あらすじ
【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。
【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
感情タグBEST3
平成あたりからすっごく話がイメージしやすくなって、めちゃくちゃ面白かった、、、!!
もちろん昔の日本の読書習慣や仕事への見方、階級などなど勉強になったけどやっぱり時代が遠すぎて「へぇそうなのかあ」と表面でしか理解できなかったような部分がたくさんあったけど、読み進めていくとどんどん話が自分の中で繋がってきて、分かりやすかった。
昔の日本は読書はエリート向けのものであったり、教養を身に着けるためのものであったが、今では読書=ノイズ(自分にとってシャットアウトしたい、必要ないと感じているもの、体力精力を精力を無駄に消費するもの、頭をつかうもの、、、)と考えられている節があり、人々のなかでの「読書」の立ち位置が今と昔で全く違うのがとても興味深かった。
読書するというのは他人の文脈を受け入れ、触れ、関わりあっていくこと。
仕事へ自分の100%を注ぐのではなく、半分余力を残しておいて別のこと(趣味、家事など)に充てること。
無理して働くことを美化しないということ、などなど。
どれもすごく大事なことだと思いました。
また時間をおいてから読み返したいと思った1冊でした。
何を買うか決めてない状態で本屋に行って目についたものを買うのが大好きだからまた早く行きたいな~という気持ち!
積読ばんざい!!!
Posted by ブクログ
流行から3周くらい遅れて読んだ。
2025年の私の目標の一つに、月5冊、年間60冊の本を読むことがあった。結果としては、年間60冊は達成できていたのだが、明らかに読めた月と読めなかった月の差が激しかった。
昨年の仕事の状況を思い返すと、明らかに忙しかったのは、夏と冬。みると7月と12月の読書量が他の月と比べて明らかに少ない。8月のお盆休み、そして9月に取得した休暇期間で一気に数を伸ばし、なんとか年間の目標を埋めた状況とも言える。
12月、年間の目標は達成したとはいえ、ペースが明らかに遅いことを危惧し、少し無理してでも読もうと思っていた。結果は惨敗。12月の読書カウントは1冊、それも年末の休暇中に一気読みしたものだった。
本書に書かれていたとおり、「半身」で働くことの重要性は身に染みて感じているものの、一方でどうすれば半身になるのかわからない。自分でも、一つのことにしか向き合えない、とても不器用な人間であることも理解している。読書時間の問題だけでなく、集中力が続かない、体がこわばっている、疲れやすい、など多方面に影響が出ているような気がする。「年齢を重ねるともう少し楽になる」と言ってくれた大先輩の言葉を信じつつ生きてはいるものの、もう少し早くその楽さに気づけないものかと四苦八苦している。
今年の目標は、均してではなく、月5冊。義務ではないけれど、半身を体得するための一つの方法仮説として取り組んでみたい。
Posted by ブクログ
文芸オタクと自称される筆者の読書論。筆者は私の娘とほぼ同年代のお嬢さんだが、読書時間が取れないことに爆発して、リクルート社を辞めてしまったという行動力を持つ人。読書系ユーチューバーとしても有名なようで、ちょっと覗いてみると頭の回転の速さと小気味よい喋りに驚かされる。さて本書の内容だが、自らの体験と豊富な読書量に裏付けられた話で、読書と労働をめぐる明治から令和までの歴史書にもなっており、面白かった。本が読めないのは読書時間が無いのでは無く、ニーズがなくなったということ。読書で得られる体験が、ネット情報との比較でノイズまみれの使えないものになっているという指摘は鋭い。彼女が志向する「半身社会」。実現のビジョンは分からないとのことだが、大丈夫。中高年になれば自然とそうなります。そうならざるを得ない体力の衰えが悲しくもありますが・・・
Posted by ブクログ
明治からの日本読書歴史。「文脈というノイズ」は山口周氏「世界のエリートは〜」の美意識と共通。ショートカットではなくノイズを楽しみ、吸収しよう。
Posted by ブクログ
年末年始にかけて読んで良かった新書。三宅さんはyoutubeの出版区の「本屋で本気の爆買い」で知った。すごい読書魔だと分かり、彼女が書いた文章を読んでみたいと購入。自分自身も本を読む時間をどのように捻出すれば良いのかを知りた買ったので、まさにこれは私のための本だと思った。
「全身全霊で仕事しないで半身半霊で仕事をしましょう。そして、本を読みましょう。」というような最後の締めは、私にとって雷に打たれたかのような衝撃的な言葉だった。
何事にも全力で取り組みたい私にとって、今年は少し色んなことに対して全力じゃなくて良いのでは?と、肩を叩かれた気分になった。
2026年も全身全霊で馬車馬のように動きまくるぜ!と思っていたので、少し自分を見つめ直す良い機会になって良かった。
三宅さん!感謝です!
Posted by ブクログ
新年早々いい本に出会えた!新書の面白さにハマりそう。感動した。浅いし論理の飛躍もあるけど目の付け所が良い。「半身」って大きなキーワードだ。全身全霊で働くのを辞めませんか、は勇気のいる提言。無理する自分や他者を称揚しないって難しい。美意識を変えなければいけないな。人生を信じるというニーチェの言葉、面白すぎる。共感しながら読んだ。三宅さんの文章は飾らず素直で今っぽいので、とっつきやすいなぁと思った。「私はいつでもあなたの読書を待っています!」には励まされて思わず笑顔になった。文章から愛嬌が見えて可愛い。
過去や他者をノイズだと考えて切り捨てたくないなぁ。他者の文脈に身を委ねる「半身」良い言葉だなぁ。文芸評論家、頑張ってほしい!いやー良かった
Posted by ブクログ
全身全霊で働くことを美化しない。
著者も書いていたが、自分自身に強く言い聞かせたい言葉だと思った。
働くことで、自分の世界が広がったり、こうなってたんだ!と知的好奇心を刺激されたり、人から称賛されて嬉しくなったり、、ポジティブな感情になることが自分自身は多いなと思う。
ただそれは、周りのサポートや恵まれた環境などが重なっているからこそ感じられる感情でそれが人生の幸福の全てではない。
働くことにポジティブでいられないときもきっとくる。そんなときに働くことだけに全身全霊捧げていたら、自分を卑下してしまうだろうと思った。
実際自分が勤めている会社も「全身全霊」を求められているように感じるし、その方が称賛される傾向にあるだろう。
しかし、少し無理をしてでも「半身」になろうすることが大事なのだと痛感した。
年の瀬に読めて良かったと心の底から思える一冊。
全身全霊で頑張れない自分も好きでいれるようになろう。
Posted by ブクログ
なぜ働いていると本が読めなくなるのか。三宅 香帆先生の著書。働いていると本が読めないなんて言い訳でしかない。そういう人は働いていなくたって本が読めない。一日中スマホをいじっているくせに時間がないから本が読めないなんてありえない。本が好きなら本を読む。本中毒読書中毒ならどんなに忙しくても本を読むもの。本を読むことを他人に強制するつもりはないけれど。
Posted by ブクログ
歴史に紐づいた読書論 仕事偏重はなぜ起きたのか。
読書が面白くなくなってきた理由がなんとなく、
振り返ることができた。
すぐに答えを求めようとする遊びのない読書ばかりしている事
ビジネス書偏重がその一環。
半身で働こう!
気持ちに余裕が持てるように、確かにそうしたい。
Posted by ブクログ
読書という行為が、明治から現代にかけてどのような価値として捉えられてきたのか、をわかりやすく説明している。
特に、「読書はノイズを生み出すものであり、現代はそのノイズを求めていない」という指摘はとても興味深い観点だった。
たしかに、疲れているときには、あえてノイズを取り入れたくないという感覚は良く理解できる。
Posted by ブクログ
あれだけの文献を、日本国民の「読書」に焦点をあててまとめ上げたところに、価値と渾身さを感じる
『花束みたいな恋をした』が底流となって書かれているので、理解が進みやすい
「読書とは常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい」
この文にはドキッとした
ただし、その優越性は明確には否定しなかったと解釈している
「教養」と「修養」の二項対立から、「知識」と「情報」の二項対立へ
スマホを触るのと本を読むことの差は、ノイズの有無が関係しているという指摘と、
内面から行動の時代に突入したことを、さくらももこの『そういうふうにできている』というタイトルが示していという指摘は、非常に面白かった
私たちは、自分の想像以上に時代や社会システムに思考を左右されていて、新自由主義や資本主義が高度に発達し続けているからこそ、コントローラブルなものに目を向ける本が流行る
半身社会の実現について、論を深めた本をまた読みたい
誰も傷つけない書き振りも令和っぽい
Posted by ブクログ
とても緻密な内容と思いながら読んでいたが、参考文献の数はハンパなく多かった。。。
読書史と労働史について、思った以上に勉強になった。
三宅氏の結論である半身社会、良いと思う。
だがしかし。個人的な話し。自分は社会福祉(障害福祉)の分野で働いているのだが、この分野では国が十分に対応していないせいで、目の前に大きな問題がたくさん実在している。それを少しでも改善したいと考えると、やる事、考えなければならない事は勤務時間内では到底収まらず、残業やプライベートの時間を割く事になってしまっている。
こういう事は、どの業界でも多いのではないかと思う。
半身社会は簡単な事ではないと思うが、自分の人生の豊かさを考えた場合、参考にしたい生き方であると思えた。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ納得する理由でなるほどな〜となった!本は読めないのにパズドラはできるっていう描写があって、たしかに読書はできないのにSNSや動画をだらだらと見ることはできるのはなんでなんだろうと日頃思っていたからその謎が解明されてすごく納得した!読書は(良い意味で)ノイズっていうのもすごくわかるし、欲しい情報だけを手に入れたいなら読書ではなく調べた方がいいっていうのもわかるな〜と思った!題材になっていた『花束みたいな恋をした』も読んだ後に観たら、より説得力が増したし三宅さんって言語化うまい〜〜と思いました
Posted by ブクログ
タイトルに対する答えとしては概ね以下である。
現在はノイズの少ない「情報」によって勝ち上がっていく時代であり、ノイズの多い(≒知りたい情報に直結しないものも含む)本は選ばれにくい、ということのようである。
高度経済成長期のサラリーマン時代は円本が飛ぶように売れ人々は通勤電車で小説を読んだというが、これは時代が立身出世のために「教養」を求めたからだという。
スマホ=情報と語られやすいが、私にとってはスマホこそ多くの広告、おすすめなどが混ざりノイズの塊であり、疲れてる時にはより一層そのノイズが苦しく思う。
スマホにより情報を早く受け取り活用することが正となった現代において、少しずつ集中できる時間が短くなっている。読書はまるまる一冊読み終えるのに時間がかかるから、この集中力のない時代に相性が悪いのだろう.......
でも、この本が飛ぶように売れたということはみんな働いて疲れていても本が読みたいということだし、そうなると、そういう層が本に求めるものってなんだろう?とちょっと興味がある。教養?癒し?孤独?
Posted by ブクログ
初めて新書をちゃんと読んだかも。。。
いつかのSNSで頻繁に目にしており、ついに実際に手に取った。タイトル通り、働いていて本が読めなくなっていたから。笑
労働と読書の関係を、時代に沿ってまとめられていた。
理解の深さは差があれど、後半の「読書とは自分から遠く離れた文脈に触れること。」やノイズの話はとてもしっくりきた。
自分自身、仕事と子育てに忙しい今、読書に限らず、物を減らしたり時短家電を活用したり、とにかくノイズを減らして疲れないように生きることに必死すぎると自覚がある。
半身で働く社会には賛成。実現に向けて自分ができることを小さく積み重ねていきたい。
そして最後に、そもそも新書ってなんなのだろうと思ってchat GPTに聞いたら「特に、忙しい社会人が**“知的に状況を把握するための最低限の装備”**として使うことが多いです。」という解説があり、苦笑してしまった。
Posted by ブクログ
確かに社会人になってから長く本を読めてなかったな…
年間数冊でおすすめされたからってので読んでましたね〜
最後の方に書いてあったように定期的に読みたくなる本の情報がどんどん流れてくるようにするのは本当に大事です!これで去年からガンガンに読むようになりました!
読書はノイズか〜ノイズを楽しめる人生に生きたいですね〜
Posted by ブクログ
消費社会分析に興味があると言ったら友人が勧めてくれた、読書と労働をめぐる社会分析の一冊。
タイトルは一見自己啓発に近いが、最終章を除き、明治から2010年代まで各時代における読書と労働の関係の変遷が記述されている。この点においては、各時代における労働・読書・娯楽に関する意識やトレンドの流れを理解することができ、「昔流行したもの」や「それがなぜ流行したのか」が好きな自分にとっては非常に面白かった。
しかし、最終的には「「全身」でなく「半身」で働くことで、読書というノイズを含む知を積極的に取り入れよう」という啓蒙に終始しており、そこには「本をもっと読んで欲しい」「自己啓発書を読まずに文芸本を読んでほしい」とった著者の願望も見え透いているように感じた。この点においては、結局その啓蒙こそが自己啓発本と同じ構造になってしまっている。
自分は今学生であるが、ついこの前まではスマホのリール動画や大学の課題、課外活動に走り、本を開くことはほぼなかった。しかし、「この人凄い」と思う大学の同期や教授、(ごく一部の)社会人に共通するのは、不意にみせる知識と、その知識に裏打ちされた独自の意見、そしてその意見を狼狽えずに主張できるだけの確固たる自我であった。そして彼らの魅力(料理だったらおそらく濃い味である)は、ノイズの無い情報だけでなく、多種多様なノイズを含んだ知を摂取し、咀嚼してきた帰結であると感じた。ノイズの無い情報は、早く得られる分、脳の咀嚼数が少ないように感じる。ノイズの無い情報へと辿り着く迅速さが評価される現代ビジネスに出向く前に、様々なノイズをできるだけ摂取して、ノイズと労働を共存する社会人になりたいと思った。もしくは、ノイズへの逸脱が許されやすい業界に行きたいと思った。
Posted by ブクログ
最近求めていたここ100年、数十年の間の歴史について読書史という観点から書かれていた。情報はノイズのない一点についての解釈であり、知識とは想定しない範囲の物事を新たに知ることである。とても納得をした終盤の章だった。
読書という文化が明治後期からエリート層(サラリーマン)により始まり、大正、昭和を経て私の生まれた平成まで続いた。ベストセラー、所謂流行った本とは時代による流行や思想が顕著に現れている。そもそもの良い人間像というものがここまで短い期間に変動するものなのかと思うと少し考えてしまう。そもそも生きる時代が同じだからこそ、向かう先が似通っていくのは当然だが、私にとっての理想像を追求する人生でありたいと思う。
職業に対する賭けの姿勢は私に取って共感できるものであった。半身の社会の実現はそう近いものではないと思うが、この時代の変動の速さを見ると意外とすぐそこの未来なのかもしれない。
若者は答えを求めるのが早いとあったが、情報のみを収集する若者にとって、思考を置き去りにしているためこれまでの時代の流れなどを鑑みることができないのかもしれないと感じた。それは自身にも思い当たる節がある話だが、世の中はノイズに塗れている事象で溢れかえっている。多方面から物事を考え、なんだってすぐに答えを決めつけるような人間にはなりたくないと感じた。だからこそ私はこれからもノイズを受け入れられる許容量で生きたいと思う。
Posted by ブクログ
読書を通して社会の歴史を語る
決められた本を朗読することが主流だったが、活版印刷の普及により読書が民主化・個人化した。一部の男性だけのものだった本はすべての人が手に取れるものになった。疲労社会の現代では速読書と自己啓発本が売れている。
知識=ノイズ+知りたいこと
求めている情報だけをノイズのない状態で消費できるのがネットであり、事故や社会の複雑さに向き合うのが読書である。
Posted by ブクログ
タイトルとまえがきに惹かれて、するすると三宅香帆さんの世界観へ。
明治時代から順に現代まで読書の意味合いを当時ベストセラーとなった本の設定を背景に読み解いていきます。たしかに、時代と売れる本の内容はリンクするものだなー、ふむふむと読めました。
1990年代くらいまでの話は確かにと思いながら読めましたが、現代そして自分が働き出した2010年代と近くなるに連れて納得感が薄くなっているのは自分自身を客観視できてないからかもしれない。
最後の章の提言にも確かにと思いつつ、それじゃ生活できんよねとトレードオフを感じながら、でもそれでもそんなふうになれば心は穏やかに生きていけるだろうなとも感じました。
Posted by ブクログ
自身については、スマホを持つようになってから、やはり読書量は相対的に減ったとの自覚があるので、そのような方向性の内容が記載されているかと勝手に想像していましたが、明治維新以後の読書の歴史が俯瞰されていて、興味深く読みました。
ただ、もし今の時代を生きる私たちの読書量が、昔より減っているとすれば、労働が主たる原因というよりは、やはり読書以外に費やすもの(SNSや動画)が増えたからではないかと思います。そうすると、著者の提案するような半身社会を目指したとしても、空いた時間は読書以外で埋まってしまうのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
かなり検証に基づいた考察が書かれていて、エッセイというより論評のような著書。「仕事に全身全霊を捧げているからではないか。半身の働き方を取り入れてはどうか」「全身に傾いている人は他者にも全身を求めたくなってしまう」「しかし持続可能ではない。そこに待ち受けるのは社会の複雑さに耐えられない疲労した身体」「読書は自分とは関係ない他者を知る手段」という説に対し共感が持てた。これからはこのように考えて残業しないようにしたいものだ。
Posted by ブクログ
読み初めは、何が『本が読めなくなる』や、スマホを置けば良いだけやないか。『働いていると』とは、とんだ言いがかりや、と思った。なにせこちらは40年前の新卒なので土曜日の大半は出勤し、勤務終了は20時過ぎ。そこから2時間自転車トレーニングし、閉店間際の銭湯に駆け込む生活だ。それでも本は読めた。スマホやSNSがなかったからだ。長じて管理職になったころは働き方改革前だ。朝は7時半から21時半まで仕事して、そこから自転車で鹿の飛出す山中を走り、24時にベッドに入り15分間読書して気を失うように寝入る生活を20年続けた。スマホやSNSから距離を取っていたからだ。
おっと自身を語りすぎたか。そんなわけで、スマホを置いたら良いだけやないか、何をごちゃごちゃ言うとんねんと思い読んでいくと、考察はどんどん深くなり面白くなっていった。ただ、結論が弱い。半身で働くような働き方をしていると年取った時後悔するでと声を掛けたくなる。せっかく労働時間が適切に管理できる時代なんだから、全力で仕事をしたうえで、それ以外の時間は仕事を引きずらず切り替えて生活することを強く意識する方が良いと思う。
価値観をどこに置くか、それを大切にできるかだと思う
Posted by ブクログ
2026年最初の1冊。遅ればせながらようやく読みました。日本の労働と読書の歴史を振り返りつつ、現代人にとっての読書の意義やインターネットで得られる情報との対比が興味深かった。
最終的には作者が考える働き方改革まで披露してて、熱い思いが伝わる1冊だった。将来的に作者は政治家になってそうな気がする。
Posted by ブクログ
話題になってたこちら。まさに休みに入って本が読めたというわけで手に取りました。
どうして働きながらでは本が読めなくなっていくのかに対する著者の答えを導きだした経緯を労働と読書の歴史に照らし合わせて辿っていく本書。ここでいう「本」は本そのものではなく、何らかの娯楽や趣味、労働以外のものを指す言葉として使われています。
新書なの忘れてた!というのもあるけど、なかなかに歴史のポーションが大きいので、特に前半はその辺多少パラパラと飛ばし読み。しかしこれこそが、読書は「ノイズ+情報」を得るもの、自分に不要だと思うところをノイズに感じて飛ばそうとするのが現代だ、ということの体現であり、ハッとする。おそらく著者はこれを意図的に書いていると思うのです。
労働に全身全霊をささげるのではなく「半身」で働こうという意見、確かになと思う反面、半身ってもう少しいい言葉はないのかなと思ってしまうね。余裕をもって、みたいなニュアンスだと思うのだけど。あと、「花束みたいな恋をした」は、今の労働と趣味の関係を表したとてもその通りの作品だけど、n=1を参考に使いすぎで気になったなーなど。
Posted by ブクログ
基本的に日本の読書に関する歴史を述べていく論述が主、そして筆者の「こういう社会なら良くない?」という提案がある。その主張には大賛成。文体も読みやすく、他の著作にも興味をもてた。
Posted by ブクログ
100年近く前、バートランド・ラッセルが『怠惰への讃歌』で説いたことを、令和のオタクっぽいテンションの著者が、労働史・読書史によって令和版にアプデしたような、してないような…って感じの本。
8ページもある「註・参考文献一覧」には狂気を感じた。
著者いわく、「読書とは、自分から遠く離れた文脈(ノイズ)に触れること」 らしい。
今の私たちは、仕事に「全身」を捧げるあまり、ノイズを脳に入れる余裕を失っている。だから、手軽にドーパミンが出るスマホゲームとか自分に都合の良い「情報」は摂取できても、未知の文脈が詰まった「本」を身体が拒絶してしまう。
パズドラはできても読書はできないのは、単純な時間の問題ではなく「体力のバッファ」の問題もあるのかもなー、と思った。
「半身で働こう。それが可能な社会にしよう。」
たとえば、「週3勤務、兼業、持続可能、ジェンダーフリー」みたいな「半身労働社会」が提示される。
社会の労働量(残業量)のバッファを分散させられるし、個人は文脈(体力?)の半分を仕事に、もう半分を「未知の知」や「趣味・休養」のために余裕(ひま)を残しておける。おー、なんかよさげである。
「知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。」
「疲れたときは、休もう。そして体と心がしっくりくるまで、回復させよう。本なんか読まなくてもいい。趣味なんか離れていいのだ。(中略)
新しい文脈を身体に取り入れたくなったとき、また、本を読めばいいのだ。」
まぁ、読書史を眺めると、出版業界(本著も含めて)のマーケティング戦略も見え隠れするけど、それでも、資本主義に「全身」は差し出したくないな…と思ったら、「仕事以外の文脈」をキープし続けていくことが大事なのだろう。
「そう、もう資本主義は、仕方がないのである。 常に、資本主義は、「全身」を求める。 私たちは、時間を奪い合われている。」
ちなみに、著者は「働くのがめっちゃ好き」らしい。私は働くのがめっちゃ嫌いだ。体力ないし。「ほー、そういう人もいるんだ。体力あるなぁ……」ってなった。これは、本書で「他者の文脈」を獲得できたということ……か?
Posted by ブクログ
話題になっていた本ということもあって手にとってみた。
現代において、また働いている中で本が読めなくなるという事象について、読書と出版の歴史から紐解くというコンセプトが面白かった。
それぞれの章ごとに納得させられる点や新たに得る知識があり面白かったが、結論に関してはあまり共感できなかった。
誰もが「半身」で働くこと、働けることを目指すべきだという筆者の主張には賛同できるところもあるのだが、これもまた筆者の言うところの「他人の文脈」「ノイズ」を読むことを拒否してはいないだろうか。
「半身」で働ける環境というのはおそらく平和・平時を前提としている。その点は、誰かが「全身全霊」で取り組んでいることで維持されてはいないだろうか。「半身」で無せることは数多く、殆どはそうなのであるが、ごく一部の本質・本源的な価値は誰かの狂人的な「全身全霊」で生み出されているように思う。
社会に迎合するようで恥ずかしくもあるが、結局はダイバーシティなのではないだろうか。「半身」で働く人も「全身全霊」で働くことも尊重され、そこに優劣はないということではないか。
ここまででも自明であるが、私自身「全身全霊」で働く側の人間だ。この本を通しては「半身」であろうとする人の思想を理解することができた気がする。
それだけでもこの本を手にとって良かったと思っている。
「半身」であろうとする人には「そうだそうだ」という共感を、「全身全霊」であろうとする人には「そういう考え方もあるのだ」という気付きを提供してくれる本だと思う。
結論には納得がいかない部分もあったのだが、それにいたるプロセスの面白さ、筆者の文調に意義を感じたので星3つとしたい。
Posted by ブクログ
基本的には文系脳による論文で組み立てたバルサ材の楼閣的な考察なんで文系臭が激強。
自分で過去を調べて考察するのではなくて、先人論文をいっぱい引用して、それらを土台にして論を展開している。そもそも、その手の論文の信憑性はどうなんだろうとか気になってしまった。文系なんちゅうもんは、結論ありきの適当胡散臭論文だらけなんだから。
「本を読めなくなる理由」はあくまで著者の考察なので、本を読まなくなったという実態の切り口は本書の意見以外にも存在する。提言に関しては月並みで、無理矢理感があった。問題設定と題名で大いに売れた本なんだろう、そこはうまくやった。
本の主張に対していちゃもんつけられたら案外に理屈っぽく反論してたのをみた。理屈や論理力にかなり自信を持ってるらしい。ちょっと驚いた。お気持ちエッセーのつもりじゃなかったんだと。