柴崎友香のレビュー一覧
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最初は遠い存在の3人が、どんどん近しい存在になっていく。
背が低くてかわいいねと言われることに対して、
「自分より背の高い女は嫌い」と思っている男に「かわいい」と言われることが悔しいという石原優子。
自分が傷ついたと思っていた過去を辿ると、相手を傷つけ怖がらせていたという反転した現実に向き合うことになる小坂圭太郎。
4年間付き合った人は、過去を話したがらない人だったけど、それは自分が悪いとわからないから説明できないだけなのかもと、友人との思い出話で気づく柳本れい。
10年前のある時間に同じ場所にいた3人。少しだけ「かすった」3人が、それぞれの場所でそれぞれの人生を生きてきた。
ただそれだけの、その断片を映し出した小説。
私たちも同じようにそれぞれの人生を生きているのだよねと、「無数の3人」のうちの1人として思う。
こういう描き方もあるんだね。 -
Posted by ブクログ
アパートの契約更新に伴い、知り合いの木村家の空いた一部屋に移ることにした田中真紀子。増改築を繰り返された木村家の、不思議な二階に引っ越してみると、木村家は木村イチロー以外、常時薄着で建築業の父、イラストレーターの姉、映画監督を目指す妹、そして現役女優のみすずと、予想外に個性的な人たちの集まりであった。どことなくお互いよそよそしい家族と、自由奔放で頻繁に家を空けるみすず。真紀子を介してか介せずか、家族が少しずつ動いていく。
うーん、不思議な感覚の小説。のっけから妙に読みにくい部分があると思ったら、芥川賞作家なのね。わざとなのかわざとでないのかわからぬが、「なになにが何々をして、なになには何々で、なになには・・・」といった具合に、半ページ以上が一つの文になっていて何なんだ?と思ったと思えば、会話でどんどん進む部分がある。
また、突然イチローには、ある1日を2回繰り返す能力があるであるとか、姉の文にはワープする能力があるとか、ほんとかどうかよくわからない話も出てくる。まあそこも話のキーになっていくわけであるが。
木村家のあっけらかんとした、一方で他人のような家族はドライでよい。しかし、なかなか語られない田中家については、なにか闇があるのだろうなあと引っかかりながらストーリーを進めることになる。
序盤では文章が長すぎて読みづらく、なかなかページがめくれないが、あるところからぐんぐん読み進められるようになったのは、慣れなのかそういう文章なのか不明。
それぞれのキャラクターや立ち位置、関係性が、希薄であってもわかりやすい部分があるため、ある意味純文学的な、例えばオカヤイヅミの漫画のような感じで、「理由がわからなかった」となる人はほとんどいないだろう。漫画化しても面白いかもしれない。
ただねえ、映画教室は登場当初からなんか嫌な感じではありましたね。こういうコミュニティは苦手だなと。 -
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待ち遠しいってどういう感じかな。
主人公は1人で無理もせず、多きな欲もなく平凡に過ごしていた。そんな中に、新しい大家さん、今まで隣にいたのに関わりのなかった若い夫婦が入り込んでくる。
私なら少し鬱陶しいかもと思うけど、昨今の隣の人も知らない中、少しだけならいいのかもと、読み進めるうちに感じた
「人と一緒にいるのはエネルギーがいるから、1人の時間にそれを貯めてる」主人公
「1人でいるのは寂しいから、賑やかな時間に力を貰う」ゆかりさん
私はどちらかといえば主人公寄りかな
と、咲希さんは今どうなんだろう、1人でいるのは辛いのか?と言うことが謎のまま思った。それが、ちょいと心残り。 -
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ネタバレ男女三人の登場人物が、2020年3月からの2年間、要はコロナ禍の間、それぞれの場所で、それぞれの暮らし、人生を、いかに送ったかが、微細ながら、淡々と紡がれる。
未曽有の国家的危機の最中、その9年まえの2011年の東日本での大震災や、さらにその前の阪神淡路の震災にも思いを馳せつつ、今を生きる市井の人びとの暮らしが、そこにある。
つまり、いろんな出来事があった「続き」の今であり、そんな中で、新たな暮らしぶりの「始まり」を描く物語。
ただ、いつまでたっても、その三人が絡んでこない。年代も、職種も、生活環境も、住む場所も異なる三人ゆえに、一向に人生が交差していかない。同じコロナ禍を過ごすことが、唯一の共通点で、なんとももどかしい。
が、終盤、やっと、一つの書物を通じて結びつく。あぁ、そういうことかと、やっと得心。
その本は、ポーランドの詩人、ノーベル文学賞受賞者である、ヴィスワヴァ・シンボルスカヤの『終わりと始まり』だ。
私自身も、この詩集をコロナ禍中(2022年10月)に書店で見つけ読んでみて、いたく心を打たれたもの。その時はもう、ウクライナ戦争も始まっていたので、これまでの何かが「終わり」、新たな何かの「始まり」を予感させるようなタイトルにドキっとしたもの。
本書の中の三者は、それ(ウクライナ戦争勃発)前に本書に触れていたという設定ではあるが、著者は、もしかしたら、私と同じころに本書に出会い、この物語を紡いだのかしれない。物語は、2022年2月まで綴られることから、そこはかとなく予想されるのだが、どうだろうか。
ただ、本書のタイトルを「続きと始まり」と、シンボルスカヤの詩集と少しニュアンスを変えている点が、お見事だと思った。
未曽有のパンデミックや、世界を巻き込むかのような、遠く忘れさられそうになっていた戦争というものが起こる今の世相を、これまでの時代の地続きと表現したのだろう。これまでの様々な要因の不用意な積み重ね、看過してきたことや、軽視してきた所業の続きとして、これからの未来が始まるとした。
今は、過去の子であり、未来は今の子。登場人物のなにげない日常も、連綿と未来へとつながっていくのだ。そう、我々の暮らしも、人生も、なにもかもが。