内田樹のレビュー一覧
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修行論は、内田樹さんの本で過去に実本で購入したんだけど処分してしまっていた。久しぶりにタイトル見て懐かしいな、と思いダウンロードして読み直したけど、相も変わらずの内田節満載で非常に面白かった。4つの文章を1つの本にまとめているので、ご本人曰く「幕の内弁当」の様な本とは書いてあるけど、どの文章も修行というのは何なのか、という本質に切り込んでおり、多面的な視点で修行についてわかるので非常に面白い本でした。また、忘れた頃に読み返したい。ただ、内田さんの語りは結構繰り返しが多いので、内田さんの類書を読んでいる人は、割と重複する内容も多いのでその点のみ要注意ですね。
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この人(著者)がいる内は、日本が今どうなっていて、何が起こっているのかが分かるという、稀有の人の講演をまとめた本。
本書を読んだ多くの人が、何かしら「ああ、そうだったのか」と思うところがあったのではないだろうか。
本書は、『下流志向』や『日本辺境論』の著者で元神戸女学院大学文学部教授であり、教育や武道や国のこと等々に一家言ある内田樹(たつる)氏の講演6個+短いスピーチをまとめたものである。
その6つの講演が多岐に渡っており、日本の政治の話の次は、日本や世界の宗教(+霊的なもの)の話から、伊丹 十三氏(読み方分かりますか?「いたみ じゅうぞう」です。※インターネットで調べただけ)や白川静先生の話、言語(コミュニケーション)の話まであって、
「この人何者!?」「何でこんな色々話せるの!?」と驚嘆せずにはいられないわけだが、
色々なことを話していても、どこか通底に共通するものがあって、それが『日本の覚醒のために』、『日本が今こうなっているのは、こういうことに発端があって、こういう経緯を辿ったからなんですよ。だから、こうするのは良くて、こうするのは良くないよね』ということを、誰にでもわかるように紐解いてくれている、ということだと思う。
特に、日本の政治の話で、目から鱗が落ちる話が多く、今、日本において、日本の国益(見返り)に関係なく、対米従属の政策しかない理由だとか、
今の小学生に「国権の最高機関はどこですか」と質問したら、ほとんどの子どもは「内閣」と答えるはずだ、国会だと思っている小学生はほとんどいないだろう、メディアコントロールに神経質な官邸が、国会での国会議員の居眠りとかの任務放棄を垂れ流して何のコメントもしないのは、そうやって国会が形骸化することが内閣にとって都合がいいからだろう、とか、
改めて言われると「なるほどね」と思うことが多々書いてある。
そういう、目の前のことをただぼんやり見るだけでなく、裏側だったり別の視点や過去を踏まえた視点だったりで見ることに非常に長けているので、「今の日本ってどうなってるの?」という興味関心がある人は是非読んでもらえたらと思う。
個人的には、Ⅳ講演目の「コミュニケーションとは、自分の言いたいことを伝えることではなくて、相手とコミュニケーションが成立しない、意思疎通できなくなった時に打開する、回路を繋ぎ直す力のことだ」という話も良かった。 -
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付箋を貼りまくって何度も読みたくなるような本。
こういうの、スポーツで子供をどにかしようと思っている親御さんに、
今!読んでほしいと思う。
合気道の内田さんと、ラグビー日本代表だった平尾さんとの体をめぐる話。
2007年の対談と2014年の対談。
19年間のラグビー生活の中で得た経験を言葉に落としていくことは、
その人にしかできないし、誰のものでもない貴重なもの。
第一線でスポーツをやっていた人が、教育に向きあって、
自分の経験を言語化していく勉強をしていくことって
客観的で誰にでもわかるような形で教えてくれるというのは
とても意義のあることだと思う。
感覚でしか分かっていない、感覚としてもまだちゃんと感じていない、
個人の経験で済まされてしまうようなものの中に
誰にでも共通している、数値化できないけれどとても大切なものがたくさんある。
今のスポーツ教育の中では置き去りにされているものの中に、
その人が豊かに生活していく、
生き延びていくために必要な知恵が山のようにある。
身体に対する信頼や愛情、興味などに裏打ちされた二人のやりとりは
とても健全で気持ちがいいもの。
子供をとりまく今のスポーツの状況の歪んだ姿、怠慢な構図に悲しくなる。 -
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竹宮さんが大学の学長になって学校で漫画を教えているとは知りませんでした。
しゃべりすぎる内田さんとの対談は刺激がたっぷり。
内田さんによる「ボーイズラブ漫画は少女漫画家のアンチアメリカ(仮)説」は
頭でっかちというか、きれいにつじつま合わせてる分だけ鼻息荒過ぎというか。
でも竹宮さんの話で、実際はわりと単純な理由だったのが読んでておかしかった。
以前読んだ内田さんの著作の中に
「いかに労力(勉強)をかけず資格を取るかが、教育におけるコスパの良いこと」な
ミもフタもないことが書いてあったけど、
同じように大学にお金を出して漫画を教わりに学生は
あまり能動的に動いていくということがないみたいだ。
それでもこの学校の、
複数の教授たちから多角的に指導を受けられるシステムはとても面白い。
マンガはもともとオープンソースなもの、という指摘に目からウロコ。
オリジナリティやら、誰が始めたとか、そんなつまらなことで世界を固めてしまうより
イイものはイイで、みんなが取り入れて盛り上げていくという形はとても健全。
漫画は基本的にはすべて一人で作るものなので、
なにからなにまでやらなければいけない、というのも
改めて言われると凄いことなんだよね。
そして漫画は読む人がいなければ意味のないただの紙で、
そのために読者をひきつけるあらゆることを考えて作っていく。
発行部数が文学書などとは比較にならない世界にいた人の言葉は
すごく説得力がある。
竹宮さんが教えることを引き受けたのは、
積み上げてきて前提となっているはずの漫画の基礎が、
受け継がれず形が崩れたまま続いていくことへの危機感や
同じく漫画を作る編集者もまた、サラリーマンとなって経済的な結果ばかりを追い
長い目で育てていくという視点が薄くなってきているということからだそうだ。
最後の章で、内田さんが言っていた「ストックフレーズの乱れ打ち」はコワイ話だった。
気の利いた文章を書く子がさらさらと書き上げた文章ほど、致命的に定型的。
マニアな雑誌の投稿欄、オタクのTwitterみたいに、
誰が書いても同じニオイなんだろうなあ。 -
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読書のモチベーションが少し下がった気がして(気のせいでしたが)、困ったときの内田頼みってことで、本作を手に取りました。これを読みながら、ネガティブ批評はいかんなと思いつつ書くのも憚られるけど、読み始めたものの遅々として進まない「仮往生伝試文」がどうしても受け付けず、何か突破口はないものかと思ったのがきっかけ。同作の個人的感想はそのときに書くとして、肯定的に読んでみようと思う契機づけにはなりました。他は、母語の考え方とか、人に伝える仕方とか、読書論というくくりで語られてはいても、あくまで筆者ならではの論旨に、相変わらず感嘆しきりでした。決して容易な内容ではないのに、リーダビリティの高さを感じさせられる理由、少し分かった気がします。
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ネタバレ誕生日のユルい決意として「人と争わない・競わない」とした数ヵ月後に、この本読むねんもんなぁ。意識することで出会うものってあるよなぁ。
ここんとこ、山に行くと下りより登りが断然面白いのである。ついこないだまで「しんどい思いは出来るだけ少なくして、いい景色や美味しい空気を味わいたい」と思っていたのに、いや、今でも時として「俺なんでこんなしんどいことしとんねやろ?」と脳裏に思い浮かぶのだが、それでも登りが楽しい。
登山口からちょいと歩いて、本格的な上り坂になってしばらく経つと、身体が熱を帯びてくる。衣服を調整して、水分を含み、靴とザックの紐を調整して再び登りだす。肩と腰にかかるザックの重み、無駄な横揺れを防ぐために胸の前で腕を組み、横揺れしようとする動きを足の振り子に変えていく、身体をやや前傾し、その重心を支えるために足が自然に前に出る。つま先と膝の方向を極力合わせて、段差は大股にならず小さく刻む…
この一連の流れが綺麗にかみ合った時の気持ち良さ。山道が持っているリズムに自分の歩みがあてはまったしっくり感。この感触を知ると、ワーッ、ダーッって降りてしまいそうになる下りにはない味わい深くて嵌まるのである。
で、この本である。合気道の内田樹さんと、ラグビーの平尾剛さんの運動やトレーニングに関する対談をまとめた本である。
現状、日本の体育やスポーツというのは「勝利」であったり「数字」であったり、数値化してその数字の向上を目標しているが、2人はそれを認めない立ち位置で対談していること。内田さんは合気道の人(合気道に試合はないらしい)だからともかくとして、平尾さんはラグビーの人なのに、それをするかぁというのが新鮮。
成果としての勝利やトライ数、キック成功率は認めるが、その数字を追いかけることを最終目標とするのは違うんじゃないか、ということである。
身体を動かすのは本来とても気持ちがいいことで、それは子供がじっとしておらず、動き回って走り回っていることでも分かるだろうと。で、体育にせよスポーツにせよ、その気持ちよさをもっと教えて行くことに意義があるんじゃないかということ。
そう、そういう気持ちのよさは、多くの人が経験したことがあるんじゃないだろうか?
逆上がり、うんてい、跳び箱、前転、スキップでも、シャーペンの浪人回しでも、一番最初に出来た時の達成感とか快感とかって凄く気持ちよかったやん。
数字だけが、人と競い勝つだけがスポーツじゃない。昨日できたことが今日出来る喜び、自分が思う通りに身体が動くようになった快感。ただ単純に飛んだり跳ねたり転がったりする野生の気持ち良さ。それもまた正しいフィジカルの悦びだと、この本にはそういうことが書いてあり、やっぱり俺は「人と争わず、競わない」方向で楽しんで行こうと思った次第。 -
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[次なる潮流へ向けて]国家やイスラームを中心とする宗教について2人の専門家が縦横無尽に語り合った作品。次世代の共同体を担保するシステムやネットワークはどのようなものであるべきかについて、新鮮な議論が交わされています。対談者は、哲学者のエマニュエル・レヴィナスを集中的に研究した思想家の内田樹と、大学四年生のときにイスラームに入信した学者の中田考。
イスラームの政治動向について、積極的に1人称を用いて語ることのできる数少ない日本人である中田氏の考え方は、多くの日本人にとってイスラームのある側面を解する際に非常に有意義ではないかと思います。また、反グローバリズムという点で中田氏と共鳴しながらも、日本人という視座から国民国家の持続を希求する内田氏のポジションが、中田氏に対する迎合でも拒絶でもない微妙なスポットに会話を落とし込んでいる点も読み応えがありました。
〜西欧のキリスト教は結局政権に関わるんです。なぜかと言うと、彼らの政教分離の原点は、「世俗」と「宗教」の分離ではなく、「国家」と「教会」の分離だったからです。〜
めっけもん的な新書でした☆5つ -
Posted by ブクログ
すっごく面白かった。脳がバシバシ刺激された。あとがきで赤坂真理さんが書かれているように、内田先生の倍音の効果かな??
以下、気になった箇所。
P63
「あなたは間違っている」とかは言わないんです。だって、僕が彼の前にいて、現にその言葉を発したという事実がある以上、それには何か意味があるはずだし、僕が間違ったことを言っていたとしても、「間違ったことを言っている男がここに存在する」という事実は否定できない。
P77
福沢諭吉の狂気じみた勉強法について。
「知性が最高速で運転しているときの、全身を貫く震えるような快感。」
「僕はこれはほとんど「知性の身体性」と呼んでよいものだと思います。お腹がすいたらご飯を食べる、眠くなったら眠る。それと同じように、何が何でも勉強せずにはいられない、勉強せずにはいられない、勉強しないと自分が苦しくて耐えられないという精神状態にまでどうやったら自分を追い込めるか。その手立てを具体的に考えるのが「知の現場」にいる人間のいわば「芸」ではないんですか。」
P84
僕は学校教育に市場原理を持ち込むことにずっと反対してきました。けれども、それは自分の中に、何か理想的な学校像や教育像があるから言っているのではありません。市場原理なんか持ち込まれたら、学校という場が全然「わくわくどきどき」しなくなるから、そういうのはやめてくれとお願いしているんです。「アカデミア」って、本質的に、そこに足を踏み入れたら胸が「わくわくどきどき」する場所でしょう。
P171~173
太宰治と村上春樹のこと。倍音のこと。面白い!
P199
日本の知的未来を豊かなものにするためには、どうしたって、学生たちひとりひとりが、私はこの場所にいていいのだ、いなければいけないのだ、ここで学ぶのは自分の宿命なのだという自覚がなければ立ちゆかない。大学は無数のピースで出来上がっている構造物で、そこに自分が「かちり」と収まらない限り、構造物は完成しない。そういう種類の帰属感と責任感がなければ、学びの場というのは機能しないのです。ここで自分が学ぶことによって、この学校は完全なものになるのだというふうに、自分がここにいることの必然性を強く感じられるような学生たちを一人でも増やしてゆくこと、それが学校の責務なんです。
P291
その頃の僕はひたすら「かっこいい欧米のインテリ」を追い求めておりました。その人が「欧米の文化なんて、全部ゴミだぜ」というのを聴きたかったからです。なにしろこちらは敗戦国民ですから。マッカーサーに「精神年齢は一二歳」の「四等国民」とレッテルを貼られた人間ですから、文化的には心底いじけ切っている。だから、この屈辱感を晴らすために、欧米の先進文化なんか「ゴミだぜ」ということを誰かに言って欲しかった。そういう「破壊者」探しの旅の果てに、ブランショ経由でエマニュエル・レヴィナスにたどりついた。そして、レヴィナスの本を読んだ瞬間、電撃に撃たれたように「これだ!」と。「これこそ私が師事すべき人だ!」と直感したわけです。
P337
僕たちが営んでいるすべての社会的活動は、つきつめてみれば、個人のものではありません。集団が主体となって行っているものです。そして、その集団は成員として、今ここで同時代に同じ集団を形成しているメンバーだけではなく、もういなくなってしまった人も、まだ加わっていない人も含んでいる。でも、そういうふうに社会制度や組織について考える習慣を僕たちは久しく忘れ去っていたのでした。
P341
アメリカは手つかずの自然と原住民を収奪して国家の基礎を築き、ただ同然の豊かなエネルギーを発見したことによって、今日の石油基盤社会の覇権国家になりました。別に国民たちの例外的な能力や努力のみによったのではなく、いくつかの歴史的偶然の連なりによって、今あるような国になった。世界の表面はいくつかの偶然によって変わるものです。けれども、アメリカ人たちは、自分たちの成功の理由を誰の支援も受けずに刻苦勉励した事実に求めました。その国民的幻想である「セルフメイドマン」という特殊アメリカ的なロールモデルが今やグローバルスタンダードとなり、全世界に強要されている。日本にはやはり日本固有の風土があり、日本固有のあるべき人物像があると思うんです。自然と親しみ、その恩恵を豊かに享受できることを感謝し、自然や他者たちによって生かされていることをデフォルトにするような人間の方が、この風土、この社会にはなじみがいいと僕は思っています。でも、それを捨てて、できあいの「グローバル人材」なる鋳型に自分たちをはめ込もうとしている。これがいかに愚かしいことかということを、僕は言葉を尽くして言っているのです。
P343~原発のこと。興味深い。 -
Posted by ブクログ
内田樹による 最終講義。
イタチの最後っぺ みたいに濃厚な臭さである。
長くニオイが残るような問題提起。
内田樹はエライ!
内田樹は アメリカ嫌いである。
アメリカは日本を属国にして、
その属国に迎合している日本。
アメリカのなすことに金魚の糞よろしく、
自衛隊まで海外に派兵する日本。
そのことに、怒っているのだ。
国家を株式会社にする。教育を株式会社的にする。
アメリカのグローバルスタンダードは、
とんでもないとおもっているのだ。
役所は 営利を追求するところでない。
学びの場は 教育を商品としてあつかうことではない。
効率的であること、目先の利益しか考えないこと
そのような 刹那主義に 怒っているのだ。
もっと、継続するための、
生き延びるための思想がいると言っているのだ。
いろんな先生がいて、いろんな価値観があって、
それを学ぶことで子供から 大人に変わる
その殻を破る瞬間を提供できることが、
教育のすばらしさなのだ。
アタマがいい人たちが アタマがいいとおもうのは、
問題はないが
そのアタマのいい人たちが、自分のためにしか
そのアタマをつかわないことに、嘆いているのだ。
なぜ フランスの現代思想をまなび 研究し、
なぜ ユダヤを学ぼうとするのか、
そのなかには アメリカに対抗できる何かが
あるかもしれないという
徹底した 一人の研究者のレジスタンスなのである。
そして、なぜ 武道に のめり込むのかは?
言葉の身体性 をつかみ取るためだ。
地に 足をつけて、闘うために。