川上弘美のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
川上弘美って、
どうしてこうも怖いのだろう。
以前からそうなのだが、
年々その怖さが増していき、
先に読んでいた『森へ行きましょう』に真骨頂を見ていたが、
この作品で既にその片鱗が明確に現れていたか。
ふわっと夢のようでありながら、
生々しさと毒があって、
そのくせ冷たいくらいに俯瞰している視線がある。
それはグロテスクではない静かなものだからこそ、
とても怖く感じる。
確かにどこにでもありそうな町の人間模様に、
少しでも足を踏み入れれば、
そこにはひとりひとりの人生があり、
それは何にも変えられない超個人的なものだ。
その人生達が触れ合って、絡み合い、
通り過ぎて、離れていって、
そうしてまたひとつずつの物語が広がっていく。
始まりからゆっくりと積み重ねられた終わりの展開に、
背筋が凍る。
どうしてこんなに怖いのかと考えてみると、
きっとすべてが平等だからだ。
生きとし生けるものも、
意識も無意識も、
生と死も、
ひとつづきであるという真実を、
川上弘美は言葉にして、物語にしてしまえるから、
とても怖いのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ川上弘美ではもちろん「センセイの鞄」が一番好きだけど、これはそれと同レベルくらい切なかった。ありそうでなかった恋愛の設定だ。
お互いを強く求め続けた二人の気持ちは、普通の恋愛とは言えない。今、性同一性障害とか認知され始めているけど、こういう人たちももしかしたら世の中には…?ちょっと考えにくいし、存在するとしても多分、社会の中で「自分たちを認めてください」と声をあげることはまずしないだろうと思われる。ひっそりと生きるというか…。
そういうこともアタマをかすめつつ、でもあくまでも「物語」として、感情移入しながら読める。
「ママ」のキャラクターも素晴らしい。
多くの人が、彼女のように生きたいと思うのではないかな。明るく、日々の些事に振り回されることはなく、どちらかと言うと自分が周りを振り回す方。でも決して不快感を与えるわけではなく、人を惹きつける。そして楽しかった、と言って死んでいける。
主人公はそんな「ママ」の思い出に耽りつつ、ゆっくりと年をとっていく。人の死も、年をとることも、生きていく限り心から追いだすことができない誰かに対する「想い」も、決して抗うことはできない、というその事実に、じんわりと感じるものがある。 -
Posted by ブクログ
春(22)・夏(24)・秋(25)・冬(19)・新年(6)と、川上さんが好きな季語とそれを含む一句を選び、その季語や句にまつわるエッセイが綴られている。
虫大好き、生物大好きな川上さんの、生きとし生けるもの全てに注ぐ視線が温かく、そしてちょっと不思議な体験談もあったり。
昭和の頃の話も同年代として懐かしく読みました。
載っている季語は、誰でもそこで一句読めそうな身近なものが多いですが、その中で異彩を放っていたのが『絵踏(えぶみ)』でした。
現代の歳時記にはもう載っていないことも多い、ということですが、2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産へ登録されたこともあり、こんな季語もあったんだ、と合わせて知るとまた面白いかもしれません。
NHK「すてきにハンドメイド」のテキストに2012年4月号から2020年3月号まで載っていたものをまとめたものらしいです。 -
Posted by ブクログ
『白シャツになりすもも食ふすもも食ふ 木星』―『夏/李(すもも)』
「すてきにハンドメイド」(NHKテキスト)に連載されていたということで、少しミッション系スクール的雰囲気のする文体なのだろうか(雙葉だし)。他のエッセイの文章とは違いやや改まった口調の文章が並ぶ。もちろん四季折々の感慨を季語に寄せて書かれたものを読めば川上弘美であることには違いなくて、これまで出版されたエッセイ集同様に記憶の中の心象と呼応する感情の起伏を巧みに引き寄せて語ってはいる。けれど、やはり少しだけすました顔つきの文章と感じる。
川上弘美には「東京日記」という何処までが事実でどこからが脚色なのか判然としない日記風の連載もあるので自身のことについて語っていても注意が必要だけれど、極端に言えばこの作家のエッセイには自虐的な話が多いように思う。如何に自分が自堕落であるか、ゲームや漫画などの誘惑に負けてしまい易いか、人見知りできちんと他人と会話ができないか、そんな社会不適合者ぶり(を装った姿?)が軽妙に語られていることが多いのだ。そんなおっとりとした雰囲気に誘われて思わずその世界に入り込んでしてしまう。この季語を巡るエッセイでも、少し余所行き風の文章で語られているとはいえその軽妙さもしっかりとあり、手芸にいそしむようなマメな人たちに寛容の気持ちを抱かせるだろう。
しかしずっと読み継いで来ただけに、おっとりとした雰囲気を醸し出しながら芯のところで他人の言うことを鵜呑みにしない人だから、と用心する。白シャツに赤い果汁が付くのも厭わないという「やさぐれた」心根を時に晒して見せつける、啖呵を切った風なところがやはり川上弘美を川上弘美たらしめているところだし、と。例えばこんな句のように。『はっきりしない人ね茄子投げるわよ』―『機嫌のいい犬』
そう言えばかつて日本経済新聞に連載された随筆を書籍化した「此処彼処」にも、すももの句に通じる強情さとそれを日経を読むようなオジサマたちに向かってさらりと晒してしまえるようなフェミニストぶりが潜んでいるように思う文章があったっけ(因みに、こちらの随筆集ではマダガスカルの逸話に川上弘美のおっとりしていない部分がよく表れていて秀逸の面白さと思います)。
『考えあぐねた末、パンツをはかずに学校に行くことにした。コンビニエンスストアなどない頃だ。貧乏だから、デパートに行ってパンツを買うという発想もない。木の丸椅子に座って授業を受けていると、お尻が冷えた。すごく心細い。一方で、今わたしパンツはいてないんだよという、妙な自慢の心もぽっちりある』―『此処彼処/吉祥寺』
「ないんだ」ではなくて「ないんだよ」と書き表わすところが絶妙なニュアンスと思う。本書の中で、この対オジサマへの企みに呼応する対オバサマへの悪戯は、
『はるうれひ乳房はすこしお湯に浮く 弘美』―『春/春愁』
という句だろう。毎回ではなく極まれに開陳するそんな茶目っ気のようなものに、ご用心、ご用心。
ところで、このエッセイ集は一つの季語に見開き二頁というフォーマットで統一されているのだけれど、春夏秋冬各々の章の中の見開きの文章の頁の間に四枚の摺り模様風の薄紙が挿し込まれている(春:わかめ?、夏:蝙蝠、秋:柿、冬:銀杏)のは装丁上の意図なのかしら? 各章の扉の頁に挿し込まれている方が落ち着くように思ってしまうのだけれど、それは野暮なの? -
Posted by ブクログ
本屋で、俳句のコーナーを歩いていると、優しい色使いのこの本を見つけた。偶然の出会いだったが、ページをパラパラめくると、興味のあまりなかった、季語というジャンルに惹きつけられて、購入。
なんだか、柔らかな太陽の光を浴びながら、コーヒーや紅茶を片手に読みたい本。
季語なんて、学生時代は暗記するものとしか思えなかった自分にとって、季語にまつわるエピソードは、全て新鮮。
言葉ひとつにも、思い出が結びついているように、季語にもそれがある。
『それぞれの持ち味を、差別せずにただありのままに良しとする。それが季語の精神』(P174)
曇り空のどんよりとした雰囲気や、無造作に生えた雑草。それら全てを、「良いもの」という視点から眺めてみる。まずは身の回りから。
そうすることで、なんのことのない日常も、喜びに満ちたものになるのかもしれない。
いつまでも読んでいたいエッセイでした。 -
Posted by ブクログ
川上弘美はやっぱり天才ですね。
こんなに分厚い小説をどんどん読ませる才能!
川上弘美独特の美しい文章と、「そういう気持ち感じたことある!」と思うものの、うまく言語化できないものを的確に表現する巧みさ。
いつも思いますが、漢字とひらがなの使いわけが絶妙ですよね。あえて「はんぶん」と表記してみたり。
この本では、主に(というのも、最後の方に行くにつれてさらに主人公のパターンが増えるので)ルツと留津という二人が出てきます。
主人公が行う選択。
たとえば女子校か、共学か。
理系に進むか、文系に進むか。
結婚した人生としなかった人生。
結婚したあとの人生の選択について。
どちらの人生にも違ったかたちで同じ人物が現れたりするので、国語の授業のように簡単なメモを取りながら読み進めて行きました。
同じ人でも他の道すじを辿ると、嫌なやつになってたりするんですよね。
ぜひ読んでいただきたい。傑作です。 -
Posted by ブクログ
残念なことに私の人生、
川上弘美さんの「神様」を
知らずにやってきました。
しかしこれ読んで、
ちょっと凄味を感じています。
自身のデビュー作である「神様」を、
2011年の3月の末に、あらためて書いたという「神様2011」
そこには、「あのこと」として、あの時に起こったこと。
原発事故以前の幸せな「神様」を原発事故以降の「神様2011」として新たに書いたのですね。
その行動力に驚きました。「神様2011」は、2011年の6月にはすでに、「群像」に発表されている。。
詩人の斉藤倫さんがブックガイドに紹介したものを読んだのが、この作品を手にしたきっかけですが、
紹介文にはこうあります。
_ずれてしまった、いわば、平行世界の、残酷な「神様」がありました。それを読んでしまえば、私たちはあの幸福には、再び戻れない。もう純粋に楽しむことはできない…
ずれてしまった現実に、小説をずらし返すことで、異議を唱えていく。ものがたりで、のような激しく、厳しいことができるのだと…
私は物凄い不安に襲われました。
コロナ以前とコロナ後の今、またはこれからの世界は
こんな風にまたずれてしまったんじゃないかと。。
-
Posted by ブクログ
都と陵は一つ違いのきょうだい。特殊な関係の親の元に育つ。ママは言葉が鋭く、自然と人を怖がらせもする、だけど魅力的で男受けは良い。
都はママが大好き。どうして子供は、母親が好きなんだろう。どんな母親だったとしても、子供は母親の全部が好きなのだ。
陵は、偶然地下鉄サリン事件の現場に居合わせ、幸い難を逃れる。ママは空襲で実母を失う。それぞれが命の安全が脅かされるようなPTSDを抱える。
大好きなママが病気で亡くなってからもずっとママの夢を見続ける都。
若い頃は離れて暮らしていたが、30代半ば再び実家で一緒に住みはじめた都と陵。陵がサリン事件に出くわしてから。人の死は、遠いようで紙一枚隔て隣にあった。
都と陵の関係について、ありえないと言ってしまえばその一言だが、家庭環境が影響を及ぼした(のだろうか)。
「わたしは陵のようになりたかった。陵になって、ママに喜んでもらいたかった。でもできなかった。だからわたしこんなにも陵が好きなのかもしれない」と言っている。
強烈なママの自爆から逃れられない都は、外へ飛び出せなくて、結局、陵に向かった。
子供というのはいつかは親元を巣立つもの。肉親から離れてゆくのが自然だろう。都(陵も?)は言わば毒親のママから精神面で自立できなかった(のだろう)。
「いつもわたしと陵は裁かれている。わたしたちを知るすべての人々に。けれど、真にわたしたちを裁いてくれる者など、ほんとうはどこにも存在しない。」
重いなぁ。この時期キツイ。
だけど、こんなにも綺麗な言葉文章で描かれた物語は濁りもない真っ白い水のよう。雰囲気がすごい。
夏の夜の鳥で始まって鳥で終わる。一羽だけぽつんと浮いていた水鳥。
また夏が来る。鳥は、太く、短く鳴くことだろう。 -
購入済み
紙媒体も持っているケド
いつ位前か忘れたケド当時、竹野内豊主演の映画が作成されるのが切っ掛けで、本を購入し勿論読破。
で、映画も後に鑑賞。映画は抑えるトコは抑えていると云った内容で、私が好きなキャストが多く出ていたので映画も満足でした。
原作と映画とどちらが面白かった?と云う話なら、原作の方が面白かったと云う事になるかな。
ただ、私見だけど映画から入って原作を読むのも全然アリだと、この作品関しては思います。
それ位、面白い設定と世界観だと私は思います。
紙媒体も持っているケド今回久々に読みたくなったので家中を探そうかと思ったが、何処に閉まったか、はたまた友に貸したかイマイチ覚えていなかったので、電子版を購入。電子の良いトコは、スマホでもタブレットでもPCでも読めるトコにあります。
仕事の合間に、軽く読んだりもしています。私の中では、結構大切な作品なんだなと電子版を読んで改めて感じました。
内容に関しては、ユキヒコのコトを好きになれるか、なれないかで全く印象が違うと思います。
レビューを書いていて思ったのは、先述したケド映画から入るのを薦めます。竹野内豊が嫌いでなけばですが・・・