あらすじ
ここ数年、「文化人類学」が話題となっていますが、それに続き2023年頃から「民俗学」もかなりスポットを浴びています。「文化人類学」は自分の住んでいる場所から<外>に出る学問ですが、「民俗学」はその逆で、自らの住んでいる場所にある習俗を見つめ直す学問です。この二つは表裏一体の学問とも言えます。「文化人類学」と同様、最新の「民俗学」の入門書がいま求められています。そこで本書は、一般の読者にもわかりやすい丁寧な解説、そして知的好奇心をそそられる興味深い内容で構成する、まさに民俗学入門書の決定版といえる一冊となります。
【構成】
第1章 民俗学とは何か
第2章 「たましい」で考える ~パワースポットの来歴からケガレ論まで
第3章 「ことば」で謎を解く ~民族語彙、地名と方言、口承文芸から読み解く
第4章 「生」のリアリティと向き合う ~生存の技法から生きづらさまで
第5章 民俗学の聖地を歩く ~旅の学問としての民俗学
第6章 私と民俗学
【著者プロフィール】
島村恭則(しまむら・たかのり)
1967年東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科文化人類学専攻単位取得満期退学。関西学院大学社会学部長、教授。世界民俗学研究センター長。博士(文学)。専門は現代民俗学、民俗学理論。著書に『〈生きる方法〉の民俗誌』(関西学院大学出版会)、『民俗学を生きる』(晃洋書房)、『みんなの民俗学』(平凡社)、『現代民俗学入門』(創元社)などがある。
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Posted by ブクログ
これからの時代に必要な民俗学を解説した著書。
民俗学は、啓蒙主義や合理性などのドミナントな価値観に対し、各地域文化や人々の暮らしの固有性や、合理性では割り切れないものを研究対象とし、価値を相対化する役割や、過去や他地域と比較することで現在の自分たちの文化や暮らし(アイデンティティ)をより深く理解し、未来を考えることに役に立つ学問だと思う。
現在を史学することとして、例えばゴキブリという存在は、過去は隙間の多い日本家屋では、虫は家の中に居て当たり前の存在で、人が蚊帳の中に入り、それらを避ける暮らしであったが、気密性の高まった現代の家屋では居てはいけない存在となり、異物感を感じたり、殺虫剤を常備するという習慣に変化した。また、ゴキブリの駆除方法として、トイレに流すという家庭が多くなっているが、過去のたいまつの灯で虫をおびき寄せて、川に流す虫送りという風習における、秩序維持のための排除装置としての川が、水洗トイレに置き換わったという視点を民俗学は提示する。
日本における土木叩きでは、昔、土を深く掘ることは自然に無理に手を加えることになるため、タブーとされており、生活のために井戸などを掘る人は、軽蔑の対象となっていた。その文化的背景が存在することを示唆する。
結婚においても、昔の庶民は、村内の女性の元に男性が通い婚をし、子供を身ごもったら、嫁に迎えるという2段階の結婚プロセスであった。武家は、嫁入りからの結婚生活を始めるスタイルで、戦後はこのスタイルが主流になった。しかし、後者は性格も価値観もわからない中夫婦生活を営むというリスクがあり、不自然な形態であった。現代では、同棲生活を経てから、結婚に至る昔の庶民のスタイルが、形を変えて復活しつつある。
このように、現在の習慣と過去の習慣を紐づけることで、現在の習慣の過去からの影響や変遷が明らかになり、今の生活の理解度が上がる。
また、霊的なものを主体にした文化についての記述も面白い。
霊的なもとのとして、超自然的な力としての霊力、形象化された霊魂、を元にした生活風習や信仰が根付いている。ハレとケは、霊力によって営まれるケという状態と、霊力がなくなり、充填するためのハレ(張れ)のことであり、霊力の消費プロセスや枯渇をケガレ(気離れ)と呼んだ。
この霊力の消費と充填に基づき、お正月のお年玉(お年魂)やお歳暮、お中元などは、霊力を込めた贈答品を送り合う習慣であった。
正月に食べるお持ちや、海岸に打ち上げられた丸い石、子供の衣服に施された矢の形の背守りなどは、霊力の充填や霊力の脱離を抑制する目的で行われていた。
時間という言葉も、時はハレを表し、間はハレとハレの間のケを表しており、その二つで時間という言葉になっている。また、地名でも由比ガ浜は、結という自由参加の相互扶助的な漁場であったのに対し、田子の浦は、田子と呼ばれる労働力を元にした軍隊的漁の行われた場所を意味する。
また、宮本常一は、伝承に注目する民俗学的なことよりも、苦しい状況でも忍耐と工夫で生き抜く人々の生活自身に注目するようになる。その中には、農や漁に生きた人々の具体的な技能や自然知も含まれる。
川島秀一は、東日本大震災後の沿岸地域での海との隔離をを前提とした画一的な減災対策に対し、災害を受け入れ、漁師として海と暮らすあり方があったことを提示する。
六車由美は、介護の現場で、それぞれの人が持つ事情やワケを聞き取り、マニュアルでは拾上げられない物語を被介護者と紡ぎあげる。人間のせつなさとしょうもなさ。せつなさとは、ひとびとがそれぞれ生きる時代や地域や状況の中で、ひたむきに忍耐と工夫を嵩ね、一生懸命に日々の暗しを営んでいることへの感嘆と賛辞である。しょうもなさとは、そうした人々が差別や抑圧や暴力の被害者となり、また加害者や、無責任な傍観者になる。学んでもまたすぐに忘れてしまい、また同じ過ちを繰り返す。あざなえる縄のごとく立ち現れる。
資本主義、合理主義、啓蒙主義などのドミナントに対して、価値を相対化して、多様な視点を得るためだったり、日々の暮らしの中で知と知が結びつく知的探求心の満足が得られた里、過去を知ることで現在の習慣や暮らしの解像度が上がり、未来を考えやすくなったり、そのままにしていると失われる他者の記憶の器になることが、民俗学の魅力なのではと思った。