平野啓一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
◆心に刺さったワード◆
⚫一日の中に締切があると、規則正しく進む
⚫中途半端な人こそ自分を天才に見せようとして横柄になる
⚫仕事してる間は、自分の内側のことで悩まなくていい。それに、金銭が発生すると「社会に必要とされてる」と思えて、自分のなかの欠落感が埋まった気になる。その「必要とされてる感」を失う怖さ。今仕事がなくなったときに、その欠落とうまく付き合う 技術や、人間 力への自信がない。そこから来る 強迫観念かもしれませんね。
⚫強い心は強い肉体に宿る
◆読んでみたい本◆
⚫変な恋愛の短編を集めたアンソロジー 岸本佐知子 『恋愛小説集』
⚫肩の力を抜きたい人 森鷗外 高瀬舟
⚫世界の実相をつかみたい人 古井由吉 辻
⚫次から次に変人が出てくる 村上龍 ライン -
匿名
ネタバレ良かったです!
人が人を愛することの多面性を改めて感じさせられる作品でした!
人が人を愛するとき、その根拠を過去の体験に求めることはあり得ます。
一方で、過去の自分に起きた出来事をどう感じとるかは人によって異なるのであり、今回であれば、〈入れ代わった人が語った〉谷口大介の過去にりえが惹かれたのではないかとも思います。
私個人の意見としては、入れ代わった人がありのままの自分の過去を理恵に話したとしても、世間体を抜きにして考えれば、りえに愛されていたのではないかと思います。
城戸も出自に対するコンプレックスを抱いているという意味では大介と僅かに共通点があり、それが城戸の大介に対する印象を美化させていたのではないかという妄想が膨らみました。
夫婦関係についても繊細な描写で、没入してあっという間に読み進めてしまいました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ先輩に薦められて。視線のドラマ。人は誰しも「悦びに呪われている」というのが引っかかる本でした。
<平野啓一郎解説>
・今回、私に《サロメ》の新訳を依頼したのは、演出家の宮本亜門氏
・「古典を権威にまで堕落させ」、新しい「美」の創造に対して古典を「棍棒として」振り回す保守的な読者への揶揄
・ワイルドのサロメは、もっと少女的で、愛らしい。強いて言えば純真。
・ヨカナーンの言葉は、大別して三種類
①人間ヨカナーンのつぶやき②預言者としての言葉③預言そのもの
・その無邪気なアプローチには、「ヨカナーン!お前の体が愛おしい。」と正直に語ってしまうような、母親譲りの欲望が露わになっている
・サロメには確かに 色気 がある。しかしそれは、自ら知悉し、自在に行使する色気ではなく、無意識に溢れ出てしまうような色気である
・サロメはつまり、「悦び」に「呪われている」のである。ここにこそ、サロメの悲劇性がある。サロメは決して、単に純真であるわけではない。しかし、よく誤解されているような淫婦でもない。純真であるにも拘らず、まったく身に覚えのない淫婦性を母から受け継いでしまっている。生まれながらにして、 バビロン的なるもの を帯びさせられている。
・しかし、果たしてそれは、独りサロメのみの問題であろうか?人間は誰もが、「悦び」に「呪われている」のではあるまいか?バビロン的なるもの を孕んでいるのではあるまいか?
・サロメはつまり、この後、キリスト教徒が苦悩し続けるあの原罪感覚を、キリスト教誕生前夜に、唐突に、 過剰に 担わされた人物として造形されている
・サロメとは違って、彼自身は「近親相姦」という「罪」を自覚し、怯えている
・ヘロデもサロメに魅了されている。そして、並行的にヨカナーンを尊重する
・これに対し、ヘロディアはヨカナーンをまったく恐れない。彼女には「罪」の意識もなく、ヘロデと違い、自らの寄る辺として高貴な血筋がある。迷信を一切信じない。
・「サロメ」は、視線のドラマ
・対象への欲望が、「見る」という行為にすべて直結している。そして、互いに相見るのではなく、一方的に見ることの悲劇性が、隅々にまで浸透している。
・ヘロディアの近習は、若いシリア人を見ている。
若いシリア人は、サロメを見ている。
ヘロデもサロメを見ている。
しかしサロメは、ヨカナーンを見ている。
ヨカナーンは神を見ている。
そうしてこの世界には、一つの大きな穴が空いている。神は人間を見ているのであろうか?
・登場人物中、唯一、誰も見ていないのが、へロディア
・純真なサロメの内側に、彼女をそそのかすバビロン的なるもの を内在させた、というのは、
ワイルドの非常に冴えた、革新的なアイディアだった。これによって、サロメは二重性を帯びた人物となった。まるで、我々そのもののように。
・彼らは、聖書の一エピソードを、こんなエロ・グロ・ナンセンスに仕立て上げてしまった、ワイルドの冷笑的な、 世紀末的頽廃美 に呆れ果てた。
ロンドンでは、《サロメ》は稽古中に上演中止となり、パリでの上演も評判は芳しくなかった。
・ワイルドは〈社会主義下の人間の魂〉の中で、「金持ち以上に金のことを考えている階級が社会にひとつだけある、そしてそれは金のない連中である。」と言い、貧困がいかに人間の個性の妨げになっているかを力説している。そして、イエスが貧者に言っているのは、こういうことだと解説する。「おまえにはすばらしい個性がある。それを発展させるのだ。おまえ自身であれ。おまえの完成が外的なものの蓄積や所有にあると思うな。おまえの完成はおまえの内にあるのだ。」
・欲望の対象を金ではなく、性的な「悦び」と読み替えるならば、このヨカナーンの台詞は、こう解釈できる。サロメよ、お前は、母より受け継いだ バビロン的なるもの によって「呪われている」。後にそれは、原罪と呼ばれるものだ。しかし、もしイエスの元で悔い改めるのであれば、お前は救われる。つまり、純真な「おまえ自身」であり得るのだ、
・サロメは、しかし、これに従わない。その意味さえ理解しない。むしろ、ヨカナーンの拒絶と侮辱に刺激されて、却って哀れにも「恋」を募らせてしまう。
・彼女がヨカナーンの首を求めるのは、ただその口唇にキスがしたいから
・ヨカナーンにどうしても会いたいという、彼女の最初のささやかな わがまま の延長上にある
・サロメは、我々の誰しもと同じように「悦び」に「呪われている」。
・今度こそ、彼女自身が罪を認め、償い得たかもしれないというまさにその時に、それを 赦さない のが、イエスではなく、「この世」の象徴たるヘロデである、という結末
<解説>
・男をその妖しげな魅力で滅ぼす〈 運命の女〉としてのサロメ像が誕生したと考えられる。その危険なほどに魅惑的な女性のイメージは、美と頽廃を集約するアイコン
<宮本亜門>
・『金閣寺』の稽古が進むにつれて、溝口という主人公が、サロメと酷似している点が多いことに気づく
・サロメはヨカナーンの首を斬らせ、溝口は金閣を焼く
・演出すること、それは常に改めて脚本に「問い」を投げかけ、探り、新たな発見をすることが役目だと思っている
・月もただの月ではなくて、ときに性的な象徴であり、ときに大人への儀式、生理的な象徴であり、ときに運命の象徴でもあると見えてきます
・この作品の中で漂う末期的な不安感は、世界不安の雛形かもしれません
・実は首を斬ったことが重要なのではなく、『金閣寺』であれば金閣を焼いたというスキャンダラスな結果に目的があるのではなく、なぜこうならざるを得なかったのかという、そこに向かっていく気持ちの出発点とプロセスが面白いのだと思います -
Posted by ブクログ
ネタバレソランジュとクレザンジェの結婚からサンド夫人との決別に至るまでテンポよく物語が進んでいく。
クレザンジェの策略成功のために奔走する様は彼の感情の浮き沈みも相まって面白かった。
この下巻で気がついたのは以下の3点。
①ソランジュの許嫁であったプレオーについて、サンド夫人がその「潔さと未練との入り交じった」「誤字だらけの文章を綴って」きた彼を「娘婿に迎えるのはいかにももの足らぬ青年だった」と断じているシーン。フランス人が(日本人でもそうかもしれないが)言語を大切にし、その扱い方によって人を見てその人となりを判断しているということを表した部分だと思った。上流階級に属し、さらに自身が作家であるサンド夫人からすればプレオーの所作は耐えられないものがあったように感じる。
②ショパンの孤独。自分不在のノアンで結婚が決まり、式まで終えた状態でパリへ帰京したサンド夫人一家に対してサンド夫人の愛人である自分が今回の結婚に対する賛否をいかに表明すべきかと悩む中で深い孤独を味わっている。本音を言えば反対であるが、今まで一番にかわいがってきたソランジュが自ら決めた結婚を受け入れなければ家族とはいえないし、ましてや本来は家族でもない人間なのだから口出しすべきではないということも脳裏に過り葛藤する。家族と部外者の狭間のグレーな関係性であるショパンの板挟まれ具合が辛い。
③フォルジェ男爵夫人がドラクロワと自分との違いを思うシーン。「これから先の人生」は「まるでただ失うためだけにあるかのようだ」「結局何も残らない」「自分自身ですらやがてはあの永遠の世界へと失われていってしまう」というように、喪失へと向かう人生への不安を吐露しているが、ドラクロワには「芸術があ」り、「自分自身を黄金に煌めく額縁の中に蓄えてゆくことができる」と感じている。
それに対してドラクロワは自らの芸術作品に対して「画家の命を貪ることによってのみ自らの命を獲、彼から奪った時間によってのみ永遠を練り固めながら、決して画家とは運命をともにせぬ何者かであった」と感じている。フォルジェ男爵夫人が失うことへの恐怖を感じているように、ドラクロワも得体の知れぬ存在によって突き動かされ奪われていると感じている。作品を生み出して世に残していると思われていたドラクロワ自身も何者かに収奪されているという点が面白かった。第二部上巻での「天才と趣味」に関するカントの話にもつながる部分であり、この物語の重要な課題であると思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『葬送 第一部 上』
音楽家・ショパンと画家・ドラクロワを取り巻く人々の物語。
ショパンの葬式から始まり、そこに至るまでの3年間に何が起こるのかが気になり読み進めていく。
第一部の上巻は人物説明・描写も多めにとられている印象であるため、少し進みが重たい感じもしたが、後半から徐々に物語に動きが出てきた。
心に引っかかったのは主にドラクロワの言葉。
「(アングル派の絵を指して)絵の中にはある奇妙な時間が流れている。たるんだ時間とも言うべき時間がね。」
これはいかに自分自身が絵画を描くために生き生きと情景を捉え、表現しているかを説いている場面。
「(今の若い画家を指して)絵は決して語らず画家こそが語ろうとするんだ。そんな絵は、言ってみれば文学の下僕のようなものだよ!だけど、今にそんな退屈な時代が来るよ。」 ここでもドラクロワは自身の苦労を語りながら、若い世代への苦言をショパンに語っている。
「作品というものは、作者が残そうという努力をしなければ残らないものだというのが僕の持論です。(中略)どうするか?政府に買い取ってもらい、宮殿や美術館に飾ってもらう(中略)そして、そのどちらも官展での勝利なくして不可能なことですよ!」
「八年経って世間の風潮が変われば、駄作も突如として傑作に変わる。しかも、作品そのものには、ただの一筆も加えることなく!」
「どのような立場でものを言うにしても、最低限満たしておかねばならない言説の水準はある筈であった。(中略)問題は、何故そのような手法が採られたか、その意義とそこから生み出された結果の是非とを考えることだ。」
このあたりの発言はドラクロワだけではなくあらゆる芸術家や著者自身にも根差した言葉であるように感じた。
ショパンについてはまだ印象が薄めであるが、サンド夫人とその家族との関係性の中でどのような結末に至るのか、下巻・第二部が楽しみである。 -
Posted by ブクログ
人類初の有人火星探査を成功させた主人公が隠す火星探査の2年で起こった出来事が徐々に解き明かされ、その出来事が近日行われるアメリカ大統領選に影響を与える、みたいな話。
僕らが暮らす現実世界で、接する人毎に対応の仕方を変えるように(一部の人は裏表無い人柄という評価のもと清廉潔白な顔をして自己をどこに対しても通す狂人がいるけれど)、この物語では自分の姿形や性格さえも手術によって自在に変化させることができるみたい。すごい。
SF小説でよく思うのは著者がイメージする近未来的な世界、特に今ない技術を読者が正しくイメージして物語を読むことができるかが重要だよなァ、っていうことで、これはものによって結構難儀である。加えて本作は登場人物が多く視点も時々で変わっていくため、栞を挟んで次に物語に戻る時に、立ち位置を確認する作業でかなり手こずってしまった。物語自体も少し冗長的な面も否めない。
しかし、そうしたネガティブな要素を含んでいながらも、人と人との交流を真摯に描いており描写は丁寧で楽しく読めた。
たぶん映画化されて視覚的に情報を補完できればもっと楽しめるのではないかと思う(読者としての読解力なぞは棚に上げる) -
Posted by ブクログ
単なるバラバラ殺人を扱ったミステリーにはしたくないというような作者の強い拘りがあって、主人公のエリート、崇に小難しい事を語らせているのだろうが、崇の頭の中の描写とそれ以外のレベルの高低差が大きく、こちらの、先を読み進めたい気持ちと、崇の言わんとする事をキャッチしたい気持ちが噛み合わず、せっかくの面白さが減ってしまったように思った。
赦し、死刑、ネット社会、今にも決壊しそうな人間関係、マスコミのあり方、捜査の仕方など、扱っているテーマはよくあるものだった。となると、やはり崇の存在が、同じようなテーマを扱う小説と一線を画しており、彼の考察は必要となるのだろうか。
最も印象に残り、共感できたのが、現代の人間の幸福に対する姿勢だった。
「幸福とは、絶対に断つことのできない麻薬だ。それに比べれば、快楽などは、せいぜい、その門番程度の意味しかない。人間は、快楽を否定することはできる。しかし、幸福を否定する事は絶対に許されない。このたったひとつの残酷極まりない、凶悪な価値が、この社会の全てを支配しているのだ。どんな人間でも、絶対に幸福を目指さなければならない。幸福を愛する心、それは、現代の最も洗練され、先鋭化したファシズムだ。」
自分(もしくは近しいものを含む自分達)の幸せのために、貪欲に、楽しい、美味しい、心地良いを貪る傾向の強い現代の人々。コロナ禍ではよりそれが悪目立ちする。個人的には、そういった姿を見苦しいと感じる。必要なものだけを大切に作り消費することに回帰する方に向くべき時なのではないかと感じ、最近の傾向に対する違和感が、心の底から湧いてくる。
「人間の生の長さは、生物としての寿命か、それより短いかのどっちかだよ。その2つしかない。死刑は要するに、犯罪者に寿命を許さないっていうことだろうね。殺された人間が、寿命よりも短い生しか生きられなかったことの報いとして。」
死刑に関するこの意見に、納得した。死刑には特に賛成でも反対でもないが、死刑を行う意味とはこういうことなのではないかと思った。
かなりの長編だったが、先が気になって一気に読み進められた。 -
ネタバレ 購入済み
アイデンティティを揺がす一作
「ある男」というタイトルは不確かな人物を指す筈だ。そんな曖昧で内容がなかなか見えてこないタイトルが故に「ある男」とはどんな奴だ?と気になり、さらには映画化も決まっているということで手にとってみた。
「ある男」というのは奴のことを差しているのだと思うが、正直なところ、その「ある男」は特別何か光って見えるとかそんなものではなく、日常のどこかに溶け込んでいるような平凡な人物であったなぁというのが私の受けた印象。
ではなぜ奴を「ある男」と呼んでいるかというと、名前を偽って生きてきていたからだ。
奴がしていたように、もし私の妻が名前を偽って、さらには戸籍を他人と交換して生きてきたのだとしたら私はどう思うのか考えさせられた。
そのまま好きでいられるのか?そんな嘘を許せるのか?など。たぶん無理。
他にも、実際戸籍の交換は不可能であると信じたいが、可能であったとして、この戸籍の交換というのは何かメリットはあるのだろうかと読んでいて思った。
戸籍を変えたいと思う理由でまず考えつくのは、傷のついた経歴を無かったことにしたいからだと思う。それって傷のついた経歴同士を交換することになるから、必ずどちらか一方はより傷の深い経歴を持つことになるのでは?