【感想・ネタバレ】なぜ働いていると本が読めなくなるのかのレビュー

あらすじ

【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

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QM

購入済み

平成あたりからすっごく話がイメージしやすくなって、めちゃくちゃ面白かった、、、!!
もちろん昔の日本の読書習慣や仕事への見方、階級などなど勉強になったけどやっぱり時代が遠すぎて「へぇそうなのかあ」と表面でしか理解できなかったような部分がたくさんあったけど、読み進めていくとどんどん話が自分の中で繋がってきて、分かりやすかった。

昔の日本は読書はエリート向けのものであったり、教養を身に着けるためのものであったが、今では読書=ノイズ(自分にとってシャットアウトしたい、必要ないと感じているもの、体力精力を精力を無駄に消費するもの、頭をつかうもの、、、)と考えられている節があり、人々のなかでの「読書」の立ち位置が今と昔で全く違うのがとても興味深かった。

読書するというのは他人の文脈を受け入れ、触れ、関わりあっていくこと。
仕事へ自分の100%を注ぐのではなく、半分余力を残しておいて別のこと(趣味、家事など)に充てること。
無理して働くことを美化しないということ、などなど。

どれもすごく大事なことだと思いました。
また時間をおいてから読み返したいと思った1冊でした。

何を買うか決めてない状態で本屋に行って目についたものを買うのが大好きだからまた早く行きたいな~という気持ち!
積読ばんざい!!!

1
2024年11月28日

Posted by ブクログ

社会人になり本を読まなくなりました。
それはコスパを意識するようになり、読書から得られる情報ではなく、インターネットやAIからの純粋な情報を求めるようになったからというのは納得です。

改めて読書の目的を「情報を得る」だけではなく、その情報を含む周辺情報(ノイズ)を楽しむ。つまり、読書自体をある種目的とした読書に立ち返ろうと思います

0
2026年02月24日

Posted by ブクログ

前半は読書の近現代の文学史をわかりやすくまとめながら、そういう考察もできるよなぁ、という様々角度から、どうして本を読めなくなるのかをまとめている。
前半の多くは文学史のまとめなので、そこで本を読み終える読者もいそうに思うが、後半に従って気付かされる指摘も多く、途中で諦めずぜひ後半まで読むべき。結論も非常に納得がいくものであり筆者の優しさがしみ出た良い本だと思った。

0
2026年02月22日

Posted by ブクログ

 本を読む、という内容だけではなく現代の働き方を問い続ける作品。 本だけではない内容だからかなり読み応えもあってよい。

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2026年02月19日

Posted by ブクログ

オーディオブックにて。

時代の流れから本を読めなくなる人の納得のいく理由が裏付けられていた。

本を読む際にノイズが必ずあり、現代の人々はすぐ答えを求める。その背景にはTikTokなどのショート動画が流行し、短時間で得られる情報量が多いから。
またチャッピーも含めすぐ答えが得られる媒体も登場した。

しかしながら読書は自分が得たい情報以外も入力され、なにせ時間がかかる。
タイパは悪い。

このタイトルの答えもこの本では過去の時代から遡り考察しているためすぐには得られない。
しかし読書はそれがイイ。
現代社会ではすぐに得られる答えが多いため、
時間をかけて答えを探すことの大切さもあるのでは。

また半身という考え方も深く共感した。

0
2026年02月15日

Posted by ブクログ

 労働と読書の変遷から、「全身全霊」で労働にコミットメントする現代の働き方に疑問を呈し、「半身(=働きながら本を読める)」で働ける社会の実現を訴えていた。
 現代において働きながら本を読めなくなった原因は、ネットやSNSでの情報取得が主流になった、あるいは労働時間が長いといったことだけではない。読書で得る知識は情報にはない「ノイズ(=他者や歴史や社会の文脈)」が含まれており、情報社会に生きる社会人にとってノイズは必要のないものと見なされていることも大きく影響している。
 自分が社会人になり、自分のスキル向上やキャリア形成に関係のないものをノイズとして見なし、無意味に読書を遠ざけていたことに気づかされた。また、行き過ぎた新自由主義に対し警笛をならしており、自身が持つ個人主義的な思想をメタ的に俯瞰する機会にもなった。

0
2026年02月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

半身社会で生きていく。
全身全霊でがむしゃらに生きるのを美徳としてきた自分の考え方にメスを入れてくれる本だった。
働いていると疲労で、時間がなくて読めないのだと思っていた。
でも、疲れていても時間がなくてもスマホは見ている。
そうか。なかったのは、ノイズを受け入れる余裕、か。

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2026年02月07日

Posted by ブクログ

読書は知りたいことだけじゃなく、気にしていないこと、ノイズも入ってくること。
なので現在の知りたいことだけを入手できたり、何か一つに全身全霊でいるのがいいことだったり、効率化を求められる状態では、ノイズがあって読書ができないということでした。
でもそれは良い社会なのかどうか、そうじゃないこうしようと伝えています。
自分はゆっくり本を読む余裕がありますが、社会全体では切迫した雰囲気を感じることが多いこのごろ、徐々にこの本のいうように向かっていくといいですね。

0
2026年03月01日

Posted by ブクログ

読書はできないのにスマホゲームはできる。そこにかける時間は同じなのになぜか、常々考えていたし、そんな自分を責めたりもしていた。
読書はノイズ、なるほどと思った。
速読法や自己啓発系、仕事関係の本ばかりを選ぶ時期があったことを思い出した。「情報」を求めていたのだなと思った。それを読書と思っていたその時期は、常にオン状態で読書が辛かった。
今は読書というノイズを心地よく感じることができている。労働時間は変わらないが、気持ち的に半身で働けるようになってきていたのかもしれない。オンオフの切り替えに読書は最適だと感じている。本が読めている間はきっと大丈夫。

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2026年02月21日

Posted by ブクログ

AIに仕事を奪われることを怖がるより、むしろ「本も読めないくらい余裕を奪うような仕事」なら、どんどんAIに任せてしまえばいいという考え方に救われました。

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2026年02月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ずっと気になっていた本でした。退職してから読んでも、とは思いましたが、読んでよかった。
全身で仕事をしているから、読書ができない。インターネットで情報を集めたり、ゲームは出来るのに。2000年代くらいから始まった新自由主義の自己責任論はできる限り仕事して、老後資金も自分で稼げなので、社会全体がそういう風潮に染まり、自分で時間を作っても仕事に回してしまう。著者はそういうのはやめようという。24時間仕事してたら疲れて、身体を壊し、鬱病になってしまうかもしれない。それでは持続可能な社会にはならないと。
それよりは半身で仕事をして、自分の趣味や生活に時間をもっとあてよう、そんな社会になるといいな、と結論づけている。
余裕のある人はひとに優しくなれる。読書もできる。書店でいつも読むのとは異なるジャンルの本を手に取ってみよう。そうだよ。そうしよう〜!
最後に書いてある著者の本を読むコツもおすすめ。
そして、参考文献がやはりすごい。ピョンチョル・ハンの『疲労社会』花伝社2021年 読んでみようかしらん。

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2026年02月18日

Posted by ブクログ

すごく知的探究心をくすぐられた1冊
それだけでも読む価値はあった

タイトルにはなぜ本が読めなくなるのかとあるが、要は文化的な営みや好きなことまでできなくなるのはなぜかということが主旨なのかなぁと、、

読書離れの要因のひとつについて三宅さんが仮説を立てて、それは正しいかを検証する流れになっている
あくまでも仮説の検証をした1冊であって本が読めない要因を分析して網羅しているわけではない

確かに仕事をしていて、自分の周りにも趣味を持ってる人はいるけど、そういう人は間違いなく自己チューと呼ばれていたと思う
なぜなら趣味をする時間があったら仕事をするのが、もしくは自己啓発するのが美徳とされてるから
これは令和になっても変わらない
むしろ若い人ほどその傾向が強いのはおもしろい

ちょっと残念だったのは読書の歴史に関する考察において、著者の文章から歴史や過去に対して否定的だったり皮肉めいたニュアンスが感じられたことだろうか(私の主観です)
どう言ったところで過去は変えられないのだからそこから何を得るのかに焦点を当てて欲しかった

その点ではだいぶSNS的なバズりを意識したような手法ということだろうか?
SNSは批判的な意見を言った方がウケるから
実際本書は売れてるからそういうのがいいのかもしれない

気になったのは言いたいことを詰め込みすぎて三宅さんが本当に言いたいことがぼやけてしまっている気がすること
エッセイをまとめたからですかね?

そもそも読書に混じるノイズとは何をするためにノイズとなっているのか?
若者はそんなにも仕事で成果を出すことを求めているのだろうか?
そのためには読書はノイズと言うことなのか?
もしそうであればパズドラもノイズに違いないのに…
でもパズドラは働いててもできているのでノイズが原因ではないはず
おそらく短絡的に脳を満たせる快楽を得られるからパズドラに走ってしまうという方がしっくりくる
読書は快楽を得られるまでに時間がかかりすぎる

本書風に言えば、内容の9割くらいは本書のタイトルの答えを得るためには不要なノイズであると思われる笑
手っ取り早く答えを知りたい人にはあとがきだけ読むことをおすすめします

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2026年02月17日

Posted by ブクログ

タイトルの通り、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をテーマに、明治以降の労働と本の歴史を辿る本。内容あまり調べずに読んだが、勉強になるし楽しく読めた。

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2026年02月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

途中で読書と労働の歴史が長く続き、
ここ本当にいる?働くと本が読めなくなる理由を早く説明してよ。
と感じた私は、筆者の指摘する自分に関係ない情報をノイズと捉え、他の文脈をシャットアウトする「働いていると本が読めない』状態の人間なのだと気づいた。

じっくり読書や映画、音楽の世界観全体を
楽しんでいた学生時代の頃のように
仕事を半身にし、文化的に豊かな生活を送りたいと思った。(これだけAIが進化しているのだから、労働の半分を任せられたらいいのに)

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2026年02月13日

Posted by ブクログ

ネタバレ

歴史を振り返りながらタイトルの問いを追っていて、各時代の読書のあり方を感じとることができた。現代の読書のあり方は腑に落ちたし、自分事でもあった。働き方改革があっても、共働きが増えても、令和になっても、本質的には変わらないものがあるのだろうなと感じた。どれだけ効率化しても、どれだけ早くいいものをつくっても、余裕が生まれない仕組みが、今の社会にはあるのだと思う。

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2026年02月12日

Posted by ブクログ

半身で働くことを提唱している本。読書は明治〜大正ではエリートの教養だったけど、だんだんと大衆の修養になる。 本を読むことは自分が求めてない歴史や文脈があるからそれがノイズで読んでいられない。インターネットの情報は、ノイズがないから働いていても読める。 でもノイズだと思っていることもいずれ働くことの教養になる可能性もある。

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2026年02月10日

Posted by ブクログ

最初は日本の働き方の歴史から始まってタイトルの話はどこ?となったけど、その遠回りこそがこの本の核心だった。興味のある情報だけを効率よく摂取することが読書をできなくしているという指摘にはっとさせられた。

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2026年02月10日

Posted by ブクログ

著者が文学部出身なだけあり、それぞれの時代に出版された本とその時代の働き方を絡めながら、働き方と本の関係を解りやすく解説している。
最終的な結論として、「半身で働く」社会にする事が、読書をできる社会につながると結論づけている。
また、それだけでなく少子化や日本経済の発展に繋がるともしており自分もその考えに賛同した。
日本の長時間労働により、労働以外にエネルギーを割く事がむずかしくなっているのは自分も当てはまっている。「半身で働く」、そんな社会にするために自分に出来ることは?と考えていこうと思う。
資本主義社会の中での一労働者の自分が変えれることでは無いが、日本人全員がその様な考えを持てたら日本社会を変えていく事ができると思った。

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2026年02月08日

Posted by ブクログ

絶対に『花束みたいな恋をした』を見たあとで読んだほうがいい


著者の三宅さんとは同じ高校の出身だということもあって、話題になったこの本を手に取りました。

就職してから大好きだった読書ができなくなった自身の経験をもとに、明治以降・近代化してからの日本人の働き方と、読書のあり方(読書に限らず、文化・教養の受け取り方)の変遷という2本の線を並行をさせて比較し、労働と文化を両立できるはたらき方とは?を追求する1冊です。想像してたよりもフランクでやさしい文体で、はつらつとした女性の軽やかさと情熱にグイグイと引き込まれます。

「本が読めないのは仕事に時間が取られるから、労働で気力が奪われるからじゃないの?それと時間の使い方の選択肢が増えたからじゃん?時間の潰し方を無限に用意してくれるスマホがあるからじゃん?」だれもが読む前に予想するところでしょう。もちろんそれはそうだけど、かなり深堀りされた解像度の高い答えが著者によって提示されます。

なにより2021年の映画「花束みたいな恋をした」の主人公カップルの社会的な位置づけの違いに注目し、労働と文化のあいだには常に「社会的な格差」が影響しているという文脈を見立てた著者の着眼点がおもしろい。一見関係のなさそうなものがつながってしまう作用、これこそが教養のなせる技であって、この本のメッセージのひとつだと思います。哲学者ブルデューの『ディスタンクシオン』にも通じるものを感じました。これ映画見てたらもっと味わい深く読めたなあ。今後この映画を見る機会に、この本で提示された文脈でしか見られなそうなのがちょっと残念かも(自分のせい)。見てから読めばよかった!

明治時代、海外から自己啓発の概念が輸入され、立身出世を焚き付けられる労働者男性と、それを他人事のように眺めるエリート階級の構図が生まれたと見て取れ、明治すでに『花束みたいな恋をした』のカップルのような構図はすでにあったということが面白かったです。

その他、紙の価格高騰から円本(=全集)や文庫が誕生したエピソードなど、本そのものの変遷も興味深かったです。昭和のころ、中流以上の家庭の戸建てなら玄関からすぐの部屋には洋式の応接間があって、そこの本棚にはかならず日本文学全集、世界文学全集の背表紙がズラリ、教養も誇示できるインテリアとして鎮座していたものです。いまではそんな応接間なんて余裕も必要もなくなったうえに、オンラインで世界中の文学作品が読める。世は遺品整理や終活ブームで、無用の長物は処分したい。”全集インテリア”はもう見られなくなった光景ですよね。

「読書はノイズをはらむ」と著者は言います。2020年代に現れた効率的に手っ取り早く教養を得る『ファスト教養』という言葉。お金と時間をかけて1冊のビジネス書に向き合うより、同じ内容を数分に要約したYouTube動画を無料で見るほうがコスパ・タイパが良いという風潮を表したものです。ファスト教養によってバッサリ切り落とされた贅肉こそが『ノイズ』、言ってみればムダな部分ということ。著者のお気持ち、付随するエピソードといった余談や、なんなら本屋に行く手間、買う手間、自分でページをめくる手間、、、コスパ・タイパという俎上のうえで切り落とされるそれらを『ノイズ』という概念に集約させているのが分かりやすいです。詩的で抽象的な部分を含んだメッセージを能動的に受け取りにいくより、具体的な情報をのみを流し込まれるほうがハードルが格段に低い。だから本は読めなくてもスマホは見られるという現象が起こるのだと思います。”読書”は他者の文脈を汲み取りつつ読み進めなければいけないけど、”情報”は答えに一本道でたどり着けるルートが用意されているから。

タイトルである『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。この問いへの著者の答えは”仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなるから”。そして大切なのは他者の文脈を遮断せず、一見ムダな知識『ノイズ』をあえて受け入れること、それが働きながら本を読む一歩だと著者は言います。これには本当に同意するところで、わたしも風が吹けば桶屋がもうかるように、一見役に立たない本(や映画、音楽、美術、etc)がじんわり漢方薬のように自分の人生に効いていたと、後になって気づくことがありました。

いまの働き方の元凶とも言える「新自由主義」について触れた章も面白く読むことができました。新自由主義への懸念、前田裕二著『人生の勝算』への批評的な目線など、著者の論調のギアがグッと上がってドライブしてくるあたりがアツい!「ルールを疑うことと、他人ではなく自分の決めた人生を生きることは、決して両立できないものではないはず」という著者の熱いメッセージは胸に響きました。正直、ところどころ強引なこじつけに感じる部分もあるけれど、ある程度クセがある方が味がしてメッセージとして面白いと私は思います。ファスト教養的観点からすれば、クセや味なんてそれこそノイズなんでしょうけどね。

本も読めない(=趣味を心底楽しめない)社会を改善するには、美徳とされているストイックなオーバーワークを褒めないこと、そこからはじめようと著者は提示します。そして仕事も趣味も家事も、全身全霊でなく”半身”でこなすことだと。ストイックという幻想に縛られない生き方については最近自分も考えていました。私は若い頃、ストイックに求道的に生きて名を挙げて、「自分は何者である」という勲章を手に入れないとこの世にいてはいけない、とすら思っていたかもしれません。でも今は違います。自分が自分であるだけでいい、勲章は必要ない。”生きてることそれだけをもって、生きててOKという許可証だ”と思っています。SNSのタイムラインにならべられた勲章の博覧会に心揺さぶられないよう意識しています。

最後に思わず「そう!」と声が出た、私が大共感した文を引用します。
"好きなことを活かせる仕事── 麦(※映画『花束みたいな〜』の主人公)の言うとおり、それは夢物語で、モラトリアムの時期だけに描くことのできる夢なのかもしれない。しかし問題は、それが夢物語であること、ではない。むしろ好きなことを仕事にする必要はあるのか?趣味で好きなことをすれば、充分それも自己実現になるではないか?そのような考え方が、麦にとってすっぽり抜け落ちていることこそが問題なのだ"

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2026年02月07日

Posted by ブクログ

ついに「なぜはた」を読んだ。
日本の読書史を明治から云々と遡った割には、メッセージ性はひとつ、「この労働至上主義的社会では、その社会と切り離された読書はできない」ということだ。

振り返ってみても、本のメッセージ性としては薄いなと思ってしまう。「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルに対して、昨今の時代風潮をよく見れば、この本の内容は読まなくとも容易に想像がつく。しかし最近の三宅香帆の引き起こす読書ブームには注目せざるを得ないところもあり、本のメッセージ性の陳腐さとかそういうのはともかく、「啓蒙」という役割は果たしているのかもしれない。(もっと言って仕舞えば、一種の「自己啓発」的でもあるだろうが。)

最後に三宅が提示する「半身社会」というのも、一つの夢想に過ぎないなと思う。要はコミットメントする対象に、全身全霊で、盲目的になることを禁じているわけだが、そんなのはただの中道を説いてるに過ぎないし、その実現方法も全く提示されない。「みなさん、そこそこでいきましょう、この社会風潮をなくしましょう」と、「呼びかけ」てるだけだ。その意味でも、「啓蒙」的だし「自己啓発」的だ。

ただ、こんなに悪評しておいてなんだが、根本的には自分は三宅氏と思想が近い部分はあるのだと思う。三宅氏の本書のメッセージに陳腐さを感じてしまうのも、共感できないというわけではなく、常々自分が考えたり、感じたりしてたことをただ平凡に言ってるだけだと思ってしまうからだと思う。
しかし、そうは言っても三宅氏バンザイとはなれないところがあり、多少共感できるところはありつつも、俗的な読書ブームを引き起こしている彼女とその界隈には斜に構えてしまう。今後も色々活躍してくれるとは思うので、とりあえずこのまま斜に構えた態度で、その動向を見守りたいと思う。

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2026年03月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

久々の新書。話題だし三宅さんと関わりがある地域出身なので、身近に感じて購入。文章はわりと読みやすいのに、なかなか進まなかったのはなぜだろう。歴史部分が長かったからか?それも興味深かったけど。教養、インテリアとしての全集が流行ったこと(うちにもいろいろあったし買ってもらった)バブル期には女性のためのカルチャー、自己啓発、そして今ではノイズとしての読書と位置づけられる。
「一冊の本の中には、様々な文脈がおさめられている。本の中には私たちが用意していることを知らない知が存在している。自分から遠く離れた文脈に触れること…それが読書なのである。
他者の文脈をシャットアウトしないこと。仕事のノイズになるような知識を敢えて受け入れる。」
そうだなぁ。
「全身、自分の文脈をひとつに集約させた何かにコミットメントするのは楽なのだ。そしてそこに待っているのは鬱病。半身こそが理想。」
あとがきに「働きながら本を読むコツ」が載っていて、それも共感。
作中に映画「花束みたいな恋をした」の引用が何度も何度も出てきて、途中で読むのをやめて映画を観てしまいました 笑。おかげで三宅さんが言いたいことがよく伝わりました。ほんま、ダラダラスマホ見る時間はあって、この時間本が読めたのに!って思う。よし、今週は読書するぞ!

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2026年03月01日

Posted by ブクログ

卒論っぽい書き方な感じがしたら作者はやはり若かった。
後半だけ読んでもいいかも、最初はその時代の読書事情。
何かに100%が楽なんだというのはたしかにと思った。

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2026年02月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ずっと気になっていた本をやっと読めた。
以下、自分なりの要約。
本を読むことは、自分自身の価値を高める意味合いから大衆の娯楽になり、今ではもはやノイズになってしまっている。ノイズとは他者の文脈を取り入れること、新しい知識そのものである。今の時代は"今の"自分に関係のある情報以外は全て不要なものとして扱われる。
仕事にコミットしすぎると時間的にも心的にも余裕がなくなって本を読む(=自分の好きなことをする)ことができなくなる。仕事に100%コミットすることは他のことを考えなくて済むという点で確かに楽かもしれない。しかし、それではバーンアウトし、精神的に患ってしまう可能性が高い。余暇を持つことは大切である。そういう働き方をしていく姿勢が、これからの世の中には必要なのではないか。

納得する部分はかなり大きかった。学生だったころに比べて、本を読むことに限らず、趣味にかける時間は確実に減っている自覚があるので、それはやっぱり仕事をしているからなのだろうと思う。仕事をしている時期によっても、違う。繁忙期は確かに趣味に時間はかけられない。また、心に余裕がないと小説は特にあまり読む気にならない。他者の気持ちを引き受けるキャパがないからなのだと思う。そういう時に無理して読まなくてもいい、と語られているのは少しホッとする。
自分の働き方、生き方、余暇の持ち方、時間の使い方を省みる機会になった。

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2026年02月26日

Posted by ブクログ

スマホをいじる時間はあるけどなかなか読書をする時間が持てない。そんな自分の普段の悩みについて触れてくれる本でした。
なぜそうなのか。に重きを置いているので、実際解決はしませんがどうしてそうなのか、や改善するにはどうすればいいのかを語りかけるように問題提起してくれるものだったのでこれからの行動のきっかけにつながったと感じています。

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2026年02月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

普段読まないジャンルで、目が滑るところもあったけど、時代による読書の位置付けと意味がわかった。今の時代は、情報を得ることが簡単にいつでもできるようになっており、その情報は自分に関連することしか出てこないから、ノイズの多い読書をする余裕がないんだと。仕事だけに打ち込むと余裕はないから、全身全霊じゃなく半身で打ち込むと色んなことん興味が持てて、豊かな生活が送れるんじゃないかなと言うことが書いてあったと思う。

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2026年02月20日

Posted by ブクログ

本を読むこと、働くことについて、歴史を紐解きながら意味づけを行い、最終的には、仕事一筋をやめよう(何かに全身全霊向かうのはよくないという言い方をしている)、本を読む余裕を作ろう、といった結論付けをしている。
うーん。どうなんでしょ。ワークライフバランスや働き方改革と同様に、違和感があります。
モデル化と結論付けの主観が強めです。
読書をどう定義づけるかにもよるけど、結局は自分がそれによって充実できるかということが大事なのではないでしょうか。仕事が生きがいで、本は仕事の糧になるもの以外読まないなんて人もいるでしょうし、ほかの趣味が楽しくて本はいらないなんて人もいるでしょう。つまり、なぜ××すると○○できないのか(××は義務でやっていること、〇〇は好きでやること)に言い換えられる。著者は文芸評論家ということですが、仕事で本をたくさん読むはずですが、評論する本は半身でしか読んでいないのでしょうか。
ところで、序章でパズドラのエピソードに激しく共感してしまいました。自分もスマホを持ってから読書量が2割ほど減りました。何も考えずにニュース見たりゲームしたりポイ活するのは楽ですもんね。でも惰性でやっているだけでなんの充実感もない。これが問題ですね。あと、加齢により集中力が低下したのと、老眼が始まったことも理由の一つなのは否めません。どちらにせよ、現代は本以外のコンテンツが多すぎます。読書量は減るに決まっています。

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2026年02月15日

Posted by ブクログ

かつてラッセルが『怠惰への讃歌』で説いたことを、労働史と読書史から令和版アプデしたような、してないような、って感じの本。
8ページに及ぶ参考文献一覧には狂気すら感じる。

著者の言う「読書とは自分から遠く離れた文脈(ノイズ)に触れること」という定義は結構しっくりきた。仕事に「全身」を捧げるあまり、未知のノイズを身体が拒絶し、手軽な情報やスマホゲームに逃げてしまう。
読書ができないのは時間の問題ではなく、脳の「バッファ」の問題なのかもなー、と。

提示される「半身で働く社会」は、資本主義に全てを差し出したくない身には、なんかよさげである。

ちなみに著者は働くのが大好きらしいが、私は大嫌いだ。体力のバッファが全然違うし。「そういう人もいるんだ、タフだなァ……」と遠い目になる。
これもまた、本書を通じて「自分とは異なる他者の文脈」を獲得できたということ…かも?

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2026年02月18日

Posted by ブクログ

基本的には文系脳による論文で組み立てたバルサ材の楼閣的な考察なんで文系臭が激強。他人のふんどしで相撲を取る文系としての営み=他人の著作物や世の中を解釈、解説して論を展開するという営み。これが基本のエッセー風批評。

自分で過去を調べて思考するのではなくて、先人論文をいっぱい引用して、それらを土台にして論を展開している。そもそも、その手の論文の信憑性はどうなんだろうとか気になってしまった。文系なんちゅうもんは、結論ありきの適当胡散臭論文だらけなんだから。

「本を読めなくなる理由」はあくまで著者の考察なので、本を読まなくなったという実態の切り口は本書の意見以外にも存在する。提言に関しては月並みで、無理矢理感があった。問題設定と題名で大いに売れた本なんだろう、そこはうまくやった。

著者は、本の主張に対していちゃもんつけられたら案外に理屈っぽく数字を挙げて反論してた。理屈や論理力にかなり自信を持ってるらしい。ちょっと驚いた。お気持ちエッセー批評のつもりじゃなかったんだと。この本はお気持ちエッセー批評であるというのが実態なのだが、本人はちゃんとした論を提示しているつもりのようだ。

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2026年02月10日

Posted by ブクログ

■はじめに
先日再読した際、この本のタイトルって、やっぱりキャッチーだよなぁ…と、書店で初めて見た時と同じ印象を抱く。

『なぜ◯◯なのか?』という問いかけタイトルは読者の思考を揺さぶる定番技。その問い掛けに首肯する人もいれば、僕のように必ずしもそうとは言えないでしょ〜って思う人もいるわけで。

めて言われなくたって、働いていると忙しい→疲れる→余裕がなくなる→だから読めない。ごくごく当たり前のこと。

だからと言って、『新卒入社で60歳定年まで働くと約40年。その間、ずっと読めまへんか⁈ 』ってツッコミを入れたくなる。この間、沢山読める時もあれば、ぐっと落ちる時もある。そういう偏りが生じるって当然のこと…と私は思うわけです。

駆け出しの広告マンだった頃、電通のPR局長でディスカバージャパンのキャンペーンを手掛けられた藤岡和賀夫氏の著作『オフィスプレイヤーの道』を読んだ。そこで、一口に働くと言っても3段階あるとステージ論を開陳されていた。

それは労働(レイバー)→仕事(ワーク)→遊び(プレイヤー)という3段階。同じ仕事も習熟度により関わり方が異なる。ステージを進む内にやらされている感は薄らぎ、見える景色も変わり、やがてクリエイティブ思考が生まれ、仕事の中に遊び感覚が芽生えてくる。それがオフィスプレイヤーであると。

そこに至るまでの道程を説いた本で、今もってそう思う。クリエイティブって、別にクリエイティブ職だけではなく、経理や総務もしかり。

…という考えを抱いているので、キャッチーすぎるなと思うわけです。

著者の三宅香帆さんは、はたして僕の疑問に対し、いかに返答するのか?…再び本を開いた。

■内容
著者は〈働いていると余裕がなくなり読めない〉ってこと、そんなの当たり前じゃん!とは見なさないですな。

むしろ、『それって、どういうこと?』と問い直し、労働史からフェミニズムに文学論までも総動員し、『なぜ本が読めないのか?』という極私的疑問を社会的構造や文化史へと押し広げていきます。

要は…本が『読める・読めない』という二元論を時間の問題だと捉えずに、『どう読むか』『何を読むか』『なぜ読むか』という根本的な問いに転じていく過程が本書の読みどころ。

■本書のハイライト
読んでいて、一番しっくりし、膝を打ったのは
『読書はノイズが魅力』いう見解。

この意味は、読書とは〈何かを効率的に得る〉手段ではなく、〈何かが気になってしょうがない〉〈全然関係ないことを思い出してしまう〉…。そんな『脱線』が起こる行為であり、それがノイズだと定義し、読書の醍醐味だと畳みかける。

この視点って、現在の『目的意識まみれの自己啓発的読書法』に対する、ちょっとしたアンチテーゼにもなっている。

世は何かつけタイパ タイパのオンパレード。TikTokのショート動画に若年層の倍速視聴…。例えば、『TikTokで小説を紹介するときは、作家名はノイズだから言わないのがセオリー』らしい。なぜなら固有名詞はノイズで、面白いあらすじがあればいい。(なんだそれ⁈)

そもそも読書って、実用書や自己啓発本を除いて、効率・非効率という視点で見れば非効率だし、情報を吸収する活動には不向き。心のどこかに『引っかかり』ができたり、極めてアナログで気まぐれな営みである。

ゆえに、読んでる時って、その時の自分の立ち位置・体調・気分・働き方等々…つまり“今の自分”そのものと共鳴し合っているから、同じ本を再読しても、まるで違う手触りになる。

■総括
本書は『読めないあなたはダメじゃないよ』と優しく寄り添いつつ、同時に『読むって何だっけ?』という問いを静かに差し出してくれる。

大仰に言えば、働きながら本を読むって、それだけで立派なレジスタンスな行為であり、文化的な営為であるんだと。

『本が読めない…』と嘆く人たちへの小さな光になる一冊として、よく出来た“読書の処方箋”でもある。

■最後に…
僕が抱いた『働いているとそんなに本が読めませんか?』という問いについては、今回再読し、様々な“ノイズ”をかき集め、自分なりの答えを導き出しました。

それは…
『仕事で一人前になるまでは、その間は余裕もなく疲れ果てて本なんて読めません。それが普通です。読めるということは、一人前になったことの証左。新卒でも、35歳で転職しても、60歳定年後の再就職も同じ。一人前というステージ到達までの『揉みくちゃ』期間は本は読めません。そして、また必ず読める時が必ずやってきます!以上!』







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2026年02月24日

Posted by ブクログ

現代人が本を読めない理由を、本や読書習慣の歴史に触れつつ言語化しており、
何となく結論や理屈はわかっていても、納得感と新しい視点を得られた。

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2026年02月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読みたい本はどんどん溜まる。積読本が家を占拠。働いてる時間が長く、会食や観劇や映画鑑賞、展覧会など期日が限られていることを少ない時間をやりくりしてこなすと、読書は後回しとなるからだ。
タイトルについて深掘りされているかというとそうでもない。最後にタイトルに沿ったコツ伝授があるか、この本を買う、読む人であればほぼやってる、知ってることで、コツというほどでもないかな、と思う。本書はタイトルがこうなっているが内容は労働の変遷と労働者と読書の関係、環境やマーケティング、社会背景との関わり、つまり賃労働やサラリーマンの出現と彼彼女らの読書への意識とニーズに適った出版業界や作家の戦略といった内容。花束みたいな恋をした という映画の主人公の二人、恋人同士の二人のエピソード、心境を用いてさまざまな時代の読書環境や読書のモチベを解き明かすところは著者独自の視点だなと思う。
ほんと、隙間時間にバシバシ本読んでこなしてる人もいるのになんでスマホ見ちゃうのかな、、、

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2026年02月06日

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