ビジネス・実用の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
衝撃だったのはp.257。「本書の提案する「庭」の条件をすべて満たす社会的な大状況は存在できる。というか、すでに存在している。人間と事物とが関係する場所であり、事物間の生態系が豊かな場所であり、人間が関与できるが支配できない場所であり、そして事物の側から人間にアプローチのある場所であり、そしてそこは人間を孤独にする場所である。…これらの条件を同時に満たす場所を、正確にはあらゆる場所でその条件を満たすことを可能にする状況を少なくともひとつ、私は挙げることができる。しかし私を含め、多くの人々はその状況を望まないだろう。なぜならば、一般的にその状況は「戦争」と呼ばれているからだ」
思考の練られた哲学というのは、いつも私を圧倒させる。それは煌びやかで高潔な圧倒なんかではなく、侮辱したい、罵倒したい、どうにか否定したい圧倒である。がしかし、ここで練られている哲学というのは横槍を入れるのが本当に難しいのである、否定したい批判したいが、どうにも腑に落ちる部分と批判したい部分が絡まっていて、わだかまりを解くのにはとても時間がかかる。この本を読み終えるのに半年以上かかった気がする。良い本とは、いつも呼吸をするのを忘れてしまうため、急に本をパタンと閉じることが多い。罵倒と批判の明確な違いは、感情に身を任せて言葉をのせているか、時間と知性をかけて言葉を練り込んでいるのか、だと思う。Twitterのクソリプみたいには絶対にしない。徹底的な批判をするために、わたしは何年もかけてこの本の真髄を批判してゆきたい -
Posted by ブクログ
新井先生の文章は読みやすくて、ユーモラスかつ刺激的だ。RSTを開発してしまう知性が生み出す文章だから、そりゃそうか。
【主な感想】
チャットGPTは平気でウソをつく(ハルシネーション)。これはチャットGPTの欠点ではあるが、欠陥ではない。チャットGPTが目指しているのは自然な言語生成であって、正確な情報提供ではない。
2023年5月、米ニューヨーク州の弁護士が審理中の民事訴訟で資料作成にチャット
GPTを利用した結果、存在しない架空の判例を引用してしまい、罰金の支払いを命じられた。チャットGPTのハルシネーションと人間の流暢性バイアスの組み合わせは、非常に危険だ。
チャットGPTで生産性を上げるには、少なくともチャットGPTと遜色のない読み書きスキルが必要。なにしろ相手は呼吸をするようにウソをつく。自力で正確なファクトチェックができなければならない。チャットGPTをはじめあらゆる生成AIは、使い手の真の能力を超えることはできない。
チャットGPTを使いこなす人材を育てるために必要なのは、学校でチャットGPTを使わせることではなく、読み書きの能力を向上させることだ。
というわけで、読解力を上げる具体的な方法と、その実証実験について教えてくれる。
僕も新井先生と同じで、小中学校の授業にタブレットは必要ないし、プリントも必要ない、教科書とノートで授業するべきだと思う。そして、新井先生の考えた読解力を上げるトレーニング、是非全国でやってほしいと思う。
【その他の感想1】
生活言語と学習言語は違う。しかも教科によって学習言語には違いがある。
たとえば、社会の教科書には連用中止法が多用されていて、
①「山形は盆地が多く、夏は暑い」
②「山形は盆地が多く、花笠まつりで有名だ」
この2つの文章は形は同じなのに前後の関係はまるで違う。学生時代どれだけ勉強しても社会が上がらなかったのは、単に記憶力の問題ではなく(それも問題だろうが)この文体に馴染めなかったのだと、48歳にして初めて気付いた。
【その他の感想2】
ディープラーニングには2種類ある。
ひとつは「強化学習」。ある指標を最大化するように自動調整を繰り返させるもので、はっきりとした指標を与えられる場合に有効(チェスや将棋等)。もうひとつは「教師あり学習」。人間を手本として、大量の教師データを元に学習する。
教師あり学習には大きく2つの問題がある。ひとつめは、教師データをどう設計し、どう集めるか。ふたつめは、外れ値をどう扱うか。AIは統計により答えを選ぶので、外れ値は捨てることになる。
珍しいことが起きた場合には事故を起こして良い自動運転車を許容できるのか。 -
Posted by ブクログ
初心者には本当に有り難いシリーズ、2冊目を購入。
誤用されがちな『論理哲学論考』の結論となる1文について、そこに至る読み解き方を超抜粋で解説、面白さを伝えてくれる。
…そしてめちゃくちゃ興味が湧く。
『論理哲学論考』の末尾
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読者は私の諸命題を葬り去らなければならない。そのとき、読者は世界を正しく見るだろう。
語りえないことについては、沈黙しなければならない。
―――
…カッケェ。
思わず呟いちゃったよね。痺れる美しさ。
私の敬愛するSEKAI NO OWARIさんの『天使と悪魔』を思い出すなどした。
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否定を否定するという 僕の最大の矛盾は
僕の言葉すべてデタラメ なんてことになんのかな
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ウィトゲンシュタインは言語化が無意味だと言っているのではなく、言語化できないことを取り出して切り分けることによって人間の思考を炙り出している、と受け取った。
きっと浅い解釈だろうから、将来的に深めていけるのが楽しみだ。 -
Posted by ブクログ
【読書は「体験」であり、体験は「人格形成」ひいては「人間性」に繋がる】
読書は好きで日々本を読んでいるが、なぜネット記事やSNSではなく読書を薦めるのか、漠然とした疑問を持っていた。
ゆえに、本を読む際も、「時間をかけた割に身になってない」とか「もう読書は時代遅れなのか」といったネガティブな感情を抱くことがあった。
本著を読み、自信を持って読書ライフを送れそうだ。
読書にあってネットやSNSにはないこと、それは「向き合い方」にあるというのがしっくりきた。
読書はまるで4畳半の部屋に作者と向き合い、話を聞くようなものである、と。時にはつまらない時間やわけのわからない時間もあるが、全体を通して物事を見る訓練になるし、認識力が高まる。
世のダイパ、コスパにはない読書の醍醐味である。読書は永遠に不滅なり。と感じた。 -
Posted by ブクログ
最後にアーレントが出てくるのは反則でした。これによって、前著『目的への抵抗』の続編的な立ち位置だと最後に再確認できました。
前半の論文パートはライトな哲学好きには少し難しいお話でしたが、後半の講話部分で再読したような感覚になり、理解が深まりました。
話変わって個人的な出来事です。僕はただ本が好きで、その中でも哲学とか社会学、修辞学を好んで読んでいます。それをある日知人に言ったところ、「それを読んでどうなりたいのか、生きづらいのか」などと言われました。理由の分からない不快感を感じたものの、その時は上手く答えられませんでした。ただ本著でそれが少し分かった気がします。僕は目的はなく、ただ読書が楽しい、学問を修めることが楽しい(享受、あるいは第三象限)のです。それが知人には目的がなく、ただ読むという行為に納得が見出だせなかったのでしょう。今ならキメ顔で「じゃあ君はなぜコーヒーを好んで飲むのかい」と質問返しができる気がします。
今述べたのは軽めの事象ですが、この状態を笑って過ごせるのは現代が平和だからなのかもしれません。終盤に著者は警鐘を鳴らしました。第三象限が汚染される危険性です。田舎の僻地で日々を勤しむサラリーマン(僕)にすらその危険が迫っていました。資本主義の思想的な侵食は、思ったより深刻なのかもしれません。
最後には「経験」「習慣」という2つの概念の登場で幕を閉じました。「目的」「手段」から一歩距離を置き、次はどういった展開を見せてくださるのか。楽しみです。(第三象限) 素敵な一冊でした。
余談ですが部数を飛ばしている『暇と退屈の倫理学』といい、國分先生のご著書はテーマが違えど論旨が一貫しており、とても読み易いです。若林さんとの共著も楽しみです。