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思想家・内田樹が紡ぐ25のエッセイ。インプットの方法、アウトプットの原則、学術の意味、複雑化する社会での教育、若い読者へのメッセージまで、知性の本質を縦横無尽に展開する。学問と実践、リベラルと保守、知性と宗教――対立するように見える概念の間を自在に行き来する内田哲学の真髄がここにある。混迷の時代を生き抜くための知の在り方を示し、現代人凝り固まった常識を打ち砕いてくれる一冊。
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Posted by ブクログ
例えば、原理主義への懐疑、感性、自由と平等の両立を引き受けきれないアメリカ等。内田さんのエッセンスが適度に溢れている。
自分の中になかった価値観だった。でも、そうだよなぁってスッと入ってきた。日本の衰退を憂いてないで、集合知を高めていくことを意識したいと思った。「知性的な人」になりたい。なれるよう振る舞うところから始めたい。 闇雲に本を読んで、共感できるところだけをピックアップしていた自分、これ全然知を高められていな...続きを読むいんだとわからせられた。わからないことを記憶のストレージに溜めて、いつか喉から小骨がスルッと抜ける感覚を味わいたい。
とても面白い本だった。 読んでみて、内田さんが「集団としての知性をいかに高めるか」を非常に重視していることが改めてよく分かった。そのためには、個々人が“ペンディングする力”、すなわち目の前の違和感やモヤモヤを即座に解消しようとせず、抱えたまま読み進める忍耐力を身につけることが重要だと説いているよう...続きを読むに感じた。ある時ふと、そのモヤモヤがひらけるように昇華される——そのプロセスこそが学びなのだ、と。 (余談だが、内田樹さんと言えば、学生時代の現代文テストで頻出の“手強い存在”という印象が強く、何度苦しめられたか分からない。しかし大人になって改めて読むと、その思考の面白さや懐の深さにようやく気づき、かつての苦手意識が嘘のように感じられた。)
自分にはない考えばかりで、とても興味深かった。特に「知性とは共有資産である」という考え方や、「理解できない事柄を、わかったふりや無視ではなく、わからないまま持っておく」という姿勢が興味深かった。難しいテーマではあるけれど、不思議とページをめくる手が止まらない魅力がある一冊。著者の他の作品も読んでみた...続きを読むい!
なるほど、寄り添って書いてくれているから読みやすいのか。高校生の時に課題図書一覧に彼を載せてくれたことに感謝。
昨今ビジネス書籍コーナーに山ほど積まれている教養関連の本。著者が言うように、「自分はどれだけものを知っているか」「自分はどれだけ賢いか」を誇示し、他人を押し除けて競争し、優越感に浸りたいという願望が基調にあると思う。 「勝つ」ことは良いことではありません。勝つとそれが成功体験になり、人間はそれに居...続きを読む着いてしまうから、という著者の言葉、もっと早く聞きたかったです笑
難しい内容にも関わらず、丁寧な言い回しで非常にわかりやすかった。なぜそのような文体になるのかも本書に書かれている。 韓国の読者の質問に回答するという内容で、筆者の考えを次々と述べていくという形式だ。 主張を押しつけられることはなく、どうしてそのような考えに至ったか思考のプロセスをちゃんと説明してくれ...続きを読むているので、自分の考えや思考をひろげるきっかけになる。 今回初めて筆者の本を読んだが、他の著書についてもぜひ読みたいと思った。
基本的には、過去に内田老師が話されていたことの繰り返しも多いが、過去に読んだ内容でも自分の状況/状態によって感じ方も異なる。今回は、ANAマイルを使うために関西空港トランジットで上海に向かう途中に、上海便が遅れ、幸運にもその時間で読み切ってしまった本書について引用していく。 • 「知性的な人」がいる...続きを読むとすれば、それはその人がいるせいで、周りの人たちの知性が活性化して、人々が次々と新しい視点から、新しいアイディアを思いつくようになるという遂行的な形で評価すべきではないかと思うのです。その人個人の知h式や情報の量がどれほど多いかとか、どれくらい「頭が切れる」かということではなくて、集団の知的パフォーマンスを向上させる人が結果的に知性的な人と認定される。僕はそんな風に考えています。 • 僕はものを書く時に、読者が「知的に興奮する」ことを目指して書きます。「知的に興奮する」というのは、そこで論じられていることについてすぐにオリジナルなアイディアを思いつくというほど直接的なことではありません。そうではなくて、脳内のそれまで割とおとなしくしていた不活性部位に通電して、「急になにかがしたくなる」ということです。 • 「理解できる」にはいいことです。もちろん。すごくいいことです。でも「理解できない」というものおなじくらいにいいことなんです。もしかしたら、「理解できること」のリストを長くする以上に「理解できないこと」のリストを長くすることの方が人間の知的な成長によってはよいことかもしれません。(中略)科学的な知性は、自分の仮説が当てはまる事例を集めるのではなく、自分の仮説をより包括的なものに、より真理に近いものに書き換えるチャンスが増えるからです。 • できることなら、門人の全員が僕より先へ進んでほしい。自分んを超える弟子を育てること、それが教育の開放性、豊穣性ということだと僕は思います。 • 「それが何を意味するかわからない概念を用いて会話し、議論できる」ということって、よく考えたらすごいことだと思いませんか。たぶん、すごいことをして人類はだんだん賢くなってきた。この作業は言い換えると、「主題となる概念の決定をペンディングしたまま、ある程度の時間にわたって思考することができる」ということです。先ほどは「知的な肺活量」という比喩を使いましたけれども、息を止めて長い時間耐えているうちにだんだんと肺活量が増えていゆき、より長い距離を泳ぎ切ることができるようになる。 • 「資本主義の精神」なる概念の定義は、「研究の結末において得られる」ということは、本は読み終わるまで、読者たちは「資本主義の精神」という中心的な概念について、その定義をペンディングしたまま読み進めなければならない。僕はこういう作法が哲学の真骨頂ではないかと思うのです。ウェーバーが読者に求めたのは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の間には相関関係がある」という命題に同意してくれることではなく、「資本主義の精神」という概念を論考の最後まで定義不能の語としてペンディングしたまま本を読み進めることができる能力を開発することだった、と。 • 知性の開発のためには、何かが「わかった」と思って&することより、何かが「わからない」という不安のうちに思考するという負荷に耐えることの方が有効なんです。 • (学術論文は、読み手のレベルが一定以上と想定している故に周辺情報を省略できるが、「伝道」の場合は、多くの周辺情報を丁寧に一から説明することが求められるという内容)でも、僕はそういう「予備的考察」のことを「めんどくさいなあ」と思ったことがないんです。だって、この「予備的考察」というか「文脈の説明」という仕事がある意味で最も自分の「オリジナリティ」が発揮される機会だからです。そうなんです。最もその知性が独創性を発揮できるのは、「難しい理説を述べているとき」ではなくて、「ややこしい話をわかりやすく説明しているとき」なんです。 • 歴史的条件として天皇制と立憲デモクラシーが与えられている以上、「与えられた歴史的環境」の中で最高のパフォーマンスを達成するためには、「どうすればいいか」を考える。僕はそういうプラグマティックな立場です。「天皇制と立憲デモクラシーを共生させる」というのは特殊日本的な政治課題であって、日本人に代わって「こうすればいいよ」という会を与えてくれる人は世界のどこにもいません。だったら、日本人が考えるしかない。 • 僕は「右翼」とか「左翼」という固定的な政治原理に「居着く」ことそのものに抵抗しているのです。それが「分派」者の意地です。(中略)「僕は同時に天皇主義者であり、立憲デモクラシー主義者である」ということです。複雑だし、困難な政治的課題ですけれども、僕は日本人が政治的に成熟するための道はこれしかないと思っています。 ○ <読者注記>この、氷炭相容れざる二項対立に中で葛藤し続けることが知性を開発するという言説には、非常に共感するところがある。直近読んだ故・野中郁次郎先生の『二項動態経営』では、まさに「あれかこれか」の二者択一ではなく「あれもこれも」という両義的なモデルのメリットを訴求されていた。おそらく『二項動態経営』の基本的なコンセプトは生物学者の福岡伸一先生の『動的平衡』からくるものではないかと邪推するが、まさに二項が対峙、葛藤するというそのアクロバシー・ダイナミスティックな状態こそが、もっとも生物、知性を活性化させるという点は非常に面白い。私はリスクマネジメントと福利厚生の分野でビジネスをしているが、企業にとって選択と集中の波の中で、いかにしてリスクを自社施策に取り入れて考えていくかという観点は、まさに二項動態的である。「経済合理性を突き詰め、無駄のない経営」と「いかなるリスクにも対応が可能なゆとりのある経営」の二項対立の超克を目指し、葛藤している組織こそ、強い。また、福利厚生も面白いところは、まさに企業としての動機付け要因と衛生要因の両義的存在であり、常にその意義が疑問にさらされていることにある。私は、福利厚生という資本主義の世界で一滴たらされた共同体主義のその両義性にこそ惹かれるということを再認識した。 • 「救い」という概念が人間に求めているのは、「できるだけ長いタイムスパンの中で思考せよ」ということではないかと思います。(中略)「救いを信じる」ためには、人々は天文学的なタイムスパンの中で、ものごとを思量する習慣を身につけなければなりません。僕はこの「望外の効果」こそが「救い」という宗教概念の本質ではないかと思います。(中略)ほんとうに「大きいもの」は巨視的な、宇宙的なスケールの中におくことによってしかその価値がわからない。それが孟子の教えだと思います。宗教的知性とは、こういってよければ「大きさ」を畏れる心のことです。人間の手持ちの度量衡では決して考量できないものに向き合った時のおのれの無力と卑小についての意識のことです。
この方の文章を読むと、なにかものを書きたくなる。不思議と行動に移したくなる。まさに「不活性部分に通電して強い鼓動を始める」ような本。 いちばん強いメッセージは、読書は「わからないところにこそ目を向けろ」ということ。目次から推測して読む定番の速読法だと、パッとわかる文以外を無意識で読み飛ばすようにな...続きを読むってしまう。人間が成長するのは、わからなかったことがわかるようになったとき。じっくり分からない部分を洗いだすことが大切。
『アイデンティティーを共有する集団が社会的行動の基本となるべきだというのは、それだけ聞くと当然のように思われるかも知れませんが、「アイデンティティーを共有する」ということになると、一度その集団に登録された人は、「共有されたアイデンティティー」を変更することができなくなる。集団的なアイデンティティーに...続きを読む居着くことを強要される。その集団が定めた「うちのメンバーなら、こう考え、こう感じ、こうふるまうべきである」という定型の習得を義務づけられる』ー『15「複雑化」するための教育/「自分らしさ」に居着いてはならない』 内田樹師の理路はいつも平易だ。しかしそれを自分ひとりで辿ろうとすると途端に道を見失う。個人的な経験からも、優れた先達からの教えとは常にそうしたものだという感覚が自分にはあって、例えば、リチャード・ファインマンの説明は聞いている時には分かった気になるが後で考え直してみるとよく解らない、というような逸話もそれを裏付ける。以前、後輩を指導するような立場に在った頃、図や式を書きながら説明したメモを「それをもらってもいいですか」と聞かれたものだったが(そしてそれと同じことを自分も頼んだこともあるが)、その時に理解したと思った理路はそこにはなく、残念ながらそのメモから同じ道を辿ることはしばしば困難だ。そこにあるのは何かを指し示した記号だけなのであって、指し示されたものは直截には見えていない。なので師の本は何回か読み返すのだが、読み返すといつもまるで初めて聞いたことのように脳が勝手に感じてなるほどと思う。とは言え、その論はいつも大体同じところに着地しているようにも感じるという不思議さ。聞いたことのある感覚と初めて聞かされたような感覚の混在。本書の中でも言及される「伝道師」という立ち位置の説明を聞いて、その感覚の混在も尤もなことなのだろうと少し理解する。あたかも論語の「子曰く、」と始まる話を聞いている感覚に近いものをこの人の理路には覚えるのだな、と。 ソーシャルネットワークやブログの文章にも接しているけれど、内田樹師の文章は単行本となった形で読むのが常に一番しっくりとする。それはきっと、この哲学者が志向するものが小さな論に収まり切らない「大きな考え」にあるからなのだろうと本書を読んで改めて思う。本書は特に元々韓国の読者を対象に書かれた「問答集」のような本であるため丁寧に説明が為されていることに加え、質問者が妙な色眼鏡を掛けずに問い掛けているためでもあるが、中心にあるその「大きな考え」の下地を丁寧に解説し、「説く」というより「指し示す」、という態度で書かれているためかも知れない。「百聞は一見に如かず」という言葉はややグラフィカルなものへの偏重が感じられることわざだけれど、何かを説明する時に「絵にして見せる」ことは伝えたい「概念」を様々な意味の既に張り付いてしまった口語やきっちりと定義された専門用語に載せ代えるよりも「直截的」に伝え易いとは思う。もちろん、そうやって伝わったものが自分が示そうと思ったものと同じである保証はないけれど、そこで新たに見出された理路が間違っているとも言えない。使い得るものはシニフィアンに過ぎないけれど、伝えたいものはシニフィエなのだ。そのことをこの著述家程にはっきりと意識して書いている人はいないのではないだろうか。そしてそのシニフィエのことを伝えようと思っている人が必ずしもはっきりと理解していない可能性もまたある、そのことも含めてこの哲学者の示す態度は公正だ。そんな思考を重ねて「原理」に近づこうとすると判ってくるのは、原理とは白黒のはっきりとした単純なものではなく、複雑な反射面を持つものなのだということ。差し詰め、意味は常に他者を通して自分の中に返ってくる、っていうことかな。
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