あらすじ
【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。
【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
感情タグBEST3
平成あたりからすっごく話がイメージしやすくなって、めちゃくちゃ面白かった、、、!!
もちろん昔の日本の読書習慣や仕事への見方、階級などなど勉強になったけどやっぱり時代が遠すぎて「へぇそうなのかあ」と表面でしか理解できなかったような部分がたくさんあったけど、読み進めていくとどんどん話が自分の中で繋がってきて、分かりやすかった。
昔の日本は読書はエリート向けのものであったり、教養を身に着けるためのものであったが、今では読書=ノイズ(自分にとってシャットアウトしたい、必要ないと感じているもの、体力精力を精力を無駄に消費するもの、頭をつかうもの、、、)と考えられている節があり、人々のなかでの「読書」の立ち位置が今と昔で全く違うのがとても興味深かった。
読書するというのは他人の文脈を受け入れ、触れ、関わりあっていくこと。
仕事へ自分の100%を注ぐのではなく、半分余力を残しておいて別のこと(趣味、家事など)に充てること。
無理して働くことを美化しないということ、などなど。
どれもすごく大事なことだと思いました。
また時間をおいてから読み返したいと思った1冊でした。
何を買うか決めてない状態で本屋に行って目についたものを買うのが大好きだからまた早く行きたいな~という気持ち!
積読ばんざい!!!
Posted by ブクログ
本当に本が読めなくなって苦しくて救われたくて読みました、買ってから10ヶ月くらい経っていたんだけれど。
救われました〜〜ありがとう〜〜 全身全霊で仕事したいけど、休み方を覚えようかなあ
Posted by ブクログ
一気に読んでしまった。それくらいの読みやすさ。
著者の考えていることに共感しかなかった。
私は働きながら本が読めてはいますが、孤独な人間に思われて、仕事中に後輩が聞きたいことを聞きにくいと言われたことがあるので、休憩時間の5分間は戯れて、残りは読書をしています。
全然休めていない気がして、「どっちが無理しているんだろう」と思ったこともあったけど、「そもそも8時間働くのに正規の休み時間が1時間弱しかないのおかしいよ」と思うようになりました。
やりたいことに対する余暇時間の少なさ。これが何もできなくなる原因の一つでした。
たばこ休憩も認められているんだ。読書休憩もありだろう。明日からやるかぁ。
Posted by ブクログ
日本人はいつから本を読み始めてどんな本を選んできたか。日本人はどんな働き方をしてきたか。この2つを絡めながらざざーっと振り返れたことはとても面白く、自分の祖父母宅のお家にあった本を思い出したり、小さい頃のお父さんを思い出したり、なぜ今私は本を読めないことに焦っていたのか、とても合点がいきました。そして、自分自身の中途半端な働き方に疑問を持つ今日この頃だったのが、これでいいんだ、と背中を押してもらった気分。全身全霊でトータルワークすることをやめます。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃおもしろくて、いっきに読んでしまいました。
「労働」と「読書」の関係を歴史から紐解き、現代の働き方、のみならず人生への向き合い方について、独自の見解が述べられています。
仕事だけでなく、趣味やその他のことも含めて、「全身全霊」でやらないという考え方に、とても共感できました。
Posted by ブクログ
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」
著者は新卒1年目に気づいた。今まであんなに本を読んでいたのに、読める時間はないわけじゃないのに、本に手が伸びない。好きな作家の作品を追いかけることもやめてしまっていた。
流行の作品「花束みたいな恋をした」にも、同じ現象を見た。
そこから、労働環境や社会的階級により読書ができるできないが左右されること、
近代(明治に始まる)われわれ日本人の読書体験とはどのようなものか、誰がどんな本を読み、いつどんな本が必要とされ受け入れられたか、数々の文献を引用し、時には文学作品から当時の息吹を感じながら繙いていく。
労働者とインテリ(ワナビー)をわける修養と教養など、現代のわれわれに無意識に受け継がれている読書への態度など、多くの観点から読書を読み解いていく。
労働と読書の価値は時代によって異なる。
現代は、労働によって自己実現を図る社会。
自己実現のために、のめり込んで労働させられている。
情報収集ではなく読書はほかの人の文脈というノイズを生む。
自分の文脈(労働からの自己実現)にのめり込んでいる時、新しい友人に出会うのが億劫になるように、本を読む心の余裕がなくなる。
スマホゲームや自己啓発本は、よくわかっているものであったり、仕事に親和性が高かったりして、ノイズとはならない。
そんな、全身で仕事をしなくてはいけない社会が生み出したのが本が読めない社会である。
本が読める社会とは、仕事に半身、もう半身は仕事以外の他の文脈のために空けておける社会。
本を読みたい人は本を読めばいいし、他の趣味がある人、家族のケアがある人、それぞれの文脈を共生させる。
全身で仕事に打ち込むのが美しいとされる社会を止めること。称賛するのを止めること。
そこから本が読める社会が戻ってくる。
Posted by ブクログ
労働や階層、社会といった切り口から読書という行為について分析。緻密、膨大な研究に基づく、破綻のない整然とした主張に納得させられる。
自分の中で漠然としていた読書とSNSの性質の違いを明確に認識することができ、より読書に集中するきっかけとなった。
Posted by ブクログ
労働に対してどういった価値を見出すのか、意味づけをするのかは時代によって大きく異なる。
時代を覆う考え方に影響を受けていることを
認識していないと、自分にとって大事なもの(読書や大切な人との時間)を見失ってしまうのだと思った。
Posted by ブクログ
読書と労働史と言った感じの著者だった。
結論は、全身全霊から、半身で何事も行う。
情意評価が、重要視される日本では、根回しや内部資料を過度なまでに整える環境が生まれる。
仕事をできないことを認めるより、バーンアウトの方が、誇らしいと言った感情が生まれる。
全身全霊の方が楽←同意
国も会社だとしたら、ブラックな環境の国は、淘汰されるべき、国となる。
淘汰とは、どういうことか。
働き手がいなくなる。
国民か、子どもを産まなくなる。
糸魚川市が、選ばれなくなる。
ゆるい市
象徴 完全週休2日制
先進的 週休3日
Posted by ブクログ
生き方を考えさせられ、明日からの仕事を考えさせられた。人生の転換になる珠玉の一冊。働く意味や人生において有限の時間をいかに使うか、もう一度考えたい。
Posted by ブクログ
意外と歴史書だった。明治から令和に至るまでの日本の労働と読書の関係性について説く本で、最後の「日本人はもっと半身で働くべき」という提言にも納得。新しいことを知ることはノイズだけど、それを受け入れる余裕も必要だなと。
ただリアルな話、1〜3年くらいは全力で働くのも大事かなと思う。(それは作中でも触れられてるが)
やっぱみんなが半身すぎるのはちょっと違う気がするかも。頑張ってることも奨励されて欲しいし、本を読む余裕があるくらいの働き方でコミットすることにも寛容や社会になって欲しいなと。
自分が仕事も読書も好きだからこそそう思った。
Posted by ブクログ
アカデミックに日本の読書史を読み解きながら、現代人がなぜ本を読めないのかについて言及する。
それは現代人が仕事に全力投球し、即時的に日々の業務に役立つ「情報」を求めているからである。
→仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなる
「情報」:
•自分が知りたいこと(欲しい情報)そのもの
→ノイズ×
•情報収集
•ネット検索/SNS
「知識」:
•知りたいこと+ノイズ(予期しない情報)→偶然性
•偶然性→自分から離れた存在に触れること(我々は他者の文脈に触れ、他者を人生に引きこまなければ生きられない)
読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れることである。本の中には、私たちが欲望している事を知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。
半身で仕事をし、本を読み、自分なりの余暇を楽し
む。人が自分だけの文脈では生きられないのだとしたら、様々な方法で他者の文脈を取り入れる余裕を持つことが大切である。そしてそれは必ずしも読書である必要はないのかもしれない。
Posted by ブクログ
中身は読書の近現代史と言った感じでタイトルからはやや遠い内容
タイトルと中身は離れているがそれこそ現代のすぐに答えを求めようとするファスト教養としての読書への問いかけにもに感じる
小難しいことなしの感想を言うなら昔の本のことたくさん知れて楽しかった
Posted by ブクログ
半身社会。なんかわかる気がした。若い頃より今の方がいい意味で全力で働いてないというか。ゆとりがあるというか。なんていったらいいのか。
ノイズの話もわかる気がした。
Posted by ブクログ
なぜ働いていると本が読めなくなるのか、ってタイトル。どっちかというと「本が読めなくなるのか」の方に惹かれて買った。実際、読書の歴史なんかを丁寧に追っていく展開でとても満足。でもこの書籍のメインはどっちかっていうと「働いていると」っていうところだと思う。今、一生懸命本を読もう!と心がけている自分の心のうちを見透かされているような気持ちにもなった。おすすめです。
Posted by ブクログ
著者の言いたいこと、伝えたいことが書かれてあるところが面白かったです。
また、実際、私自身も2024年から社会人となり中々プライベートの時間(運動や読書、などなど)を取ることができないことにもやもやしていたところだった。そんなとき、この本に出会い読書できていなんだよなぁという共感からこの本を読み始めた。
序盤は著者が働き始めてから本が読めなくなったという経験からこれまでの日本は本を読めていたのかどういう人が読んでいたのかなどの歴史をまとめていた。それらを踏まえて現代へと焦点を当てて本が読めない現代社会に対して著者の意見を述べていた。今回の内容は本にフォーカスした話として思われるかもしれないが、現代社会の問題点を述べており今後の社会の在り方や自分たちの生活をどのようにすべきかと問うており、非常に面白い。つまり、本以外にも当てはまり自分の生活をどうしていきたいのか考えさせてくれる本である。
読み直したい本の1つであり、本書以外の作品も読んでみたいと感じた。
Posted by ブクログ
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」
会社帰りに書店に立ち寄り、ふとタイトルが目に留まった。
気づけば、まえがきを読み始めていた。
「そうか、本が読めていないのは働いているからか」という、既に知っているようで実感しきれていない気づきがあったからかもしれない。
最近本を読めていなかったそんな私だが、先月育児休職を取得したことで、「働かなくてよい時間」をタイミングよく確保できたことから、この機会を逃すまじと、最後まで読んでみた。
タイトルの雰囲気から、脳科学的な観点でまとめられている本なのだろうと推測していたが、読み進めると驚いた。なんと本書の大半を、明治から現在に至るまでの読書史と労働史の記述が占めている。
「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問いに対し、著者は「昔の人だって忙しく働いていたが、本は読めていた」という事実に注目し、「時代の流れやそれに伴う人々の価値観の変化が影響しているのではないか」という仮説を立て、それを検証していくプロセスをとっているためだ。
はじめは、「本が読めなくなる理由を早く教えてくれよ」という気持ちで読んでいたが、各章でまとめられている、各時代において人々が置かれた状況や労働に対する価値観、その中で読書はどのような位置づけだったのか、といった、これまで自分が知らなかった、あるいは、考えたこともなかった内容に、いつの間にか夢中になっていた。
そしてこの体験は、まさに著者が述べる「大切なのは、他者の文脈をシャットアウトしないことだ。仕事のノイズになるような知識を、あえて受け入れる。仕事以外の文脈を思い出すこと。そのノイズを受け入れること。それこそが、私たちが働きながら本を読む一歩なのではないだろうか。」という結論に結びつく。
最終章では、新時代の社会のあり方として「半身社会」を提唱している。我々にどこまでも全身のコミットメントを求める資本主義社会の中で、全身全霊で生きるのは自我を消失させられてしまうから、自分を、そして、自分以外の人間を覚えておくために半身を残しながら生きよう、というメッセージだ。
この部分を読んでいる時、私は素晴らしい考えだという賞賛の気持ちになったが、その一方で「全身全霊で取り組んだときのみ、真の価値あるものを創出できる、あるいは、提供できることは確かにある。全員が半身社会のマインドで生きていたら、そういうものが世の中に生まれなくなり、社会は停滞するのではないか。」という疑義の念も抱いた。自分の中に理想は、まだない。ただ、今回本をじっくり読み、社会の今後のあり方について、誰かの意見を真剣に受け止め、同時に自分にも問いかけて考えられたのは、これまでかなりの比重を置いて取り組んできた仕事から一時的に離れ、自分に余裕が生まれていたからなのは間違いない。常に自分に余裕を持つよう意識し行動すること、余裕で生まれた余力を自分自身だけでなく自分以外にも与えること。この想いをもって、これからの社会について考えていきたい。
Posted by ブクログ
題名の通り近年話題となっている読書離れについて「労働と読書」の歴史を辿りながら解説している作品。明治時代から令和時代にかけての国民の読書(本)に対する捉え方の変遷を知ることができる内容であり読みごたえがあった。
本の中には興味を持った単語「円本」・「カルチャーセンター」や作品(参考文献含む)が出てきたため、いつも通り自分で調べて学びを広げていると、ふと他の本でも日頃同様に分からない・気になる単語を調べて理解を深めていることに気が付いた。これが作者の伝えているノイズを受け入れる、遠く離れた文脈に触れるという読書の醍醐味なのだと確信。読書とは情報の寄り道をしながら様々な知識を蓄えられることなのだと実感できる作品であった。
作者の伝える「半身で働ける社会」までは行かなくとも、ノイズを受け止められる社会ではあってほしいと思う。
Posted by ブクログ
だいぶ話題になっているようなので遅まきながら読んでみた。
前半(第6章まで)では近代読者層の成立を立身出世主義や修養主義、戦後は「教養」との関係から概観し、後半(1990年代を扱った第7章以降)ではそうした読書が立身出世や修養、教養から離れ、ノイズを含まない情報摂取が主流となっていくなかで読書離れが進んで行く過程とそれに対してどうするべきかを提言(最終章「全身全霊をやめませんか」)をおこなっている。
前半の話は周知のことであり特に新味はないと思うが、後半で取り上げられている読書傾向などはよく知らなかったので勉強になった部分もあった。
最終章で著者が引用しているハン・ビョンチョル『疲労社会』(花伝社、2021年)は面白そうなので、読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
現代においては、読書=ノイズ。
本好きの者からするとなかなかにインパクトがあり、ショッキングな言葉でありました。
しかし、日々の自分自身の行動を思い返してみる。
こんなことやあんな事をやりたいが、いつも時間がない。
そういう風に御託を並べて遠ざけてしまっている物事は案外にも、身の回りに散らばっているんじゃないか?
たまたまそれが本ではなかっただけで、自分の中で、所謂「ノイズ」と無意識に捉えてしまっていたものがあるんじゃないか。
気を抜くと身の回りに対しての視野が狭くなってしまうなぁと痛感いたしました。もっともっと豊かに、文脈を広げていきたいところ。
社会背景の流れが基盤となり、その時代ごとに売れゆく書籍たちの変化がとても分かりやすく、とても興味深い内容。
また著者のなかなかに切れ味鋭い見解に
思わず笑ってしまう部分も随所に。
最後に述べていた、疲れている時は無理して読まない。少しの親近感とほっとさせてくれる感。
これからも、本と離れっきりにならずに済むような気がします。
楽しく拝読させていただきました。
Posted by ブクログ
なんかビジネス書かな??と思って敬遠してたけど、「読書と労働の歴史」とのことで面白く読めた。
直前に、野﨑まど『小説』を読んでいたので、どうしたってそのことも考えてしまう。(何のために本を読むのか?)
第9章と最終章はほぼ共感しかない。
問題は、最終章にある「半身社会」をどう実現するかだが…。読みたいリストにずっと入ったままの、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』をそろそろ読むべきかしら。
Posted by ブクログ
Audibleにて。
読書文化の歴史的経緯と分析は興味深く読んだけど、結論は自分の求めてた内容ではなかった。
この手の本はいつもタイトル通りの中身ではないので予想はしてたけど。
私が求めてたのは「忙しくてもどうすれば読書をもっと楽しめるか?」だったのかもしれない。
人それぞれ違う読書の具体的な楽しみ方やこれからの新しい読書の楽しみ方など、もっと具体的なものが知りたかった。
私が読書を毎日続けられるのは、ブク友さん達のおかげです。
「いいね!」のやり取りだけでも、「本が好き」という共通の趣味を持ったブク友さん達と毎日一緒に読書を楽しんで繋がっているような気持ちになるのでとても嬉しい。
ブク友さん達の本棚からは自分の知らない分野の本も知ることができて、様々な感性のレビューを見るのも楽しいし、皆さんレビューが上手なので勉強にもなる。
今まで孤独に感じていた読書の時間がとても楽しい時間になりました。
これからもブク友さん達と一緒に読書をずっと楽しみたいです。
Posted by ブクログ
三宅さんがたくさんの読書愛を語る姿は好きですが、新書が苦手な私には難しく、過去の時代の話は結構読み飛ばしました。
最終章の、現代は「自分の中の内面が働かせてしまう」というところは、SNS社会で存在するかわからない、遠くの人とも比較できてしまう時代ならではの悩みだと思いました。最初から働き方改革を適応されているこれからの若者の意識は違うのかもしれません。なので10年ごとに現状分析して欲しいなと思いました。
半身で働く社会は理想なんだけど、仕事をある程度習熟するには全身で働く時期も必要なんじゃないかと思ってしまうのは、私が古い人間だからかもしれません。
Posted by ブクログ
著者は明治からの労働と読書の歴史を紐解いてそこからみえてくる「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の答えをだそうとする。そして提案する。「全身労働社会」から「半身労働社会」に変わろうよと。
「半身」とは,さまざまな文脈に身をゆだねることである。「読書」が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものであると。
「半身社会」こそが、「働きながら本を読める社会」をつくると。
今 「全身」から「半身」になった身にしてみれば
好きな読書を満喫できて とても幸せだ!
「半身」だからこそ あれもこれも楽しめている。しかし さて誰もがそんな人生を過ごせるかと言うと、、、、?「半身」で働ける可能な社会が来るのを祈るばかり。
Posted by ブクログ
実際働いていると本当に本が読めない!
残業や長時間労働したあとは特に読めない
なのに、スマホはいじられるし、Xもインスタもみれる。ついつい、本を開くの億劫になってしまうときに出会った本。
「全身全力」で仕事してしまうと、自分のことは
後回しにしてしまうし、そんな人生はわたしの人生ではないので、そこそこに力抜いて本を読んでいきたい。
Posted by ブクログ
内容はなるほどなと思いましたが、このタイトルに惹かれて(本読みたいけど読めない…!)手に取った人にとって読み易いかどうかは微妙なところでした。
遠回りして、また元いた位置に戻ってきた感じがしました。
Posted by ブクログ
読書と働き方についての歴史を振り返りつつその当時流行った本についてふむふむと読み進めていた。最後に急に結論として半身で働く事を提唱してきて、びっくり。8割読むまでこんなしっかりとした結論で結ばれる雰囲気じゃなかったのに。新書って始めの2.3割に結論が書いてある事が多いから意外だった。
著者も述べている通りなかなか半身でやるって難しいけどね。好きな事、楽しい事だったらやりたくなっちゃうだろうし、仕事でやらなきゃならない場合もあるし。
Posted by ブクログ
完璧主義社会へのアンチテーゼ。半身で働こう!というのは大いに賛成。自分は半身どころか3分の1身くらいでしか働いてないから本が読めるのかもとすら思う。
まあ色々書いてたけど、単純に残業なしの週5・8時間労働ですらまあまあ疲れるし、そもそも本って一気に読まないとどんどん内容忘れてつまんなくならないっすか?私はそうで、だからまとまって読める時間なかったらそりゃ読まなくなるよなって感じがする。し、映画と違って流しとけば勝手に進むもんでもないから、そういう意味でも読書ってハードルが高いよなーと思う。
ただ「読書はノイズが多い」ってのは、そういう概念は確かにありそうだなと思ったけど、物語系の娯楽は全般そうよね。読書や映画は自分にとって未知の世界への旅で(だから最近現代小説ばかり読んじゃってその既知っぷりにうっすらがっかりしてたんだな、と今気づいたけど)、そのノイズが重要というか、思いがけない話の展開や表現の美しさから感じる魂の震えを探して映画観たり本読んだりしてるわけで、それをノイズと言っちゃおしまいだよねえという感じがする。そういう概念を持つ世の中に対してね。作者への文句ではなく。安寧が欲しい気持ちもわかるけど、自分は逆に社会生活で繰り広げられるクソどうでもいい雑談や愛想笑いで蕩け切った脳みそをシャッキリさせるために、不愉快さに耐えかねてやむなく切った心のスイッチを再起動するためにそういうのに触れてる感じがするから、うーん、みんなそうなのかなー。と思った。本当にみんな知りたい情報しか知りたくないんだとしたら、病的すぎる社会だと思う。一切の無駄も許せないなら早く死んだほうがいい。ある意味ではおれたちの生が一番無駄なのだから。
個人的にはそういう概念がないから、やっぱりそんな難しい話ではなく、単に疲れてて「本を読もう」とよいしょと立ち上がるのすら面倒、それくらいみんな疲れてるってことじゃないのかなーと思ったけど、まあでも、そういう側面もあるんだろうなあ……と思った。