レゾンデートルとはフランス語で「自身が信じ生きる理由」や「存在価値」を意味するらしい。そんなものを明確に感じて生きている人なんか少ないとも思う。タイトルの「レゾンデートルの祈り」からは、自分にしかわからないはずのレゾンデートルをまるで誰かが祈ってるようにも感じて、奥底にある自分でも気が付けない「本当の自分」が静かに祈っているのかもしれないと思った。
私は初めて小説を読んで泣いた。やっぱり、人が自分の奥底の感情や思いに苦しみながらも触れて、同時に満たされていく姿は美しいと思った。誰かに見抜かれて、言葉や行動で自分の本音に触れてしまうことは怖くもあるけど、誰かにしてもらうからこそ強く実感できるものでもある気がして、本当はそんなものが欲しいんだろうなとも思う。
安楽死を認めるかどうかが多く議論されている今の世の中だが、わたしはこれまで安楽死は認めるべきではないと考えていた。しかしこの小説を読んで、安楽死というものは死ぬことを許可するためではなく、死にたいという思いごと認めてあげるために必要なのかもしれないと考えるようになった。たくさんの人が自分の生きる意味も考えられないほど心をすり減らして命を終わらせることも考えてしまう中で、それを誰かに言える人も少なく、さらにそれに寄り添ってもらえる人も少なく、時には誰の声も届かないままいってしまう人もいる。眞白の兄のエピソードで、もし彼が安楽死を希望して、アシスターに出会っていたら、何かを見つけて生きることを選べたのではないかと思った。死ぬ死なないの話に見えて、思いをどう扱っていくかが本質なのだろう。もしかしたらどこかに眠っているかもしれないレゾンデートルを探すきっかけや時間が、どんな人にも平等に与えられたらいいのにと思った。
そしてこの小説は、いなくなる側だけではなく残された者にもフォーカスしている。誰もが何かを失って生きていてそれをうまく力にできないことも多くて、いなくなる側に立ってしまいそうにもなる。助けを求める、聞いてもらえるまで誰かに話す、そうすることが大事で、でもそうするのだって簡単ではない。人は一人では自分の本音がわからなくなってしまうことがある。だから、誰かとつながってお互いのレゾンデートルに気が付いていく可能性を大切に持って生きていくことが必要なのかもしれない。レゾンデートルの「祈り」はつながりあう人がお互いに祈りあうものでもあるのではないかと思った。