを探し続けても、その基準自体が時代とともに変わっていく。だから最後は、自分が良いと思うものを自分で選ぶしかないのかもしれない。
終盤で「食事」を通してこのテーマが語られるのも良かった。映画や動画だけではなく、私たちが普段何気なくしている「これは良い」「これは本物」という判断にも同じ問いが潜んでいるように思えた。
最後まで明確な答えが示されないので、読み終わった直後はモヤモヤした。でも、もしかするとその「答えが出ない感じ」そのものが、この作品の答えなのかもしれない。
Posted by ブクログ
映像を撮る上での考え方も、卒業後の進路も真逆な2人の主人公をはじめとして、様々な対比が出てくる作品だった。
私も趣味ではあるが作品を生み出している。作り手として何を大切にしていくのか、時代の流れや変化にどう対応していくのか、反対に何を切り捨てていくのか…を常に考えさせられた。
私の幼い頃は皆同じ番組を見ていて学校では前日の番組の内容でよく盛り上がったが、今はYouTubeなどの配信サービスも増え、地上波をそもそも見ない人も多い。好きな歌手や有名人を挙げても名前すら相手が知らないことも当たり前になった。どちらも20年前には考えられなかったが、そんな今だからこそ読みたい、深みのある1冊だった。
Posted by ブクログ
今の時代、テレビ、ラジオ、映画、YouTube、ネトフリなど様々な媒体で発信ができるようになり、確かに万人が認める「スター」はいなくなってしまったような気がする。少し前までは、今やってるドラマや映画が誰にでもできる雑談の話題だったのに、今ではそういった共通の娯楽は少なくなってしまった。誰でも発信できるのは良いことでもあるが、それだけ受け手が自分が本当に良いと思うものを自分と相談しながら評価し、好きなものを見つける必要がある。いろんなものに対してアクセスするハードルは下がったが、それだけ選択肢が増えてしまい、正直疲れてしまうこともある。何を得られるかも重要だが、同じくらい何を捨てるか何が失われているかを意識するのが大事になってきている。私もやはり質の面で見れば映画のほうがYouTubeより優れていると感じてしまうが、おそらくそれはお金を払っているからであり、お金を払っているからそれなりのものなんだろうという先入観も入ってしまっている気がする。自分が好きなものに出逢おうとするとき、何を通じて出会うかというその媒体の違いは、その質の違いとは分けて考えなければいけない時がきていると思った。
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