養老孟司、ラオスの話多すぎ
何故歴史が苦手だったかって言ったら、歴史って要は思想やん。歴史から思想性を抜くことは無理やろ。
「政治家に倫理を求めるのは「八百屋で魚を買おうとするようなもの」だからである。政治は倫理ではない。現実の取り扱い方である。その政治家が「倫理」だというのでは、本気のはずがない。何かの宣伝に決まっている。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「予測ができない、つまりランダムさを増す可能性があるものを、文明人は許さない。だからゴキブリや雑草が嫌いなんだろうが。ゴキブリの行動は、予測不能だからね。こうした暗黙の秩序の金縛りにあった若者のなかから、ヒステリーを起こして、ついにはトラックで秋葉原に突っ込むやつが出たりする。 人間は意識だけで生きているのではない。なんと、人生の三分の一は、確実に意識がない。でも、その時間なんか「ない」と見なすのが文明である。眠って意識がなくたって、身体は生きているではないか。意識こそむしろ、身体の部分的な機能にすぎない。その意味での「全き人間」を、近代文明は忘れてしまった。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「東南アジアを訪れると、働いているのは、いつも女性である。男はなんだかブラブラしている。そんな感じがする。男が働くのは、収穫期のように、とくに人手が必要なときだけである。日常の細かい仕事はほとんど女性の独壇場なのであろう。 それなら日本では、いつから男が働くようになったのか。これは長年の疑問だが、いまだによくわからない。天照大神は女神で、日本は「女なしでは夜も明けぬ国」だったはずなのだが。 女性の社会進出が不足だということと、女性の寿命が長いこととは、無関係ではないであろう。社会的なストレスが男にかかっている可能性があるからである。男女の寿命を同じにすることが、よいか悪いか、いちがいにはいえない。しかし社会への参画が不平等だと指摘するなら、同時に寿命の不平等も指摘すべきであろう。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「知的障害という言葉は、あまり好ましい言葉ではない。多くの「普通の」人たちだって、ある意味では知的障害ともいえるからである。 現代社会は特定の知的能力だけを徹底的に要求する。それが学校の成績であり、言葉の能力である。しかしヒトの知的能力は、それだけに限られるものではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「知的障害という言葉は、あまり好ましい言葉ではない。多くの「普通の」人たちだって、ある意味では知的障害ともいえるからである。 現代社会は特定の知的能力だけを徹底的に要求する。それが学校の成績であり、言葉の能力である。しかしヒトの知的能力は、それだけに限られるものではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「私は戦後のドサクサ時代に中学、高校に通った。通った学校はカトリック系の私立で、なかに修道院があった。おかげでさまざまな国籍の神父さんから、勉強を習った。私の英語の先生はドイツ人、ベルギー人、アイルランド人、日本人だった。日本人を除き、ほかの先生たちに教師の資格があったのか、たいへん疑わしい。 そうした「公式には正しくない」、もし「検定」があれば通るはずのない教育のおかげで、私は損をしただろうか。日本の世間に適応するという意味でいうなら、損をしたに違いない。しかし日本の世間だけが世間ではない。おかげでどんな外国に行っても、私は楽に行動できる。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「自殺に関しては日本はキリスト教国になるべきか。それなら自殺は罪で、昔はお墓にも入れてもらえなかった。神様の与えた命を自分で勝手に始末してはいけない。日本では、腹を切ればチャラにするという思想がいまだにあるから、自殺が減らない。共同体の規律が厳しかった昔ならともかく、いまでは自殺はいささか時代遅れ、やめたほうがいい。 日本は殺人は少ないが、自殺が多い。これは攻撃性が内向するからだと考えられる。他人を殺すより、自分を殺す。どちらにしても「殺人」なのだが、自殺は殺人だと思われていない。戦争の末期にバンザイ攻撃になったのも、自殺の一種であろう。どこまでもしぶとく生き延びる。日本の世間はそれを美徳とはしないのである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「花鳥風月が欠けた世界では、いじめはどうしても拡大してしまう。人間世界だけが世界になってしまうからである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「 現代世界が抱えている問題は「ああすれば、こうなる」で片付くものではない。ハエやカに象徴される問題である。もちろんそれは、ハエがいたり、カがいたりして、生活するのに困るという意味ではない。生物はきわめて複雑微妙なシステムである。それを破壊するのはハエ叩き一つで済む。しかし作るのは容易どころではない。じつはまったく「作れない」のである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「日本はことほどさように災害列島なのである。陸地面積は世界の四〇〇分の一しかない。ネコの額のようなその陸地で、歴史上の大噴火の一割、大地震の二割が起こってきたという。それが日本人の心性に与えてきた影響は無視できないはずである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「 二週間、テレビも新聞もなしにブータン旅行をした。そのあいだの事件といえば、ロンドンのテロ(二〇〇五年七月)くらいか。それもブータンでは話題にならずじまい。 じゃあ何が話題かというなら、とくにはない。後生を願ってどう功徳を積むか、くらいのことだった。 いまどきそんな世界があるものか。そう思う人が増えるのを都市化という。いくら都市化して、便利になって仕事がはかどったとしても、人間がいずれ死ぬことに変わりはない。 昔ならひと月かかった仕事が、いまなら三日でできる。それなら百年生きる代わりに十年生きれば済むことにならないか。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「人を機械と見たらどうか。これは西欧文明では、ド・ラ・メトリの『人間機械論』以来の主題である。私見だが、レオナルド・ダ・ヴィンチは解剖図を描くときに、人体を機械と見立てている。どちらも科学史のうえでは、大変に古い人というべきであろう。 科学技術はさまざまな機械をつくった。しかしそれはあくまで無生物としての機械で、生物は創れない。今回の騒動について、いちばん気になったのは、そのことである。科学技術は進歩したと常識的にいわれているにしても、そこで隠されている最大の問題は「生物は創れない」という点である。大腸菌一つ、創れないのである。 科学が進歩すれば、それができる。それをいうなら、科学にできないこと、人間にできないことは何か。科学が進歩すれば、万能なのか。生物をまともに考えている人なら、生物や生態系を人間が創り出せるなどという妄想はもたないはずである。生命に関する技術とは、すべて既存の生物をいじっただけである。遺伝子を導入したって、「すでに存在する細胞」に遺伝子という物質を入れるだけである。細胞を創ったわけではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「百万単位の人たちが、例年初詣に戦の神様を参拝する。それなら日本人は相変わらず軍国主義者か。 お祈りは個人のものであって、その中身を他人がどうこうできるものではない。西洋の教会を訪れて、武運長久を祈ったところで、それは祈る人の勝手である。それを神様が聞くかどうか、それは神様のほうの都合である。それならこの種のことは、個人に任せておけばよろしい。それをあえて問題にするのは、何か別な意図があるからであろう。それは無視するしかない。私はそう思う。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「大国にはものがいいにくい。長いものには巻かれろ。それも保身術であろうが、正直にいえば、私はそれを好まない。小国の国民としては「手前勝手もいい加減にしろ」と、ときどきいいたくなるのである。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「 帰国したら、高校生が大麻の乱用で逮捕されたという新聞記事を見た。大麻ならブータンにはいくらでも生えている。放牧している牛馬が食べない草が残るので、大麻が多いのである。大麻を食べると、牛馬も具合が悪くなるらしい。地元の人はそんなものは使わない。法律で禁止したら、一部の若者が大麻を吸うようになった、とガイドが笑って話していた。 大麻がいくらでもあるところでは、若者は大麻など吸わない。日本では高いお金を支払って密売の大麻を買う。ブータンの人が松茸が日本で高く売れるのに気づいたのは、十年前だという。世界は広い。しかし、それを若者に上手に教えるのはむずかしい。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「おれおれ詐欺も、一種の芝居であろう。日本人は真面目で、人生は一面で芝居だという感覚がない。それでダマされる。もっとも生活にある種の余裕がないと、人生を芝居にはできない。それでも一世一代の大芝居というくらいで、昔の人は芝居の効用を知っていた。 西洋人は日本人より明らかに芝居上手である。西洋の古い町にある大きな建物は、教会でなければ劇場である。劇場とはそこで芝居をする場所である。その場所をあれだけ立派にするのだから、芝居の価値が高いのだとわかる。 世界は日本人より芝居上手が集まっている。だから私は大方のことは芝居だと理解することにしている。それならダマされにくいからである。九・一一は大騒動になったが、あれも劇場性がきわめて強かった。だからその公式説明にしても、芝居の筋だと思って聞いている。 派手なことほど芝居である可能性が高い。たとえ芝居でなくても、誰かが芝居に仕立ててしまうこともある。ダイアナ妃の事故も一種の芝居であろう。芝居は公認の筋書きのほかに、さまざまな筋書きがありうる。芝居だと思っていれば、違う筋書きを聞いてもビックリすることはない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「北京政府の反日でイライラする人もいるらしいが、反日にも利点はある。飛行機の荷物室に入って密航する人がいたくらいだったのが、さすがに密航は減ったようである。反日には密航者を根本的に減らすという効果があるはずである。日本なんてとんでもない国だと思ってもらえば、日本に来たいと思う人が減る。その意味では、強く反日をいう北京政府は、密航対策に効果的な手を打ってくれている。日本政府は北京政府に感謝すべきであろう。留学生も減るだろうし、そのぶんをほかの国から受け入れることができる。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「北京政府の反日でイライラする人もいるらしいが、反日にも利点はある。飛行機の荷物室に入って密航する人がいたくらいだったのが、さすがに密航は減ったようである。反日には密航者を根本的に減らすという効果があるはずである。日本なんてとんでもない国だと思ってもらえば、日本に来たいと思う人が減る。その意味では、強く反日をいう北京政府は、密航対策に効果的な手を打ってくれている。日本政府は北京政府に感謝すべきであろう。留学生も減るだろうし、そのぶんをほかの国から受け入れることができる。 そもそも日本なんかとんでもない国だという宣伝に素直に従って疑わない人に、日本に来ていただく必要はない。そんなバカは要らない。反日宣伝にもかかわらず日本に来る人たちは、現実的かつマトモな判断をする人であろう。そういう人なら安心して歓迎する価値がある。 そんなふうに考えていけば、反日はけっして悪いことばかりではない。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「世の中という複雑怪奇なもの、そんなもの、私に分かるわけがない。しかしそれを変える単純な方法を、私は一つだけ知っている。それは、その世の中を見ている自分全体を変えてしまうことである。 極端な話、世の中が暗いなら自分が躁状態になればいい。なんと、すべてが明るく見えるはずである。それじゃあ、本当の自分が消えてしまうじゃないか。冗談じゃない。いくら変えようとしても、変えられないものを「本当の自分」というのである。 変わってしまうくらいなら、それは本当の自分ではなかった。それだけのことであろう。どうせ我をもつなら、そのくらい強くもたなければ、生きてはいけない。それが難しいかといったら、簡単である。本当の自分なんて、変えてみなけりゃ、分からないんですからね。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「長いあいだ、私は自分がマトモじゃないと思って生きてきた。そもそも医学部を出て解剖をやること自体、あまりマトモではない。医学は患者さんを救う仕事で、死んだ人をどうこうしたって仕方がない。 自分がマトモではないと思えるのは、当たり前だが他方にマトモな多数の人たちがいるからである。そのマトモでない私が書いた本が、いまでは予想を外れて売れたりする。 そうなると、いくら私でもいささか心配になる。もしかして、私はマトモなんじゃないか。マトモでないと思っている人間がマトモに見えるとしたら、その分だけ世の中が変だという結論になる。じゃあ世の中、どこが変なのか。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著
「未来が見えることは、本当にいいことか。そろそろそれも考えなければならない。一寸先は闇。それが怖いのは当然だが、怖くない人生は面白い人生か。自殺が増えるのは、これと関係ないだろうか。 先が見える道と見えない道と、どちらを選ぶかといわれたら、私はよく見えないほうを選んできたような気がする。それがよかったかどうか、神様しかわからない。しかしともあれ、退屈だけはしないで済んだ。」
—『読まない力 (PHP新書)』養老 孟司著