内田樹のレビュー一覧
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2008~2014年に行なわれた講演のなかから7つを収める。テーマは、教育、学びの本質、これからの大学のミッションなど。内容の重複はほとんどない。
21年間勤めた神戸女学院大学を去るにあたっての「最終講義」(2011.1.22)が印象深い。1990年、「生き馬の目を抜くような」忙しい東京の生活から、「秘密の花園のような穏やかな大学」に赴任。内田がそこで身につけたのは「寛容さ」だったという。
95年にはあの大震災。神戸女学院も、ヴォーリズが設計した建物群が損壊。復旧工事に際して、建物を見てまわるなかで、ヴォーリズの「仕掛け」に気づく。音響効果や採光の効果はもちろんだが、隠し屋上、隠し廊下や隠し扉 -
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基本的には、過去に内田老師が話されていたことの繰り返しも多いが、過去に読んだ内容でも自分の状況/状態によって感じ方も異なる。今回は、ANAマイルを使うために関西空港トランジットで上海に向かう途中に、上海便が遅れ、幸運にもその時間で読み切ってしまった本書について引用していく。
• 「知性的な人」がいるとすれば、それはその人がいるせいで、周りの人たちの知性が活性化して、人々が次々と新しい視点から、新しいアイディアを思いつくようになるという遂行的な形で評価すべきではないかと思うのです。その人個人の知h式や情報の量がどれほど多いかとか、どれくらい「頭が切れる」かということではなくて、集団の知的パフォー -
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『アイデンティティーを共有する集団が社会的行動の基本となるべきだというのは、それだけ聞くと当然のように思われるかも知れませんが、「アイデンティティーを共有する」ということになると、一度その集団に登録された人は、「共有されたアイデンティティー」を変更することができなくなる。集団的なアイデンティティーに居着くことを強要される。その集団が定めた「うちのメンバーなら、こう考え、こう感じ、こうふるまうべきである」という定型の習得を義務づけられる』ー『15「複雑化」するための教育/「自分らしさ」に居着いてはならない』
内田樹師の理路はいつも平易だ。しかしそれを自分ひとりで辿ろうとすると途端に道を見失う。 -
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もしかして、そうかな、と思ってたけど、やっぱりそうだったのか。
「今私たちが直面しているのは『近代の限界』というより、『前近代への退行』である、ということは、論理的に言えば、今必要なのは『近代の復興』、『近代への回帰』だということになる」
「『近代市民社会』などというものはまだ歴史上一度も実現したことのなかった幻想なのかもしれない」
じゃないかと私でも感じていたのだけど、そんなことを言うと、歴史家からバカにされそうだったから、口に出したことはなかったのだけど。
内田さんがキッパリ言うので、これからは胸を張って言える。ポストモダンなんてまだ早い!まずは近代化だ!
最後の講演が、少子化社会をど -
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現代社会の閉塞感、違和感の正体を鮮やかに敷衍してくれて、自分が何に気をつけて、何を日々のできる範囲で護り育てなくてはならないのか、気づかせて頂いた。
成熟するには、良識を持つには。
同質性を基準とするのではなく、広い視野を持って、長いタイムスパンの中で物事を観察すること。
自分自身を含む光景を上空から俯瞰する。
そんな視点を持って生きていくことが、大事なことだと学ぶ。
そして、そうした態度で示される氏の数々の見解から、多くの金言が得られる。
読んでいて思ったことは、次の三つ。
1.自由と教育について
自得するものこそが、真に自分のものとなる
だからこそ、教えるのではなく、自得できる環境 -
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これでもかというくらい、今の日本の危うさを語る二人。
対談のはずなのだが、一人の話、として読んでいる自分がいた。
全く違和感がない。
第二次安倍政権で底が抜けた日本社会、、、
倫理のタガがはずれたのだ
以前別のコラムでも書いたが、
官僚主義を打破しようとしてた青年政治家安倍晋三には私は期待していた。
その志で首相の座を勝ち得たが、お友達内閣はわずか一年で崩壊。
民主党政権が自滅した後奇跡の再登板。
アベノミクスで縮む日本経済を打破する救世主になったかに見えたが、
選挙で勝つことがすべてと統一教会に魂を売り渡し、
国会では醜いヤジを飛ばし、
さらにはモリカケサクラを筆頭に仲間と思しき人に公金