【感想・ネタバレ】なぜ働いていると本が読めなくなるのかのレビュー

あらすじ

【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

QM

購入済み

平成あたりからすっごく話がイメージしやすくなって、めちゃくちゃ面白かった、、、!!
もちろん昔の日本の読書習慣や仕事への見方、階級などなど勉強になったけどやっぱり時代が遠すぎて「へぇそうなのかあ」と表面でしか理解できなかったような部分がたくさんあったけど、読み進めていくとどんどん話が自分の中で繋がってきて、分かりやすかった。

昔の日本は読書はエリート向けのものであったり、教養を身に着けるためのものであったが、今では読書=ノイズ(自分にとってシャットアウトしたい、必要ないと感じているもの、体力精力を精力を無駄に消費するもの、頭をつかうもの、、、)と考えられている節があり、人々のなかでの「読書」の立ち位置が今と昔で全く違うのがとても興味深かった。

読書するというのは他人の文脈を受け入れ、触れ、関わりあっていくこと。
仕事へ自分の100%を注ぐのではなく、半分余力を残しておいて別のこと(趣味、家事など)に充てること。
無理して働くことを美化しないということ、などなど。

どれもすごく大事なことだと思いました。
また時間をおいてから読み返したいと思った1冊でした。

何を買うか決めてない状態で本屋に行って目についたものを買うのが大好きだからまた早く行きたいな~という気持ち!
積読ばんざい!!!

1
2024年11月28日

Posted by ブクログ

YouTubeでいつもお世話になっているし
()書きしている所の
自分の過去や思いを書く感じが
大好きだし注目して読んでしまうので
評価は激甘

安く軽く読みやすく満員電車の中で
気軽に読める・読んでほしいとの意図を
感じる装丁なので
題名に合っている感じを受ける

明治の歴史からスタートで結論は?
ツッコミながら読んでいくが
読書はインテリ階級からの解放が原点で
今は本当に恵まれている時代なんだと痛感

読む前は本を読めないのは時間がないとか
脳を使う仕事が多くなったから
仕事人間を辞めればいいと思っていたが
読書の最大の利点が情報➕ノイズ
AIやネット環境が揃い過ぎ情報特化型社会で
ノイズ不要の日々に慣れてしまっている
半身社会(週3勤務で兼業)が結論だったので
2年以内の目標にしてみる

何度も出てくる
「花束みたいな恋をした」の映画配信は
有料みたいなので小説で読んでみる

0
2026年06月15日

Posted by ブクログ

半身社会、いいじゃないか。

自分は80年代生まれなので、自己啓発本ブームにバリバリはまった世代。若かりし頃に読んだ「夢をかなえる象」「7つの習慣」などの本が、自分の考え方のそこかしこに影響を与えていると感じる。

そりゃ、そういう道や時代を通ってこなかった世代の子たちとは価値観が合わない時があって当たり前だよなあ、ってことに改めて気づかされた。

とてもいい読書体験だった。売れた理由もよくわかった。これは読書についての本ではなくて、思想哲学、働き方や生き方の本だったからこんなに売れたんだね。

いい本だった。元気をもらった。

0
2026年06月08日

Posted by ブクログ

新卒社会人となったので読みました。

歴史と共に人々が本を読む理由、背景の変化していることを学んだ

あらゆるたくさんの自分が必要としている情報だけが流れ込んでくる今の時代こそ、ノイズがある本を読むことが大切だと感じた。

仕事帰りカフェで読書したいけど、近くにカフェなくて終わった

0
2026年05月31日

Posted by ブクログ

後半、ドッグイヤーが止まらなかった!
読書と働き方の歴史から始まり、
最後はいまの働き方について。

私自身の働き方について、モヤモヤしていたことを
三宅さんが言語化してくれた。
間接的ではあるけれど
本を読んで作者と気持ちが通うとは、
こういうことかな。と読みながら思った。

0
2026年05月28日

Posted by ブクログ

なるほど。読書は他者の文脈に触れることだったのか。しかし不思議と、通勤時の読書が良い気分転換になっている。これって、他者の文脈に浸ることで、全身全霊の仕事人間にならないようになっていたのかも。

0
2026年05月26日

Posted by ブクログ

「自分を覚えておくために、自分以外の人間を覚えておくために、私たちは半身社会を生きる必要がある。」この文に泣きそうになりました。知らず知らずのうちに、嫌なことと向き合わないために自分を追い詰めていたのかもしれません。頑張って見ないようにしていたものが、溢れそうな気分です。

また、本書を読んでアドラー心理学を思い出しました。アドラー心理学の書籍を読んだ当時は大変衝撃的で今までも正解の道だと信じていました。しかし、本書ではその思考に一石投じており、ノイズがない世界は果たしていい事なのかと論じていました。私は気付かないうちに思考が凝り固まっていたんだなと思いました。当たり前は社会によって変わることを改めて知れた機会になりました。

0
2026年05月25日

Posted by ブクログ

ちょうど仕事で忙しく、数年間ほどまともに本を読まなかった時期があった。久しぶりに読んだ本の内容がちょうど自分と重なる部分が多く、特に後半は一気に読めた。忙しさを感じて、本を読まなくなったなーと思った時に、また読んでみたい。

0
2026年06月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

時間があったので書店に立ち寄って本を物色したものの、生成AIだの投資だのに食指が動く気分ではなく、
でも何か買いたくて、新書の棚から手に取った一冊。
労働と読書について、時代の変遷と共に考察されており、とても面白かったです。

以下、印象的だったところ。
・『花束みたいな恋をした』、「読書の意思の有無が、社会的階級によって異なる」ことを描いた物語にも読めてくる(P28)
・夏目漱石『門』、明治時代、「成功」というビジネス雑誌が、一方では大阪の工場の図書室で読まれ、一方では東京の歯医者の待合室で眺められる。一方ではおそらく「それしか読む雑誌がなかった」人間がおり、一方では「そんな雑誌があることさえ知らなかった」人間がいる。(P53)
・令和の現代で「教養」が「労働」と近づいている――つまり「ビジネスパーソンのための教養」なんて言葉が流行しているのは、もはや「教養」を売る相手がそこにしかいないからだろう。(P81)
・1970年代の「自己啓発」。企業が期待するサラリーマンであってくれるための努力を、社員が勤務時間外に、自発的におこなうこと――それは「自己啓発」という概念に収斂されていった。(P134)
・だが一方で、作者の司馬自身は、そのように企業的立ち振る舞いと歴史上の人物を重ねて気持ち良くなるような読み方を快く感じていなかったらしい。(P138)
・1980年代、女性に開かれた「教養」の舞台としてのカルチャーセンター。「大学が市民に向かって開かれていない限り、学問への欲求を充たすには今のところカルチャーセンターしかない。(中略)カルチャーセンターに通う中年族をからかい、眉をしかめ、優越感を抱いて攻撃するのは主にエリートの人たちだ。(中略)ようやく落ち着いて半ばでやめた学業を取り戻している。それを笑う権利がどこにあろうか。少しは恥を知るがよいと私は腹の中で憤る。」(P158)
・知らなかったことを知ることは、世界のアンコントローラブルなものを知る、人生のノイズそのものだからだ。本を読むことは、働くことの、ノイズになる。(P182)
・インターネットの本質は「リンク、シェア、フラット」にある、と語ったのは、コピーライターの糸井重里だった(P196)
・「情報」を求める人に、「知識」を渡そうとすると「その周辺の文脈はいらない、ノイズである、自分が欲しいのは情報そのものである」と言われるだろう。(P206)
・教養とは、本質的には、自分から離れたところにあるものに触れること(P226)
・上野千鶴子「半身で関わる」、高度経済成長期の男性たちは、全身仕事に浸かることを求めた。そして妻には、全身家庭に浸かることを求めた。それでうまくいっていた時代は良かったかもしれない。だが現代は違う。仕事は、男女ともに、半身で働くものになるべきだ。(P232)
・バーンアウトは鬱病に至る病であることが、私たちの社会においては周知されていない。なぜなら、バーンアウトは、現代の「もっとできる」「もっとやれる」文化に適応した結果だからだ。(P250)
・全身全霊で働けているのは、家族のサポートがあったりたまたま体力が今はあったり、運良く環境が揃っているからです。(P272)

0
2026年06月14日

Posted by ブクログ

明治時代から時代を遡る始めのうちは読みつつも内容が頭に入ってこなかったが、後半からどんどん引き込まれた。「半身こそ理想だ、とみんなで言っていきませんか」(p.258)。おおいに賛成である。さらにスキマ時間の有効活用。これで働きながらでも十分自分の好きな分野の本をある程度は読むことができると思う。あとがきでの著者からの現代社会への問いかけは是非とも継続してほしい。

0
2026年06月12日

Posted by ブクログ

多くの方の書評にあるとおり、標題に対して正面から答えてはいない印象。他方、書籍を通して世相を概観出来るとともに、他の著作と同様、唆られる書籍を紹介してくれているのは有難い。

0
2026年06月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「読書」の歴史を紐解きながら、なぜ私達が本を読めなくなったのかという答えに行き着く。納得。


最後の章で三宅さんが仰る主張はまさに私もずっと思っていた事で、とにかく長時間労働をなくしたい。
私自身は短時間勤務ではあるけれど、パートナーが長時間労働せざるを得ない状況。
それに家事育児も「働く」に含まれる、と書いてあったことも好印象笑

本を読む余裕がある、つまりノイズも取り入れる余裕がある。そんな社会がいい。
全身全霊で没頭することが良いこととされる風潮も無くしたい。そんな状況になるとドーパミンが出るのか、もっともっと仕事をしたくなるけれど、それって本当に豊かなの?他人のこと考えてなくない?他人にまで求めてない?その結果、ノイズを受け入れる余裕もない人が増えていない?
と思ってしまう。

だからといって解決策までは書かれていないのだけど、働き方改革やワークライフバランスという社会の仕組みが変わると共に、私たちの意識改革も必要。

0
2026年06月03日

Posted by ブクログ

労働の歴史や読書の変遷がとてもわかりやすく解説申ていて、なぜ働いていると読書ができないのか、理解することができた。

0
2026年05月30日

Posted by ブクログ

労働と読書と読書にまつわる教養についての近現代日本の歴史を辿りながら、「半身で働く」ことで読書する余裕を持とうと提言した著作。

0
2026年05月25日

Posted by ブクログ

「読書は遠く離れた文脈を取り入れること」という主張が腑に落ちた。

「全身全霊で働くのを止めよう」という主張は、頭では理解できても、今の自分には納得できない感があった。

0
2026年05月23日

Posted by ブクログ

中盤の読書の歴史については、よく調べて書かれていると感心する反面、正直だらだらと長かった。結びはとても良かった。半身の働き方を意識してノイズを積極的に取り入れていこうと思う。

0
2026年05月21日

Posted by ブクログ

現代人は働いていると本が読めなくなるのではなく、時間的な制約はあるにより、効率を求め、無駄(ノイズ)を排除した結果、「情報」のみを求めるため、本を読まなくなった。

それは、ノイズが今の自分には役に立たないと思い込んでいるからだ。

三宅夏帆さんは、本書を通じて、「知識はすべてつながっているから、役に立たない知識などない。ノイズを受けて入れる余裕がある社会こそ、本来あるべき社会の形だ。」と説いている。

学ぶ意欲が湧く1冊だった。自分の挑戦を後押ししてくれる1冊だった。

0
2026年06月08日

Posted by ブクログ

 本を読むために会社を辞めた。そう著者は言う。よっぽど本が好きなんだな。でも仕事まで辞めなくたっていいじゃないか。そう思うかもしれない。だが、本をたくさん買いたくて就職したのに、働き始めたら本が読めなくなってしまった。これでは本末転倒である。
 この「働いていると本が読めない」が、どうも他人事ではない。それが本書の売れている理由らしい。読書だけではない。社会人になったら趣味の時間が持てなくなった。そう感じている人は多いだろう。
 時間そのものがないわけではない。スマホでSNSや動画を眺めたり、ゲームをすることはできるのだ。それなのに読書はできない。なぜか。

 偶然だが、この本を読んでいるとき「NHKスペシャル 山口一郎〝うつ〟と生きる──サカナクション復活への日々」というドキュメンタリーを見た。その中で山口さんは「あんなに好きだった音楽ができなくなった。ギターを触るのさえ嫌だった」と語った。
 うつ病はその人がいちばん好きなものを冷酷に奪う。映画が大好きだった人が「2時間も見てるなんてしんどい」と思うようになり、ドラマを欠かさず見ていた人が「毎週見なきゃいけなくてつらい」と言い始める。読書が好きなのに本が読めない現代人も、ある種のうつ病に罹っているのかもしれない。

 本書は労働と読書の関係史を詳述しているが、ここに難解さを感じた読者も多いのではないか。だが、歴史的に見ると読書は階級と密接に結びついた「運動」だったのである。
 たとえば漱石の時代、読書はエリート男性にだけ許された高等な趣味だった。好きな本を買って書斎に並べるには、金も地位も必要だった。したがって、その後登場した新中間層が熱心に本を読んだのは、単に読書に飢えていたからではない。本を読むことは富裕層に接近するための手段であり、同時に労働者階級から自分たちを区別するための行為でもあった。
 同様に、80年代に吉本ばななや山田詠美、俵万智らの女性文学が席巻し、上野千鶴子を始めとするフェミニズムが台頭したのも、それまで男のものとされていた教養が女性に開かれ、男女間のギャップを克服しようとする潮流だった。そのように著者は見る。
 現代においても、読書家を自負する人たちがどこか得意気で、本を読まない人を下に見ているのは、一種の階級意識だとは言えないだろうか。

 では、なぜ現代人は教養を断念するのか。それは教養が負けたからだ。何に負けたのか。情報に負けた。ここが本書の核心である。
 本書における情報とは教養の対立概念であり、必要最小限に最適化された知である。インターネットによって誰もが情報を手にできるいま、一発逆転を狙えるのは無駄の多い教養ではなく、情報なのだ。
 その具体例として、著者は電車男のエピソードを挙げる。彼は2ちゃんねるの住人たちから得られる情報によって、エルメスとの身分違いの恋を成就させようとした──すなわち階級を超えようとしたのである。
 「情弱」という言葉は言い得て妙である。いまや情報を持たない者は弱者なのである。著者が看破したように、2ちゃんねるを作ったひろゆきは、情報によってヒエラルキーを転倒させられることを示した、情報化時代のトリックスターだったのである。

 教養から情報へ。それが時代の流れ。だから波に乗ろうとすれば、読書を断念するしかない。それが本を読めない理由だ。それなら波に抗うしかない。流れに逆らうのだ。奇しくも著者は、それを自分で「実証」した。すなわち会社を辞めて好きなだけ本を読み、評論家になって本が売れた。
 そんなこと、とても真似できないよ。そういう読者のために、彼女は助け舟(?)を出している。それが巻末の「働きながら本を読むコツを教えます」である。その中に、控えめな書き方ながら面白い項目を発見した。「読めないときは、休もう」。
 拍子抜けしないでほしい。うつ病にいちばん効くのは十分な休養なのである。何もしないでいると、世の中から取り残されるんじゃないかと不安になる。でも、その不安が本を読めなくしていることにお気づきだろうか。読書なんて無駄なことをして、どうなっても自己責任だからね。そうやって、ネオリベラリズムが趣味の自粛を迫ってくる。だったら抗え。
 休むことは何もしないことではない。休んでいるのである。休んでいてもちゃんと前に進んでいる。三年寝太郎はただ寝ていたのではない。ちゃんと休んだから村の危機を救えたのである。それは必要な休息だった。そう考えてはいけないだろうか。寝ていなければもっと村に貢献できた? それをどうやって実証できる?

 たしかに、教養はもはやビジネスに役立たないかもしれない。でも、昭和のサラリーマンだって、出世のためだけに司馬遼太郎を読んでいたわけじゃないのだ。そこには確かに、合理性に汲み尽くされない喜びや楽しみがあったはずである。
 考えてみれば、「自称読書家」たちのように、どれだけたくさん読んだか、どれだけ速く読んだかを他人と比べっこするような読書に、一体どれほどの価値があるだろうか。休むということは、そうした「階級闘争」に背を向けることでもある。
 むしろ、教養が労働から解放された現代こそ、心の底から読書を楽しめる時代なのではないだろうか。本書はわれわれに、そうしたエールを送ってくれているように見える。

0
2026年05月31日

Posted by ブクログ

現代人が忙しすぎて本を読む時間すらも十分に取れないことには同意。他方でその忙しさの原因が仕事なのかという疑問は残る。確かに仕事も1つの主要因だが、昔の方が労働時間も環境も過酷だったはずではと。

時間がないというのは、大量消費社会において、可処分時間が趣味や人間関係も含め、時間が溶けていく構造に起因するのではと思った(YouTube見てたら1日が終わった→本読む時間取れないといった感覚の方が近いような)

0
2026年06月14日

Posted by ブクログ

タイトルの疑問に対して労働史を紐解きながら原因を探りつつ、最終的に働きながら如何にして本を読めるようにするかを提言する。

結論、全身全霊で仕事をするのではなく半身で仕事してもいい社会を目指しませんか、と提言している。如何にして半身社会を目指すか、具体的な方法論は語られていない。恐らくそこまで入れると本書のターゲット層であるサラリーマンが読みやすい量に収まらない、かつ政治経済学の本になるので内容も難化するという判断だろう。とは言え考えを聞いてみたいなという気持ちになったので、少し消化不良だった。

その中でも下記は興味深い視点だった。
・インターネットを介した情報は、ノイズがない。自分が知りたい情報にだけダイレクトにアクセスする(AIは尚更)
・一方読書はノイズがある。古典的知識や小説で起きる予期せぬ展開や知識など。その様な知識に出会えることが読書の面白さ
・明治以降の読書は出世の為に教養を学ぶという始まった。そして戦後サラリーマンの出現によりエリートに追いつきたい大衆の教養を記す性格が強くなった。昭和はテレビの普及と共に娯楽性が強まり、現代では自己啓発本に見られる様に仕事で自己実現する為の本が流行する。

0
2026年06月14日

Posted by ブクログ

民間の人たちが読書をどう捉えていたか、歴史を追いつつ考察。読書=ノイズであり、ノイズこそが読書の醍醐味なのだが、疲れていると受け入れにくくなる、と。確かにそうかも。なので半身で働こう、全身全霊はやめよう、と主張されている。個人的には、ネット、スマホの台頭が娯楽としての読書を押しのけているのではないかなと思う。手元で気楽に動画やSNSが見られる今、半身で働いたとしても、読書人口増えるのかな。

0
2026年06月13日

Posted by ブクログ

そういえば、社会人になってからはなぜか「小説読んじゃだめ」って思い込んでた気がする。もっと身になる本を…みたいな感覚。
ビジネス本と自己啓発本を読み漁って一周回り、40歳になって小説に戻ってきた。
人生には、いろんな側面があっていい。

0
2026年06月10日

Posted by ブクログ

労働の歴史については学べたが、肝心のなぜ働いていると本が読めなくなるのか?についての深掘りが物足りなく感じた。

0
2026年06月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルにある読めなくなった理由が語られるのは9章以降。
それまでは近代化以降の日本人の読書との付き合い方を時系列順にずっと語っていた。
雑学としては面白いが本を読めない理由を知りたかったので、読み飛ばしても良かった。

理由メモ
読書は現代のネット検索と違って、知りたい情報だけが入るのでは無く、他の情報も入ってくる。学ぶうえではいいことだが、一つのことにいっぱいいっぱいだと、他の情報はノイズに感じて負担になる。
一つに集中するのではなく、半身位の入れ込みが読書でも生きるうえでもゆとりを生むので、作者はこの生き方を意識してやりたいみたい。

0
2026年06月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

うまく論点をずらされているような気がする。「働いていること」と「本を読むこと」に因果関係なんて、たぶんそんなにない。読書離れは言われているけれど、テレビ、映画離れだって言われてる。娯楽が増えたことにより「本を読むこと」が候補から外れてるだけ。半身で働けたら何よりだけど、だからといってそれに比例して「本を読むこと」をみんなが選ぶとは思えない。読書って疲れるし。パズドラを選ぶ説明が、うやむやで、明記されてないのは本VSゲームの言及を避けるためだろうなぁ。受動的と能動的な趣味の差につっこんでほしかった。

本書は「なぜ本が読めなくなるのか」を問うているが、私には「なぜ人が読書以外の娯楽を選ぶのか」という核心部分を避けているように感じられた。読書は能動的な行為であり、ゲームや動画などの受動的な娯楽との違いを論じなければ、この問いには十分答えられないのではないか。ChatGPT曰く。語った結果なので、残しておきます。

読書は労働に近い娯楽だよ。果てしなく疲れるし、なんも得るものはないと思われるけど、なんとなく受け取っている。そんな娯楽。

0
2026年06月04日

Posted by ブクログ

三宅香帆は一見俯瞰的な批評家に見えるが、本質は自我が強い作家だと思っている。今作の三宅香帆とは気が合った。「社会情勢が労働者に影響し、その時代の読書の傾向に影響する」という趣旨だが、私は情勢や流行の影響を受けやすいタイプで、本書に提示される本をいくつか手に取ってきていた。分析の精度に驚いた。私は仕事も趣味も全身全霊タイプなので、「新しい文脈という名のノイズを受け入れられない時、そういう時は休もう」という提案、半身社会の提案を読んで心が軽くなった。力を抜いて明日から頑張っていきたい。

0
2026年06月01日

Posted by ブクログ

若手文芸評論家である著者による「働いていると本を読む気力がなくなる」原因と対策について述べた本。
2024年刊行。

著者は冒頭で「本が読めなくなったから働くのをやめた」という自己体験を述べ、「働いているだけで本が読めなくなるのはおかしくないですか?」と問いを投げかける。

そしてこの問いに答えるため、本書ではまず明治以降の「労働と読書」の関係を整理していく。
その上で終盤に、冒頭の問いに対して原因と解決策を展開するという構成になっている。

明治維新後、文明国として成熟するために日本政府が国民に読書を推奨した。
さらに、印刷技術の発展により本が手に入りやすくなり、「黙読」の文化が生まれた。同時期に句読点が普及したこともあり、気軽に国民が本を読めるようになったことで日本人の近代的な読書習慣が確立した。

この頃、読書はエリート層の教養としてだけではなく、諸般の事情で進学を諦めた労働者層の学歴コンプレックスを解消するための手段としても用いられるようになった。
スマイルズ『西国立志編』がベストセラーとなり、この本をきっかけに「修養」という概念が生まれ、自己啓発書ブームを引き起こしたのがこの典型例だ。

大正時代末期になると、『キング』『平凡』などの大衆向け雑誌が人気になった。
「エンタメ小説」が誕生し、読書が娯楽のひとつとして確立した。サラリーマンたちは、年々長くなる通勤時間の電車の中で本を読んでいた。

一方、同時期に「円本」がブームになった。
これは今でいう「〇〇全集」のような、「これさえ読めば簡単に知識が手に入る」というものであり、当時のサラリーマンのニーズを満たすものだったのだ。
ここで、「行動を重視する修養」と「知識を重視する教養」が分離し、現代の「教養」のニュアンスに近づいていくことになった。

WW2後、読書習慣がサラリーマン・労働者層にも定着し、「教養を伸ばせる娯楽」の地位を確立した。
「読書術」「ハウツー本」という新しいジャンルが生まれ、バブル期に「1世帯あたりの年間書籍購入額」はピークを迎える。

しかし、バブル崩壊後は不況と娯楽の多様化により読書量は減少。特に2000年代のインターネット普及以降、その傾向は加速する。
一方、自己啓発書は反比例するように売れ続けた。

著者はここに「働いていると本が読めなくなる」理由があると主張する。

「労働強度と情報量の増加により、人は小説の"ノイズ"を受け入れる余裕を失ったため」と説明するのだ。
対して、やるべきことを明確に指示してくれる「自己啓発本」「ハウツー本」はノイズが少なく、思考を整理するツールとして機能するため、多くの人の欲求を満たす。

上記が本書における著者の結論だ。

この指摘には一定の説得力があるが、現象の一面に過ぎないと感じた。
日本人が本を読まないのは「読めなくなった」のではなく、「読む必要がなくなった」からではないか。

そもそも、「なぜ働いていると、(読みたいのに)本が読めなくなるのだろう」と考えているのは、現代の日本人ではマイノリティなのである。
著者はこの点を勘違いしている。

この理由としては、第一に娯楽の増加、第二に読書によって得られる価値の低下が挙げられる。

手軽で刺激的な娯楽が増え、読書以外で余暇を消費できるようになった。小説が売れなくなる一方で、漫画は売れ続けているのだから、「ノイズが〜」の指摘は蓋然性が低いと感じる。

また、日本人の多くの労働者は自らのタスクをこなすことだけしか求められず、故に視野を広げることも創造性も必要ない。だから、本を読まない。

実際、日本人の成人の7割が、1ヶ月に1冊も本を読まないという。(欧米では読まない人が3割)

私は本を「読める」側の人間なので、彼らの気持ちは理解できない。
私は、世界のことを知らずに死んでいくなら犬と同じだと考えるが、そうは思わない人が多いらしい。

だが、私はもっと多くの人が本を読めば良いのにとは思わない。
彼らはこの甘えと諦めに満ちた世界で、自らの凡庸を噛み潰して生きていくのだろうが、そんなことは私には関係ないからだ。

ただし、能力のある人間は読書によって視野と創造性を広げ、社会に還元すべきだとは考える。

なお、「情報過多の状況では他者のノイズを受け入れにくくなる」という著者の感覚には共感できる。忙しい時に読書が負担になる経験は自分にもある。
その原因のひとつが言語化できた気がする。

なので、本書の主張の大部分には賛同できないが、得るものがある本でもあった。

0
2026年05月27日

Posted by ブクログ

久々に読んだ新書
最近本読めないって思ったから読んだ。
別に仕事のために生きてるわけじゃないんだ私〜って思えてちょっとずつ元々好きだったことができるようになってきた。

0
2026年05月25日

Posted by ブクログ

最初は、本の歴史みたいな流れだったので、あれっと感じだが、最後の半身社会のススメという考えには、多少なりとも共感出来た。

0
2026年05月25日

Posted by ブクログ

◾️感想
全10章のうち、1〜6章までは主に働く人と読書の歴史を書いている。ここは本書タイトルのなぜ働いていると本が読めなくなるかというテーマと関連性が薄く、読み進めるのが退屈だった。
7章以降はタイトルに沿った考察がされており、興味を持って読むことができた。本書の結論である、人生の時間を100%仕事や家事や推しなどに使わず、バランスよく働くこと(本書では半身で働くと表現している)は自己実現や個人の成長を重視する現代社会においては抜け落ちやすい考えであり、日々意識する必要があると感じた。
近年、AIが台頭し、人の仕事が少しづつ代替されつつある中では、経済的にも本職にフルコミットではなく、仕事、副業、趣味、家族の時間など、自分の時間を分散させて、それぞれを育てていくのも良いなと思った。
最終章の一節「人生を信じることができれば、いつか死ぬ自分の人生をどうやって使うべきかを考えることができる」これを考えて行きたい。

◾️読書中のメモ
・労働者向け、ビジネスに役立つ、自己啓発的な修養/エリート層向け、ビジネスに関係の薄い、教養

・パチンコ 正村ゲージ

・1990年以降は不景気となり、経済は自分たちの頑張りで経済が変わらないと思うようになる
その中で「アンコントローラブル」な社会ではなくコントローラブルな自分自身を変える自己啓発本が売れていった。
つまり、アンコントローラブルな社会や感情を語る文芸書や人文書はノイズになる。
90年以降においては、社会は自分には関係なく、自分自身でコントロールできるものに注力した方が良い

・読書は知識、インターネットは情報が得られる。インターネットから得られる情報は文脈や教養との関連が薄くノイズが少ない一方で、陰謀論や差別的感性に近くなりがちである。

・ヒットしている自己啓発本を時代背景から読み解いているのが面白い

・全身全霊で働いていると、仕事に関すること以外で自分の興味のある文脈を取り入れる余裕がなくなる、つまり本が読めなくなる

・半身で働くこと、これが働いていても本が読める

・21世紀の自分達の敵は自分である。現代においては自己責任と自己決定を重視し、その中で競争が起こる。その結果疲れる。

・現代においては燃え尽き症候群=頑張れる人でかっこいい印象すら与える。これこそが鬱病を引き起こす。

・仕事や家事など、全身、自分の文脈をひとつに集約させてコミットメントするのは楽なのだ。

・半身社会では仕事と趣味、家事などを両立でき、精神安全上も良いというのは同意する。
ただ、半身社会の実現ができるかはわからない。筆者も絵空事だと言っている。

・自分の人生をどうやって使うか考えるべきだ。

・あとがき。仕事に人生を奪われてはダメだ。

0
2026年05月20日

Posted by ブクログ

労働について、社会現象の歴史とともに考察した論文として読むと面白いが、仕事しているとなぜ本が読めないかは、それぞれの事情があるのでは、というのが正直な感想だった。
これは労働の歴史における読書のあり方、論文です。興味深かったが、今はお勉強するより、溜まっている本が読みたい。

ここでいう仕事、というのは、決まった時間に通勤して、仕事して、また帰ってくる、主に都会の企業に勤めていることがほぼその意味を占めているようだ。
田舎に住んでいる自分のお仕事には当てはまらないが、そんな自分でも、仕事をしていると本を読む時間がとりにくくなるのは事実だ。
これは自分が「読書をしない」選択をしているだけで、読もうと思えば、読むことはできるのだ。
今、農閑期になり、ようやく読書三昧、かと思えばそうでもない。
安易にスマホでネットニュースを見たり、SNSを見たりする。とてもたくさんの情報が入ってくるのに、ほとんど記憶に残っておらず、翌日また同じようにネットニュースやSNSを見ている。
これか!いやこれはスマホ脳じゃないか。
今日は本を読むのだ、と決心しないと読書に取りかかれない状態になっているのだ(あくまで自分の場合)
本を読んでいて、調べたいことがあったらすぐに傍のスマホで調べることができる。その後、すぐに読書に戻らず、ネットサーフィンに移行してしまったり、読書中に、出てきた本を読みたくなって注文したりしていると、なかなか読書に立ち戻れないこともある。便利な世の中・・・いや読書が続けにくい。
なるほどと思ったのは、実用書は読書を「ノイズ」として認識するというところ。
確かに、必要な情報だけをストレートに提供する実用書よりも、いちいち想像力を使って読む小説などは、仕事をする上で不要であるし、ノイズになっているのかも知れない。
それをノイズとする労働環境というものは・・・なんか色々と論文を読み違えているような気がしてきたので、この辺で。

0
2026年06月06日

「ノンフィクション」ランキング