小説・文芸の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
ずっと気になってたけど満を持して読んだかがみの孤城。
面白かった…一日で読んじゃった
大人になった今読んで良かったと思うし、学生時代に読んでいたかったなとも思った。
学生時代の自分と、読んだ感想を話したい。
登場人物の心の機微が本当に細かく、リアルに描かれてて、のめり込むように読んじゃった。読み進めていくごとに明らかになっていく謎もそう言うことかぁと何回も驚かされた。
「改めて、自分たち中学生の居場所は「学校」と「家」以外にないのだということを思い知らされる。」
大人になって生きやすくなったのって、どこへでも行けること、だなぁと常々思う。
1人で外食したっていいし、カフェでダラダラしてもいい。飛行機に乗って遠くに行くことも、ホテルを取ることもできる。あのころの不自由さと大人になるごとにどんどん自由になる感覚が蘇った。
正直に話してもわかってもらえない。味方になってくれるわけがない
本当に辛い時って自分の頭の中だけで仮定することって全部ネガティブになっていく感覚、すごくわかる。
でも話してみたら意外とちゃんと聞いてくれる人がいたり、わかってくれる人も存在する。
1人で悩んで考え続けることが一番危険な気がする。
「相手に言葉が通じないことを思い知った。」
言葉が通じない相手ってどうしてもいる。話し合うとか、そういうことをしてもどうしても無理なことがあるって、私も最近思い知った。
「胸を張って学校に向かえるのは、ここだけが居場所じゃないと教えてもらったからだ。」
今、しんどい子どもたちに、学生時代をもう乗り越えた大人たちが「大人になって」と声をかけるのは、酷だと思う。
でもこの物語なら、素直にみんなの心に届くんじゃないかな。すごく希望を感じるお話だった。 -
Posted by ブクログ
「何ひとつ、言葉が出てこない。」ってことありませんか?
話す場面なのに適切な言葉が出てこない。こんな時に何を言ってあげたらいいんだろうと言葉に詰まった経験は皆少なからずあるはず。
この物語は、友人の結婚式でスピーチをする事になったとあるOLの成長物語。
主人公のこと葉は、ある時、スピーチライターの久遠久美の短くもユーモアと愛情にあふれるスピーチを目の当たりにします。久美と関わり、スピーチの極意と言葉の操り方を学ぶうちに、自分の世界が広がっていきます。
言葉のプロに出会ってからのこと葉は、まさに激動。恋愛、ガールズトーク、老舗メーカーの新キャッチコピープロジェクト、そして、政治の世界と、内容も盛りだくさんで、言葉で変えられる世の中を本気で信じる、がむしゃらさに強く引き込まされた作品でした。
スピーチの極意として、観察、傾聴、沈黙、等様々なスキルが必要なだけでなく、相手に気持ちを届けるには、やはり人柄やエピソードを効果的に使う事が大切で、時折出てくる気迫のスピーチに何度も目頭が熱くなりました。
最初から最後までとても読み応えがあり、本著者は初読みでしたが、他の作品も是非手に取ってみたいと思わせてくれましたし、節目で何度も読み返したいと思えるような素敵な作品でした。おすすめです。 -
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白かったです!
人がその人たらしめるものってなんなのだろうと考えさせられました。
過去の話や戸籍という情報はアイデンティティになりえない、個の存在定義のゆるふわさを考えさせられた一冊です!
また、この物語を読んで、私も高校生のとき初めて行った美容院で、ここはずっと通えそうにないなと感じたときに、適当な作り話をしたことを思い出しました。
入ってる部活や家族の話などを友達のものと織り交ぜて作った、私とはまた違う私が出来上がった不思議でちょっと楽しい感覚を覚えています笑
主人公の気持ちが少しわかってしまう、そんなドキドキする読後感でした! -
Posted by ブクログ
杳子の心と身体のありようを彼らは便宜上「病気」と呼んでいるけれど、あれは彼女なりの世界の受け取り方でしかないんだよね。彼女は世界を過剰に身体的に知覚してしまう(することができる)というだけ。世界の知覚の仕方なんて人それぞれ違うわけで、それを周りの人間が「治したい」というのはやっぱり「自分にとって都合の良い状態に変えたい」ということでしかないよね。杳子の、発作、症状、とよばれるものの細部が、側から見てどう見えるのか、杳子自身にとってはどんな状況なのか、が丹念に描写されているのがおもしろかった。杳子もSもそれぞれ勝手な人間だが、どちらともにさほど悪感情を抱かずに済んだ。
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Posted by ブクログ
読み終わった時、もう一度最初のページを開きたくなった
なんて重苦しく辛い物語なんだ…
でもものすごく勉強になった
絶対に知っておいた方がいい、学校では決して学ぶことの出来ない日本の仄暗く罪深い歴史を見せつけられた
グロテスクすぎる
人の欲望と愚かしさの骨頂を見せられた
終章のラストがあまりにも辛くて胸が痛い
どんな思いでこんなことを………泣けてしまう……………
女性として生まれた者にしかわからない地獄がある
どんな男性にも少なからずあろう女性軽視の思想、それに翻弄させられる私たち女という生き物の悲しさよ
男社会の中で虐げられた男性は、なぜ自分を虐げる男性を憎まずに無関係の女性に対して「なんで助けてくれなかった!」といって憎むのだろう
どういう教育をすれば真っ当な精神の持ち主となれるのだろう
生まれた土地にもよるのだろうか
これからの時代が女性にとって生きやすい世の中になることを祈って止まない -
Posted by ブクログ
『ときどき思う。なぜわたしたちはそもそもの始まりに繰り返し戻るのか、なぜわたしたちは、自らの人生と呼ぶ織物の後ろに「なぜ」に応える真実が見つかるかもしれないと、一本の糸を探してはそれを引っ張り、織物をほどこうとするのだろうか、と。だが真実などありはせず、「なぜ」しかない。そしてさらに近づいて見てみれば、その「なぜ」の後ろにまたもう一枚の織物が現れる。そしてその後ろにまたもう一枚、またもう一枚と現れ、いつしかわたしたちは忘れ去る』―『第一章/2』
リチャード・フラナガンを初めて読んだのは十年程前、「グールド魚類画帖 十二の魚をめぐる小説」。そして「奥のほそ道」。これらは小説に分類され、「奥のほそ道」はブッカー賞を受賞。個人的に「シュレーディンガーの猫を追って」のフィリップ・フォレストと印象の重なる作家であり、時に混同さえしてしまう小説家。一方で、本作は「歴史」について考察する一作であり、その分類に属する著作に対するベイリー・ギフォード賞を受賞。ただし、読めば解ると思うけれど「グールド魚類画帖」や「奥のほそ道」と比べて、書きぶりに大きな違いはなく、読んだ印象も同じ象限に着地する。そのことは、訳者あとがきの中でも言及されているが、一八五一年の「白鯨」に対する書評が題辞として引用されているところを見ても、作家が分類に拘っていないということが見て取れる。
『作者は、この作品が歴史なのか、自伝なのか、地名集なのか、悲劇なのか、恋物語なのか、年艦なのか、感傷的な恋愛劇なのか、空想物語なのか、説明する労を取っていない。あれやこれやで成り立っているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。問うたとて、答えはあるのだろうか。
『白鯨』書評、ホバート・タウン・マーキュリー紙、一八五一年』
ではこの本はどんな本なのだろう、そもそも「第七問」とは何を意味しているのだろう、とぼんやり考えながら読んでいると、幾らも頁を捲らない内に二つ目の問いに関する答えに辿り着く。それはチェーホフの短篇の一つにある皮肉な問い掛けであり、それは「答えの無い問い」ということなのだ、と。けれど、調べてみると、チェーホフの短篇「狂った数学者の提起した問題」には同じような不条理な問いが八つあることが判る。ならば他でもない第七問を取り上げた意味は何なのだろう。それもまた頁を進めるに従って徐々に見えて来ることだが、鍵となる言葉は「指示」であり「愛」なのだ、と。
『戦争には倫理に依拠した計算法があるふりをする。実に多くのことができるふりをする。だが戦争においては、単純な算数すら可能ではない。(中略)あの青い朝に散った無数の知られざる死者の魂は捉えられず、計測を拒み、メトリクスを嘲笑う。それら死者の魂は数字の外に在る。チェーホフは、答えを提示するのではなく必要な問いを投げかけるのが文学の役割であるということを信条としていた。チェーホフ最初期の短篇の一つに、学童に出す暗算の問題のパロディがあり、そのなかの第七問が好例である ―― 一八八一年六月一七日水曜日、ある列車が、A駅を午前三時に出発してB駅に午後十一時に到着する予定でしたが、出発直前になって、午後七時までにB駅に到着せよとの指示がありました。より長く愛するのはだれでしょう、男でしょうか、それとも女でしょうか』―『第一章/17』
終戦を広島で戦争捕虜として迎えた父の足跡、日本の敗戦を象徴してしまう新型爆弾、その爆弾を投下する任を追った機長の母親の名前を冠したエノラ・ゲイ号の乗組員の逸話、原爆という言葉を生み出した空想科学小説家H・G・ウェルズの科学的洞察と乱れた私生活、ウェルズが後年記した科学理想郷的著作、その著作に霊感を受けて空想の兵器を現実のものへ変えて行く役割の一端を担う異才レオ・シラードの生涯、と、身近な存在から作家の思索は次々と「連鎖反応」を起こし展開していく。それは一見足元の地点から遠い地平線への飛躍のようだけれど、その連鎖反応の根源には常に作家自身の心の傷があり、言及される過去の困難、苦悩は決して他人事、あるいは客観的な歴史解釈のようなもので合理的に説明され得るものではなく、自身と地続きな問題なのだということが繰り返し示唆される。それは、全ての形の「戦争」「侵略」「差別」と関係があり、タスマニアの歴史にも、それを歴史の必然のように見なす大英帝国的史観にも、ウェルズの書いた「宇宙戦争」にも、地球を襲う火星人という「概念」にも、人間の腹黒い本質が表れているのだ、と。
そして「第七問」に対する作家の答えのような一文に行き着く。
『わたしはこういったことを理解しようと、解決しようと、一篇の小説を書いた。それを書いているあいだ、書くという行為は知り得ないものを知ろうとする方法だと思っていた。書き終えてみると、自分がなにひとつ理解していないことがわかった。―― より長く愛するのはだれだろう』―『第八章/16−17』
しかし、本書がどこか郷愁に満ち、他人事とは思えない寂寥感を読むものの内に共鳴させるのは、著者が決して大きな問題を大上段に振り被って切り捨てるような考察を下さないからであり、差別する側ではなく差別される側の視点が常にそこにあるからだとも言える。そう解って来ると冒頭に引用した自問の意味が更に一段深い所で響き出すのだ。ただし、作家自らが語る作家や作家の家族の逸話がどこまで客観的な事実なのかは、作家自身すら確信を持てないでいる。歴史を語るとは記憶を言語化することに他ならないが、記憶は記録ではなく、感情の起伏による解釈や後年の自己保身のための修正の施されたものに過ぎないのだから。郷愁が須らく愛おしさと結びつくのは記憶が受け入れ易いものに作り直されているからなのだ。
『わたしはどの年に最も雨量が多かったか、あるいは一九六四年や一九六五年の雨量が多かったとするのは正しいか記録をあたることもできるが、わたしが記述しているのは記憶であって事実ではなく、そしてわたしたちは事実によって自分自身を知るのではなく、記憶――その詐術、その回避、その沈黙、そのでっち上げ、その避けられない疑問――によってわたしたちになり、あの狭い居間でゆっくりと円を描いて動き、そのあいだ雨は絶え間なく降りつづき、下地のないトタン屋根を叩きつけ、窓をかすめ、テレビはまた意味をなさず、父は別のダンスと昔の記憶に身をまかせ、わたしたちはともに父の過去をゆっくりと円を描いてめぐる』―『第六章/4』
頁が進むにつれ、大きな問題は、小さな問題と裏腹の問題であることがますます明らかとなってくるのだけれど、それは作家の幼少期の記憶、祖母の記憶、父の記憶、母の記憶と濃密に絡み合う。そのことを作家自ら終盤の第九章にこんな風に記している。
『描くことができない夢を実現することはできない。そしてときにわたしたちは、自分が他人の夢や悪夢に住みついていることに気づき、新たに夢を見る。あなたが今読んでいるこの本は、わたしの父母と故郷の島への、消え去った世界への愛を綴った短い手紙であり、それ以上のものではない』―『第九章/17』
決して「短い」とは言えないけれど、確かに本書は去ってしまった人々や世界への語りかけとして読むのがしっくりと来る。その意味で、本書の目的は第九章までで完結しているとも言えるのだけれど、そもそも著者がそのような思索をすることになった経緯が第十章に記されている。この章を読んだら、翻訳されていない作家の最初の小説「Death of a River Guide」を読んでみたくなった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ個人的備忘録(途中)
第1章 作歌の基本
①常識を離れてものを見る自分を発見せよ。
②形容詞で説明するな。
③写生とは選択。何を歌わないか
④機会詠では、メディアで見たとき、いかに自分本来の日常的な視点を確保てきるか。また、画面の中心を見ず隅を見る。事件を自分の側に引きつける。
第2章 形式を使いこなす
①結句でオチをつけない。理屈をつけたり辻褄を合わせたり、余計な感想を付けない。詩型が救ってくれる。結句でまとめようとせずジャンプせよ。
②体言止め、倒置法は、連作の際注意。続くと薄っぺらく感じられる。読者を信頼して歌を手放す。
第3章 言葉を大切に
①思い切って固有名詞を
第4章 作歌のレトリック
①比喩を使うなら自分だけのオリジナルで冒険を
②原典を何らかの形で〈引用〉することで、自分だけの表現では出てこない複雑性、重層性など奥行きと別の味付けができるのが〈引用〉の魅力。
第8章 短詩型における表現の本質
①詩は自己表現ではない。世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きこそが、詩として表現される。(谷川俊太郎)
②言いたいことは自分で言わず、相手に感じとってもらう。読者を信頼する。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ小学生か中学生ぶりに再読。
2巻のころのフシギはもう少し冷たかった気がするけど思ったより助けてくれてた。当時は小学生だったからそう感じたのかな?
【チャーリーゲーム】
この話に出てくる女の子、かわいくて好き。
初めて読んだ時はナタが何かあんまり分かってなかったなぁ......
最近の恐コレでは見ない気がする最後が分からない終わり方、これはこれで良い。
【ひきこさん】
元ネタまで調べて友達と一緒に怖がってた記憶がある。
元ネタよりマイルドめ。
鏡で倒すってのがなかなか面白い。
【死のブログ】
割とハッピーエンド!!
自分のブログがいきなり死のブログとか言われ出したら怖いよね。
【呪い雲】
小学生の時この話に出てくるお兄ちゃんが好きだった。
解決法が結構脳筋。
【逃げる男】
ジミーの初登場回!
挿絵でジミーが人間だった頃の姿がちょこっと出てる珍しい回。
【金色の公衆電話】
この巻だと、コミカライズにも入っていたのもあって金色の公衆電話が1番印象に残ってる。
コミカライズではホラー強めだったけどこっちだと友達関係どうなっちゃうんだろう、って感じ
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