【感想・ネタバレ】なぜ働いていると本が読めなくなるのかのレビュー

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Posted by ブクログ

「教養」と「情報」の違い。それがノイズの有無で決まる。
なるほど!と思った。現代社会の忙しさの原因分析も説得力がある。

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2024年05月19日

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オビの「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」の文字が大きく目立つが、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がタイトルである。

スマホが脳に与える悪影響についての内容を予想して読み始めると意外や意外の球筋で、日本社会のあり方を論じている。

語り口はクセがなく平易。本好きの著者自身が、就職した途端に本が読めなくなった。その理由を博覧強記の読書歴を元に掘り下げていく。ひたすら掘った成果が本書である。

労働と両立させたいと願う個人の文化生活が、著者にとっては本を読むことだった。日本の読書史を労働史に重ね合わせ、明治時代に遡って論じる射程の長さと目配りの良さが両立している。

働きながら人間らしい文化的な生活を送るためにはどうしたら良いか。著者が巻末に置く提言は、国が推し進める働き方改革とは似て非なるものである。
2024年のベストセラーに入ってほしい。

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2024年05月17日

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自分から遠く離れた文脈に触れること=読書である故に、遠くを知りたいと思う余裕がないと読書が出来ないというのは肌感覚に非常に合致する。
過去から続く日本人の読書との向き合い方から導き出された著者の読書論は読んでいて楽しかった。

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2024年05月17日

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読みやすかった。「読書」の歴史から読み解いて、現在の読書のあり方を提示しているのは、新しい発見が多かった。
わたし自身も本を読む余力が健康度の指標になっていたなと感じた。もっとたくさん本を読みたくなった。

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2024年05月11日

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社会人になってから読書量が著しく減った。そう感じているのは、どうやら自分だけじゃないらしい──端的に言って、これが本書の売れている一番の理由だろう。
必ずしも時間がないわけじゃない。スマホでSNSや動画を見たり、ゲームをすることはできるのだ。なのに、本を読むことはできない。この労働と読書が両立しなくなった背景には何があるのだろうか。それを歴史的に明らかにしたのが本書である。

偶然だが、この本を読んでいるときに、NHKスペシャル「山口一郎〝うつ〟と生きる~サカナクション復活への日々~」を見た。いちばん印象的だったのは、「あんなに好きだった音楽ができなくなった。ギターを触ることさえ嫌だった」と語るところだった。
うつ病というのは、好きなことから順番にできなくなるらしい。たとえば、映画を好きだった人が「2時間も座って見るなんてしんどすぎる」と思うようになる。ドラマを好きだった人が「また今週も見なきゃいけないのがつらい」と言い始める。それなら、読書が好きなのに本が読めないというなら、現代人はみな「プチうつ病」にかかっているのではないか。

本書の内容を簡単にまとめることは難しいが、自分なりに整理するとポイントは2つある。1つ目は「情報化社会」である。情報化社会の到来によって、「教養」は「情報」に負けた。私はそう見ている。
『電車男』という本をご記憶だろうか。主人公のモテない男性が、エルメスという手の届かない女性との恋を、2ちゃんねるの住人たちが伝えてくれる情報によって成就させていく実話である。別な言い方をすれば、これは「情報」によってヒエラルキーを克服する物語である。
教養や知識と、情報の違いは何か。情報とは、「知りたいこと」「必要なこと」以外を削ぎ落とされた、ノイズのない知だという。電車男が掲示板を通して得た、自分に最適化された知。それが情報である。かつて教養は階級差を超克するためのものだったが、現代ではそれが情報に変わる。ひろゆきとは、従来の権威を「情弱」と切り捨てることで、ヒエラルキーを転倒させたトリックスターだったのである。
情報が溢れたネット社会では、読書によって得られる教養なんて、無駄な知識以外の何でもない。ノイズだからうるさい。

2つ目のキーワードは「新自由主義」(ネオリベラリズム)である。最近やたらと耳にする自己責任論。給料が少なくて生活できないと、それはそういう仕事を選んだ自分の責任だと言われる。収入を増やしたいなら資格を取るなり休日に勉強するなりして、もっといい仕事に就けばいい。
こういうふうに言われると、趣味で読書をするのさえ、悪いことをしているような罪悪感を覚えてしまう。歴史上いまよりも長時間労働だった時代は存在したが、ここにおいてわれわれは、生き方の上でも「余暇に好きなことをする」という行為の自粛を迫られたのである。
私はよく冗談で「AIが人間から仕事を奪うというなら、むしろ仕事なんかAIにやらせて、人間はベーシックインカムをもらって週3日だけ働けばいいよ」と言っている。これがブラックユーモアに聞こえるとしたら、それはAIがどれだけ進歩したところで、もうこの先余暇が増えることはないとしか思えないからだろう。

では、文化を享受し、余暇を楽しむものとしての読書を再び取り戻すには、どうすればいいだろうか。世の中を変えるしかない。市場という波にうまく乗ることだけを考える社会から、波そのものに疑問を突きつける社会。ノイズだらけの世界に向かって、もう一度自分を開くこと(ここは若干、筆者の主張)。
もちろん、個人にとっては簡単なことではない。だからかどうかはわからないが、巻末には「あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします」というものが付されている。その中に、書かれてはいるが著者があまり強調していないので、お節介だが私から力説したいことがある。それは、「読めなくなったら休め」ということである。
うつ病にとって、最良の治療法は休むことである。ゆっくり休んで、また「読みたい」という気持ちが湧いてくるのを待つ。この「待つ」という忍耐が持てるかどうか、それが現代社会を生き抜く秘訣ではないだろうか。

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2024年05月11日

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「なぜ働いていると本を読めなくなるのか」

大学生の身分で、働いてもいないくせに昔より本や漫画を読むのがおっくうになっている自覚があったので本書を手に取った。シンプルに疑問を解消したかった。

たくさんの文献を引用し、終始納得感のある理論が展開されており、想像以上に私にとっては響く部分が多かった。「読書と仕事」を「社会と自分」に展延して論じてくれる本書は人生観にも大きく繋がってくると思う。

本書の文章中には出てこないがこの本を読んで一つ個人的に私がキーワードだと感じるのは「短絡さ」であると思う。その場しのぎの、自己完結してしまうような短絡的な人生観と読書は相容れない。色々なことに興味のアンテナをたて、楽な方に流れない、生きることにもっと希望を持てるような社会が人々の「短絡さ」を解消し、より読書が楽しめる世の中を作るのではないかと感じる。

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2024年05月02日

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仕事を自己実現のためとして頑張りすぎること、頑張ることで、自分を忘れさせてくれることが嬉しい、本は情報量が多い(ノイズがある)。これが、本から離れる理由なのかと思った。たしかに、そうかな。
自分は読書ルーチンを持っており、読書しないなんて考えられないが、それは読書で自らが救われた経験があったからだとも思う。多くの人に、本を読んでほしい。

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2024年04月29日

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さまざまな事例を引きつつ、日本における労働の歴史を紐解きつつ、「読書」という行為の持つ意味や労働との関連を考察する。序章冒頭の「花束みたいな恋をした」からの例、「パズドラしかやる気しないの」に頷きまくる諸氏も多いのではないか。「全身全霊で働く」蜜のような味から、「半身で働こう」へと。身に沁みた本。

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2024年05月19日

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日本における読書の位置付けを「働き方」と「労働者の悩み」を軸に歴史的に振り返る。
読書が立身出世という概念を啓蒙する形で広まったのち、地位獲得やコンプレックス解消のために用いられていた時代から,徐々に教養の大衆化が進み、企業・社会が自己啓発を求め出すことや、地位獲得における教養の方がコミュニケーション力に取って代わられるに連れて、徐々に読書の中心も自己啓発書にとって変わって行った。
その中では、以前は前提であった立身出世や,地位獲得自体の相対的な価値が低下して、外的環境から守る自己実現の重要性が強調される。
自己啓発書はノイズを排除する役割であるのに対し、人文書や文芸書はノイズを生成する役割を果たし、後者はゆとりがない人には難しい。しかし、ノイズない人生が楽しいのかというのが筆者の問題提起。

自己啓発書の背景にある外的環境から独立した自己実現は結果として、格差の解消などの構造的な背景を後景化するし、個人の対策である立身出世を過度に否定すると言えば,現状の固定化に寄与する側面もあると思った。
これはまさに、麦と絹の関係性にも現れており,その点でも「花束みたいな恋をした」は示唆深い作品だったといえるのかもしれない。

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2024年05月19日

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ノイズ。今欲しいのは情報であって、読書体験はノイズを含むという表現が、わたしのモヤモヤをスッと言語化してくれた。
花束みたいな恋をしたの麦の引用がたくさん出てきて、わかりやすいし、納得することが多くて、首を縦に振りまくりながら読み進めた。
別に読書論を語る本ではなくて、現代の労働についての問題を読書を通じて考えさせられた。
仕事で疲れた時は、この本を読み返そう。

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2024年05月18日

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ネタバレ

以前に読んだ「映画を早送りで観る人たち: ファスト映画・ネタバレ-コンテンツ消費の現在形」と関連した話で非常に面白かった。かつ、今の自分に響く内容も多かった。

【読書と優越感】
「自分が学ぶ動機付けを持った人間だと思いたい一心で、あれこれの勉強を買い漁る」という言葉は非常に今の自分に刺さった。成長意欲、自己実現欲求はあり何者かになるために技術書やビジネス書を買い漁って読んでいるものの、大して成長できず結果も出ない状況に日々焦燥感を感じている。

いつの時代も、本流でない場所で学ぶ人々には蔑みの視線が向けられている。かつてのカルチャーセンターから今日のオンラインサロン。「エリートによる優越感からくる攻撃」はエンジニアでもよく見られ、プログラミングスクールへの視線も似たようなものである。

【仕事と自己実現】
長らく、やりたいことを仕事にする、仕事で自己実現する風潮なんて無かった。かつては働かなければ生きていけず、人々は生きるために働いていた。教養よって自己実現・自尊心を保っていた。しかし、今日ではやりたいことを仕事にし、仕事で自己実現することが推奨されている。
仕事への過剰な意味付けにより、無謀な夢を追いかけて困窮したり、働きすぎで鬱や過労死が生まれている。

能力主義が神聖化されることで、「頑張れば何でもできる≒頑張らなければ何にもできない」という価値観が形成されてしまい、疲れるようになってしまった。

仕事による自己実現や能力主義による努力の推奨が段々強くなるにつれて「何事も全力でなければならない」という価値観が生まれてきてしまった。全力でやるのは楽しくはあるが、何事も全力でやるのは疲れすぎるし、全力で出来ないことを切り捨てることになる。それはそれでどうなの?とは思える。

【感想】
・一歩引いてみて、仕事で自己実現なんてしなくても良いやと思っても良い
・「死ぬほど全力でやっている1つのこと」も大事だけど、たまーにやる楽しいこと、テキトーにやってる楽しいことをたくさん持つのも良いことだ

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2024年05月17日

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ネタバレ

非常に読みやすい説明文。中学受験の国語問題とかに採用されそう。読書とは自分から離れた文脈に触れること、読めない状況とは新しい文脈をつくる余裕が無い、ノイズだと思ってしまう。余裕が無いのは全身全霊で働いているから、半身で働こう。

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2024年05月13日

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現代社会で働きながら読書を楽しむことの困難さを深く掘り下げた作品。また、自己啓発書がなぜ多忙な現代人に受け入れられやすいのかについても触れられている。「ノイズ」を最小限に抑えることで、限られた自由時間を最大限に活用する手助けをしているからだという。この本から得られる教訓は、現代社会が私たちに求める無尽蔵の労働に対して、自身の生活の質を守り、文化的な豊かさを追求するための戦略を練ることの重要性だということ。あと映画「花束みたいな恋をした」も本書で触れている。

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2024年05月12日

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"本読みあるある"をまとめた本と思いきや、今の日本社会や働き方への疑義や提言が盛り込まれて頷けることばかり。読書の大切さを説きつつも、それが絶対ではないとするバランス感覚も好みです。読書史と労働史の解説も良かった。

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2024年05月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

結論:資本主義と新自由主義に魂を売るな!

SNSで話題で、自分自身課題感があったので読んでみた。
スマホばかり見てしまうあなたに、という帯とは裏腹に日本の読書史と労働史に対する考察で、前々からなんとなく感じていたことやモヤモヤしていたこと(ex.ビジネス書や自己啓発本を読むのは読書というのか?現代人は職業人としての自分を内面化しすぎでは?など)の点と点が繋がった。

私自身キャリアチェンジをするというときで時には勉強や仕事に全振りしなければいけないかもしれないけど、それに自覚的になること、仕事だけが自分の全てではないこと、日単位じゃなくてもいいから月・年単位では家事や趣味や余暇や「無駄な時間」含めていろいろな活動をして自分の中で良いバランスを探っていくことを大事にしたい。


最終章でバーンアウトについて触れていたが、私は頑張りすぎる方ではなくどちらかというと最後まで頑張れなくて詰めが甘く、まさにバーンアウトできるぐらい頑張れる人に憧れやコンプレックスを抱いていたり、ショート動画ばかり見て「時間を有意義に過ごせていない」ことに劣等感を感じていた。
(もちろんショート動画よりは読書に時間を使いたいが) そういった自分を少し肯定できたのと同時に、あらゆる呪いから自由になり、自分にとっての豊かな時間、豊かなあり方を模索できたら良いと思う。

ーー
★時間とお金のムダ
★★普通〜微妙
★★★よかった
★★★★心が動いた(感動した、意表をつかれた、ショックだった)
★★★★★人生の本棚に入れたい  

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2024年05月07日

Posted by ブクログ

日本人の読書の歴史について多く書かれていて、興味深かった。円本の辺りの流れが面白い。
労働者たちが階級を上げるために「成功」などの雑誌を読むのをエリートたちは冷ややかに見ている、という図は今でもあるよなぁと。

後半の読書はノイズであるというテーマも興味深かった。働くことにおいて雑多な知識が入ってくる読書はノイズであると。欲しい情報だけをすぐに得られるスマホの方がやっぱり楽だよねと。読書はできなくても自己啓発本なら読めるのもよくわかる。明日使える技術とかね…。

読書と教養についても沢山書かれていた。
「教養とは、本質的には、自分から離れたところにふれることなのである。」


全身で働くことに重きを置くというスタイルをみんな辞めていこうという提案、これも良いなと思った。

知らない知識が思いがけず目の前に出てくる読書。読書にとどまらず知らないものを面白がって知っていこうと言う姿勢、これは大事にしていきたい。

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2024年05月06日

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自分に直接関係のない情報をいれるゆとり、それがない環境には、いま読書は存在しにくいのかも。全身全霊をやめましょう、という主張はすごく心に響きます。

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2024年05月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ネットで紹介されているのを見て、気になったので購入した。

仕事に全身全霊だと、本が読めない。
仕事だけじゃなく、いろんなところに、ちょびっとずつ関わる余裕を持てたらいいね。
その一つが読書ならいいね、という感じ。

自分を振り返ると、確かにそうだった。
意識しないと、本を読まない時期があった。
事以外に何をしていたかというと、ゲーム。
不本意な仕事から逃げるために没頭していた気がする。

すぐには役立たない文脈を取り入れる余裕は、確かに無かった。
この本のような理由ではなく、自分のメンタル疲労を癒すため。
バリアを張って、「仕事はここに入ってくるな!」という意気込みで、ゲームをしていたように思う。

今はどうして、本が読めるようになったのか。
仕事の目的に目を向け、納得しながら進んでいるからか。
いるだけで心を支えてくれる家族ができたからか。
たぶん、いろいろ。

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2024年05月04日

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現代人の私には、昔の人ってたくさん本を読んでたんだよな〜位のイメージだったので、時代を追って本との距離感や捉え方を知ることができた。
その上で、働きながら本を読むにはというテーマにも触れていた。ノイズを受け取るゆとりのある生活、社会が実現できたらいいですね。
著者の「売れすぎである。」等の表現が面白かった。

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2024年05月02日

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自分も働いている時に本が読めなくなったので、「半身」でさまざまな文脈をもつ生き方の提案に、なるほど、と頷いた。なにより本書を通して、本や書店に対する著者の愛を感じられたのがすごく良かった。
また、『バーンアウト』『推し、燃ゆ』『24/7』など、ここ数年で読んだ書籍が何冊か引用されていたので世代を感じた。
・『そういうふうにできている』は未読だけれど、さくらももこ作品に漂うスピリチュアリティはなんとなくわかるような気がする。
・『働く母親と階層化』(2022)はこれから読んでみたいと思った。

全体として読みやすかった。

メモ: 『推し、燃ゆ』は労働を主とする社会人の趣味活動ではなく、機能不全家庭で生活せざるを得ない学生の趣味活動がテーマなので、そこは丁寧な区別が必要では、とは思った。「逃れ難い強制的な環境から実存を守るために、趣味に真剣にならざるを得ない」という側面だけとれば良いのかもしれない(?)が、他の引用書籍の視点は「社会人の社会生活」で揃っているので、その点だけ気になった。(推し燃ゆの主人公のラストは、労働から解放されて推し活をやめるわけではないのだし。)

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2024年05月03日

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まさにそう。好きな読書、疲れ過ぎて、カバンに本を入れていても、取り出せない、読めない、スマホをペラペラめくる。読み始めても、スマホのSNSの方が楽....。頭と心に余白が欲しい。

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2024年05月18日

Posted by ブクログ

序章が一番面白かった。
働き始めると本が読めなくなる人間はそこらじゅうにいて、自由時間を節約すれば読書自体はこなせるはずなのだが、どうしても気づけばスマホを眺めているというもの。

本編は読書史と労働史として、過去から今に至るまでの、その時代の読書はどんな層に向けて売られていたか、どんな本が売れていたか、どんな売り方をしていたか、その時代はどんなものが流行っていたか、など細々と参考文献を引用しなが解説していく。
円本は今でいうサブスクみたいなものだ〜という話や、修養から教養からコミュ力から自己実現〜という時代によって求めることが変わっていく話は面白かった。
しかし特に引用関係だが、偏りが強いように感じた。その引用は必要か?と思うものもある。序章で引用した“花束みたいな恋をした“や“パズドラ“のことを本編中に何回か再び引っ張ってくるが、くどく感じる。

タイトルから期待する話を読みたいなら本編は飛ばしてあとがきを読んでしまえばいい、というレビューを見かけたが、そのあとがきで提案されている読書手引きは真新しさもなく誰でも考えつくものしかない。

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2024年05月13日

Posted by ブクログ

明治以降の読書の歴史と労働の歴史から、なぜ働いていると本が読めなくなるのかを平易な言葉で説明している。
時代や社会の変化と共に読書の意味合いやベストセラーになる本の特徴も変わり非常に勉強になった。著者の提言として全身全霊で仕事や家事や趣味を行うのではなく半身で向き合うとう発想は現代を生きるうえで大切な視点だと思いました。

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2024年05月12日

Posted by ブクログ

話題になっているので、手に取ってみました。
読む前は、なぜ読めなくなるのかについて精神論や脳の仕組みからの話があるものと思っていましたが、読んでみると戦後の日本の歴史の流れから人々の慣習や意識がどのように変わっていったかを追う構成になっており、意外な内容でしたが、考えたことのない視点だったのでとても興味深かったです。

自分が生きていない時代のことは、へー!と新しく知ることばかり。
歴史で習っていることは、一部の動きや流れで、それに振り回されたのか大衆が動かしたのか、一般庶民についてはそこにフォーカスして動きを知ろうとしないと掴めないものなのかなと思いました。
自分が生きている間の話は、単語での説明は考えたことはなかったですが、肌感覚でなんとなく感じていたことが言語化されていました。

全編を通して、本への愛情を感じるものでしたが、本を読みながらちょっと嫌な予感がしていたのですが、あとがきを読んで確信と変わりました。
自分は、本の感想をこうして記録することは好きですがSNSで語り合うことは苦手で、それをしている人たちの界隈すら苦手です。
本が記号的になっている感じがしたり、人間関係は複雑なのでおべっか感想とか賛賞とかあったら嫌だなと思っています。本、作品そのものに真摯に向かうものだけではない、そのほかのことを気にしたり慮ったり、言いたいことが言えないことになるのは嫌だなと。
でも、この本の中でちょこちょこ触れられていましたが、本の文化が栄えるのであれば手段を選んでいる場合ではないし、いろんな形で盛り上がれば良いと思うので、わざわざ絡みにいって否定したりはしません。

半身の話は、理想ではありますが実現に至るまでの現実的な著者の考えや意見(どこから取り組みを始めるか、農産業は、医療従事者は、など?)が足りていない点に、少し頼りなさを感じ本の失速を感じました。
ただ現状のホワイトカラーの人の会議まみれの無駄な時間の働きは嫌だなと思うので、変えたらどうかという意見が出るのは良いことと思います。
この本が話題になれば、いろんな人の頭の中に著者の「半身」の考えが浸透して、そこから人それぞれ少しずつ行動や意識が変わっていったら…と社会が変わる可能性もあるのではと期待ができる気がして、本のロマンだなと。

本と大衆の動き、当たり前ですが相関関係があるんだな〜と。
文庫化を待たず単行本が発売されたタイミングとか流行っているタイミングで手に取ることがその本をより理解できる(本の内容だけでなく、なぜその本がこのタイミングで出版されたのか)と思っていましたが、今まで以上に、芥川賞・直木賞の受賞作はリアルタイムで享受した方が良いのかもと思わされました。旬のうちに。

働いていると本が読めなくなる理由に、スマホの悪影響があるのではないかと、気になるのでその視点の可能性もほのめかしてもらえたらより面白くなった気がします、個人的に。

脳の興味の奪い合いでスマホ一強の時代というか…脳の仕組みからもどういうものなのか知りたいです。
本だけでなく、LINEなど返事はしていないのにSNSは更新したり読めたりできることについても、似たようなことが言えるのかなぁ。。

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2024年05月07日

Posted by ブクログ

時代ごとに売れた本の歴史を紐解くことで、そのときどきの仕事に対する価値観がわかりました。本が読めなくなった理由=その他の娯楽増加 という考えではなく、その娯楽や売れてる本から現代人は何を求めているかという点は、ハッと気付かされるものがありました。

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2024年05月06日

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タイトルに惹かれて読み出した。この本の中でも問題視されているファスト教養だが、結論が知りたくて、読書史はある程度飛ばして読んでしまった。

とばし読みも悪くはないと思うのだが、確かに教養や知識にはなっていないかも。
また読み返すかもしれない。

最終章には著者の考える読書を続ける働き方が提言されている。働き方改革が訴えられて数年。今の時代に合った内容だった。
なんでもやり過ぎは良くない…。
ワークライフバランスについて、改めて考える機会になる内容だった。

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2024年05月04日

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読書史としては面白い。全身全霊を続けないといけない社会批判にも共感する。

ただ全身全霊を傾けたからこそ読んだ本もあるし自己啓発本で広がった視野もある。そういう意味で、たぶん論を尖らせるために除かれたノイズにも大事なことがあるような気がして残念さも残る。

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2024年05月03日

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ネタバレ

本が読めるということは、働いていないということか(対偶)と思いつつも、自分にも「今日、SNS見てた時間で短編一本は読めたな…」と、思うことが多々あるので、手にとってしまいました(^o^;)。資格の勉強し始めると全く本、読まなくなるし。

明治時代以降の労働と読書の関係の推移から、「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の謎に迫る面白い一冊でした!

かつては“知識”または“教養”を得ることが、労働階級に生まれた人が、のし上がるための希望になっていました。

けれども、インターネットの台頭により、ノイズのある“知識”ではなく、ノイズのない“情報”を手に入れられるようになったこと。また、環境的に不利な人にとって“知識”や“教養”ではなく、最新の“情報”こそが、一発逆転のチャンスであると捉えられていること。だからこそ、ノイズのある“知識”を得るための読書から人々が離れつつある、と理解しました。ちなみにここで言うノイズとは、今、知りたいと思っているわけではない、未知の情報のこと。

なぜ、そこまで早急に“情報”のみを得る必要があるのかというと、それは新自由主義のもと、自己決定と自己責任が推奨され、人々にノイズを楽しむ余裕がなくなってしまったから。

このような背景の元、著者の三宅香帆さんは、労働に「全身全霊」になるのではなく「半身」で望む世の中になることが望ましい、と主張しています。

私も仕事「半身」、家事育児「半身」で生きてて、おかげでメンタル病まなくて済んでるかもな…と思うことがあるので、「半身」生活には大賛成なのですが…読書のために仕事に「半身」になれる人は少ないだろうなぁ、と思いました。本書の前半でまとめられている労働と読書の歴史を読むとなおさら。


「努力すれば成功できる!」的な自己啓発本は、なんと、明治時代から存在し、さらに、同じような時期にニーチェが『ツァラトゥストラ』にて

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君たちはみんな激務が好きだ。
速いことや新しいことや未知のことが好きだ。

君たちは自分に耐えることが下手だ。
なんとかして、君たちは自分を忘れて、
自分自身から逃げようとしている。
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なんて言を残すほどに、人々は150年も労働に全力を傾けてきたのだから、今さら「半身」で仕事しよう!というのも、なかなか難しそうだと思いました。

私が読書を細々と続けているのは、たぶんジェームズ・ヤングの『アイデアのつくり方』を読んだおかげかな…と思うので、もういっそ「仕事で勝つにはノイズ込みの情報(=知識)が必須なんだ!」という言説を流布して本を読ませる路線の方が、本という文化を残すためには現実的かなと思いました(^_^;)。
※ジェームズ・ヤングのアイデアのつくり方のキモは「既知の要素の新しい組み合わせ」を見つけることで、そのためには、ざっくり言うと、なんでも興味持って知識を蓄えとけ、という感じなので、ノイズがすごいアイデアの源泉になる気がしてくるんですよね。気休めですが(¯―¯٥)。

ちなみにSNSは見られるのに、本は読めないことがあるのは、読書とは未知との出会いであって、未知のものと出会うことには体力がいるから、とのこと。なので、SNSは見れるのに本が読めない時は…おとなしく寝ることにします!

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2024年05月02日

Posted by ブクログ

日本近代からの読書史と労働史を並行させて語り、その時代で彼らがどのようなスタンスで読書をしてたかという話を展開し、改めて現代において労働と読書を考えるという構成の本。
明治大正では身分制度が無くなったことから立身出世が重んじられ、今でいう自己啓発本が爆売れしたという話など、面白い話が多かった。
しかし、現代を論じる部分においては、いくらなんでも単純化し過ぎではないかと思う点がいくつかあり、(例インターネット=情報/本=知識という二項対立)最終的な著者の提言には賛成だが、論理展開は必ずしも同意出来ない

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2024年04月29日

Posted by ブクログ

明治から現代までの労働史・読書史が展開され終盤にかかり本題である「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」について筆者としての見解と打ち手が展開される.

現代にとっての読書は「ノイズを摂取する」ことに意義がある.(ノイズの除去を図る自己啓発系の本は除く).ノイズとは教養であり,”自分から遠く離れた文脈に触れること”である.

未知に触れるにはほんのちょっとの勇気と異質なものを受け止める余力が問われる.
読書はノイズ=未知に触れさせてくれる媒体,人々が未知に触れる勇気,余力を失っている所作として読書が遠ざかっている.

人々は駆り立てられる暮らしをしている.就労を通じた貢献・自己実現・自己肯定が求められ,余暇の過ごし方一つとってもコスパ・タイパが求められると感じ,故にほしい情報・すぐ役に立つ情報に簡単にリーチできるSNSやYoutubeに傾倒.頭を使いたくなければソシャゲでぼーっとする.そこには自分で制御できないもの(ノイズ)を極力排除しようという指向が共通している.

人々が目先の競争に全力投球し,余分なもの,不要なもの,役に立つかわからないもの,そういったセレンディピティを楽しむ余裕や志向が失われた結果「本を読まない」という現象に至ったんだなあと認識.

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大正時代の辛いサラリーマン向けの妄想物語
→痴人の愛、ナオミズム

長時間労働のピークは1960年ごろ。
年間2426時間。ちなみに2020年は1685時間。
働いている人向けの本の隆盛。
教養ではなくハウツーやサラリーマン小説

自己啓発ではない読書=ノイズ

自己啓発書→自己のコントローラブルな行動の変革を促すこと。=他人や社会といったアンコントラーブルなものは捨て置き、自分の行動というコントラーブルなものの変革に注力して、自分の人生を変革する

自己実現系ワーカホリック
→仕事を通じてしか自己実現を見出せない
→手段が仕事かどうかに関わらず、"自己実現しなきゃ"という発想こそ毒では?

読書=自分から遠く離れた文脈に触れること

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2024年04月29日

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