小川糸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
書店でこのメルヘンチックな表紙を見て、カバー裏のあらすじと最初の2ページを読み、私は次のような物語を想像した。
盲目の少女「とわ」が、優しく愛溢れる賢い母親に育てられ、強く優しく育っていく。けれど、途中でお母さんが亡くなって一人になり、施設に預けられる。厳しい環境の中でもお母さんに教わったことを活かし、強く賢く生き抜き、最後は幸せになっていく――そんな感動ストーリーだと。
大筋では合っていた。だが、読み進めるにつれて細部が全然違う方向に進み、思いがけない展開になっていく。
物語は、とわが感じ、理解した子どもの視点で語られていくが、最初からどこか違和感を覚えるところはあった。
まず、とわはお母さんと一緒に一日中家の中で生活している。本を読んでもらったり、世の中にあるいろいろな物について教えてもらったり、手作りの料理を食べたり、それはそれは楽しく幸せな生活だ。でも、お母さんが仕事もせずに、どうして一軒家で暮らしていけているのだろう?それは「オットさん」という人が、生活に必要なものを1週間に1回運んでくれているからだった。
では、そのオットさんとは一体誰なのか?という疑問が出てくる。ここで推測が働く。きっとお母さんは誰かの愛人で、認知されない子どもを産んだシングルマザーなのだろう。その愛人はお金持ちで、二人に家と生活費を与えてくれているのだろう、と。しかし、そのオットさんは二人とまったく接触がない。物を家の前に運ぶだけで、会うこともないのだ。ということは、愛人ではない?では誰なのか?
物語が進むにつれ、オットさんからの現物支給が途絶えたらしく、お母さんは夜の間だけ、たまに働きに出るようになる。夜の仕事?
それでも、翌朝とわが起きると、お母さんはいつものように家にいて、優しい声をかけてくれるし、ホットケーキも焼いてくれる。だが、お母さんの夜の仕事の回数が増えていくにつれ、とわの世話はおろそかになっていく。このあたりから、だんだんとお母さんの精神状態が不安定になり、壊れていくのがわかってくる。
あんなに愛情たっぷりに育ててくれたのに、ネグレクトの状態になっていくのだ。何が起こったのかもわからないとわは、ただ狼狽するしかない。ここから、孤独で凄惨な、生活とも言えない人生が始まる。
最終的に、大人になったとわは福祉の支援を受け、一人で生きていけるようになる。その過程で、お母さんの驚愕するような正体と、オットさんが誰だったのかが明らかになり、大人の視点から当時何が起こっていたのかを理解していく。
あんなお母さんだったけれど、とわの持つ強さや優しさ、そして賢さは、幼少期にたっぷりの愛情と知識を与えられたことが確かな土台となっているのだろう。そう強く感じさせられる作品だった。
とわの「あんなお母さん」は私のとは全然違うけど、私の母も別の意味で「あんなお母さん」だったから、心が揺さぶられた。 -
Posted by ブクログ
主人公の小鳥さんは、過酷な人生を歩んできたことで、「自分が生きることには意味がない」とさえ感じながら生きています。そんな彼女が出会った人たちとの交流を通して、少しずつ心を取り戻していく物語でした。
印象的だったのは、誰かに救われるのではなく、その出会いをきっかけに自分自身で考え、自ら前へ進む道を選んでいくこと。だからこそ、その変化には大きな説得力があるように感じました。
過去に起きた出来事は決して消えないし、なかったことにもできない。それでも過去を抱えながら生きていくことには確かな価値があり、その姿はとても尊いものなのだと感じさせてくれる作品でした。
ちなみにタイトルの意味は物語の比較的序盤で明かされますが「そういうことだったのか」と感じられたのも印象的でした。 -
Posted by ブクログ
「いとしきもの 森、山小屋、暮らしの道具」 (文春文庫)で始まった長野の森での山小屋生活の続きのエッセイ。
温泉で毎日くつろぎ、愛犬ゆりねと愛おしい時間を過ごす。春は庭仕事に明け暮れ、夏は庭でビールを楽しむ。秋は森を歩きながら冬の準備。時々、シー(鹿)との対決。
時間はゆっくりゆっくり流れ、美味しい野菜で美味しい料理を作り、友人達や地域の人々とこの地と時間を楽しむ。都会にはない時間がそこには流れている。
多分多くの読者にとって夢のような生活に違いない。でも、都会でもきっとの「精神」は真似ることができるかもしれません。
岡山の里山に移住した僕には、「あるある」感満載の小川さんの生活です。