【感想・ネタバレ】なぜ働いていると本が読めなくなるのかのレビュー

あらすじ

【人類の永遠の悩みに挑む!】
「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。
「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。
自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。
そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?
すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

【目次】
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
序章 労働と読書は両立しない?
第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生――明治時代
第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級――大正時代
第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?――昭和戦前・戦中
第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー――1950~60年代
第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン――1970年代
第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー――1980年代
第七章 行動と経済の時代への転換点――1990年代
第八章 仕事がアイデンティティになる社会――2000年代
第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?――2010年代
最終章 「全身全霊」をやめませんか
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

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QM

購入済み

平成あたりからすっごく話がイメージしやすくなって、めちゃくちゃ面白かった、、、!!
もちろん昔の日本の読書習慣や仕事への見方、階級などなど勉強になったけどやっぱり時代が遠すぎて「へぇそうなのかあ」と表面でしか理解できなかったような部分がたくさんあったけど、読み進めていくとどんどん話が自分の中で繋がってきて、分かりやすかった。

昔の日本は読書はエリート向けのものであったり、教養を身に着けるためのものであったが、今では読書=ノイズ(自分にとってシャットアウトしたい、必要ないと感じているもの、体力精力を精力を無駄に消費するもの、頭をつかうもの、、、)と考えられている節があり、人々のなかでの「読書」の立ち位置が今と昔で全く違うのがとても興味深かった。

読書するというのは他人の文脈を受け入れ、触れ、関わりあっていくこと。
仕事へ自分の100%を注ぐのではなく、半分余力を残しておいて別のこと(趣味、家事など)に充てること。
無理して働くことを美化しないということ、などなど。

どれもすごく大事なことだと思いました。
また時間をおいてから読み返したいと思った1冊でした。

何を買うか決めてない状態で本屋に行って目についたものを買うのが大好きだからまた早く行きたいな~という気持ち!
積読ばんざい!!!

1
2024年11月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルだけ見て共感したのであらすじ等はよく確認せず購入。

本書は読書史と労働史を時系列で追いながら、なぜそのように至ったのか筆者の考察が描かれている。
参考文献の豊富さに驚いたとともに、最終章の提言には現代社会が抱える問題の解決にも繋がりうるようなものも書かれており、働き始めてから本が読めなくなったのはなぜかという素朴な疑問から、ここまで考察するかと素直に感心した。

0
2025年12月28日

Posted by ブクログ

本書で言う「本を読む」とは、文字通り読書という意味でもあるが、それを含め、読者自身それぞれが生活に必要不可欠な文化のことである。
私はガッツリ読書が趣味なので、なおさらタイトルに惹かれた。ホント読めないんだよ、本。なんでだ、という思いで手に取った。

働いている(働きすぎな)ことで、そもそも物理的に時間がなくて「読めない。」
仕事に全身全霊で取り組むことで、こころに余裕がなくなり、働く私が求めている情報(仕事に役立つスキルだったり)じゃない情報を受け入れられなくて、そんな情報が集まっている本は「読めない。」
タイトルの言葉には、概ねこのような意味があると理解した。
あと、個人的に最近感じていることであるが、本が高くて買えないから「読めない。」も、SNSを見ているとけっこうあるなぁと感じる。

悲しいなぁ、と思う。
本を買うために働いているのに。趣味を楽しみたくて、働いているはずなのに。
働くに支配されてないか?

本書では最後に、今後の働き方についても提言している。大賛成である。読みながらいったん本を置き、拍手してしまった。
本すら読めない働き方なんて、悲しすぎるじゃないか。

働き方改革の規制が緩和されようとしている。
働きたい人は働いてくれ。そして大いに納税してくれ。ありがとう。先にお礼を言います。
私は、ほどほどに働き、新刊をそこまで悩まずに買えて読める生活が送れればそれでいい。

余談だが、私は推理小説やエッセイ、最近では新書を主に読むのだが、「そんな本を読んで何になるのか」はマジで言われたことがある。
その相手に、この本を投げつけたい気分でいっぱいである。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

読む前はただ、余裕も時間もないからでしょ。ぐらいに思ってました。
でも、実際に書かれていたのは、労働の歴史から社会における読書の文化まで。本当に幅広く、そして私達にそれらについて興味を抱かせるように、かつ分かりやすく書かれていたものでした。
著者の読書量はYouTube動画などで知っていましたが、この方は本物の読書家で、そして知識人だと思います。
本当にこの本を読んで良かった!

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2025年12月19日

Posted by ブクログ

自分自身、スマホを使って「ノイズのない知識」を求めようとしてしまう。なぜならそっちの方が楽だから。しかし、スマホでは得られない、タイパを重視していては得られない知識が読書から得られると考えさせられました。

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2025年12月18日

Posted by ブクログ

江戸時代以降の読書史が労働観を交えよくまとめられています。僕の読書歴がこれにしっかり乗っかっていることが分かって笑っちゃいました。

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2025年12月17日

Posted by ブクログ

自身が本が読めなくなる時期に陥っている環境と背景がクリアになり、腑に落ちました。三宅さんが訴える、半身社会=特定活動にフルコミットメントしない社会を構想することは非常に重要だと思います。社会的に仕事等にフルコミットメントする姿勢は称賛される傾向にありますが、一つのことだけを頑張るのはとても簡単。頑張っていることを言い訳に、家族・友人・恋人や余暇活動を遮断してしまう(身に沁みてわかります)。「一つのことだけを頑張る生き方は、不健康かつラク。フルコミットメントの全面的称賛は危険」と強烈に反省しました。

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2025年12月14日

Posted by ブクログ

働いているとなぜ本が読めなくなるのか という題名から想像できないくらい、読書についての歴史書だった。インターネット社会になるまで、本は貴重な情報源だったし、ネットで時間を「溶かす」こともなかった。三宅さんが言うように確かに読書は「ノイズ」。著者が伝えたいことは何か、自分にとって有益な情報は何か、と考えながら読んでしまう。だけどもそうやって考えて読書してしまうことこそ自分に余裕がなく、やりたいことに没頭出来ていない。
現代の「自己実現」は大事だが、半身にして他者を知ることも重要だなと思った。

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2025年12月10日

Posted by ブクログ

「働いているとなぜ本が読めなくなるのか」を探るため、近現代の読書について振り返りを通して、それに答える(提言する)といった内容。読書の変遷が知れてとても面白かった。

問いに対する答えが、現代の読書のあり方に帰着する。そこから先の提言については若干の強引さがあった。そもそも著者の中で、2000年代以降に主流になった本たちは、読書の対象なのだろうか?あと提言内容が、単身者(または時間が自由に使える人?)の視点から出られていない感じがしました。

近現代の読書事情がわかる9章辺りまではとても楽しく読めました。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書では、労働と読書の歴史を振り返ることにより、それぞれの時代において労働と読書にどのような関係があり、人々が労働と読書をどのように認識してきたのかを整理している。
関連を見出すにあたって、所々やや強引な部分も否めなかったが、それでも大枠は作者の意見に同意である。

近年では、労働における成功に必要な要素として「行動」という自分にとってコントロール可能な部分への変化を促す「自己啓発本」が流行っている。本によって知識を得ることが目的ではなく、得た知識に基づいて自分の行動の変革を行うことが目的であり、その目的をより容易に達成するために人々は必要な情報以外をノイズとして除外する。だからこそ、今の自分に必要でない情報(ノイズ)も含む読書よりも、自ら求める情報に直でアクセスできるインターネットの方が流行る。

また近年では、好きなことを仕事にするのが望ましいとされる風潮があり、「仕事で」自己実現を図ろうとする人が増えているという点も作者は指摘している。それが故に、余暇の時間では娯楽としての読書を楽しむよりも、仕事に有益な情報を効率良く得ることに人々は注力してしまうと。しかしこれは、生活のあらゆる側面が仕事に変容する社会「トータル・ワーク」に繋がりかねず、バーンアウトを招く危険性がある。

本書は、仕事を始めとして、家庭や趣味などなにかしらに全身全霊で取り組むことはバーンアウトを招く危険性があるため、何事も「半身で」取り組むことが望ましいと結論づけている。
なにかひとつに絞って全力を注ぐことはある意味で楽だが、様々な文脈で生きることの余白を残しておくべきだと。

この本では、タイトルの問題提起にある現代の課題への答えを導くために、明治〜大正まで歴史を遡り丁寧に解説されているが、正直早く結論が欲しい!と度々なってしまっている自分がいて、やはり自分もノイズを嫌う現代人になってしまっているんだなぁと感じた。
でもやっぱり読んでいく中で、この文には同意するな、これはどうなんだろうか、と考える経験ができて、それが今知りたいことに直結する訳ではなくても、考えるという行為こそが重要であり、人生を豊かにするんだよなと、読書の面白さを改めて感じられた。

また、「ノイズは一見今の自分に関係ないように見えても、いつか自分に回ってきて役立つことがある」だからノイズを含む読書は大切だというような作者の話だったが、個人的には全て「何かに役立たなければいけない」訳でもないのではないかと思う。何にも役に立たないノイズも楽しんで良いのではないかと。読書好きの三宅さんにはそんな結論を導いて欲しかったなぁと個人的には。

「知は常に未知であり、私たちは『何を知りたいのか』を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。
だからこそ本を読むと、他者の文脈に触れることができる。
自分から遠く離れた文脈に触れることーそれが読書なのである。
そして、本が読めない状況とは、新しい文脈をつくる余裕がない、ということだ。自分から離れたところにある文脈を、ノイズだと思ってしまう。そのノイズを頭に入れる余裕がない。自分に関係あるものばかりを求めてしまう。それは余裕のなさゆえである。だから私たちは、働いていると、本が読めない。
仕事以外の文脈を、取り入れる余裕がなくなるからだ。」(p234)

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

私は働いていても多く本を読んでいるので、この本にあまり興味がなかったのですが、読んでみると、単に本を読める小手先のコツを紹介している訳ではなく、歴史を紐解き、根本から日本社会の働き方を見直すことを提案するという、予想外にマクロな視点で驚いた。

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

### **まえがき**

- 近代以降の労働史と読書史を並べて俯瞰することにより、歴史上日本人はどうやって働きながら本を読んできたのか、そしてなぜ現在、私たちは働きながら本を読むことに困難を感じているのか、と言う問いについて考えた本。

### **序章 労働と読書は両立しない?**

### **第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生 明治時代**

- 明治時代に黙読が誕生。江戸時代、読書と言えば朗読だった。当時本は個人で読むのではなく、家族で朗読し合いながら楽しむものであった。明治時代になって活版印刷に大量に書籍が印刷できるようになり、大量の書籍が市場に出回り。個人の趣向に応じた読書が誕生。
- 明治の日本は職業選択の自由、そして居住の自由が与えられた。それまで住む場所すら選べなかった青年たちは、田舎から出て出世し、手柄を上げる夢を見るように。
- 明治時代のベストセラーとなった西国立志編。「修養」という言葉を日本で使った書籍。

### **第2章 教養が隔てたサラリーマン階級と労働者階級 大正時代**

- 明治時代にエリートの間で広まった「修養」は、大正時代には労働者階級の間に既に根付いていた。
- 大正時代は、自らを労働者階級とは区別する「読書階級」ことエリート新中間層が誕生。
- 大正時代のエリートの中では、「教養」が広まった。知識を身に付ける教養を通じて、人格を磨く事が重要だと考えるようになった。
- 行為を重視する「修養」と知識を重視する「教養」は違うものになり、教養=エリートが身に付けるもの、修養=ノンエリートが実践するもの、という構図になった。
- 「修養」=労働者としての自己研鑽(仕事のための自己啓発)、「教養」=(労働内容に関係なく)エリートとしてのアイデンティティを保つための自己研鑽、という二つの思考に分離した。

### **第3章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか? 昭和戦前・戦中**

- 「自分は労働者階級ではない」と誇示したいサラリーマン層にとって、円本全集は打ってつけのインテリアであった。
- 日給制の労働者と異なり、月給制のサラリーマンは、月額〇円、という円本の支払体系ともフィットしていた。

### **第4章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー 1950~1960年代**

- 戦後、じわじわと労働者階級にも「教養」が広がっていく。「教養」は家計の事情により学歴を手に入れる事が出来なかった層による、階級上昇を目指す手段。
- 高度経済成長期、サラリーマン階級(長時間労働して余暇が少ない)が増加。そのため、サラリーマンに特化した本、つまり英語力や記憶力を向上させるハウツー本や、読みやすく身近なサラリーマン小説が誕生し、結果的に労働者階級に読書を解放することになった。

### 第5章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン 1970年代

- 1964年の東京オリンピックの頃には9割以上普及した白黒テレビが、1970年代の娯楽の中心。テレビドラマ化(大河ドラマ等)によって小説が売れる、という循環が生まれる。
- 通勤電車の中の読書、という習慣もこの頃から。

### 第6章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー 1980年代

- 1980年代、出版業界の売上はピークを迎えつつあった。70年代に1兆円、80年代に2兆円に。
- サラリーマンの間で、学歴よりも処世術の方が大切である、という価値観が広がる。
- 80年代、カルチャーセンターに通う事は、一種のステータスになっていた。カルチャーセンターで学ぶことが、彼女たちにとって「教養」を身に付ける行為だったからだ。80年代になり、ようやく主婦やPLにも「教養」が開かれた。

### 第7章 行動と経済の時代への転換点 1990年代

- 心への興味、その結果としての心霊現象への関心やスピリチュアル的な感覚が広まったのが1990年代前半。
- その結果、1990年代後半には、自分に対して、何か行動を起こす事で、自分を好転させる、つまり、「行動」を促す事で成功をもたらす「自己啓発書」が誕生。従来の自己啓発書は「行動」のプロセスはなく、内面の在り方(心構え、姿勢、知識)を授ける事に終始していたが、90年代の自己啓発書は、読者が何をすべきなのか、取るべき「行動」を明示している点で異なる。
- 「行動」が注目されたのは、新自由主義が関係している。バブル前の「一億総中流時代」が終わりを迎え、新自由主義的な価値観(成功も失敗も自己責任)を内面化した社会が登場。
- 「読書離れ」と「自己啓発書の売上の伸び」は反比例する。
- 自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促す事にある。他人や社会といったアンコントローラブルなもの(ノイズ)は捨て置く。読書は労働のノイズになりうる。

### 第8章 仕事がアイデンティティになる社会 2000年代

- 「自己実現」という言葉には、暗に「仕事で」というニュアンスがつきまとう。
- 「好き」を活かした「仕事」。そのような幻想ができたのは、1990年代から2000年代にかけて、新自由主義が関係している。
- 1980年代と比較して、2000年代のフルタイム男性労働者の平日平均労働時間は長くなっていた。パートが増えたり週休2日制が普及したため、労働時間は短くなっているように見えるが、平日だと長期化している。自己実現という夢が若者を長時間労働へと導いていた。
- IT革命により読書離れがはじまる。求めている情報だけを、ノイズがない状態で読むことが出来る。それがインターネット的な情報。
- 自己啓発書は1990年代よりも売れていた。自己啓発書とインターネット的情報の共通点は、ノイズが除去された点。自己実現のためコントローラブルな行動に注力し、社会的階級を無効化して勝者になるべくして、若者が求めていたもの。

### 第9章 読書は人生の「ノイズ」なのか? 2010年代

- 長時間労働が是正される一方、「やりたい事を仕事にする」幻想は、2010年代にさらに広まる。
- 生きていく上では他者と関わるのだから、他者の文脈も知る必要がある。読書は他者の文脈を知る事が出来る。余裕がないと、自分から遠く離れたところにある他者の文脈を、ノイズだと思ってしまう。だからこそ、半身で働く事で、余裕を持つ必要がある。

### 最終章 「全身全霊」をやめませんか?

- なし

### あとがき

- なし

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

自分自身は今は働きながら本を読む生活が送れている。だけど、過去確かに全く本が読めていない時期があった。
その時のことを思い出すと、一人暮らしで気ままな生活だったし、労働時間も今より短かったような…。

自分の場合は、余暇の無さというより、読書から何を得るのか、なぜ本を読むのかということを明確に意識していなかったから、他の娯楽や、ジャンクに得られる情報に流れていたのかもしれない。

ここ数年で意識していることは、他者の思考様式や他者視点をインストールするための手段としての読書が、人生をとても豊かにするということ。他者の思考には、当然自分にはないノイズが多量に含まれていて、むしろこれを積極的な摂取するために読書するという意識でいると、安易な情報収集に流されずに、読書と向き合うことができるようになるのかもしれない。

読書をテーマに労働への向き合い方を考えるきっかけを提示してくれる本でした。

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

現代社会で生きる人達へのヒーリング本である。
読書がノイズと捉えられる社会構造自体へのアンチテーゼ。
私自身がこれからも本を読む事、そして本を読むことが好きな理由を見失わずに生きたいと改めて思えた本書だった。
ありきたりな結論かもしれないけれど、指標を示した著者と実際に売れているという事実に読書家として少し希望を持て世の中捨てたもんじゃないと感じた。

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2025年12月21日

Posted by ブクログ

新書は知識すぎる!と苦手意識があり避けてきたが
本当に読みやすい!自分の興味がある新書というのはこの本で言うところのノイズの比較的少ない情報よりの本なのか…?と感じたほど。

花束みたいな恋をしたの視聴がここで役立つとは
思っていなくて驚いた。若者に優しい。
例えが柔らかくてわかりやすい。
説明文特有の作者の意図を読み取る
みたいな作業の必要がなくてすらすらと読める。

他人とうまく繋がれないから物語を求めるというのはかなりぐさぐさきてしまったし、孤独だから本を読むと言っていた太宰治と通ずるものがある。

また、自己実現ときいて仕事を思い浮かべてしまうというのは本当に共感した。まさに!と思った。
たしかにそれは趣味でも良いものだ、目からウロコ。

何事にも浸りきれないことがコンプレックスで
何もないことと同じだと感じてしまっていたが
人生を信じきれてないだけなのかもしれない。
もっと自分に耐えられる自分になりたい。

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2025年12月21日

Posted by ブクログ

なぜ働いていると本が読めなくなるのか。自分自身は普段本を読む側として、自分自身とも重ねながら楽しく読むことができた。

著者の意見も交えながら感じたこと。ハッとさせられたこともあるので、言語化しておくための感想文

「なんで本?AIでいいやん」
これは、本を読まない友人からよく言われることだ。 
の返答としてうまく言語化できないことは多かったが、今回この本を読んで感じた「本を読む理由」の自分の解は以下だ。

AI⇨問題解決、欲しい情報が最短で手に入る。
本⇨探求、欲しい情報+予想もしなかった学びや感情と偶発的に出会える

非効率ではあるが、私は探求したいのだ。
そして意外と、偶発的に出会える情報の方が今の自分にとって大切なことだったりする。そんな出会いにときめき、期待しているのだ。


作者の別書、考察する若者たちにはこう記載されている。
「今の若者たちは努力をしたくないのではない。報われない努力をしたくないのだ。」
かけた時間の総量が多いことに対して、対価を得られないイメージのある「本を読むこと」にネガティブな印象を抱く若者は多いかもしれない。未来が見えなくて不安な人にこそ読んで味わって欲しい。本がもたらす偶発的な出会いに。そこから広がる可能性に。

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2025年12月20日

Posted by ブクログ

いろんな娯楽がある現代においての読書とは

菅田将暉好きなのかな

気楽に働いて本を読む時間も持とうね理論

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2025年12月20日

Posted by ブクログ

久々に論文を読んでいる感じだった。
本を読むことの位置付けの変遷がわかって面白かった。
半身で働くこと。これから意識していきたいと思った。

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2025年12月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「半身で働こう」

三宅さんの主張には共感できる。

私は以前は残業が多く、仕事に全身で取り組んでいた。

しかしそんな生き方で、家族には苦労をかけ、自分の健康も害し、5年前に環境を変え、今はほとんど残業をせずに仕事を終えるようにしている。

仕事の手を抜いているわけではないし、むしろ短い時間で仕事を行うのだから、より大変なくらいだ。

しかし今は仕事が楽しい。

家族も自身も健康だ。

そうあれるように努力してきた結果ではあるが、この本で三宅さんの言うように、私はこれまで読んできたたくさんの本から得た文脈によって、今の状態に導かれたと思っている。

例えば星野道夫さんの『旅をする木』や、鴨長明の『方丈記』がそうだ。

これらの本を読み、『自分以外の場所がある』『自分ではどうにもならないことがある』ということを知った。

私がどれだけ残業しようが、正直社会はそれほど良くならない。

むしろそれによって家族や自分は健康を害し崩壊する。

余暇を楽しむ時間もない。

それなら、何が何でも仕事は仕事と割り切って、余暇の時間で家族と過ごし、自分の好きなことをすることを心掛けた。

だから今がある。

仕事は忙しいが、面白くて楽しい。

それは仕事以外の時間がちゃんとあって、家族と時間を分け合えているから感じられることだ。

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2025年12月20日

Posted by ブクログ

全身で仕事に励む社会は家庭に全身で励む人がいるから成り立つと気付かされた。
読書できるくらい余裕を持って働きたいと感じる本だった。

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2025年12月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分はもっと頑張れる、もっと努力できると自分に言い聞かせて自発的に疲れてしまっている...これ俺じゃねえか!
と読んでいる途中で気づいてしまった。YouTubeとかを眺めていても最初は何気なく娯楽として見ていたのにいつのまにか見たいチャンネルが増えすぎて、倍速で見るようになり楽しむというより知ることが目的となっている自分もいる。仕事が終わった後もこんな生活をしているからやっぱり疲れるのよね〜。
様々なことが多様化しているからこそ、全身全霊ではなく半身で取り組むことが心にゆとりを持つ秘訣なのかもしれないと思わされた。

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2025年12月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

近代日本社会に、読書という文化がいかにして根付いてきたのかがよく分かった。
いや、でもタイトルの問いに対する答えはあるのかと読み進んでいくと、ありました、「半身社会」。

労働に全身全霊を傾けていたら、そりゃ本なんて読めないよ。そういう姿勢を労働者に求める企業側に、資本主義社会である以上まぁ無理もないかと思う反面、それに洗脳されたかのように、ある種肯定的に受け入れる労働者側の考えを改めるのは必要かも。少なくとも本を読みたい人は。

読書に必要なのは、やはり心の余裕。
私自身は、自分を取り戻すために本を読んでいることをこの本に気付かされた。

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2025年12月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読書とは、自分から遠く離れた文脈に触れること。
本が読めない状況とは、新しい文脈を作る余裕がない、ということ。
仕事が忙しいと自分が求めている情報以外のノイズ(教養と呼ばれる古典的な知識や、小説のようなフィクション、読者が予想していなかった展開など)を頭に入れる余裕がないため。

「この世の知識はいつかどこかで自分に繋がってくる。他者は自分と違う人間だが、自分に影響を与えたり,あるいは自分が影響を与えたりするのと同じだ。」

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2025年12月10日

Posted by ブクログ

「花束みたいな恋をした」は世相を反映した傑作映画。
これからの働き方は、全身全霊ではなく、半身で仕事、半身で文化的な活動。
三宅さんは現代のオピニオンリーダーだ。

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2025年12月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルでは本のことを例示しているがもっと根本的な働き方と文化との構造、時間の使い方に関することについて論じられた本みたい。興味深く読書

メモ
•どういう働き方であれば人間らしく、労働と文化を両立できるのか

•修養が労働者階級の教育概念となった一方、エリート階級では教養が広まる。
 修養は労働者としての自己研鑽、教養はエリートとしてのアイデンティティを保つための自己研鑽
•自己啓発書はノイズを除去する姿勢を重視する
•2000年代ごろから個性を重視、個々人の発信力を伸ばそうという思想の教育、時代に
•情報と読書の最も大きな差異は知識のノイズ性
•2010年半ばのビジネス書の行動重視傾向
⭐︎自分から遠く離れた文脈に触れること、それが読書。本が読めない状況とは新しい文脈をつくる余裕がないということ。ノイズを頭に入れる余裕がない、仕事以外の文脈を取り入れる余裕がない
•半身で働くことが当たり前の社会になってほしい。働いても本が読める社会がそれだから。

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2025年12月14日

Posted by ブクログ

労働の変遷とともに読書がどのような位置付けとして変化していったのかが書かれていて興味深かった。

ノイズの話は実感としてもよくわかる。
インターネット的情報と自己啓発本の類が同列なのも納得。ノイズを楽しめる余裕がないことが読書を遠ざけている理由だったのか。

最終的には今後の働き方への提言のようなまとめになっていたけど、まさに今育児と仕事の両立に加え新しいことを勉強したい私にはグサッと来た。
確かに「全身」はある意味でとても楽。でも一方で思考停止になりかねない。
思考し続けて充実した「半身」状態であり続けたいし、そうありたいと思うことを肯定されたようでとても嬉しい。

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2025年12月07日

Posted by ブクログ

絶対に『花束みたいな恋をした』を見たあとで読んだほうがいい


著者の三宅さんとは同じ高校の出身だということもあって、話題になったこの本を手に取りました。

就職してから大好きだった読書ができなくなった自身の経験をもとに、明治以降・近代化してからの日本人の働き方と、読書のあり方(読書に限らず、文化・教養の受け取り方)の変遷という2本の線を並行をさせて比較し、労働と文化を両立できるはたらき方とは?を追求する1冊です。想像してたよりもフランクでやさしい文体で、はつらつとした女性の軽やかさと情熱にグイグイと引き込まれます。

「本が読めないのは仕事に時間が取られるから、労働で気力が奪われるからじゃないの?それと時間の使い方の選択肢が増えたからじゃん?時間の潰し方を無限に用意してくれるスマホがあるからじゃん?」だれもが読む前に予想するところでしょう。もちろんそれはそうだけど、かなり深堀りされた解像度の高い答えが著者によって提示されます。

なにより2021年の映画「花束みたいな恋をした」の主人公カップルの社会的な位置づけの違いに注目し、労働と文化のあいだには常に「社会的な格差」が影響しているという文脈を見立てた著者の着眼点がおもしろい。一見関係のなさそうなものがつながってしまう作用、これこそが教養のなせる技であって、この本のメッセージのひとつだと思います。哲学者ブルデューの『ディスタンクシオン』にも通じるものを感じました。これ映画見てたらもっと味わい深く読めたなあ。今後この映画を見る機会に、この本で提示された文脈でしか見られなそうなのがちょっと残念かも(自分のせい)。見てから読めばよかった!

明治時代、海外から自己啓発の概念が輸入され、立身出世を焚き付けられる労働者男性と、それを他人事のように眺めるエリート階級の構図が生まれたと見て取れ、明治すでに『花束みたいな恋をした』のカップルのような構図はすでにあったということが面白かったです。

その他、紙の価格高騰から円本(=全集)や文庫が誕生したエピソードなど、本そのものの変遷も興味深かったです。昭和のころ、中流以上の家庭の戸建てなら玄関からすぐの部屋には洋式の応接間があって、そこの本棚にはかならず日本文学全集、世界文学全集の背表紙がズラリ、教養も誇示できるインテリアとして鎮座していたものです。いまではそんな応接間なんて余裕も必要もなくなったうえに、オンラインで世界中の文学作品が読める。世は遺品整理や終活ブームで、無用の長物は処分したい。”全集インテリア”はもう見られなくなった光景ですよね。

「読書はノイズをはらむ」と著者は言います。2020年代に現れた効率的に手っ取り早く教養を得る『ファスト教養』という言葉。お金と時間をかけて1冊のビジネス書に向き合うより、同じ内容を数分に要約したYouTube動画を無料で見るほうがコスパ・タイパが良いという風潮を表したものです。ファスト教養によってバッサリ切り落とされた贅肉こそが『ノイズ』、言ってみればムダな部分ということ。著者のお気持ち、付随するエピソードといった余談や、なんなら本屋に行く手間、買う手間、自分でページをめくる手間、、、コスパ・タイパという俎上のうえで切り落とされるそれらを『ノイズ』という概念に集約させているのが分かりやすいです。詩的で抽象的な部分を含んだメッセージを能動的に受け取りにいくより、具体的な情報をのみを流し込まれるほうがハードルが格段に低い。だから本は読めなくてもスマホは見られるという現象が起こるのだと思います。『読書』は他者の文脈を汲み取りつつ読み進めなければいけないけど、『情報』は答えに一本道でたどり着けるルートが用意されているから。

タイトル「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」、この問いへの著者の答えは「仕事以外の文脈を取り入れる余裕がなくなるから」。そして大切なのは他者の文脈を遮断せず、一見ムダな知識『ノイズ』をあえて受け入れること、それが働きながら本を読む一歩だと著者は言います。これには本当に同意するところで、わたしも、”風が吹けば桶屋がもうかる”ように、一見役に立たない本(や映画、音楽、美術、etc)がじんわり漢方薬のように自分の人生に効いていたとあとになって気づくことがありました。

いまの働き方の元凶とも言える「新自由主義」について触れた章も面白く読むことができました。新自由主義への懸念、前田裕二著『人生の勝算』への批評的な目線など、著者の論調のギアがグッと上がってドライブしてくるあたりがアツい!「ルールを疑うことと、他人ではなく自分の決めた人生を生きることは、決して両立できないものではないはず」という著者の熱いメッセージは胸に響きました。正直、ところどころ強引なこじつけに感じる部分もあるけれど、ある程度クセがある方が味がしてメッセージとして面白いと私は思います。ファスト教養的観点からすれば、クセや味なんてそれこそノイズなんでしょうけどね。

本も読めない(=趣味を心底楽しめない)社会を改善するには、美徳とされているストイックなオーバーワークを褒めるのをやめること。それからはじめようと著者は提示します。そして仕事も趣味も家事も、全身全霊でなく”半身”でこなすことだと。ストイックという幻想に縛られない生き方については最近自分も考えていました。私は若い頃、ストイックに求道的に生きて名を挙げて、「自分は何者である」という勲章を手に入れないとこの世にいてはいけない、とすら思っていたかもしれません。でも今は違います。自分が自分であるだけでいい、勲章は必要ない。”生きてることそれだけをもって、生きててOKという許可証だ”と思っています。SNSで散見される勲章の博覧会に心揺さぶられないように意識しています。

最後に思わず「そう!」と声が出た、私が大共感した文を引用します。
"好きなことを活かせる仕事── 麦(※映画『花束みたいな〜』の主人公)の言うとおり、それは夢物語で、モラトリアムの時期だけに描くことのできる夢なのかもしれない。しかし問題は、それが夢物語であること、ではない。むしろ好きなことを仕事にする必要はあるのか?趣味で好きなことをすれば、充分それも自己実現になるではないか?そのような考え方が、麦にとってすっぽり抜け落ちていることこそが問題なのだ"

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2025年11月16日

Posted by ブクログ

読書の意義と効用を明治期から年代ごとに解き明かす。
あの時期あの時になぜあんな本が売れたのか?「そうかそうか」と納得しながら読んだ。国の政策、サラリーマン層の増加、インテリアとしての全集、テレビと連動した大衆向け書籍、自己責任と自己啓発本などなど。ヒットの要因について得心する事が多く、勉強になった。
しかし、読書が出来ない理由についての分析は説得力に欠ける気がした。
本書でも触れられているように、若者の読書離れは半世紀も前から呪文のように唱えられている。僕らはずっと、漫画ばかり読んできたし、ゲームばかりやってきたし、YouTubeやTikTokにうつつを抜かしてきた。僕らはずっと本なんか読んじゃいない。正確には読むやつは読んでるけど、読まないやつは読まない。それだけだ。そして読んでいたやつが読まない奴を見て「読書離れ」と批判する。
筆者が憂いているのは、「かつて読んでた人」が環境の変化で読めなくなったという少数派の悩みであって、本書の大部分を割いたヒットの要因との関連性は薄い(面白かったけどね)。
筆者が提案する「半身で働きましょう」には大いに賛同するのだが、浮いた半身を読書に充てる人たちはやはり少数派なのだ。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

これ読んだら、Vlogのような生活できます!って訳じゃなかった。まぁ考えればなぜって言ってるからそうか!方法じゃなくて理由話してるよな!つまりは、働きすぎんなよってことですかね。社会人になったらもっかい読んでみようかな。学生の自分にはほへーって感じでした。色々な作品がされていて興味湧きました。

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

ずっと気になっていた新書

「あの本、読みました?」を見ていると、幾度となく紹介されていて気になっていた

「労働」と「読書」の関係を明治時代まで遡り、ベストセラーと照らし合わせつつ紐解いていく

意外に興味深く、面白く読めた
その時代時代にどんな本が流行り、その背景にどんな出来事があったのか
日本人にとって読書はどんな位置づけだったのか
なるほどなぁと、とても分かりやすかった

働いていても読む人は読むし、読まない人は読まない
SNSの本の紹介についてもサラッと出てくるが、自分はあまりYouTubeやTikTokを見ないので読書に影響はないかなぁ
楽しみ方は人それぞれで良いのではないか
と、思う

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

日本人の働いてきた歴史と読書 オーディブルにて

あまりこうした考察本は読んだことがなかったけれど、面白かった
バーンアウトはしちゃいけないし、させちゃいけないなぁ

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2025年12月12日

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