内田樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
P171自分の居場所の見つけ方という部分が非常に良かった。内田老師のよく言っていることではあるが、ポワンカレを引いて「知性の働きは違うところにあるものを同じものだと気づくことにある」というメッセージは自分自身の好みにも合致する。「これってあれだよね?」という直感はなんとも表現しがたい恍惚感と快感がある。常に抽象と具体を高速で行き来し、一見全く別のものに見える概念の共通点やフラクタル性に気づくことは何にも代えがたい感覚だ。さらに、内田老師のようにレヴィナスと合気道という一見全く異なる分野になんらかの共通点を直感し、その両者を極めることで、唯一無二の存在になることができるという点も含蓄がある。1つの分野を極めることも素晴らしいが、その中でトップで存在し続けることは難しい。しかし、2つ目、3つ目の線を立てていった場合、その交差点を極める人々が急激に少なくなる。自分自身、福利厚生保険という領域は、人事領域と保険領域の結節点であり、さらにはそこに西洋中世史で学んだコミュニティ論やギルド論の時間軸の掛け合わせや中高で学んだ仏教の考え方も参考になる。さらには人事領域も結局のところ、「人間がいかに能力を最大化できるか」という部分ととらえれば、深い人間理解という意味で哲学が重要になってくる。哲学で言えば、内田老師もそうであるが、私はサルトルも好きなので、近年のエンゲージメントという言葉について考えるとき、サルトルの重要な哲学概念であるアンガージュマン(英仏での発音が違うだけ)を想起してしまう。近年注目されつつあるが、人類学的な分野で贈与論は、ビジネス領域でも示唆があると考えられ、本も出ている。無数の「これってあれのことだよね?」という結節点が浮かぶ中で、非常に今満足しているし、その分、「あれ」を増やすための物語や概念を渇望し、貪るように本を読んでいるということもある。
また、最後にP184 で内田老師の以下の発言がある。
「日本はたしかにもう泥船です。それは事実です。もう沈みかけている。でも、その時に泥船を捨てて逃げろというスマートでエゴイスティックな解とは別に、なんとかもたせて沈むまでの時間を先送りに資、その間にできるだけ多くのモノを救い出すという泥臭い仕事も誰かが担うべきだと思うんです。それこそが市民の役割であり、責任だと思う。船底に空いた穴をふさいだり、いらない荷物を海に捨てたりして浮力を稼いで、この国を少しでも長く生き永らえさせようとすること。それも大切な市民の仕事だと思います。」
非常に共感するし、内田老師を左翼と批判する面々も世の中にいるが、(そもそも右翼とか左翼という物言いにも辟易しているが)やっぱり内田老師の日本という国への愛と感じるのである。いや、日本という国への愛というより、結局は想像の共同体であるというクールな国家観をベースとした中で、その中で日本と言う国にいる集団の能力を最大化するには、そして一人でも多くの人を幸福な暮らしのうちで生きてもらうにはどのような物語が必要であるか、そこに彼自身の興味と、やはり日本と言う国への矜持があるのではないかと思う。私は、今外資系企業に勤めているが、内田老師と同じように、仮に泥船だとしても、日本と言う国を活かし続けるために何ができるかという課題意識はずっとあるし、私自身は社会保障が先細りする中で企業がセーフティネットの一部を代替するをいうカルチャーの醸成を民間サイドで担うとともに、一市民として、それではあぶれてしまう子供の貧困やそれに基づく教育格差について政治的な是正の必要性を訴える政党に投票したいと考えている。そして、日本を活かしていきたいと思うからこそ、海外に行きたいと思うし、国籍の違う人々の考え方を吸収するために、外資系の多国籍企業に在籍している。
また、ゲゼルシャフト、ゲマインシャフトの中間のような形で、アメリカのアソシエーションのような非常に親密でありながら個人の意思で自由に参加できるゲノッセンシャフトというものがあることを知った。そして、そうした共同体を立ち上げ、維持するためには、明確な組織のミッションとそれを先人から贈与されたものであると言う物語が必要であると記載がある。企業におけるパーパスという部分にもつながる話ではないだろうか。私自身、福利厚生保険をやる中で企業と言うものが、もちろんゲマインシャフトではないが、完全なるゲゼルシャフトでもないように思えていた。そのため、ゲノッセンシャフトというある種の2つのコミュニティの形のアウフハーベンした形のこの概念には惹かれるものがあった。 -
Posted by ブクログ
私が尊敬する内田樹さんの自伝。
いろんなところで書いている通りの「嫌なことを我慢することができない」半生を語る。
「このまま行くと大変なことになりそうだ」というところで手を打たないといけないこと。
決断しないといけない場面は、もうすでに間違った選択肢を通過してしまっていること。
自分の体が出すサインに敏感になる必要。無理をするということは体が出すサインに自分から鈍感になるということ。そんなことをすれば、他のサインも見落として、結局ひどい目に遭うこと。
内田さんの含蓄ある言葉は、当然学問の知識にも根ざしていますが、武道の言葉、生身の身体から発せられた言葉、育児のために、大学での役割のためにと腹をくくった数、そんな裏付けがあるんだなと改めて感じ入りました。 -
Posted by ブクログ
「まえがき」の内田樹の文章の衝撃たるや。
21世紀末には、総務省の中位推定で、日本の人口は4700万人に。7000万人も減るという。
そして、この事実を国は知ってはいるが、「このシナリオを国民に対して開示する気がない」にっちもさっちもいかなくなってから、我々に、さて、「日本は沈みつつありますが、生き延びる手立てはもうこれしかありませんと手の内を明かす」だろうと。
その時には「強者にすべての資源を集中し、弱者は見捨てる」というシナリオは出来上がっている…。
そうだろうと思う。そうなのだ。たぶんもう出来上がっているのだ。我々庶民はうかうかしてこれからだまされるのだ。
この「まえがき」と白井聡と平田オリザの論考が、特に優れている。この三箇所だけで、この本は⭐️5つだ。
白井聡はあまりにもハッキリとこの本で、誰もがそうではないか?と薄々気づいていたことを明らかにした。「われわれは根本問題の所在をはっきりと認める必要がある。日本の政治が見るも無惨な状態にあるのは、官僚機構が、あるいは政界が劣化しているからだというよりも、そうした堕落を許すどころか、腐敗堕落した勢力をわざわざ選択し、それに権力を与えている有権者の無知と堕落のためだ、という事実が正面から認められなければならない」
とうとう言ってしまった(笑)
ここを読んだ時間が寝る前だったので、その日は寝付くことができなかった…。白井さん!
平田オリザの指摘も示唆に富む。
西洋のリアリズムを情緒、感傷的に読み変える日本文化。
この甘美な情緒が産むものは何か。
せめてソフトランディングできたら、と願う。
兪炳匡の「プランB 」が少しでも実現できたらと思うが、この国はできないだろうな…。
兪さんの指摘、「著者が懸念するのは、現在の日本で生まれ育った人が、欧米諸国に留学ないし就職する際に、『基本的人権の尊重は建前であり、本音では揶揄・否定しても構わない』との言動をとりかねない」こと、さらに、「個人を評価する時に、日本では、仕事をする能力と倫理観・価値観を『足し算』によって評価」するが、「欧米での評価方法は、『掛け算』ですので、差別発言がある限り、高い研究実績を乗じても0以下になり」、「特定の大学だけでなく欧米の大学・政府組織・企業から永久に追放されます」は重く受け止めた。
つい最近、映画人をはじめとする文化人のセクハラに関して、その作品までも追放するのか、という発言が、なんと新聞にまで登場したことが思い出される。
言論人でさえ、足し算に疑問すら持たず、掛け算の発想すらない、その程度の知性が新聞をつくる国なのだなと思う。
今回の「撤退」に関するアンソロジーは、しみじみ読んでよかったと思うが、しみじみ悲しくもなる。
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Posted by ブクログ
内田樹さんの著者は初めて読みました。
あまり読まないカテゴリーであり、民主主義についての本なので、固い内容かと思いきや、過去に書かれたものをテーマ別に掲載されており、読みやすかったです。
また、過去に書かれた内容が中心ですが、今も変わらない問題を提起しており、古さを感じない内容でした。(むしろ変わらない日本にガッカリするという…。)
印象に残ったのは下記の通り。
・過去の失敗に学べ。歴史から学ばないものに未来話はない(半藤一利)
・権力者を批判する権利は権力者にしかないという思考停止
・多様性を担保された集団は、そうでない集団よりも危機耐性が高い
・公人とは、反対者を含めて集団全体を代表するもの
・現実の突きつける問題に最適解で応じようとするものは、常に現実に遅れる。現実に遅れるものは、現実を創り出すことはできない
・教育の成果は、最終的には個人ではなく、集団単位で考量すべきもの
・格付けというのは、他の人たちでもできることを、他の人よりも上手くできるかどうかを見ること
。独創的であればあるほど、格付になじまない
・自分のオリジナリティーではなく、カテゴリー内順位だと信じている。現代日本人が罹患している集団的な病である
・論理性とは突き詰めて言えば、そこで跳ぶか、跳ばないかの決断の差