あらすじ
NHK朝ドラ「風、薫る」原案!
明治時代、「カネのために汚い仕事も厭わず、命まで差し出す賤業」と見なされていた看護婦。家老の娘に生まれながら、この「賤業」につき、生涯をかけて看護婦の制度化と技能の向上に努めた大関和。和は離婚して二人の子を育てる母親でもあった。和とともに看護婦となり、彼女を支え続けた鈴木雅もまた、二人の子を持つ「寡婦」であった。これは近代日本において、看護婦という職業の礎を築いた二人のシングルマザーの物語である。
【目次より】
●第一章 故郷黒羽
家老の娘/「嫁田」の友/田打桜/物言う嫁
●第二章 鹿鳴館
パン・ペルデュ/牧師植村正久/鉄道馬車に乗って/「看病婦」と「看護婦」/婦人慈善市/大山捨松からの誘い/リディア・バラの決意/メアリー・トゥルー/横浜の貧民窟/鄭永慶の最期
●第三章 桜井看護学校
「東の慈恵」「西の同志社」/校長矢島楫子/断髪の新入生/広瀬梅の苦学/『Notes on nursing』/火屋磨き/「不義の子」/病院実習/「器械出し」の名人/花魁心中騒動/「泣キチン蛙」/トレインド・ナースの誕生
●第四章 医科大学附属第一医院
「白衣の天使」/松浦里子と本多銓子/「我朝のナイチンゲールとならん」/医師との軋轢/「求めよ、さらば与えられん」
●第五章 越後高田「知命堂病院」
高田女学校/廃娼演説会/木下尚江との出会い/瀬尾原始との再会/心の夢/鈴木雅、天然痘と戦う/日本初の派出看護婦会/婦人矯風会の授産施設/赤痢の村へ/村人たちの抵抗/「避病院」の改良/国恩と信仰/日清戦争と看護婦/「衛生園」にかけた夢/岡見京との邂逅/梅と「ルツ子」/車上の花見/慈愛館の昼餉
●第六章 東京看護婦会
派出看護婦会の乱立/後藤新平との約束/監獄署へ通う/木下尚江からの求婚/相馬愛蔵の誠意/遊郭から逃げた少女/『派出看護婦心得』/心の死/箱根への隠遁/鈴木雅の引退/「貴官の剣を貸し給え」/『婦人従軍歌』/六郎の結婚/慰問袋運動
●第七章 大関看護婦会
復彦との再会/炊き出しでの出会い/「生まれては苦界、死しては浄閑寺」/大関看護婦会/六郎の客死/内務省「看護婦規則」/大山捨松、スペイン風邪に倒れる/鈴木雅との別れ/関東大震災
●おわりに
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
一から制度や環境を作り上げる姿勢に感銘を受けた。私もこの物語の時代に生まれていたら、ぜひ同じ志を持って看護婦として道を切り拓きたいと思った。
仕事のモチベーションが上がった
Posted by ブクログ
朝ドラ原作、日本のナイチンゲール、そして私は看護師。読まないわけにはいかない。
ナイチンゲールの国イギリスでも、看護師という職業は「なるものではない」と疎まれてきたという歴史を持つ。そして、奉仕、献身という言葉に縛られる職業でもある。
読んでみて、想像以上に医師らの嫌がらせ、反発にあったことが分かり驚く。そして、明治も令和も大きく変わらない部分も多少なりともあるのだなと情けないような、悲しい気持ちにもなる。
現代だって、看護師はあくまで医師の指示のもとに動くことを求められる。この時点で対等な関係は作りにくい。だからといって看護師の意思で動きたいのか、と問われればそうではないと答える看護師が大部分だし、私自身もそれを求めてるのかと問われれば、なんとも言えない。だけど、看護師と医師では、考えることも実際に動く内容も当然ながら違う。ただ、なんとなく医師に忖度したり、医師を立てたりしながら上手くやるのも看護師としての技量の一つ、という風潮がある。
それがいいとか、悪いとか。まぁ、正直どうでもいいのかな、とも思う。患者さん、病にある人が少しでも楽になり、その人らしく生きることのお手伝いができるなら、それは医師とか看護師とか関係なく、尊いことだ。
大関和さんと鈴木雅さん。両者の考えもとても良くわかる。看護師のお給料が医師と雲泥の差があるのは、やはり奉仕、献身、そして女性が多いといということが影響していないとは言えない。一方で、世間的には看護師はお給料をもらっていると思われることが多い。もちろん、たくさんもらっている方も多いのだろう。だけど、肉体労働であり、不規則勤務であることを考えると、どうなのかなと思う。もちろん、看護師以外の夜勤のある仕事に従事している人たちのお給料についても同じだと思う。
などなど、この本を読んでいると頭の中は忙しい。赤痢の描写では、ノロウイルス、インフルエンザそして新型コロナに日々関わる看護師、医療職について想いを馳せる。確かに苦しんでいる人により質の高い看護を、と思うが実際にそれに従事する看護師の賃金を考えると、それなりのお金が必要となる。お金持ちだけが質の高い医療を受けられる、なんてことはあってはならぬ、と教えられてきたし、現場に出ていてもそれは思う。一方で、生活保護の人にサービスが行き届き、真面目に働いてきたけど年金が少ない、けど生活保護には至らない人たちがサービスを受けられない、ということにも疑問を抱く。それが和さんと雅さんとの対比で考えさせられた。
なによりも、先代たちの様々な苦労に成り立つ今の看護師資格なのだと思うと、確かに生涯勉強が必要だし、看護師として矜持を持つ。所謂ベテランと言われる看護師歴の今、読んだことに意味がある本だったなぁと思う。
Posted by ブクログ
まず最初に思ったのが、明治時代から派出看護婦という仕組みがあったことに驚きました。
10年近く訪問看護をしていたにも関わらず、「派出看護」と「訪問看護」と名前が違えど明治から行われていたこと、歴史もろくに分かっていなかったことを恥ずかしく思いました。
主人公の大関和 ( ちか )と鈴木雅は対照的ではあるけれど、お互いの欠点も指摘し補いながら、ナイチンゲールの行った看護の仕事、精神を学んでいきます。
戦後、コレラや赤痢が流行した時も、看護の基本である環境の整備 ( 環境や清掃 )、手洗いがいかに感染を防ぐか。
これはナイチンゲールが野戦病院で死亡者を減らすことに成功したのも衛生に徹底的にこだわったこと。
これを日本の現場で活かしたことで、一気に患者数が激減していき、看護婦の仕事も認められていきます。
和はクリスチャンでもあり、基本の精神は看護と重なる部分も多く、献身的に患者に向き合う。対して雅は、女性の自立という観点から報酬も必要だと訴え、制度や教育方針を考えます。
2人の考えと周りの人の理解、協力が支えとなって慈善事業なども行われます。
患者や家族の死に立ち会い、またそこで色々学びながら看護婦として成長していきます。
この2人が明治で活躍したお陰で女性の自立に、そして今の看護に繋がっているのだと思うと、たくましく、尊く思います。
2001年から、女性も男性も「看護師」と言われるようになりました。
私も自分なりに患者さんに寄り添ってきたつもりですが、限られた時間で、処置や家族の方のお話を聴くだけで時間が経ち、充分出来たと思う感覚は薄いですね。
もっとやれることがあったのでは、という後悔の念も強くありますが、まずこの本に出会っておきたかったな〜と思います。
また人の役にたつ機会があればチャレンジしたいですね。
長くなってしまいましたが、お薦めです。
欲を言えば、もっと早くにこの本を読みたかったということですね。