ビジネス・実用の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
科学の歴史を構造的に振り返る論文です。ある程度科学の歴史をおさらいしてから読み始めるべき本です。とはいえ、大体の歴史はみなさん学んでいるので、そんなに構えなくてもいいかと思います。
しかし、本書は私にとってはとても難解な書籍の一つです。それでも、とても興味を持って読み進めることができる面白さがありました。
本書は、科学革命(科学の常識が天動説から地動説に置き換わるような事象)がどのような構造で、どのようなプロセスを経て置き換わるのかを、つぶさに考察していくのです。パラダイム・シフトです。このパラダイムという言葉を創設した人が著者のトマス・S・クーン氏です。電気学、光学、熱理論、天文学、物理学、化学など様々な分野で革命がありパラダイムが置き換わってきているのです。えらい単純化して書きましたが、本書は、科学の転換点に立ち会うかの如く、どのようにパラダイムがシフトしていくのかを確認していくのです。
高い次元から低い次元を眺めるが如くです。転じて、この論文から、現在私たちがいる次元から、さらに高い次元を想像することができるのでしょうか?
科学の歴史を構造的に捉えるという視座を学ぶことができます。この応用ができないか?現在の社会を見つめる視座として、自身の設問として掲げておきたいと思いました。 -
Posted by ブクログ
長谷川唯ちゃんが超絶かわいいので★5です!
なんか文句ありますか?
まぁ、ないですよね
一応聞きましたが、ないですよね
だって長谷川唯ちゃんが超絶かわいいのは事実ですからね
大好きなサッカー選手のひとりである唯ちゃんですが、女子選手ということであればもう断トツNo.1です
あ、谷川萌々子ちゃん好きだわ
そして男女を通じて日本人選手で一番トラップがうまいんではないかと思っております
ただ止めるってだけでなく、自分の一番有利なところにボールを置くためのトラップね
めちゃくちゃにうまい
そしてものすごくクリーンな選手でもあるんよな
この本を執筆してる時点でキャリアで一枚もイエローカードをもらったことがなかったんよ(残念ながら2026年6月の代表戦で生涯初のイエローカードをもらってます)
すごくね?
すごいよねー
こんな娘欲しかったわー
あ、でも小さい頃からサッカー漬けの日々に付き合うのはめんどくさいな(おい!)
うん、やっぱいいわ(お前なんか唯ちゃんのほうでお断りだわ!)
みんなが”スマイル”になれるよう、もう一度日本にワールドカップを!
頼んだよ、唯ちゃん! -
Posted by ブクログ
2026年6月10日、ガウディ没後100年にあたるこの日、サグラダ・ファミリア最大の塔である「イエスの塔」の完成記念式典が行われた。
私が行ったのは1991年5月。生誕のファサードは完成していたが、受難のファサードを作っている最中といった時期。
当時、「完成することはない」と言われていた。確かに、今現在も「完成」ではない。
それでも、今のサグラダファミリアは素晴らしい。
主任彫刻家である著者の外尾悦郎さんが、ガウディの目指すサグラダファミリアを、悩みに悩みぬいて作成している光景がこの本で読み取れる。
設計図は残っていない、そもそも設計図なんてなかった。
ガウディはどう考えていたのか?
教会ということもあり、キリスト教の知識も必要だし、ガウディの建築物の研究も必要。
大変な仕事だと思う。
絶対にまたサグラダファミリアに戻る。そして、その前までにもっとこの本を読みこんで現地に立ちたいと思った。 -
Posted by ブクログ
すっごく暗い本! と心からの敬意を込めて言いたい。現代(本書刊行は2001年)日本の翻訳業界に関する憂慮にあふれている。でもそれは、まさに「翻訳とは何か」ということを、これ以上なく真剣に考えているからこそ出てくる態度であることがよくわかる。翻訳ができるとか好きとか楽しいとか愛とかそういうレベルではなく、少なくとも情熱、または使命感、に突き動かされて、本書にあった言葉では「狂状態」に陥って取り組んでやっと成し遂げうるのが翻訳。歴史の中の名翻訳者として何人か名前が挙がっていた人物のうちのひとり、玄奘法師の例などわかりやすい。しかし、どうも今の社会ではそういうふうには理解されずに、ともするとちょいちょいと片手間でできそうな仕事と捉えられているふしがあるということを、翻訳を発注する者、翻訳を受注して訳者を集めて納品する者、翻訳学習者、翻訳教育産業の経営者、などのふるまいに見られる悪しき例をたくさんあげて、説明し、嘆いている。良き例を喧伝して界隈を盛り上げていく方法だってあるはずだが、敢えて闇を見せていくこのペシミスティック・スタイル。かっこいい。
明るい話はまったくないのかというと、いくつかある。ひとつは、「翻訳者と翻訳学習者との間で実力に大きな開きがあるのは、翻訳者にとっても翻訳者予備軍にとっても、きわめてありがたいことだ」という話。質の高い翻訳の価値が高いまま保たれるし、発注側から見ると、安心して仕事を任せられる質の高い翻訳者は不足しているのだから、質さえ高めていけば翻訳者への道のりはじつは険しくはない、ということにもなるからだ。そしてふたつめは、翻訳者の仕事の成果は出版翻訳であれば本の形になって出回っているのだから、自分で訳して翻訳書と比べる作業を真剣にやっていけば質は高められるはずだ、という話。だいぶストイックな話だが、お説ごもっともであることはわかる。みっつめは、翻訳はニッチ産業であるということ。自分の得意分野を極めていき、少数の発注者、そして少数の読者に認められれば、その小さな蛸壺の中でちゃんと産業として成り立つのだという話。
ただしこれらが明るい話かどうかはわからないもので、戦略的に、地道に、積み重ねていったとて、良い仕事にありつけるかどうか、そして継続的に受注できるかどうか、そこには運の作用も大きいということも語られる。だが、本書でも繰り返し述べられているが、人間にとって「母語で考える」ということがいかに大事であるかを思えば、(みんな原語で読めばいいじゃんという意味で)翻訳が不要になることはない。文化文明にとって、新しい文物を取り入れる必要がないと考えればまた話は別だが、それはあまりに暴論だろう。世界の歴史をひもとけば、母語を奪われた人はたくさんいる。そのまま世代を重ねていけばその言葉は本当に滅びてしまう。日本語がすばらしいからということではなく、わたしはたまたま日本語が母語だから、日本語が滅びたらいやだなあと感じるだけで、世界のどこの言葉が滅びることも悲しいことだと思う。
本書には書かれていないが、現在は、AIが発達していったら人間が時間をかけて翻訳する必要はなくなるのでは、という議論がよくある。ここまでこの本の感想を書いてきていまわたしが思ったのは、AIが外国語から日本語に翻訳してくれたものは、それは「AI日本語」なんじゃないかということ。AIは言葉や画像やその他諸々の手段でいろんなことを表現できるようになっていて、その成果物は人間が作ったものと似たものにはなっているけれど、AIが学習したり表現したりする仕組みは人間とはまた違うようだから、それこそ外国の人が外国語で考え表現するものを「自分たちと通ずるところもあるけれど決定的に違うところもある新しいもの」とわたしたちが感じるように、それは「新しい文物」なのではないか。日本語と中国語は似たような漢字を使うんだからだいたい同じものだ、なんてことはないのと同じくらい、AI日本語と日本語は似て非なるものかもしれない。中国語で書かれた駅名を確かめるくらいなら中国語を日本語に翻訳する必要はないかもしれない。そういう意味では、AI翻訳によるAI日本語でじゅうぶん事足りる場面はあるだろう。でももう少し複雑なことを伝達するときに、まだ付き合いの浅いAI人がAIなりの思考経路を経て日本語に見えるAI語に訳してくれたもので満足していいとは、まだ言えないのではないか。もしそうなったら、それは「AIの技術が向上した世界」ではなくて、もはや「人間の日本語がAI日本語に駆逐されてしまった世界」だと思う。