小説・文芸の高評価レビュー
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1909年(明治42年)、北海道にある塩狩峠で、若い鉄道職員(長野政雄)が自らの命を犠牲にして多数の乗客の命を救ったという鉄道事故があり、その実話をもとに文学的に脚色して、彼の生涯を描いた小説です。
主人公の永野信夫は、明治時代の東京で育ち、父と妹と祖母の4人で暮らしていました。
母親は自分が生まれた2時間後に亡くなったと祖母から聞かされていて、祖母からは士族の子どもとして厳しく育てられてきましたが、その祖母が亡くなった後、実は母親がキリスト教を信仰していたことで(父親はそのことを知っていた上で結婚した)、結婚後にそれを知った祖母曰く、
「日本古来の神仏があるのに、なにも毛糖の拝む神を拝む -
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1909年(明治42年)、北海道にある塩狩峠で、若い鉄道職員(長野政雄)が自らの命を犠牲にして多数の乗客の命を救ったという鉄道事故があり、その実話をもとに文学的に脚色して、彼の生涯を描いた小説です。
主人公の永野信夫は、明治時代の東京で育ち、父と妹と祖母の4人で暮らしていました。
母親は自分が生まれた2時間後に亡くなったと祖母から聞かされていて、祖母からは士族の子どもとして厳しく育てられてきましたが、その祖母が亡くなった後、実は母親がキリスト教を信仰していたことで(父親はそのことを知っていた上で結婚した)、結婚後にそれを知った祖母曰く、
「日本古来の神仏があるのに、なにも毛糖の拝む神を拝む -
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就職することなく、コンビニでのアルバイト歴18年で、恋愛経験なく、彼氏なしの36歳の独身女性は、世間の目から見て「普通」ではないのだろうか?
普通の生活、普通の人間とは、いったいなんなのか?
そんなことを問いかける小説でした。
主人公の古倉恵子(ふるくらけいこ)は、子供の頃から、「普通」について感覚が世間のそれとは異なる奇妙な子で、それを咎められ(とがめられ)、次第に社会との関わりを意識的に避けるようになっていました。
そんな恵子が大学1年生の時、コンビニの店員としてアルバイトすることになり、意識が変わります。
今まで自分は、世間の感覚とズレているので、このままでは社会に出られないと -
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小川洋子さんという小説家は、「妊娠カレンダー」という作品で芥川賞を受賞され、純文学の作家と認識していたのですが、この作品ではタイトルに「数式」という言葉があって、数学と純文学というある意味対極的なものが、どう融合するのだろうと思いながら読みました。
確かに、登場人物は限られており、物語の舞台は主に博士が住む家の書斎や居間ばかりで、ストーリーが次々と展開するわけではなく、限られた登場人物の心理描写に焦点が当てられている、という点では、確かに純文学でした。
ちなみに、ある本に書いてあったのですが、数学者は数に対する特別な思いや愛着をみんな持っていて、「素数」が好きな人って多いそうです。また、こ -
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クリスマスが好きでした。
サンタさんからプレゼントが貰えるからではなく、それも理由の一つかもしれませんが、「クリスマス」というだけでどうしようもなくワクワクしてしまうからです。
同じような理由で、祖母の家も大好きでした。そこで時々会える従姉妹と一緒にするゲームも。
僕はプレゼントやゲーム自体を一番に楽しんでいるわけではありませんでした。サンタさんという不思議な存在、または祖母の家に漂う安心感、従姉妹への頼もしさ、僕はこれらのささやかですが特別な感覚を味わい、大切にしていたのです。
しかし僕は、知らぬ間に、それらを少しずつ手放しています。ただ、それは避けられるものではなく、時には必要でもありま -
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若くしてガンに侵され余命を告げられた主人公の女性・海野 雫(33歳)が、瀬戸内の島のホスピスで残りの日々を過ごすことを決め、死に向き合いながらも、今生きている瞬間の大切さを感じつつ、優しい人たちに見守られながら穏やかにろうそくの火を燃やし尽くす、という感動的な物語でした。
この「ろうそくの火を燃やし尽くす」という表現は、小説の中に綴られた一節で、「人生というのは、つくづく、一本のろうそくに似ていると思います。ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら、自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないんです。」という、ある登場人物の言葉を使わせ -
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ファンダム経済の貢ぐ側、貢がせる側の視点で進む物語。
現代の「推し活」はメガチャーチ・マーケティングによって人々を盲目にさせているらしい。
私はどんな物語に操られているのか。
中高生の頃は四六時中頭がいっぱいになるほど、好きなアニメや小説に没頭していたが、年齢を重ねるにつれて没頭することが難しくなっている気がする。急に我に返ってしまうからだ。大人になった今でも好きなこと、「推し」に夢中になっているひとが羨ましかった。
だが、一歩間違えれば、抜け出せない物語の沼に嵌ってしまうことにもなるのだなあと。推し活をしている時間は楽しい。推しからの供給で一喜一憂し、次なる情報を追いかける。何も行動して -
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ネタバレちょっと昔、「インドに行って自分探しをしてくる」みたいな言説が流行った時期があって
それに対して「いやいや、インドで見つかる自分ってなんだよ(笑)」というカウンターまでがひとまとめだったのだけど。
よくよく考えてみると、インドという何もかも今までの常識が通じない場所に自分がどう対応するか……の部分がいわゆる「自分探し」なのだなぁ、という考えがふと思い起こされた。
この旅は、同情されたくないというエミルの逃避的な行動から始まっている。
旅の中では予測できないこと、自分からは出てこなかった発想、見ようと思わなかった景色、そんな様々な出来事が起きていく。
エミルもジョアンヌも人生に傷を抱えていたけ -
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『後宮の烏』2
当たり前のことをいうようだが、ちゃんと①から読むことをお勧めする。
主人公は勿論、脇を固める主要な登場人物の為人(背景などを含めた)。そして物語の進行と共に訪れる関係性の機微ー絶妙な距離感や心情の変化など。今後の展開における基盤/基軸となる重要な要素が、①〜②を徹して時系列と共に緻密に組み込まれている。
因みにTVアニメでの放映はこの②までで終了している(この先についての予定はない)。
そしてそれはすなわち物語として、一区切り(この先に噺が続くとしても)付くということでもある。
(※またここまでの主だった感想は①の方に記す)
余談ではあるが、実際③からは少しだけ“スケー -
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推し活という文化にハックされているわたしたちは、どうすればよかったのかな?
その推しにのめり込んで、自分の時間やお金を費やして、人生に何が残るの?
推すという行為そのものより、「推すための物語」が設計されている。
「この人には自分の応援が必要だ」「ここで自分が投票しなければ」「この人の成長を最後まで見届けたい」。そう感じている本人にとって、その感情はもちろん本物。でも、その本物の感情が生まれやすいように、運営側は情報を配置し、競争をつくり、ファン同士を連帯させる。
私たちは、この作品に出てくる誰かなんだよね。
ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、そこから距離を取った側。
ただ、『イ
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