内田樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
基本的には、過去に内田老師が話されていたことの繰り返しも多いが、過去に読んだ内容でも自分の状況/状態によって感じ方も異なる。今回は、ANAマイルを使うために関西空港トランジットで上海に向かう途中に、上海便が遅れ、幸運にもその時間で読み切ってしまった本書について引用していく。
• 「知性的な人」がいるとすれば、それはその人がいるせいで、周りの人たちの知性が活性化して、人々が次々と新しい視点から、新しいアイディアを思いつくようになるという遂行的な形で評価すべきではないかと思うのです。その人個人の知h式や情報の量がどれほど多いかとか、どれくらい「頭が切れる」かということではなくて、集団の知的パフォーマンスを向上させる人が結果的に知性的な人と認定される。僕はそんな風に考えています。
• 僕はものを書く時に、読者が「知的に興奮する」ことを目指して書きます。「知的に興奮する」というのは、そこで論じられていることについてすぐにオリジナルなアイディアを思いつくというほど直接的なことではありません。そうではなくて、脳内のそれまで割とおとなしくしていた不活性部位に通電して、「急になにかがしたくなる」ということです。
• 「理解できる」にはいいことです。もちろん。すごくいいことです。でも「理解できない」というものおなじくらいにいいことなんです。もしかしたら、「理解できること」のリストを長くする以上に「理解できないこと」のリストを長くすることの方が人間の知的な成長によってはよいことかもしれません。(中略)科学的な知性は、自分の仮説が当てはまる事例を集めるのではなく、自分の仮説をより包括的なものに、より真理に近いものに書き換えるチャンスが増えるからです。
• できることなら、門人の全員が僕より先へ進んでほしい。自分んを超える弟子を育てること、それが教育の開放性、豊穣性ということだと僕は思います。
• 「それが何を意味するかわからない概念を用いて会話し、議論できる」ということって、よく考えたらすごいことだと思いませんか。たぶん、すごいことをして人類はだんだん賢くなってきた。この作業は言い換えると、「主題となる概念の決定をペンディングしたまま、ある程度の時間にわたって思考することができる」ということです。先ほどは「知的な肺活量」という比喩を使いましたけれども、息を止めて長い時間耐えているうちにだんだんと肺活量が増えていゆき、より長い距離を泳ぎ切ることができるようになる。
• 「資本主義の精神」なる概念の定義は、「研究の結末において得られる」ということは、本は読み終わるまで、読者たちは「資本主義の精神」という中心的な概念について、その定義をペンディングしたまま読み進めなければならない。僕はこういう作法が哲学の真骨頂ではないかと思うのです。ウェーバーが読者に求めたのは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の間には相関関係がある」という命題に同意してくれることではなく、「資本主義の精神」という概念を論考の最後まで定義不能の語としてペンディングしたまま本を読み進めることができる能力を開発することだった、と。
• 知性の開発のためには、何かが「わかった」と思って&することより、何かが「わからない」という不安のうちに思考するという負荷に耐えることの方が有効なんです。
• (学術論文は、読み手のレベルが一定以上と想定している故に周辺情報を省略できるが、「伝道」の場合は、多くの周辺情報を丁寧に一から説明することが求められるという内容)でも、僕はそういう「予備的考察」のことを「めんどくさいなあ」と思ったことがないんです。だって、この「予備的考察」というか「文脈の説明」という仕事がある意味で最も自分の「オリジナリティ」が発揮される機会だからです。そうなんです。最もその知性が独創性を発揮できるのは、「難しい理説を述べているとき」ではなくて、「ややこしい話をわかりやすく説明しているとき」なんです。
• 歴史的条件として天皇制と立憲デモクラシーが与えられている以上、「与えられた歴史的環境」の中で最高のパフォーマンスを達成するためには、「どうすればいいか」を考える。僕はそういうプラグマティックな立場です。「天皇制と立憲デモクラシーを共生させる」というのは特殊日本的な政治課題であって、日本人に代わって「こうすればいいよ」という会を与えてくれる人は世界のどこにもいません。だったら、日本人が考えるしかない。
• 僕は「右翼」とか「左翼」という固定的な政治原理に「居着く」ことそのものに抵抗しているのです。それが「分派」者の意地です。(中略)「僕は同時に天皇主義者であり、立憲デモクラシー主義者である」ということです。複雑だし、困難な政治的課題ですけれども、僕は日本人が政治的に成熟するための道はこれしかないと思っています。
○ <読者注記>この、氷炭相容れざる二項対立に中で葛藤し続けることが知性を開発するという言説には、非常に共感するところがある。直近読んだ故・野中郁次郎先生の『二項動態経営』では、まさに「あれかこれか」の二者択一ではなく「あれもこれも」という両義的なモデルのメリットを訴求されていた。おそらく『二項動態経営』の基本的なコンセプトは生物学者の福岡伸一先生の『動的平衡』からくるものではないかと邪推するが、まさに二項が対峙、葛藤するというそのアクロバシー・ダイナミスティックな状態こそが、もっとも生物、知性を活性化させるという点は非常に面白い。私はリスクマネジメントと福利厚生の分野でビジネスをしているが、企業にとって選択と集中の波の中で、いかにしてリスクを自社施策に取り入れて考えていくかという観点は、まさに二項動態的である。「経済合理性を突き詰め、無駄のない経営」と「いかなるリスクにも対応が可能なゆとりのある経営」の二項対立の超克を目指し、葛藤している組織こそ、強い。また、福利厚生も面白いところは、まさに企業としての動機付け要因と衛生要因の両義的存在であり、常にその意義が疑問にさらされていることにある。私は、福利厚生という資本主義の世界で一滴たらされた共同体主義のその両義性にこそ惹かれるということを再認識した。
• 「救い」という概念が人間に求めているのは、「できるだけ長いタイムスパンの中で思考せよ」ということではないかと思います。(中略)「救いを信じる」ためには、人々は天文学的なタイムスパンの中で、ものごとを思量する習慣を身につけなければなりません。僕はこの「望外の効果」こそが「救い」という宗教概念の本質ではないかと思います。(中略)ほんとうに「大きいもの」は巨視的な、宇宙的なスケールの中におくことによってしかその価値がわからない。それが孟子の教えだと思います。宗教的知性とは、こういってよければ「大きさ」を畏れる心のことです。人間の手持ちの度量衡では決して考量できないものに向き合った時のおのれの無力と卑小についての意識のことです。 -
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『アイデンティティーを共有する集団が社会的行動の基本となるべきだというのは、それだけ聞くと当然のように思われるかも知れませんが、「アイデンティティーを共有する」ということになると、一度その集団に登録された人は、「共有されたアイデンティティー」を変更することができなくなる。集団的なアイデンティティーに居着くことを強要される。その集団が定めた「うちのメンバーなら、こう考え、こう感じ、こうふるまうべきである」という定型の習得を義務づけられる』ー『15「複雑化」するための教育/「自分らしさ」に居着いてはならない』
内田樹師の理路はいつも平易だ。しかしそれを自分ひとりで辿ろうとすると途端に道を見失う。個人的な経験からも、優れた先達からの教えとは常にそうしたものだという感覚が自分にはあって、例えば、リチャード・ファインマンの説明は聞いている時には分かった気になるが後で考え直してみるとよく解らない、というような逸話もそれを裏付ける。以前、後輩を指導するような立場に在った頃、図や式を書きながら説明したメモを「それをもらってもいいですか」と聞かれたものだったが(そしてそれと同じことを自分も頼んだこともあるが)、その時に理解したと思った理路はそこにはなく、残念ながらそのメモから同じ道を辿ることはしばしば困難だ。そこにあるのは何かを指し示した記号だけなのであって、指し示されたものは直截には見えていない。なので師の本は何回か読み返すのだが、読み返すといつもまるで初めて聞いたことのように脳が勝手に感じてなるほどと思う。とは言え、その論はいつも大体同じところに着地しているようにも感じるという不思議さ。聞いたことのある感覚と初めて聞かされたような感覚の混在。本書の中でも言及される「伝道師」という立ち位置の説明を聞いて、その感覚の混在も尤もなことなのだろうと少し理解する。あたかも論語の「子曰く、」と始まる話を聞いている感覚に近いものをこの人の理路には覚えるのだな、と。
ソーシャルネットワークやブログの文章にも接しているけれど、内田樹師の文章は単行本となった形で読むのが常に一番しっくりとする。それはきっと、この哲学者が志向するものが小さな論に収まり切らない「大きな考え」にあるからなのだろうと本書を読んで改めて思う。本書は特に元々韓国の読者を対象に書かれた「問答集」のような本であるため丁寧に説明が為されていることに加え、質問者が妙な色眼鏡を掛けずに問い掛けているためでもあるが、中心にあるその「大きな考え」の下地を丁寧に解説し、「説く」というより「指し示す」、という態度で書かれているためかも知れない。「百聞は一見に如かず」という言葉はややグラフィカルなものへの偏重が感じられることわざだけれど、何かを説明する時に「絵にして見せる」ことは伝えたい「概念」を様々な意味の既に張り付いてしまった口語やきっちりと定義された専門用語に載せ代えるよりも「直截的」に伝え易いとは思う。もちろん、そうやって伝わったものが自分が示そうと思ったものと同じである保証はないけれど、そこで新たに見出された理路が間違っているとも言えない。使い得るものはシニフィアンに過ぎないけれど、伝えたいものはシニフィエなのだ。そのことをこの著述家程にはっきりと意識して書いている人はいないのではないだろうか。そしてそのシニフィエのことを伝えようと思っている人が必ずしもはっきりと理解していない可能性もまたある、そのことも含めてこの哲学者の示す態度は公正だ。そんな思考を重ねて「原理」に近づこうとすると判ってくるのは、原理とは白黒のはっきりとした単純なものではなく、複雑な反射面を持つものなのだということ。差し詰め、意味は常に他者を通して自分の中に返ってくる、っていうことかな。 -
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もしかして、そうかな、と思ってたけど、やっぱりそうだったのか。
「今私たちが直面しているのは『近代の限界』というより、『前近代への退行』である、ということは、論理的に言えば、今必要なのは『近代の復興』、『近代への回帰』だということになる」
「『近代市民社会』などというものはまだ歴史上一度も実現したことのなかった幻想なのかもしれない」
じゃないかと私でも感じていたのだけど、そんなことを言うと、歴史家からバカにされそうだったから、口に出したことはなかったのだけど。
内田さんがキッパリ言うので、これからは胸を張って言える。ポストモダンなんてまだ早い!まずは近代化だ!
最後の講演が、少子化社会をどう乗り越えるか、明快でよい。
以前から一極集中には反対し、少ない人口で地方のコモンを大事にして生きていくことを提唱していた著者だが、ここでもその論を若い人たちに向けて、わかりやすく述べている。フランスはあの国土で6500万人。日本が5000万人に減っても都市に集中しなければやっていけるなと思う。
資本主義の要求に飲まれずに地方分散のビジョンを作る政治家を増やしていかなくてはね。(見当たらない…)
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Posted by ブクログ
現代社会の閉塞感、違和感の正体を鮮やかに敷衍してくれて、自分が何に気をつけて、何を日々のできる範囲で護り育てなくてはならないのか、気づかせて頂いた。
成熟するには、良識を持つには。
同質性を基準とするのではなく、広い視野を持って、長いタイムスパンの中で物事を観察すること。
自分自身を含む光景を上空から俯瞰する。
そんな視点を持って生きていくことが、大事なことだと学ぶ。
そして、そうした態度で示される氏の数々の見解から、多くの金言が得られる。
読んでいて思ったことは、次の三つ。
1.自由と教育について
自得するものこそが、真に自分のものとなる
だからこそ、教えるのではなく、自得できる環境を作ることこそが重要だ
この考え方は、学生時代に学んだ、エヒメアヤメの保全や、木村秋則さんの自然農にもつながる思想だと思った。
2.自由と平等を実現するには
私有財産は世代を超えて引き継げないとしては?
その上で、医療、教育、生活保障は、社会全体で見るとすれば良い。
3.社会共通資本を守るということ
自然や、文化、宗教、伝統という社会共通資本を護り、そのために、地方から小規模分散の社会を実現することが、持続的な日本をつくることになるということ。
自分の関心事項、夢と繋がる。私は、華厳的な世界の見方で、小規模分散の世界を作り、社会共通資本を守りたいと思っているということを自覚した。
役職定年まで残り10年弱。次のステージは、本当に目指しているそこ、自然と人の共存に向けていける様に、しっかり頑張ろう。 -
Posted by ブクログ
これでもかというくらい、今の日本の危うさを語る二人。
対談のはずなのだが、一人の話、として読んでいる自分がいた。
全く違和感がない。
第二次安倍政権で底が抜けた日本社会、、、
倫理のタガがはずれたのだ
以前別のコラムでも書いたが、
官僚主義を打破しようとしてた青年政治家安倍晋三には私は期待していた。
その志で首相の座を勝ち得たが、お友達内閣はわずか一年で崩壊。
民主党政権が自滅した後奇跡の再登板。
アベノミクスで縮む日本経済を打破する救世主になったかに見えたが、
選挙で勝つことがすべてと統一教会に魂を売り渡し、
国会では醜いヤジを飛ばし、
さらにはモリカケサクラを筆頭に仲間と思しき人に公金をばらまく。
・・この新書ではここまでは書いてないけど、
要するに底が抜けた。
これを諫める立場のメディアは完全に委縮。
・・・というか、受験エリートは言われた通りにする、我慢することに耐性があるから、
受験エリート上りのマスコミ社員は国に対しても素直なのだろう。
そして世間を知らない世襲議員。
学も教養もなく、政治貴族のふるまいをする、、、今だけ自分だけ。
まあでもここまでは日ごろ私も思っていること。
新しい発見は二つあった。
戦後来今日に至るまで、日本がアメリカの属国であるのは自明のこと。
卑弥呼の時代から家康に至るまで、日本は中国の属国だった、というのは再認識。
確かに、漢委奴国王、やら、「日本国王に命ず」やら、そもそも「日本」という呼称やらは、
中国の属国を示す言葉。
聖徳太子が「日出国の王より日沈む国の、、、」という文を髄に送ったとかいう話を聴くが、
それ以前の話だったわけだ。中華思想。
日本、、中国は自分の国は一文字、周辺属国は2文字だった。
それと英語教育。
オーラル重視。読みを重視しない。これは植民地英語だと。
これはちょっと違和感。
学生時代の英語は読み書き重視で、もっと話せるようにならねば、
と、私が社会人になってから教育方針が変わった印象がある。
英語でビジネスで闘える人を増やせ、と。
読みができれば様々な情報に触れることができ、独立心が高まるからだと。
話ができるだけならいいくるめられる、と。植民地支配に都合がいいと。
・・・確かに言われてみればそうだ。英語を話して仕事をする人なんで一握り。
それよりちゃんと海外の情報を読めた方がいい、聞けた方がいい。
ジャニーズ問題だって、BBCの放送をダイレクトに理解できた方が早いに決まってる。
私もラグビー配信が現地放送しかないと、名前やラグビー用語は聞き取れても、
解説がわからず忸怩たるものがある。
オールブラックスからのメルマガも取っているが、何が書いてあるやら、、、
この2点は興味深かった。
最後に書いてあるが、二人がこうして日本の現状を明らかにするのは、
将来を悲観するためではない。
むしろ逆で、この現状を知ることで、ここからどう立ち直るか、これを考えることにある。
思考停止が一番まずいのだ。
・・・でもなあ、、最近また電車でスマホゲームに浸る人が増えている気がするんだよな。
周りの迷惑顧みず肩ひじ張って、、、
これでは日本の未来は暗い、としかいいようがない。
自分は、思考したい。
第1章 倫理的崩壊の危機
第2章 地に落ちた日本の民主主義
第3章 教育システムの機能不全
第4章 動乱期に入った世界
第5章 自ら戦争に歩み寄る日本
第6章 2024年の衝撃
第7章 思考停止に陥る前にできること -
Posted by ブクログ
2025/04/12
p.5
私が「お部屋をきちんとしておく方がいい」と申し上げているのは、要するに、いつでも「お客さん」を迎え入れることができるようにしておくことがたいせつだと思っているからです。<中略>本書は「お客さん」を家に迎え入れるために「お掃除」するということを目的とした本です。
お掃除ですから、それほど組織的に行わるわけではありません。というか、お掃除というのはもともと組織的にやるものではないんです。組織的かつ徹底的にやろうと思うと、思っただけでうんざりして、いつ先延ばしにしてしまいますから。お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。「足元のゴミを拾う」ことで満足する。
意図せず、お掃除の要諦が説かれている本にめぐりあってしまった!僕の毎日のお片付け習慣の設計がおおよそ正しいことが証明されました!! -
Posted by ブクログ
安倍政治から、最近の東京都知事選、兵庫県知事選にかけての政治の凋落と、メディアでの議論のあり方、ネットの荒れ方、そして職場での無謀な上位下達について、モヤモヤとした違和感や閉塞感を感じていたことの正体が、この書を読んでクリアになった。
こういう世の中の流れに乗りたく無いが、中々、抗えず、どうやって良識ある大人になれるかと考えていたがよくわからなかった。しかし、自身が受け入れられない人々の言動が損なっているものが、この書を読んでわかったことで、それら蔑ろにされているものを大切にしていけば、目指す良識が得られるのでは無いかと思った。
思考停止の受け身でなく自律を
データなどの客観性のみに絞らずに身体的に感じる違和感を大切に
近視眼的ではなく長い目で見るとか間尺に合うということ。焦点深度を変えて具体と抽象を行ったり来たりするのが、知性
長いものに巻かれるのではなく、反抗と内部告発などで組織の社会的役割を維持する
言葉を大切に、論理に誠実に、倫理観と物の道理を大切に
これしか無いという怠慢に胡座をかくのではなく複数シナリオを持ってシミュレートしてことにあたる
無謬性や傲慢さを排して事実に傅き
トップダウンだけが唯一解では無い。ミッションコマンドやインシデントコマンドを
管理だけでなく創造を
絶対的正義ではなく、程度の問題としてみなす
システムをハックして自分だけどよかったらええ式にならずに、システム自体を良きものに、粘り強く。 -
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形にとらわれないということ。
居着かないということ。
現代の人は目標に向かって努力するが、
修行において目的は見えない。
見えないけれど、その先にある何かを信じ極める。そしてはじめの自分では想像もしない境地までたどり着く。
見えるもの把握できるものだけに、縛られないということ。
天下無敵とは、どんな相手と対峙しても勝てる、ということでは無い。
むしろ全ての敵を自分の一部にするということである。包含し、融合する。境界線は曖昧である。
自分という枠組みに、とらわれないということ。
イエスが海を歩く伝説を信じるか。
信仰とは、自分では理解できない現象が存在しうることを認めることである。起こりうると仮定することである。はなから否定することは、非科学的である。
信仰とは、自分の小ささを認めること。
この本に一貫する考えは、自分自身に居着かないという流動性である。修行とは、終わりのない自分自身の変革である。
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Posted by ブクログ
構造主義というものをネット検索しても
「私たちの思考や行動は、所属している社会や文化によって決められている」という文言に肌感覚的にピンとくるものがなく、初心者でもわかりやすい書籍は無いかなと探してたら、これを見つけたので購読。
読み進めていくうちになんとなーく構造主義というものが見えてくるし、
現代思想に疎い私でもわかりやすく書かれていると思う。
私の理解では、人間が生きているうちに獲得した概念や言語、習慣により身に着けた文化や想いにはカテゴライズされた名前(記号)が付けられていて、人間はその「構造」に左右されて考えさせられているため、その「構造」から外れて物事を考えることができないということかなと。
そのため人は外的要因により自己を形成していくし、外的反応により自己を認識できるのかと思う。
新しい価値や教養を獲得すれば世界が広がり、ある特定の「構造」に囚われれば心理的盲目になる。
生活習慣を改めれば体調がよくなり、心も洗われるなんてことがよく言われるが、それも「構造」の力かも?と思ってみたり。
部屋がきれいな人は落ち着いている人が多いとか(笑) -
Posted by ブクログ
あえて言いますが「また同じことが書いてあります」。
基本的に内田さんも岩田さんも以前どこかでおっしゃっていたことを繰り返し語られています。
違うのは取り上げられている事象の方。
でもそれは当たり前のことではないでしょうか。
ある人の考えは様々にバージョンアップされたり、改変されたり、脇道へそれたりとするでしょうが、その本質的な部分で大きく変わることは(あまり)ないと思います(むしろ本質的な部分がころころ変わる人は信用できないでしょう、きっと)。
一方で現実は目まぐるしく変化する。今回主要なテーマである「コロナ禍」は、現実がいとも容易く一変するということを残酷なほど分かりやすく僕らに突きつけるものでした。
さて、内田さんの意見について「いつも同じでつまらない」という人がいますが、これはだからある意味当然です。まあそんなものだろうな、と。
でもだから読む価値がないかと言うとたぶんそうでもない。それが「正解」ではないにしろ(本書でもある通りたぶん「正解」って現実的にはほとんど「ない」のだと思います)、何か本質的なものを言い当てている言説(それはたぶんいっぱいあるのでしょう)、何度読んでも新しい気づきを与えてくれると思います。
少なくとも今回も僕は二人の対談をワクワクしながら一気読みしました。
反対に内田さんの言っていることは最近よく分からないとか、最近の考えには賛同できないという方もちょくちょく(僕の周りには)います。
でもこれもある意味当然。内田さんご自身が断われている通り、内田さんはさまざまな「予言」や「仮説」を提示されます。その「予言」や「仮説」すべてに賛同できるなんて可能性はまずありませんし、もし内田さんの言っていることすべてに「なるほど!」とうなずいているのなら、それはたぶん内田さんや岩田さんが考えておられる「知性」の在り方とはほど遠いものであるような気がします。
個人的に今回刺さったのは内田さんもあとがきで触れられている、岩田さんの「医者は往生際が悪いんです」という言葉。
僕も教育に携わるもののはしくれとして「教育者は往生際が悪いんです」と言ってみたい。
それは裏を返せば、もう半ば諦めてしまっている自分がいるということなのですが。
少なくとも本書を読んで、もう一回、少しくらい足掻いてみようかなという心持ちにはなれたように思います。 -
Posted by ブクログ
内田樹の社会観というか政治的立場が明示されている。基本的にはコミュニタリアンなんだな。
懇親会で隣にいた保険医の方から,「医療と市場原理はどうしてもなじまないのですけれども,どうしたらいいでしょうか」と訊かれた。その質問には「苦しんでください」と答えました。にベのない答えだったとは思いますけれど,仕方がないのです。医療と市場原理は並立しないからです。並立しないものを並立させようとしているのだから,苦しむ以外にない。
これは医療を司法とか法曹とかに置き換えてもそのまま当てはまるのではないか。
「市場原理に委ねるとある種の領域で制度は限りなく劣化するという平明な事実を直視すべきなんです。」
「論理的には,大学がないときに大学の利益率は最大化する。」
「自分に反対する人間はすべて敵だ,すべて潰す,と言う政治的立場の人に対する根源的な批判は,「われわれは自分に反対する人間をすべて敵だとは思わない。反対者を含めて,同じ集団に属するすべての人々を代表する用意がある」と意地でも言い切るしかない。」
教育の成果は,「市民的成熟の達成」である。
私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではありません。公的なものは私人がつくり出すのです。
最低の教育コスト×最低の学習努力
アメリカ憲法は常備陸軍を認めていない。
「自分らしく生きろ」という,一見すると子どもたちを勇気づけるように聞こえるメッセージは,実はその本音のところでは,「はやく『自分らしさ』というタコツボを見つけて,そこに入って,二度と出てくるな」と言っているのじゃないでしょうか。
目標言語と目標文化