小説・文芸の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
あなたは、珈琲はお好きだろうか?
お気に入りのカフェは?
あったとして、そのカフェの店主がオークで、もと傭兵。さらに、闊達で聡明な女性だったら?
このお話は、そんなカフェのおはなし。
店主の名はヴィヴ。腕が立って、格好良くて。
闊達で、優しい。シャイで、ね。
珈琲、私たちの世界でもおいしいけれど。
ヴィヴの世界では、まだ珍しいようで。
カフェラテは、受け入れられるのか?
正直に言うと、久しぶりの翻訳もの。久しぶりの創元。
ついでに言うと、久しぶりに夢中になって読んだ本。
洋物のファンタジー、私はあまり得意でなかったのだけど、これは……。
この本を珈琲の香りに包まれて読むために、わざわざスタバ行ってカフェミスト飲みながら読んだ。
うっかりソーセージパイなんて食べて、後悔したり。
だってね、ヴィヴの店には、シナモンロールが似合うと思って読んでいたら……。
いや。
夢中になりすぎて、一時間過ぎても居座りそうになったのは、ここだけの話。
ヴィヴがどう自分の店を軌道に乗せていくのか。
どんな人達と知り合うのか。
じっくり読んで頂きたい。
読み終わった頃には、すっかり私たちも常連になっている、と思うので。
ああ、本当に楽しかった。 -
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つい先日、因縁の能面検事こと不破俊太郎と法廷で争ったばかりだが、こんなにも早く再戦する機会が訪れるとは思っても・・・既に情報は入っていました!今回はどちらが勝つのか読む前から本当に楽しみ。前回みたいな先日手差し直しというのはマジでやめて!
今回の題材は元首相暗殺事件ということで、いやがおうでもアベノジケンを想起する。おいおい、いくらなんでもこの話題は炎上するぞと思うのだが、結果的にはそうさせない中山七里のテクニックを見せつけられることになった。そのテクニックとは、(1)殺害された元首相を自民党にしなかったこと(2)殺害されるのはドジョウに相当する地位の人(3)ドジョウの見た目から性格を作り出し、落ち目の政治家ということも似せている(4)ガイキチ大好きババアの敵を徹底的に貶め、地に落ちた野党を支持する人を激減させることで、批判が出ても全く数的に影響ないだろうと予想している。つまり、この日本でドジョウを支持する人間は殆ど根絶やし状態、だからこの小説は全く問題にならないと中山七里は推算しているのだろう。
ストーリーは、いつもどおり、読み始めたらやめられない止まらない仕組みとなっている。寝技に持ち込まれて全く体の自由が奪われて、知らない間に読み終えてしまうといういつものパターン。今回は弁護士会の柵、自分が顧問弁護士をしているお客さんに力を貸してもらったのがポイントだけど、ネタバレになるので詳細は割愛。そして、ドジョウをここまで・・・やるかね。ドジョウの熱烈な支援者から命を狙われないようにね、中山さん!
さて、いつものどんでん返し勝負は・・・犯人は当てたけど、その動機と殺害方法は全く思いつかなかった。うーーーーーん、勝負には勝ったけど、完全勝利と言うには程遠い。さすが、どんでん返しの閻魔大王だけのことはある。 -
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本書は、戦争や戦後のシベリア抑留の悲惨さを強烈に記している。
男性バレエダンサーと一人の女性看護士が紡いだ物語。
運命と簡単に言ってはならない、時代に翻弄されながら生き延びた二人。何も罪のない若者達が、こんなに悲惨な目にあっていたんだと改めて痛感した。
現代と過去の記憶で場面が切り替わるストーリーで、悲惨過ぎて目をつぶりたい場面も多々あったが、次々変わる展開が気になって時間を忘れ読み耽った。
第二世界大戦中、日本は何をやったのか、日本国民はどうだったのか、シベリア抑留とは?戦争後も?ソ連とはどういう国だったのか、色々考えさせられた。
未來永劫、戦争の悲惨さは語り継がれていかなくてはならないと感じた。 -
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ディストピア小説ととして有名なお話
原作は1949年に刊行
そして作者の命日が1950年1月21日(46歳没)
作者は、数十年後に世界がこんな風になっていると思っていたのかいなかったのか……
執筆された当時、世界はアメリカとソ連の二大勢力が対立する冷戦へと突入していた時期
ビッグ・ブラザーのモデルはソ連のスターリンなのでしょうね
東側諸国の全体主義の脅威に対する警鐘という意味合いをどうしても読み取ってしまう
作中の世界の現状
オセアニア、ユーラシア、イースタシアの三つの大国による戦争が起こっていると思われる
オセアニアの旧イギリスに住む党員は、テレスクリーンと呼ばれるモニタに党のプロパガンダ映像が常に流れ、内蔵されているマイクやカメラで常に監視されている生活
主人公のウィンストン・スミスは、党の発表した情報と現実の齟齬に対して、過去の記録を改竄する事で整合性を保つ省庁に勤務している
そんな生活の中、禁止されている日記を記録として残そうとしているところから物語は始まる
公に手に入れられる情報は過去に遡って改竄させられたもの
何が事実で真実かがまったくわからない社会
既存の言語は、ニュースピークと呼ばれる言語に置き換えられつつある
不適切な単語や不要な単語を排除し、簡略化した言語
人は存在しない言葉ではその事について考える事はできず、言語により思考の枠を決められている
ダブルシンク(二重思考)と呼ばれる、「矛盾した2つの信念を同時に持ち、同時に受け入れる」という思考能力がオセアニア国民には要求されている
二分間憎悪という、毎日仕事を中断してホールに集まり、大きなテレスクリーンの前で、党と人民の敵に対してありったけの憎悪を見せなければならない日課が課せられている
もうこの設定だけでもディストピア小説とわかる
そんな社会でもレジスタンスのような存在が噂されているが、実在するかは不明
また同じく、ビッグ・ブラザーの存在も確かではない
主人公のウィンストン・スミス
日々の生活に不満があるのかないのか
過去に目にした一枚の写真が、彼の党への不審感の目覚め
読者としては、いっそのこと長いものには巻かれろ的な生き方をした方が楽に生きられるのにと思ってしまう
でも、それこそが全体主義の狙いなのですけどね
ジュリアはオブライエンの手先の可能性がある
拷問を受けたような形跡はあるだろうか?
ウィンストンに近づいたタイミングも怪しい
政治的な思想もないのが怪しいけど、でも人を騙す目的があるとしたら、その辺まむしろ作り込んだ設定で演じそうかな
まぁだとしても、ウィンストンは党が禁止している恋愛や性愛によるハニートラップに引っかかってる時点で反体制的な人物ではある
後半、三国の戦争状態の真実(?)がわかるあたり、ちょっと恐ろしい
こんな社会なので、権力というものは他人よりも多くを得たい
でも、その権力は何かの為の権力ではなく、権力の為の権力という構造になっているあたりがエグい
それでもオブライエンはそこそこいい暮らしをしてるように見えるし
純粋に権力のためだけの権力でもない気がするけどね
同じくディストピア小説として有名な「華氏451度」(レイ・ブラッドベリ)では、過去の文書の改竄まで行っているのかは不明だけど
不都合な書物は焼いている
もしかして、1984のような世界の前段階なのかもしれないなぁ
他の人も言及している通り、作中のような状況が現実でも起こっている
監視カメラの普及や、SNS上での言論統制(言葉狩り)
直接的な単語が規制されても、スラングで表現できてしまうので、ここまでは行っていないけど
それでも、作中の色々な事がこの時代になって顕在化しているのは恐ろしい事ではある
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ディストピア小説の最高傑作。圧倒的リーダビリティの新訳版!解説・内田樹
1984年、世界は〈オセアニア〉〈ユーラシア〉〈イースタシア〉という3つの国に分割統治されていた。オセアニアは、ビッグ・ブラザー率いる一党独裁制。市中に「ビッグ・ブラザーは見ている」と書かれたポスターが張られ、国民はテレスクリーンと呼ばれる装置で24時間監視されていた。党員のウィンストン・スミスは、この絶対的統治に疑念を抱き、体制の転覆をもくろむ〈ブラザー連合〉に興味を持ちはじめていた。一方、美しい党員ジュリアと親密になり、隠れ家でひそかに逢瀬を重ねるようになる。つかの間、自由と生きる喜びを噛みしめるふたり。しかし、そこには、冷酷で絶望的な罠がしかけられていたのだった――。
全体主義が支配する近未来社会の恐怖を描いた本作品が、1949年に発表されるや、当時の東西冷戦が進む世界情勢を反映し、西側諸国で爆発的な支持を得た。1998年「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に、2002年には「史上最高の文学100」に選出され、その後も、思想・芸術など数多くの分野で多大な影響を与えつづけている。
解説・内田樹
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『容疑者Xの献身』を読んで、人を思う気持ちって、人間の行動にすごく大きな影響を与えるんだなと思った。湯川や草薙の友人に対する思いだったり、石神や工藤の愛だったり、理解するのが難しい部分もあったけれど、「誰かのために」という気持ちは、自分のためだけでは出せないような力を出させるものなんだと思った。
私は、自分のために頑張ることには、どうしても限界があると思っていて、守りたい人や愛する人、誰かのためにと思うからこそ、もう少し頑張ってみようと思えることがあると思う。だから、誰かのために頑張ることって、すごく美しくて綺麗なものにも見える。
でも、この本を読んで、その考え方が少し崩された気がする。誰かのためにという思いがあったとしても、罪のない人の命を奪っていいわけではないし、自分自身を犠牲にしてしまうことも違う。誰かを大切に思うことと、自分を犠牲にすることは同じではないんだと思った。
誰かを守りたい、幸せにしたいと思う気持ちは大切にしたい。でも、それだけではなくて、自分自身も幸せを掴まなくちゃいけない。誰かのために生きるのではなく、誰かを大切にしながら、自分も幸せになっていいんだと思えた。
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宿泊客と同様にキクチさんのミスリードに乗っかってしまった。
そら如何にも訳あってとなるやん。
このオーナー夫婦がとても良い人。小吉さんなんてそんな純粋に生きれるの?と疑ってしまうのは自分がひねているんだろうけど。
やり取りはコミカルなんだけど、虚栄心、恥など人の奥底の心理を絶妙に突いてくる。
躓いた人達がペンションに来て、夫婦と交流することで立ち直っていく、なんて有りがちで軽く思えるけど、軽くない。
ちゃんと小吉さんの言葉は入ってくる。
このまま終わらないで続いてほしいな。
最近、氏の作品が続いて書店に並んでいるのが嬉しい。次の作品も購入済。 -
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2079円
マルセル・デュシャン
(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス生まれの美術家[1]。20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。ローズ・セラヴィ(Rrose Sélavy)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨン(Jacques Villon, 1875年 - 1963年)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp-Villon, 1876年 - 1919年)も美術家。1955年、アメリカ国籍を取得した。近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされている[2][3][4]。
カルヴィン・トムキンズ
(Calvin Tomkins II、1925年12月17日 - 2026年3月20日)は、アメリカ合衆国の作家であり、『ザ・ニューヨーカー』誌の美術批評家であった。
「C T 何年かしてからだったと思います。というのも、そのインタビューのすぐあとに『ニューズウィーク』を辞めて『ニューヨーカー』に入ったんです。『ニューヨーカー』に書いた最初の長い記事は、一九六二年のジャン・ティンゲリのプロフィールでした。ティンゲリはスイスのキネティック・アートの人で、 MoMAの中庭で《ニューヨークへのオマージュ》というすばらしい作品をつくっていた。でっかい機械で、唯一の目的は自分自身を破壊すること、これを実にうまくやってのけていました。ティンゲリと話していると、しょっちゅうデュシャンのことが話題になるんです。《オマージュ》をつくりにこの国に来て、ティンゲリが最初に会ったのがデュシャンでした。でデュシャンはいろいろと彼の助けになってあげた。 MoMAの人はみんな知り合いでしたから。アルフレッド・バー( ★ 9)とは昔からの友だちで、デュシャンはあれ〔 =《ニューヨークへのオマージュ》〕を実現するときに肝腎かなめの役割を果たしたひとりだったと思います。ティンゲリについてはボブ〔 =ロバート〕・ラウシェンバーグにもインタビューしました。ティンゲリは彼に、その中庭の機械に何か貢献してくれと頼んでいたので。ボブの貢献は小銭を投げる機械仕掛けというものでした。」
—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著
「M D そう、絵というのは見物人との相互作用で出来ていく、ということ。それなしには、屋根裏にしまい込まれて消えてしまうでしょう。じっさいにアート作品が存在するということはなくなるでしょう。いつもふたつの極が基本にある。見物人と、つくる人。その双極作用が散らす火花が、何かを産み落とす──電気みたいに。アーティストが思考を生産するからといって、アーティストは偉大な思考者だ、なんて言っちゃあいけない。見物人が「何かしらすばらしいものをつくりましたね」と言うまでは、アーティストは何も生産していない。決め手のひとことを吐くのは見物人なんです。」
—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著
「M D うん、おもしろかったですね。そういうときは本物の遊び心がありましたよ。あと、そこにいる人たちが感じよくてね。つまり当時、シュルレアリストのあいだの内輪もめはそんなになかった──もっと団結していた。いまじゃあそんなのムリでしょうな。いま現在、若い世代はシュルレアリスムをクソマジメに扱ってるから、おかげでシュルレアリスムは退屈になってきてる。創意だの想像力だのがない。見たり聞いたりした思いつきは何でも利用して、金科玉条みたいに再利用するし、そのうち研究書でも書くんじゃあないか。[含み笑い] C T ダダイストたちからはちょっと距離を取っておられましたが、シュルレアリストたちとは積極的に関わられたみたいですね。 M D まあ、ダダのころは、わたしはまたここ、ニューヨークにいたわけです。パリに帰ることがあっても一、二か月ぐらいしかいなかった。連中〔 =ダダイスト〕の表現行動には加わらなかった。わたしは大根役者ってな態度を取ったことはないんだが、ダダであろうっていうんならそういう態度を取らんといかんかった。ひっきりなしに舞台に上がってパフォーマンスして、まったくバカげた朗読なんかするんだからね。[笑] それにわたしは表立った場所に出るのは大嫌いだった。そのあと勢いがつきました。いまじゃあ講演もできます。そういうようなことができる。好きじゃあないが、かまいやしない。シュルレアリストたちはそこまで芝居がかってはいなかった──動かない装飾みたいなもんです、シュルレアリスムの展覧会にあった表現形式みたいに。最後にやったのは三年前、ニューヨークのダーシー( ★ 17)のところ。あれはご覧になった?」
—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著
「C T なるほど。科学を、言ってみればアートを目的とした手段として使っておられるわけですね。
M D そう。他のものを避けるための。ひとつのゲームだった。」
—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著
「C T アートでいっぱいの人生を過ごしてこられました。でもあまりアートを信じてはいらっしゃらないみたいですね。 M D わたしはアートってものを信じない。アーティストってものを信じてます。」
—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著
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THE青春小説。
個人的に青春小説が好きだからなのか、
最後は電車の中で泣くのをメチャクチャ我慢しながら読んだ。
チアのことを全く知らなかったけれど、演技の様子を何となく想像しながら読み進めることができた。
全員が同じ価値観、モチベーションではなく、一人一人違った感情や葛藤がしっかり描かれているのが良かった。
学生時代って、自分が世界の中心で、自分が一番悩んでいるように思ってしまう。
でも、周りにいる一人一人にも、それぞれの人生やドラマがあるんだよな…
当時一緒にいた友達やクラスメイトにも、それぞれ自分には見えていなかった悩みや事情があったんだろうな…
とかそんなことを読みながら考えてしまった -
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ネタバレ【あらすじ】
身を焦がすような恋、結婚願望、自分を捨てた家族への想い……なくしたと思っていた感情が、ふと立ち上る瞬間がある。名前の付けられない、でも誰もが共感できる感情の綻びに寄り添い、心を解放してくれる6つの物語。
『兄嫁は「男の人はせっつくとすぐ逃げようとするし」とねっとりした笑いを含ませ兄の肩を叩く。身に覚えがあるでしょ、と夫婦だけの空気を醸されるのは交尾を見せつけられているみたいで気持ち悪かった』
『彼らの中では、わたしは「男の家に転がり込んだのに結婚してもらえないみじめな女」らしい。結婚「してくれた」から若月さんをもっと好きになるわけでも、結婚「してくれない」から嫌いになるわけでもないのに。わたしにとって結婚なんて「猛犬注意」や「抗菌加工済み」のシールと大差なかった。用できないし、本当だったとしても犯罪や病気のリスクをどの程度軽減できるかわかったものじゃない。当てにするのは勝手だけれど、兄たちは、婚姻という制度への仰をこっちにも強いてくる。』
『閉経すれば、いよいよ「母親にならなかった人生」が確定する。なれなかった、でも、間違いではない。生理が来ているからといって、この歳になって妊娠・出産が可能だとも思わないけれど、可能性が完全にゼロになるのとは違う。保は、この先新しい出会いがあるかもしれないから未確定だ。男は女より猫予があるし。』
『友人の前には、「バレエ」というプレートがかかった小さな扉があるのだろう。大人の身体では入れないそれはとうに閉ざされ、もう開くことはない。でも、娘のために開かれた扉から、中を覗き込むことならできる。夢とか希望を託すというのは、締め切られた可能性の先を垣間見ようとする、巻き戻しへの情熱なのかもしれない。』
『世間、社会、時代。どんどんアップデートされていく。結婚してもいい、しなくてもいい、出産してもいい、しなくてもいい。お茶汲みとかクリスマスケーキに喩えられた婚期とか、数々の不自由と闘ってきた先人たちのおかげで、いま、緋佐子は自由でいられる。』
『台所で作業している時にまとわりつかれると危ないし気が散るし、順わしかったはずなのに、あの、期待に満ち満ちて人間を見上げるきらきらした眼差しにはもう会えない。』
『子どもの察しのよさは、大人に便利に扱われてきた証拠みたいで哀しい。助かるよ、とか、ありがとね、という言葉でそっと口を塞がれて。』
『たぶん、手を繋げば繋ぐほど、ほどきたくなる人間なんだと思う。それが大切であればあるほど、振り切る自分の瞬発力や馬力を確かめられるから。姉の発作みたいな衝動について、選はそんなふうに理解していた。どんなにはた迷惑でも、姉本人にもどうしようもないんだろう、とも。愛しては捨てる不毛な繰り返し。捨てる瞬間がいちばんいとおしい。』
→私の知り合いにもリセット癖のある人がいて、ずっと理解できなかったけど、こういうことなんだろうと思った。
施設に入所しているおばあちゃんが、『にこにことかわいらしく笑っていてひと目で胸が詰まった。無邪気さというより、愛らしく振る舞わないと面倒を見てもらえない、人の庇護下でしか生きられない、か弱い生き物の本能みたいなものを感じてしまった。お年寄りのかわいさは、子どものそれより切実だ。』
『知らなかった悔しさは来歌さんのもの、言葉にしない痛みはそれを抱えた人たちのものです』
『他人に明け渡したくない思い出って、宝物でしょう』
【個人的な感想】
・月を経る
閉経目前にプロポーズされた女性の話。
自分が結婚も出産もせずにその歳になったら思うであろうことが沢山言語化されていた。
・すげぇ泣くじゃん
え!そういうこと!?って最後に真相が分かったらびっくり。
・たぶんそんな感じ
この3編が特に好きだった。
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