■実験でわかったスマホ読書の「不都合な真実」
昭和大学で行われた実験ではスマートフォンを使った読書と紙媒体を使った読書が、それぞれ読解力や記憶力にどのような影響を与えるかについて検証している。
その結果スマートフォンを使って読書した場合、紙媒体で読書した場合と比較して内容理解のスコアが低下することが明らかになった。具体的には紙媒体で読んだ際の平均点が8.9点だったのに対し、スマートフォンで読んだ場合は7.4と明確に低くなった。更にこの研究では、スマートフォンでの読書中にはため息(深呼吸)の頻度が紙媒体での読書に比べて減少することも示された。ため息は認知負荷がかかる状況において深い呼吸を促進し、呼吸のリズムを整えて認知機能を回復させる役割があるとされているが、スマートフォンを用いると、これが抑制される傾向がある。さらに前頭前野の脳活動がスマートフォン使用時に紙媒体と比較して増加することが分かった。さらに、ため息の抑制と前頭前野の過活動が相互作用し、読解力低下を引き起こすという驚くべき因果関係も示された。つまり、スマートフォンによる読書は紙媒体のより強い認知不可を生じさせ、脳が過活動状態となることで読解力が低下してしまう。
■スペイン・バレンシア大学の研究者たちが行った54件の研究を統合したメタ分析でも「紙媒体での読書がデジタルよりも読解力で優る」という結論が示された。特に興味深いのは、読書に時間制限がある状況では、紙媒体の優位性がより顕著になるということ。また、時間制限がなく自分のペースで読む場合には媒体感の差は小さくなり、情報定期なテキスト(説明的・論述的など)では紙媒体の方が高い読解力を示した一方で物語形式のテキストのみを使用した場合は媒体間に差は見られなかった。
■脳が新しい刺激を求めてしまう理由
脳には「新規性」(新しいものや変化のあるもの)を自然に求めるという特性がある。これは、人類が進化の過程で新しい情報にいち早く注意を向けることで環境の変化や迫るくる危険を素早く察知し、生き延びてきた名残と言われる。
この「新しいもの好き」な性質の鍵を握るのがドーパミン問い神経伝達物質。ドーパミンの役割は脳内の報酬系という回路において報酬を予測し、その報酬を最大化するための行動を促すこと。「自分の予測があたった」という確認も脳にとっては立派な報酬である。私たちはこのドーパミンの作用によって新たな情報を積極的に追い求めたり、環境の変化に敏感に反応したりする。なお、私たちが感じる「快感」や「満足感」は報酬系の中にある側坐核という部位で「エンドルフィン」という別の物質(いわゆる脳内麻薬)が放出されることで生じる副産物に過ぎない。つまり脳は「快感そのもの」を追求しているのではなく「報酬が得られる可能性を最大化すること」を目指している。
■なぜ、脳はすぐに疲れてしまうのか
脳が持つ基本的な性質の一つは、もともとエネルギーを無駄遣いしないような「省エネ設計」になっているということ。実際、脳はエネルギー消費量が非常に多く体全体の約20%のエネルギーを使っていると言われている。これは肝臓や筋肉に匹敵するくらいのエネルギー。脳は体重の2%しか占めていないのでいかにエネルギー消費の激しい臓器かが分かる。そのため、脳は意識的にも無意識的にもエネルギー消費を抑えようと複雑で認知的負荷が高い作業を避け、より簡単な方法で判断や意思決定を行おうとする。この際に用いられる方法を「ヒューリスティック」と呼ぶ。ヒューリスティックとは、過去の経験や直感を利用して手軽に判断を下すための「思考の近道」のこと。
■ヒューリスティック引き起こす「認知バイアス」の問題
ヒューリスティックは、情報量が多く複雑な状況でも素早く判断できるという点で非常に有効な仕組みである。しかし同時にこの省エネのための思考プロセスは、しばしば「認知バイアス」と呼ばれる偏った判断や誤解を引き起こすこともある。たとえば私たちは「自分が信じたいもの」や「見たいもの」だけを無意識に選んでしまう傾向がある。これを「確証バイアス」と呼ぶ。また、誰かが失敗をするとそれを状況や環境ではなく、その人自身の内面的な性格や能力に求めてしまうことがある。このような傾向を「対応バイアス(基本的な貴族の誤り)」という。更に脳には現状をなるべく維持したいという傾向があり、これは「現状維持バイアス」と呼ばれている。
こうした認知バイアスは誰の脳にも備わっているが、特に、情報が膨大で迅速な判断が求められるデジタル環境下ではより頻繁に働きやすくなる。結果として、短絡的な判断や誤った意思決定をしやすくなる。センセーショナルな見出しやフェイクニュースに容易に飛びついてしまうのは、まさにこの脳の疲労が背景にある。複雑で正確な情報を評価するには多くのエネルギーが必要であるため、脳は手軽で刺激の強い情報を好んでしまう。このような情報消費の週刊が続くと、物事を深く考える習慣そのものが失われていく。即ち、絶え間ない刺激に晒され続けると、脳は徐々に疲弊していき、複雑な情報を処理することを避けるようになる。その結果、正確に情報を評価したり批判的に思考したりする能力が低下し、表面的な情報処理から抜け出せなくなってしまう。
■メンタル不調をもたらす「反芻思考」
脳の保つ特性として紹介したいのが「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という非常に興味深い回路。DMNはは特定のタスクに注意を払っているときではなく、むしろ安静時やぼんやりしている時間において活発になる、脳のアイドリング機能のようなもの。現代の脳科学ではこのネットワークが多様な認知プロセスに積極的に関わっていることが明らかになっている。具体的には自分自身に関連した情報を処理する「自己言及的処理」、他社の心情や考えを推測したり共感したりする「社会認知」、過去の出来事を回想したり未来の計画を立てたりする「記憶と未来計画」などが含まれる。また、創造性を刺激する自由な空想や白昼夢もDMNの働きによるもの。こうした活動においてDMNは単なる受動的なネットワークではなく、自己や社会的な現実に関する主観的な体験を構築する重要な役割を果たしている。
このDMNが活性化しているとき、私たちは特定のテーマや目的もなく思考があちこちに彷徨ってしまうことがある。このような状態は「マインドワンダリング(心のさまよい)」と呼ばれる。しかしこのDMNも使い方を間違えると厄介なことになる。マインドワンダリングには創造性や問題解決能力を促すというポジティブな役割もあるが、DMNが過剰に働くと、思考がネガティブな方向に向かい、過去の後悔や将来の不安がぐるぐると渦巻いてくる「反芻思考」を引き起こす。この反芻思考が生じると脳は慢性的に過活動状態となり、非常に疲弊しやすくなる。このような過活動状態が続くと集中力の低下や感情の不安定化などメンタルの不調として表れることがある。つまりメンタル不調は脳が怠けているのではなく、むしろ過剰な活動によって消耗し、本来の能力を十分に発揮できなくなった状態と理解することが重要。情報があふれる現代社会だからこそ、意識的にこのDMNの暴走を鎮め、脳を休ませて上げる必要がある。そのための有効な手段の一つが実は「読書」である。読書を通じてゆったりと深く物事を考える時間はマインドワンダリングを適度に抑制し、脳の過活動を和らげるため、認知機能や脳の健康を守るうえで不可欠なもの。
■読書が脳の「休息」になるしくみ
読書に集中しているとき、脳は巧みに運転を切り替えてDMNのか活動を抑え、反芻思考の負のスパイラルから解放される。特に情報の理解や分析を目的とした読書を行う場合、注意は外部世界の問題解決に向かっており、情報処理に集中するために「タスク陽性ネットワーク(TPN)」が優位になり、内部に向かう脳活動であるDMNの活動が一時的に低下する。この脳の働き方の切り替えには「サリエンス・ネットワーク(SN)」が重要な役割を担っている。SNは外部に注意を向けるためにDMNを適切に抑制し、注意を調整する働きをしている。「今、大事なのはこっち」と判断してくれる。難しい分掌の理解が必要な場合など集中力が求められる読書の際、DMNの活動が低下することが脳画像により明らかになっている。このDMNの活動低下は脳が内面的な思考を抑制してより効率的に外部のタスクに集中できるようにする適応的なメカニズムだと解釈されている。
■認知神経心理学者デイヴィッド・ルイス博士の指揮のもと、イギリス・サセックス大学のマインドラボ・インターナショナルが2009年に実施した広く引用されている研究では、わずか6分間の読書によってストレスレベルが最大68%低下することが報告された。このストレス軽減効果は、音楽を聞くこと(61%低下)や散歩(42%低下)など他の一般的なリラクゼーション活動よりも顕著である。
■文章を読むときには、脳の中で多くの領域が同時に活性化される。視覚的に文字を認識する際には後頭葉の「視覚野」が働き、文章の意味や文法的な構造を理解する際には「言語野」(特にブローカ野やウェルニッケ野)が活性化する。また物語の内容を想像し、その世界を頭の中で視覚化したり、登場人物の行動や心情を理解したりする際には、「前頭前野」や「側頭葉」などの領域も同時に関与する。このように複数の脳領域が協調して活性化することで、脳全体の情報処理能力が刺激されるため、認知機能が全体的に向上すると考えられている。更に読書を習慣的に行うことによって、これらの異なる脳領域間を結ぶニューロンネットワークが次第に強化されていく。脳には学習や経験に応じて構造や機能を変化させる能力(可塑性)があり、継続的に読書を行うことで、脳内の情報伝達がよりスムーズで効率的になる。これは、複雑な情報処理を迅速に行うための神経ネットワークが強固になることを意味し、結果として知的能力が高まるもの。
また、読書を通じて新しい語彙や概念に触れる機会が増えることも重要。語彙が豊かになると言語野の働きが更に活発になり、複雑な思考や論理的な推論能力が養われる。語彙力が豊かな人ほど、より正確で深い思考ができコミュニケーション能力や批判的な分析力も高い傾向があるのはこのため。特に難解なテキストや多様なジャンルの本に挑戦することで、多角的な視点や深い理解を促す複雑な神経ネットワークが形成されやすくなる。このように読書は単なる情報収集や娯楽を超えて、脳全体を活性化し、知的能力を高める神経生理学的メカニズムを確かに持っている。そしてその効果は一時的なものにとどまらない。習慣的な読書を通じて脳の可塑性を最大限に引き出し、語彙力や思考力を深めていくことは歳を重ねても高い認知機能を維持して知性を向上させることにも極めて重要な役割を果たす。
■「高い言語能力」と認知症の発症しにくさには強い関連があることが明らかになっている。
■脳は漢字と仮名を読む際、それぞれ異なる脳のネットワークを使っている。感じを見た際には視覚野や側頭葉を中心とした意味理解の回路を活性化させ、仮名を見たときは音韻処理を担当する側頭葉の言語領域を活性化する。つまり日本語を読むときの脳は、意味を直接的に処理する回路と音を経由して意味を理解する回路を同時に勝つ非常に柔軟に切り替えている。このような異なる情報処理が日本語学習者の脳そのものを変えている(可塑性を促している)可能性がある。
■バーナム効果(フォアラー効果)とは、誰にでも当てはまるような曖昧な表現を自分だけに当てはまる具体的な特性であるかのように解釈してしまう心理的な傾向のこと。
■脳の注意ネットワーク
無意識のうちに脳が既存の信念や仮説を裏付ける情報を優先的に収集し、それに反する情報を無視したり軽視したりするプロセスには、特に脳の前頭前野や側頭葉が深く関わっており、情報のフィルタリングや解釈に重要な役割を果たしている。そして、この情報の取捨選択は「脳の注意ネットワーク」が処理する。
脳の注意ネットワークとは必要な情報に選択的に意識を向け、不要な情報を無視又は抑制する役割を持つ脳の仕組みであり、一般に「警戒系」「定位系」「実行系」の三つから構成されている。
「警戒系」は、注意の覚醒度や準備状態を調整する。例えば大きな音を聞いたときに脳が迅速に反応できるよう準備するアラームのような役割。
「定位系」は、視覚や聴覚などの感覚刺激がどこから発生しているかを特定し、注意を向ける場所や対象を選択する機能を持つ。例えば、たくさんの文字が並んだ中から特定のキーワードを素早く探し出すような場面で働くサーチライトのような枠割。
「実行系」は、複数の刺激や情報が競合した際に優先順位を決定したり、不要な情報を抑制したりする、交通整理のような機能を果たす。
読書や作業に集中できるのは、この三つの注意ネットワークがうまく連携して働いているから。
■私たちが「現実」と呼んでいるのは客観的な世界そのものではなく、一人一人が持っている独自の予測モデルに大きく影響を受けた、その人だけの世界。(著者は「知恵ブクロ記憶」と名付けた)この知恵ブクロ記憶の根幹を支えているのは「経験の蓄積と再構成」という仕組み。これを一般に記憶という。記憶というものは単なる記録ではなく、思い出すたびにその都度再構成され生成され直している。私たちが何かを思い出す際には、脳内の様々な知識や現在の感情、その時の文脈が影響し、元の記憶に微妙な修正が加わっていく。
■「長期記憶」は「エピソード記憶」と「意味記憶」に分けられる。エピソード記憶は自分が体験した出来事や状況を思い出す記憶であり、これらの記憶は特に生成的で思い出すたびに新たな感情や現在の状況と統合され、再解釈されやすい。これに対して意味記憶は個人的な経験とは関係のない一般的な知識や概念に関する記憶を指す。意味記憶もまた、脳なにの様々な知識や経験に影響を受けながら再構築され、状況によって意味が微妙に変化することがある。
エピソード記憶を提唱したカナダの心理学者エンデル・タルヴィングはエピソード記憶と意味記憶という区分が厳密ではないと指摘している。そこで彼は記憶を「アノエティック(無意識的)記憶」、「ノエティック(知識的)記憶」、「オートノエティック(自己意識を伴う)記憶」という新たな枠組みで捉えた。
アノエティック記憶とは、意識を伴わず無自覚に行われる記憶のことで意識しなくてもできる自転車の乗り方や泳ぎ方のような技能や習慣的動作に関する記憶が該当する。
ノエティック記憶とは、世界や物事についての一般的知識を指す。
オートノエティック記憶とは、特定の出来事を自分自身が実際に体験したという意識を伴う記憶で「思い出」の記憶とも呼べるもの。
そして、「知恵ブクロ記憶」はこの三種類の記憶が絡み合い相互作用することで形成される、あなただけの壮大な予測モデルのこと。
■普段から無意識のうちに情報を効率的に拾い上げる「飛ばし読み」を行っている。本書ではこれを「快読」と呼ぶ。速読の概念は19世紀末にフランスの眼科医ルイ・エミール・ジャヴァルが読書中の眼球運動(サッカード)の仕組みを発見したことに端を発する。人間には文章を細かな単語ごとではなく「まとまり(チャンク)」として処理する能力があることを明らかにした。
更に1950年代後半にはアメリカの教育者イヴリン・ウッドが速読技術を開発し一般大衆に普及させた。ウッドの速読法は指や目を使って迅速に文章を読む方法であり、これが一般的に知られる速読法の基盤となった。
「快読」は定義された用語ではないが単に速いだけではなく脳にとっての「快さ」や「気持ちよさ」といった感覚的な意味合いを含む。脳科学の観点から見ると快読の際に最も活発に働くのは前頭前野。前頭前野は情報の優先順位を決定し、文章全体の構造やキーワードなど、主要な情報を迅速に抽出する。このとき、脳は細かな文字情報の認識に集中するのではなく、文章全体の方向性や、いくつか登場する概念同士の関連性を直感的に捉えることを優先している。この快読の大きなメリットは限られた時間で多くの情報を効率的に俯瞰できることにある。新しい分野の概要を把握したり、資料やレポートなどの短時間で読み込んだりする場面では快読が非常に効果的。また、快読はワーキングメモリの負荷を最適化する効果も持っている。ワーキングメモリは脳が短時間で一時的に情報を保持・処理する機能であるが、扱える情報量には限界がある。そのため、重要な情報だけを選択的に取り込むことでワーキングメモリが無駄な負荷から解放され、効率よく全体像を理解できるようになる。一方で快読にはデメリットもある。細部や詳細な情報が見落とされるため、内容の深い理解や緻密な論理の把握には不向きである。また、情報が断片でしか入ってこないため、全体の文脈を誤解するリスクもある。
■細部にまで注意を向けながらじっくりと読み進める読み方を「精読」と呼ぶ。日本では特に語学教育や文学教育の分野でこの「精読」が広く採用された。精読において特に活性化されるのが、脳の左半球にある言語領域(ウェルニッケ野やブローカ野)。精読は単語や文の意味を理解するだけでなく文章全体の文脈や行間に潜む意図やニュアンスを推論するという高度な認知処理が行われる。この際は言語野だけでなく推論や抽象的思考を司る前頭前野も協調的に働く。更に、精読は長期記憶への定着を促進する効果がある。精読を通して得られた情報は、既に脳内にある知識や経験(スキーマ)と強く結びつくから。精読のメリットとしてあげられるのは、正確で深い理解が可能になる点。じっくりと読み込むことにより知識がしっかりと定着し、あとから想起しやすくなる。精読を効果的に進める具体的な方法としては、文章を繰り返し読むこと、重要なポイントをメモやノートに書き出すこと、理解が難しい言葉や概念を辞書や参考書を使って調べることなどが挙げられる。
■快読と精読の脳科学的な違いについて決定的に分けるポイントは「行間を読む」という作業にある。自分自身の内側にある知識や感覚を総動員しながら、文章の背後にある見えない文脈を読み解く作業であり、これはまさに精読ならではの高度な読解法と言える。「行間を読む」という言葉は一般的に広く使われている用語であるが、欧米でも、read between the lines という非常に似た表現が広く知られている。
心理学や認知科学の分野では関連する概念として「推論的理解」や「含意」といった用語が用いられる。これらは文章や会話において明示的に表されていない情報を推測し理解する認知的なプロセスを意味しており、非常に高度な認知作業である。文章に書かれた内容そのものを処理する言語やに加えて、推論や意味の推測を行う前頭前野や側頭頭頂接合部が活性される。これらの領域は社会的認知や他者の心理状態を理解する能力である「心の理論」にも深く関わっているため、行間を読むという行為は他者への共感や社会的スキルを高めることにもつながる。「心の理論」とは心理学や認知神経科学の分野で発展してきた概念であり、他者の心の状態や意図、感情、信念を推測し理解する能力を指す。日常のコミュニケーションで相手が何を感じ何を望んでいるかを察することができるのもこの能力のおかげである。
行間を読む際にはDMNも重要な役割を果たす。文章の背景にある著者の意図や登場人物の感情を推測するために、自分自身の過去の体験や感情記憶を無意識のうちに参照し、「自分だったらどう感じるか」「過去のあの経験に似ている」などと読んでいる内容を自分自身の経験と結びつけることにより、深い没入感や共感、自分自身との対話や深い内省が促される。このように行間を読むことは単なる情報の獲得を超えて、物事の本質を見抜く力や感受性や共感力を深めるための有効な訓練になる。行間を読む能力が高まれば同じ文章を読んでも得られう満足感や理解の深さが全く異なるものになる。「行間を読む」という読書行為は他者の内面を推測する脳の「心の理論」を活性化させるため、想像力や共感力を高める重要な手段となる。
■音読の最も大きな特徴は視覚、聴覚、運動感覚という複数の感覚チャネルを同時に刺激することにある。
■快読、精読、音読という読書法によりどれほど効果的に情報をインプットしてもそれをアウトプットしない限り、脳に長期的に定着させ、実際に活用できる知識とすることは難しい。読書という行為が単なる「情報の吸収」を超え、行動や考え方を豊かに変えるようになるためには、アウトプットというプロセスが不可欠。
アウトプットが記憶を定着させる脳のメカニズムとして特に注目されるのが、「想起訓練」というプロセス。読んだ内容を自分の言葉で作文や読書感想文として書き出すと、脳は記憶の中に保存されている情報を能動的に「思い出そう」と努力する。この「思い出す」という行為自体が、海馬を中心とした脳内の記憶ネットワークを活性化させ、記憶をより強固で再現しやすい状態に強化する。
更に重要なのが脳における「再符号化」と「再固定化」というプロセス。読んだ情報をアウトプットする際、脳は単にその情報を取り出すだけではない。新しい文脈や既存の知識と関連付けながら、記憶を整理し直している。その中で最初に読んだときとは違う形で記憶が符号化され直し、再び脳内に固定化される。これが記憶のアクセス経路を複数構築し、柔軟で安定した記憶として脳に保存される仕組み。また、アウトプットを繰り返すことで、脳は「思い出せない」という状態から「思い出せる」という状態へと情報を切り替えることができる。一度読んだだけの情報は脳の中に記憶されていても使われないうちにその情報にアクセスする神経回路がどんどん弱まってしまう。しかし頻繁に情報を取り出す行為はその記憶への検索経路を何度も繰り返し使うことになる。その結果記憶に関連する神経回路が強化され、「思い出しやすく」なり、より実践的で役に立つ知識として定着する。
■読書の効果を大きく高める方法として「クエスチョン立て」がある。これは読書を始める前に自分がその本からどのような情報や答えを得たいかを明確な問いとして設定する方法。これは脳科学的には、問いを設定することで、脳の前頭前野が活性化し、読書中に重要な情報へ選択的に注意を向けやすくなることから読書効果が高まる。問いを立てると読書中に新しい情報を過去の知識や経験と関連付ける「精緻化」が自然に促進される。その結果、長期記憶への定着が飛躍的に向上する。
これは古くから知られているアメリカの教育心理学者フランシス・P・ロビンソンによって提唱された「SQ3R法」という学習法に通じるもの。
・Survey(概観する)
・Question(問いを立てる)
・Read(読む)
・Recite(復唱する)
・Review(復習する)
■これまで述べた効果的な読書法の多くは、私たちが小学校で既に学んでいたもの。日本では江戸時代後期、地域に密着した教育施設である「寺子屋」が全国に広がり、そこで教えられた「読み書きそろばん」は当時の日本の識字率を世界的に見ても異例なほどの高水準に引き上げた。この高い識字率がその後の明治維新以降の近代化と日本の発展の大きな基盤となった。日本語という言語自体が、ひらがな、カタカナといった表音文字と漢字という表意文字を巧みに組み合わせた、非常に複雑で難解な構造を持っている。これほど難解な言語を多くの人が日常的に操ることができるのは日本の義務教育におけるカリキュラムの質が非常に高いからに他ならない。
■「精神的自由」とは、一言で言うと自分自身の価値観や世界観に従って自由に物事を解釈し、表現し、生き方を選択する自由のこと。具体的には、自分の思想や信念を外部に表明するか否かを選択する自由や、沈黙する自由なども保障されている。更に現代の心理学では、この精神的自由や自己決定が創造性、積極性、レジリエンス(困難に直面した際に立ち直る力)など、個人が持つ潜在的な力を引き出す重要な要素であることが示されている。自律性は人間の基本的な心理的欲求であり、それが阻害されると心理的なストレスや健康障害に繋がる可能性が高まる。そのため私たちは、日常生活の中で精神的自由を意識的に守り、互いに尊重し合うことで、より豊かな人生と調和の取れた社会を実現していける。精神的自由とは、個人の幸福や健康の維持だけでなく、社会全体が健全で創造的な方向に向かっていくための重要な基盤となるもの。
■情報過多の現代社会にあっても、読書は「未完了感」や「内的省察」の時間をもたらし自らの内面世界を自由に探求させてくれるもの。「未完了感」とはやるべきことが終わっていない、又は中途半端なまま残っている状態に対して感じる心理的な違和感や不安感を指す。リトアニア出身の心理学者ブルーマ・ツァイガルニクによって提唱された「ツァイガルニク効果」という概念がよく知られている。彼女の研究によれば人は「完了した課題」よりも「未完了の課題」を記憶しやすい。ツァイガルニクはカフェでウェイターが注文途中のものはよく覚えているのに、支払い後すぐに忘れるのを見て興味を持った。「人は完了していないことほど鮮明に記憶し、それを終えようとする心理が働くのではないか」と考えた。
■多様な知識や異なる視点に触れることによって脳内では既存の情報が新しい形で結びつき、新たなアイデアや概念が生まれている。このような「知識の組み合わせ」は神経科学的には「連合皮質」と呼ばれる脳領域で活発に行われている。この領域は特に創造的思考や革新的なアイデアを生み出す際に中心的な役割を果たしており、様々な分野や文化に触れる読書体験がこの連合皮質をどんどん活性化させていく。更に読書を通じて未知の状況や他者の人生経験に触れることは心理的レジエリエンスを高めることにもつながる。不確実で複雑な時代でも読書を通じて共感能力を高め、多様な人生や価値観を代理体験することで、確実に柔軟性と強さを獲得することができる。読書は単なる情報摂取にとどまらず、多様な知識と共感的体験を通じて脳の創造性を高め、未来に向けた希望や具体的な解決策を導く知恵を与えてくれる強力なツールである。情報が過剰に溢れる現代だからこそ、私達自身が意識的に主体的に選択し、自分の精神的自由を守るために、あえてアナログな「紙の読書」を大切にしていくことが、より豊かで創造的な未来を築くことにつながっていく。