内田樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
街場シリーズは数あれど、「読書論」となればついにウチダさんの本業が主題ということになる。(作家は書くだけじゃなく、読むほうも仕事のうちだろうし)
そういう意味もあってさすがの内容。テーマが幅広くて面白いです。
ウチダさんの本は多くがそうだけど、今回は特に読書欲を掻き立てられた。
とりあえず、ウチダさんの著作何作かと、トーマス・マンとカミュとヘミングウェイを読書リストに追加した。(※p280)
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memo:
54
「一気に読ませるもの」では、一行目でいきなり書き手が耳元にいる。つまり、「一行目から話が始まる」のではなく、「もう話は始まっているのだが、それはたまたま私にとって『一行目』だった」ということである。
78
「学習」は脳への入力である。「テスト」は脳からの出力である。つまり、脳の機能は「出力」を基準にして、そのパフォーマンスが変化するのである。平たく言えば「いくら詰め込んでも無意味」であり、「使ったもの勝ち」ということである。
102
「マルクスを読む」
149
私たちに必要なのは、「ダウンサイジングの戦略」である(ギリシャもイタリアもスペインもポルトガルもオランダもイギリスも)版図を世界に拡げた帝国から小国に劇的に「ダウンサイジング」した。そして、長い低迷と退嬰のときをやり過ごして、安定し、成熟した体制を整えることに成功した。
200
統治者の才能や徳性は被統治者と同程度である方がデモクラシーはスムーズに機能する。
228
自分の人生を豊かにしてくれる可能性を潜在させている人と出会うと、生物的に「ぴん」と来る。
242
日本におけるマルクス主義は「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用された
313
「本を読む人」の全員はこの「本を購入しない読者」から、その長い読者人生を開始する。
363
情報についての情報とはメタ・メッセージのことである。メタ・メッセージとはメッセージの読み方についてのメッセージのこと。
407
人間は自分宛てのメッセージでないものを理解するために知的資源を投じることについてはきわめて吝嗇である -
Posted by ブクログ
ネタバレ面白かった。
真に宗教的な人間は宗教団体から勧誘は受けないそうである。
宗教的であっても宗教団体に属せない人間がスピリチュアルに行くというのは本当だと思う。
村上春樹氏が世界中で読まれていることにちょっと触れて、世界文学になるような作品は「どうすればいいかわからないときに、どうすればいいか」という難問を扱っている・・とのこと。
へーそうなの!と単純に驚いたが、そういえばそうかな?
御二方の闊達な考察に刺激を受ける。
靖国神社の問題も、もう少し自分の中で整理してみたい。
(本当は日本のマスコミが、毎年騒ぎたてるからややこしいことになっただけだと思うけど。) -
Posted by ブクログ
先日読んだ『呪いの時代』はどうもいまいちな感じを多く受けたのだが、この本はとても面白かった。
いろいろな短い文章を集めたもので、時期的には、震災以後・野田政権から安倍政権、維新の会の台頭といった期間にわたっている。
安倍政権に関して触れているのは最初の方に収められた 数編だけで、まだ特定秘密保護法案も出てきていない。アベノミクスにさえ触れていないから、せいぜい政権成立直後までの文章群かもしれない。ただ、自民党の「憲法改正案」については批判的に解読している。
内田氏によると、こういった民主政権後に復活した自民党政権の路線は、一見「復古調」に見えるものの、実は「新しい」ものだということだ。
グローバル企業が経済界を支配し肥大化していくことに伴い、何よりも短期的に利益を上げることが優先され、「国民国家」の解体が目指される。この「国民国家の解体」という思想の登場に、内田氏は驚愕している。もちろん、危機感を持って。
その後の安倍政権の動向についてはこの本ではもちろん語られていないが、内田さんの指摘をふまえて振り返ってみると、確かに、安倍政権は絶え間なく「短期的な経済的利益の追求」だけをやっている。当然、経済格差はぐんぐん広がる。しかしグローバル企業にとって、経済弱者のことなど関係ないのである。貧窮した国民が増えれば、安い労働力を買うことができるようになるわけだから、貧者はどんどん貧しくなってもらった方が都合がよい。
このような「ビジネスマインド」で利益を優先するのは企業にあっては当たり前かも知れないが、それで国の統治をやってもらっては困る、というのが内田さんの主張だ。
円安によってガソリンなどの輸入品を高騰させ、同時に消費税を上げ、さらに「能力給」を徹底し超過勤務手当も扶養控除も廃止する、と重なれば、一般的「庶民」(国民の大多数)はどんどん貧しくなるのが当たり前である。
福島原発事故による賠償や核廃棄物の処理の問題などを考えると、長期的には原発はコストがかかりすぎるので廃止した方がよい、ということになるはずだが、ビジネスマン的に見ると短期的には原発を稼働した方がもうかるんだから、そうするべきなのである。万一また原発事故が起きて取り返しの付かないことが起きても、グローバル企業はさっさと日本を出て行くから大丈夫なのだ。
英語もできず引っ越しのための資本もない庶民のことや、先々の子孫のことなんか、彼らはどうでも良いのだ。
・・・こうした内田氏の批判にはほぼ全面的に共感できた。
著者のいう「国民国家」とは、その国の土地に住む全住民が、きちんと職にありつけて、過度な不自由を被ることなく、そこそこ幸せに暮らしていけるような条件を作っていく国家の施策のことだ。いま、それが、利益優先=「経済的強者」優先のビジネスマインドの絶対化によって、解体されようとしている。
原発推進派、安倍政権支持派が意外にも多いことに私は驚いているのだが、内田氏は彼らは主にビジネスマインドをもった人びとだろう、と推測している。
また、「アメリカを怒らせるようなことをしたらダメだ」というのが強迫観念となって日本人にひろく取り憑いている、という指摘にもなるほどと思った。実際にアメリカが何も要求していないのに、アメリカの機嫌をとるような外交政策をとらなきゃダメだ、というのが、実のところ、政治家やマスコミだけでなく、右派左派含めた国民にまんべんなく広まっている。
ここで恐れられている「アメリカ」というのは現実のアメリカではなくて、日本人がいだいているアメリカのイメージだ。
アメリカの機嫌を損ねた(ように日本人に思われた)政治家は、確かにこれまでもみんな失脚していった。
内田さんはいっそのこと、日本をアメリカの州の一つにしてみれば、とちらっと書いていたが、確かにそうだ。政治手腕もマスコミの仁義も、国民の法意識も人権感覚もいつまでたっても二流以下で、国内でぜんぜんうまく立ち行かないのだったら、いっそのこと、完全にアメリカになってしまえばいいのである。
共感するところが多く、また「そういうふうに切り込むのか」という新鮮な知の喜びも与えてくれた本書だが、もちろん、私は全面的に内田氏に賛成なのではない。
「共同体はダウンサイジングする」「すでに市場を捨てた人びとのあいだで贈与経済が始まっている」といった言説については、理想的には思うけれども、どうも現実的ではないような気がしてならない。
日本のメディアに対する批判の仕方なども、どうも私とは考えが少しちがう。
しかしちがうのはむしろ当たり前だ。内田さんが解き明かし得ていないことがまだたくさんあるのだが、それは私自身が考えていかなければならない。
考えを深めるためのひとつの参考図書として、この本を私は高く評価する。
そして、その後の安倍政権の恐るべき展開についての、著者のより新しい著書を是非読みたいと思っている。 -
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『階層の二極化と反知性主義の関連は、指摘する人があまりいませんけれど、これは車の両輪のような現象だと思います』 ー『第七講 弟子という生き方』
例えば郊外の森に囲まれた一軒家に暮らすことにどれだけの価値を見出だせるか。自己充足的な生活が可能で、自然豊かな環境が整っているとして。
その問いに応えようとすると、どれだけ個人主義を標榜しようとも、人は究極的には社会的生物であるということを思い知る。なに不自由なく暮らせるとしても、人は他人との遣り取りを求めるもの。例えば最近読んだ「極北」の主人公が、閉ざされてはいるが安定している現状から不確かな未来へ向けて行動することを選択しても違和感なく追うことできるのもその証であったのだと気付く。結局、内田樹先生が「当たり前」のこととしている感覚の拠り所はその辺りに根元があるように思う。
共同体というもの対する相性は、個人的には余り良くない。そもそも、全体主義的匂いのしそうな考えには鳥肌が立つ。でも、弟子という生き方には共感が湧く。自分自身のこれまでを振り返ってみて、自分のしてきた努力はというものは結局のところ尊敬する人の見渡している高みにへ近づきたいという単純な動機に裏付けられたものであったなとの想いもある。
なるほどなぁ、とまたしても眼から鱗が落ちるような感慨に捕らわれる。内田樹先生の指摘は相変わらず説得力がある。一見正しそうに見えるものの真の構図はこれこれこういうことなんですよ、と、またしても自分が如何に目明きの癖に何も見えていなかったかを思い知る。
そして全体主義を忌避して敢えて取った行動が、反って全体主義を助長しかねないということを指摘され、ぐうとなる。これからは精々ゴミを拾う人になろうと思う。 -
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とにかく言いたい放題じゃねーか、と切り捨てるのは早計にすぎる。
少しばかり前の政治談義だが、ほとんどの事象は「言葉」の問題に収斂される。
言葉の(日本語の)構造の問題でもあるし、言葉をどう扱うかの問題でもある。
こういうことを押さえていないと、政治でも仕事でも失敗の要因を表層的なものにしか求めなくなり、ますます学習性無力感に陥るはめになる。
最近「空気」をどう作って人を動かすかってビジネス書を読んだが、感覚的に近いものがある。
沈む日本を、シュリンクする市場を、ダウンサイジングしていく社会を直視した上で、ビジョンが描けるリアリスト。少なくとも政治の場に求められるのはそんなリーダーっちゅうことらしい。
至極まっとうな左翼的言論。 -
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ちゃんと理解できていなかったからかもしれないけど、難しい本だった。
全体を通して、今問題視されている様々な現象に関して、政治的な観点から原因を探って議論している印象、特に一貫したテーマはないように思った。
特に気になったのは、
・人間の記号化による9.11同時多発テロなどの犯罪
・「天職」という概念による転職ビジネス
・原発を「荒ぶる神」として鎮める
という話だった。
ネガティブな話題が多かったけど、過ぎたことに対してポジティブに向き合う姿勢がいいと思った。
意識したわけではないけど、この人の著書は二冊目だった(一冊目は生物の福岡教授との対談)ので、この人の本は俺に合うのかも。 -
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はぁ、内田樹はよいですね。
身体感覚に興味があり、読みました。
「オニババ化する女たち」三砂さんと内田樹さんの対談。女性の性・出産を軸に、身体感覚と個人の生き方、社会、組織のあり方についての対談。
目からウロコ。
▼コミュニケーションと身体感覚について。
余白、ノイズ、それを感じる、受け止める、待つ感性。
ビジネスの現場では、費用対効果(費用は時間的コスト)を考えて、「結論から先に、論点をまとめて、決めない会議は必要ない」などと言われたりするもの。
それを否定はしないし、チームのメンバーがそうした配慮をすることはお互いの時間と、仕事の先にあるお客さんを大切にすることになる。
なんでもシステマチックにいかない部分、余白の部分が必要で、それが、身体感覚でわかる部分なのだと思った。
赤ちゃんが発達する過程において、「身体があらわすメッセージと、言葉にするメッセージが一致しているという経験を誰かを相手に感じることができれば、コミュニケーションの力がついてくる。」P168
「コミュニケーション能力が高い人というのは、『何を言っているかわからないメッセージ』であっても、それをちゃんと『聴きとって』『返事ができる』という能力。」「明確なメッセージを送受信するのがコミュニケーション能力ではない。」(P171)
それをしているのは、母性的な関わりと子どもの関係と言っている。これは、組織にも言えるのではないかと思う。これっていいよね、これって大事だね、これが価値だね、やりたくないことだね・・・と、組織の中ではミッション、理念と言葉になっているものがどんなことかと、感じたことの共有。それは、うまく言葉にならないことも、まとまらないこともある。
もやもやとしたこと(ノイズ)から、共感する中で合意形成は生まれ、理念、目標も共有でき、未来を描けるものではないかね。
決めない、結論のない会議、おしゃべり、飲み会が大事ってことなのです。ファシリテーターとなる人、リーダーとなる人は、結論や効果をすぐに求めるのではなく、母性的な関わりが必要ってことですな。
個別支援の仕事やファシリテータにとって、母性、待つという姿勢、ノイズから感じ取ることはとても大切な能力ではないかと思う。 -
Posted by ブクログ
内田樹の街場のマンガ論を読みました。
内田樹のマンガに関するblogなどを集めたエッセイ本でした。
今の教育が画一的な「犬のしつけ」のようなものになってしまっている状況で、マンガは子供たちに人間的な成長について教えている、と言う指摘は面白いと思いました。
日本でマンガが発達している理由として、日本語の特殊性について言及しています。
日本語が表意文字と表音文字をあわせて使っているため、日本人は言葉を認識するときに脳内の複数の場所を使っている。
マンガも絵と言葉が同時に書かれている表現方法なので、これは日本語の特殊性によって発達した、という説明が面白いと思いました。
少女マンガを読むためには少女マンガリテラシーというようなものが必要だ、という解説を読んで、私は少女マンガは読んでも面白いと思わないのですが、その理由が分かったような気がしました。
私はマンガはあまり読みませんが、そのうち「バガボンド」や「進撃の巨人」なども読んでおかなくちゃな、と思ってしまいました。