生と死、意識と無意識、
養老孟司の良さは上品さだよね。
養老孟司、東南アジアが大好きでよく行くから、Xで言われてる婚活界隈では地雷系男子なの好き。しかも女買う為とかではなく、虫取る為に行ってるのも痺れる。
養老孟司さんて、あそこまで異常に本を書く人って事は、正直実は病んでる人なんだろうなと思うんだけど、自分が辛かった経験とか被害者だって言うのも気づけないぐらいめちゃくちゃマイルドに言うんだよね。そこも昨今の被害者ビジネスとは対極に居る人だなと思う。
言い切られた方が安心するし気持ちいいけど、それをしないから、養老孟司は読み手によっては何が言いたいのかわからない人でもありそう。
養老孟司さんて、何かを悪く言い切る事が絶対無い所が本当に頭の良い人だなと思う。私ならそれは耐えられない。何かを悪いと言い切りたくなっちゃう。これは恐ろしいのではないか、危険ではないか、とか本当は何が嫌いかをめちゃくちゃマイルドに言う人。養老孟司さんの凄さってこの伝え方のマイルドさだな。何かをバカにしたりも絶対にしないから、そういうのを読み取る大変さもあるかもしれない。
甲野 善紀
(こうの よしのり、1949年 - )は、東京都出身の日本武術を主とした身体技法の研究家[1]。古武術に関する著書を多数出版、メディアにも積極的に出演しており、これらの活動を通じて日本人古来の身体運用法「古武術身体操法」の普及を目指している。1949年、東京生まれ。幼い頃から野山の自然を好み、育った多摩地方の丘陵が宅地開発されるのを悲しんで、将来は自然の中での牧畜に従事しようと、明星高等学校卒業後、東京農業大学畜産科に進むが、畜産及び現代農業全体が効率最優先の工業化を目指していることに失望して、この道を断念(大学中退)[2]。それに代わってさまざまな健康法や修行法、さらに思想、宗教等の方面に関心を広げていった。1971年、合気会本部道場に入会し、山口清吾師範の元で5年間、合気道を稽古する。また1972年には根岸流を前田勇師範に、1975年には鹿島神流を野口弘行師範に学ぶ。1978年に武術稽古研究会「松聲館」を設立(2003年に発展的に解消)。1980年代より、日本武術の研究者として数々の著書を発表、当時一部で生まれていた古武術ブームも相まって(1990年に専門誌「月刊秘伝」が創刊)、その名が広く知られるようになる。また、当時一部にしかその存在が知られていなかった武術家・黒田鉄山にスポットを当てるなどして、武術界の発展に努めた。
1992年、医学博士で解剖学者の養老孟司との対談が実現、『古武術の発見』(1993年、光文社)として書籍化される。以後、さまざまな分野の著名人との対談が書籍で人気を博すことになる。1999年頃、桐朋高校バスケットボール部の監督金田伸夫が甲野の活動を知り、甲野から教わった内容を部活に取り入れたところ、その後まもなくしてインターハイ出場、全国高校選抜大会ベスト16まで勝ち進むことに成功し、NHKでドキュメンタリー番組「自分で考えろ~桐朋バスケットボール部 金田伸夫監督~」(2001年製作)として放送されるなど、当時話題を集めた(その後金田は独自に「古武術バスケ」と呼ぶメソッドの普及に努めている)。さらに2000年代初頭、読売巨人軍の投手であった桑田真澄が、ある理学療法士の勧めから甲野の活動を知り、甲野から約2年間身体運用に関する教授を受けた。そして2002年のシーズンで4年ぶりの二桁勝利を果たし、「桑田復活の陰に古武術あり」とまで言われた[3]。その後も、卓球の平野早矢香や、バスケットボールの小磯典子にも指導し、それぞれで成果を挙げたことで、その知名度を高めた。2005年前後、スペースシャトル・ディスカバリー号での宇宙ミッションに向け、宇宙飛行士の野口聡一が船外活動での効率の良い体の使い方を求めて、甲野に指導を受けた[4]。2007年から3年間、神戸女学院大学の客員教授を務めた。2009年秋、数学者の森田真生と『この日の学校』を立ち上げ、各地で受験や資格を取るためではない学問そのものと向き合う講座を開いた。2010年頃より、東京大学工学部教授の國吉康夫による依頼を受け、ヒューマノイドロボットの高度な身体スキル実現に向けて実験協力を行った[5]。その後も、日本各地で講演会や講習会、稽古会などを開き、活動を行っている。剣術、居合術、槍術、杖術、体術等の日本武術を研究・指導し、こうした武術の身体操法をもとに、各種武道やスポーツのみならず、楽器演奏、舞踊、介護医療、工学といった分野への応用・貢献を目指している。特に介護の分野では、実際に介護福祉士・介護支援専門員の岡田慎一郎などが、「古武術介護」と称し甲野が紹介した技術を使用し普及に努めている。
「言葉として「説明」という形をとった途端に、単線処理になる。なぜかというと、言葉がそうだからです。言葉というのは、時間軸の上をただひたすら、単線的に進行する。同時に言ったら、意味は何も分からないですものね(笑)。 だから、漫画になるんですよ。漫画はセリフと絵とが同時並行処理ですから、非常に受けるわけです。 フランス語の「イストワール( histoire)」という単語には「物語」と「歴史」という意味があります。けれど、歴史を単線的に「語る」というのは、無理があるのです。だから、我々は歴史を語る時におかしくなってしまう。 歴史に言語の形式を嵌めてしまうから、どうしてもイストワール、つまりヒストリー(物語)になる。 だけど、実際に起こっている出来事は、歴史書のように時間軸上を、単線的に進行しているわけないんですよ。まさに同時並行で進行しているわけでしょ。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「そうなんです。あれは明らかに音声なんです。音声は時間軸上を単線的に進行するから、そうすると、どうしても時間が掛かる。ですから、西洋人にとって、黙読を発見するというのは、大発見なんです。本を声を出さずに読むというのは、ヨーロッパでは一種の悪魔の所業に近かったのです。昔の本というのは、必ず音読するものだった。 だから、甲野さんのやってるのは、速いわけです。同時並行処理だと当然、速くなる。そして速くするために、甲野さんは支点を外すんだとおっしゃってるわけなんですね。つまり支点が動くんですね、逆に言うと、支点が複数あるから速いとも言えます。普通、支点は一個しかないですから。そこで甲野さんが「固定的な支点をなくしていく」と言うとどうしたって、聞いている人は固定的な支点があるものと思って話を聞きますから、「分からない」ということになるんだと思います。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「たとえば物理化学は極端に言えば、もともと天体の動きからできてきたのです。天体の動きに対して、擬人法を嵌めても、駄目に決まっています。つまり「お月様はどういう考えで、地球の周りを回っているのか」という質問は、成り立たないのですよ。 けれども、生き物を見た瞬間に、話が違ってくるわけです。だって、生き物の非常に大きな特徴は、ある意味では合目的性ですから。そこを抜いてしまうと、生き物ではなくなってしまう。つまり無生物になるわけです。 ジャック・モノーが『偶然と必然』という本を書いた時に、その中で生物の特徴を三つ挙げたのですが、その一つに、合目的性って入っています。 モノーは生物学を近代科学にしたというか、自然科学にした人の一人です。言葉をかえれば物理化学的な生物学を作ったとも言えます。そのモノーが生物を対象に扱う時は、生物の性質の中に、いきなり「合目的性」ということを入れてしまうんですよ。そのくらいに生物の特徴的な性質だから、生物学の中に合目的性が入ってくるのは、これは当たり前なのです。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「だから、モノーのようにそれを前提の中に、組み入れてもいいし、僕のように合目的性とは何かということを、別な形で説明してもいい。ともかく、そういうものを抜きにした世界というものが世界だと思っているのは、ただそう思ってるだけのことであって、その人だって、甲野さんがそういう言い方をした時に、それを聞かないというのは、何か理由があるわけですよ。「そんな話を受け入れたら、こっちの商売が成り立たない」というわけでしょ。つまり、全く合目的的に行動しているわけです(笑)。それだけのことなんですよ。 僕はそういう人を頭の固い科学者って言うんですが、それと「科学とは何ぞや」ということは、実は関係ないのです。だからそういうことにこだわるのは、もう馬鹿げているというか(笑)……。東大を出て、こういう仕事をしていたら利口だって思ってるのは、偏見ですよ。だって、そうでしょ、慶応の医学部を出たって、大真面目でサリン撒いたりするんです。僕はどうしてもああいうのは理解できない。それで反省までしている。四十過ぎているわけでしょ。反省するならはじめから撒くなよと言いたい(笑)。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「こういうふうに教わったから、こういうふうにやりますと。それで、上九一色村で工場建てて、サリンを作った。何であんな物を作って撒くのか、なぜ霞ヶ関に撒くのかって聞けば、全然、当人には理由は分からない。「あのあたりに撒け」と言われたから撒いた、というんでしょ。やはり人間って、どこの大学を出てようと、どんな職業についていようと、そういうふうに、わけの分からないことを、たくさんする生き物ですよね。 頭の固い人たちの頭の中って、甲野さんのような、ある意味で当たり前の説明を聞くとグチャグチャになるんじゃないんですかね。そういう説明を受け入れた瞬間に、自分の世界が壊れる。それが怖いから受け入れないわけでしょう。おそらくそういう恐怖があるから拒否するんですよ。 そういう人の住んでいる世界というのは、自分で勝手に作った、非常に弱い世界ですよね。そんなものは人工的な世界でプレハブの家みたいなものです。プレハブの家じゃ、科学はできません。武道もそうだと思いますが、そんなことは当たり前じゃないですか。ただ、最近はプレハブにすがる人が、すごく多いのかもしれない。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「だって、そうでしょ。意識の歴史なんて、たとえば二十代の人だったら自分の意識については、二十何年しかないんです。けれども、身体については、何十億年という歴史があるわけですから。 ところが、その身体の方を、自分の思う通りになると思ってるから、薬飲んだり、バイアグラ飲んだりしてる。それで死んでしまう人までいる。それは当たり前なんです。体のほんの一部である頭で、身体をコントロールしようとするから、変なことが起こるのは当然なんです。また、本気で意識によって体をコントロールできると、思っている人がいますからね。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「そうなったら今度は「誰でも大学へ行けるという時代に大学も出ていないのは恥ずかしい」ということになってしまって、別に大学に行きたいと思ってもいない者まで、大学をめざすようになってしまいました。戦時中、ちょっと変わったことを言うと「非国民」とかいうレッテルを貼られたようですけれど、今では大学に行っていないというのは、「非国民」ほどではないにしても、何か後ろめたいような、そんな雰囲気がありますよね。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「だって、講演に行くにしろ何にしろ、必ず経歴には「何年、東大卒」って書かれる。ということは、要するに卒業させてもらっていないんです。いつも「何であんなに楽に卒業できたんだろう」って思っていたのですが、「なるほど、ずっと卒業しないんだから、楽だったんだ」と納得しました。 僕は以前から「東大で入試を通ったら、卒業証書をやれ」という意見だった。入試に受かって卒業証書をやれば、後は本当に勉強したい奴だけが、大学に残るだろうということです。そうすれば、ほとんどの学生はいなくなりますよ。現に外交官試験に受かったり、司法試験に受かれば、辞めてしまうんですからね。べつに卒業しなくていいんです。 すると、いつまで経っても学歴が残ってるということは、未だに東京大学を卒業してないということなんです。それが学歴の意味ですよ。それが共同体なんです。「俺は何とか会に属している」というヤクザと同じで、暗黙のうちにそこに属しているんです。 そうすると、そこに属しているから、そこの共同体の信用を落とすようなことはしないだろうというのが、実利的な意味なんですよね。そして、もう一つは、そこに属しているんだから、もしかしたら、偉い人に口きいてくれるかもしれないとか、そういうことでしょう。だから、ただ今現在だけを見てその人を評価しているわけではないんですね。実は学歴というのは、共同体の所属を表わしている、という意味しかないんです。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「科学が発達すれば経済的にも潤う、ということなんでしょう。けれども、池田清彦さんじゃないけれど、僕は科学を信じてませんよ。科学は方法論ですもん。何にも保証しません。 何でああいう方法論が発達したかというと、キリスト教世界にしても、ユダヤ教世界にしても、イスラム世界でも、社会的な押しつけというのはさっきのお話の保険制度どころじゃなく徹底的にすごいから、それに対抗し実証してみせるために科学は発達してきたのです。「そっちはそんなことを言うけど、グダグダ言っていないで、実際にやってみてごらん。こうなるじゃないか」とやるわけです。つまり、そういう社会的な押しつけの解毒剤として発達したわけです。 日本人はそんなきついことを言いません。何しろ『藪の中』、『羅生門』ですから。三人三様の話をしたら、どれかが本当かもしれないし、全部嘘かも分からないという、そういう世界だから、べつに科学は要らないんですよ(笑)。だから日本人は本当の科学はやらない。いい加減というか、適当で済ましてしまう。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「科学の本来の素直な役割は、やはり「知りたい」ということではないでしょうか。知りたい、本当のことを知りたいという、知的好奇心。日本の場合は、科学はそういう役割は持ってない。日本のいわゆる科学というのは、西洋からすごい船や機械が来ると「えっ、そんなことできるの?」という具合に、やってますね。日本の科学は西洋の科学とその基盤が全く違います。今、ここでしているような話というのは、僕は、科学ではなくて、常識だと思うから、世の中がものすごい非常識ということになるけれど、逆にあちらから言えば、こちらが非常識ということになっているのでしょうね(笑)。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
何故ここまで本を読むのが楽しくて仕方なくて好きなのか考えたんだけど、読書すると、人と会って話すより深いコミュニケーション取れたような気になるからかな?読書って人とのコミュニケーション欲なのかな?
「その点スポーツ選手でも、この間 NBAを引退したマイケル・ジョーダン選手の動きは違いますね。全く無駄がない。現在は、私の動きにとても関心を持って下さっている、昔バスケットボールの実業団にいて、今は、中学、高校で体育を教えている方が、道場で私の動きを体験してから「ジョーダン選手の動きの原理が分かってきた、彼は体をひねって使っていないんだ」とあらためてバスケットボールの体の使い方の総見直しに入られているんです。けれども、そうするといわゆるバスケットボールの基本と全く違ったものを教えなければならなくなるそうで、今、喜びながらも悩まれています(注:その後この高校は東京代表となってインターハイに出場した)。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「武道なんかも、言ってみれば、消した世界の上ですからね。日本独特の、消すと消さないがあると思いますよ。消す、消さないの二重構造の複雑さというようなものを、ちょっと理屈にしてみようかなと思っているんです。 それから、実際にあったことであるにもかかわらず、きれいに消えてしまった、というのもある。終戦直後に、教科書の都合の悪いところに墨を塗ったでしょ。これはきれいに消されたんですね。これを経験したのは僕らの世代だけなんですが、それは特殊なことだった。だから教科書の検定が、相変わらず続いてる。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「他人に伝えられないことはないも同じだっていうのは、これは日本人にはとても理解できないことですね。つまり重要なことというのは、文字や言葉に言い表わせないというのが、日本の文化の特色のように言われていますから。それこそ不立文字で有名な禅とか武術とかそういう体の感覚の世界では当然の常識ですからね。何しろ武術の方でその妙境を詠んだ道歌に、 妙の字は若き女の乱れ髪 ゆふにゆはれずとくにとかれず というのがあるのですが、この「ゆふ」というのは、「結う」と「言う」にひっかけて、「とく」というのは「梳」あるいは「解く」と「説く」をひっかけているのですから(笑)。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「だから僕は日本人として暮らす方が芸が要ると思っているのです。本当に難しいです。だからいわゆるグローバリゼーションがたいへんなのも、やはり芸が必要だからですね。それだけの芸があるかということを問われているような気がします。だから戦争するとか金を稼ぐということでは、日本の共同体は有能だということを証明してきたわけですよね。負けるには負けたけれど一応戦争はこなしてきた。バブルで経済も一応はこなした。問題は、その先です。だから生き残るというのが何を意味するのか、ということでもあるわけです。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「それは危ないものを封じ込める智恵なのでしょうね。解剖も全く同じですよ。出てきた時はものすごく胡散臭いはずなのです。 だってベサリウスには処刑場の骨を盗み出したという逸話が残っている。それこそ医学における古武術みたいなものです。本当に古流という感じです。だから基礎医学では一番古い流派だって言って威張ってるわけ。けれども、どこかで今では解剖なんてもう仕事にならんと思っている。僕が方法論を学べばいいんだよって言っても、おそらくもう分からないと思います。 古くなってくると、こうなっちゃうんですよ。だから解剖やってる当人たちにしてみれば「今の専門化していく世の中で、俺どうなっちゃうんだよ」ってなる。もうどっち行っていいか分からなくて、お手上げ状態になってるんですよね。解剖の世界も一種の修行ですから。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「 何度も言いましたが、あくまでも私自身のためにやっていることが、より真剣であればそれは、結果として、他の人たちの参考にもなるでしょう。それが自然だし、それで十分だと思います。時には人のために命を張ることもあるかもしれませんが、それもあくまでもそのことに自分が充実感をおぼえるからでしょう。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「昔だったら出家遁世で、山へ入って塚原卜伝じゃないけど鍋蓋の試合でいいわけですけれど、今はどうもそういう時代じゃないから、どうしたものかなと思っています。東南アジア、たとえばマレーシアの田舎にでも引っ込もうかと、しょっちゅう思うのですがね。 思い切って個人になってしまうのなら、それはそれでいいわけですし、面白いと思うんです。別に僕が出家遁世したからって、世の中がどうなるわけでもありません。さっさと閉会の辞を述べて、述べなくてもいいんだけど、一種の蒸発ですね。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「今回はこれだけ現在の日本の共同体に対して辛辣な発言をされたのに、それでも全く品が悪くならないというのは、言ってみれば毒舌がその人個人のうさばらしではないからでしょうね。 現代の武道界に、養老先生ほどの品のある人がどれだけいるか。武道界に限らないかもしれないけれど、いわゆる剥き出しの権力欲みたいなものが見えてしまうというのは、はっきり言ってやはり品が悪いです。品の問題というのは共同体の洋の東西を問わず、人を観る上で重要な要素だと、私は思います。剥き出しの我欲が絡んでいるのは、どうしても絶対に品が悪くなります。 私は人間の価値の中で品格の問題というのは、とても重要だと思います。この品は付け焼刃ではできませんから、隠していても必ずどこかに現われます。養老先生はこれだけ過激な話をされたのに品が全然崩れない。人としての風景のいい、あらためて見事な方だな、と思いました。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「たぶん僕が損得でものを言っているのではないからですよ。僕がいわゆる反体制が嫌いなのも、体制を糾弾しているようで、それがどこかで自分たちの利害と関わっているように見えるからなのです。そうするともう汚いし、情けない。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「養老さんとはスキー場で知り合った。といっても、スキー仲間というわけではない(いや、実際、一緒にスキーしたこともある)。新潟の A RAIというスキー場で毎年やっているシンポジウムで初めて同席させていただいたのである。わりと低めの小さな声で、しかもかなり早口でしゃべるので、最初は何を言ってるのか全然わからなかった。ぼくも江戸っ子でかなりの早口だったので、かつてはよく聞き取れないと文句を言われたものだが、その比ではない。しかし、養老さんには誰もが一目置いており、また、そのしゃべり口調にもかなり慣れているらしく、その周囲にはつねに笑い声が絶えなかった。みんなが笑っているのに一人わからないのも悔しい。それで、他の人はともかく養老さんが話すときだけ必死に耳を傾けているうちに、だいぶ聞き取れるようになった。もしかしたら、これも養老さんの作戦なのかもしれない。とにかく、あまりまじめな話をした覚えはないのだが、幾度かマージャンをやったことがある。奥様ともお嬢さんともやった。連日四、五時間にわたるシンポジウムの後で朝までマージャンをやるのはぼくらだけだった。奥様の話だと「お仕事しているのかと思って部屋をのぞくと、いつもテレビゲームをやっている」とのこと。その一点でぼくは養老さんにすごい親しみを覚えるようになった。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
「ぼくのように海外調査ばかりやっている人間の中にも、本当の観察ができる人間はほとんどいない。そうした観察眼はそう簡単に身につくわけではない。しかし、養老さんは別格である。さすがに解剖学者にして昆虫採集の名人だけあって、目がつねに細部にまで行き届く。ただ読んでいるだけでも、その光景がくっきりと浮かんでくる。見事としか言いようがない。」
—『自分の頭と身体で考える (PHP文庫)』養老 孟司, 甲野 善紀著
自分の頭と身体で考える 甲野善紀 養老孟司
まさにまさに。ルールと慣習に縛られたスポーツ。師は、弟子に技を伝承する。本来、守破離で技を磨いていくものなのに、村の権威に胡座をかいてしまうことは悲しい。
愚直に関心を集め続けることができる姿勢を美とすることが日本の一つの美だと思う。
「養老 歴史学は書かれたものに基づいて書きます。それをラテン語ではファクタ =ディクタと言う。「書かれた事実」という意味ですね。いまの言葉で言えばインテリジェンスで、書かれたものから判断していくのです。新聞を読んで、その裏に何があるかということを判断していくのと非常に近い作業です。 それとは違って、モノに基づいてやるのは考古学です。これは歴史とは違うのです。日本ではその考古学が学問として体を成していない。それが、例の「神の手」の事件でばれてしまった。 僕は、歴史学は文献学だからだめだと言うつもりはありません。でも、文献学には文献学の限度があります。にもかかわらず、モノの視点を持った歴史学はほとんどない。一生懸命やる人はいるけれど、なかなか一般的ではないところがあります。」
—『本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー PHP新書』養老 孟司, 竹村 公太郎著