平野啓一郎のレビュー一覧
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購入済み
意外でした
ずいぶんと話題になって映像化もされた作品という事で、読んでみようと思いました。ストーリー自体は面白いのですが、登場人物同士の会話が難しくて、しかも長々と会話が続くため、私にはとてもわかりにくかったです。結局そういう部分を飛ばして読んでしまいました。作者の方には申し訳ないです。映画のは観ていないのですが、きっともう少しわかりやすいのでしょうね。
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他人のことを本当に知るというのは難しい。そもそも本当に知ることなど出来るのか。本当に知るとは何なのか?
そういうことを考えさせられる。
平野さんの分人という考え方が随所に出てきて、深掘りさせる。
すべては分からないけど、信じるということ。これを何度か伝えたかったのかな。
信じることで相手を救うこともできる。
p.202ページ辺り
信じることは、事実がどうとか関係ない。結果ではない。間違っていたとしてもいい。それが問題ではない。
よって、信じること=事実を信頼するではなく、その人を受容するということ。
読んでいく中で崇を信じきれない自分がいることにも気付かされる。
自分も群衆と一緒なのか -
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いずれも実験的な試みを含む短編四編を収録しています。
「清水」は、京都の街を歩きながら、自己の意識が刻々その現実感をうしなって不確かな過去へと流れ去っていくことに対する想念をつづった作品です。
表題作「高瀬川」は、小説家の大野と雑誌の編集者である裕美子が身体をかさねる物語です。著者はこれまでにも、現代文学のさまざまな可能性を宣明するような試みをこれまでにもつづけてきており、本作もその一環であるということはいちおう理解できます。大野がラブホテルの汚さに神経質になったり、彼がうっかりひざで裕美子のふとももを踏んでしまったりといったシーンに、多少目をみはることもありましたが、正直なところこの程度 -
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恋愛物が苦手なのだが、「マチネの終わりに」が良かったので読んでみた。
タイトルが「かたちだけの愛」とあるので、結局最後別れてしまう話かと思っていたが、どうもタイトルの「かたち」は義足という形あるものをめぐる「愛のかたち」についてを示しているような気がする。
この作品はプロダクト・デザイナー相良郁哉は、雨の日に職場の近くで起こった交通事故で女優・叶世久美子を助けるが、片足を切断してしまう。偶然にも相良と過去取引がある病院に入院し、病院経営者・原田紫づ香から、久美子の従来の概念を覆すような義足のデザインの依頼を受け、義足制作の中で恋愛に進展するという内容。
実は、久美子の相良への態度や会話が -
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SNSでの時事コメントやメディア上での時評では(ろくな文化人の少ないこの世代では例外的に)至極真っ当な平野啓一郎だが、肝心の書くもの(小説・評論)が個人的にはつまらないことが多い。本書も西欧中心主義的な思想系譜認識や、生理的な「体感」を「カッコよさ」受容の本質とするアクロバットな力技に恣意性を感じるが、その博覧強記による「情報量」自体が勉強になるため、読んで面白いことは面白かった。生まれてこの方「カッコよさ」とは無縁で、「カッコいい」「カッコ悪い」という価値判断自体の暴力性に対し、幼児の頃から嫌悪感を持ち続けている者としては、どうあっても「カッコよさ」という概念は肯定できず、(一応言及はされ
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ネタバレ 購入済み
しんどい
久しぶりにとても読むのが辛い本だった。中盤は噛み締めながら読むのが無理だった。明るい兆しを含むラストであったが、救われるわけではない。この本を読むには自分はまだ人間性や教養が足りてないと感じた。5年後10年後にまた読んでみたいと思う。その時人間的な深みを得られていればじっくりと読み込むことができるかもしれない。
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『ウェブ進化論』(ちくま新書)の著者である梅田夫望と、『日蝕』『葬送』(ともに新潮文庫)などで知られる小説家の平野啓一郎が、ウェブ世界の可能性とそれにともなう人間観の変化について語った本です。
両者とも、インターネットのもつインパクトの大きさを認めながらも、人間の理解については異なった意見をもっており、そのことは「おわりに」で梅田が次のような的確な表現で述べています。「私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。……「社会の変容」への対応という視点から「個の変容」をとらえようとする傾向が強い。しかし平野さんは「人間 -
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「考える葦」
「透明な迷宮」「マチネの終わりに」「ある男」執筆時に、作家は何を考えてきたのか。
文学、思想、美術、音楽、エンタテインメントから社会問題まで広範なテーマに亘る六十七篇の論考を集成した批評・エッセイ集。
第1章:私達自身のような「夭折の天才」(ドナルド・キーン「石川啄木」)から始まる本書は、とにかく読む疲れるものであった。広範なテーマだけであれば良いものの、中身が難解。文章の視点や書き振りは文学的であったり哲学的であったり、思想的であったりする。
単に知識があればすらすら読めるってなもんでもない。読むのが大変。さらりと読めた所すら、果たしてこの解釈であっているのだろ -
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人類初の火星の有人探査船ドーン。迫るアメリカ大統領選挙の行方と陰謀に巻き込まれていくクルーの運命は。火星探査は正直おまけであり、メインは大統領選挙。SF要素はほぼない。
話としては正直詰め込みすぎで、宇宙の話必要なかったのでは?という気もする。しかし、背表紙解説にも書かれているが、「分人(ディビジュアル)」という概念については、かなりふに落ちるものがあった。作られたキャラクターではないが、相手や環境によって変わる自分をそれぞれのディブとして捉える考え方は、自分を統合しなければならないという考え方から自由になれる素晴らしい捉え方だと思った。対人関係と一くくりに考えてきたが、誰との関係が問題である