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4.3香里奈主演映画化原作! 待望の電子化!25才花屋の店長・松田真紀恵は、恋をする暇もなかった。 朝5時に花市場に仕入れに行き、一日の労働を終える頃にはすでに夜の9時。店の片付け→夕食→お風呂が済むと、もう起床時間までわずかに5時間しかない。 遊びに行くことはもちろん、流行りのドラマを見ることもできず、友達と長電話することはおろか、ペディキュアはいうに及ばずマニキュアを塗る時間もない。 そんなわけで、性格はきついわ、男っぽい言葉遣いながらものすごい美人なのに、もう1年11か月も恋をしていない。 ところが、恋の神様はどこかにいるもので――。
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4.6タイトルの意味がわかったとき、あなたの人生は大きく動く。 Audible人気作品ランキング第1位(2025/3/1~2025/3/31) 獲得! 泣けると大反響の小説が待望の書籍化! 喜多川泰・作家デビュー20周年の集大成となる最新作 【あらすじ】 高校を卒業後、楽に稼ぎ、好きなことをして遊んでいたいとバイトを転々とする日々を送っていた19歳の翔馬。 楽に稼げると聞いて飛び込んだ警備員バイトの仕事先は、まさかの大学の守衛室。 自分と年齢の変わらない学生たちに見られながら、老人と一緒に働くなんて……。 「遊ぶ金がたまったらとっとと辞めてやる」と後悔し始める翔馬。 しかし、一緒に働く松原、薮島、天野の過去を知り、翔馬の世界の見方は変わっていく。 仕事とは何か、人生とはなにか、生命のつながり…… 3人が自分の生きざまを通して教えてくれたのは、「未来の誰かの笑顔のために行動する」ということだった。 なぜなら、自分たちは皆、誰かの何かを「いただいて」生きているのだから。 守衛室で出会った人生の大先輩たちが押してくれた背中。 未来に向けて翔馬が決意したこととは? (本文抜粋) 自分は「未来の誰かの幸せのために働こう」なんて思ったことはなかった。 ずっと考えていたのは 「今の自分のお金のために」だ。 そのことに気づいた。 結果として、自分は幸せだなんて思ったことは一度もなかった。 いつだって何もかも思うようにいかなかったし、今の自分の状況を恨みこそすれ、感謝するなんて考えもしなかったのだ。 でも、天野の話に心が震えて仕方がないのはどうしてなのか。 認めたくないが自分が感動しているのがわかる。心の奥底で自分の魂が共鳴しているのが自分でもわかる。本当は自分もそういう男になりたいのだ。 (中略) 「俺も、そうなれますかね。天野さんや松原さんみたいに」 「え?」 「未来の誰かの笑顔のために、俺にできることってあるんすかね?」 天野は微笑んだ。 「もうやってるじゃない」
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4.6「報われない努力なんてない!」 累計135万部 喜多川泰、渾身の感動作が、 作家デビュー20周年記念プレミアムカバーで登場! *** 俳優、町田啓太さん推薦!!! 自分の心の在り方は、一瞬で変えられる。 「ん?なんだろう?面白そうかも。」 そんな何気ない気づきをきっかけに、 自らのハンドルを握ってみる。 すると、自分自身が変わり、 周りにも豊かさが広がっていく。 現状を好転させるチャンスは、 自分の心の中にこそ眠っている。 僕に“幸運のアンテナ”を立ててくれた、大切な一冊です。 *** あらすじーー 中年にして歩合制の保険営業に転職し、三年目の修一。 しかし、なかなか思うように成果が上がらない日々を過ごしていた。 ある日、唐突な担当顧客の大量解約を受け、 いよいよ金銭的にも精神的にも窮地に追いやられてしまう。 妻が楽しみにしていた海外旅行計画はキャンセルするしかない。 娘は不登校に陥っているうえに、今後の学費の工面も難しくなるだろう。 さらに長い間帰れていない実家で一人暮らしをしている、 母からの電話が心にのしかかる。 「……なんで俺ばっかりこんな目に合うんだよ」 思わず独り言を言ったそのとき、 ふと目の前に、タクシーが近づいてくるのに修一は気がつく。 それは乗客の「運」を「転」ずるという摩訶不思議なタクシーで――? *** 運が劇的に変わる時、場というのが、人生にはあります。あなたにも。 運はいいか悪いで表現するものじゃないんですよ。 使う・貯めるで表現するものなんです。 先に貯めるがあって、ある程度貯まったら使うができる。 運は後払いです。何もしていないのにいいことが起こったりしないんです。 周囲から運がいいと思われている人は、貯まったから使っただけです。―――本文より *** 【読者の皆様より感動の声、続々! 】 *** とても感動した。運は良い悪いではなく、貯めるか使うか。 (20代 男性) *** 報われない努力は実際あるけど絶対ない理由に感銘を受け、 苦しいことがあっても乗り越えていける自信がつきました。 今この時代にいる自分はどう生きていこうかがわかり、 書籍を読み終わったあとは心が温かく、笑みがこぼれていました。 不思議な運転者に私も会いたいような気がしましたが、 この本を読んで 間接的に運転者から大事なことを気づかせてもらったので 私も実践あるのみです。 自分がいかに恵まれているのかも納得しました。 (10代 女性) *** 途中から涙が止まりませんでした。 人の愛情。 ご縁。 私も同じ考え方ですが まだまだ行動が少ないので 微力でも、もっと次の日本、世界の為に頑張ろう、と思えました。 自分の生かされている意味が実感出来る人生をいきたいと思わしてくれる素敵な物語でした。 (60代、女性) ***
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-漂流する現代家族をラディカルに描く傑作長篇!――かつて姉妹漫才で鳴らした鈴子・鈴江。今はカンペキ主婦に身をやつす姉と、独身の物書きとして芸界の周辺に生きる妹。正反対のようで同じ血縁という強烈な磁力に搦めとられて彷徨う二人の日常の背後に、狂女逆髪と盲人の琵琶法師の姉弟が織りなす謡曲「蝉丸」の悽愴な光景を幻視、富岡節ともいうべき強靭な語りの文体で活写。『冥途の家族』『芻狗』など、家族や性をテーマに書き続けてきた著者の到達点とされる傑作。 ※本書は、『富岡多惠子集6 小説5』(1999年6月、筑摩書房刊)を底本として使用しました。著者の一閲を得て誤植を正し、振り仮名を多少増やすなどしましたが、原則として底本に従いました。
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3.7傑作『日本文学盛衰史』に先立ち一九九六年に連載され、五年間の熟成期間を経て二一世紀最初の年末に単行本が刊行された『ゴヂラ』――。 二〇世紀末の西武池袋線石神井公園駅付近の一見平凡な住人たちが同時多発的に異様な状況に巻き込まれてしまう。 これは局所的ではなく、世界全体に同時多発的に起きている異変なのだ。 夏目漱石と森鴎外が結託して悪事を教唆し、詩人は石神井の町から出られなくない、火星人が石神井に襲来する…… あまりに逸脱した展開に、「作者からのお知らせ」までもが入りこむ。 そして、はたしてゴヂラは現れるのか? 世紀をまたいで書き上げられた怪作、初めての文庫化。
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-小説家としての新境地に至った『楽天記』の連載中の1991年2月から4月にかけて、古井由吉は頸椎間板ヘルニアにより約50日間の入院を余儀なくされる。その経験は小説『楽天記』そのものに影響を及ぼしたであろうことは予想に難くないが、直接的には連載完結後の1992年に次々と雑誌に掲載された対談において詳しく語られることになる。 本書冒頭に置かれた江藤淳との「病気について」はそのストレートな表題もさることながら、病が精神にいかに影響するかという体験を、一見嬉々として語り合っているだけのようだ。しかし、それは迂回しながら肉体というものの本質に迫ろうという試みであったろう。 次の吉本隆明との「漱石的時間の生命力」では直接的に古井の病については触れられていない。しかし、モチーフは「夏目漱石」である。非常に精神的に追い詰められた感のある文学者をめぐるやりとりである。また、漱石を扱うということで、先の江藤との対談をひそかにではあるが承けてもいる。ここでは静かに不穏な空気が満ちていくのである。 続く平出隆との「「楽天」を生きる」と松浦寿輝との「「私」と「言語」の間で」は、年少のきわめて鋭敏な感覚を持つ詩人と、胸襟を開いて会話を楽しんでいるように見える。平出とは『楽天記』という作品について、また松浦とは古井流の散文表現そのものについて、それぞれ深いところまで語っている。 解剖学者養老孟司との短い対談「身体を言語化すると……」では、身体と文学作品の関係についてテンポよく展開されている。使われる表現も平易で、とてもわかりやすい。 掉尾を飾る大江健三郎との「小説・死と再生」は、同時代を生き、かつ年齢の近いもっともすぐれた小説家同士による対話であり、まさに談論風発、小説という表現についてあらゆる角度から話そうとする試みが、読む者を元気づけてくれる。この二人の小説家が歩んだのは、けっして楽な道ではなかったろうが、振り返ってみると素晴らしい旅だったのではないかと想像できるのである。 1990年代初頭という現代日本の曲がり角において作家古井由吉の感じていたリアルを追体験できる貴重な言葉の集積として、この『小説家の帰還 古井由吉対談集』は2024年に再生するのである。
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3.014歳の夏休みに、養家の盛岡を訪れ、そこで知った親戚の少女に淡い恋心を抱いた思い出を語る表題作。家を出て、大阪での芸者との恋愛・結婚の経緯を清新に描いた「妻を買う経験」等、自伝とフィクションを綯い交ぜに、流暢な文体と精妙な会話で、人の心の機微を巧みに描いた名作5篇を収録。明治、大正、昭和の文芸界を悠々と生き抜いた「馬鹿正直」で「一徹」で「涙脆い」、白樺派最後の文士・里見弴の真骨頂。 人の生の営みの機微を描いた心温まる短篇集――“最後の文士”里見は、94歳の最期まで現役作家として活躍した。抒情的で穏やかな、哀愁を帯びた感動を与える私小説の世界。読売文学賞受賞の表題作他6篇。
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3.5「海松」を超えた、究極の「半島物語」。東京を離れ、志摩半島を望む町で暮らし始めた中年女性。孤独な暮らしのなか、彼女がそこで見つめたものは? 川端賞受賞作「海松」を超えた、究極の「半島物語」。谷崎潤一郎賞、中日文化賞、親鸞賞受賞作! その春、「私」は半島に来た。森と海のそば、美しい「休暇」を過ごすつもりで――。たったひとりで、もう一度、人生を始めるために――。川端賞受賞の名作「海松(みる)」を超えた、究極の「半島小説」 顔を上げると、樹間で朝を待つものたちの気配がした。たぶんメジロやウグイス。どこに巣があるのかわからないが、葉擦れや枝のこすれとは違う音がする。寝覚めの脳に届いたのは身じろぎする鳥たちの気配だったのかもしれない。やがて、森のあちこちに青みを帯びた筋が差しこむ。樹間に広がる光の筋は、やがて明るい金色を帯びていった。途端に森の奥から、鳥の声がにぎやかに聞えてきた。なかに「リッカ、リッカ、ピイィ」と鳴く鳥がいる。そういえば、今日は立夏。東京から半島にきて、もう一ヵ月がたっていた。――<本文より> 第47回谷崎潤一郎賞受賞作 解説・木村朗子
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-家業の理髪店で理髪師として出発し、石田波郷門下で句作の道へ。その後、横光利一に師事して小説を書き始め、55年に本書が直木賞候補作となる。選考会では小島政二郎から「ホンモノのリズムが打っている」と絶賛されるが、他の選考委員から「エッセイではないか」「自然すぎる」と批判され、落選。しかしその文章が放つ独特なユーモアと哀感が多くの読者を魅了しつづけ、「名文家」として根強いファンを持つ。「氏の筆の巧妙な幻術に引っかかって(中略)一々事実であると鵜呑みにしないよう」(山本健吉「跋」)ご用心のうえ、この「不世出の作家」が編み出す小説の醍醐味をご堪能あれ。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ■■バルザック研究の第一人者・私市保彦がおくる、 現代と過去を融合させた冒険ファンタジー■■ つらいイジメに悩んだ過去を今も引きずる高校生・タケシ。あるときから、彼の住む町では<影が薄くなる>という不思議な病が蔓延しはじめる。影が薄くなった人は、しまいには亡くなってしまうのだ。 タケシの妹・マリーは、「豊年満作」を祈願する祭で、金のバチで太鼓を打つ聖女に選ばれていた。ある日突然、金のバチが盗まれ、マリーも姿を消す。実は、これらはすべて、地底の龍魔王の仕業だった。龍魔王は、聖女・マリーに霊力のある金のバチで太鼓を打たせ、地底と地上の世界を悪で支配することを企んでいたのだ。 タケシはマリーを救うため、ふしぎなきっかけで自分と合体した先祖の「三郎蛇」とともに、地底の龍魔王を倒す旅に出ることになる。地底では、霊力をもった鹿族の長老「鹿男」や、三郎の地底での妻の妹「月姫」と出会い、助けられながら龍魔王の潜む地底の奥深い地へ向かうが、途中、龍魔王の手下たちからさまざまに攻撃をうける。 また、龍魔王のせいで大切な資源を失い、災厄に襲われている「桶造りの里」と「紙漉きの里」を訪れ、その被害を目の当たりにして、タケシは怒りを募らせる。 龍魔王のもとへ行くには、三つの厳しい山、「炎の山」、「氷雪の山」、「〈大化け〉の山」を越えねばならなかった。臆病で、自分に自信を持てないタケシだったが、妹・マリーのため、自分を信頼し、助けてくれる地底の人々のため、それぞれの山に挑み、龍魔王に立ち向かうことを決意する――。
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5.0巻頭に置かれるのは、夢野久作が読書界から顧みられることのほとんどなかった1962年に鶴見俊輔が雑誌「思想の科学」に発表した「ドグラ・マグラの世界」である。この評論により、日本の戦後期には忘れられた存在となっていた夢野久作は「再発見」される。 「ドグラ・マグラの世界」の発表がきっかけとなり、鶴見と夢野久作の長男である杉山龍丸の交流が生ずる。やがて杉山龍丸の著書や杉山が編纂した夢野久作の日記などを資料としてじゅうぶんに咀嚼したうえで、鶴見は夢野久作論『夢野久作 迷宮の住人』が書き下ろされる 夢野久作について少年期の鶴見俊輔が出会った夢野久作の『犬神博士』の紹介から、『夢野久作 迷宮の住人』の第一部は始まる。そして『氷の涯』という日本軍のシベリア出兵をモチーフにした作品、さらに異色の長篇推理小説『ドグラ・マグラ』へ。そして、これらの作品が昭和初期の読者にどのように受けとめられたのかと問いが生まれる。 第二部では作家夢野久作の本名である杉山泰道の側からその生涯が辿られる。泰道の伝記的事実の多くは、さらにその長男杉山龍丸の著書によるが、伝記的事実と時代背景を結びつけて読み解くことで、より作品世界に深くわけ入ることができる。 第三部では、夢野作品受容の変遷が綴られる。江戸川乱歩ほか同時代の探偵作家たちにはやはり異形のものとして解されている。しかし年少の読者だった福永武彦や中井英夫たちには強烈な印象が残っていた。敗戦後、占領期に夢野久作が思いおこされることはなかったが、1960年を境にふたたび関心が寄せられるようになり、作品研究・分析が進む。そこで見えてきたものは、中央から遠い地方で、土地の日常言語を駆使して人間の根本問題に迫る、きわめて独創的な作家の姿であった。 本書により、夢野久作というきわめて独自性に満ちた作家に多角的に光が当てられ、読者にとってもそのイメージが鮮明となることが期待される。
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4.1報われない努力なんてない! 累計115万部 喜多川泰、渾身の感動作がプレミアムカバーで登場! ★プレミアムカバー限定の購入者特典「特別原稿 プレミアムカバーに寄せて」付き あらすじーー 中年にして歩合制の保険営業に転職し、三年目の修一 しかし、なかなか思うように成果が上がらない日々を過ごしていた。 ある日、唐突な担当顧客の大量解約を受け、 いよいよ金銭的にも精神的にも窮地に追いやられてしまう。 妻が楽しみにしていた海外旅行計画はキャンセルするしかない。 娘は不登校に陥っているうえに、今後の学費の工面も難しくなるだろう。 さらに長い間帰れていない実家で一人暮らしをしている、 母からの電話が心にのしかかる。 「……なんで俺ばっかりこんな目に合うんだよ」 思わず独り言を言ったそのとき、 ふと目の前に、タクシーが近づいてくるのに修一は気がつく。 それは乗客の「運」を「転」ずるという摩訶不思議なタクシーで――? 運が劇的に変わる時、場というのが、人生にはあります。あなたにも。 運はいいか悪いで表現するものじゃないんですよ。 使う・貯めるで表現するものなんです。 先に貯めるがあって、ある程度貯まったら使うができる。 運は後払いです。何もしていないのにいいことが起こったりしないんです。 周囲から運がいいと思われている人は、貯まったから使っただけです。―――本文より 【読者の皆様より感動の声、続々! 】 何かあると人のせいやその環境のせいにしてしまいがちですが、自分の行いや態度はどうだったのか? 直せる部分、我慢する部分、人に合わせる部分、感謝する気持ちはちゃんと出来ていただろうかと今一度、 立ち止まって振り返ることの大切さが良くわかりました。 (40代 女性) SNSでお勧めされているのを見て、読んでみたい!と思い購入しました。 『運』について考えることがあり、自分はついてるのかついてないのかどうなんだ?と思っていましたが、 なんだか心のモヤモヤが晴れた気がします。 (30代 女性) 途中から涙が止まりませんでした。 人の愛情。 ご縁。 私も同じ考え方ですが まだまだ行動が少ないので 微力でも、もっと次の日本、世界の為に頑張ろう、と思えました。 自分の生かされている意味が実感出来る人生をいきたいと思わしてくれる素敵な物語でした。 (60代、女性)
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-老小説家の父親の出生地、岐阜県各務原市での講演という体で小説は書き始められる。その講演では岐阜近辺出身の文人が次々に召喚され、文化的磁場としての岐阜について語られるかと思いきや、認知症が進行していく妻とのやり取りの場面が挿入される。老小説家が関心を持って接してきた遠い過去からごく最近までの文学者たちの言葉と、日常生活を営むことが困難になりつつある妻の言葉が折り重なるように記されつづけたその奥からぼんやりと見えてくるのは、齢八十代半ばに至り健康体とはいえない老小説家が、どうしようもなく疲労しつつも生きて書くことの闘いをやめようとしない姿である。
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-夫と死別し、神とは何かを求めてパリに飛び立った私。極限の信仰を求めてプスチニアと呼ばれる、貧しい小さな部屋に辿り着くが、そこは日常の生活に必要なもの一切を捨て切った荒涼とした砂漠のような部屋。個人としての「亡命」とは、神とは、宗教とは何か。異邦人として暮らし、神の沈黙と深く向きあう魂の巡礼、天路歴程の静謐な旅。 著者を敬愛する芥川賞作家石沢麻依による解説を巻末収録。 "……私は、内部からパアッと照らしだす光の中にいた。生まれて以来、何処にいても、居場所でないと感じつづけた、わけが、わかった。わかった、わかった。と、何かが叫んでいた。逆なのです、わたしたちすべて、人間すべて、あちらからこちらへ亡命してきているのです。あちらへと亡命するのではなく、この亡命地からあちらへ帰っていくのです。かつて、そこに居たのですから。”──本文より 芥川賞作家石沢麻依さん大推薦! 待望の文芸文庫化。 「『亡命者』は私にとっても思い入れの深い作品です。初めて読んだ時は、それまでの作風との違いに困惑したものの、最後のページにたどり着く頃には、深い白と青の光景に言葉を失くしました。入れ子構造の巡礼世界に、こんな領域まで言葉がたどり着けるのか、と畏れも感じた覚えがあります。そして、現在、自分がドイツにいることにより、個人としての「亡命」とは何なのかを考えさせられています。」
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3.5私が漱石山房に出入したのは明治四十年から大正五年先生が亡くなられた時まで、十年間である。その間に私はただの一度も先生に叱られることがなかった。それは私が入門した時の事情から、先生がとくに私の神経をいたわって下さったということもあろうが、とにかく私は一度も先生から叱られたことがなかった。それで私は先生を恐いと思ったことがなかった。神経衰弱でいじけており、この偉い先生の前で畏まってはいたが、恐いと思ったことは一度もなかった。こんな優しい人が世にあろうかと先生の在世中も思いつづけたし、死後の現在でもあんな優しい人には二度と遭えないと信じている。(「世にも優しい人」) 漱石晩年の弟子の眼に映じた師とその家族の姿、先輩たちのふるまい……。文豪の風貌を知るうえの最良の一冊。
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5.0すべて素顔の私。私らしい文章40篇を厳選――小説の中に表われる作家の分身……。自身そのように小説を書いてきたけれど、それは、<私>という人間そのものでは、決してない。おさない頃の京都の記憶、日々の生活を楽しんだ鎌倉、親しい友との旅、出会い、そしてパリでの霊的体験……。書きつづってきた文章の中から、40篇を選び出してみた、ほんとうの<私>をわかっていただくために。 ◎高橋たか子「今、人生の最終段階にいる私は、私という者が大体どういう者であったかを、すくなくとも、すでに書いたエッセイをざっと並べる形において、わかっていただきたい、と思う。大体、と書いたが、全体は神のみぞ知る。<「著者から読者へ」より>
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-冒頭に置かれた「死の国の世代へ」は「闘争開始宣言」という副題を持つ詩である。そこでは誰の保護も受けずに生きた個人のイメージが描かれる。 60年安保闘争での敗北を経て書かれた「擬制の終焉」では社会党や共産党などの党派的な左翼運動や市民・民主主義的な啓蒙主義を完全に否定し、真の前衛運動ないし市民運動の成長に期待を寄せた。 1969年、東大安田講堂に籠もった学生が警察力によって排除された直後に書かれた「収拾の論理」において、丸山真男に代表される大学の知識人の欺瞞を批判し、徹底的に論争を続ける旨宣言して結ばれる。 日本がバブル景気で沸き立っていた1988年に書かれた「七〇年代のアメリカまで」では、その後の東西冷戦終結でアメリカ合衆国が唯一の超大国となる……というあまりに単純化された物言いとまったく異なるアメリカへの視線が浮かび上がっている。 本書に収録された13篇がモチーフとするのは60年安保闘争や全共闘運動といった過去の出来事だが、むしろ執筆当時の文脈から切り離されて現代において読まれてこそ、個人と権力の関係をより切実に感ずることができ、その真価を発揮するものと思われる。
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-独自の創作理論を打ち立てた、二大巨人による実践的文学論。文学の<現在>はここから始まる――独自の文学世界を打ち立てた二大巨人=小島信夫&森敦による長篇対談。昭和20年代半ばからの知己である二人が、これまでの交遊を振り返りつつ、創作理論の<現在>を縦横に語り合う。悲劇と喜劇、内部と外部、小説におけるモデル問題、夢と幻想、演劇論など、多岐にわたるテーマを通して、二人の文学の根柢に迫る、スリリングでアットホームな試み。幻の未刊長篇対談、待望の文庫化。 ◎小島信夫「この対話は色々の問題をもってきて、互いに論じるというようなものとは大分ちがう。問題も材料も互い自身である。これは息苦しいものであるし、空を切ることもあるので、ときどき散歩をすることもある。ときには、自分自身をダマす必要もある。(略)今月、悲劇、喜劇という言葉が出現して、私は刺戟をうけた。まどろみかけた目がひらいた思いがした。(略)今回のような談話の中での文脈の中でおどり出たのだから、これは生きた言葉である。生きた言葉であるだけに、今後何度も俎上にのぼり、たのしまなければならない。」<「第四回・追記」より>
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-「戦後文学」をどう評価するか? 敗戦後34年を経て、詩誌「荒地」時代からの友人である典型的な戦中派の二人が、社会と文学の動向を縦横に論じ、戦後文学史に新たな視座を提示した、衝撃の対談集――詩誌「荒地」に拠って、戦後現代詩を主導してきた鮎川信夫。詩人として、また文学と思想の新たな理論を展開し、現代をリードしてきた吉本隆明。戦中派の巨人ふたりが、敗戦の衝撃から、身を以て戦後文学史を生きてきた34年を振り返り、社会と文学の動向を鋭く問う。第一次戦後派の限界、江藤淳批判、ソルジェニツィン『収容所群島』の現代史的問題、現代文学の変質など、白熱の議論を交わした対談集。「戦後文学」との別離を告げた記念碑的作品。
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3.0「凡庸さは金になる。それがいけない。何とかそれを変えてやりたいと思い悩みながら、何世紀もの時間が無駄に過ぎてしまった」――28年間の会社員生活を終え自由の身となった小説家。並外れた美貌を持ちながら結婚に破れた女優。「鳥獣戯画」を今に伝える高山寺を興した高僧明恵。父親になる三十歳の私。恋をする十七歳の私。時を超え、主体を超え、物語は旋回していく。語りの力で何者にもなりえ、何処へでも行くことができる小説の可能性を、極限まで追い求めた谷崎賞作家最大級の野心作「鳥獣戯画」。単行本未収録の傑作短篇「我が人生最悪の時」を併録。自筆年譜付きの決定版。
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5.0あなたの愛するペットはどのような思いで最期を迎えたのでしょうか? 様々な死の場面を経験してきた現役外科医が、その培った死生観を基にペットの死を語った。 松本孝雄は消化器外科医である。松本家の愛犬ナサは悪性リンパ腫を患い、抗癌剤治療を行ったが亡くなった。松本は鼠径部のリンパ節腫脹に気付いた。精査の結果、ナサと同じ悪性リンパ腫と診断され、抗癌剤治療を開始した。松本はその治療の過程で、ナサの思いを知ることとなる。 ペットは我々に何も語らずに最期を迎える。しかし、共に過ごした家族には、何らの感情を抱き、何かを伝えようとし、そしてその瞬間を迎えるのであろう。 それはどのような思いか? この本はヒントを与えてくれる。
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4.0現実と非現実の交錯を描く芥川賞受賞作。石に異常な執着を示す男の人生。長男の死、妻の狂気、次男の学生運動、夢と現実の交錯のなかで描かれる奥泉光の芥川賞受賞作。他に「浪漫的な行軍の記録」所収――太平洋戦争末期、レイテで、真名瀬は石に魅せられる。戦後も、石に対する執着は、異常にも思えるほど続くが、やがて、子供たちは死に弄ばれ、妻は狂気に向かう。現実と非現実が交錯する、芥川賞受賞作「石の来歴」。兵士たちの、いつ終わるとも知れぬ時空を超えた進軍、極限状況の中でみたものは……。帝国陸軍兵士の夢と現を描く、渾身の力作、「浪漫的な行軍の記録」所収。
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-東京下町の思い出、四季折々変化する鎌倉の風物、昭和文士たちとの友情、懐かしさ溢れる名随筆の数々――作家としての早熟な才能を示した東京・神田育ちの青年は、菊池寛に誘われ文藝春秋社で編集者となった。しかし敗戦後は社を去り、以後筆一本の暮らしに入る……。人生の断片を印象鮮やかに描き出す短篇小説の達人が、横光利一、小林秀雄、井伏鱒二ら文学者との深い交流や、さりげなくも捨てがたい日常・身辺の雑事を、透徹した視線と達意の文章で綴った、珠玉の名随筆59篇。 ◎「自分の小さかった時のことを思い出してみて、夜なべに針仕事をする母のすぐ脇に、寝床を寄せて眼をつむっていると、なに一つ言葉を交わすのでもないのに、うれしくてうれしくて、眠ったふりをしながら、いつまでも眠らずにこうしていたいと思ったことがあったし、銭湯の帰り道、父と二人並んで歩いていると、まっくらな中で、これが自分と父なのだという、きわめて自然な血のつながりを感じたこともあった。」
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3.0はかなく取りとめない日常の中に現代の至福を描き出す長篇小説。家族を愛し人生を慈しむ――丘の上に住む作家一家。息子たちは高校生・大学生になり、嫁いだ娘も赤ん坊を背負ってしばしばやってくる。ある時から作家は机の前に視点を定め、外に向いては木、花、野鳥など身近な自然の日々の移ろいを、内では、家族に生起する悲喜交々の小事件を、揺るぎない観察眼と無限の愛情を以て、時の流れの中に描き留めた。名作『夕べの雲』『絵合せ』に続く充実期の作家が、大いなる実験精神で取り組んだ長篇。 ◎庭に来る鳥や、庭の樹木から書き起こされる章が多いが、人の心が自然現象のなかに融け、照らし出されているように感じられる。八章には、「四十雀が飛び立ったあと、水盤の水に映った空が揺れている。」という小景描写があった。水面が揺れているのではなく空が揺れている。こんなところを読むと、今、見ているような気がする。昭和の小説には、このような豊かさがあった。<小池昌代「解説」より>
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4.0江藤文学への最高の入門書。『漱石とその時代』執筆当時に行った、若き著者の知性とユーモア溢れる講演録。表題作の他「転換期の指導者像」「英語と私」など、全6編――アメリカから帰国し、名作『漱石とその時代』を準備中の、1968年から69年にかけて行われた若き日の6つの講演。現代における真の「英知」とは何か……歴史を探り、人物を語り、表現の謎に迫り、大学や国際化の意味を問う。軽妙なユーモアと明快な論理、臨場感あふれる語り口で、読者を一気に江藤文学の核心へといざなう。多くの復刊待望の応え、甦った歴史的名講演集。 ※本書は、講談社文庫『考えるよろこび』(1974年9月)を底本としました。
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4.0こよなく愛したC・ラムを巡る英国への旅。香り高き紀行文学――英国の名文家として知られ、今もなお読み継がれているチャールズ・ラム(1775~1834)をこよなく愛した著者が、ロンドンを中心に、ラムゆかりの地を訪れた旅行記。時代を超えた瞑想が、ラムへの深い想いを伝え、英国の食文化や店内の鮮やかな描写、華やかなる舞台、夫人とのなにげない散歩が、我々を旅へと誘ってくれる。豊かな時間の流れは、滞在記を香り高い「紀行文学」へ。 ◎「この『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』では、作者がいわばロンドンの空気の中に丸ごと溶け込み、心ゆくまでロンドンという大都会の古びた湯船にゆったりと身を横たえ、ラムへの尽きぬ思いに浸っているということだろう。この滞在記にただよう一種沁み沁みとした哀感は、ここに由来する。」<井内雄四郎「解説」より>
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4.3その予感は娘の発作で始まった。極限の恐怖に誘われる衝撃の作品――平和な家庭での、いつもの風景の中に忍び込む、ある予兆。それは、幼い娘の、いつもと違う行動だった。やがて、その予感は、激しい発作として表れる。<破傷風>に罹った娘の想像を絶する病いと、疲労困憊し感染への恐怖に取りつかれる夫婦。平穏な日常から不条理な災厄に襲われた崇高な人間ドラマを、見事に描いた衝撃作。 ◎距離が伸びる時には父親として病気に向き合い、距離が縮む時、一人の人間として感染症の恐怖に怯える中で語られる心の葛藤は、医学小説のそれではなく、もちろん恐怖小説のものでもなく、強いて言うなら、極めて純粋な戦記文学を読んでいる印象です。確かに、今まで読んだ全ての小説の中で、病棟という「戦場」の真実がここまで正確に描かれた作品を知りません。<石黒達昌「解説」より>
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4.0平凡な家庭を持つ刑務官の平穏な日常と、死を目前にした死刑囚の非日常を対比させ、死刑執行日に到るまでの担当刑務官と死刑囚の心の動きを、緊迫感のある会話と硬質な文体で簡潔に綴る、芥川賞受賞作「夏の流れ」。稲妻に染まるイヌワシを幻想的に描いた「稲妻の鳥」。ほかに、「その日は船で」「雁風呂」「血と水の匂い」「夜は真夜中」「チャボと湖」など、初期の代表作7篇を収録。 ◎「丸山健二の文学性は、ジェームズ・ジョイスに通じる。本作品集に収録されている初期短編を改めて読みながら、私はそう思った。(中略)すぐれた芸術家は生涯を通して変貌を続けるが、若き日の作品群は作品を受容する側にとっての定点を提供する。ピカソのキュビズムは、初期の見事な絵画によって担保される。このような文脈において、本文庫に収められた初期の短編の数々は、弱冠23歳で芥川賞を受賞し、長年文壇と一線を画して孤高の道を歩んできた丸山健二の文学の全体像を理解する上で、重要な意味を持つのではないか。」<茂木健一郎「解説」より>
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3.0二つの国と二つの言語。夭逝した芥川賞作家の内面の葛藤を描く長篇小説――若くして亡くなった、在日韓国人女性作家。日本で生まれ育ち、韓国人の血にわだかまりつつも、日本人化している自分へのいらだちとコンプレックス。母国に留学し直面した、その国の理想と現実への想い。芥川賞作家の女の「生理」の時間の過程を熱く語る長篇と、「私にとっての母国と日本」という1990年にソウルで、元原稿は直接韓国語で書かれた講演を収録。 ◎アイデンティティを追求した李良枝の私小説は、「目に見えない」心のミステリーを解明しようとした鮮烈なテキストなのである。日本から、見知らぬ「母国」へやってきた「刻」の主人公は、だから、母語ではない母国語の文字の前で落ち着きを失う。その「私」の1日においては、だから、一刻一刻、親近感と距離感の間で心のゆらぎを覚えて、最終的には選ぶことができないのだろう。<リービ英雄「解説」より>
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5.0抜群におもしろい文芸時評の白眉――1977年から78年にわたり、初期代表作となる『マルクスその可能性の中心』、『日本近代文学の起源』と並行して書かれた、著者唯一の文芸時評集。100人近い現役作家を俎上に載せた短い<時評>と<感想>に、この類稀な批評家のエッセンスが凝縮し、横溢する。転換期に立つ「近代文学」の終焉を明瞭化した記念碑にして、これから文学にかかわる者の、必読の書。 ◎「……この『反文学論』は、著者の批評活動すべてが圧縮されたものだと言える。読者は、本書に対して、まるで「柄谷行人」という映画の予告編をみているような印象をもつであろう。そのことを可能としているのは、ひとえに本書が「文芸時評」という制約を受けていることによるのだ。」<池田雄一「解説」より> ※本書は、1991年11月『反文学論』(講談社学術文庫)を底本としました。
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4.0闘う知性が読み解く、事件としての安吾と中上――日本の怠惰な知性の伝統の中で、「事件」として登場した坂口安吾と中上健次。二人は、近代文学の根源へ遡行しつつ、「自然主義」と「物語」の止揚を目指す。安吾は、自らを突き放すような他者性に文学の「ふるさと」を見出し、中上は、構造に還元することなく、歴史の現在性としての「路地」と格闘する。闘う知性としての安吾と中上を論じた、74年から95年までの批評を集成した、伊藤整文学賞受賞作。 ◎「文学」とは、どんな秩序にも属さず、たえず枠組を破ってしまう荒ぶる魂であった。文学をやっている人がすべてそうなのではない。むしろその反対である。文学という枠組を吹き飛ばすようなもの、それが「文学」だった。私と中上は文壇において暴風雨のような存在であった。そして、われわれがともに敬愛していたのが坂口安吾である。(中略)私は安吾を高く評価していた。しかし、小説家としてではない。私にとって、彼の作品は、哲学であり、歴史学であり、心理学あり……、それらすべてをふくむ何か、要するに、「文学」であった。<「著者から読者へ」より>
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-懐かしの童謡、唱歌の世界。歌でたどる都市の風俗――折口信夫の高弟にして、日本芸能研究の重鎮である著者の歌と言葉をめぐる軽妙なエッセイの数々。小学生時代と重なる大正期、その時、口ずさんだ童謡や唱歌を記憶のなかから甦らせ、都市の風俗と言語生活の変遷をたどり、宝塚少女歌劇から戦後の歌謡曲まで、そこに息づく庶民の心を読み解く。軍歌の一方的排斥に異を唱え、歌詞のなかの言葉遣いへの辛辣な評言も著者ならでは。 ◎「文学の歴史の叙述にも、文学作品そのもの、あるいは作者の歴史に対して、読者の歴史が書かれなければならないように、歌の場合にも、それを聴き、習い、歌った、つまり与えられた側の歴史が書かれてもいいと、わたしはかねて思っていた。わたし達のまわりにあるものは、それを制作して与えてきた側の記述が多く、それを聴き、習い、歌った側の記述がほとんどないからである。それには、わたしはかなり不満であった。」<「あとがき」より>
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