あらすじ
琉球処分とは、日中の両属国家だった琉球王国を日本が強制併合した政治過程をいう。1872年の琉球藩設置から「処分官」派遣、79年の警察・軍隊を動員した沖縄県設置、80年に強く抗議する清国との八重山分島交渉までを指す。
国王は東京に送られ、島内では組織的抵抗が日清戦争まで行われる。本書は、併合の過程とその後を精緻に追い、清国や西洋諸国を巻き込み東アジアの新秩序をも形成した琉球処分の全貌を描く。
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Posted by ブクログ
沖縄を日本の領土と確定した、琉球処分という言葉については、以前より知っていたが、その背景、日本政府、沖縄の人々の考え、清国の関わり方等についてはあまり考えた事はなかった。
沖縄が日本(薩摩藩)と清国に対して両属関係にあったと言うことについては理解していたが、その様々な関わり方については、何も知らなかったことを痛感させられる。
本書を読んで思い出したのは、30数年前、北京の故宮を観光で訪れたとき、大和殿の巨大な建物に驚いたこと、その2・3年後に沖縄の首里城を訪れた時、(この首里城は、先年消失した前の首里城である)これは北京の大和殿の縮小版だ、なんと雰囲気が似ていることかと驚いたものである。この時も、沖縄は中国を向いて様々なことが行われていたのだと感じた。
現在の沖縄の米軍基地の問題、沖縄人が日本に対する複雑な思い、何回かの沖縄旅行で感じたことを思い起こした。
Posted by ブクログ
琉球処分について、日本側の視点だけではなく、琉球王家が所蔵していた「尚家文書」を活用して琉球の視点からも詳述していく。
琉球処分とは、日本が琉球王国を滅ぼし、植民地化する過程であった。清と日本に両属していたとはいえ、それは当時の東アジアでは特別なことではなく、琉球王国は日本や清とは異なる一つの国家であった。したがって、琉球処分は日本の国内問題ではなく、東アジアおよび西洋列強、ロシアをも巻き込んだ事象になっていった。
日本がどれだけ過酷なことを強いたかが明らかになる。そして、琉球がどれだけそれに抵抗したか。結局、琉球は日本ではなかった。「琉球処分以後の沖縄は、大和人が沖縄人の上に立つ植民地となったからだ。(中略)大和人による沖縄人への差別や蔑視は根強く続くことになる」
「日本の一部となったことによる影響は、今日も続いている。今日、普天間基地の移設問題について沖縄に「自己決定権」がないのは、突き詰めていえば(中略)琉球処分の結果と地続きなのだ」
沖縄に「遊び」に行くなら、琉球処分について深く知ってから行ったほうがいい。そこは150年前には日本とは別の国だった場所である。
Posted by ブクログ
分かりやすくてジェットコースターのように読めます。
沖縄、が日本でなかった時、の話。
朝鮮半島や台湾との歴史認識問題とも地続きと感じました。
結果よければ(いいとは言えないけども)、それでいいのか?プロセスも含めて問われると思いました。
時間が処理してくれる、というのは勝者側の言い訳でしょう。
勝者が利害の為にやった、と言われてもやむを得ないと思いました。
ロシアとウクライナが、こんな決着をすると?こんな経緯をたどると?みたいな、現代にも通じる問題だと思います。
Posted by ブクログ
琉球王国を日本が強制的に併合した琉球処分について、日本側からではなく今まで語られなかった沖縄の立場から『尚家文書』を元に沖縄併合の全貌が描かれている。今だうちなーんちゅー、やまとんちゅーという呼び方で区別されることにも納得