あらすじ
悲しみから目を背けようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないか。共感と支え合いの中で、「悲しみの物語」は「希望の物語」へと変容していく。「グリーフケア」に希望の灯を見出した入江杏の呼びかけに、ノンフィクション作家・柳田邦男、批評家・若松英輔、小説家・星野智幸、臨床心理学者・東畑開人、小説家・平野啓一郎、宗教学者・島薗進が応え、自身の喪失体験や悲しみとの向き合い方などについて語る。悲しみを生きる力に変えていくための珠玉のメッセージ集。
【まえがき――入江杏 より】(抜粋)「世田谷事件」を覚えておられる方はどれほどいらっしゃるだろうか? 未だ解決を見ていないこの事件で、私の二歳年下の妹、宮澤泰子とそのお連れ合いのみきおさん、姪のにいなちゃんと甥の礼くんを含む妹一家四人を喪った。事件解決を願わない日はない。あの事件は私たち家族の運命を変えた。
妹一家が逝ってしまってから6年経った2006年の年末。私は「悲しみ」について思いを馳せる会を「ミシュカの森」と題して開催するようになった。(中略)犯罪や事件と直接関係のない人たちにも、それぞれに意味のある催しにしたい。そしてその思いが、共感と共生に満ちた社会につながっていけばと願ったからだ。それ以来、毎年、事件のあった12月にゲストをお招きして、集いの場を設けている。この活動を継続することができたのは、たくさんの方々との出逢いと支えのおかげだ。本書はこれまでに「ミシュカの森」にご登壇くださった方々の中から、6人の方の講演や寄稿を収録したものである。
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【目次】
まえがき(入江杏)
第一章 「ゆるやかなつながり」が生き直す力を与える(柳田邦男)
第二章 光は、ときに悲しみを伴う(若松英輔)
第三章 沈黙を強いるメカニズムに抗して(星野智幸)
第四章 限りなく透明に近い居場所(東畑開人)
第五章 悲しみとともにどう生きるか(平野啓一郎)
第六章 悲しみをともに分かち合う(島薗進)
あとがき(入江杏)
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個人的に興味深い作者名が並んでいたこともあり、本屋で衝動買いしたもの。ただひたすら真摯に、悲しみと向き合ったからこそ到達し得た心境が、ことばで生きている諸氏によって語り起こされる内容は圧巻で、それぞれに異なった対峙方法にも関わらず、通底する温もりは十分に享受できる。心のどこかに本書の存在を認識しているだけで、ずいぶん楽に感じられる、そんな座右の一冊。
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若松英輔さんと平野啓一郎さんの名前があるし、と軽い気持ちで手にした本。そして、長らく積読本。今回、ようやく読み始め、初めて世田谷事件の被害者家族である入江杏さん主催のミシュカの森という会があることを知った。そして、その会の講演をまとめたのがこの本であることも初めて知り、心して読まねば、との気持ちになって読んだ。
平野啓一郎さんの話では、死刑について考えさせられ、東畑開人さんの話では、居場所についてを考えた。特に居場所の話は自分レベルで考えられたと思う。そして、自分にとっての居場所について考えられた。もっと居場所を作らなくては、とも思う。居場所、座っていられる場所。立っている場所は落ち着かず、疎外感を感じる。だから、座ればいいのだ、そこが居場所になる。体と心は繋がっているのだと改めて思わせてくれる、話の流れだった。と思ったことが、私の文章では伝わりにくいとは思うが、私としては腑に落ちた。
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悲しみとの向き合い方。
ケアとは何か。
居場所とは何か。
様々な視点が紹介されていて、興味深く読みました。
ひとりひとりの感じ方、考え方を尊重することの大切さを改めて想いました。
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未解決事件の遺族である入江杏さんが主宰する集まりの場「ミシュカの森」。
そこへ招かれた方々が「悲しみとともにどう生きるか」をテーマに様々に語ったことをまとめた一冊。
六人の方それぞれの悲しみに対する向き合い方に考えさせられたり理解が深まったように感じたり。
第4章東畑開人さんの「アジールとアサイラムとパノプティコン」という話が興味深かった。避難所と収容所。シェルターと管理所。
そしてその後の対談の中で「自分の物語を物語ることによる癒し」という話がなされます。河合隼雄先生が物語によって生きる力や癒しを得られるというようなことをいくつかの著作の中で語られていたことを思い出しました。
読みながら自分は、物語として書くのが難しければジャーナリング的(思いついたことをそのまま書き出すことでストレス軽減や心を整える効果をえる手法)にとにかく書いてみるというのが救いの一つになるかもしれないと思いました。
第5章平野啓一郎さんの話の中で「当事者でないからこそ書けることがある」ということが話されています。本書とは全く関係ありませんが看護や介護などでも、対象者が身内ではないから必要なケアを感情を込めることなく施せるという意味合いで、そういう側面があるのではないかと思いました。
誰かの辛い話を聞く時、共感することも大切だけれども理解ができない・共感できないからこそ受け止めてあげられるということもあるように思います。
当事者ではないということも状況によっては大事な時もあると思います。
同じ平野さんの話の中で加害者に対する処罰感情が強いあまりに、被害者遺族に対し「亡くなった人に対する思いが薄いのでは」というようなことを言ってしまう人がいるがあってはならないことである、ということが話されていました。
以前読んだ「家族が誰かを殺しても(阿部恭子)」の中に「遺族らしくない」とバッシングする人の話があったのを思い出しました。
平野さんの話の中には他にも、自身の提唱する「分人」の考え方や死刑制度についての意見(これらも本で出されています)、警察や司法に対する不信感など考えさせられる意見がたくさんありました。
入江さんがあとがきの中で、「被害者遺族らしく生きろ」という外圧について書かれているのを読んで辛くなりました。誰であっても勝手に世間から枠を当てはめられて生きさせられるような不条理さに甘んじることはないと思います。
でもどんなに辛いだろうと思います。理解も共感も及ばないだろうけれども、自分にできることは忘れないということくらいでしょうか…
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いろんな視点から「悲しみ」について書かれており、とても良い本でした。
大小あれど悲しみのない人生なんて存在しないと思います。そんな悲しみに寄り添ってくれる本でした。
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殺人事件の遺族が主催するミシュカの森で死刑反対を語る平野啓一郎氏~家族を失う。喪失感に浸る。対応すべき現実がある。喪失と立ち直りの間で揺れる時。グリーフケア、さりげなく寄り添い援助する。事件や事故の報道。死者が出る。遺族の気持ちは図りしれない。第三者でいてはいけない。我々の社会で起きたこと。準当事者、二・五人称で受け止める。遺族というカテゴリー。そこは共通だが、それとは違う属性がある。遺族もいろいろ、思いもいろいろ。一律に見てはいけない。ケアに答えはない。ささやかな6人のメッセージ。示唆されたままに受け止める。
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あることを軸に、いろんな人が自分の視点や体験から死生について語った会の記録? この会に行きたかったなぁー!豪華! それぞれの登壇者の著書を読もう。
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オムニバス形式。
大切な人を亡くして悲しいときに、自分自身と死者にどう向き合うかという視点と、
悲しみの真っ只中にいる他人とどう関わるのかという視点があると感じた。
宇多田ヒカルの「夕凪」という曲の原題は「Ghost」なのだが、あの曲の理解が少し深まった気がする。私は悲しいことがあったとき、「夕凪」を聴けなくなったため、本を読めなくなったエピソードに共感を覚えた。今まさに自分で物語を書いているから本が読めないのなら、あの曲が聴けなくなったのはその時まさに自分で言葉を書き連ねていたか、詠っていたからなんだと思った。
もっと深く話を聞き進めたいところで章が終わる。共著者の本を読みたくなった。