あらすじ
「母親なんだから」と我慢を強いられ、自らの「理想の母親像」に縛られ、理不尽な目に遭っても口をつぐんできた――「後悔」を口にした日本の女性たちは、どのような人生を歩み、何を経験してきたのか。切実な想いを丁寧に聞き取った、社会現象になった話題書『母親になって後悔してる』の「日本版」というべきインタビュー集。
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Posted by ブクログ
結婚して子どもを持つことを考え始めて早3年くらい?私がずーーーっとモヤモヤしていたことに見事にフィットした本だった…!
絶対子育てって大変だし、自分が子ども第一優先で生きられる人間じゃないってなんか明確にわかるし、みんな母親になったら変わるの?まじで?と思い続けてきた。その答えがドンピシャで触れられていて、本当にすっきりした。
やはり母親になったことを後悔してる人はいる。
一般社会では、子どもを持つことのポジティブな面しかフォーカスされてないじゃんか!!
後悔する人もいるよって初めからわかっている方が、絶対にいいと思うんだよなー。期待値調整大事。
人を産むって不可逆すぎるので、後悔とかって本当にタブーなんだろうなぁとは思う。
後悔の仕方や要因は人それぞれだけど、社会のあり方もやはり大きな要因のひとつだ、よね。
子どもがいたら働き口が見つからないとか、旦那が全然子ども見ないのは会社から高いハードルを課されているとか。
自分の選択の結果でしょ、自分で責任とりなさいというのもわかるし、私自身自責で考えがちなタイプなのでそう思ってしまうけど、実は個人の責任だけにしきれないケースもたくさんあることが改めてわかった。
親が自分を産んで後悔してるって子どもが聞いたら悪影響なのはわかる。でも、だからってその声に蓋をするのはおかしくないか?その人たちの気持ちはどうなるの?そういう気持ちをオープンにできる場所、やり方、相手がいたらいいのかな。
今って子どもを産まない選択肢を選ぶ人もちょっとずつ増えてきて、だからこそ産んで後悔する人もいるんだろうなと思う。
逆に、産まないことを選ぶこともできたのに、自分で選んだんでしょ?という声が出てくるのもわかる。産まない選択は、それはそれで勇気がいるし、何かを諦めてることにはなるから。
そうなんだけど、後悔してる気持ちをオープンにする場はあってほしいし、そういう気持ちを受け入れる場所はあってほしいんだよなー。
そして一方で、子どもがいる人のフォローをしてるのは子どもを持たない人なので、そちら側のフォローも必要なのよね。後悔とかいってるけど、普通に夕方抜けて仕事を巻き取ってるのってこちらなんだが?という思い。これも間違ってないと思う。
結論、日本人はみんな優等生ぶりすぎだし、頑張りすぎでは???別にネガティブに思うことは普通で、だけどみんなで頑張ろうぜってなったらいいのになー。
正直、この本を読んですっきりクリアになったから前向きに妊活しようとはならないけど、もし万が一子どもができたら、この本をお守り代わりにするんだろうなぁと思う。
そして、今からでも、子どもがいるお母さんを助ける何かしらに携わりたいなぁと思ってしまった。
Posted by ブクログ
報道でやりたいことの道しるべになった気がする。実際にNHKでバリバリ取材する女性記者が書いているのもいい。全体的には、産婦人科や子育て支援をする行政において、まだまだ母性信仰が根強いし、育児・出産における男女不平等は解消されてないなという事実があり、結局一個人として重んじよということなんだけれども、なかなかそう割りきれず、役割を演じようとしてしまうのが人間であり…
Posted by ブクログ
子どもが嫌いなわけじゃない
母親の役割が大変すぎるだけ
これはほんとに重要な視点だと思う
これを改善しないと
いくらお金配っても子どもは増えない
Posted by ブクログ
3年前、「母親になって後悔してる」という衝撃的なタイトルの本を、言い訳しながら家に持ち込んで、読まずにはいられなかった。
私自身は、女の子は将来結婚して母親になるのが当たり前とされた最後の世代(?)で、母親にならないという選択肢は頭になく、当然、後悔もありえない。
それでも、私が母親として経験してきたなんともいえないもやもやを、整理してくれるかもしれないと期待した。
でも、そう期待したにもかかわらず、3年前に読んだイスラエルの本では、私の実感とはあまり響きあうところがなかった。
書かれているのがイスラエルの事例であったことも、ピンとこなかった理由の一つかもしれない。日本の事例ならもっと身につまされるかも、と思った記憶がある。
なのに、日本の事例で構成した「母親になって後悔してる、と言えたなら」という本が出版されたと知った時、正直、私はうっとおしいな、と思った。
あれから3年、私自身が経験してきたまさに怒涛の育児生活は、日に日に遠いものになりつつある。
未熟な(と年を経た私は思ってしまう)若い母親たちの、子ども以前に自分が一番大事、みたいな「母親としてあるまじき」身勝手な言葉を読まされるのはたまらないな、って。
時間は経験をセピア色の甘美な記憶に変える。
私は、いつの間にか、母親当事者ではなく、母親経験者に変わってしまっていたようだ。
でも、実際にこの本を読み始めると、またたくまに心は当事者だった時代に戻り、とても揺さぶられたし、今も心に燻るもやもやが少し整理できるような気がする。
「母親」という社会的役割について、イスラエルの事例では今ひとつ響いてこなかった内容が、この本ではビンビン伝わってきて、自分が感じていた苦しさはそういうことだったのか、と自分なりに納得できる点が多かったです。
この本を出してくれたことがありがたく、出会えたことに感謝です。ありがとうございます。
Posted by ブクログ
“もう夢はないし、輝かなくていいと思うんです。自分にできる仕事があればするし、子どもだけではなくて私の存在を求めてくれている人もいるから、生きられる間はとりあえず生きていこう、それくらいの気持ちです。”
“今はそれなりに楽しく過ごしています。だからといって、社会への怒りみたいなものが消えることはありません。”
(p.47)
Posted by ブクログ
母親になって後悔してる
なんてひどい言葉なんだと思う人もいると思う
ただこの言葉を間違って捉えられたくない
子供がいなくなればいい
とは言ってない
子供が生まれた瞬間から、〇〇さんではなく
母親として生きることになる
それから解放されたいと思っている、でも解放されないジレンマを表した言葉なのに、少しでも母親らしくない事を言うと非難される
・母親はやって当然
・母親ってなんで都合のいい言葉なんだろう
・できなければ任せればいい父親、必ず問題を解決しなければいけない母親
・この社会で母親になったことに後悔がある
・男性は努力義務
この本の中に出てきた言葉です
わたしも子供が1歳から仕事を再開しました
久しぶりに一人で歩いた時に、一人ってこんなに身軽だったんだ!と思ったのは忘れないと思います
そして、子供が熱を出して仕事を休むのはいつも私なのは不公平だと思っていたし
子供の前で「もう私ばっかり仕事休めないよ、困る!!」と言ってしまったこともある
2人の子供なのに、わたしばっかりと不満が溜まっていたことも多かった
子供は大切だし、宝物だけど
子供の母親としてだけの人生は嫌だし
子供にもそうなってもらいたくない
自分のためだけに生きる人生は長すぎると思う
だからこそ、人に貢献する 育てることで自分が成長できる子育ては人間にとってとても良いことだと思う
ただ孤独の子育てはしんどい
私は恵まれた環境で子育てできたけど、それでももう無理!!って思うことたくさんあったし
素直に子供が可愛いと思って子育てできない時期もあった
なんの修行なの
私悪いことしたの
って何度思ったことか
だから、2人目は考えられなかった
今いる子供だけで、わたしのキャパはいっぱいだと
周りになんて言われようと、私は「そんなに子供好きじゃないんで、、一人で十分です」と言える性格だったから良かったけど
言えない人、気にしちゃう人は堪えると思う
もっと感想書けるけど、長くなるのでもうやめます
母親をしながら、自分に戻れる時間を過ごせる居場所を作れたらいいなと思っています
そして子供のことはとても大切で、宝人だと言う気持ちは本物です!
Posted by ブクログ
母親になって後悔している
なんて難しいテーマなんだ。私はとっくに母親を
終えていていいはずなのに、未だに母親から祖母にジャンブアップできないままだ。今更ながら、好きな仕事を退職まで続け、私なりの人生を歩んで来られたことを周囲のたくさんの方々に感謝したい。
Posted by ブクログ
2022年3月、オルナ・ドーナト氏による『母親になって後悔してる』が日本でも刊行された。
衝撃を受けてさっそく手に取ったのだけれど、どうしてか途中で挫折してしまって、自分の中ではわだかまりというか、なんとなく消化不良になっていた。
本作はその『母親になって後悔してる』を受け、日本国内で同様の思いを抱えている母親を対象に、本歌取りともいえる形でまとめられたノンフィクションである。
全編を通して、彼女らの後悔につながってしまう大きな要因は「ワンオペ育児」のようだった。社会から取り残されていくかのような焦燥感と、自由を失い縛り付けられたかのような絶望感、思い出すだけでも酸素が薄くなったような息苦しさを感じる。
他にも「責任、役割、業務量」「固定化された母親イメージ」「アイデンティティの喪失」「キャリアへのマイナス影響」「子育てしにくい社会環境」「父親との不均等さ」など、子育て中の母親を取り巻く環境は厳しさであふれている。
どこかで暮らしている母親たちの、心当たりがある悲痛な言葉に共感しているうちにあっというまに読み切っていた。そして、私はずっと誰かとこういう話をしたかった、この気持ちを誰かに聞いてもらいたかったのだと気づいた。
娘たちを愛していて、娘たちの笑顔のために、娘たちを立派な大人にするために、身を粉にして必死で子育てをしている。だけど、それでも、母親になって後悔してる。
ここ数年はその気持ちも落ち着いて(長い長い産後うつだったのだとも思う)、ゆっくり自分の人生を取り戻しつつあると感じる日々が送れているけれど、その気持ちは依然としてこびりついたままだ。
もっともっと時間が経って、子どもが成長して、そのときにどう思うのかはわからない。
でも一度母親になってしまえば、これまでもこれからもその事実からは逃れられず、つまりその気持ちを一生抱えていかなければならないのかもしれない。
作中でインタビューを受けた母親たちも述べていたことだが、それを認めることはある種のスタートでもあり、そこから考えていけること、歩んでいける先があるのだとわかって、初めて自分を認めてあげることができるような気がした。誰よりも自分自身が、「母親」というペルソナの呪縛に囚われていたのだと思う。
本作が出版され、母親のこうした後悔が広く知られていくことには、大きな意義があると信じたい。少なくとも「母性」なんていうあやふやなものよりも、現実の問題として理解され受け入れられていってほしいと強く願う。
Posted by ブクログ
世の中には母になったことを後悔している人がいる。ただ決して子どもを産まない方が良かったと言っているのではない。必ずしも母親が母性があると思わないこと、世の中にはさまざまな価値観があるということ、価値観の正しさではなく否定しないことを学びました。
Posted by ブクログ
泣いてしまった。母親という役割に対する、社会からの期待や制約はあまりに大きい。仕事との向き合い方や、夫との関係性もガラリと変わる。ワンオペのエピソードが壮絶すぎた。そりゃ少子化にもなるよね、と思う一方で、社会が変わり始めていることに希望も感じる。取材と記述が丁寧。
Posted by ブクログ
子どものいない未婚中年の自分が読んでみて当事者からはほんとに分かってるの!と言われそうだけれど社会構造やガンコな考えの一方的で偏屈な価値観や悪意はないがある種、それゆえにたちの悪い行動や発言に傷つけられ、傷ついたことすら口にするなと言われてきた人たちの発言を読めてよかった。3章の消えてゆく自分に登場した女性の高校時代の体験は自分もまさに感じた気持ちで、働いて家にお金をもたらしさらに母という名前で家事育児を一人で担わされる女性を生産することに加担する学校のやり方に反発を感じた。また5章の女性は後悔という言葉の先に進んでいるような印象だった。属性で人を見るのではなく誰に対しても見方がフラットで後悔という状況を理性的に捉えて、進んでいるのが一人の人としてすてきだなと感じた。私の職場は母を手にした女性のほうが多くを得られる構造ではあるけれど。役割、肩書でカテゴライズされ個性を抑圧される、属性によって個性や能力が否定される構造が変わるといいと思う。
Posted by ブクログ
家族にタイトルを見られないように、こっそり読んでみた。ドーナト氏の「母親になって後悔してる」を読み、感想を寄せた人への取材で出来た本。
予想以上に共感することがあった。やっぱり私も母親になって後悔してるんだわ。
子どもを持った途端に脇役になって、自分の人生を歩めなくなった気がすること。やって当たり前、やらなかったらマイナス評価。全部自己責任だから愚痴も言えない。
他にも共感ポイントはあったけど、どれも家族や友達には話せそうにない気持ち。
こちらの本を先に読んだけど、実はドーナト氏の本は未読なので早く読まなくては。
Posted by ブクログ
この本の元となった「母親になって後悔してる」を読んでいたので、手に取った。
日本の母親から聞こえる声はより一層リアルだった。
私は、元となった本の「関係としての母」という言葉にものすごく救われたので、この本で新しく得たものは少なかったけど、「子どものファンになる」という言葉で救われた方の紹介がされていて、ああこれは、まさに「関係としての母」の解釈に合致するなと思った。元の本を読んでいない方には、こちらの本をおすすめしたい。日本の現状に合っていてわかりやすい。
私は2017年に第一子を産んだのだけど、IT業界の総合職ということもあって、産休育休は当たり前の環境にあったため、恵まれていた方だと思う。それでも復帰後は、長時間労働できないことによる皺寄せを肌で感じ、子を持つ母が能力を発揮することの難しさに唇を噛む生活をしていた。
私としては、長時間労働の是正が急務だと考える。「なぜ男女の賃金に格差があるのか」という本でも焦点になっていたが、女性は一時間あたりの給料でも男性に劣る。それは、男性が、長時間労働ないしオンコールに応えられるという点で重宝されているからだった。
長時間労働がなくなれば、みんなも私と同じだけしか働けない。母親であるデメリットがなくなる。家に父親が帰ってくる。家族団欒。良いじゃないか。
それをかなえるために、まず、私が職場復帰したらなにをするか。なにができるか。少しずつで良いから、半径10mから変えていきたい。
Posted by ブクログ
神聖な母性愛、で母親に全てを担わせることに疑問を投じたルポ。感情を排して伝える事が難しい、母親の苦悩を、最大限淡々としたレポートにまとめたことに大きな意義がある。
出産行為は、「鼻からスイカを出すようなものだ」と聞いて娘時代は恐怖を感じていた。この表現は、当事者になりうる女性にはリアルに、なりえない男性には「関係なくてよかった、こわ〜」としか感じないフレーズだと思う。私自身現在母親だが、実際は出産行為そのものでなく、その後が大変だ。その部分をリアルに書いたのが本作。だが、受け止め方は「スイカ」のフレーズと同じになるのではないかとは思う。著者、登場する人々全てが女性で完結する。それはそれで、大変意味がある(とても意義がある!一人一人、普通の女性がにっちもさっちも行かない状況である事がリアルに取材できていて素晴らしかった。当事者だけでは声を上げられない。よく抽出したと思う)し、まずはそれを意図されていると思う。しかし、そこで完結していては解決できないことが考察されており、今後男性にリアルに響く切り口での続編を期待する。
Posted by ブクログ
誰もが、程度の差はあれ、感じているのだろう。インタビューに答えている方々は、それでもみんな、乗り越えた人たちで、渦中にいる人から見ると、やはりどうしても、キラキラして見えるという、謎の症状を思う。
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仕事と育児と家事の両立に悩み辛かった時期を思い出し胸が苦しくなった。
子どもを産んでから、自分は母親に向いていなかったと何度も何度も思ったし、余裕がなさすぎて毎日を罰ゲームのように感じた時もあったけど、それは子どもを産むんじゃなかったということでは決してない。
万が一出産しない人生を進んでいれば、子どものいる人生を歩んでみたかったと必ず後悔していたと思う。なので産んだことに後悔はない。
ただ、母親になったことを後悔する気持ちはある。その気持ちが存在することを認めて良いと教えてくれるような本です。
以下、印象に残ったところ
母親になるべきじゃなかったって思うことは「子どもたちが生まれてこなければよかった」ということでは決してない。
お母さんたちはもっと気軽に後悔していい。後悔のない人生を生きる人はいないのに、母親になったという部分だけ後悔しちゃいけないということはないと思うので、嫌なことは嫌だと言って、そこから何ができるか考えられるようになればいい。
育児が得意で好きなお母さんばかりでなく、いろんなお母さんがいることを認めてくれる社会になれば生きやすいし産みやすい。お母さんがこうしないとだめって圧がなければ、もう少し気楽に過ごせるんじゃないか。産んだ後もいろんな選択肢があって、お母さんだって好きに過ごしていいという温かい目を周りが持ってくれるようになればいい。
子どもたちを産んだこと自体は後悔していない。母親という役割を演じ続けなければならないことがつらい。
「子どもがいなくなればいい」じゃなくて、「子どもを産まない人生もあったのかな」と仮定の話をしたかっただけ。その思いを口に出したからといって子どもが消えてしまうなんてことは絶対にありえないのに、そういうことを口にすることすらも許されない。母親になるということは、決して弱音を吐けない存在になるということ。
父親とのあいだの不均等な役割分担、母親が働きにくい環境、子育て中の人とそうでない人のあいだの軋轢、公的機関での母親を追い込むような言動、これらの背景にある制度や文化、どれもが母親を追い詰めている。
Posted by ブクログ
子供を持つことについて考えていたら巡り合った本。経験者たちの思い、気持ちを知りたくて読み始めた。
印象的だったのは、母親になるべきじゃなかった、と、子どもたちを産まなければよかった、は切り離して考えられるということ。「後悔」を分解していくと「理不尽に重い責任を背負わされることへの怒り、自分らしく生きられない悲しみ、キャリアを諦めなければいけない悔しさ、良い母親でいられない罪悪感」になる。これがクリアになっただけでも、語ってくれた女性たちに感謝したい。
と同時に、父親に課せられる負担と、親が共通して持つ困難にも焦点を当てなければならないとの記載にも頷いた。
将来、子を持つことができたとき、従来の「母親像」に囚われず、のびのびと子供とともに生きられたらいいなと思う。自分を追い詰めず、周囲の人・環境と肩を組みながら。