内田樹のレビュー一覧
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内田樹『身体に訊く』-言葉を伝えるということはどういういことか
加藤典洋『僕の夢』-中高生のための「戦後入門」
高橋源一郎『表と裏と表』-政治の言葉について考える
平川克美『人口減少社会について根源的に考えてみる』
小田嶋隆『13歳のハードワーク』
岡田憲治『空気ではなく言葉を読み、書き残すことについて』
仲野徹『科学者の考え方』-生命科学からの私見
白井聡『消費社会とは何か』-「お買い物」の論理を超えて
山崎雅弘『「国を愛する」ってなんだろう?』
想田和弘『「中年の危機」にある国で生き延びるために』
鷲田清一『社会に力がついたと言えるとき』
以上11人の寄稿文
内田樹氏の以下の呼びかけに対応して書かれたもの
『刻下我が国の政治・経済・メディア・学術・教育・・・どの領域を見ても、「破綻寸前」というのがみなさんの現場の実感ではないかと思います。・・・・私たちが果たさなくてはならない最優先の仕事は「今何が起きているのか、なぜそのようなことが起きたのか、これからどう事態は推移するのか」を責任をもって語ることだと思います。』
各11編の寄稿は、それぞれとても意義ある内容だと思いました。 -
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ネタバレこの三人の鼎談とあらば読まずにいられないと手に取り。
最初にこの本を読むに当たって押さえておくべき場所についての解説がありますが、確かにそれを踏まえて読みだした方が入りはスムースかと。
とはいえ正直言うと私は、最初の方「おっさんの内輪話」にしか感じられず(失礼)中々お三人の語りのペースに馴染めませんでした。
しかし何気ない話をしているようであっても自ずと深い話になってゆくのはさすがです。三人とも全然違うようでどこか通じるものがあるというか似ているところがあるように見受けられました。
「政治やメディアの劣化を野放しにしておくことは危険である」とか、「生きる上で当たり前のこと(常識)だから法文化していないことを”法律で決まっていないから”とどんどん破っていく」など、今の日本の現状でシビアになってきている点についてがんがん話されています。漠然とは思っていてもそれこそ自分の中では明文化していなかったものがどんどんとこの場では語られており、深く考えさせられます。
家を出るという行動に攻撃性なんて考えたこともなかったですがこう言われると「なるほどなぁ」と大変腑に落ちます。向田邦子のエピソードも、向田邦子ってやっぱりすごいなと思わされました。
でも自分が一番グッと来たのは第4章ですね。
どの章がグッとくるかはおそらく人によって結構分かれると思いますが、自分は何度か涙ぐむほどに感動しました。これは自分が両親を亡くしたせいかなと思いました。身内を亡くした人には染みる一章ではないかと思います。
運命に導かれているべきところに帰着していく…と内田先生はおっしゃっておりますが私は運命というより宿命とそれは呼ぶのではないかな、と思いました。
平川さんの言う強い現実、がイコール宿命かな、と。
これは今だからこそ読まれるべき鼎談ですね。 -
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何はともあれこのタイトル、センスなさ過ぎないか。
中身とはほとんど関係のない煽りっぷり。
せっかくの2人の刺激的な対談が台無しになっている感。
こういうタイトルに惹かれる人にこそ読んでもらいたいというメッセージなのかもしれないけれど、それにしてもなあ。
個人的には末尾の方で指摘されている「飽きている」という指摘が腑に落ちた感じでした。戦後70年を経て、日本人は今の社会に、政治に、平和に「飽きている」という指摘。
たとえば戦争状態に巻き込まれずに半世紀以上の時間を過ごすということは文字通り「有り難い」ことなのだと思う。その奇跡的な出来事が70年続いてくれたおかげで僕たちはそれを「有り難い」と思うことがなくなり、その状態に慣れ、飽きてしまっているのではないか。
成熟社会を迎え、世の中に何か閉塞感を覚えるのはたぶん僕だけではないと思う。でもだからといって、今ある「有り難く」貴重なものまで壊してしまっていいという法はないだろう。
東京都知事選挙は小池氏が優勢だそうだが、これも自民党にも飽き、タレントが知事をするいうのにも飽きた国民感情の投影と読むこともできそうだ。
そんなことを考えながら読んだ本でした。 -
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日本はシンガポール化するのか? この章が一番面白かった。緊急事態条項を書き込むことによる憲法改正は、日本社会を独裁への道へと開くことになるかもしれないが、一方で、自民党は新自由主義的政策を決して手放そうとはしない。金儲けしながら独裁への道を開く。そのモデルとなっているのがシンガポールな訳だが、そのモデルを日本に導入するにはかなりの無理がある。そもそも経済成長という幻想から離れ、どのような社会を築くことができるのかという問題提起を行っている。本書は、日本のことだけではなく、世界情勢(特に、フランスとアメリカの議論が多い)に広く目配せし、世界が第三次世界大戦に向かっているのではないかと言及している。対談形式で書かれているのですらすら読めた。
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「今の日本には成熟した大人はいない。メディアに出てくる官僚、政治家、経営者の言動は呆れる程幼稚だが、それでも何とか社会が回っているのは、幼稚な大人でも統治できる社会を長年かけて作ってきたからだ」。こう指摘する著者たちが、幼稚な大人とは何か、なぜ今の日本には幼稚な大人しかいないのか、その幼児性を脱却し成熟した大人となるためにはどうするべきかを語る。
「幼稚な大人」とは、自分の属する社会の現状に自らは全く責任がないと信じ、不満があれば「自分は純然たる被害者である」という立場で責任者探しに走ったり、あらゆるものを費用対効果でしか吟味できない消費者マインドに支配されていたり、ディベートは得意だが対話ができず、他人と連帯することが不得意だったりという、言われてみればよく見るタイプの人々だ。
著者たちは、そんな日本が「成熟した大人のいる国」になるための道として、個人の中に多様性を持つこと、人々が本物と偽物を見分ける力を身につけること、自分と意見を異にする「不愉快な隣人たち」を受け入れることなどを論じているが、それぞれ納得のいく見解で大変面白い。
哲学者の鷲田清一と思想家の内田樹という知識人二人による「大人とはどうあるべきか」の議論は、正に大人になりつつある皆さんにとって大いに参考にしてほしい内容だ。 -
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201605/
戦後の日本の復興を担ったのは、明治生まれの人たちです。/
そういう波瀾万丈の世代ですから彼らは根っからのリアリストです。あまりに多くの幻滅ゆえに、簡単には幻想を信じることのないその世代があえて確信犯的に有り金を賭けて日本に根付かせようとした「幻想」、それが、「戦後民主主義」だとぼくは思っています。/
人間がどれくらいプレッシャーに弱いか、どれくらい付和雷同するか、どれくらい思考停止するか、どれくらい未来予測を誤るか、そういうことを経験的に熟知しているのです。
戦後日本の基本のルールを制定したのは、その世代の人たちです。明治20年代から大正にかけて生まれたその世代、端的に言って、リアリストの世代が社会の第一線からほぼ消えたのが70年代です。「戦後」世代の支配が始まるのは、ほんとうはその後なんです。/
戦後生まれのぼくたちは、基本的には自分たちの生活経験の中で、劇的な価値の変動というものを経験していないということです。飢えた経験もないし、極限的な貧困も知らないし、近親者が虐殺された経験もないし、もちろん戦争に行って人を殺した経験もありません。貨幣が紙屑になる経験もありません。国家はとりあえず領土を効果的に保持していましたし、通貨は基本的には安定していました。/
極限的なところで露出する「人間性の暗部」を見てしまった経験があるかないかは社会との関わり方に決定的な影響を及ぼしただろうと僕は思います。/
「戦後民主主義」というのは、すごく甘い幻想のように言われますけれど、人間の真の暗部を見てきた人たちが造型したものです。ただの「きれいごと」だとは思いません。誰にも言えないような凄惨な経験をくぐり抜けてきた人たちが、その「償い」のような気持ちで、後に続く世代にだけは、そういう思いをさせまいとして作り上げた「夢」なんだと思います。/
「戦後民主主義」が虚構だということをよく知っていたのは、たぶん「戦後民主主義」を基礎づけた当の世代です。それが虚構でしかないことを彼らは熟知していました。ほとんど歴史的な支えを持たないような弱弱しい制度であるからこそ、父たちの世代は本気になって、それを守ろうとしたのです。/
社会成員が、自分たちが同意した制度を守るために、自分の仕事の「割り前」を果たすという基本的な責務を忘れたら、社会制度はもう持ちません。民主主義は「民主主義を信じるふりをする」人たちのクールなリアリズムによって支えられているものです。/
為政者の腐敗や、官僚の不誠実や、リーディングカンパニーのモラルハザードのすべてに共通するのは、「この社会はオレが支えなくても、誰かが支えてくれる」という楽観です。そんな「誰か」はどこにもいない、ということがぼくたちの世代には切実にはわかっていないのです。/
紋付きというのは、家紋が5つついています。胸に2つ、袖の後ろに2つ、大きな紋が背中に1つ。つまり家紋は3対2の比率で「後ろから見られるもの」なのです。家紋は、背中に背負う家格の象徴です。気安く触られたり泥をつけられてはいけない、非常にたいせつなものを背中の真ん中に背負っていたわけです。人間が身に着けている一番大切なものは、「自分では見ることができず、他人から見られるだけの部位」に貼り付けられていたのです。/
国益とか公益とかいうことを軽々と口にできないのは、自分に反対する人、敵対する人であっても、それが同一の集団のメンバーである限り、その人たちの利益も代表しなければならない、ということが「国益」や「公益」には含まれているからです。反対者や敵対者を含めて集団を代表するということ、それが「公人」の仕事であって、反対者や敵対者を切り捨てた「自分の支持者たちだけ」を代表する人間は「公人」ではなく、どれほど規模の大きな集団を率いていても「私人」です。/
子供がまず「礼儀正しく」ということを教え込まれるのは、子供からすると、世の中のほとんどの人間が「権力を持ってる人間」だからです。「子供である」というのは、まわりのほとんどすべての人間によって傷つけられる可能性があるということです。それくらいに「子供である」というのはリスキーな状況なのです。だからこそ、子供に向かって「礼儀正しくしなさい」と教えるのです。「君はすごく無力なんだから、まずきっちりディフェンスを固めておきなさいよ」と。/
相手が人間であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、「死んだもの」をきちんと弔うということは。最後に唾を吐きかけるんじゃなくて、最後には花を添えて、その業績を称えて、静かに成仏してもらう。そうしないと、賞味期限の切れた腐った制度が、なかなか死なないでのたうち回るようなことになるのです。/
凝りや力みを取るために、とりあえず一番よい方法は、静かに「聴く」ことです。心耳を澄ませて無声の声を聴く。これは私の合気道の師である多田宏先生がよく口にされることばですが、外部から到来する理解不能の声に注意深く耳を傾けること、自分の身体の内側から発信される微細な身体信号をそっと聴き取ること。これは武道に限らず、哲学に限らず、人間が生きていくときの基本的なマナーだと私は思います。わずかな信号を聴き取るために、そっと耳をそばだてるときに、人間の身体は一番柔らかく、一番軽く、一番透明になります。/ -
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著者のデビュー作です。「なぜ私は戦争について語らないか」「なぜ私は性について語らないか」「なぜ私は審問の語法で語らないか」「それではいかに物語るのか―ためらいの倫理学」という4つのテーマのもとに、著者が雑誌などに発表した論考が収録されています。
「あとがき」で述べられている、「自分自身の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」ということばに、本書の中心的な思想は集約されているように思います。著者はこのようなスタンスに立って、愛国心、戦争責任、女性の解放、そして「他者」といった主題について審問の文法で語ることのパフォーマティヴな水準における問題を、鋭くえぐり出しています。
著者の基本的な思考の構えが、すでにこの本で明瞭に示されていますが、あえていえば近年の著者の文章に見られる、武術など「身体の知」への傾倒はまだはっきりとは語られていません。そのぶんクリアカットな批評になっているような印象を受けました。 -
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高橋源一郎、内田樹著。(編?)
一般の方から文字通り『嘘みたいな本当の話』を募集して、高橋先生内田先生がいいなと思ったものをピックアップするプロジェクトの第2弾。
巻末に何名かの著名人の話も掲載されていますが、一般の方々のお話の方がガゼン面白いです!
内田先生のまえがきにある、"採択の基準"は、ブログを書いたりするのに役に立ちそうです。『「奇妙な後味」を残すこと』と『「そういうことって、あるよね」』の2つ。
いま机の上に置いてあるこの本、忙しくて活字を読む時間がないと嘆く家人に勧めたいところだけど、「あなたがやりそうな話ばかりね」と突っ込まれそうで、ちょっと怖いです。 -
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「呪い」の言葉に満ちたこの世界を、もっと幸福な世界に変えていくためのポイントは、「祝福を与えること」と「贈与を活性化すること」の二つだという。
「私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、排除することから受け容れることへ、傷つけることから癒すことへ、社会全体で、力を合わせて、ゆっくりと、しかし後戻りすることなくシフトして行くべき時期が来たと私は思っている。」(p285、あとがきより) という内田先生の主張は、シンプルで力強く、しかも温かい。それはとても難しいことだけど、単なる理想論や観念論ではなく、そうすることが一人一人を、そして世界をもっと幸福なものに変えていくためのベターな道筋だと、この本を読んで深く共感した。 -
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「『寝ながら学べる浄土真宗』という過激なタイトル」(文庫版のためのあとがき)の企画から始まった、インターネット上での往復書簡を書籍化したもの。
西洋思想を交え、「宗教」とは何かという方向に展開しつつ、ばっちり仏教の解説にもなっています。
仏教の歴史(大乗メイン)や基本の教え、イスラームや日本人の宗教性についても間狂言で勉強できて、かなり盛りだくさんな内容。
読み物として普通に読んで面白いのはもちろん、「宗教」や「仏教」が何かいま一度考えたいときにも読みたい一冊です。
特に興味を引かれたのは、その9あたりからの、レヴィナスの「善性」について。
往復書簡は『はじめたばかりの浄土真宗』に続きます。 -
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家族や旧友や親戚。
といった距離感の人間関係では、政治と宗教や思想の議論は避けるべきですね。
「政治と宗教の話題を避けろ」というつもりはありません。
ただ「議論」は避けるべきですね。
「あ、好みと言うか信条というか、違うな…」
と思ったときに。
迎合する必要も無いし、嘘をつくのも不要でしょうが。
「僕の方が正しいのではないか」
という言葉のぶつけ合いは、止めた方がいいですよね。
なんとなく話題をずらしてしまうのがいちばんです。
どうしてかというと、色んな理由がありますが、
●政治や宗教や思想は、ある種の酒のようなもので、酔ってくると自制心が無くなる。
●結局相容れなかった場合に、食べ物の好みや芸能人の好みと違って、お互いにすごく居心地が悪くなる。
●何故だか、批判されると余計にムキになる。結局理屈じゃない。議論上の溝がそのまま人間関係の溝になる。
というようなことでしょうかね。
無論、議論という会話をできる、慣れている、そういう大人の人が相手なら違うんでしょうが。
(ま、もっと言うと、どんな話題であれ、「議論」という言葉がふさわしいような話し合いは、避けたほうが安全なんですけどね。
でも一方で、議論をできる、議論を愉しめる、そういう会話能力っていうのも大事なんですけどね…。大事っていうか、その方が愉しいことが多いんですけどね)
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と言う訳で。
以下は、僕の読書の中でもそんなに多くはない、
「明確に2015年現在の政治的なことに関しての、ある見方や意見がはっきりしている本」
についてのお話、備忘メモです。
そういうことは興味のない人は。
あと、自分と好みが違ったら不愉快だな、と思ったら。
決して読まないで下さい。長いですし(笑)。
ま、そもそもここまで読む人がほとんどいないでしょうから、杞憂ですが(笑)。
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読み終えて数日経つので、急いで備忘メモを書かないと。
どんどん忘れていきます。
2015年、今年に出たばかりの本です。
内田樹さんと、白井さんという人の対談本。多くの人がそうだと思いますが、僕も内田さんしか知りませんでした。
「日本戦後史」ということで言うと、僕もかなり不勉強です。特に、1950年代以降とか。大昔に吉田学校の本とか読んだんですけどね。何も覚えていません。
そんな興味で買いました。
まあ、内田さんの本は、「だいたい芸風はわかった」と思っているので、全部は買いませんが(いっぱい出てるし)、時折、話題によっては買おうかな、と。
やっぱり読み易いし、好みが合いますから。面白いですしね。
年代的に戦後史を追っているような本ではありません。
お話は縦横無尽に広がります。
ですが、基調は、
●安倍政権への批判。同時に、どうしてこういうことをするんだろう、という考察。
●具体的には、憲法を変えようとしたり、安保のことを含めて、「アメリカの言いなりに、アメリカの戦争に参加できる国にする」という動きへの批判。考察。
●同時に、韓国や中国への歴史的意見表明の場で、「十五年戦争=第二次世界大戦=日中戦争=韓国植民支配、などへの日本のかかわりを正当化しようとする」
「中国や韓国を批判する」=いわゆる反知性主義や右傾化、への批判。考察。
●原発やTPP含めて、その他全体的な安倍政権への批判。考察。
等を、「日本戦後史」という切り口、敗戦以降の精神史、という流れで話し合った。
と、いうところでしょうか。
大まかに全般的には。
僕は、ほぼ同様の不満と憂鬱を持っています。
なので、この本のほとんどは、ふむふむと思ったり、そうだよなあ、と思ったり。
そうだったのか!と思ったりで。面白かったです。
同様の趣味の人は、良かったら。
以下、箇条書き的に、自分の備忘録。
とりとめもありません。
それから、色んな雑学が語られるんですが、
「ONE PIECE の作者の尾田さんは 昭和残侠伝 や 東海遊侠伝 の大ファン」
※つまり、高倉健系の60~70年代の、勧善懲悪無頼漢映画ですね。
というのが面白かったです。
あのマンガ、僕も大好きです。娯楽王道物語。
そうだよなあ、あの面白さって、そういう映画とつながっているよなあ、と再認識。
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どんどん記憶にあることを箇条書きで書いていきますが、
●「愛国心」という言葉は、英語で言うとパトリオティズムとナショナリズムの二つの意味がある。前者は「郷土愛」に近いもので、後者は「政治的独善性」とでも言うべき性質がある。前者は当然あるべきものだが、後者と抱き合わせで押し付けてはいけない。
●「愛国心は、ならず者の最期の避難場所である」
●愛国心をかさに着たならずものが、政府に従順でない人々を非国民・売国奴よばわりして、やりたい放題をする、というのは、過去も現在も、世界中で数多く起こっていること。
●多国籍企業、グローバル化というのは、要するにローカリティーを超えて利益を追求することになる。最終的に特定の空間や土地を、次世代の為に保全したり改善したりする、言い換えれば無限責任を負わねばならない背景を持たない、ひたすら利潤追求と消費の主体になる。
例えば、日本と言う場所にすら究極で言うと「使い捨て」ができる。グローバルビジネス形式と同じような効率性で考えてはいけないことがいっぱいある。
グローバルビジネスは、色んな変化に迅速に対応できなくてはいけない。そのための意思決定や行政装置がある。
だが、国の政治は違う。
最終的に、「破産した」「倒産した」では済まない。その風土、次世代まで果てしない責任と影響がある。
だから、ビジネスモデルと同じような独裁的強権的迅速的な意思決定行政装置は危険。
そのために、衆参両院もある。
「なかなか物事を変えられない。そんなに迅速に対応しない」ための、もともと装置なのです。
(こういう議論は、内田さんは教育についても何度もされていますね)
●上記を、「最近は右傾化と言われるけど、ある意味、シンガポール化、と言える。でもシンガポールはああいう国土風土だから、ああしているんであって、そういうローカリティーを飛ばした議論をしてはいかん」的な。
●政治的に言えば、(他の面でもかな)戦後の日本というのは、当然ながら敗戦国。そして、敗北して占領されたアメリカの、属国です。
そう考えない限り、おかしいことだらけでしょ。
●問題は、その「敗戦」と「属国状態」を認めない、認めようとしない、認めたくない人が大勢いる。ということ。
「敗戦」ではなく、「終戦」と言いたがる、ということから始まって。
●まず15年戦争の認識。日本は、もう、これ以上ないっていうくらいに負けた、という事実。
本土の空爆、軍隊の戦死者、どれをとっても、ほんっとに負けた。
そもそも死者の2/3は、最後の1年で出た。最後の1年は、政治家も軍人も、誰も勝てると思ってなかった。でも降伏できなかった。
どうしてか?天皇制の維持ができないのでは?と思っていたから。だから目をつぶって続けた。
それで、大勢の、ほんっとに大勢の人が死んだ。
●ちなみに、そういうあまりカッコ良くない現象は、別に日本だけではない。
フランスだって、ナチスに属したフランス政府の罪は?つまり、国家としてのフランスは敗戦国なんです。
でも、ドゴールの持って行き方が上手かった。
レジスタンスだって、終わり頃の「様子見風見鶏レジスタンス」が多かったことはカミュが書いている。
●イタリアは、実は、ムッソリーニを倒した政権は、連合国と講和している。厳密に言えば、最後は戦勝国。
●徹底的に負けた日本に、アメリカは「平和憲法」を与えた一方で、冷戦の防波堤として経済成長を与えた。
●その「属国・日本」の運営のために、「戦争を起こしたくせに、敗戦後は権力をもつためにアメリカに服従した連中」を使った。
●それが、安倍首相のおじいさんの岸信介だったりする。CIAのエージェントだったことが、アメリカ側の資料で歴然になっている。日本側からは絶対そういう資料は出てこない(笑)。
●そういう、アメリカに服従した自民党のオリジン的な面々、というのも、複雑性を持っている。多くが、例えば美人の娘をGHQのお偉いさんに愛人にされる、とか、そういう苦い汁も味わっている。
●その世代の政治家たちは、「アメリカの属国として忠実な犬になる」という一方で、「平和憲法や社会党や学生運動があるから、そこまではできませんよ」とアメリカと駆け引きしてきた。
そして、そうしながら時代的に経済成長してきた。(彼らのお蔭で経済成長した、というよりは、経済成長したから、彼らが政権を保てた)
●ハナシは飛ぶが、「明治維新」は、維新後に「薩長土肥のコネ政治」を産んだ。特に、陸軍は長州閥だった。ところが、山形有朋が死んだ頃から、長州支配が弱体化してきた。そこで、維新のときの「敗戦国」だった、「薩長土肥以外閥」が登場。実は、十五年戦争で、日本を焦土に導いた陸軍軍人たちは、ほぼ東北。
この人たちは、コネや情実ではなくて、勉強的実力主義で出世した。その分、イデオロギーで暴走できてしまった。
●ある意味、明治維新人脈に、苦しめられた東北人たちが、明治維新が作った近代日本を滅亡においやった、と言える。
●それと、今も似ているかもしれない。
経済成長が頭打ちになって、これまで、「経済成長していく前提で考えられていた世間の仕組み」が、轟轟たる非難を浴びている。
それを運営しなくてはいけない政治家たちは、どこか、ガラガラポンしたい、破滅願望みたいなものがあるのではないか?「やってらんねえよ」的な幼児性。
●そもそも、靖国神社は、戊辰戦争の際の、官軍兵士戦没者を祀った。敗戦側は祀らなかった。
ま、つまり、近藤勇や土方歳三は祀られてない。負けたから。
●経済成長率、というのは、内戦や紛争があった国で高い数値になる。
もう、日本は今後ならないだろうし、ならなくても幸せに暮らせる国土風土のインフラがある。
それをちゃんと認識しなくては。(これは内田さん、別の本でもよく言ってらっしゃいますね)
●明治維新以降、現代までの、日本と戦争、日本と戦争相手の国との精神史、みたいなもの。
そういう大きな日本史という枠組みをどう見るかは、大きな話題過ぎて、実は政治学などでは、扱え切れない。実は、文学に向いている。
長く、司馬遼太郎さんがそういう地平を作ってきた。実は今、村上春樹さんがやっている。
(村上春樹さんのお父さんの戦争体験など。確かに、村上春樹さんは控えめながら、「日本が20世紀以降に国家としての戦争でアジアにしたことは、”悪いことなんかしてない”では済まされない。明確に謝り続ける必要がある」というような趣旨の発言もされていますし、実は小説世界の中でも、そんなようなそこはかとない香りを漂わせていますね)
●最近の安倍政治の言論弾圧/自粛的な風潮について。
教師などが、政治的な発言をするな、と言われる。まあ、主に反安倍的な左翼的なことを言うな、ということなんだけど。
でも、これはおかしい。
政治的な発言をせずに、学問を教えることはできない。
いろんな政治的な発言を、学生に聞かせるしかない。
(これは大賛成です)
●安倍政権としては、尖閣で軍事衝突があったら、すぐにある種の戒厳令でメディアを統制するでしょう。
それは現実的なシナリオ。
それを深層心理で臨む安倍政権の心理は、ほぼほぼ合理的なものではないとおもう。
怨念と言うか、幼児性というか。
そして、そっち方向で、成長ストップの国内の不満を支持層に変えている。
●しかし、アメリカはそれは嫌だ。
なぜなら、アメリカは、「アメリカの利益の為の戦争」を、日本人がアメリカ人の代わりに戦ってほしい。
だけど、「日本の利益の為の戦争」で、アメリカ人が戦うなんてことはあり得ない。
日本にとってもだけど、尖閣なんて、アメリカは、果てしなくどうでもいい。そんなことのためにアメリカ人が死んだら、大統領選挙で負ける。
●だから、早晩アメリカは、安倍を首にするかもしれない。
つまり、安保や基地問題でアメリカの犬になっているのは、GOOD。
だけど、日中、日韓で訳の分からん軋轢を日本政府自らが増やしているのは、かなりBAD。
●だから、アメリカは実は、安保の運用で、日本の軍隊をアメリカの戦争に投げ入れたい。
でも、憲法を変えるのは実はアメリカはあまり望んでいない。
どうしてかっていうと、それをやると中国と韓国はかなり、不愉快になるから。
●70年代80年代、2000年代も、「アメリカだけじゃなく、経済的に中国ともうまくやろう」という政策は、自民党内にも動きはあった。
だが、大まか言うと全てアメリカに怒られた潰されてきた。
●慰安婦問題。済州島の強制連行が証拠が無かったと言うだけで、まるで慰安婦自体がなかったかのような右傾化論調。過剰な朝日新聞へのバッシング。
こういう、暴走族の面子みたいな、自国批判へのアレルギーは、まるで破滅衝動と同じ。
以上